登山

大峠から南大菩薩・黒岳へ ~56年を経て

2016年8月26日

この夏の天候不順はひどい。
なんでもかんでも地球温暖化のせいにするのも陳腐だが、こう毎年異常気象が続くとやはり原因は温室化効果かなと思うしかない。

トレーニング山行をしたいのだが、そんな経過で2週間も間が開いてしまった。
ようやく今日(25日)チャンスがきた。
行き先は大月市の北西にある大峠から
小金沢・黒岳1987m。
標高差は400m強。
普通のハイカーなら楽勝のレベルだが、再起途上の私には簡単にはクリアできないハードルである。

私が大菩薩嶺から南へ伸びる小金沢連嶺を北から南へ縦走し、黒岳に至り、ここで東に進路を変えて、今日のスタート地点ここ大峠に下りて来たのは今から56年前のこととなる。
今では大峠まで車道が通じているが、もちろん当時は違う。
大峠から大月近くの真木まで、木材搬出用の木馬道(きんまみち)が延々と続き、重い足を引きずってようやく真木のバス停にたどり着いた。

Img007  場所は別の所だが、これが木馬道
ソリに木材を積み馬がこれを引いた。
1960年ころから用途がなくなり、今日この実物を見ることはほとんど不可能であろう。

今日はその大峠から、あの日とは反対に、老いの身を重力に逆らって黒岳まで運び上げようとしてするものである。

Dscn6199 大峠から大菩薩南嶺の最南端、滝子山を見る。

Dscn6196 大峠の黒岳登山口~峠の風情は一変している。
この反対(背中)側には、昔の500円札の裏の富士山撮影地として有名な雁ヶ腹摺山の登山口がある。

56年前の記憶はおぼろげながら、登山道はかなり笹藪に覆われていたように記録には書いてある。
今は明瞭な登山道が通っている。
ただ、途中の1792m標高点(赤岩ノ丸というらしい)を通過してから不意に不明瞭になった。
紛らわしい赤テープに惑わされるが、尾根筋を外さなければ大きな間違いはしない。
・・・ここで私が少々の迷走をしたのは、赤岩ノ丸手前に右へ迂回することを示す標識を見落として直進したためである。

登山道は、登山口から終始一貫して急な登りがなく、クッション性の良い土の上を歩くので足に優しい。

Dscn6197 もしかしたら67年前に見たかもしれないが、もう少し後の標識と思われる。
それでも朽廃し文字の判読不能。

一貫して樹林帯を登るため、一度も眺望を得られないまま、黙々と歩き、大菩薩から黒岳に連なる主稜線に乗り上げた。

Dscn6198 一等三角点・黒岳 ~これで4度目になるかな・・・
以前と違い山頂回りの樹木が伐採されているので明るい雰囲気になってはいるが、相変わらず展望はない。

山頂までの所要時間はジャスト2時間。
昭文社登山地図では1時間半だから30分多くかかっている。
30%増しか・・・
昭文社地図のコースタイムは中高年にはおおむね妥当な値になっている。

私も1年前くらいまではなんとかそれをクリアできていた。

今日の結果は病み上がり、というハンディはあっても自身を納得させられるものではない。
やはり加齢による限界なんだろうか。
せめて20%増しくらいのレベルにしたいものだが・・・

登りも不本意だが、それにも増して深刻なのが下りであった。
おそらく薬がもたらす作用だろうが、体のバランスが悪くなっていて転倒が怖い。
血小板が低下しているため出血することは厳禁である。
転倒しないために勢い足の運びが慎重に、緩慢になる。
以前なら路面状態がよければ小走りしていたようなところでも
単にスピード低下ばかりでなく、上りより下りの方が足への負荷が大きい。
膝が笑い、今にも痙攣がおきそうである。
下り用の筋肉がまだできていないのだろうか?
結果として、下りの標準タイム1時間に対し、1時間40分もかかってしまった。
峠まで戻った時にはもう一歩も歩けないほど
ヘロヘロになっていた。

今日は28日の会山行のための足試しの意味があった。
しかし、この調子ではとても当日の800m近い標高差を下ることはできない。
帰宅してさっそくリーダーのM氏に参加取り消しの連絡をした。

まだまだ前途の楽観はできないことを痛感させられた山歩きであった。

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和田峠.古峠の探索と鷲ヶ峰

2016年8月17日

いまこの古い峠道は 新道ができてから
たれも通るものがなくなった
せきばくの中
二月末の夕陽が
ときいろに きらめいている

これは蔵原伸二郎の詩「峠路の道しるべ」の一部です。
このような峠は全国の至る所に散在していることでしょう。
こうした峠に漂う一種の哀感に惹かれる「峠」ファンは多いようです。
私もそうです。

今日(8月12日)尋ねた中山道・和田峠の「古峠」もその一つです。
その旧和田峠(古道)を探索し、前回途中までしか行けなかった鷲ヶ峰に登るのが今日の目的。
昨日の「山の日」から始まった盆休み。
どこもかしこも人・人・人そして車・車・車
こんな時は避けたいのですがもろもろの都合でそうもいきません。

さて先ず「古峠」の探索ですが、どうも地理院地図などいろいろな資料に当たっても正確な位置が掴めません。
とにかく現地で、と現在の和田峠へ。
峠に着いてから、車を走らせながら周辺を探って見ましたが「古峠」への入り口が見つかりません

