音楽

今日は一日「椎名 恵」と

2014年9月7日

私の東京での行動範囲で思いがけないことが起こっている。
「デング熱」騒ぎである。
代々木公園から新宿中央公園へ飛び火して、新宿御苑、明治神宮へと拡散するかと心配されている。
私宅の隣地が空き地になっていて、当然のように草ははびこり、蚊にとって絶好の生息地である。
時おり見かねて雑草の除去をするが、いわゆる薮蚊が隙を狙ってやってくる。

蚊の襲来から逃げだすためではないが、山荘にきていて、なおも続く雨天の一日「椎名 恵」のCDをまとめ聴きした。
いわゆるシンガーソングライターの中でひところよく聴いていたのが彼女のCDで、いつの間にかそれが5枚になっていた。

Img007

何にも増して素直に耳に入ってくる声が爽やかで心地よい。
高音も低音も伸びやかで、安心して聴いていられる。
よくある高音の金切り声は彼女には無縁で、ふっくらしていて暖かい。
低い音も安定している。
音域が広い。

また歌がやたらに上手い。
しっとりしたラブソングのようなバラードも、ビートの効いた曲でも何でもござれで破綻がない。

歌が上手いといえば高橋真梨子が浮かぶ。
業界事情には疎いので、人気度において彼女がどの程度のポジションにいたかは知らないが、歌唱力では高橋万梨
子に遜色ない、と思っている。

Img008

ミリオンセラーになるようなヒット曲があったのかどうかは知らないが、私が好きなのが「Please don't you cry」
それとシャリーンのヒット曲をカバーした「Love is All」か。

昨今はあまり活動を聞かないようだし、新しいCDもでていないのではないかと思い、気にはなっているのです・・・。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

名曲を読む愉しみ

2014年1月9日

多くの勤めに人にとってこの年末年始は9連休になったそうだ。
一年のほとんどを時間の制約の中で送っている人にとって、この休息は貴重であることは私にも実感できる。
始まりではけっこうありそうだった休日も瞬くまに過ぎて、再び働き蜂の一員として職場に戻る、あの切なさたるや・・・
そんな思いとは無縁になっている今のこの幸福感はなにものにも代えがたい。

さて音楽は「聴く」もので「読む」ものではない、などと当たりまえのことを今さら何で・・・?
実は音楽鑑賞には登山と共通するものがあるということ。
山に登る、名曲を聴くという本質的な行為に「読む・書く」という、というものがほとんど不可分的に随伴している点である。
クラシック音楽については読むことは、その曲への理解の上で大いに有用であり、また批評の対象としてどのように評価されているのか、好きだ嫌いだと誰がどのように感じているのか、などなど「読む」ことの愉しみがおおきい。

という次第で今並行読みしている幾つかの音楽図書を紹介しておきたい。

『私の好きな曲』(ちくま文庫)は日本における最高の知性の一人である吉田秀和が1977年に著したもの。
小林秀男とならぶ難解な文章家であった著者の本としては、高度な比喩は多用されているものの、私などでもおおむね理解出来るレベルにある。

Img054

ベートーヴェンの第九やブラームスのヴァイオリン協奏曲など通俗的な名曲もある一方で、私には敷居の高いバルトークやヤナーチェク、ベルクなどの作品も含まれ、いかにも音楽批評の巨人らしい幅広い内容である。

対比的なこちらは、先日書いたばかりの『永遠の0』の著者・百田尚樹さんの至高の音楽』(PHP研究所)
昨年末には書店の店頭に平積みされているのをみて、直ぐに手が出そうになったが、新年になってから一番に買う本として残しておいた。
欲しいものをあえて残しておくなんて、我ながらどこか子供っぽい。

Img056
学生時代から途切れることなくクラシックを聴き続け、2万枚以上のレコードとCDを所有しているという、並の愛好家の域を突き抜けている。
音楽の評論家ではない一介の音楽偏愛者が、愛して止まない音楽について語れることが嬉しくて仕方ない、という思いが行間から伝わってくる。
選曲もオーソドックスで、曲の紹介文も分かりやすく入門者向けであろう。
巻末で『永遠の0』の終章を執筆中ではマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲をエンドレス再生しながら綴った」と執筆活動の一端を披露している。
ラストシーンとは大石と松之が結ばれるまでのことか、宮部久蔵の最後の場面なのか、明らかではないが、いずれにしても甘くて切ないこのあまりにポピュラーな一曲は、私には「永遠の0」全体の印象とは少し異なる。

