日記・コラム・つぶやき

こんな○○に誰がした~国会の風景

2009年11月1日

政治史に特筆される有権者による政権交代が実現して最初の国会。
これまでの民主党政権の足取りは、何とか合格点を得ているようだ。
「民主党には不安が・・・」という世評からすると、思っていたより”やるじゃないか”という印象。

賛否はとにかく、役人の振り付けによらず、大臣が自分の言葉で語り、それを支える副大臣や政務官も野党時代にシッカリ勉強していた跡が伺える語り口。

これまで余りマスコミに露出していなため、知名度が低かった若い議員に人材が多いことも分かった。
長い冬の時代に、「百年兵を養う」気概で、コツコツ研鑽を積んでいたのが開花したのだろう。

さて、そんな中で臨時国会が始まった。
様相が一変している。
4年前の郵政選挙をソックリ反転している。

何より感じるのが自民党の生彩の無さだ。
席に座る元首相たちの姿。
麻生さんは相変わらず人を小ばかにしたような薄ら笑いを浮かべ、、マスクの安倍さんはまだ若いのに、もう過去の人みたいに生気がない。
森さんの仏頂面はもう見たくないし。

「一葉落ちて天下の秋を知る」
   何をやっても思うようにいかない。
   呆然自失で、思考停止状態にあるようだ。

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なにより、自民党は深刻なジレンマに陥っている。

政策批判は野党の仕事だが、今、民主党の政策批判をすると、その矢は確実に自分に戻ってくるからだ。
天にツバする典型である。

鳩山総理の
”あなた(自民党)に言われたくない”
という答弁は「友愛」を掲げる鳩山さんらしくないが、とにかく今の政策課題の多くは自公政権での失政に原因があることは否めない。

だから、民主党にすれば本音では
”おれたちはあんたがた(自民党)のシクジリの尻拭いを一所懸命やっているところだよ。
こんな酷い日本にしたあんたがたに、人の批判をする資格があるの?”
と言いたいのだろう。

♪こんな女に誰がした♪
霧島 昇とのデュエット「相呼ぶ歌」でデビューした純情歌手菊地章子が、戦後、退嬰的に歌ったヒット曲。

こんな日本に誰がした?
自民党には身に覚えがあるから、返す刀で切られることは明白なので、ツイ民主党に向ける切っ先が鈍ってしまう。

”ボク、どうしたら良いのかワカンナイ”自民党。

よほどのことがないとこの党には当分、党勢回復の展望が開けない。
それでも自民党はこれまでの有権者を見くびっていた政権運営を真剣に反省して、民主党を超える政党にならなければならないのだ。

そうならなければ日本の政治レベルは上がらない。
民主党に出来たことは、自民党にも出来るはずだ。

自民党の志のある人に奮起を促したい。

そして民主党には小泉政権のように、驕ることなく、前政権がとっ散らかした、難しい政策課題にシッカリ取り組み、着実に成果を挙げてほしい。

そんな政治状況になれば、この国の未来に希望が持てるようにななるだろう。

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「佐久の幽巒」への長い旅

2009年10月12日

日航機が墜落した御巣鷹山」の西の方、約8kmほどのところにある「御座山」(おぐらやま・おぐらさん)2112mは、知名度は高くないものの、昔から良く登られている山です。

今は聞きませんが、ある時期、一部の人はこの山の冠詞として「佐久の幽巒」という言い方を使っていました。
難しい言葉ですね。

「幽」は奥深く隠されている、いう程の意味。
「巒」は「山」のことです。
すなわち「幽巒」は「奥深い山」ということになります。
確かに山々が幾重にも重なる長野・群馬の県境にある山ですから、「幽巒」の表現は決して間違っていません。

標高はそれほどではありませんが、周囲の山からは抜きん出ているので、どこからでもよく目立つ存在です。

私がこの山に登ったのは1962年5月。
その時の記録に「大島亮吉が佐久の幽巒と呼んだ御座山」と記してあります。

そのことには何の疑いも持っていませんでした。

                        Photo_2

「御座山」山頂での20台後半の私。
こんなことが出来たのも若さの故。

あるとき「大島」の書いたものを読み返したのですがどう見ても「佐久の幽巒」という表現は見当たりませんでした。
ナンデ! キツネにつままれた、というのはこんな状態でしょう。
大島は1926年4月秩父から信州・梓山まで長い山旅をし、その途中で「御座山(大島は小倉山と)に登り、それを日本山岳会の『山岳』に発表していますが、「幽巒」の「幽」の字も出てこないのです。

それではいったい誰が言ったことなのか?

御座山に関して書かれたものをあれこれ調べてみましたが長いこと謎のままでした。

2007年に山の世界では良く知られている「野口冬人」さんが『書斎のビバーク』を上梓されました。

その中で”意味がよくわからないままに「大石真人」さんが書かれたものから「佐久の幽巒」を知り、引用していることを書かれていました。

そこで今度は「大石真人」さんの書物探しです。
『山岳憧憬』を入手し、「佐久の幽巒」の初出が古い『山と渓谷』誌であることが分かりました。

 Photo                                                 

先日、国会図書館に出向き、昭和22年9月号の『山と渓谷』を閲覧。

ようやくその一文に出会いました。

分かったことは「幽巒」は難解なことこの上ない、幽玄の詩人「日夏耿之介」の作品から引用したものでした。
「鮮(あた)らし 驍(つよ)し 湛(たの)し  煕(たの)し 幽巒に入る」

こんなことホント、どうでも良いことです。
分かっても、分からなくても私の人生に何の影響もありません。
その追求のために費やした時間がもったいない・・・・

分かってはいるのですが・・・
それでも長年頭のどこかに住み着いていた「宿題」を果たして気分は「ハレ」です。

今度は、もう一度あの岩の山頂に立ちたい、という宿題を果たさなければなりません。

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故国で蘇る「乙女の祈り」

2009年10月9日

このところTVやラジオで、多分、日本でもっともポピュラー(通俗的)なピアノ曲「乙女の祈り」を話題にしていました。

今はどうなのか知りませんが、昔はピアノに親しむ人は先ず「バイエル」から始め、鍵盤に慣れてきて、練習曲以外のものにも関心が移ってくると、必ず弾きたくなる定番の曲が幾つかありました。

ベートベンの「エリーゼのために」とかランゲの「花の歌」とか・・・。
その中でも多分ダントツの人気曲は「乙女の祈り」だったと思います。

私も何かの折に知ってから、いっぺんで気に入り、高校生で始めたピアノで、一番熱心に練習した曲になりました。
 ~才能も無く、独学だったため、まったくものになりませんでしたが・・・

「乙女の祈り」は左手で弾く伴奏の和音がシンプルで暗譜しやすく、小品ですが、、いちおう変奏曲になっているので、練習し甲斐のある曲です。

作曲したのはポーランドの若い女性<テクラ・ボンダジェフスカ>です
~私が知ったころは<バダジェフスカ>と呼んでいましたので、この呼び方には馴染めませ んが・・・
「Badalzewska Tekla」 をポーランド読みをすると、こうなるようです。

彼女が17歳の時に作られたこの小品は、日本では有名なのに、故国のポーランドでは今、彼女のことも、「乙女の祈り」のこともほとんど忘れられているようです。

ポーランドといえばもちろん「ピアノの詩人・ショパン」
そして「メヌエット」で知られている<パデレフスキー>などを排出している音楽性豊かな国なのに、なぜなのでしょう。

ソ連の圧制下にあった長い冬の時代、「祈り」という言葉が共産主義のイデオロギーに合わないという理由で、声をひそめざるを得なかった人々が、この曲を弾いたり、聴いたりするとをはばかっているうちに、次第に忘れられていった、ということらしいです。

「乙女の祈り」の楽譜がフランスで発表されて知られるようになってから150年。
またポーランドが民主化されて20年。

そんな節目を迎えて、ワルシャワ生まれで、堤清二さんの知己を得て、日本で生活している<ドロタ・ハワサ>さんという女性が、ポーランドですっかり忘れられている「乙女の祈り」をもう一度蘇らせる活動を進めていることを、TVやラジオで採り上げているのですね。

Photo この写真はハワサさんがワルシャワで探しあてた<ボンダジェフスカ>の像をお借りあいました。

左手に持っているのが「乙女の祈り」の楽譜だそうです。

彼女は7人の子供の母親になったそうですが、わずか27歳で夭折していす。  

故国では忘れられているのに、海外で評価を得て、その結果、故国で再評価される、ということはよくあることですね。

今、一人の女性の力で、ズーッと昔の女性の存在が蘇ろうとしています。

乙女の祈り」が通じたのでしょうか?                                 

                                        

                                                   

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東京都シルバーパスのこと

2009年10月6日

自分の感度の悪さを恥を忍んで晒します。、

都に高齢者向けに交通費を優遇する制度があることは聞いていました。
「シルバーパス」というもので、年間、20510円を払うと、都営地下鉄、都営バスのほか民営の路線バスのあらかたも自由に乗れる、というものです。
                                    

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そもそもは、あの究極のポピュリスト美濃部都政の時の、高齢者には交通費をタダにする、という制度の名残りでしょう。

さすがに財政上無料というわけには行かなくなって有料化。
それでも効果はあるようで、周囲にも活用している人は多くいます。

ただ、私の場合、東京には年の半分くらいはいない、という事情があり、従ってその効果はそれほど高くはない思っていたため、積極的に入手しようと言う気はなかったのです。

さらには、シルバーシートとか、敬老の日とか、紅葉マークとか、やたら老人扱いされるのが癪で、ソッポを向いていたこともあります。

使える範囲も、漠然と都内の路線バス限られている、と思いこんでいたところ、あるとき、郊外の多摩地区でも使えることを教えられました。

200円均一の都内と異なり、郊外では距離が長ければ当然高くなります。

奥多摩ハイクなどに行くことを考えるとずいぶんお得なパスであることに、権利が発生してから5年も経って、遅まきながら、気づいたというわけです。

という次第で本日ゲット。

これからどこへでも(・・・というわけには行かないのですが)タダで(・・・これも錯覚)出掛けられるぞ。

さしあたり都営地下鉄を端から端まで乗りつくしてみようかな。
銀座へ行くのもこれからは都営バスにしよう。

神保町の古書店街もグンと近くなるな。
そうすると、ただでさえ洪水状態の本がまた増えることになってしまいそうだ。
これはやばい!

しかし、これって己が高齢者であることを認めてしまったことになりますね。

行政が用意した「毒饅頭」を食べてしまったような気がします。
チト後味が悪い?

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「友愛」と「ミツコ」の物語

2009年9月24日

フランス・ゲラン社の香水「ミツコ」はご存知でしょうか。
私も知っていますが、使ったことはありません。(当たり前だ・・・)

鳩山総理が好んで用いる「友愛」
かつて中曽根大勲位が”ソフトクリームのようで、甘いが直ぐとける”と揶揄していましたが、確かに素面では面映くて口にし難い言葉です。
それを口にしてもあまり違和感を感じさせないところがいかにも「宇宙人・鳩山由紀夫総理」らしいですね。

さて、鳩山さんの「友愛」と香水の「ミツコ」。
この二つに何の関係があるの?
じつは深い因縁があるのです。

「友愛」の源はフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」のうち「博愛」(フラタナティ)のことだそうです。
ヒットラーやムッソリーニの圧制に対するアンチテーゼとして「パン(汎)・ヨーロッパ」(ヨーロッパ共同体)をオーストリアの政治家(経済学者、芸術家、哲学者)<クーデンホフ・カレルギー伯爵>が提唱しました。

彼は「友愛を伴わなければ自由は無政府状態を招き、平等は暴政を招く」として、「博愛を自由と平等をつなぐ概念」として提唱したそうです。

若いカレルギー伯爵のこの思想運動はやがてEEC(欧州経済共同体)として実を結び、更に今日のEC(欧州共同体)へと発展しました。

彼の功績はノーベル平和賞にノミネートされるほどに評価され、今日それにも勝る「欧州共同体の父」という呼ばれ方で称えられています。

彼は母親が日本の混血児です。 
1874年(明治7年)牛込生まれの母の名は日本名<青山みつ(光子)> 

18歳のとき、オーストリア・ハンガリー代理公使の<ハインリッヒ・クーデンホーフ伯爵>と電撃的な国際結婚をします。
やがてウイーンの社交界にデビューし脚光を浴びるようになります。
その華やかな存在にあやかろうとしてゲランは「ミツコ」という香水を売り出したのです。
 
かくして母親「ミツコ」は「欧州共同体の母(あるいは祖母)と呼ばれることになります。                        

 Photo                                   

読書をする「クーデンホーフ光子」
「黒い瞳の伯爵夫人」とも・・・

クーデンホーフの理念に感動して、「友愛」を自らの政治理念としたのが、鳩山首相の祖父<一郎>というわけです。
以来今日まで脈々として「鳩山家」に受け継がれているのですね。

余談になりますが、往年の名画「カサブランカ」 に登場する反ヒトラーの主導者・ラズローはクーデンホフ伯爵がモデルだそうです。

かくして「友愛」と「ミツコ」のルーツを辿ると<カレルギー伯爵>でつながり一つの感動的な物語が完結するというわけです。

めでたし、メデタシ・・・

ところがです・・・
実はことはそんなにうまくいかないのですね。
香水の「ミツコ」は「パン・ヨーロッパの父・カレルギー」の母の「ミツコ」ではないのです。

ほんとうは、フランスの作家クロード・ファーレルの小説「ラ・バタイユ」に登場する日本海軍総督の妻「ミツコ」のことだそうです。
作家と親交があったゲランが敬意を表して命名したのですが、日本での販売促進のため「欧州共同体の母=ミツコ」を今のゲラン社は否定しない、という考えのようです。

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いい加減にしてくれ!酒井報道

2009年9月19日

こんなマスコミのバカ騒ぎ、いったいいつまで続けるつもりなんだ!

酒井(坂井だったかな)ナントカというそこらのネエチャン(失礼!)が覚醒剤を持っていただの、吸引しただの、というたったその程度の事件で、在京TVキー局の気違い狂沙汰にしか見えない過熱した報道振り。
この1ヶ月ほどは彼女にTVジャックされたみたいで、苦々しい限りだ。

この事件、オレたちにいったいどんな関係があるのか?
オレたちの生活に何か役に立つのか?
誰かを幸せに出来るのか?
誰かを救うことができるのか?


オレにはこんなことホントどうだっていいことだよ!

来る日も、来る日も、どのチャンネル回しても同じ時間帯に、同じような映像が流される。
たった500万円程度の保釈金で保釈される彼女の姿を、驚くような数の報道陣が待ち受けている。
ヘリで彼女が乗っている車を追跡する。
これってそんな大事件なんですか?
オバマ大統領の来日でもあるまいし・・・。

マスコミってそろいもそろって、そんなに閑なのか?
他にやることが無いのか?

覚醒剤や麻薬の怖さを知らせ、警鐘を鳴らすためだって?
チャンチャラおかしいぜ。
こんなおっかけ映像ナンボ見たってその怖さなんぞ、全然伝わってこないジャンか。
他人の不始末を覗いているだけの悪趣味にしか感じられないよ。
覚醒剤などがどんなに人間を蝕むものなのか啓蒙したいのなら、真面目にそういうドキュメントを作れってんだ。

マスコミには知りたい人に知らせる報道の義務がある?
そりゃ、少しは関心を持っている視聴者もいるだろうよ。
でもね、大多数の普通の人にはこんなことどうでもいいことだ、とオレは断言するね。

芸能人などと呼ばれて、一部のフワフワ浮ついている奴らの不健全な遊びより、毎日の生活に必死の人が大勢居るってこと知らないわけないよな。
日本中に、世界の至るところに、伝えなければならないことが沢山あるはずだ。

貴重な公共の電波を使っていながら、視聴率の影に怯えて、ひたすら視聴者に阿ねる番組造りに精出して、報道の持つ使命を失っているとしか思えないTV局。
恥ずかしくないのか?
こんなザマではいずれTVは死んでしまうね。

気骨のあるTVマンは存在しないのか?
悔しかったらたとえばまさに今目の前にある危機「八ッ場ダム」(またやんばなの?)の半世紀に及び翻弄された人々の記録、現状、中止することの功罪、公共事業のありようなどを真面目に伝えるドキュメントでも作ってみろって言いたいね。

この際だからついでに言うけど、あの「ゴールデンタイム」と称する時間帯での、軽薄なタレントたちがキャーキャー騒ぐ、ただ騒々しいだけの番組のオンパレード。

どこか一局くらいその時間帯にオレラが真剣に考えこんでしまうような問題提起の番組を作ってみようという気にならないものかね。

イャー
われながら口汚く罵ってしまったな。
いくら書いたってこんなこと、自分を貶めるだけだからもう止めようっと・・・。

こんなことグダグダ書き連ねるのも「加齢現象」なんだろうかな。
・・・・と反省。

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どうなる?「八ツ場ダム」

2009年9月7日

308議席獲得という圧勝の熱気が冷めて、いま民主党の気分は”目出度さも中くらい”といったところでしょう。

とにかく自民党からの負の置き土産があまりにも多すぎて、どこからこの糾える縄を解きほぐしていったらよいのか・・・

なにしろ明治維新以来、連綿と続いている、官僚による統治システムを根っこから変えようとする、破天荒な荒業をやろうというのですから、その意気や良し、とはするものの、ことは容易ではありません。

それでなくとも世の中の利害関係はますます複雑にして多岐になっていますから、どんな決定でも必ず賛否が鋭く対立するようになっています。

それがせめて8:2とか7:3とかで民意がはっきり別れていればまだしも、51:49みたいなことになったら誰でもハムレットになってしまいます。

そんなテーマの一つが治水・利水の目的で半世紀以上の時間を費やして進められている「八ツ場(やんば)ダム」でしょう。

民主党は政権公約で事業中止を決めています。

総事業費4600億円
代替地確保、道路の付け替え、鉄道整備などで、これまでに投じられた経費が3217億円。

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水没することになるため高台に移転した、古くからの温泉。

長い長い時間の経過の中で、ようやく住民はダム建設を「生活再建支援」を条件に受け入れ、気持ちの整理をつけたところで、政策が180度転換されたら、自分たちの暮らしはいったいどうなるのか、新たな由々しき問題が生じるでしょう。

かたや必要の無いダムつくりをここで止め、その金をたとえば、年間3万人を超える自殺者の対策に使えば、何人かの人を助けられるかも知れない、というような意見も無視できません。

進むも、退くも「地獄」という泥沼状態に陥ってしまった責任は、いつもながらの「決めたことだから変えられない」という理由だけで、強引に突っ込んできている「族議員・高級官僚・財界」のトライアングルです。

何度も繰り返し、くりかえし見てきたこの国の荒涼として、寒々しい光景です。

私は浅間や鹿沢や菅平や志賀の山に行く時には、ダンプカーが走り回っている「吾妻川」沿いの国道を走りますから、否応無く工事の状況が目に入ります。

いまはこんな状況です。

P9071378   吾妻川をまたぐ新しい付け替え道路の橋脚 
  これって、中止になったらドナイナルンヤ?

  背後に面白い形の山が見えます。
    ・・・オレの頭もこんなだったら良いのにな・・・

                                                  

P9071380  ダム北の「王城山」1123mから見下ろした上の写真の橋脚

               

                                                 

                                                                              

  P9071379                     

   王城山から遠望する別の付け替え道路の橋    

どうすれば良いのでしょうか?
私ごときが頭を悩ますことでは無いのですが・・・知恵が全然浮かびません。                                 

                                                                                                                                                                                                                            

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陽はまた昇りますか?小泉さん

2009年8月31日

拝啓
小泉純一郎様

54年に亘る自民党の支配を、有権者が自らの意思で変えた昨日の総選挙。
09年8月30日は後世に長く語り継がれる一日になるでしょう。
今朝のTVであるコメンテーターが”久し振りに明るい朝を迎えた”という感想を語っていましたが、同感という人は多いのではありませんか?