丁度、峠の茶店「農の駅」の主が開店準備で外へ出ていたので教えてもらいました。
その峠の入口は車できた場合には先ず分かりません。
中山道の旧道を丹念に辿ってくれば自然に導かれるようになっているのですが、車で楽しようという横着者には簡単に門を開けてくれないようです。

峠への道はいかにも古道らしい素敵な雰囲気でした。
ただ、せっかくの舞台装置なのに自分の体調が思わしくありません。
2日前に抗ガン剤の点滴を受けました。
ドクターのいうことには抗ガン剤のような強い薬は、高齢者にはダメージがあるそうで、キットそのせいでしょう。

Dscn6165 ただ、峠までは20分ほどの上りなので何とかなります。

着いた古峠は期待通りの峠らしい峠でした。
峠には今でも生活道として使われるいるような名もないごくごく小さな峠もあれば、那須の大峠に見られるような広い広い開放的な峠もあります。

ここ「古峠」はその中間くらいで、中山道一の難所をどうにか上りつめヤレヤレと安堵して腰を下ろし、束の間の憩いを取るには格好です。

Dscn6167 この峠は霊峰・御嶽山の遥拝所で、かつての旅人はここに立ち、御嶽山に向かい合掌し、旅路の安寧を祈ったのでしょう。
今日は夏雲に包まれているので御嶽山の姿を拝むことができません。

峠からの戻り道での思案・・・
今日の体調で鷲ヶ峰に登るのはムリだろうな・・・どうする・・・
その時、天啓のように(大げさな・・・)一つのアイディアが閃きました。

和田峠から鷲ヶ峰への登山道が、限りなくビーナスラインに接近する所があります。

その辺りに駐車ができれば和田峠から登るより時間を短縮して登ることができます。
ズルイがその方法で鷲ヶ峰の山頂まで少しでも近づき、ギブアップしたところで引き返せばいいだろう・・・

Dscn6170 遠くないところに鷲ヶ峰の山頂が見えます。

普通ならどうってことのない行程なんです。

Dscn6172 振り返ると先日登った三峰山(右)とブロ友・岳さんお勧めの「二つ山」が見えます。
それにしてもビーナスラインのひっかき傷跡は無残です。
開通してから半世紀以上経つでしょうが、自然の復元力をもってしても傷跡は消えません。

苦しくなっているのですが、何とか足が動いてくれるので、もう少し、もう少し、と進みます。

山頂手前に急登があり、たまたま交差した人が”ここからがキツイですよ”と。
聞きたくはなかったんですが・・・
それでもここまで来ればもう戻る選択はありません。

Dscn6173 山頂 ~意外にも人影はまばらでした。

田次郎の『鷲ヶ峰物語』では山頂付近に2体の石仏があることになっているのですが、見当たりません。

Dscn6174 山は辛うじてお隣の車山が見えるだけです。

Dscn6177 八島湿原を俯瞰

鷲ヶ峰から八島湿原への下りは砂礫でいかにも滑りやすいものです。
十分注意しているつもりでしたが、何と左足が4度もスリップしました。
そのたびに膝、肘に擦過傷を負い、左足首を捻ってしまいました。
これほどスリップした経験はこれまでありません。
やはり薬の作用でバランスがとても悪くなっているせいでしょう・・・
それにしてもどうして左足ばかりが滑るのか・・・

~そう思っていましたが、帰宅してから靴を点検すると、左足踵のトレッドパターン(溝)がまるで摩耗していました。
タイヤでいえば「坊主」の状態です。
これが度重なるスリップの主たる原因でしょう。

人と車で溢れかえっている霧ヶ峰を久しぶりに横断しましたが、どこにも立ち寄る気が起きず、真っ直ぐに山荘へ戻りました。

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三峰山に寄り道し美ヶ原へ

2016年8月4

美ヶ原には何度か行っているが、たった一度の登山を除いてあとはドライブである。
そのたった一度の登山は58年前のことになる。
その当時率いていたハイキングクラブの行事で、32人が参加している。
どこをどう歩いたのか記憶は風化しているが、記録によれば大屋駅からバスで巣栗まで行き、そこから白樺平を経由し、今の美ヶ原高原美術館の辺りを通り「山本小屋」に入っている。

Img012 その時泊まった山本小屋。
山本小屋の母屋はすでにあったのだが、団体はこのカマボコ型の小屋に泊められた。
今、私が山仲間と集合写真を撮ると中高年ばかりだが、このころはご覧の通り全員が20歳台である。
このメンバーの中で未だに山から離れられないのは私だけになってしまった。
うたた今昔の感が強い。


観光地化しているここに山登りで行くことはなさそうだが、今の山本小屋辺りがどんなふうに変わっているのか見ておきたい、というのが今日の主たる目的。

和田峠でビーナスライン(どうにも好きになれない呼称だが・・・)を霧ケ峰と反対に右折する。
行きがけの駄賃のつもりで「三峰山」1888mに登っておこう。
と言っても、駐車場所の「三峰茶屋」から1時間ほどで往復できる。

Dscn6095 振り返り見下ろす「三峰茶屋」

山頂に至る草原からのロケーションの素晴らしさといったらなかった。
この景観には一度で虜(とりこ)になってしまった。
八ヶ岳や南アルプスの頂稜に雪が載ったころ絶対に再訪するぞ、と心に誓った。