ところでこの本を書店で求めて帰宅し、開いたときおかしなことに気づいた。
見返しの紙が破れているのである。
新刊本でこんなことがあるのだろうか?と思っただけで、さして気にも留めなかったが、読んでいるうちに思い当たった。
この本には名曲のダイジェスト版CDが付録についているのだが、誰かがそのCDだけを剥ぎとっていた、その痕跡だったのだ。
おまけのしろものだから別にそれが欲しいとは思わないから、書店に交換を申し出る気などさらさら湧かなかったが、それをした人の心根を思うと切ないものがよぎった。
たかだか1800円ほどの本、と思うのはこちらだけで、それすらの本も買えないので心ならずもこのような振る舞いに及んだのか、単なるいたずら半分の出来心なのか、小さなことだがここにも人間模様が描かれているようである。

次は昨年生誕200年を迎えていたワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の物語にかかわる『トリスタン伝説とワーグナー』平凡社新書)

Img055
ライトモティーフやら無限旋律やらでワーグナーの楽劇はハードルが高い。
とりわけケルト伝説を中世の宮廷詩人たちが語り伝えた、この「至高の愛」の物語は難解である。
原作の一つである岩波文庫版の『トリスタンとイズー物語』をついに読み通せないままになっている。

BDに録画してあるワーグナーの作品は未だ観ていない。
この難敵に立ち向かうためには十分な準備をしてかからなければなるまいと心しているためである。

・・・などとやや肩に力が入っているご様子ですが、音楽なんてもっと気楽に楽しめばいいものでしょう、違いますか?風花爺さんさん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブルックナーはお好き?

2013年10月4日

財務省のみえみえの筋書通り、消費税律アップとなった。
税金や、社会保険料などの国民負担が増えるのはもちろん嬉しいことではない。
しかし、毎年1兆円ほど増えつづける社会保障費や、1千兆円を超える国の借金の財政再建を考えれば避けては通れない道なんだろう、とは思う。
いや、ほんとうに深刻なことはこの程度の負担増ではでは焼け石に水にしかならないことであり、さらなる増税も不可避なことである。

もし、消費税アップをしなければ国際社会から財政再建の意思なし、と見られ日本(国債)売りとなり、金利が上昇したらもっと悲劇的な状態になる・・・というのはあながち財政当局のプロバガンダとばかりに言えないリアリティがある。
とはいえ、アベノミクスは、デフレを脱却する前に、円安のため、ガソリン代、電気料金そのた多くの物価上昇を招き、多くの消費者に痛撃を与えることから幕をあげた。
円安の恩恵を受けた輸出企業が、増えた利益を社員にまで回すのには相当のタイムラグが出る。
物価上昇以前から、すでにここ数年毎年のように各種の社会保険料が上がりなどしているから、消費税増税は消費者に打ち込まれる「第三の矢」になりかねない。

カエルを水の中に入れ、すこしづつ熱を加えていくと、カエルは気づかないままにやがて釜茹で死してしまう・・・今そんな状況に似てきてはいまいか?

さて本題に入るとして『悲しみよこんにちは』の作者F・サガンは『ブラームスはお好き』という恋愛小説を残している。

Img034
その顰(ひそみ)にならって私が”ブルックナーはお好き?”と問われたら・・・
~目下、好きになろうと努力中です、という返事になる。

以前、ウイーンの「シェーンブルンネン宮殿」を訪れた時、帰り際に広大な庭の一角に「アントン・ブルックナー」が一時住んでいたと書かれた小さな建物に気づいた。
もしその当時ブルックナーに今ほどの関心があったら、多少の感慨をもってその家の前で写真でも撮っていたであろう。

私の音楽的成長はかなり以前に止まったままらしい。
音楽史的にいうと後期ロマン派のブラームスまで、である。
その後に続くブルックナー、マーラー、ショスタコヴィッチ、ストラビンスキー、R・シュトラウスあたりになると、聴かないこともないが、積極的に聴こうという気にはなれないままである