あなたもキットそのお一人であったと拝察いたします。
先ずは四代にわたる世襲を、世の批判ものかわ実現しましたよね。
そして最たることは”自民党をブッこわす”と絶叫したあのときの約束を見事に果たしたからです。

長いこと、”あれこれ批判をしたって、どうせ最後はオレたちに投票するに決まっているのさ”と有権者を見下ろし、驕りたかぶっていた自民党がとうとう愛想をつかされ、朽木が倒れるように無残な姿を晒しました。

私はこうこういう結果を導いたのは、実は全てあなたの「深慮遠謀」に思えているのです。

郵政民営化にしか興味がなかったのに、あなたは「改革」という一語で”郵政の民営化をすれば何もかも良くなる”という幻想を振りまき、結果「勝ち組、負け組」という日本の文化にはなかった現象を生み出し、惨憺たる国にしてしまいました。

確かに”改革には痛みが伴う”とはおっしゃっていましたが、それが分かっていながら意識的にあえて何の手当てもしなかったですね。
それもあなたの高度なテクニックだったのですね。

その結果「改革」の意味していたものが何であったのか、国民がようやく気付いて今度の投票行動につながったのです。

洞察力のあるあなたはハナからそうなることは分かっていたのでしょう。
ただブッこわしたのではパフォーマンスのお好きなあなたには面白くないので、とてもややこしくて、まわりくどい手法で自民党をブッこわしたのですよね。

あなたの後継者の阿部さん、福田さん、麻生さん。
みなさんあなたがコッソリ敷設した小さな地雷に気がつかないうちに踏んでいて、ついに大爆発を起こしてしまいました。

誰も気付いていない高度にして巧妙な方法で、自民党を沈没させたあなたは、昨夜、密やかな喜びの浸りながら、一人美酒を味わったのでしょうね。

出来れば私もお相伴に預かりたかったのですが・・・。

そしていつしか自民党にホンモノの政治家が登場し、再び自民党の陽が昇る日のことを語り合いたかったですね。

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麻生さん「責任力」ってナンジャラホイ?

2009年8月19日

衆院選が公示され、待たされ続けた総選挙も、もはや終盤戦。
このところの自民党・麻生さんが得意そうにして、演説の枕詞で使うのが「私が最も訴えたいのは『責任力』です」というフレーズ。

エーッ 「責任力」なんて日本語あったっけ?

そうか、麻生さんて、だれでも知っているように卓越した日本語の使い手だったな。

「未曽有」や「頻繁」を普通の日本人では読めないような「みぞうゆう」やら「はんざつ」などと、という読み方が出来る人だから、きっと「責任力」も麻生さんでなくては分からないような深遠な意味がある言葉なんだろうな。

並みの国語力しかなくて、その上頭脳細胞がすっかり劣化している後期高齢者が、何とか理解しようと苦心惨憺・・・

普通「責任」という言葉を使う場合には
1、お約束したことは責任をもって実行します。
2、その約束を守れなかった場合には責任をとります。
と言うようなことが考えられるけど・・・

麻生さんや自民党はこれまで公約の類やらを誠実に実行してきたし、これからもそうだから「責任」を果たす「力」があるんだと言いたいのかな?

ならば典型的な事例として4年前の「郵政選挙」のとき掲げた「マニュフェスト」を検証してみようかな。

あのとき小泉さんを先頭に自民党が叫んでいたことは「郵政民営化は改革の本丸。実現すれば、経済も、国民の暮らしも、福祉も、医療も、年金もみんな良くなる」ということだった。

挙句の果てに「外交まで良くなる」に至ってはこれはいかにも「眉ツバ」でウサンクサイな、と気がついた。

これって「風が吹けば桶屋が儲かる」と同じへ理屈で、もう落語の世界でしたねー。

自民党は4年前の「マニュフェスト」に合格点をつけていた。
その理由は、郵政民営化をはじめ大方の法律を通したから、というもの。
中には郵政に関係ない重要法案も、郵政選挙で獲得した3分の2を使って、強引に国会を通してしまったものが沢山ありますよ。
そこまで任せた覚えはないのに。

要するに結果がどうあれ、宿題はやったよ、ということらしい。
違うんじゃないかな!
果たした宿題の解答が、正答だったのか、間違っていたのかを検証した上で、自己評価するのが普通なんですけど・・・・。

郵政民営化だって、その結果どのような効果が生じ、どんなマイナスがあったのかを、客観的に検証した上で、採点して欲しいのに、そこはホッかムリに見えていますよ。

「定額給付金」しかり。
あれっていったい景気浮揚にどの程度貢献したのか、まったく検証していないのではないですか?
まア、忘れっぽい私たちにも問題ありですが・・・。

過ぎたことには触れたがらずに、この先の空手形を切るのにヤッキになっている様を見るにつけ、「責任力」などと妙な日本語を用いての目くらましには、いくらボンクラでもそんな簡単にはだまされませんよ。 麻生さん。

                                   

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  埒もないボヤキをしてしまいました。
  お口直しに神秘的な「レンゲショウマ」をごらんください。
  いま、奥多摩・御岳で花盛りです。
  先日仲間のGさんが撮影したものです。                                           

  
  

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「デルフォイの巫女」に恋をして

2009年8月10日

またまた年を省みない、面映いことですが・・・・・

私がその乙女に出会い、一瞬にして恋に落ちたのはかれこれ25年ほど前のことです。

1982年(だったと思いますが・・・)の「文化の日」に某TV局がオン・エアーした「ヴァチカン市国」にある「システィーナ礼拝堂」の天井画修復記録。
そのドキュメントをビディオ録画している中で彼女に出会ったのです。

この天井画は「教皇・ユリウス二世」の命によって当時33歳の<ミケランジェロ>が1508年から4年の歳月をかけて描いた壮大なフレスコ画です。

制作後ほぼ500年が経過する間にすっかり煤けてしまい、色彩を失って、モノトーンに近いものになっていたようです。
そのため美術史上、ミケランジェロは色彩にはあまり関心が無い芸術家、というのが定説化されていたそうです。

ところが1981年から13年かけて行われた修復作業で、この作品が絢爛たる色彩の饗宴であることが判明し、見事に甦りました。

その再生の中で、一段と生彩を放つように思える一人の乙女が私を一瞬にして虜にしてしまったというわけです。
その罪深い乙女というのがここにご紹介する「デルフォイの巫女」です。

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彼女は古代ギリシャの時代、「デルフォイのアポロ神殿」に仕え、神によって予言の力を与えられた巫女です。
とは言え、巫女などという言葉から連想されるようなオドロオドロしさや、マガマガしさはこれっぽちもなく、画像からもうかがえるような愛くるしい表情と、少々コケティッシュな唇と、アスリートを思わせる、見るからに健康そうな肢体に恵まれた美しい乙女なのです。

ミケランジェロの女性像には2つの典型があるようで、一つは「サン・ピエトロ大聖堂」の死せるキリストを抱く聖母マリア像「ピエタ」に代表される、慈愛に満ちて、気高くもつつましやかな、仰ぎ見るよう女性像。

もう一方が「デルフォイの巫女」のような健康美溢れるタイプ。

いずれも私ごときあまたの凡俗の男の魂を吸い取ってしまう女性の典型ですが、さて、仮にどちらかを選ぶことが出来る幸運に恵まれるとしたら・・・・
迷った挙句、頓死してしまいそうです。

さて、私が久恋の彼女にようやく会えたのは、彼女を知ってから20年近くを経た2003年、イタリアに旅したときのことです。
薄暗い「システィーナ礼拝堂」に入り、密やかなざわめきの中で彼女の姿を求めました。

首が痛くなるくらいの、高い高い天井に彼女はいました。

余りにも遥かな天空にいて、とても手が届きません・
これこそ文字通り「高嶺の花」でしたね。

一方、「ピエタ」像はたまたま<教皇・ヨハネ・パウロ 二世>の接見の朝にあたり、寺院内に入ることが出来ず心を残してヴァチカンを後にしました。

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天空へ飛び立った「トビウオ」

2009年8月3日

あの「フジヤマのトビウオ」がローマの地で客死しました。
深い感慨とともにその報に接しました。

あの戦争の無残な終結による混乱、疲弊などで意気消沈していた日本中が、勇気をもらい、改めて奮い立った最初の痛快事が、米国での賛辞「フジヤマのトビウオ」古橋広之進さんの世界新記録の連発でした。

まだ少年だった私も、戦時下で刷り込まれた「鬼畜米英」という言葉と、戦後に知ったアメリカという国の抗しがたい魅力とのハザマで屈折していた心中で、トビウオがアメリカでも彼の国のスイーマーを寄せ付けない活躍に”ザマヲミロ!”などとと、鬱屈する気分を晴らしたものでした。

最悪の食料事情の中にありながら、33度もの世界新記録を出し、それなのにようやく果たした五輪出場の時には、峠を越していて「金メダル」に届かなかった悲運。

それでもその後、一筋に日本の水泳界、アマチュアスポーツの振興に尽くし、「功なり、名を遂げた」その生涯は輝かしいものでした。

私が古橋選手と一対で思い出す名スイーマーがいます。
もちろん好敵手、橋爪四郎さんのことです
橋爪さんの存在がなかったら、さすがのトビウオもあれまでの足跡を残すことが出来たろうか?

人が偉大であるためには、偉大なライバルの存在が欠かせないことは、枚挙にいとまない、歴史上の事例が示しています。
この二人の関係は典型的な事例ですね。

橋爪さん自身も、数々の大記録を樹立しながらも不運なことに常にその少し上に古橋さんがいました。

もしもですが、古橋さんがいなかったら橋爪選手が「トビウオ」の称号を与えられてことは十分に考えられることです。

さて、ここまでなら私と同世代ならたいていの人が記憶しているでしょうが、二人に続く「第三の男」となると、先ず知る人はいないでしょう。

私だって当の第三の男「T」さんという方と仕事の上でのおつきあいの中で、問わず語りにご本人からいろいろな水泳大会で常に古橋、橋爪という二人の稀代のスイーマーの後塵を拝していた、ということを聞くまでは・・・

ご本人は当然、どうしても越えられない高い壁に、口惜しい思いを何度もさせられたはずです。
それでも、私に話してくれたころは時が流れていて、その思いも、良い思い出に昇華していたのでしょう、淡々とそんなことを話してくれました。

Tさん。
あなたは「トビウオ」の逝去の報をどんな思いで聞かれましたか?

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詩の力 詩のこころ

2007年8月2日

ブログねたが夏枯れ状態で、苦し紛れにツイ自分の手に余る領域に踏み込んでしまいました。

音楽でも、文学でも、美術でも、分野に限らず優れた作品から、心底”生きてて良かった”という感動を受けることは、誰にでもあろうと思います。

その種の感動がまた、たいした代償もなしに得られるということが、ウッカリ気づいていないことですが、大いに感謝すべきことなのです。

「詩」もそうした人類共通の大きな財産の一つです。

あゝ麗はしい距離(ディスタンス)、
つねに遠のいてゆく風景・・・・・・・

悲しみの彼方、母への、
捜(さぐ)り打つ夜半の最弱音(ピアニッシモ)。

これは詩人「吉田一穂」が1922年に発表した『母』という作品です。

  Photo_2                                    

  Img015                                                         

たった4行の短い詩です。
しかも私にとってはそうとう難しく、手強い作品です。
しかし、研ぎ澄まされ、凛冽の気に満ちたこの詩を読むと、十分な理解はできないまでも宇宙的な空間に放り出されるような、詩(言葉)の持つ力と、詩の持つ心(詩魂)に心を揺さぶられます。

良い詩にめぐり合えることは私ごとき心貧しきものにでも、ひと時の豊かさをもたらせてくれるのです。

随分むかしのことですが、殊勝なことに「寝る前に、一篇の良い詩を読んで一日を終わりたい・・・」などと思ったことがあります。

人間社会のどこにでも生じる類の、日日のいろいろな摩擦でささくれだった心が「詩」という薬を欲していたのでしょうか。

それが実行出来ていれば、少なくとも年に365篇の名詩を読め、それおたとえば10年続けていたら、古今東西の名詩のあらかたを読むことが出来ていたはずです。

そうはいかなかったことは白状するまでもないでしょう。
一日に一つ英単語を覚える、毎日一つ良いことを行う、毎日日記を書く、という類の簡単なことが出来ない、それが普通の人間なのです。(・・・と開き直り)

高名な詩人<三好達治>は『詩を読む人のために』(岩波文庫)の前書きで「詩を読み、詩を愛する者は既に彼が詩人だから」と書いてくれています。

私ごとき、ただ「詩を読むのが好き」というだけのものにとってはウッカリ”それではオレも詩人だ”などと有頂天になってしまいそうな嬉しい一文です。

未だ出会えていない素晴らしい詩はまだまだたくさんあるでしょう。
「詩の採集」
そんな気持ちで、それらとの巡りあいを楽しみにしています。

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ツアー登山の問題~大雪山系の遭難に思うこと

2009年7月19日

このたびの大雪山系での痛ましい大量遭難は二つのツアー会社(アミューズトラベルとオフィスコンパス)とは多少の縁があり、ガイドの一人は良く知っている方なので、全くの他人事に思えないので、感じたことを書いてみます。

直接の原因はおおむね、雨と強風による「低体温症」とされています。
ツアー登山とはいえ「トムラウシ山」を目指すくらいのメンバーですから、それなりの経験と装備に不足は無かったと思います。
・・・ところが、観光旅行の延長くらいの気持ちで参加した人がいるらしく、そこまでチェック出来ない主催者、ガイドはこれではたまったものではありません。

商業ツアーであることのもろもろの制約、悪天候、判断ミスなどが重なりあった上に、不運もあってこのような悲劇に至ったものでしょう。
いずれにしても、低体温症にいたるまでの過程はこれからの検証で明らかになっていくはずですが、いくら元気な中高年とはいえ、特に風による体温低下と体力消耗に対する抵抗力は、加齢により衰えているいることを証明しているといえるでしょう。

主催者とガイドに対する批判と非難の嵐は厳しいものになるでしょうが、詳しい状況が判明するまでは軽々しい評価は控えるべきではないでしょうか。

少なくともガイドはその状況におけるベストを尽くそうとしながらも、刻々と状況が悪化していく中で、一番辛い思いをしながら命を絶っていたはずです。

いつもながら、マスコミや識者がさまざまに批判をするでしょうが、多分こうした表面的なコメントからは語られることのない遠因について、これまで何度もツアー登山に参加していて私が感じていたことに触れてみます。
それは「ツアー登山に内包されている本質的な問題(弱点)」です。
そのツアーが何事も無く終われば、見過ごされているものですが、このたびのような状況になるとたちまち顕在化し、牙を剥き、悲劇的な結果をもたらす、という危険性をはらんでいる性質のものです。

以下それを書き連ねてみます。

1、リーダー不在
 トムラウシ山登山のようなレヴェルの高いツアーの場合、引率同行するのはガイドと添乗員(報道ではこれもガイドとしていましたが)です。
つまり、リーダーとしてのミッションを明示されている存在が無いのです。
ガイドによっては危急の場合、見事にリーダーシップを発揮する人もいます。
かたや、ツアー会社との契約関係や、参加者が自分にとっても間接的ながら「客」であることを意識して、会社や顧客の意向を忖度して、決断が鈍るガイドもいます。

添乗員はこうした場合、会社にお伺いを立てるし、会社は現場の状況の詳細が把握できないから、現場で決めろ、というしかないのです。

すなわち、リーダーが統率する普通の登山パーティと異なり、断固たる意思決定が出来ない仕組みになっているのです。

2、参加メンバー構成が即席でマチマチ
そのツアーに参加するだけの一過性のパーティ編成です。
登山のキャリアも体力も、装備もマチマチ。
しかもガイドはそれを把握する術もないままにスタートし、途中で修正をしながら進めていくのです。
日帰り程度の山行で、天候にも問題が無ければこうした寄せ集めのパーティーでも何事もなく終わります。
それが今回のような状況に置かれると、集団の力が発揮されるどころか、弱点を露呈し、制御が効かないバラバラの因子となってパーティは空中分解してしまうのです。

3、天候が悪くても止められない
交通手段の確保、宿泊先予約、スタッフ編成などで、天候による柔軟な対応が出来ない宿命を負っています。
従って悪天候でも強行せざるを得ず、危険を感じる人はキャンセル料を払って危険を回避するしかないのです。
もちろん、途中で引き返すことはありますが、今回の場合では引き返すのは進む以上に困難。
避難小屋で停滞する、という手段はあったのでしょうが、日程(経済的理由で)にガンジガラメになっているためその選択が許されない、という状況にあったと思われます。

4、品質が違うのに価格は同じ
物でもサービスでも品質によって価格が違うのは当たり前。
ところがツアーの世界にはその常識がありません。
この場合の「品質」の上下を決定する要素の大きなものはガイドのレベルです。
経験豊かで、リーダーの資質に恵まれたガイドなら、ユーザーが享受できるサービスや安全はは格段に高くなります。
この反対もあるわけです。
この点の合理性の無さについて以前、ムリな注文を承知で「アミューズ社」に問題提起したことがあります。
もちろん納得のいく説明は同社ならずともできようがありません。
せめて、事前にガイドが誰であるかだけでも知った上で参加するかどうかを判断したくても、積極的には明示しません。
結局のところ、運不運になってしまうのですが、身の安全にかかわるような状況に追い込まれたとき、運が悪かった、とスンナリ諦められるでしょうか。

私も属している山歩きの会では(ほかの会の多くもそうしているようですが・・・)降水確率がある割合を超えると催行を中止します。

エベレスト登頂者でもあるガイドの「I」さんを招いて講習会を開いたとき、そのことを話したところ、大変羨ましガっていました。
その心境、よーく分かります。

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戦い済んで日が暮れて・・・東京都議選

2009年7月13日

都議選は予想通りの結果になりました。
事態を正視できない自民党は「地方選と国政選挙は違う」と建前を言うしかないのですが、今度の都議選は目前に迫っている「衆院選」に直結している前哨戦であったことは、誰の目にも明らか。

政権の盥回しが3代続いて、それだけでもウンザリなのに、マンガ大好きの麻生さんがまた、その言動でマンガを描いているのかと、錯覚しそうなあれこれでたまっていた、怒り、呆れ、愛想尽かしの果ての都議選だったのですね。

気の毒なのは前哨戦でスケープ・ゴートにされた自民党の都議候補でした。

麻生さんは「政権交代は手段であって目的ではないでしょう?」としきりに言っていました。
たしかに普通ならそれは正論です。
しかし、今の民意が「先ずは政権交代」にあることを読めない麻生さんの鈍感さが、この事態につながっているのです。

本気で良い政治を求めて「一度、民主党にやらせてみようじゃないか」という民意を。

これからいよいよ秒読みに入る総選挙までの間に民主党が、例の得意技
「ホップ ステップ 肉離れ」
を起こさなければ政権交代は必至でしょう。

確かに民主党の未熟さには不安が伴います。
民主党が主張していることの、たとえば官僚支配からの脱皮などの政策が簡単に実現するとは思えません。
しかし、そうではあっても、私たちが少々のことには目を瞑り、辛抱して、自民党にいつでも変わりうる政党を育てなければ、この国に国民が望む政治状況は生まれません。

「驕る平家は久しからず」という歴史の古くからの教訓があるにもかかわらず、私たちはあまりにも長いこと自民党の一党支配政治を許してきました。
絶望的に堕落した今日の政治状況をもたらした責任は私たち有権者にあるのです。

政権交代が可能な状況を常に持っている・・・・
その緊張関係が良い政治風土を造る基礎的条件でしょう。

その緊張関係が政策を磨き、良い政治家を育て、かつて日本人が実際に学んだ明治維新のような再生に繋がっていくのではないでしょうか。
長い道のりにはなるでしょうが・・・。

良い政治を望むなら、有権者一人ひとりがそれを生み出す自覚をもたなければならないのです。
「国民は自分たちの民度以上の政府を持てない」以上、私たち自身が政治に対する眼力を磨き、折角の権利「一票」を行使する責任があるのですね。

ナーンチャッテ・・・

それにしても「都議会議員」って何する人?
私にはそれは透明人間みたいで、存在がかんじられないのです。
そんな透明人間が127人もいるというのだから・・・。

一つには小選挙区制で、国会議員があたかも特別区の代表のようにも思えて、都議と重なってまい、いったいドッチの方がエライの・・・?
それに「区議」がいて・・・これらの関係はどうなっているのだ・・・。

追記
この記事をアップした後、悩める(イヤほんとはノーテンキなのか?)宰相・麻生さんがようやく8月30日の「総選挙」を決断しました。
いよいよ「天下分け目」の決戦ですね。
その「闘いが済んで、日が暮れた」後、どんな夜明けが日本に訪れるのでしょうか?