Dscn6096 南アルプス~左から甲斐駒、北岳、仙丈

山頂から西へ岳さんご推薦の「二ツ山」への山道が続いているが、大きなアップダウンの連続で、2時間以上かかるとあれば、今の私には歯が立たない。

Dscn6099 三峰山の山頂

車に戻り 美ヶ原へ向かう。
先ず高原美術館へ。
一度入っているので今日はオモチャ箱をひっくり返したような全体を俯瞰するだけでスルーした。

Dscn6109
美ヶ原の中心地、山本小屋の駐車場へ。
日曜なのでワンサカ車が入ってきているが、何とかスペースを確保できた。

Dscn6110 この原の類まれな景観美を発見し、世に知らしめるため笹小屋を基地にして開発に当たった山本俊一の像。
俊一はそれまで牧場としては利用されていたが、観光地としては顧りみられることがなかったこの地を、今や日本有数の人気スポットにした始祖である。

草小屋を建てのが昭和5年のことだからほぼ90年前のことになる。
ただ、美ヶ原の歴史は古く、黒曜石の流通経路として利用されたりして、交通の要衝だったようである。
江戸時代中期にはには「美ヶ原」という呼称が初めて登場し、明治の末期には牧場が開かれている。

Dscn6114 風に弄られるタカネナデシコ。
花弁があまりにも繊細なので、風が吹くと髪の毛が乱れるようになる。
モネの「日傘をさす夫人」のスカーフが風になびいている様子と重なり合う。

Dscn6120 今の山本小屋の外観 ~もっと瀟洒な高原ホテル風に改築されているものと想像していたが、むしろ山小屋に近い。

Dscn6115 高原の一角にたつ「美しの塔」が見えてくる。
あの時は深い霧の中だったので、このように遠望したわけではなかったが、とてつもなく懐かしいものに再会したようで、不覚にも胸を突き上げてくるものがあった。

Dscn6118 尾崎喜八の詩「美ガ原溶岩台地」のレリーフが埋め込まれている。
   登りついて不意にひらけた眼前の風景に
   しばらくは世界の天井が抜けたかと思う。  
(以下略)

Dscn6122 高原の一角からの蓼科山~八ヶ岳・赤岳

Dscn6126 美ヶ原からの下り道の途中でカモシカの母子連れを見かけた。
カモシカそのものは何度も見かけているが、母子連れは初めてである。
車の往来が激しい車道を悠々と横切っていた。
往来する車も一時停止して観察。
車を降りると驚かせてしまうかと、乗ったままで写したが思うようなショットは得られなかった。

Dscn6129 中山道の和田宿に下り「和田宿本陣」の見学をする。
皇女和宮が徳川家にご降嫁されるときにここに宿泊している。
その時の一行は約8万人というから、何とも豪奢できらびやかな嫁入りだったのか。
ちなみに嫁入り荷物は東海道で運んだそうだから、何故、和宮一行がわざわざ難路になる中山道を経由したのか、興味をそそる。
東海道が足止めがあったりして、時間が計れないことなどが理由で中山道を辿った、ということらしい。

これまで何となく遠隔地という気がして足が向かなかった美ヶ原界隈であるが、山荘からなら片道150kmほどである。
幾つか興味をもったコースがあるのでもう少し通ってみたい。

私の粗忽さが原因でまだ「工事中」の段階で間違ってアップしてしまいました。
醜態をお詫びする次第です。
これが一応完成形です。

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「南高尾山稜」で復活3戦目

2016年7月27日

梅雨明けが遅れている関東地方は夏とは名ばかりの低温の日々である。
こんな時は高尾山界隈の低山歩きも苦にならないのがありがたい。
そこで今日(25日)このところ少し間があいた南高尾に向かう。
このところ定番にしているズル~10:14高尾山口駅前発の相模湖行きのバスに乗り、大垂水峠で下車する~をして高度を200mほど稼ぐ。

大垂水峠から登り始めると、足取りがシッカリしてきていることが実感された。
この調子なら自分が思っていたより大分早く復調できそうだな、と思わず色気が出てしまった。

Dscn6067 峠から南高尾の稜線に乗りあげた位置の標識。
南高尾の尾根筋では今の時期、ギボウシと、香りだけで存在が分かる山百合くらいしか花を見ない。

Dscn6068 今日の最高点「大洞山」~といっても標高わずかに536mで高尾山より低い。
大垂水峠との標高差もたったの150mほど。
いったん下り、右への巻き道を取らずに真っ直ぐ登り返すと「コンピラ山」になるはずなのだが、どうしたわけか名物化しているザック掛けなどが見当たらない。
怪訝な思いを抱いたまま下る。

Dscn6072 下った所が中沢峠。
南高尾の山稜には甲州街道へのエスケープルートが何本もある。
この中沢峠は大垂水峠側からだと、一番早く甲州街道へ下りられる。
登りの調子ではまだまだ歩けそうな気がしたが、今日は初めからここから下るつもりでいた。
これまでこれを下降ルートとして利用したことがなかったので、様子を知っておきたいという理由もあった。

Dscn6074 山道を下ると間もなく林道になった。
その道すがらの草叢の中に一際目を引く花が咲いていた。
一瞬「ヒメサユリ」?と思ったが、こんな場所に咲いているはずがない。
よく見るとユリ科の花のように葉がなく、地面から真っ直ぐ茎が立ちあがりその先端に花を着ける。
ネットで調べたところ、南ア産の「ネリネ」(別名ダイヤモンドリリー、ヒガンバナ科)に酷似している。
しかしネリネは花期が秋だそうで、その点が合致しない。
名前の分からない別種であろう。