印象にしかすぎないのだが、彼らの音楽は主題が明確でなく、切れ間無くダラダラ続き、時には騒音としてしか聞こえないような不協和音を使ったりして、心に響いてこないのである。

こうした感想は私だけのものではなく、高名な音楽批評家・吉田健一氏は『私の好きな曲』のなかで次のように書いている。
ザルツブルグ音楽祭でのブルックナーの第七交響曲の演奏会で「・・・ところで私はその演奏をききながら、ぐうぐう眠ってしまった。第二楽章アダージョの途中でふっと目がさめたら、まだその楽章が続いているのを知り、すっかりびっくりした。なんと長ったらしい音楽だと思ったものだ。」
そして続けている・・・「ブルックナーをきくには忍耐がいる」と・・・。
全く同感なのである。

音楽を聴くのに「忍耐」が必要だなんて、それでは「音楽」でなくて「音苦」ではないか・・・。

そんな私がフト、生きている間に、食わず嫌いを少し抑えて、未知の分野に分け入ってみよう、そんな思いに駆られてブルックナーをきちんと聴いてみようと思い立ったのである。

Img291      Img292                       

一つの契機はこのところ山と文学と音楽の分野で多くの刺激を受けている川島由夫さんの著書『ハムレットが好きな人のための音楽』を手にしたことである。
この中で物故した指揮者・朝比奈隆さんのブルックナーに対する大きな貢献を知った。

Img293

大阪フィルを率いたその朝比奈さんにしても次のように述懐しているそうである。
「この人(ブルックナーのこと)の音楽は口数の少ない人の語る言葉のようだ。私たちにとって何と親しみにくく近寄りがたかったことか。(略)それは演奏するオーケストラのメンバーにとっても聴衆にとっても、努力と忍耐の長い時間であった。」

そんな朝比奈さんが後には「ブルックナー協会」の会長となり、全曲録音を三回も出すことになる。

吉田、朝比奈両氏が期せずして「忍耐」と述懐した。
ブルックナーを聴くためのキーワードは「忍耐」であるようで、それに欠けていた(というより何もそこまでして聴かねばならない理由がなかった・・・)私ごときただの好事家が、ブルックナーの気難しそうな門の前でウロウロしていたのは無理からぬことである。
その狭き門を通過できたら広大なブルックナーの世界が開けている、ということなのだろうか・・・。

今、なぜか手元にある4番と8番の2枚のCDをBGMのようにして聞いている。
それにD・バレンボイムが振る彼の交響曲全集を注文した。
届いたらこれをとっかえひっかえ「ながら聴き」しようと思っている。
いつか、気が付いたら熱狂的なブルックナーオタクになっていた・・・・なんてことになるかな。

スピードラーニングのように・・・・・・。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ダンシング・クイーンが還ってくる?

2013年6月22日

梅雨が本気になっているのか、雨勝ちの日々。
よほどのことがなければ山歩きはお休み。
面白いのは、定例的にお訪ねする山関係のブログが一様に更新されていないことを知ると、どなたも同じように、毎日鉛色の空を見上げ、髀肉の嘆(ひにくのたん)をかこっているのでしょうね。
同病相哀れむ・・・か。
もちろん面識のない方々ばかりであるが、皆さんどんな顔をしているのか、想像するのも楽しい。

ところで、ひところ、といってももう40年近い昔のことになるがアバABBAの「ダンシング・クイーン」を耳にしない日はなかったような気がする。

Img278

ヒマラヤ街道を歩いた時、たまたまあるところの昼食で、一人でスェーデンからトレッキングにきていた青年と言葉を交わしたことがあった。
そのとき”アバは日本で一番有名なアーティストである”と言った(つもり・・・)のだが、なにかキョトンとした反応だった。
その時は下手な英語が通じなかった、のだろうと思ったし、確かにそれはそうなのだろうが、最近、そうとばかりと言い切れないようなA新聞の記事に出会った。


1980年前後の世界のポップシーンの中心の一つは「アバ」だったろう。
そんなワールドワイドな「アバ」だから当然お国のスウェーデンでは熱狂的な支持があったのだろう、と誰もが思う。
ところが意外や意外、祖国でのアバは冷たい視線に晒されていたらしいのである。