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三角点を大切に~再び「点の記」を」観て

2009年7月10日

はっきりしない空模様で足止めが続きます。
そこで「剣岳・点の記」を再び観てきました。

目が節穴状態の私では、2度目にしてようやく見えたことが沢山あって、この映画の出来の良さの理解が少し進みました。

例えばこんな場面。
苦難の末ようやく近づいた「剣岳」山頂直下で、案内人<宇治長次郎>は”私の務めは案内するだけ”として先頭を<柴崎芳太郎>に譲ろうとします。
それを柴崎は”私は最後まであなたに案内して欲しいのです”と長次郎を説得する。

この場面、最初私は、史実的な解釈で、長次郎が「禁忌の山」に最後の一歩を記すことを躊躇って、と読んだのですが、ここは素直に、言葉少なに、2人が互いを立てあう美しいシーンと感動して良いのだと思いました。

この場面はもちろんフィクションです。
思い出すのは「エベレスト」初登頂のときのこと。
下界に下ったとき<E・ヒラリー>と<テンジン>を悩ませたのは”どちらが先に頂上へ着いたのか?”という質問の嵐.。
二人にとってはどうでもよいことだったのに・・・。

この教訓から1954年の「K2」初登頂のイタリア隊は2人の登頂者(A・コンパニョニとL・ラチェデリ)の名前を長いこと公表しなかったのです。

山の世界での絆が下界に下りた途端に、世俗にボロボロにされていく、登山史では珍しくないことです。

閑話休題(それはさておき)

書きたかったことは「三角点標石を大切にしましょう」ということです。

                                           

                                        Photo

「剣御前」に設置されている三角点と「剣岳」
             (山と渓谷誌から)

この映画に描かれる測量作業の困難さは、決して作り物では無いでしょう。
全国には約103300点の標石が設置されているそうです。
それらの困難な作業の殆んどが、誰の目に触れられることなく、語れることも無いままに、ヒッソリと進められられたもの。

陳腐な言い方ですが三角点標石は「血と汗の結晶」なのです。
その結果として、貴重な文化財、公共の財産になっているのです。
大切にしなくてはならないことは自明。

なのに、無神経な人が多いのがとても気になります。
標石を囲んで車座になり飲食するグループ。
写真を撮りたい、タッチしたい三角点愛好者には迷惑です。
標石に尻を乗せている人・・・ 椅子ではありませんよ。

中にはあろうことか、上にコンロを載せて煮炊きする人たちまで。
こんなことを目撃すると、黙っていられず、ついお節介な注意をしてしまいます。
”ウザイジジイだ!”という雑言を背中で聞きながら・・・

山を心から愛せる人だったら、山頂に上りついたとき、三角点を探し、その設置に至る労苦を偲び、また山頂に登れた喜びの発露として、ソッと物言わぬ御影の頭に手を触れてみるものです。

これまで「第三の男」「ローマの休日」「荒野の決闘」「シェーン」「用心棒」「野菊のごとき君なりき」など、繰り返し観ている名作の数々。
「剣岳 点の記」はその列に加えられそうな一作になりそうで・・・。

キットまた観る!

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1円で本が買える!この不思議!

2009年6月18

いわゆる「古本」の世界も随分様相が変化していて、本好きには選択の幅が広がり、それなりにありがたいことだと思います。

独特の匂いがある「古本屋」での本探しが王道であることは間違いないでしょうが、お目当ての本探しには空振りになる可能性が高く(反面、思いがけない掘り出し物にめぐり合うチャンスもあるのですが)つい腰が重くなってしまいます。

アッという間に全国に蔓延している(らしい)「BOOK OFF」はドライなビジネスモデルで、古本屋のティストはありませんが、「100円コーナー」はときどきチェックする必要があります。

なんと言ってもラクチンなのはオンライン古書店です。

無駄足を踏むことなくターゲットに簡単に到達できる便利さは、一度使うと止められません。

手にとって品定めする楽しみは無いし、品物の程度が確認出来ないリスクはありますが、私には今、探書の本線になっています。

特にアマゾンではどうかすると「1円」という、何でか・・・?とビックリするような値付けの古書に出くわすことがあります。
何冊かをこの値段で入手しています。

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ただ、安いのは文句ないけど、妙に落ち着けないのです。
この「1円」ってどういう意味なんだろう・・・?
物でも、価値でも、サービスでも一応、適正と判断される対価があります。

この「1円」本の場合、物としてゴミ視すれば1円でも高いし、しかし価値から言えば著者をして貶めかねない値付けです。

また送料が本の360倍になるのが、流通コストとしては当然としても、何となく釈然としないものが残ってしまいます。

「1円」の売値では、利益が出るはずはありません。

どのようなポリシー、戦略があって このようなビジネスを展開しているのでしょうか?

ビジネスの世界にはたいてい裏があります。
ここにも”ヘー!”と驚くような仕掛けがあるのでしょうかね?

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辻井さんの快挙にスタンディングオベーションを!

2009年6月11日

関東地方も昨日、梅雨入りしたと見られる、と発表されましたが、そんな鬱陶しい気分をを吹き飛ばしてくれるような嬉しいニュスがありました。

第13回「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」で全盲の<辻井伸行>さんが優勝したことです。
歴史の浅いコンクールとはいえ快挙です。

もちろんこの優勝は全盲という要素は全く関係ありません。

間違いなく、卓越したテクニックと、豊かな音楽性が正当に評価されたものでしょう。

ですが、私にはやはりこれは奇跡的なことにしか思えないのです。

いったい楽譜が読めなくてどうしてピアノが弾けるようになったのか・・・?
しかも、「猫踏んじゃった」の類ではなく、難曲中の難曲、ショパンやラフマニノフの「ピアノ協奏曲」などを・・・。

たまたま登山の帰りのカーラジオで辻井さんのピアノの先生の話を聞くことができました。
それによると楽譜に書かれていることを言葉にして(例えばどの音からクレッシェンドは始まのか、というようなこと・・・を)テープに吹き込み、それを聞きながらレッスンするのだそうですが、そう説明されてもまだ理解できません。

旋律など主要なところはCDを聴けば記憶出来るでしょうが、複雑な和音などをどう聞き分けられるのでしょうか?

もっと難しそうなのが、ピアノの独奏曲ならともかく、ピアノ協奏曲などは指揮者の動きをどのようにキャッチするのだろうか(この点については並外れた感性のたまものと説明されていましたが・・・)なども。

75歳にして二度目のエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎さんは「夢はかなえられるもの」と言います。
確かに先ずは夢にすることが最初の一歩であることは間違いありません。

しかし、夢を見れば何でも叶う、というものでもありません。
いや、むしろかなえられた夢の数より、叶えられなかった夢の残滓の方が遥かに多いものでしよう。

この実現するものと、実現しないものとの違いはどこにあるのでしょうか?

その間には「努力する」ということだけでは埋めることができない、とてつもなく大きい空間があるんですね。
そこにあるのはやはり「天賦の才」
私ごときには神から授けていただけなかったもの・・・。

せめて、全能の神から祝福を受け、その上に死ぬほどの努力を重ねて、夢を実現した人が見せてくれる人間の底知れぬ能力に感動し、感謝することにしましょう。

どうやら、魂のピアニストと呼ばれる<フジ子・ヘミングウェイ>さんを超える、魂そのもののピアニストが誕生しそうです。

是非その演奏を生で聞いてみたいのものです。

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トホホ!道交法違反連発

2009年5月22日

たまたまなんですが、私にとっては交通違反は連鎖する傾向があります。

大分以前になりますが、立て続けに軽微な違反が重なり、1ヶ月の免許停止処分を受けました。

1日の講習を受ければ免罪になるのでさしたる実害はなかったのですが、その都度の反則金はけっこうな額になったはずです。

その後は長いこと違反の摘発を受けることなく(実際には違反行為が無いということではないのですが)経過し、免許証の色もゴールドになりました。

ところが免許証の更新間近の短い間にまたまた違反を連発。

一度は「一時停止違反」
よく通る田舎道で、そこが「一時停止」であることは十分承知していて、いつもキチンとしているのに、そのときだけ、注意力が欠けてしまい停止を怠ってしまいました。
その上、間の悪いことにいつも居たことの無いパトカーが、そのときに限って木陰に隠れていたため、たちまち「御用」!
抗議のしようもありません。

それから何日もしないうち、時おり棚を物色する甲州街道に面した笹塚のある古書店に立ち寄った僅かの間で「放置車両違反」 
    
予感はあったので、注意はしていたのですが・・・

 Img057_edited1                             

                                                                         

前者の方は弁解の余地の無いことですが、後者はほんの5分程度の間の出来事なので釈然としないものが残りました。

官僚の世界によくある話で、天下り先を次々こしらえて、それぞれが糧食にありつける仕組みを作る・・・
この制度も、盛り場における無法な駐車違反を一掃するために設けられたもの、という反論し難い大義名分があるのですが、ツイその背後に隠されているかもしれない、ホンネを穿ってしまいたくなります。

そんなわけで折角の「定額給付金」分が何ら景気浮揚に役立たないまま消えてしまう結果になりました。
どうしたら税金を無駄遣いできるか、と知恵を絞っていただいた政府・与党の皆さま、ゴメンナサイ。

あまりに、「定額金給付」を天下の愚策、などとけなしたため、神さまが”それなら召し上げてしまえ”とでも思し召したでしょうか? 

「悪銭(いや、あぶく銭かな)身につかず」・・・                                                                                                                                                                                   

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葉桜の季節にやってきたもの

2009年4月23日

巷では桜のことなど全く話題になりませんが、標高700mの山荘では「三春の滝桜」の子孫が今を盛りと咲いています。

ところで、災害ではないですが、あれほどの騒ぎになったにもかかわらず、今ではほとんど話題にもならないで、忘れかけていたことが二つやってきました。

一つは「定額給付金」
天下の愚策だ!いや生活支援だ、やれ、景気浮揚策だなどと、あれほどかまびすしい議論をよんだのにやってきたときはもうヒッソリと。

思いがけない収入などありえない年金生活者にとって、あり難いはずなのになぜか素直に喜べないのです。
自分が払った税金が還ってきただけ、という論旨もストンと落ちません。

私には乾ききった砂地にジョウロでほんの少し水を撒いたら、水はたちまち吸い込まれ、アッと言う間にもとの乾いた砂地に戻ってしまう光景が目に浮かびます。

せめて2兆円が一斉に給付され、皆が”セーノ”で消費したら何かのウエーブが生じたかもしれませんが、こんな調子でばらまかれたってどんな効果も生まれないような気がします。
いったい誰が、どのように効果を測定するのでしょうか?

2兆円が全部消費に回されたとしても2兆円になっただけ。
給付に要した何千億円が無駄遣いで終わってしまう虚しさが残るだけではないですか。

もう一つはこれも悪名高き「後期高齢者保険証」

たった一枚の証書で、私もこちら側からあちら側に一括りされる立場になってしまいました。
                                   

                                Photo

これで何がどう変わるのかサッパリ分かりません。

マッいいか!

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漢字読みの思い出

2009年3月27日

恐縮ですが、またまた思い出話です。
ただ、少しばかりホロニガイものですが・・・。

「読めそうで読めない漢字」の類の本が良く売れ、テレビでも難問、奇問の漢字テスト番組など、このところ「漢字」に対する関心が高いようです。

Img042

この「漢字バブル」のような現象が生まれている理由はどこにあるのでしょうか?

その結果が「日本漢字能力検定協会」の「もうけ過ぎて「文部科学省」からお叱りを受けた、などという椿事を生んでいます。

その漢字読み競争での思い出すことがあるのです。

それは確か小学校(当時は国民学校)5年の時でした。
ある授業で先生が漢字読みの競争をさせたのですね。

そのころ、もうすでに「神童」のメッキはすっかり剥げ落ちていたのですが、なんとか「天才」の域には辛うじてしがみついていた私。
とりわけ「国語」は私の最も得意とする分野。

今日ならなら早速「馬券」の場が立つでしょうが、もしそうであったらさしあたり私は「本命」か「対抗」で買われたでしょうね。

先生が黒板に漢字を書き、生徒がそれを読むのですが、読めない生徒は脱落。

当然、進むほどに難易度は上がります。
次第にサバイバルゲームの様相が濃くなっていきます。

乏しい記憶では「待望」が正確に読めなくて、ほとんどここで振るい落とされ、気がつけば残るは二人になっていました。

私は当然としても(自信過剰でシラケますね・・・)もう一人が誰も予想していなかったS君です。

学業でも、体操でも目立つところがまるで無い平凡そのもののSでしたから、私のライバルがSということは教室に意外、という雰囲気を醸しだしましたね。
(後に知ったのですが、彼も並外れた読書家だったようです。)

同時に、勝負は決した、という気もしました。

ところが予想に反し、ライヴァルは只者ではなかったのです。
両雄(?)相譲らぬ切り合い何合か。
しかし、ついに勝負が決する時が来ました。

「須臾」・・・? 
        ・・・・ 何だこれは!  見たことも、聞いたことも無い字だ!

私には全く読めない漢字です。
          ・・・・ギブ アップ・・・・

ところが敵はいともアッサリ「しゅゆ」と正解したのです。

後年「野に遺賢あり」という言葉を知りましたが、まさしくSのような存在を言うのですね。

いつか彼に、あの時のことを覚えているかどうか、どうしてこんな難しい漢字を学んだのか聞きたいものだと思いながら、未だに果たせずにいます。

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「ワルキューレ」観ました!

2009年3月21日

昨日はグループで山に出掛ける予定が雨で中止。
残念な気がする反面、思いがけない時間が出来て、得したような気もして妙な按配。
ポッカリ空いた時間を埋めるため「ワルキューレ」を観ました。
もちろん、せんだってプロモーションで来日したトム・クルーズ主演の映画のほうです。

「ワルキューレ」と聞けば音楽通ならすぐにR・ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」を思い浮かべるでしょう。
通が「リング」と呼ぶこの4夜にわたる長大にして、重々しい楽劇を観るためには相当な忍耐力と体力が必要です。

私も未だ全編を観ていません。
何しろ序夜の「ラインの黄金」だけで2時間半もかかるのです。
第一夜が映画のタイトルと同じ「ワルキューレ」です。
「ワルキューレ」とは天上に存在する壮麗な「ヴァルハラ城」に、戦死した英雄たちを運ぶ役割を与えられている9人の娘たちのことです。

さて映画の方です。
自国を滅亡へと導く<ヒトラー>の暗殺計画の実話を映画化したもの。
ヒトラーの暗殺計画は少なくとも43回企てられたそうですが、これはその最後の計画。

それは1944年7月のことです。
ことはアワヤ成功と思わせるところまで進んだのですが、虚しく挫折。
計画を立て、実行した貴族<シュタウフェンベルク大佐>(トム・クルーズ)を始め首謀者は当然ながら処刑されます。

Photo この9ヶ月後、ナチスドイツは滅びるのですが、もしこのクーデータが成 功していたら、実に多くの人命が救われていたでしょうね。                                  

                                      

 「ワルキューレ」とはこの計画の作戦名なんですね。
ワーグナの作品とは直接の関係は無いのですが、シュタウフェンベルクが戦時下で久しぶりに家族と過ごす一夜の場面で、有名な第3幕の前奏曲「ワルキューレの騎行」が蓄音機から流れます。 

キャストの中に<テレンス・スタンプ>の名前がありました。
私には1967年の「遥か群集を離れて」以来の懐かしい名前です。                                               

                                            

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早過ぎる春

2009年3月8日

このところ東京を離れられない事情が生じていて、久しぶりに山荘に来ました。

何ということか、日陰にも雪は欠片も見当たりません。

まだ3月というのにこれは異常なことです。

クリスマスローズ、スノードロップ、の開花は想定の範囲ですが、福寿草も咲いていました。

P3081154

スノードロップは雪の下からでも花をもたげるのですが、福寿草が早くも日の光を精一杯受け止めるように開いていました。

 P3081155_2                

                   

                    

三島由紀夫の小説に「永すぎた春」というのがありましたが、「早過ぎる春」というのもどうですかね。

春になるのは嬉しいのですが、これではチトね・・・。

狭い日本。
季節よ、どうしてそんなに先を急ぐの?

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仁義なきラーメンバトル・小滝橋通り

2009年2月23日

このところ訳があって毎日「小滝橋通り」を歩いています。
この通りは新宿駅西口の青梅街道から、ほぼJR「山の手線」に沿って高田馬場辺りまでを通っています。

歩いていて驚いたのが青梅街道から「大久保駅」までの間にいつの間にかラーメン店がひしめいていることでした。

ご紹介しましょう。

新宿を背にして青梅街道からスタートして、小滝橋通りの右側から始めます。

先ず珍しい<久留米ラーメン>の「六つ門」

次いでご存知「麺屋武蔵」
この界隈、というよりラーメン界に君臨し、長蛇の行列を生み出す超有名店。

 P2221136_2                                                 
 ところが仁義なき闘いの結果なのか、その人気に翳りが見えているよう
 で、平日はガラガラ。
 日曜日の昼食時でもこの程度です。
 昔日の面影なしですね。                                                       

                                                                              

先に進んで
大島ラーメン「愛ちゃん」
軒を接するようにつけめんの「古武士」
隣がカレーラーメンを売り物にしている「麺屋ここいち」
チェーン展開をしている「二郎」
職安通りに出たところに「桔梗」

職安通りを渡ると
「壱蔵屋」  「はじめちゃん」と続き
つけ麺で人気の「はやし家」で途切れます。

ここでUターンして西口方向に戻り反対側を見ますと
<家系>ラーメンの「七福家」
職安通りを越えて直ぐに<広島ラーメン>の「ばくだん屋」

 P2221135                         

                                

大分離れて<蒙古ラーメン>の「中本」
最後に「福しん」があって青梅街道に戻ります。

このほか、脇へ入ったところにも何軒かあるはずです。

ラーメン好きでは人後に落ちないつもりの私も、これだけ店が並んでいると、それを見ているだけで、食傷気味になってしまいます。

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ミレーとバルビゾン派の絵画展

2009年2月18日

全く基本的な勉強をしていない私が、絵画について語るなどという無謀な行為は慎まなくてはならないのでしょう。

それでも好きな(と言うより、描いてあるものが何とか理解できる)画家は何人かいます。

そのうちの一人がご存知「ジャン=フランソワ・ミレー」であり、彼を取り巻くいわゆる「バルビゾン派」と呼ばれる人々です。

もっとも、私に限らず、<ミレーは分かる、ミレーは好き>という日本人は多いですね。
大地に生きる、敬虔で、静謐な人の姿を描くミレーの画風は日本人の心情にとても染み入りますから・・・・
   ~もっとも、今は日本人の心象風景も劇的に変わってしまいましたが・・・

山梨県立美術館(甲府市)はミレーの作品の収集に力を入れていることで知られています。
昨年、新たに「眠れるお針子」を収蔵したことと、「バルビゾン派」絵画の展覧をしていることを知り、陽春のような陽気になった14日、観賞してきました。

Img036  こちらが新しくお目見えした「眠れるお針子」
 

実物では右手の指の針抜きまで描写されているのが分かります。

Img037 こちらは有名な「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」

私は同じモティーフの「羊飼いの娘」も好きですが、この作品の入日とその光がすばらしですね。

ところで「バルビゾン派」とは・・・・?