Dscn6075 こちらはキツネノカミソリに似ているが、やはり別物なんだろうな・・・
前出の花もそうだが野生種には思えない。
誰かが園芸種の球根を植えつけたものであろう。

Dscn6079 珍しくもないが、余りに豪華な咲きっぷりに思わずカメラをむけてしまった。

林道は舗装された車道になり、足取りがすっかり重くなってきた。
復帰後の山道下りは2度目になるが、1度目のとき下りのバランスが極度に落ちていることに気づいた。
自慢になるが、私はバランスはよく、目で足元の岩石を拾いながら、ゴロタ道を余り苦にしないで歩けていた。
ところが、すっかり様変わりしてしまった。
少しでも足元が悪いとスムーズに足捌きができず、また足もとが良い道ではスピードが上がらない。

Dscn6080 ほどなく道の両側に数寄を凝らした和風の建物が立ち並んで所に下りてきた。
食欲をそそるいい匂いも漂う。
アレ!もしかしたら・・・その、もしかの通り「うかい鳥山」に下りたのだ。
入口の様子には見覚えがある。

R20(甲州街道)に出た。
ここから「高尾山口」駅までのがやけに長く感じられた。
最短距離で降りたことは正解だった。

自分で想定していたよりは回復の足取りは早いようだが、これから少しずつハードルを上げていくとして、それは順調に右肩上がりの軌跡を描いてくれるだろうか?

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南房総・麻綿原のアジサイは今が花盛り

2016年7月23日

この時期に標高400mにも満たない会行事、南房総・麻綿原の低山ハイクでは、暑くて熱中症の心配をしなくてはならないだろうな~。
それもさることながら、病気からの回復途上にあることで、私はパスすることにしていた。
近隣歩きや、オペラシティの50段の階段上りなどで幾らかのトレーニングはしているものの、今日の3時間の歩きはいくらフラットコースといえども自信が持てなかったからである。
ところが会の長老だったO氏が参加することを知り、儀礼上からも参加しないわけにはいくまいと思い、急遽割り込んだ。
結果的には誰にも迷惑をかけるようなこともなく歩き切ることができた。
さすがに腿の筋肉に強い張りが出たが、これくらいなら良しとできる。

この日(22日)は北東気流型の気圧配置になったので、三陸からの冷たい空気が流れ込み、天気はぐずつくが気温はあがらないのがありがたい。

Dscn6053 アクアラインでアッという間に房総に渡り、房総半島のほぼ突端の鴨川にでて、スタート地点のここ日蓮宗の総本山・清澄寺に到着。
信仰心の乏しい私は無節操に、どこでも合掌したり、柏手をうったりしてお詣りの真似事をする。

Imgp1153 小雨模様の中、21人の参加者がスタート。
ほとんどフラットな林道歩きが続く。
実はこの林道ではヤマビルの心配があるそうで、殺虫剤を用意し、それぞれはスパッツを着けた。
私はこれまでの体験でスパッツでは防げないことが分かっていたので、レインパンツの裾を絞めただけ。
道の両側の濡れた落ち葉が堆積しているところはいかにもヒルがいそうで、注意していると、やがて身をくねらせ背伸びして獲物を待ち構えているヒルを見つけることができた。

皆、注意して濡れ落ち葉を踏まないようにして歩いた。
それでも安心は出来ないので、ヒルの出没の心配がなくなったところでそれぞれ足元の点検をすることとした。

Dscn6054 山百合とアジサイのコラボ

Imgp1162 妙法寺の境内に入ると万山を彩るアジサイの饗宴。

Imgp1172 蛭の心配がなくなったところでそれぞれ足元を点検する。
やはりやられた・・・2人の被害者があった。
咬まれないまでもヒルがスパッツの中に入りこんで、被害直前のものも数名いた。
私は一度だけ経験しているが、その時の出血はこんなものではなかった。
靴下が真っ赤に染まり、数時間出血が止まらなかった。

Dscn6056 妙法寺の全景

Dscn6058 俯瞰する広大な境内だが、霧雨に煙っている。
しかし、アジサイには雨が似あう。

Imgp1166_2 今日の一行 ~3名画面に入っていない。

Dscn6062 帰路での海ほたる ~東京湾は朝と同様、不機嫌そうに鈍色に光っている。

Dscn6063 海ほたるで東京湾上に出たアクアラインは真っ直ぐ木更津に向かい10分ほどで千葉県に入る近さ。
ここでこれまで一度も思ってもみなかった疑問が浮かんだ。
海上から海底のトンネルに入る構造だと、トンネルの入り口から海水が流入するが、もちろんそんな素人でも思いつくようなことの対策はあって、その秘密がここ「海ほたる」にあるはずだ。
それは海ほたるの構造をネットで調べると興味深い。

30分の時間が取れたので、小腹を充たすため「海鮮三崎港」に入ったが、あまりの不味さに閉口。
この不味さは宣伝が盛んなスシローにひけをとらない。

そんな次第で心配は杞憂に終わり、恙なく歩き切ることができた。
しかし、これをもってして山に戻れる、というほどの楽観はできない。
水平移動は足にさほどの負荷はかからないが、垂直方向へはその何倍もの負荷がかかるからである。
使う筋肉も違う。

今は希望を失うことなく、コツコツ地道にトレーニングを重ねること、それに尽きる。

 