アバの全盛期のころのスウェーデンは左派の社会運動が盛んで、アバのようなステージ衣装で、ラブソンぐを歌うのはアメリカ的な、軽薄な商業主義の象徴とみなされ、自国では受け入れられなかったのだろう。

私がヒマラヤトレッキングで会話したあの青年も、私の英語が分からなかったわけではなく、アバを認めていなかったのかも知れない。
確かにアバには西欧的な退嬰の匂いがかすかにするから、社会主義とは相性が良くない。

アグネータ+ビョルンとベニー+アンニという2組のカップルの頭文字を組み合わせた「ABBA」が誕生したのは1973年。

Abba1974cx
76年のダンシング・クイーンが全米のチャート1位となり人気は沸騰した。
その時代、高級車「ボルボ」とともにアバはスウェーデンの輸出産業を担っていたのである。

しかし、時の流れは非情で、アバは結成後わずか10年、83年には早くも活動を停止した。
一方の雄、ボルボも2010年中国企業の傘下に入ってしまう。

だが、アバは不滅らしい。
活動停止後も、人気はひそかに持続していて、アルバムは売れ続けているそうである。

思えば私にはあのころのポップスシーンが一番記憶に残っている。
ジョン・デンバー、オリビア・ニュートンジョン、エミルー・ハリス、サイモン&ガーファンクル、ビージーズ、アン・マレー、ジリオラ・チンクェッティ・・・
40前後の男盛り?だった私をそのころに戻してくれるタイムマシーンが彼ら、彼女らである

祖国での冷遇はすっかり過去のものとなり、解散から30年経た今もファンが増え続けていて、「国の誇り」と誰もが口にするまでになったアバ。

再結成も取りざたされるらしく、60歳代になった彼らがもし、もう一度4人でステージに上がることにでもなれば、新たな不死鳥伝説を生むこととなるであろう。

そのときこそ「還ってきたダンシング・クイーン」となる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

初めまして

2007年4月19日

 昔むかし紀貫之さんは女性を装い「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」として「土佐日記」をあらわしました。

 貫之さんがいま生きていたら「人がすなるブログといふものをわれもすなり」などというでしょうか。そんな埒もないことを思いながらのブログデビューです。

 ウン年前に自由の身になってから始まった、東京と群馬・赤城山麓の山里との行ったり来たりの暮らし。なので2住生活。

 東京は魅力のある都市です。大きな本屋、たいていのCDは見つけられる楽器店。何よりも世界中のおいしい料理が揃っている。でも「東京にはほんとうの空がない」のも事実。

新宿駅のコンコースの雑踏で危うく人にブッツカリそうになって、怖い顔で睨まれるのもあまり嬉しくない。

 山里にはそんな不愉快なことはない。ブッツカルにもなんにも人がほとんど居ない。一日誰とも言葉を交わさない、なんてことも珍しくない。(そんなとこでは一日だって生きていられない、なんて人も多いでしょうが・・・)。 聞こえてくるのは野鳥の囀りだけ・・・なんて書くとチト綺麗過ぎますが。

 そんな立ち位置にいる昭和一桁のありふれた日常のあれこれを綴ってみます。

 山荘では冬になると、時に烈しい季節風に乗り、陽が射しているのに小雪が舞います。地上に舞い降りればたちまち消えてしまいます。一瞬の儚い幻想。「風花」です。

 枯れ木に花を咲かせた「花咲爺さん」のようには世のお役に立つことは出来ませんが、せめて「風花」くらいにはチラチラお目に留まりたいと・・・。で「風花爺さん」というわけです。

 ゴルフ場はよりどりみどり。スキーゲレンデもあちこちにいっぱい。ガーデニング、野菜作りあれこれ欲張っていたのですが、いまは山歩きが中心
 このとりとめない断片も、当面は山歩きの記事が多くなると思います。

 今やブログ人口は、昨年3月の調査データーで868万人。更新される記事は一日で50~70万。そんな状況で新規参入したところで、太平洋に目薬を一滴たらすようなもので、心細い限りです。

お目に止まればラッキー、ということでしょうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

日記・コラム・つぶやき | 登山 | 音楽