ここで半可通なことを書くよりは、ネットで調べていただくほうが正確ですが・・・
19世紀の半ばころ、パリの喧騒を嫌った画家たちが、パリの南、約60kmほどに位置する「バルビゾン村」に移住し、その辺りの風景を「自然観察」を重視した作風で描いたもので、やがて「印象派」へと繋がっていくそうです。

そのグループはミレーとその親友、テオドール・ルソーを中心としてディアズ、トロワイヨン、ドービニー、デュプレ、ジャックの七人で構成され「バルビゾンの七星」とも呼ばれたそうです。

名画でも、名曲でも、名作でも今は手軽に親しむことが出来ます。
幸せなことです。

超俗物の私はこのうえに「美味しいものにありつきたい」という欲が加わります。

山梨県といえば「ほうとう」
美術館の前に県下にほうとうの店舗を展開している「小作」がありました。
私は定番の「すいとん」

おりからの夏日。
熱いすいとんで汗をたっぷりかいたことは言うまでもないですね。

                                           

                                                 て

                                                                               

                                            

                                                  

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本居宣長の思い出

2009年2月11日

タイトルに惹かれ、中国文学者・高島敏男さんの著書『座右の名文』を読んでいます。採り上げられている十人の文章家の中の「本居宣長」の項を読んでいて、遠い、遠い昔の出来事を思い出しました。

 Img035_2                  

                       

人の自慢話というのは耳にザラつく、ということは良く分かっているつもりながら、あえてお耳障りを一つ・・・・
人様に自慢できるようなことは殆んど無い私なので、これはレアものです・・・ナーンて。

それは小学校(当時は国民学校)2年生のときのことでした。
ある授業の時、先生が「日本人の精神(心)とはどういうものか言ってごらん」というような質問をしたのですね。

2年生に答えられるような質問ではありませんよ。

そのときまだ幼かった(当然ですが)私が凛々しくも、決然(?)と手を挙げ、胸を張って(?)言いました。

敷島の 大和心を 人問わば
          朝日に匂う 山桜花」

先生は腰を抜かすほどビックリしました。(多分)
2年生から<本居宣長>が出るなんて想像を超えるできごとだったはずですから。

入学前から本の虫で、手当たり次第に本を漁って、時間を忘れ読みふけっていた中で、たまたま覚えいたのでしょうね。

意味もよく分からないまま、咄嗟に思い浮かんだ一首です。

1年生当時は病弱で、おまけに幼稚園から入学した街中の同級生の世間慣れした態度へのコンプレックスで、イジケテいた私が、この一首で俄かに脚光を浴びる存在になりました。

想像ですが、教員室で”凄い生徒がいるぞ!”などと大いに話題になったと思います。

太平洋戦争が始まり、緒戦で戦況を有利に進めていて、大いに国威を発揚していた時代背景ですから、国粋主義の学者としてもてはやされていた宣長の歌は見事に時代とジャストフィットしていたのでしょう。

それを諳んじている私は「天晴れな小国民」というわけです。

かくして、私の眠っていた才能(?)が一気に目覚め、どちらかといえば劣等生に近かった私が、学年末には優等生の総代として賞状を受けるまでに駆け上がってしまいました。

今、振り返ってみればあの頃が私の頂点で、以後、60年以上に亘り、長い長い坂をユックリ下り続けているようです。

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笹本稜平の2冊の山岳小説

2009年2月7日

寡聞にして笹本稜平という作家のことは全く知りませんでした。
たまたま入手して読んだ2冊の本から強烈なインパクトを受けるまでは・・・

あるとき、カーラジオを聞いていたら、ハイレベルの読書家である<児玉 清>さんが「還るべき場所」を激賞していました。
それに触発されて、ツンドクになっていた作品に手を触れました。
結果は、掛け値なしで、読み応えのある作品でした。

そもそも山岳小説というジャンルはいつ頃生まれたのでしょうか。
文学史を紐解いてではなく、私の乏しい知識では「氷壁」/井上靖から始まり、新田次郎、長腰(安川)茂雄の諸作品に繋がっていくように思いますが、ここに紹介する2作品はかっての山岳小説とは異次元と言えるくらいスケールが違います。

 Photo         先ずは2002年作品「天空の回廊」 

エベレストの北壁に、米国が秘密裡に開発した戦略核兵器が落下し、その争奪を巡るアクションです。
この兵器が人為的に落とした犯人の手中になれば人類が滅亡しかねない核戦争になります。

たまたまその付近を登攀中だった日本人の登山家<真木郷司>が次から次へ、と襲う試練を乗り越え、生命の危機に陥りながら、たった一人で人類の危機を救うと言う、その崇高な行為がもたらす感動に、ノンフィクションと分かりながら涙する物語でした。

 Photo_2                              

 こちらは2008年の「還るべき場所」

 舞台は世界第二位の高峰「K2}
 その東壁で登攀のパートナーであり、恋人だった人を失い、その痛手か
 ら山から離れた八代 翔平が4年間のブランクを経て立ち直り、別のパ
 ートナーと組んで宿願を果たす、という物語です。
 ・・・ですが、もちろんそんな単純なストーリではありません。 

物語の白眉は「K2」登攀ではなく、その前哨として挑んだ「ブロードピーク」での「一難去ってまた一難」のノンストップアクションです。
ちうハラハラドキドキの連続。・・・読者をして休ませてくれません。
 ~これはもう、インディー・ジョーンズ世界ですね。

とりわけ際立つのが事実上の主人公とも言える「神津邦正」の人物造型。

心臓ペースメーカー製造企業の経営者として、自社の製品の品質アピールの手段として70歳でエベレストに登り、神々の山「ヒマラヤ」から啓示を受け、求道的にまで高められた精神で、8千m嶺に挑み続ける姿が気高いですね。

彼が物語の中で数々の名言を吐くのですが、その代表が、帯にも使われている次のフレーズです。

「人間は夢を食って生きる動物だ。夢を見る力を失った人生は地獄だ。夢はこの世界の不条理を忘れさせてくれる。夢はこの世界が生きるに値するものだと信じさせてくれる。そうやって自分を騙しおおせて死んでいけたら、それで本望だとわたしは思っている」

どうです?
格好良いではありませんか!                                                                                

                          

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ワカサギ釣り ~冬の風物詩

2009年2月1日

赤城・黒檜山は、いま私にとって雪山歩きの格好なゲレンデです。

一昨日も登山口からアイゼンを効かせて、結構ヘバッテ今年2度目の山頂へ。

今日は雲海上の素晴らしい快晴。

いつものように山頂から北へ少し行った展望台へ。

真っ白に結氷した「大沼(おの)」が見下ろせました。
今年、初めての全面結氷でしょう。

目を凝らすと、氷の上に黒ゴマが点々としています。

 P1291112_3                                               

 ワカサギ釣りの群れですね。 
   ~右上に白く見えるのは「浅間山」です。
       (この3日後に、中規模の噴火を起こしましたね)
 その手前で、雲海に浮かぶのが「榛名」の群山です。

                                       

 P1291113_2                                     

 冬の風物詩の一つですね

 冬の風物詩・・・ほかにどんなことが思い浮かぶでしょうか?
 秋田の「かまくら」、 札幌の「雪まつり」、オホーツクの「流氷」、白鳥の 
           飛来など・・・・。なぜかみな、寒さや、雪、氷が欠かせないようですね。

ワカサギが美味しいのはやはりから揚げですかね。

揚げたてのパリッとしたやつは、ビールとの相性がこよなく良いですね!

グビッ!                                   

                                                                                      

                                         

                                               

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尾身周三さんの「民家展」を観る

2009年1月27日

銀座・あかね画廊で<尾身周三・民家展>を観ました。
私は尾身画伯の画業については全く知識がありません。
「民家展」というタイトルに惹かれたものです。

民家をテーマに描き続けた画家としては<向井潤吉>さんの盛名がつとに知られています。
絵については描くことはもちろん、鑑賞の才すらにも恵まれていない私ですが、向井画伯の描く民家には心底ノスタルジーをかきたてられ、展覧会にも足を運んだものです。

尾身さんの描く「民家」はどのようなものなのか?
期待を込めて、初日オープン早々の画廊にに入りました。
題材は向井画伯のそれと同じですが、向井画伯の色彩が地味なのに比べ、メリハリの利いた色使いをされているようです。

Photo展示された作品の中で一番気に入った「夕映えの民家」 F20号
夕焼に染まる戸隠山を背景にし、ディテールが分かりにくいのですが腰を屈めた老婆が、暗くなった庭先で何かをしている情景が描かれています。
絵の中の老婆が、今は無き母の姿に重なります。

Photo_2 こちらは<向井画伯>の「奥多摩春景>という作品です。

生活が営まれている民家としては絶滅しているでしょう。
今は、廃屋でしかお目にかかれない原風景です。                    

尾身さんに少しお話を伺うことができました。

作風が同じなので、向井さんに師事されたのかを伺うと、個展のお手伝いをしたことがあるくらいで、特別な師弟関係は無いそうです。

陳列されている絵は気軽に買えるようなものではなく、いつもながら「画集」で我慢。
画集に無い絵を、たくさん「絵葉書」でいただいて<早起きは三文の得>。

私が古い「民家」の絵に惹かれるのは、もの心が付いて以来、胸中に根付いている郷愁からです。

私の生家も藁葺き屋根の家でしたが、環境にまるで情緒がありませんでした。
それに比べ、母の生家は画家の題材に採り上げられるのに格好な、典型的な民家でした。
その家は、赤城山が引く長い裾野の南に広がる田園地帯のなかの小高い台地の上に立っていました。
東側には小さな谷があり、細い流れの石をどけると、沢蟹がいくらでも採れました。

西側は高い石積みの下を水がきれいな用水堀が走っていました。
家の背は雑木が覆う丘陵の斜面。
それは「里の秋」に唄われる情景そのままでした。
♪お背戸に木の実の 落ちる夜は・・・

敷地の周囲を囲むように植えられている栗の木からは秋にはふんだんに栗の実が実ります。
渋をむいて生のままで食べるのが普通だったような気がします。

広がる田園の間を流れる灌漑用水路では、今のように農薬が使われていない時代ですから小さな水中生物が元気の活動しています。

その家を何里も歩いて訪ねる道すがらは正に、童謡「ばあやたずねて」そのままでした。

そこにはまぎれも無く
♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
の世界があったのです。

小さな絵画展で、胸の中がさまざまな追憶で満たされたひと時でした。

追記

P1261107  さて、現実に戻り、築地の「天竹」で年に一度のふぐを賞味し、歩いて
  銀座にUターン。
  建て替えが決まった「歌舞伎座」を記録に残しました。       

                            

                      

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年の瀬に『草すべり』の静謐に浸る

2008年12月26日

強い寒気の吹き出しで、谷川連峰を越えた雪がこの山里にも降りました。
初雪です。
ただいまの積雪量は5cmほど。
まだまだ積もりそうです。
昨日までの明るい世界がモノトーンで閉鎖されました。

動きを封じられて、読み残しの本を開きました。
南木圭士(なぎ けいし)さんの『草すべり』

書名からこのところ読んだ『還るべき場所』や『聖域』などと同じ山岳小説かなと思っていました。

確かに登山(山歩き)を題材にしているのですが、実は繊細な心理描写を味わえる作品で稜線を吹き抜ける風のような清涼感を覚えました。

Photo

作者は病院勤務医で、「50歳の誕生日に、なにかの発作に襲われたかのごとく、」登山靴を買い、山を歩き始めた、そうです。

それから浅間山一帯の山を歩いたことが下敷きになってこの気高い作品が生まれました。

どのページを開いても、まるで文章のお手本のようなフレーズが並ぶのです。

たとえば
「あらためて、眼前に展開風景に見とれる。
こぶしの花、三十年間住んでいる佐久平、千曲川、そして、背景のすべてをしめる浅間山。近景から遠景に視線を移してゆくと、これらを描写しようとする行為のすべてが、絵も写真も言葉も、思えてきて、心地よい虚無感にうながされるまま首を垂れた」

あるいは
「体の芯で確かな熱が発生し、全身の汗腺から汗が噴き出る。サウナに入って無理に搾り出す汗とはまったく異質な、からだがまっとうな代謝を行った証拠としての汗は、たったいまここに、まぎれもなく自分があるという事実をいかなる言葉より雄弁に保証してくれる。」

山の経験は私の方が豊富かもしれませんが、とてもこうした透徹した一文はものに出来ません。

つられてこの作家による、映画化されている「阿弥陀堂だより」も読んでみました。

Photo_2

それなりのドラマはあるのですが、沈潜する思惟はかわりません。

登場人物の素朴な気高さが見事です。。

「山と渓谷」12月号に<笠ヶ岳から槍ヶ岳>への2泊3日の紀行を発表されていますが、これがまた読ませます。

その中の一節
「歌でも小説でも、ひとが存在するはかなさの本質をとらえた一言半句を持たない作品はあっけなく風化するのだ」

たかが山歩きなのに、どうしてこんなフレーズを紡ぎだすことが出来るのでしょうか。

今年の残る日にちも少なくなって、世の中は何かとなく気ぜわしいようですが、そんなときだからこそ<南木さん>が生み出す静謐の中に浸れるなんてチョット贅沢な気がします。

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銀座H&Mの今

2008年12月15日

9月13日銀座に日本初の店をオープンした「ヘネス・アンド・モーリッツ」(H&M)
それと知らず、たまたその日、全く別の用件で行った「銀座四丁目交差点」でもの凄い行列を見て、オープンだと知り、しかしその行列の長さに辟易して覘いて見ようなんて気はさらさらなくてその日はそのままで終わり。

13日、山野楽器でCDを買うついでにその「H&M」に寄ってみました。

CDは私が好きな二人のアーティスト「サラ・ブライトマン」と「エンヤ」のアルバムが偶然にも同じ時期にリリースされたのですね。

アルバムタイトルはサラが「冬のシンフォニー」
3年ぶりのリリースになるエンヤの方は「雪と氷の旋律」

音楽のジャンルは全く違う二人ですが、期せずして似たようなコンセプトでアルバムを作ったのでしょうか。
聞いてみなくては分かりませんが・・・。

                                                                      Enya

Enya「雪と氷の旋律」

Img025

サラ・ブライトマン「冬のシンフォニー」

さて、「H&M」ですが相変わらず行列はありましたが、短いので、イライラさせられるようなことはありませんでした。

Pc131053_2

Pc131055 POPなどの広告が氾濫している銀座通りでは、このロゴだけのシンプルな外観はかえってインパクトがありますね。
好感が持てます。

ファッション性があって、アウトドアーにも使えるアイテムがあるかと期待していたのですが、まるで場違いのところに入ってしまったことに直ぐ気づきました。
”お呼びではないな”

よくは分からないのですが、ユニクロとは商品構成が違うようです。

ほとんど女性ばかりの店内は<撮影禁止>なので、様子をお見せすることが出来ません。

もう二度とは入店することは無いでしょうね。

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パソコンの寿命は?

2008年12月1

私たちの生活の周辺にはさまざまなツールが溢れています。
その全てが必要不可欠とは言えませんが、テレビ、電話、車など必須アイテム(と、思われている)物も沢山あります。

パソコンもそうしたものの一つと言えるでしょう。

そこで、今日のテーマはパソコンの寿命について、です。

そもそもパソコンの寿命はどれくらいのものなんでしょうか?
どれくらい使ったら”元が取れた”という感じになるものなのでしょうか

そんなの、使い方や、当たり外れ、スペック、陳腐化などさまざまな要素で左右されるものだから、一概に答えられるものではないよ・・・ごもっとも。
こういうのは典型的な「愚問」ですね。

ネットで拾ってみても短いのは2年くらいから、辛抱強く二桁年数使う例もあるようで、そこには法則性は存在しないようです。

私は今デスクトップとノートを併用していますが、OSがMeという時代物ののデスクトップは使い始めてから7年になります。

人間で言うと後期高齢者並みなのか、少々動作が覚束なくなっています。
~こんな言い方をすると、麻生さんではありませんが、物議をかもす元になりそうですが。

とにかく何の根拠もないのですが、最低7年は働いて欲しいものだと思っていました。

その7年が経過したのですが、買い替えより、欲が出て(もちろん財政的理由もあって)もう少しガンバッテ欲しいと思っているところです。

会社にいた頃は周囲の若い社員が、なんの造作も無く駆使しているのに、あてがわれたパソコンをもてあましていた私。

それがリタイアして、遅まきながら生活のステージをとんでもなく上げてくれるツールとしてのパソコンの実力に気づき、七十の手習いで始めて以来、いまやパソコン無しの生活は考えられません。

仮の話、いまパソコンが無くなったら・・・
命に別状は無いとしても、間違いなく手足をもがれたような状態に陥るでしょうね。

こんな粗ブログですが、それでもか細いながら糸が世間と繋がっているような気にさせられのもパソコンのお陰です。

でも振り返るとホンの50年前、私たちの生活の中には、いま「必須アイテム」とされている物は何一つ無かったのです。

それでも立派に生活し、生きてこられました。

この50年の間に私たちは必要性の低い物まで貪欲に手に入れてきて、確かに生活の豊かさや便利さをを享受してきているのですが、その代わりに確実に何かを失ってきています。

それが何かは簡単に分かりそうにありませんが・・・。

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地デジなんかいらない、ツーの

2008年11月6日

10月15日朝日新聞朝刊に<地デジ放送受信機の世帯普及率が目標ライン50%を下回り、46・9%に留まった>との記事がありました。

9月末時点での地デジ受信機保有世帯約2345万というのは、所管する総務省にとっては不本意らしいのですが、私には”ヘー、もうそんなに普及しているのか”という感想です。

さすれば、我が家はバスに乗り遅れている、半分のアナログ世帯に属しているということになるな・・・。

かなり知られてきているように、2011年7月24日は現行の」アナログTV放送滅亡(停波)の日

平たく言えば今のテレビ放送が全く見られなくなる、ということ。

マスコミやネット上でその功罪が論じられているが、大混乱必至でしょう。

何で地デジにするの?

地上デジタル放送になると
1、高画質、高音質が楽しめる。
2、最新のニュースや天気情報など暮らしに役立つ情報がいつでも見ることが出来る。
3、双方向のやり取りが出来る。
4、連動データ(番組中に情報を取り出せる)
などがユーザーのメリットらしい。

経済的負担ナシでそうなるなら別に言うことは無く、勝手にどうぞ、である。

ところがドッコイそんな甘いことでは、もちろんありません。

チューナー内蔵のTVに買い替えなければならない。
VHFアンテナをUHFアンテナの交換しなくてはならない。
最低限チューナーとアンテナを対応させなかればテレビが見られなくなる。

そのアンテナにしても厄介で、地上波停止後一年すると、東京タワーから「スカイツリー」に変わるため、再び方向調整しなくてはならないらしい。

あるいは有線放送に加入するか?。

いずれにしても、今説明されて範囲を相当超える負担を強いられることになりそうなのに、そのあたりのことが分かっていないのか、分かっているのに知らん顔しているのか・・・

仮にチューナーのみの負担にとどめたとしても、画質、音質は今と変わらないのなら、チューナー代だけの負担で、何のメリットがない。

私など現行の放送で何ら不自由を感じていません。
これ以上の高画質なんて望みません。
  ~吉永小百合のシワなんか見たくない・・・

暮らしに役立つ情報なんて、そもそも既に過剰で、かえって必要な情報が埋没しているくらい。

今のままで何故いけないのか。

なぜ地上放送を停波するのか?

なぜ、アナログとデジタルの共存が出来ないのか?

TV画面でキャンペーンらしきものをしているが、こうした素朴な疑問に答えていない。

いずれにしても視聴者にとって受益より、負担が大きいのは間違いないようだ。

一体、地デジになって笑う奴は誰なんだ

後期高齢者医療制度といい、紅葉マークの強制といい、アナログ放送の停止といい、私には弱者切捨ての、一種の「棄民政策」に思えたりします。

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小泉さんが ブッ壊したものは何か?

2008年10月25

サブプライムローンに端を発するアメリカ発の金融恐慌は、対岸の火事ではなくなってきていますね。

日本経済に与える影響は深刻なものになりそうで、その煽りとして解散・総選挙をいつ打つか、麻生さんの煩悶はいかばかりか・・・。

ところで、少し遡りますが10月18日付けの朝日新聞Be版の記事のこと。
「小泉改革路線の功罪」についてのアンケート結果です。

意外なことに「功」が26%、「罪」が51%ということです。

この種のアンケートの類について全面的に信頼するわけにはいきませんが、大方の傾向は反映していると思えますし、それならやはり小泉改革なるものの実像が見えきているということですかね。

小泉さんは、あのタテガミを振り乱して「自民党をブッ壊す」と絶叫したのですが、実はこの人は瀕死の自民党の救世主だったのですね。

本気で自民党を壊す気が無かったことは、この度引退した地盤を次男・進次郎氏に世襲させることで証明されました。

今の自民党の中心勢力は世襲議員。
世襲議員はジバン、カンバン、カバンに頼る自民党の特質を象徴的存在です。

それでは小泉さんがブッ壊したものとは・・・?

先ず、田中角栄の流れを汲む「経世会」。
「角幅戦争」の怨念を晴らすのがその狙いだ、とは巷間伝えられています。

異常なまでの執念をみせたのが「郵政民営化」
これぞ「改革の本丸」などとして衆院の解散までしてしまいました。
改革の本丸論がご都合主義だけで、真っ赤なウソだったことは、その後の改革には何の情熱を見せなことで証明されています。

これも、郵政大臣のとき、局長クラスからイジメられた仕返し、と言うのを聞きました。

恐ろしいほど執念深い人だったのですね。

政治家とは「思索する」「瞑想する」「哲学する」ものだと思っていましたが、そんなイメージも軽く壊してくれましたね。

ブッシュ夫妻の前でE・プレスリーの真似をしたシーン。
あれがオレたちを代表する一国の首相の姿か・・・。
私は目を疑い、恥ずかしさに身の置き場がありませんでした。
あのブッシュさんでさえニガワライしていましたからね・・・。

とにかく、軽躁な人でした。

日本にあった「思いやり」という美風や、「惻隠の情」という美しい言葉を失わせ、ささくれだった、弱肉強食の競争社会にしてしまったのも、小泉時代の負の遺産です。
残ったものは「勝ち組、負け組み」なんて嫌な言葉ばかり。

あの熱狂が覚めて、フト気づいて見渡せば死屍累々の荒涼たる風景。

軍師、竹中半兵衛ならぬ平蔵さんとのタッグマッチで、お手本としたアメリカの「市場原理主義」を、経済のグローバル化などとして、歴史も文化も異なる日本にそのまま無理強いしたことも大きな歪みをもたらしたのではないですか。

「最小限の規制」を信奉し「市場の神様」に祭り上げられていた<グリーンスパン>前FRB議長は、いまやこの金融恐慌の戦犯とみなされているようです。

この状況に竹中さんは「知らん顔の半兵衛」を決め込むのでしょうか?