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「鷲ヶ峰」で小さな一歩を踏み出したものの・・・

2016年7月16日

都知事選は紆余曲折ののち、有力候補3人に絞られた。
三人三様でそれぞれ持ち味がかなり異なる顔触れによる面白い選挙になりそうである。
地味ながらいかにも手固そうな行政経験豊かな増田候補。
マスコミ戦術に長けて、華々しいパフォーマンスが得意な小池さん。
ジャーナリストとして抜群の見識があり、情熱もあるが行政には全く経験のない鳥越候補。
31日にどんな結果がでるか興味は尽きない。

さて退院してから2週間。
専ら自宅静養で体力の涵養に努めていて、徐々に回復してはいるが、まだ山を歩くところまではほど遠い。
そんな日常の中で、ワケあって中山道の難所「和田峠」あたりの最近の様子を知る必要があり、現地へ出かけた。
ついでに9月に会で歩く霧ケ峰の西端にある「鷲ヶ峰」へも少しだけでも登れないものかと、久しぶりの遠出したのが11日。

かつて中山道最大の難所として旅する人に試練を課していた「和田峠」の変貌振りは著しい。
ビーナスラインと、新和田トンネルが開通し、古い峠道は今はマニアックな古道ファンが歩くだけの道になっている。

Dscn6027 徳川幕府によって「東山道」の代替として開かれた「中山道」には今でも往時を偲ぶものがたくさん残っている。
これは和田峠の近くにある通称「接待」~正式には「永代人馬施行所」といい、峠越えの人に粥一杯、馬には小桶一杯の麦を振る舞った、ということである。

Dscn6029 峠の北側でかつては「東餅屋」として名物の力餅を供していたが今は沈黙のままに朽ち果てるのを待つだけ。
鉄器ができるまでの間、人は黒曜石を用いて狩りをし、生活用具としていた。
この周辺一帯はその黒曜石の産出地として全国から人が集まったそうである。

Dscn6031 和田峠近くの唯一の休憩所「農の駅」
ここが鷲ヶ峰への登山口になる。
自宅周辺の坂道歩きはしているが、山道を歩くのは1・5ヶ月振り。

しかも今回は単なる空白ではなく、その間に著しく体力を減衰させた後である。
絶対にムリはしないで、行けるところまででj引き返すつもりでいる。

Dscn6036 振り返ると三峰山。
右の遠景は美ヶ原方向。

スタート地点から標高差にして約150mを1時間かけて登ってきた。
通常の倍の時間を要しているが、それは現状では仕方ない。
それより思いがけない現象が起きていた。
足が小刻みに震えているのだ。
これまで足が動かなくなるような疲労は何度も経験しているが、こんなことは初めて。
疲れというよりは、体の内部で何かの警告を発しているように思えた。

”今日はここまでにしておこう”

Dscn6039
そこに見えている蓼科山も”ウン そうした方がいいよ!ムリして何かが起きたら元もこもない。山は逃げないで待っているからシッカリ直してからでも間に合うよ・・・”などと言っていてくれているようである。・・・な訳はないか・・・・・・

もともと、こんなに早く山に戻れることは考えていなかったのだ。
これだけでも、前途に光明が灯った、と思うことにしよう。

Dscn6045 車に戻り「八島湿原」に移動。
駐車場は満車状態。
湿原の端に出て「七島八島」を見渡した。
5年ぶりくらいになるだろうか

Dscn6046 日本最南端の高層湿原なのだそうである。
そう言われてみるとここより南の高層湿原は思い当たらない。
高層湿原といえば代表的な尾瀬はもちろん、立山の弥陀ヶ原、苗場山など標高の高い所に多い。
そこで「高層湿原とは標高の高いところにある湿原」という誤解が生じる。
実は高層湿原と標高とには直接の関係はない。
標高の低いところにも高層湿原は存在し得る。
池や沼などの底にヨシやスゲ類が堆積(泥炭)し、まず低層湿原が形成される。
次の段階で有機物や無機土壌の堆積が進んで中層湿原へ。
さらにミズゴケ類や湿原植物が侵入して堆積が高くなり、その一番高いところが凸レンズの形で水面上に現れた状態が「高層湿原」ということになる。

脱線してしまったが、中山道には歴史を物語る史跡が保存されているものを含めたくさんある。
興味をそそられるので、山歩きを離れてその探訪してみたい気がしている。
それが果たせるのはいつのことになるか、今は分からないが・・・・・・。

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美の森山から天女山 ~八ヶ岳中腹のトレイル

2016年5月27日

八ヶ岳の東側には広大な裾野が広がり、特に南半分(おおむね山梨県)は古くから酪農が営まれ、パストラルな雰囲気が横溢しています。
今日(25日)はその一部の「美の森山」と「天女山」を結んだハイキングコースを、花に囲まれて19人で歩いてみました。
私としては2ヶ月ぶりの会山行参加です。

Static 今日の行程 ~久し振りにトラフィックログをとってみました。

Dscn5986 スタート地点の「美しの森」の駐車場に着くと笹原の中に赤い塊が見えます。
近づくと予想通りニホンサクラソウの群落でした。
何故こんなところに・・・?

1 今日リーダーデビューするHさん~このところ緊張の日々が続いていたといいますが、どうしてどうして落ち着いて良いペースで先導し、無難に務めを果たしました。

Dscn5989   A ズミ(コナシ)~ 今八ヶ岳中腹の高原はミツバツツジ、ヤマツツジ、レンゲツツジなどがが花盛りですが、その間を縫うように控えめにながらズミも咲いているのです。

Dscn5988_2   Dscn5990 高原点景~奥は三つ頭~権現岳

Photo_2 高曇りだったので、不鮮明ながら富士山も見えていました。
雪の富士もそろそろ見納めになります。

Photo_8   いっちゃん 滑り込み! ~美の森山で。

Photo_4 クリンソウの群生地などもあるのです。

Dscn5994 川俣川の渡渉 ~人工の石を並べて橋状にしているのですが、その先が崩落のため通行できません。
適当な渡渉ポイントを選んで、飛び石伝いに対岸へ渡ります。
増水時だとかなり危険になりそうです。

Dscn5997 ひろびろした牧場の上の直ぐそこに盟主赤岳が威嚇的に聳えています。
参加者の大半はその頂上に立っているので感慨があるでしょう。
その山頂から左へ急角度で落ちる尾根があります。
尾根のほぼ中間部に「大天狗」と呼ばる目立つ岩峰があります。
これにちなんで
「天狗尾根」というバリエーションルートになっています。
20代のころですが冬の入口の時期に一人でこの尾根を登ったことがあります。
丁度大天狗にかかるあたりから風雪になり、進路を的確に選べないまま、ハイマツに突っ込んだり、手がかりの乏しい草つきの急斜面を辛うじて上りきったりして縦走路にでました。
当時の粗末な天然素材のアノラックはバリバリに凍り付いてしまいました。
今では逆さになってもできない若気の至りですね。

Photo_5 牧場地帯に入り、久し振りにこんな牧歌的は草原の縁を歩きました。

Photo_6 私には懐かしくも快心の思い出のある権現岳から三つ頭へ続く尾根を眺めながら「展望台」で昼食。

Photo_7 ゴール地点の天女山。
ここまで累積標高差が400mに満たない行程で、Hリーダーのペースも適切でした。
なので、みんな余裕を持って歩いていたのに、私だけがこのペースにすら追随できず遅れ勝ちでした。
これが情けないことですが今の私の姿です。
こんな素敵な仲間たちとは出来るだけ長く愉しいハイキングを続けたいと願っています。
それがいつまでのことになるか・・・

Dscn6000 待機していたチャーターバスに乗り込んで、走り出すと直ぐに「八ヶ岳倶楽部」の前に着きました。
説明不要でしょうが柳生 博さんが手造りで趣味の延長で造り上げた広大な林の中の瀟洒なレストランです。
平日ながら、また昨今の清里の凋落をよそに客の入りは上々のようでした。

これまで私にとっては行楽地とか、山への入口でしかなかったエリアを歩いてみて、新たな発見をずいぶんしました。
八ヶ岳の懐はとてつもなく深い・・・・・・

こうした皆で感動や感嘆をともにしながらのハイキングはただただ愉快というほかはありません。
良い仲間に対する感謝の念がひとしお強くわいた一日でした。

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山歩きの基本を学習する~小仏城山にて

2016年5月22日

・山道で、登り下りが交差した時は、原則として登りが優先する。
・必要がない場合は熊鈴をむやみに鳴らさない。
・人混みや車内ではストックは手に持ち、ザックにはくくりつけない。
・山頂標識、三角点周辺は占拠しないで空けておく・・・・・etc・

~こうしたことは山歩きの世界では誰でも当然に知っておかなければならない基本的マナー、ルールです。
ところが中高年登山が一種のブームになってからこうしたことにはトント無頓着としか思えないハイカーがけっこう多くなっています。
決して悪意からではなく、恐らく基本を知らないためでしょう。
しっかりした山岳会などに入っていればそうしたことはトレーニングされるのですが・・・。
今さら組織に拘束されたくないと考える人は気ままに山歩きを楽しみたい道を選びますから、そうした常識を学ぶ機会がないままに山に入っている結果がもたらしている現象です。

一例として「熊(除け)鈴」を採りあげてみます。
熊鈴の音は山の静謐さを損ねる耳障りな人工音そのものです。
したがってクマが出没しそうな季節や山域で限定的に使用すべきです。
ところが絶対にクマが出そうにないシチュエーションでもチンジャラチンジャラ騒音をまき散らしながら歩く人が少なくありません。
甚だしいのは電車内であろうが、行列が絶えない丹沢バカ尾根でも鳴らしています。
また一人で3個もつけていたり、グループの全員で協騒曲を演奏じている場面にも出あいます。
たいていが山の初心者で、山歩き気分をより盛り上げる小物として、無邪気にまた得意気に熊鈴を鳴らしているようです。
この音が他人にどれだけ不快な思いをもたらせているか、については全く頓着していません。
これは「無知」からきています。
彼女、彼らは熊鈴が他人に迷惑を及ぼしていることを誰からも教えられず、学ぶことのないままでいるのです。
稀に登山関係の本や雑誌に熊鈴は無暗に使うな、式の啓蒙記事もありますが、彼女、彼らはこうした記事を読むこともありません。
かくして今日もどこかの山で、あの金属的で耳障りな熊鈴の音が、ただ風のそよぎや、野鳥の囀りを聴きたいために山に入っている人の神経を逆なでていることでしょう。

私たちの会でも山歩きが好きなグループの端くれの責務として、外部講師を招いたり、自主的な勉強会をしたりして一応の対処はしてきています。
ところがこれが座学なのでなかなか聞く耳にとどかず、身につかないで、実践の場で生かしきれないきらいがあります。