そして、自分がやりたいことだけをやって、その結果、ネットカフェ難民や医療崩壊など沢山の後遺症が生じていることなど、およそ関心が無い、という風情の小泉さんは、議員を引退して、オペラなどを楽しんで優雅にこれからをお過ごしになるのでしょうね。

そんな姿を見透かしたのが冒頭のアンケート結果でなないでしょうか。

特別な恨みも無い小泉さんに、少し意地悪く書き過ぎてしまいましたね。

小泉ファンの方にはお詫び申し上げます。

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街歩きは疲れます

2008年9月20

久しぶりに銀座へ。

目的は「山野楽器店」での何点かのCD探し。

次いで、松坂屋の地下で、創業が明治30年という老舗の牛肉店がやっているインショップ・レストラン(イートイン)で、黒毛牛のスキ鍋。

タップリの牛肉に、赤ワインまでついて800円。
行列が出来るわけです。

銀座通りをブラブラしていると(昔はこれを銀ブラと言ってましたが・・・)、マァー、私なんぞはおよそ縁遠いブランドショップだらけ。

ここはパリか、ミラノか、はたまたウィーーンか・・・?                                

                                 P9190951

その中で、地価日本一とされる「鳩居堂」の並びにわれら庶民派の頼もしい味方「ユニクロ」銀座店がありました。

さすが銀座のド真ん中の店だけに、普段行きつけのユニクロとはウインドゥ・ディスプレーからして全然違いますね。

ユニクロのロゴが無ければ多分わからないでしょう。

 P9190969                            

                                

中のアイテムは?
他店と同じ商品構成なのか、ここだけは特別なのかよく分かりません。

世界のブランドが犇めく花の銀座で”ケッパレー!”

それにしても”あなたとは違うんです”と捨てゼリフを吐いた、庶民とは別の世界に住んでいるらしい、もう直ぐ首相でなくなる方は「ユニクロ」なんて知らないのでしょうね。

こちらは普通のイタリアンのお店ですが、なんとお店の名前が「スケベニンゲン」・・・

オランダにある街の名前を引いたものだ、と言っていますが、受け狙いは見え見え・・・かな。

 P9190957                       

  会社にいた頃には、年に何度か若い人たちとランチしましたね。                                        

新宿へ移動して「ジュンク堂書店」   新宿三越の上層階に開いた超大型書店。

品揃えは充実していますが、その分お目当ての本を探すのが大変。

広いフロアーのアチコチ探し回っていると、とにかく疲れます。

山歩きでももちろん疲れるのですが、街歩きの疲れは異質な感じがします。

常ならたとへ、登山の帰りでも新宿からは歩いて帰宅するのですが、今日ばかりはバスに乗りました。

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自民党総裁選の寒々しい風景

2008年9月8日

政治ネタは、ブログにはミスマッチの気がするのだが、いま、暗澹たる思いだ。

ボンボン総理が2代続けて無責任にも政権を放り出しての敵前逃亡にも呆れるばかりだが、新総裁を目指して名乗り上げている顔ぶれをみての感想がそれ。

”キャラが立ってる”などと、ポピュリズム丸出しのサラブレッド。

確かに政策マンだが、見るからにクラーイ情熱の女流歌人の末裔。

流し目しながら、マスコミ受けする気の聞いたセリフを言うだけのミニスカさん。

ムネオハウスの主に脅かされて、震え上がっていた太陽族2世。

安倍さんを担いで、そのズッコケに一言も説明しない軽騒○太クン、などなど。

そのほとんどは、選ばれる可能性が無いが、ものの弾みで万一こんな人が総理大臣になったりしたら、ホントに日本沈没を覚悟しなくてはならない。

この人たちに日本の将来をどうする、いう経綸があるとも、重責を担う覚悟があるとも、とても思えない。

政策が大事、なんてことは当たり前のこと。
何をしなければならないか、という処方箋も大方は同じ。

重要なことはそれが出来る「統治能力」を持っているかどうか、断固やりぬく覚悟と、長年にわたって涵養してきた「政治力」備えているかどうか、である。

賢明な方々だから、多分、そんな力は持ち合わせていないことは、充分自覚しているだろう。

なのに、なんで手を挙げるのだろう?

既にその魂胆を見抜かれているように、マスコミ露出度の高い面子を揃え総裁選を盛り上げ、一時的な目くらましで、失地回復を図ろうとする政権与党の小賢しい作戦に違いない。

かれらはそんな虚しい舞台でピエロを演じさせられているに過ぎない。

そしてもっと情けないのが、その魂胆に簡単に乗せられてしまうマスコミと選挙民。

それは、小泉劇場以来、政治がすっかりショー化したことに起因している。

いまの顔ぶれの中に、すっかり低落してしまった日本の、国際社会における地位向上を図れる本物の政治家がいるのだろうか?

かつての「三・角・大・福・中」のように総理の座につくために、長い年月をかけて自らを鍛え、営々と兵を養い、その日のために備えてきた政治家はもう出ないのだろうか?

それも、これも総理大臣の座がまるで軽い存在になってしまったせいだ。

準備も、覚悟もなく担がれるままになってしまい、僅かなハードルにたじろいで逃げ出す、そんな三人目の総理大臣がまたまた誕生するのか?

だが、国民は自分たちのレベル以上の政府を持てない、とすれば、そもそもこんな政治状況になってしまったのも、私たち有権者が一番罪深い、というこになるのだろう・・・。

・・・こんな空しいこと、書かないほうが良いのに。

        分かっていながらやめられない己の何と言う愚かさ・・・。

くだらない愚痴、ボヤキにお付き合いいただいた方々。

さぞかし、ご不快な思いをされたことでしょう。

謹んでお詫びいたします。

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高尾山麓での優雅なランチ

2008年9月3日

外食と言えば、ラーメン、ざるそば、カツ丼辺りを順ぐりにしていて、およそグルメとは縁のないわたし。

そこへ、<高尾山を歩いて、下山後、少し贅沢なランチはいかが?>という誘惑が舞い込んできました。

えー!
この暑さの中で高さ600m足らずの高尾山だって・・・?

汗かくぜ・・・・

と、腰は引けましたが、たまには貧しい食事にすっかり順応している胃袋をビックリさせてやるのもあるかな、ということで参加することに。

山歩きは、たかだか300mチョットの上りで、予想通りに汗をかかされました。

さて山を下って、京王線・高尾の駅前から送迎バスで運ばれた先が「うかい鳥山」

有名な食事処らしいのですが、私には初耳。

昔、多摩丘陵にあった「野鳥焼き」の店を想像していたのですが、全然外れ。

流れを挟んだ広大な自然林の敷地の中に遊歩道があり、その道端に、個室の離れが点在しています。

全部で27室あるとのことですが、その一つひとつに数寄が凝らされています。

時間制限が無くて、食事後、午睡をとることも構わないそうです。

メニューは、メインディッシュが写真の「鶏肉の炭火焼」か「和牛の炭火焼」のコース料理。                                                      

                                                     Img016

    Img017

私めは「和牛」。
阿武隈山地辺りで生産されているそうで、私には北海道・池田町ワイン城以来の上質の牛肉をレアで堪能できました。

お酒に目がない賑やかな顔ぶれは、良く冷えたビールのほか白、赤のワインをボトルを空にしてしまいました。

下戸の私は横目で見ながら、食べるのに没頭・・・でもないかな。

料金は、やはりそれなりになります。

緑したたる今の時期もさりながら、紅葉の季節の見事さは容易に想像できます。

そのころ大切な女性と二人でまた来てみたいな。

そのときの相方は・・・・?

長年連れ添った家内しか思い浮かびません・・・まことに遺憾に存じますが・・・。

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縹眇(びょうびょう)たる「ブログ」の大海原

2008年8月19日

いささか旧聞になりましたが、7月10日の「朝日新聞」にブログに関する興味深い記事がありました。

総務省の調査データです。

それによると、今年1月末現在で
 約1690万件のブログ
 記事総数が13億5千万件(単行本約2700万冊分相当)
だそうです。

新設されるブログの数は毎月40~50万件。

どうやって調べたのか、信頼度がどの程度なのか分かりませんが、いずれにしても途方も無くデカイ世界のようです。

そんな宇宙的スケールの世界では、アタシのブログなんざ、太平洋に浮かんで、波に翻弄されている木の葉一枚みたいなもの・・・か。

 Photo                                         

 「嵐の航海」 / イワン・アイヴァゾフスキー

Photo_2                                              

  「第九の波濤」 / アイヴァゾフスキー                                                   

どなたかの目に触れること自体、奇跡みたいなものです。

何か、ノレンに腕押し、みたいで気力が萎えてしまいます。

でも、よそ様のために書いているのではない。
自分のためのものだ・・・とでも思うしかないか・・・。

ブログ開設の動機、となると
 1、日々の出来事を伝える「自己表現型」が30・9%
 2、情報交換を重視する「コミュニティー型」が25・7%
 3、趣味に関する情報を整理した「アーカイブ型」が25%
 4、「収益目的型」10・1%
 5、知識を発信する「社会貢献型」が8・4%
ということだそうです。

おのれのはどこに分類される?

マァ、「社会貢献」などはハナから考えていないし、「収益目的」というのも無いし・・・。

何でもありの、「クロスオーバー型」といえば聞こえは良いが、要するに、方向性が定まらない「行き当たりバッタリ型」で、これからも果てしない大海原で、どこに漂着するやら、しばらくは波のまにまに漂流していきましょう。

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天使だって、いつかは・・・

2008年7月23日

恐縮ですが、身内の話です。

このところ殆んど山歩き出来ていません。

梅雨時で、お天気が安定しなかったことが主たる理由ですが、シカゴにいる二人の孫娘(ハーフ)のうち、姉のほうがが、9月の大学入学前の遊びで来日していることもあります。

彼女たちの来日は、夏の年中行事みたいなものですが、来日中はちょっとした台風が上陸しているような按配になり、生活のリズムが狂ってしまいます。

特に今度は著しく勝手が違っていました。

9月にミシガン州立大に入学するというボーイフレンドが一緒なんです。

彼は日本には初めてで、日本語は全く使えません。

単身赴任している孫の父親(アメリカ人)が仕事で面倒見切れないため、勢いシワが日本のじいしゃん、ばあしゃんに寄ってきます。

孫娘がタドタドしい日本語で会話をつないでいますがシンドイこと・・・。

そして帰国する前日の昨日(22日)”どうしても富士山に行きたい”という、たってのリクエストにつきあいました。

彼女と山歩きするのは確か初めてのことだな・・・。

7合目でのUターンでしたが、さすがの若さ。
登山の経験など皆無に等しいのに、ウン十年のキャリアを誇る?私が着いていけないスピードです。

それでも”じいしゃん凄い!アメリカのジージーは全然上れないよ”などと褒められ、心の中で思わずスキップしちゃいました。

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かつて、小さなエンジェルで、私を見かけると、”ジイシャン!”と叫んで、一目散に駆け寄り、しゃがんだ腕の中に飛び込んできた彼女に・・・ボーイフレンドか・・・。

この調子では、数年のうちには曽祖父になる運命か?・・・。

・・・けっこうヤバイな、これは・・・。

申しおくれましたが、名前は・・・エーと、サザンの曲にあります。

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蛙にされたガソリンユーザー

2008年7月4日

レギュラーガソリンの価格が180円/L前後になり、この調子では”ウソでしょう!”と思っていた 200円/Lが現実になってきました。

これはほとんど悪夢です。

正確には記憶していませんが、2年ほど前には90円/L前後だったと思いますが、初めは何円単位でジリジリ上がり、それが今では臆面も無く、毎月初めに10円ほど上がるのが当たり前になってしまいました。

途中までは結構ナーバスになっていたユーザーも、今は成す術もなく、ただ呆然と値上がりを眺めているだけのように見えます。

この現象は私にこんな実験を想起させます。

蛙を水の中に入れ、少しずつ加熱していくと、蛙には水温上昇が体感出来なくて、やがて沸騰した湯の中で、哀れな蛙君は「石川五右衛門」になってしまうのだそうです。

今ガソリンユーザーがおかれている状況はまさにこの蛙と同じではないですか?

90円のガソリンがいっぺんに180円になったらいかなるユーザーもカンカンに怒り、それこそ韓国や、モンゴルのような暴動が起こるでしょう。

それがジワジワくるものですから、痛みがいつしか麻痺してしまい、気がつけばとんでもないガケップチに立たされているのです。

車が無くてもどうにかなる大きな都市の生活者ならさほどのダメージは無いかもしれませんが、公共交通機関が無いに等しい地方では、車はいわばライフラインでしょう。

いくらガソリンが高くなっても車を使わなくては生活出来ない、そうした境遇の方々には想像以上に深刻な事態です。

化石燃料の異常な高騰の影響はガソリンに止まりません。

漁業にも、畜産にも、野菜作りにも深刻な影響を及ぼし、家計を圧迫するだけでなく、食料不足を招きかねません。

なのに、政治がまた全く無策です。

ただボーッと事態の推移を眺めているだけに思えます。

4月にせっかく一度廃止された石油の「暫定税率」が、5月に「3分の2」の暴力でまた元に戻ってしまいましたね。

郵政選挙で3分の2以上の議席を与党に与えてしまった国民が、こんなはずではなかった、と今ごろ悔やんでみても後の祭り。

私には「道路族」と「国土交通省の高級官僚」の高笑いが聞こえてくる気がするのですがあなたにはどうですか?

 人間を蛙にするな!」 怒れ! ガソリンユーザー! そして消費者!

あーァ 頭に血が昇ってしまった・・・

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6億1400万円の地下鉄路線図

2008年6月12日

ダイナミックな鼓動が途切れることが無いような東京。

目下の話題の中心は「東京メトロ・副都心線」。

いよいよ16日開業で、渋谷~新宿~池袋の三大ターミナルが結ばれます。

現に山手線で繋がっているのだから、それほどのエポックではないように思えますが、そうでもないらしいのです。

特に埼玉県の南部からの買い物客が新宿へ流入することが予想されています。

そこで気合が入っているのが「高島屋」

ガリバー「伊勢丹」にはもちろん「京王」や「小田急」の後塵を拝しているのが現況。

後発だし、なによりアクセスがいまいちで、苦戦を強いられるのもやむを得ないのですが、まさに劣勢を挽回する千載一遇のチャンスがやってきました。

そこで登場したのが6億円以上のダイヤモンドを散りばめて作った「地下鉄路線図」というわけです。

  P6120846_2        2回の正面にディスプレーされています。                  

よく分かりませんが、駅などが輝きを放っています。                         

画面の左の方に白っぽく「副都心線」が縦に走っていますが、その中ほどの「新宿三丁目駅」のダイヤが一段と大きく輝いています。
                     抜かりなく「高島屋」の2店舗のロゴも。

でも、これが何かの役に立つのだろうか?
誰かが幸せになれるのか?                                          

何の脈絡もなくミャンマーや四川省の災害地のことが浮かびました。

その連想で、アフリカでの悲惨な飢餓も思われます。

これだけのお金を、副都心線開通のお祝いとして、苦しんでいる人のために使ったら、パブリシティ効果はどっちが高いのかな・・・?

そんなヒューマニストを気取ってみても、もし、これをあげる、と言われたら、断ることはは・・・出来ないだろうな、ヤッパ。

「追記」

初乗りインプレッション・・・・・

開業初日の今日(16日)「イシイスポーツ原宿店」に用事があって行ったついでに「副都心線」に乗ってみました。

どの駅も混んでいて、盛んに携帯カメラを新型電車に向けています。

乗って真っ先に感じたことは車内が”広いなー”ということです。

天井が高い、ということは事前のリリースなどで知っていましたが、それを感じさせないほど横幅もあるようです。(まさか電車までメタボ・・・ってことないよな)

メトロで一番古い「銀座線」など両側の吊革に立つと、その間にはほとんど隙間がありませんが、副都心線はその間を大手を振って通れるくらいの余裕があります。

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先生にナッチャッタ・・・気分

2008年5月30日

一昨日「シロヤシオ」を見に奥日光「戦場ヶ原」と「中禅寺湖」に挟まれた「高山」(実は1668mと[低山」)を歩いてみました。

「竜頭の滝」からスタート。

開花には早すぎたのか、裏年なのかパラパラとしか咲いていませんでした。

それでも5月の光の中、若葉の白樺に囲まれ、素敵な気分で「小田代ヶ原」へ向かいました。

原の入り口で向こうから小学生らしい集団がやってきます。

”嫌だな。折角の気分が彼らの騒々しさでブチ壊されるだろうな” 内心そう思いながらも結局その集団に飲み込まれてしまいました。

暫く行くと先頭のグループが分岐点で立ち止まっていました。

”「竜頭の滝」はどっちですか?”とリーダーらしき少女。

確かにその分岐には「しゃくなげ橋」を示す表示はあるのですが、彼らが目標にしているらしい「竜頭の滝」は書かれていません。

”この「しゃくなげ橋」の方に行けば良いのだけど、おじさん(厚かましいことに「い」を抜いてしまった)も同じ方に行くから一緒に行こう”という成り行きに。

寡黙な少年2人、少女3人のグループと歩きながらポツン、ポツンという会話から幾つかのことが分かりました。

八王子の「松木(まつぎ)小学校」の児童たち。

朝「湯の湖」をスタートして、少人数のグループに分かれ、オリエンテーリングらしきことをやっているようです。

後ろのグループが遅れていても待たないのはそのためなんですね。

口数が少ないのはいい加減疲れているのせいでしょう。

私はさっきの迷惑だな、などと感じたことをすっかり忘れ、いつしか小学校の先生の気分になりきっていました。

先生か・・・遠い日のかすかな記憶。

何になりたい、という明確な自覚を持たない一生でしたが、それでも唯一「先生になるだろうな」ということが少年時代、一番自然な自覚でした。

それが成り行きで民間会社に入り、「利益を上げることが最高の善」という、聖職とはおよそ無縁な環境に、時には居心地の悪さを感じながらも、46年もの間、首まで浸かって過ごしました。

フッと、針の先で突いたような理由の分からない疼きが湧いて・・・。

それだけに、集合場所で別れるまでの30分ほどの短い時間が、忘れがたいひと時になりました。

滝に戻り流れに目を落としたとき、胸の奥に未だ残っている疼き。

P5280832  そのせいか「トウゴクミツバツツジ」が一段と鮮やかに映りました

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新・東京だよ!オッカさん!

2008年5月24日

天国のオッカさん。
お変わりありませんか?

今の東京は島倉千代子さんが唄っていたころの、九段や、二重橋や、浅草のそれではありません。

東京暮らしの長い小倅でも、いまや、半世紀前に東京にやってきた時と同じようなイナカモンになってしまいました。

一年も行かないと迷子になってしまいそうな場所ばっかりです。

山道の方がよほど分かりやすいです。

今日はそんな最近の東京事情のホンの一部を、出来なかった親孝行の真似事としてご案内いたします。

 P5210819_edited1                      

   これは新宿・西口の「コクーンタワー」

 各種の専門学校が入るビルだそうで・・・。

 コクーン、つまりオッカさんが昔作っていた繭玉で、これから何かがゾロ
 ゾロ生まれてくるらしく、何か気味悪い・・・。  
 

                          

P5210821_edited1  こちらは今一番ナウイ(オッカさんには意味不明か)「アカサカサカス」
 言う度に舌噛んじゃう。

 宙に浮かぶカエルは「赤坂をカエル」というおやじギャグの乗り。

 P5210822_edited1                          

 100本の「桜を咲かす」
   伝統を踏まえた新しい「文化を咲かす」
     坂が多いので「坂s」
                訪れる人の「笑顔を咲かす」

「咲かす」がイッパイですが、高級レストランばかりで、こちらの財布はあえなく散ってしましそうですよ、オッカさん。                             

                                                                

                                             

                                               

                            

                        

                              

                          

                             

          

 

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中国・四川省の大地震を悼む

2008年5月15日

四川省の「都江堰市」の北東、「ぶん川県」を震源とするマグニチュード7・9の大地震。

いつもなら「対岸の火事」で傍観するだけですが、今回はいささかの感慨があります。

4年前「大姑娘山(タークーニャンシャン)」(5025m)に登ったとき、途中の観光で世界遺産の「都江堰」を見学しました。

その折立ち寄ったある町の市場で、しきりに香りの高い花束を買ってくれ、とせがんだ少女たち。

登山では、長靴のまま山頂まで荷物を担いでサポートしてくれた「日隆(リーロン)」のポーターたち。

かれらは一様に人懐っこいチベット民族。

彼女ら、彼らはこの災害に遭わずにすんでいるのだろうか。

今は名前こそ忘れたが、思い返すあの顔、この顔。

情報では「都江堰」から北東へ伸びる断層で生じた地震、ということだから、南西に位置するパンダの「臥竜」や「日隆」の被害は無いのか、報道では伝えられていませんが・・・。

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サクラ咲く!