そこで実際に山を歩きながら歩行技術、マナー、ルール、地図読みなどを学習する、いわばO・J・T(オン・ザ・ジョブトレーニング)を会としては初めて今日(20日)実施してみました。

Photo スタート前のミーティング~改めて今日の目的を確認。
参加者14名のうち本物のビギナーは数名です。
残りはそれなりの経験者ばかりなのに、何故か参加したのでしょうか?
先生役の私のお手並みを拝見しようとの意地悪な魂胆かな・・・

Photo_2 先ずは足元から~フックの掛け方(これは好みの問題)、止め結びやり方(W蝶結びが一番簡単)などから始めます。
・・・ちなみに私は専らリール式の靴を履いているので、靴紐について頭を悩ますこととは無縁ですが・・・。

Photo_3 登り優先で山側に待避して道を明ける~何故登り優先なのか?
何故山側に待避するのか?
単にマナーでそうなっているから、ということではなく、何故そういううマナーが定着したかを考えました。

Photo_4 ここでは今いる場所が地形図のどこになるのか、周囲の物理的情報を総合して判断します。
山歩きで道迷いを起こさない最大のポイントは、自分がいる位置が地図上のどこに当たるかを連続的に確認していくことです。
現在位置が分からなくなったら、地図もコンパスも限定的にしか役に立ちません。
~もっとも昨今はGPSという強力なツールがありますが・・・

Photo_5 今日の目標地、小仏城山山頂でK氏によりコンパスと地図を使って今見える山が何山であるかを同定する(今見えている山が目的の山であるかどうかの確認も同じ・・・)方法を学びます。
コンパスは万能ではないが、知っておくことには意味があります

Photo_8 城山山頂 ~高尾山には及びもつかないが、ここにもそれなりに人が集います。

城山東尾根を下山ルートに使い、尾根道特有のアップダウン地形が、地形図の等高線でどのように描かれているか、そのことから自分の現在位置を判定することを学習しました。

Photo_6 山道が左右に分かれています。
左の入り口に枯れ木が数本横たえてあります。
これは「こっちは登山道ではないよ」というサインであることもノウハウの一つとして覚えてもらいます。

Photo_9 城山東尾根は数年前まではヴァリエーションルート扱いされていましたが、ここ数年で立派な登山道に変貌し、今やこんな標識まで置かれるようになりました。
ここで日影沢を渡渉すると研修ハイクはほどなく終了します。

Photo 高尾駅前で反省会
これポッキリなのでいつもに比べるとかなり質素です。
今日やったことに果たして意味があるのかどうか、時が答えを出してくれるでしょう。

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荒神山~その名を知ってから70年目の登山

2016年5月17日

舛添都知事は国際政治学者、参院議員という活動を通じて、政界の中では「良識」という座標軸をそれなりに持っている人だろうと思っていました。
すなわち「公・私」の峻別が出来る、ということです。
それが手ひどく裏切られましたね。
「公」と「私」の峻別ができないただの凡夫だったのです。
政治や行政を司っている立場にいれば確かに「公と私」とを明確に区分ができないグレーゾーンのことも少なくないでしょう。
そんな場合には「とにかく私」の負担において処理するという決断が優れたリーダーの条件なのですが、昨今舛添ばかりではありませんが、いまや絶滅危惧種化しています。


舛添さんの都知事になってからの、税金を湯水のように浪費する行為をみていて「都知事っそんなにて偉いの?」と思っていました。
人口1千万人の巨大都市の長とはいえ、所詮一地方行政のそれに過ぎないのではないですか。
それなのに何を勘違いしているのか、世界の国の元首並みの気前の良い金使いをするんですね。
確かに都は富裕団体です。
しかし、それは都民が長年にわたり都税を納めてきて積みあがったものであって、舛添さんの功績などひとかけらもありません。
今は都といえども冗費を省き、すこしでも差し迫った待機児童や貧困対策に使うべき時なんです。
陳腐ないいかたですが、ムヒカさんの爪の垢を煎じて飲んで欲しいものです。
フジTVや記者会見の様子をみていて舛添さんてこんなにセコイ小物だったのかと実像を知って正直ガッカリしました。
ご本人は記者会見で”これから東京を世界一の都市にするためグランドデザインを描いて一生懸命働く”と広言していましたが、こんな器の小さな人に大きな絵が描けるはずがない、と思ってしまいますね。
いつもながら話はよどみなく流れるが、久しぶりに
「巧言令色すく鮮(すくな)し仁」という古めかしい諺を思いだしました。

さて、あれは多分私が10歳前後のころのことだったのだろうかと思いますが・・・
どういう話の流れでそうなったのかは全く記憶にないのですが、父から生家のある町の北の方の山深いところに
「コージン山」という山があることを教えられました。
山といえば赤城山と浅間山しか知らなかった幼い私には新鮮だったし、その名前からしてある種の畏怖の念も覚え、心の中に植えつけられた。
~若しかしたら広沢虎造の浪花節、次郎長伝の「荒神山の決闘」のことも(この荒神山は伊勢にある別の山だが・・・)山のイメージ形成に影響していたかも知れません。

長い年月を経て荒神山624mが私の視野に入ってきたのは山歩きを再開してからになります。
すでに神秘的な山でもなんでもなく、その気になればいつでも登れる里山になっていました。
そうなるといつでも登れる山に格落ちしていて、いよいよ自分の体力が落ちてきて登れる山がなくなってから登る山として後回していました。
いよいよ体力が低下してきて、登れる山が限られてきてようやく足が向いたのが9日のことでした。

Dscn5966 渡良瀬川に架かる「黒保根大橋」の向こうにズングリと荒神山が身を横たえています。

Dscn5967 わたらせ渓谷鉄道が水沼駅に入ってきました。

Dscn5968
この看板尾を右折した先から暗い樹林下を黙々と高度を上げていきます。
単調です。

Dscn5969 二等三角点の山頂。
視界はまったく閉ざされています。

Dscn5972 山頂西側に展望台が設けられていて、赤城山や袈裟丸連峰が眺められるが、広大という感はありません。

Dscn5975 水沼駅温泉の駐車場に戻り、駅の中にある温泉、ということで人気が高い「水沼温泉」で一浴。

長年心の中で温めていた山ですがが、印象には残り難い山でありました。
それでも普段忘れがちな亡父のことをあれこれ思いだしながらの時を過ごせたことがせめてもの親孝行だと勝手に決めました。

Img
あり、ロマネコンティを抱きて遠方より来る」
遠来の山仲間が、ワイン好きなら垂涎の的と渇仰するワインの超最高峰「ロマネコンティ」を持参してくれ試飲会をやりました。
私ごときワイン音痴ででも死ぬまでに一度はどんなワインなのか味わってみたいと熱望していたことが今実現したのです。
ライトボディくらいの軽い口当たりのワインはとても飲みやすく、一口、口に含めばたちまち羽化登仙に遊ぶ心地になりました。
・・・・というのは実は昼の夢・・・
朋友の説明によると、ロマネコンティはあまりにも高すぎて手が出せず、代わりにロマネコンティの樽で仕込んだワインを持参してくれたのだ、という種明かしでした。
若い有望なワイン造りを育てるために、ロマネコンティが一肌脱いで樽を貸してくれるのだそうです。
樽だけでもその高根の花の一端に触れた、ということになるのでしょうか。
という次第で、夢の実現は依然として遥か高みにあります。

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赤城・荒山~願わくばアカヤシオの下にてわれ・・・

2016年5月8日

アカヤシオツツジには「アカギツツジ」という別名(ほかにヒトツバナとも)があります。
それほど赤城山に多いということでしょうが、別に赤城山の専売品というわけでもなく群馬、埼玉、栃木、静岡の山では,偏在はありますが普通に見られる花です。
四国のアケボノツツジとは見分けがつかないくらい酷似しています。
ツツジの仲間では木々が芽吹く前の春先一番に咲き始めます。
赤城の観光シーズンが始まる前に咲くので見ることのない人も多かろうと思います。
赤城のツツジというと6月のレンゲツツジが代名詞になるほどですが、レンゲツツジのあのケバさには辟易気味の私には、それとは対照的に上品な色気のあるアカヤシオはこの上なく好ましく映ります。
自分の時間が戻った7日、てじかな赤城・荒山にヤシオを求めて最短距離で登りました。

Dscn5932 登山口になる軽井沢峠の標識。
面白いのは「登り65分に要する消費カロリーが630kcal」とあることです。
~フンフン・・・するとオレは基礎代謝が1400Kcalほどだから、今日はカツ丼と天丼とザルソバ食べてもOkだな・・・
誰かが化学的に測定した根拠のある数値なのかどうか分かりませんが遊び半分に眺めておきます。

Dscn5962 荒山に至る一般登山道と別れ、ここから笹原の斜面に入ります。
緩い上りなんですが病の癒えぬ私には決して優しくありません。
早々に息遣いが荒くなります。


Dscn5935 早速にヤシオが迎えてくれます。
荒山へのこの北面のルート(私は自分の便宜として「荒山北尾根」と私称していますが・・・)は昔、崩壊のため立ち入り禁止の措置がとられたままになっていますが、秘められたヤシオ観賞ルートになっています。

Dscn5937 通常は同じ花の写真は2枚以下にしているのですが、今日はこれでもか、とばかりにしつこくアップします。

Dscn5939

Dscn5941 薄い紅色の微妙なグラデーションは神の業のなせるものでしょうね。

Dscn5947 梢の間から画面中央の上州武尊と、尾瀬の至仏山が白い姿をのぞかせています。
平年ならまだ真白なんですが・・・

Dscn5948 たッた一株見かけたフデリンドウ。
山荘の庭のフデリンドウはとうに姿を消していますが、春がようやくこの高みにまで上ってきているのですね。

Dscn5952 標高が上がったせいなのか、個体差なのかまだ蕾の段階のヤシオもあります。

Dscn5956 荒山山頂からは久し振りに遠望が利いて、苗場山と仙ノ倉山が見えました。

Dscn5958 荒山山頂にも一本のヤシオがありました。

Dscn5960 山頂から東へ「ひさし岩」経由のルートで下山。
予想外だったのはこのルートでもヤシオを随所で見かけたことです。
何となく、山の西面だけに咲いていて、東面には無いと思い込んでいたので、東斜面でも見られることに意表を衝かれました。

Dscn5965 帰路の赤城南面道路から見た荒山。
今日のルートは山頂から左へ落ちる尾根を登ったのですが、40度近い勾配なので、なかなかの急斜面です。
写真では判然としませんが、山肌の何ヶ所かが染まっていますが、ヤシオの群生ですね。

このところショートコース選んで歩いていて、今日はアカヤシオづくしの行程でしたが、私自身の原状復帰への道程は容易ではないと改めて実感させられました。
まだまだ時間がかかりそうです。

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