2008年4月24日

今ごろサクラの話題では、賞味期限切れもいいところ。

あえて、東京より1ヶ月遅れで咲いた、わが草庵のサクラをご覧ねがいたく。

 P4240721                          

 割り箸ほどの幼い苗木が成長。 

            P4240725   

 「プリンセス雅」という種類だそうで・・・                

                                                    

P4240729                           

  全国的に有名な福島県・三春の「滝桜」の子孫です。                  

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これもエイプリル・フール?

2008年4月1日

誰にもひっかけられる虞の無い一人の山荘くらし。

なのに天気に騙された。

夜明け前の寝ぼけ眼には晴天になりそうに見えていた。

ところが、はっきり目覚めたらなんと、昨日の朝と二日続きの積雪。

それもしっかり積もっていて、しかも暗い空からひっきりなしに降りしきる。

これは積もるな。
しかも重い湿雪。

当然、雪掻きで大汗をかくことになる。

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私の山荘は、除雪される村道から100m余り私道に入るので、この部分は自分で除雪しなくては車の出入りが出来ない。

何で今ごろになってこんなに雪が降るんだ?

雪国の人にとってはチャンチャラオカシくて、騒ぐことではないでしょうが、なにかにつけて軟弱なわが身では、覚悟を決めて雪と格闘しなくてはなりません。

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初滑り&滑り納め

2008年3月7日

オー、久しぶりに武尊が見えるぞ。
川場スキー場にも陽がさしているナー。sun

こりゃ、滑りに行くっきゃないか・・・。
今ごろ初滑りか?  遅いッチューノ。

今度の車、チャッコイけど、リアシ-ト倒せば広大なラゲッジスペースが出来るから、スキーなんぞオチャノコさいさい。

イヤー、さすがスタッドレス。雪道、全然怖くない。スイスイ走るもんね。happy01

何言ってんねん。
道路、完璧に除雪されているじゃん。

えー? そういや、そうだな。

オヤ?駐車料金徴収の小屋、ナンヤ道の端っこによけられているじゃないか?

おまけに傾いているし、誰もいない。

そうか、場所が変わったんだろうね。

しかし、なんも無いまま、立体駐車場に着いてしまったぞ。
係員が入れ、って・・・。
駐車料は?  聞いて見るか?shock

でも聞くと料金取られるかも・・・。
このまま行っちゃえ!
       エヘヘへ・・・1000円もうかっちゃったcoldsweats01

毎度のことだが、このスキー靴、何とかナラヘン?
履くだけで疲れてしもうて、スキーやる気なくなっちゃうぜ。sad
おまけに履いたら最後、まともに歩けやしない。 コノー。
誰か、何とかしてくれー!

シニア一日券。3500円なり。(安くなっとらんな・・・)
顔だけだと、シニアに見てもらえない(ウヒヒ・・)かも知れないから、免許証見せるか?
(鏡見たこと無いのか?お前は!)

オー、久しぶりのゲレンデ。パウダーしている。ヌハハ・・・
しかし、いくら平日といったってガラガラじゃねーか。
こんなんで経営、大丈夫?

お前が心配することか・・・?pout

今どきのカービングスキーだもんね・・・。
でも、その威力はあまり実感しないなー。

前は手こずっていた「シャーミン」のバーン。
結構こなしているけど、それって板のお陰じゃないの?

何ケツカル、おいらの技術が上がっただけのことだ。

なに言うてんねん。相変わらず不恰好なクセして・・・。

リフト14本。
疲れたー。  山で使う筋肉と違うんだよな。

腹も減ったし・・・。そろそろお仕舞いがよろしいようで・・・。

ラスト一本。

これで一本当たり幾らになる?
3500円÷15=?・・・・ エーと 大体、300円以下にはなるな。 マ、いいか。

相変わらずセコイくせして、頭の回路は算数向きじゃないんだから・・・。bearing

今シーズンこれで終わりか・・・多分。

というようなことで、ブツクサ自問自答のスキーでした。

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50年をタイムスリップ

2008年3月5日

先日、昔やっていた山歩きの会の創立50周年の記念パーティーを開きました。

「山と渓谷社」から発行されていた「ハイカー」という雑誌の読者により、1957(昭和32年)12月に生まれた会です。

会名がユニークだったので話題性はあったようです。
いま、山渓から同名の待ち歩きの季刊誌が出ているようです。

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その当時、「マナスル」8163m初登頂成功やら、井上靖の「氷壁」のヒットやらもあって空前の登山、ハイキングブームが起こりました。

「三人寄れば山岳会」と揶揄されるくらい、アチコチで雨後のタケノコさながらに山の会が生まれていました。

私たちの会もそんなものの一つでした。

経歴も、年齢も、職業もマチマチ。
ただ山が好き、という一点だけでの集まりでしたが、みんな純粋で、キラキラ輝いていた気がします。

そこには、今は遠くなっている青春が確かにあったのです。

学校仲間とも、職場の交わりとも違うテイストがありましたね。

ここに会報の創刊号があります。
会の畏友が大切に保存していた貴重なものです。
半世紀を経たしろものですから、丁寧に扱わないとボロボロになってしまいそうです。

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自分が書いたものを読み返してみると、気負いやら、背伸びやら、いかにも青臭く、、未熟で、われながら冷や汗が出ます。

その後、私は、良くあるパターンですが、仕事、家庭でいつの間にか山からも、会からもフェードアウトしてしまいました。
会は後輩たちによりおよそ25年ほど継続していましたが、これも何時とは無しに自然休眠。

楽しい思い出ばかりの会でした。
どうしてもう少し気張って、続ける努力をしなかったのか・・・。

その後仲間の一人が開いた居酒屋を溜まり場にして、細々とした山抜きの交流は続いていました。

やがて、不完全燃焼で、種火らしいのが燻ぶっていた私だけが山歩きを再開し、愚かしさを引きずっています。

これを機にもう一度活動再開を、と目論んで”こっちの水は甘いぞ”と誘っているのですが、なかなか川を渡ってきてくれません。

これでここ何年か断続した「50年」という節目の行事は終わったかな。

いや、金婚式というのが残っているか
これを忘れたら同居人からどんな仕返しをされるか、考えただけで恐ろしくなります。

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オーヴェルニュへの憧れ

2008年2月29日

♪春は名のみの 風の寒さや~
この季節、必ず思い浮かべる場所があります。
未だ行ったことのない場所なのに・・・
フランスの「オーヴェルニュ地方」のことです

     いつか善い運を授けて下さるならば、神様、
    どうか 私にオーヴェルニュを見せてください。
         (中略)
    霧ににじんだバイレロの唄・・・
    ああ、日本はついに私の墳墓の地だが、
    心の山のふるさとは
    行けども 行けども常に碧い遠方にある!

この詩は<尾崎喜八>が、「高原 その五」という詩で、切ないほどに「オ-ヴェルニュ」への思慕をうたったものです。

「オーヴェルニュ地方」は、西の「ピレネー」、東の「アルプス」とに挟まれたフランスのほぼ中央にある高地。

01    02

特別な景勝地でもなければ、産業も盛んではなく、日本ではほとんど知られていないエリアです。

ミネラルウオーターの「ヴォルヴィック」の産地といえば、アアそうか、とうなづかれるかも・・・。

この地方の民謡を編纂した<ジョセフ・カントルーブ>の「オーヴェルニュの歌」という魅力的な歌集があります。
「バイレロ」はその中で一番良く知られている歌でしょう。

多くのソプラノ歌手がCDを出していますが、なんと言っても極めつけは<ネタニア ・ダヴラツ>のそれでしょう。

以前、NHKにシリーズでの「ヨーロッパ音楽紀行」という番組がありました。
名曲にのせて紹介される、欧州各地の優れた風光の映像が楽しめました。

その中に<ダヴラツ>が歌う「バイレロ」をBGMにした「オーヴェルニュ」もありました。
標高2千m前後の雪に覆われた山に囲まれた緑の牧草地。
そこに点在する古風な教会と民家。

ある意味ではヨーロッパの典型的な寒村の風景です。

これで私も喜八と同様に「オーヴェルニュ病」にかかってしまったのです。

「K2」を仰ぐ「バルトル氷河・コンコルド」。<ティルマン>が世界一美しいと称えた「花の谷・ランタン」。風の「パタゴニア」などなどとともに、何とか訪ねてみたい地の一つ。

これまで、実現した夢もありますが、大方は見果てぬままに終わってしまいそうです。

ただ、詩人がそれほどまでに思慕した「オーヴェルニュ」の現実は、坂本 徹(新日鉄エンジニア)という方が「アルプ・150号」に書かれた「オーヴェルニュと私」を読むと、必ずしも尾崎喜八が思い描いたようなパストラルな地方ではないようです。

やはり心の中の「碧い遠方」にある憧憬の地、と思っていたほうが良いのかな・・・。

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赤い糸で結ばれた2冊の本

2008年2月16日

先日、本探しで久しぶりに神保町の書店街に出掛けました。

目的の本は、お茶の水駅そばの「茗渓堂」で入手できます。

山の世界では著名な<野口冬人>さんの手になる「書斎のビバーク」という本です。
野口さんについは、短い間在籍していた「日本山書の会」の席で拝顔していました。

「書斎のビバーク」を入手してから、行けば立ち寄る何軒かの古書店をいつものようにハシゴ。

そして思いがけない宝物を掘り当てました。

長いこと考えられる手段を尽くし、それでも探しあぐね、ほとんど諦めていた超レアー本「西上州の岩山藪山」/二木久夫著を小宮山書店の棚で見つけたのです。

その瞬間は目を疑ったほどです。”ホンモノか?”

価格もリーズナブルなものでした。

Photo

Photo_2

そして、その時、確かにこの2冊の本を繋いでいる「赤い糸」の存在を感じたのです。

そもそも「西上州の岩山藪山」という本の存在を知ったのは、野口さんが「山書月報」でこの本を紹介していたからです。(「書斎のビバーク」にも再録されています)。

「西上州」というヒネクレた山域ついて書かれた本は、とりあえずのコレクションの対象にしているので、野口さんの紹介以来、飢餓状態に陥っていました。

なので、この久恋の本との邂逅は、野口さんが導いてくれたことのように思えました。

書物の収集家がよく”諦めずに探していれば、いつかは見つけられる”と言いますが、そうなんですね。確かに・・・。

とは言え、未だに見つけられない本が何冊かあることも事実なんです。

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さらばレガシー・ランカスター!

2008年2月8日

アレコレ思案の末に決めた新しい車の納車を受け、,スタッドレスを装着し、今日、初の遠乗りで山荘へ。

P2080653

これまで車の買い替えではその度にワクワク感があったのに、このたびはその高揚感がまるでありません。

ある段階までは、生活の拡大均衡が許容されていたのが、リタイアを機に縮小均衡に転じていることは自覚してはいるのですが、今度の入れ替えはその現実を鋭く突きつけてきました。

3ナンバーから、一気にH社のコンパクトカーへのダウンサイジング。 
あまりに可愛くなっちゃって、勝手の違いに戸惑っています。

化石燃料の急騰と、それに起因する諸物価の高騰。
どうもスタグフレーションの予感がする中で、年金生活者としては、ディフェンスを固めなければならない昨今です。
買い替えはその手段の一つ。

これまで足掛け8年乗っていたレガシーは、動力性能が高く、四駆とはいえ雪道にやたら強くて、ノーマルタイヤでもストレスなく走ってしまえるし、最低地上高があるので、林道などの悪路の走破性も高いし、ドライブフィーリングも良いしで、とても気に入っていました。

これまで乗った何台かの車の中では初めて10万kmを越えましたが、その気になればまだまだ走れます。

ただ、四駆ですから当然燃費は良くありません。

環境に対する配慮(やや負け惜しみ)と、懐を考慮すれば「燃費が良い」ことが車選びの何より優先する要素でした。

思い返せば、隠居生活に入ってから自分のライフスタイルに付き合い、雪道、泥んこ道、転石道、いろんな悪路を走り、酷使されたのに、何のトラブルもなく運んでくれたこの車には、限りない愛惜を込めて”ありがとう”を言います。

ディラーの営業マンもそんな心情を察してくれたのか、さよならする車との2ショットを写真にしてくれました。

新車は一人で乗る分には別に不足は無いし、ベストセラーカーになっているくらい、コストパフォーマンスに、勝れているようですが、これからのヘビーデューティ・ライフにどこまで耐えてくれるか。

今日の初乗りでもフィーリングは格段に落ちているのを感じざるを得ませんでした。

それでも、車の買い替えもこれが最後でしょうから、大事に乗りましょう。

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「シャクルトンに消された男たち」を読む

2008年1月25日

今朝(1月25日)日本人女性として初めて南極点に到達した登山家<続素美代>さんの話題で持ちきりです。

続さんは1998年チベット側から「エベレスト」の登頂に成功しています。

田部井淳子さん、難波康子さん(下山途中遭難死)に次いで、日本人女性三人目でした。

快挙ですね。
そこで「南極」の話題です。

世に探検、冒険の本は数々ありますが、感動的でスリリングなものといえば先ず「エンデュアランス号漂流」が挙げられるのではないでしょうか。
読み始めたら、ハラハラ、ドキドキの連続で、途中で止められません。

1996年8月カムチャツカ半島でヒグマに襲われ,不慮の死を遂げた写真家・星野道夫が83年、オーロラを撮影するため初めて過ごしたアラスカでの過酷な日々で、勇気づけられたこの一冊。

サー・アーネスト・シャクルトンが「南極大陸横断」という野心的で、かつ荒っぽい探検を試み「エンデュアランス号」を出帆させたのが1914年12月。

ところが大陸に接岸出来ないうちに「ウエッデル海」の氷海に閉ざされ漂流。
越冬した翌年の11月、遂に船は破壊し、28名が氷海に放り出された。
ここから命がけの脱出行が始まり、想像を絶する幾多の困難を克服して、遂に1946年 8月シャクルトンは、エレファント島に残した全員を救出した。

まさに小説に勝る奇跡の物語。

この全行程で隊長として沈着冷静な判断で、的確にリードしたシャクルトンは計画こそ失敗したももの、高い評価を得て、アムンセンやスコットをしのぐ存在となった。                                         

                                                 Photo

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ところで本題は標記の本。

これまであまり語られず、存在が知られていなかったのだが、シャクルトンの本隊を反対側から補給支援する「ロス海隊」というのがあった。

この支援隊10名は本隊と反対側の「ロス海」から上陸し、横断する本隊のために補給品を極点の近くまで運ぶというミッションを与えられていた。

1914年12月「オーロラ号」で出帆し「エバンス岬」に接岸上陸。
以降、シャクルトン本隊の挫折を知ることなく、2度の悲惨な越冬生活の中で、南緯83度を越える最先端の補給基地までほとんど人力で補給品を運んだ。

迎えの船が現れない焦燥の日々の間に3名の隊員が命を失う。

オーストラリアを出発して3年以上を経過した1917年1・10シャクルトンが乗ったオーロラ号がようやくエバンス岬に到着して、残る7名が救出された、というドキュメント。

この探検で全員を救出したとされる、シャクルトンの名声の影に隠れていたものにスポットが当った一篇です。

ただ「シャクルトンに消された男たち」というタイトルに違和感を覚えます。

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モナリザのモデルが確定?

2008年1月17日

このところマスコミのニュースになっているのが「モナリザ」のモデルを特定できる証拠が見つかった、と言うものです。

とは行っても劇的な発見というより、これまでに定説化していたフィレンツェの絹商人<フランチェスコ・デル・ジョコンド夫人<リザ・デル・ジョコンド>説を補強したもののようです。

まぁ、モデルが誰であっても、ヴィンチ村出身の<レオナルド>さんが遺してくれた、美術史上の頂点に君臨する、この名作には何の変わりも無いと思うのですが・・・。

「モナリザ」と言えば何より、あのあるかなしかの微笑らしき表情。

何かを語っているのかどうか、とにかく誰にも説明できない「謎の微笑」。

この謎の微笑みは「奈良・中宮寺」の「弥勒菩薩・半跏思惟像」および「スフィンクス」並び「世界三大アルカイックスマイル」とされています

「アルカイックスマイル」というのは紀元前750~480年ころの「ギリシャ・アルカイック朝」時代に製作された彫刻の多くに採られた、口元に僅かな笑みを湛えた表情を指すものだそうです。

「モナリザ」は日本で公開されたとき、その他大勢の野次馬の一人として、鑑賞らしきことをしました。

中宮寺の「半跏思惟像」は、かなり昔、斑鳩の里を一人で歩いて訪ねました。

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Photo

   

薄明かりに浮かぶこの「弥勒菩薩」の周りをシンとした静けさが包んでいました。
右手の中指を頬に当て、どんな思惟に耽っているのでしょうか?

スフィンクスの実物を見る機会は未だ巡ってきていません。

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川場スキー場にて

2008年1月15

今日は初滑りにホームゲレンデの「川場」に行く仕度をしていたのですが、ゲレンデの上部が雪雲に包まれていたので、山(吾嬬=かづま山。JR吾妻線沿線)に急旋回。

ですが「川場スキー場」の紹介をします。

雪山の楽しみ方もすっかり多様化しています。

スノボー、テレマーク、クロカン、そして昨今はやりのスノーシュー。

私は今のところスキーだけ。

それもここ数年は,一シーズン数日程度。

なので技量は現状維持がヤットで、とてもコブには突っ込めないレヴェルで留まっています。

初めは、この山荘を起点にすれば「苗場」「尾瀬岩鞍」「丸沼高原」など、ゲレンデはよりどりみどり・・・などと思っていたのですが、ホームゲレンデとして「川場スキー場」が定着してしまいました。

「川場スキー場」は深田・百名山の「上州武尊山」の南面にあります。

南面ですから雪質が変わりやすいのですが、標高が高いので、時にはパウダースノーが楽しめます。(とは言っても北海道のようにはいきませんが・・・)

山荘の北に面した窓から正面に川場のゲレンデが見えます。

晴天で風が無いことを確認して、ウエアーを身に着けて出かけます。

車で40分ほどで立体駐車場に入り、靴を履き替え、エレベーターで上がればそこがゲレンデへの出入り口。

この手軽さ、便利さにかまけてしまい、川場以外には行く気がしなくなっています。

滑るのは平日だけ。

リフト券は当然シニアの割引。

リフトはガラガラで、3時間ほど滑るともう足腰がクタクタ。

で、昼飯も食べずに終わりにして帰ります。

それにしても今や、ゲレンデはボーダーの天下。
スキーヤーは何時の間にやら、すっかり少数派になってしまい肩身が狭い・・・。

04年1月にゲレンデで撮った写真を何枚か。
展望が素晴らしいのです。

Photo 谷川岳 
   ~中央・右の黒いのが「衝立岩」などの「一の倉沢」の岩場

Photo_2 川場尾根越に見る「日光白根山」

Photo_3 浅間山

ご覧のように北関東の高山はもちろん、時には南ア、富士山まで見えるのです。

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レンブラントの「夜警」を観た!

2008年1月10日

高島屋・タイムズスクェアに「光と影の魔術師」と称されたオランダの画家<レンブラント・ファン・レインの大作にして最高傑作「夜警」が展示されている、という新聞記事に誘われ、見てきました。

確かに、1642年み誕生した、この人類の遺産とも言える名作が、いとも無造作に吹き抜けに展示されていました。

もちろん、本物のわけはありません。
本物は高さ3630cm、幅4370cmという巨大なもので、所蔵している「アムステルダム国立美術館」から持ち出すことが出来ないのですね。

現代のテクノロジーで精巧に復元されたものです。
「バナー」というらしいのですが、意味が分からん。                                                 Photo_4

「夜警」は正確には「フランシス・バニング・コック隊長の市警告団」という長たらしい名前の<集団肖像画>です。

この時代、記念撮影と同じように、集団で肖像画を描いてもらうことが流行したそうです。
画料は割り勘で。

描かれているのは34人で、そのうちお金を出しているのは16人。
描かれ方に明らかな違いがあるので、画料は均等割りではないのではないですかね。

レンブラント自身も書き込まれているのですが、それを探すのはとても難しい。
画面中央、左で描かれている人物の肩の間で、僅かに右目を覗かせているのがご本人だそうです。

中央で光を浴びている男二人は隊長と副隊長。

もう一人、夜警団とは似つかない少女。
モデルはレンブラントがこよなく愛した妻<サスキア>です。
姿こそ少女ですが、顔は良く見ると中年女性です。

ところで私は「夜警」を「夜景」と思い込んでいました。

ゴッホの「夜景」との混同でもありました。         Photo

近年の解析で昼間の室内での描写であることが解明されているそうです。

太陽の光が左上から室内に注いでいる、昼の出動の場面だそうです。

ですから「夜景」ではありえないのです。

1月31日まで12~13階の吹き抜けで見ることが出来ます。                                                                                      

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野鳥の哀れ

2007年12月27日

山荘の南に向いた窓辺で、パソコンと遊んでいると、突然、ガラス窓にガツンという衝撃音が鳴りました。

暫くしてもう一度同じ音。

その前から野鳥の「シメ」の群れが、窓の際まで枝を広げているモミジの梢の間を乱舞していました。

「シメ」(旨鳥)はスズメより一回り大きい冬の渡り鳥です。

雑木林がお好みで、いつもかなりな数の群れをなして、忙しく飛び回っています。

雪が地表を覆うと、地面のエサを漁れないせいなのか、ソソッカシイ旨鳥が、何かを狙って、透明な窓に衝突するのです。

またか、と思いながら外に出ると案の定、二羽のシメが横たわっていました。

衝撃で気絶するだけのこともあるので、家に入れ暖かくしたのですが、二羽とも回復しません。

  01                                   

    Pc240619           

   可哀そうなことをしました。                                      

                                                                        

                                

何か防止の手立ては無いものかと、100円ショップでこんなマークを買い、窓に貼ってみました。

  Pc250622                                 

                           Pc260623                                        

                                            

                                               

願わくばこのマークの意味が野鳥に読解され、二度と犠牲者(鳥)が出ませんように・・・。

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読んで、観た「ミッドナイトイーグル」

2007年12月24日

「映画は原作を超えられない」というのは昔っからの私の偏見。
もちろん「野菊のごとき君なりき」などのような若干の例外はありますが・・・。

その理由は、原作を読んでいる間、自由に描いたイメージに比べ、、それが映像になったときのあまりの落差に、ガッカリしてしまうことが多いからにほかなりません。

想像はいくらでも勝手にふくらませられますが、それを実際に映像にするには、多くの制約があるためで、これは映画にとって宿命的なハンディです。

この作品も、頑張ってはいますが、やはり壁は厚く、高いですね。

短い入院の間に原作を読み、退院の翌日、新宿ミラノ座へ。

  Photo                               

  Photo_2                                  

50年ぶりの(ということは1958年の「氷壁」以来ということか)本格的な山岳映画、という触れ込みなんですが、これも肩透かし。
山岳映画というより、「ホワイトアウト」の系譜のアクション映画のジャンルでしょう。

高名な登山家<小西浩文>さんが監修している、というわりには山中のシーンもリアリティがありません。

たとへば猛吹雪というシチュエーションなのに、ラッセルはスイスイ。

ゴーグルも目出帽も装着していないし、第一雪の乱舞もなく、迫真力が感じられません。

期待が大きかったため、少し辛口になってしまいましたが、それでも十分楽しめました。

特に総理大臣に扮した<藤 竜也>が良いですね、

こんなK・Y(空気が読める)J・Y(状況が読める)な首相だったら日本も「偽」が一年を象徴するような国にはならないだろうな、などとすっかりスライスした感想を抱いて帰路につきました。

そうそう、本題とは関係ありませんが、遅い昼食で寄った「麺屋武蔵」ですが、いつもの大行列がウソみたいで、並ばずに着席できました。

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「狭心症」にさようなら

2007年12月23日

6月に治療した狭心症。
その検査入院をし、良好な結果がえられたようです。

何かの参考になれば、との思いで経過を綴っておきます。

最初に症状を感じたのは06年4月のある山行。
緩い林道を歩き始めて程なく、胸の間締め付けられるような息苦しさを覚えました。
それまで経験したことのないものです。

それは10分ほどでスーッと消えました。
原因は判断できませんが、いずれにしても一過性の現象と、気にもしませんでした。

その後の山行では出なかったり、出たりでしたが、次第に常態化してきました。

07年2月「鳥(とん)の胸山」に登ったときには、もう無視できないほどの苦しさでした。
これはただ事ではない、と思いインターネットで調べてみました。

結果は秘かに予想していた通り「狭心症」(虚血性心疾患)の症状そのものでした。

紹介を受けた大病院での、お定まりらしい「心電図」~「トレッドミル負荷検査」などで、症状は確認され、部位の確定のため、5月に「心臓カテーテル検査」を行い、「環状動脈」の狭窄が確認されました。

犯人が特定された、というわけです。

Photo

6月にネット状の「ステント」というスプリングを狭窄した部位に植え込み、血管を拡張する処置をしました。
時間は2時間足らずでした。

ステントは以前に用いられていた「バルーン」による処置に比べると効果が高いのですが、10%くらいの割合で、ステントに血栓が付着し、再狭窄を起こす問題が残っています。

今回の検査入院は、その再狭窄が起こっていないかどうか、をカテーテルを入れて調べるためのものです。

結果は良好でした。

狭くなっていた動脈がステントできれいに拡張されています。
現に山歩きしていても、処置前のような不快な息苦しさは無くなり、効果を実感していました。

よしよし、この調子なら再びヒマラヤへ出かけられるぞ・・・なんて直ぐにその気になってしまうのが、いくつになっても直らない根粗忽性。

実は百%の安心ということは無いのですね。

再度,別の部分で狭窄が生じない、という保証は無いのです。

回避するためには、いわゆる生活習慣病」を招かないような、日常の節制が不可欠なのですね。

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一人落ち葉を焚く

2007年12月3日

時間が<カール・ルイス>(古いかな?)並みの早さで駆け抜け、はや師走。

山下景子さんの「美人の日本語」によると「師走」は江戸時代の当て字で、万葉の時代から「十二月」を「しはす」と読んでいたそうです。
「し」は仕事。
「はす」は「果つる」、成しおえる、という意味。

また12月の異称に「年満(としみつ)月」というのがあるそうで、なかなか味わい深い呼び方ですね。

さて今日は午後から雨になるようなので「山休み」の一日。
そこで山荘の庭を埋め尽くしている落ち葉を掻き集め、焚きました。

×××坪ほどの敷地に5~60本の落葉樹があります。

  山林に自由存す
  われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ
  鳴呼、山林に自由存す
  (以下略)

と詠んだ<国木田独歩>には及びもつかないですが、雑木林の中で生涯を終えたい、そんな思いで選んだ土地。
(今にしては浅慮だったと悔やむことしきり)

樹木の大方は前の持主が植えたものですが、モミジ、楓が主で、白樺、シャラ、ブナ、楢などが雑多に散らばっています。

根雪になる前の作業に欠かせないのがこの落ち葉の始末。

一部は腐葉土づくりに利用しますが、それではとても追いつきません。
そこで燃やす、ということになります。

「唐」の詩人<白居易>(白楽天)はこんなとき
   林間に酒を煖めて 紅葉を焼く
   石上に詩を題して 緑苔を掃ふ

などと優雅に詠います。
                    
しかしこちらにはそんな風情を味わったり、お燗をしたお酒を飲みながら、などというゆとりはありません。

                                                                                Pc030608

Pc030603

Pc030605

Pc030604

落ち葉は軽くて嵩張り、集めるのが一苦労。
続けているうちに腰が痛くなってしまいます。

山歩いているほうが楽なくらいです。

  

  ♪垣根の垣根の曲がり角
   焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き
   あたろうか あたろうよ
   北風ピープー 吹いてきた ♪

明日は寒気が吹き出すようで、この冬三度目の降雪になるのでしょうか?

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ガーン!またやったー! 落輪だー!

2007年11月26 日

恥を晒すことなので、ブログにアップするのには迷いがありました。

しかし、これまで散々生き恥を晒してきているのに、いまさら格好つけることもないし、こんなことでも誰かの、何かの役に立つかもしれない、そんな思いでレポします。

運転歴約40年で、5回目の落輪をしてしまいました。

原因は運転未熟、雪でスリップ、不注意など。

時は11月19日。
所は中央道「御坂I・C」から南下する「みさか道」。 国道137号バイパス。
「新十郎橋」の手前。

「御坂峠」へ向かう途中から、目的の「檜峰神社」の看板を見て右折。
ところがなにやら怪しげな道で、おかしいな、と思いながら進むと、狭い桃畑の作業道へ。

急勾配の坂道はボンネットで前が見えない。
とたんに、ガリガリという嫌な音とともに、右2輪が溝に落ちてしまいました。

こうなったらいくら4駆でもどうにもなりません。

普通ならパニックになるでしょうが、私は全然慌てません。 またか!
何しろ慣れています。 (自慢することか?)

JAFのカード、携帯電話、地図を持って国道に下りました。

幸い携帯は通じ、目標にこと欠かない地点なので、救助要請もスムーズ。
後は日向ぼっこをしながらJAFを待つだけ。

これが携帯が使えない林道の奥だったりしたら悲惨なことになりますが・・・。

何であんな道に入ってしまったのかチェック。
看板には、良く見ると小さく「この先20m」と記されています。
しかし、この表記ではトラックがガンガン飛ばしている「みさか道」では見落としてしまいます。

正しい右折の位置には「××作業所入口」の看板。
御坂峠からの下り方向からは大きな看板があります。
負け惜しみですが、これでは配慮に欠けた表示としか思えません。

やがて救援車が到着。20分ほどの作業で脱出。Pb190573

  Pb190575       

      Pb190576

                                                   

                                                   

                                                      

大幅に時間をロスしましたが「檜峰神社」を起点にしてトビス峠~大栃山1415m~神座山(じんざさん)1474m~釈迦ヶ岳1641m~神社、と予定通り、周回コースを歩きました。

大栃山は以前は「神座山」と呼ばれ、北の甲府盆地からはドッシリと目立っています。

現在の「神座山」から「釈迦ヶ岳」までの潅木の稜線は、御坂山塊らしい好ましい雰囲気です。

「釈迦ヶ岳」はこの辺り随一の展望台として知られていますが、今日は雲量が多くてダメでした。

山頂の2体の石像。 夫婦像だそうです。 

20年前に来たときは白いマフラーを巻いていましたが、今日は色の褪せた、赤いチャンチャンコを纏っています。

  Photo

        Photo_2                         

 

  Photo        

新ハイキング誌02・4月号掲載写真                  

                             

2枚の写真を並べてみて気がついたのですが、明らかに違いますね。
表情もそうですが、前のは互いにソッポを向いて、冷えた関係に見えるのですが、新しいのは寄り添っています。

何があったのか分かりませんが、良い関係に戻った方が置き換えたのでしょうか。

メデタシ、芽出度し。

         

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晩秋には[ハーモニカ]が似合う

2007年11月22日

高齢者、と一括りされる世代に、最初に触れた楽器は何かと問うたら「ハーモニカ」と答える人は多分一番多いのではないかと思います。

少なくとも私はそうでした。
「トンボハーモニカ」という製品で、いつのころか何本かが生家にありました。

数年前、そぞろ無垢だった少年のころを思い出され、懐かしさに駆られ手に入れました。
何と中国製です。やっぱり。

郷愁を帯びた音色は「秋」、それも「晩秋」が良く似合います。                                                           Pb020544 この音色に会う曲はなんと言っても「童謡・唱歌」でしょう。プロはアクロバティックな演奏で、クラシックなどハイレヴェルの音楽をこなしていますが、たどたどしくメロディーを拾うだけの身には、まだ穢れの無い心を持っていたころに愛唱した「童謡・唱歌」が一番です。

   静かな 静かな 里の秋    ~「里の秋」
   遠い山から 吹いてくる   ~野菊
   幾年ふるさときてみれば   ~「故郷の廃家」
   埴生の宿も わが宿   ~「埴生の宿」
   月の砂漠を はるばると   ~「月の砂漠」
   月なきみそらに きらめく光   ~「星の界」
   青い月夜の 浜辺には   ~「浜千鳥」
   森かげの 細い道     ~「ばあやたずねて」
   木枯らしとだえて 冴ゆる空より  ~ 「冬の星座」 ・・・・・・

ああー もう限が無い

いまは山荘のデッキで吹いているだけですが、こんどは、山に持って行き、誰もいなかったら鳴らしてみようかな・・・。

葉が落ちつくして、山道を歩けば、カサコソという音が、いっそう静けさを醸す冬が、すぐそこにきています。

「晩秋」 ~こんなとき人は何を思うのでしょうか?  

<ハイファイセット>が<赤い鳥>と<紙風船>に分かれ、その<紙風船>に「冬が来る前に」という曲があります。

  冬が 来る前に 
  もう一度 あの人に 巡り逢いたい

あなたにも、冬になる前に逢いたい人がいますか?

わたし・・・?
すっかり干からびた「風花爺さん」ですが、そんな人がいないわけでもないですが・・・。 

アハハ・・・柄にもありません。
何を言わせるのですか。   

今朝、一面に散り敷いた落ち葉を、薄っすらと雪が覆っていました。
昨夜は星が鮮やかに見えていたのですが、多分、深夜に風花が舞ったのでしょう。

もたもたしているうちに冬になってしまいました。    

                                                     

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晩秋の「霧ヶ峰」

2007年 11月2日

山歩きがお好きな方なら先刻承知の「霧ヶ峰・車山」の肩に建つ小さな山小屋「コロボックル・ヒュッテ」を訪ねました。
1963年以来です。

昨年、50周年を迎えた小屋は、伊勢湾台風での全壊などの苦難を経て、建て替えられ、小奇麗にはなりましたが、小ささでは相変わらず屈指の小屋です。

主の<手塚宗求>さんは「霧ヶ峰」を舞台にした、静観的なエッセイを数多く著しているエッセイストです。

串田孫一さんとの長い交流から「アルプ」誌上に作品を発表し、やがて常連の執筆者となりました。

著作は10冊を超え、私は一応全てを所蔵しているつもりです。

「山と高原」(1961・12)誌上で読んだ<串田孫一>さんとの「冬の往復書簡・また、あの風の音を」を読んで以来の愛読者。

かねてオフシーズンを選んで一度お訪ねし、親しくお話を伺えたら、と考えていました。

そんな折、「山と渓谷」11月号で、かつて遭難時の救出活動のため、手塚さんが便宜的に命名した山名が、長い年月を経て認知度が高まり、このほど<地名固定のための標柱>が設置されたことを知り、これを機会にしたというわけです。

情熱だけで「山小屋」を造った若き日の凛々しい青年には、当然ながら長年にわたる「霧ヶ峰」の風雪が刻まれていますが、穏やかで、静謐な人柄には磨きがかかっているのではないでしょうか。

この小屋の象徴だった「ランプ」、も20年前から電気に。
それでも八分芯のランプは大切に保存されているようです。

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一夜の懇談の翌日、真新しい「山彦谷南の耳」「山彦谷北の耳」そして「ゼブラ山」の標柱を巡って、晩秋の、渋い「霧ヶ峰」を歩きました。

Pb010540

久しく忘れていた<ワンダリング>の楽しさを思い出した「スコットランド風」の丘陵歩きでした。

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小谷温泉と郷愁の詩人・田中冬二

2007年10月26 日

越後の名山「守門岳」1537m、小谷の「大渚山」1566m、「雨飾山」(深田・百名山)などを歩き、日本の秋を堪能しています。

日本の秋山の美しさはおそらく世界に冠たるものでしょう。(世界中を歩いているわけではありませんが・・・)。

これを演出しているのはもちろん色鮮やかな、もみじ、楓、櫨、ナナカマド、コマユミ、ドウダンなどでしょうが、私は「ブナ」の存在が大きいと思います。

色づかいは茶褐色あるいは黄色で地味ですが、白い木肌とともに、紅葉に深みを与える存在として欠かせないものがあると思います。

 Photo           Photo                              

                              3  そのブナが彩る「笹ヶ峰」から「小谷」へ抜けるガタガタ道を走り「小谷温泉・山田旅館」一夜をおくりました。

450年というとんでもなく長い歴史を誇るこの湯宿は、山峡の名湯として古くから知られ、多くの文人墨客が杖を引いています。

国の登録有形文化財の指定を受けている本館などは今でも昔の佇まいを残して、登山者の人気を集めています。

本館は三階建て。
床はギシギシ鳴り、畳は不陸状態にあり、3階の部屋は伸ばすと手が届くというように、およそ現代風とはほど遠いのですが、なんとなく落ち着けるのが不思議です。

もちろん素朴な浴槽に溢れる掛け流しの温泉は、名湯の名に恥じません。

この宿を巡るいろいろな挿話の一つに、深田久弥のお忍びの旅があります。

彼の出世作とされる「津軽の野づら」の真の作者<北畠八穂>と暮らしているさなか、偶然、一高時代の初恋の人<木庭志げ子>と再会し、一気に熱くなってしまいます。

それからほどない二人の密やかな「雨飾山」を目指した「小谷温泉」への旅。
長雨のため2度目の「雨飾山」登山を断念した久弥は、糸魚川へ向かうバスの中で、遠ざかる山を遠望しながらこう詠いました。

     左の耳は 僕の耳
     右は はしけやし 君の耳
          

         はしけやし=愛しけやし・・・いとおしい、という意味の古語

「雨飾山」は大糸線「根知」の方角からは双耳峰に見えるのですね。

部屋に置いてあった宿の歴史を綴った「小谷温泉賛歌」を拾い読みしていたら、<田中冬二>の詩碑があることが記されていました。

エーッと思いながら、庭に出たら、確かにそれはありました。
昭和3年に訪れた時のものだそうです。

 Pa230497         

               ごろりごろりごろり     Pa260532           
       石臼に夜があける                     
       豆腐が山のつめたい水に                 
       ざぶんざぶんととびこむ                     

<田中冬二>(1894~1980)は詩情豊かな作品をたくさん生み、山の詩人の一人でもあり、「アルプ」にも数々の作品を発表しています。

私が一番好きな作品。

 「美しき夕暮」

      山は美しい夕焼

     女はナプキンをたたんでゐる
     椅子にかけた その女は膝を組み重ねる
     すると腿のあたりが はつきりと燃え上がるやうだ

             (中略)

     山は美しい夕焼
     女はナプキンに 美しい夕焼をたたんでゐる

どうですか、この品格あるエロティシズム。

そして最後のフレーズ。
なんという名人芸。
何度読んでも、その度に”うまい”と唸ってしまいます。
これぞ「詩」の神髄。
「詩」のエスプリの手本。

単なる文章を、短く区切って、行替えしているだけで、およそ「詩」とは似て非なるしろものを、臆面も無く「詩」などと得意がっているやから(自分のことです)はこれを読んで恥ずかしいと思はなければなりませんね。

                                                     

                                                     

                                                      

                                                     

                                                      

                                                    

                                                     

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もう一度「有楽町で逢いましょう」+アルファ

2007年10月16日

昔の会社の仲間との銀座での飲み会。
帰路、有楽町駅前が変わったというので、行ってみました。

ライトアップされたそこは私には見慣れぬ、異次元世界と思えるくらいの変貌を見せていました。

デビューしたのは「MARUI]と飲食の「ITOCIA イトシア」

ガード下を抜けていた道路も塞がれ、立派な広場に変わっています。

朝日新聞、日劇、交通会館に囲まれた、その一角だけが雑多な店が犇めき合い、半世紀以上も経つのに「戦後」が残っていました。

長いこと再開発が取り沙汰されていたのですが、底地、借地権、借家権、転借権などが重層的に入り組んでいて、それを解すのが一筋縄でいかない荒事。

それが何とかなったんでしょうね。
この界隈では最後の再開発が実現したようです。

Pa130454 Pa130455 Pa130457

  

 

 

   心に沁みる 雨の唄
  駅のホームも 濡れたろう
  ああ小窓にけむる デパ^トーよ
   (「有楽町で逢いましょう」第2節)

と「低音の魅力」フランク永井が甘く歌ったのが昭和33年。
有楽町駅前に華々しく開店した「そごうパート」とのタイアップソングでした。

それが今は「ビックカメラ」です。

生まれるものがあれば、時間のかなたに消えていくものもあります。
有為転変。 諸行無常は世の倣い、ですか。

銀座の東の端にあった勤務先へ有楽町駅から通勤したのが私のサラリマン生活の第一歩でした。

石原裕次郎の映画を見て、スッカリその気になって、短い足をガニ股にし、肩を揺らして徘徊したのもこの辺り。
貧しかった。それでも若さだけは無駄遣いするほどありました。

目の前の「プランタン銀座」は大々的にリニューアルして迎撃態勢。

老舗とブランドショップが鎬を削る「銀座」は今、群雄割拠の「戦国時代」ですね。

場面は何の脈絡もなく、華の銀座から、花の無い「尾瀬」へ転換します。

野暮用につぶされない、つまり山に行ける日に限って天気が悪い、そんなめぐり合わせの悪さは、何か忘れ物をしたような落ち着きがなく、これは明らかに禁断症状です。

で、雨は降りそうに無いので今日(15日)富士見峠から「アヤメ平」を歩いてみました。

7日「笠ヶ岳」を歩いた時より紅葉は進んでいましたが、それでも盛りにはもう少し日にちがかかりそうです。                                               

                                                                                             1 Photo Photo_2

「アヤメ平」は昭和30年代のハイカーによる無秩序な乱入で裸地化し、泥濘となり、凄まじい荒廃をしました。

昭和41年からの東電を中心にした「ミタケスゲ」や「ヌマガヤ」などの種まきに始まる半世紀近い地道な復元作業の成果で、草モミジを見ることが出来るようになりました。

自然が壊れるのは一瞬。
これを戻すためには途方も無い努力と、長い時間と、たくさんのお金がかかるのです。

東電の無償の行為に感謝。

                                           

                                          

                                           

                                            

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嫌なことば「生きざま」に同感

 2007年8月21日

8月15日「読売新聞」朝刊のコラムで、詩人・中桐雅夫さんの作品「嫌なことば」を紹介していました。

中桐さんのことは初めて知り、さっそく詩集・「会社の人事」(詩集らしくないタイトル)を入手し「嫌なことば」全文を読みました。

その最初の4行です。

          何という嫌なことばだ、「生きざま」とは、
         言い出した奴の息の根をとめてやりたい、
         知らないのか、これは「ひどい死にざま」という風に、
         悪い意味にしか使わないのだ、ざまあ見ろ!

これを読んで長い間、私一人の胸につかえていたものが「腑」に落ちた気がしました。

こんにちでは何の疑念も持たれず、当たり前のように使われている「○○さんの生きざまに生きる勇気をもらいました」とか「××の生きざまに学べ!」などの言い方には、いつのころからか、激しい違和感、もっと言えば嫌悪感を持っていました。

この詩のとおり「ザマ」というのは「ざまをみろ」とか「あのザマはなんだ」とか決して褒め言葉ではありません。

古い記憶で、誰が書いていたのが思い出せませんが「死にざま」はあるが「生きざま」はない。
それを言うなら「生き方」だろう、と指摘していましたが、その通りだろうと思っていました。

それ以来、久しぶりにポンと同意の手を打つ文章に出会った、というしだいです。

ところでいつごろからこんな言い方がされるようになったのでしょうか?

昭和30年代の小説で読んだ記憶があるので随分以前からの現象でしょう。

中桐さんの詩は昭和50年前後の作品ですが、すでにこのころには詩人が怒りをこめて書いたように、目に余る使い方がされていたのでしょう。

誤用と思ったのですが「広辞苑」にも載っているので、少なくても今では間違った表現とはいえないようです。

「広辞苑」にしても定着した誤用は追認するようですから・・・。

しかし加齢現象で、依怙地になるばかりの「風花爺さん」は死ぬまで使いません。

「ザマァ見ろ!

・・・などと「ゴマメの歯軋り」しても、空しい。

今日もどこかでこの「嫌なことば」は大手を振って歩いているでしょう。          

     

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アルプ 特集串田孫一

2007年7月13日

串田さんの訃報を知ったのは05年7月11日 「白山」登山の帰途、小松空港から乗った機内で読んだ夕刊の記事でした。
逝去されたのは7月8日。89歳でした。

山歩きを始めたのとほぼ同じ頃に「河出書房」から出版された「若き日の山」を手にして、いっぺんに串田ファンになってしまいました。
戦後の山の名著第一号とも思える本です。

その本の巻末にいくつかの山の歌が紹介されていたのですが、とりわ「Grinder Warder Lied 」が好きになり、串田さんがどこかの山で夢中になって歌った、というひそみに倣い、一人の秋の「甲斐駒」頂上で歌ったものです。  

以来、串田エピゴーネンの一人になり、その頃やっていた山歩きの会の「会報」や、山の雑誌への投稿などで、串田気取りの下手な文を書いたりしました。

その後何年かして山と疎遠になりましたが、傾倒には変わりなく、次々に出される著書も入手しました。それでも300冊を超えるという著書の半分に届いているかどうか、ですが。

串田さんの足跡でなんといっても光彩を放つのが25年にわたる山の文芸誌「アルプ」でしょう。編集の中心として、また主筆として。
広告も、ガイドもない異色の雑誌「アルプ」が300号も続いたのは、偏に串田さんの力だ、ということは誰にも異存はないでしょう。

その過程で「尾崎喜八」や「辻まこと」の追悼号を出しているのですが、ご自身の逝去の時には「アルプ」はもう存在していませんでした。

当然出されるべき本格的な「追悼号」が、ようやく串田さん逝去後2年にして、それをまとめるのにふさわしい方々によって刊行されました。(創文社ではなく、山と渓谷社から出版されたのが不思議ですが)。

題して「アルプ 0号 特集 串田孫一」

出版のことは「霧ケ峰」のあるヒュッテの主や、「北のアルプ美術館」館長から聞いていいたのですが、文化とは縁遠い山里から帰京して、今日、紀ノ国屋で入手しました。

一瞬、あのなつかしい「アルプ」が復刊された、かと錯覚するような装丁です。ゆっくり読んでみるつもりです。

P7130250_1                                P7130254                     

                                           

                  

いま、元気な中高年の山歩きが盛んです。
その中でどれだけの人が串田さんの書いたものを読んでいるんでしょうか?
どれだけの人が串田孫一さんのことを知っているのでしょうか?                           

                                 

                                      

                                       

                                  

 

  
                                                     
                                                    
                                                     
                                                  
                                                    
                                                     

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梅雨時の雑読三昧

2007年7月11日

子供のころから本の虫で、未だに読書は生活の一部。秋より今の時期の方が読めます。

自分の部屋は愚か、机すらない質素な昔の暮らし。読書スタイルは寝そべってが普通でした。そんな原体験から、今でも著者には申しわけない仕儀ですが、ソファーやベッドで行儀悪く読むのが合っています。
BGMには「Enyaエンヤ」などがいいですね。

また飽きやすいので、何冊かの本を並行して読みます。(意外にこのタイプも多いようです)。なので読みたい本を数冊手の届く範囲に置いておきます。

とにかくひたすら雑読、濫読。方向性もポリシーもありません。そのとき読みたいと思ったものを開きます。そのため目に付いた本はとりあえず買っておきますが、読むスピードが遅いために、「積読量」が増えるばかり。

1、バッテリー / あさの あつこ
  評判のベストセラーのようです。私には中学生がこんなややこしい思考回路をもってい
  るのかとか、ストーリーが同じところをグルグル回っていて、なかなか前に進まないの
  で冗長に思えた。少年小説には読後、一陣の風が胸の中を吹き抜けるような爽や
  やかさを感じたいのだが、「翼よいつまでも/川上健一」の感動は得られなかった。 

2、気ままなプリマドンナ / バーバラ・ポール
  20世紀初めのメトロポリタン歌劇場が舞台。ストーリーは他愛のないミステリーだが、
  名指揮者のトスカニーニ、スーパーテナーのカルーソー、美貌のソプラノ・ジェラルディ
  ン・ファーラーなどが実名で登場するのが楽しい。
  因みにこの本は「アマゾン」のマーケットで1円で買った。ただし送料が340円。

3、東京タワー / リリー・フランキー 
  淡々と語られる母と子の奇跡的な交感。心に染み入る物語。
  1958年12月23日にオープンした「東京タワー」 いろいろなジャンルの舞台になっ
  た。
  2011年に供用開始とされる「第二東京タワー」にやがてその席を譲るのだろうか。

4、行きずりの街/ 志水 辰夫
  「飢えて狼」「裂けて海峡」「背いて故郷」などなど、一時期「志水節」に耽溺した。
  独特の体言止め。ハードボイルドにして浪花節。
  久しぶりの志水節。ホント上手い。会話がうまい。文章がうまい。心の襞を憎いくらい
  きめ細かに表現してくれる。

5、ウルトラ・ダラー / 手嶋 龍一
  これもベストセラーもの。北朝鮮による日本人の拉致が、東アジアの安全保障に重大
  な影響を及ぼす導火線、というプロットはさすがに著名なジャーナリストならではのもの
  。しかし人物造形が類型的なことや、文章表現が生硬なことなどは、作家としての錬度
  がまだ低いので、やむを得まい。今後の期待、ということか。                                                        

                                                     6、鎮魂のカラコルム / 石川 信義
  相変わらず山の本は良く出版されるが、往時のような名著にはなかなか出会えない。
  そんな中で、著者が私の高校の大先輩(面識はない)ということ抜きにして、お勧めの
  一冊。
  ヒマラヤ西端の大山塊、カラコルム山脈にある「キンヤンキッシュ」7852mに39年
  前に挑み、その際失った隊員への鎮魂の旅。
  何より74歳という高齢の著者をサポートする寺沢玲子さんという同行者が素敵。   P6300228

                                   

                                               

                                      

  

7、葉桜の季節に君を想うということ / 歌野晶午
  3年ほど前「このミス~」など各賞の1,2位を占めた本格ミステリー。読んでいて誰かの
  作品の雰囲気に似ているなーと。そう「宮部ワールド」、宮部みゆきの 諸作品と同質                                 
  のものを感じる。
  天童荒太などと同様にあまり好きになれないのだが、それはこちらの感性が貧しいせ
  い。何しろ「鈍感力」から「力」が抜けているのだから。

8、四度目のエベレスト / 村口徳行
  村口さんの奮闘振りもさることながら、私には65才にしてローツェ8516mに同行登
  頂した渡邉玉枝さんが素晴らしく思える。渡邉さんは63歳でエベレストに登り、女性の
  最高齢サミッターとして周知されている。
  
  田部井淳子さん、今井通子さんのような著名な登山家ではなく、普通の山好きが50才
  台からヒマラヤ8千mを目指し、ついにローツェ登頂時点で世界で5人目の8千m峰
  5座の登頂者になった 。
  渡辺さんご自身でのローツェ登頂記録を発表されているのを見たことがない(著書に
  は「63歳のエヴェレスト」がある)ので、この本で垣間知ることができた。

                                                                               

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「北のアルプ美術館」を訪ねて

2007年7月2日,足休みを利用して北海道へ3泊4日の小さなドライブの旅をしてきました。

今回の一番の目的は、知床半島の付け根「斜里町」にある「北のアルプ美術館を訪ねることです。6年前にも直ぐ近くを通っているのですが、そのときは「知床五湖」へ急ぐため、時間が無くて寄れなかったのです。今度こそついでではなく、キチンと訪ねたい、と。

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どんな美術館なんでしょうか?
2~30年以上前に登山をしていた方ならアルプという山の文芸誌があったことをご存知と思います。1958年3月に創刊し、25年後の1983年2月、300号をもって惜しまれながら終刊しました。

山の雑誌といえば今でも健在な「山と渓谷」「岳人」などのほか「山と高原」「ハイカー」などがありましたが、「アルプ」はこれらの類誌とは全く異なる誌面創りをしていました。

尾崎喜八、深田久弥、山口耀久など常連の書き手のほか多彩な登山家、詩人、画家たちが高踏的な作品で小さな芸術世界を生んでいたものです。

その中心が串田孫一でした。それまでも多くの著作を発表していて、東京外大の教授にして哲学者というより、思索的な登山家としてよく知られていましたが、「アルプ」によりいっそう傾倒者を増やしたようです。

独特の文体で、多くの串田ファン、串田エピゴーネンを生み、「クシマコス・エピゴネウム」という言葉を生んだほどです。白状しますが、私もその一人でした。

この美術館は20歳のとき「アルプ」の創刊で衝撃的な出会いをした「斜里町」の人「山崎 猛」さんが、アルプの遺したものを後世に伝えたいという一途な思いから、私財を投じて1992年6月に開館したものです。(詳しくは山渓6月号に)

休館日なのに快く開館に応じていただき、あの静謐だった「アルプ」の雰囲気が見事に再現されている館内を見学し、山崎館長ご夫妻とお話でき、念願かない、忘れられない一刻を過ごしました。

現在、串田さんの書斎を移設して、5年後に再現したものをオープンする計画が進行中だそうです。 そうなるとまた来なくては・・・。

旅は「釧路」の「和尚市場」で「勝手丼ぶり」を食べることから始めました。釧路湿原、阿寒湖、摩周湖は霧の中。

3日目の「層雲峡」ではロープウエイとリフトを乗り継いで「黒岳」1984mを目指したのですが、残雪が多く、ビブラムソールとはいえ、タウンシューズでは雪が靴の中へ入ってしまうので、早々に断念。 エゾコザクラ、エゾツガザクラ、エゾムラサキツツジに会えたのが収穫。             

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「層雲峡」といえばたいていの人が一度は訪れたことがある観光地ですが、ここの売り物「銀河の滝」と「流星の滝」を、足元から見られるビュウポイントを知る人は多くないのではないでしょうか。「石狩川」の右岸の急坂を15分ほど上った「双瀑台」がそれです。

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初めて「然別湖」に寄りました。また気球に乗り高所恐怖を味わい、「パークゴルフ」なるものを発祥の地で初体験。誰でも簡単に楽しめるとは言え、それだけゴルフに比べると(比較すること自体がナンセンスか)単純すぎ、直ぐに飽きてしまいそうです。

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池田の「ワイン城」では前回堪能したステーキではなく、シチューを中心に選びましたが、これは失敗でした。

豊頃町で「日立」のコマーシャル「この木なんの木、気になる木で・・・」でおなじみの「ハルニレの木」に会い、旅は終わりました。

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北海道のドライブは道が広くて、直線が多く、車が圧倒的に少ないので内地と異なり、チッチャなレンタカーでも実に快適です。

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庭の花二題

2007年6月14 日

梅雨入り直前の晴天。
わが草庵の庭に咲いた花を二つ紹介します。

これは「ヤマボウシ」 山に自生する「ミズキ科」の木で、ハナミズキの仲間です。
ここは寒さのせいで大好きな「アメリカハナミズキ」がどうしても生育できません。
その身代わりです。今年は初めてたくさん花を着けました。
図鑑を見ると白花ですが、これにはご覧のように色が着いています。
秋には赤い実を付け、それは食べられます。

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こちらは「ムシトリナデシコ」だそうで、多分帰化植物だと思います。
名前は、2001年6月、46年の会社員生活に終止符を打ち、最初にした小さな旅先の「花パーク・フィオーレ小淵沢」で教えてもらいました。

この時期いたるところで群生し、なかなか見事です。
結実するとケシ粒ほどの実を無数につけ、これが散って群落を形成するようです。

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ハマナス咲いた

2007年5月28日

初夏の明るい日差しを受けてハマナスが開きました。
そよ風に甘い香りものっています。この香り大好きです。

7月、北海道の海岸線を彩る「原生花園」 その主役はハマナスでしょう。

この山荘では流氷が解けたオホーツク沿岸の潮騒を聞くことはできませんが、啄木の歌とともに、もう何年も訪れていないハマナスが咲き乱れる北の浜辺を思い返すことはできます。
     

     潮かをる 北の浜辺の 砂山の
               かの浜薔薇よ 今年も咲けるや

2001年、46年の会社員生活を終え、最初にしたことが北海道のドライブの旅。その折、「小清水原生花園」の売店で、割箸くらいの太さのハマナスの苗を買いました。

庭に植えると、花の姿からは想像できないくらいの繁殖力で、たちまち草叢状に繁茂し、おまけに地中茎を伸ばし、とんでもない場所から芽をだすのです。

そんな生命力で、合わせて植えつけた他のハマナス園芸種を圧倒して、君臨しています。

もう三年北海道を訪れていません。行きたいな。何しろビールうまい。「純連」の味噌ラーメンは本物。魚が旨い。ハッカク、ソイなど北海道ならではの味。想像するだけで生唾ゴックン。

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わたしはヒメサユリです。

2007年5月27日

彼女はタカラジェンヌではありません。

7月に雪解けを待って、東北地方南部の山に咲く可憐なユリです。
花の色も上品ですが、良い香りもあります。

風花爺さんはまだ本物に出会えていません。
「加賀白山」でソックリさんを見て「ヒメサユリ」さんだ、と思わずハシャイデしまったのですが、それは「ササユリです」と、花にやたら詳しい同行の人から水をさされてしまいました。

今シーズンこそ「浅草岳」か「守門岳」でご本人に出会いたいと、熱望しています。

この写真は、わが山荘に咲く一株の「ヒメサユリ」です。
昨年どこかで買ったものですが、一年分成長した乙女振りを見せてくれました。

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サザンテラスに長蛇の列

2007年5月15日

新宿駅南口、ご存知サザンテラスに,いつのころからのことなのか、途方もない行列が現れていました。いったいこれは何だ!

様子を見ていると、誰かが”基本的にはミスタードナツと同じだね”と言うのを聞いて、どうやらドーナツを売っているらしいことが分かりました。

行列はこれを買う人たちだったのです。午前のことですが看板に「1時間10分待ち」と書かれていました。

有名店なんでしょうが、半分田舎っぺで、アナログ世代の爺さんには新鮮な驚きがありました。

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狭心症などには負けられない

2007年5月12 日

登山でエージシュートをするなどと格好つけたのにとんだ邪魔が入りました。狭心症です。

一年ほど前から山歩きを始めると、程なく、今まで経験したことのない胸間が締め付けられるような不快感が出るようになりました。これが10分ほど続き、やがては何事もなかったように収まります。

当初は稀にしか症状は出なかったのですが、今年になってからはその度になりました。

気になったのでネットで調べたら「狭心症」の症状にピッタリです。

病院での何度かの診察やトレッドミル検査を行い、最終的なカテーテル検査で冠動脈の狭窄が確認され、治療が必要になりました。検査中はモニターに映る自分の心臓の規則正しいリズムや、模型どおりの冠動脈の動きなど、ひとごとのように見ていました。

「ステント」なる、バネのようなものを動脈が細くなっている部位に植え込む治療をして、それが安定するまでは烈しい運動はいけないようです。

というようなわけで当分表向きにはおとなしくしていなければなりません。いよいよ本格的な登山シーズンを迎える、という矢先のこれですから本心は悔しいです。

ここまで順調なペースで来たのに急ブレーキがかかってしまいまい、潤沢な時間が残っていない年齢なだけに、焦りもします。

でもこれもめぐり合わせ。狭心症と付き合いながら、ヒマラヤ・アイランドピーク6160mに登った人や、何年も登山を続けている人の例などあります。

こうした人からの勇気のおすそ分けにあずかりながら、風花爺さんも、何とかエージシュートの目標をおろさずに、一息ついて再起をはかりましょう。

それにしても心臓は凄い。偉い。胎児の時にエンジンを始動してからこのかた、不眠不休、瞬時も休まず(休んだら一大事)働き続けているのです。文句一つ言いません。

人間の体とは実に良く出来た有機体で、どのパーツをとっても無駄なものはありません。でも心臓以外のパーツは時には休息を取れることもあります。

心臓だけは黙々と働き続けているのです。神様、仏様、そして心臓様。

私たちに出来るせめてもの心臓への恩返しは、心臓が嫌がること~喫煙、深酒、不摂生などを止めることかもしれません。

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初めまして

2007年4月19日

 昔むかし紀貫之さんは女性を装い「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」として「土佐日記」をあらわしました。

 貫之さんがいま生きていたら「人がすなるブログといふものをわれもすなり」などというでしょうか。そんな埒もないことを思いながらのブログデビューです。

 ウン年前に自由の身になってから始まった、東京と群馬・赤城山麓の山里との行ったり来たりの暮らし。なので2住生活。

 東京は魅力のある都市です。大きな本屋、たいていのCDは見つけられる楽器店。何よりも世界中のおいしい料理が揃っている。でも「東京にはほんとうの空がない」のも事実。

新宿駅のコンコースの雑踏で危うく人にブッツカリそうになって、怖い顔で睨まれるのもあまり嬉しくない。

 山里にはそんな不愉快なことはない。ブッツカルにもなんにも人がほとんど居ない。一日誰とも言葉を交わさない、なんてことも珍しくない。(そんなとこでは一日だって生きていられない、なんて人も多いでしょうが・・・)。 聞こえてくるのは野鳥の囀りだけ・・・なんて書くとチト綺麗過ぎますが。

 そんな立ち位置にいる昭和一桁のありふれた日常のあれこれを綴ってみます。

 山荘では冬になると、時に烈しい季節風に乗り、陽が射しているのに小雪が舞います。地上に舞い降りればたちまち消えてしまいます。一瞬の儚い幻想。「風花」です。

 枯れ木に花を咲かせた「花咲爺さん」のようには世のお役に立つことは出来ませんが、せめて「風花」くらいにはチラチラお目に留まりたいと・・・。で「風花爺さん」というわけです。

 ゴルフ場はよりどりみどり。スキーゲレンデもあちこちにいっぱい。ガーデニング、野菜作りあれこれ欲張っていたのですが、いまは山歩きが中心
 このとりとめない断片も、当面は山歩きの記事が多くなると思います。

 今やブログ人口は、昨年3月の調査データーで868万人。更新される記事は一日で50~70万。そんな状況で新規参入したところで、太平洋に目薬を一滴たらすようなもので、心細い限りです。

お目に止まればラッキー、ということでしょうか。

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