日記・コラム・つぶやき

年の瀬のパソコンエレジー

2009年12月25日

いよいよパソコンを入れ替えなければならないところへ追い込まれてきました。

山荘で使っているデスクトップが使えなくなるためです。
それもパソコンが壊れた、ということではなく、プリンターの命脈が間もなく尽きるためです。

プリンターから「廃インクタンクがいっぱいになりかけています」というメッセージがでました。
新宿にあるメーカーのサービスセンターに持ち込んで部品の交換をしようとしたら「部品は今年の4月で製造中止し、在庫も無い。買い換えていただくしか方法はありません」という、まこと冷たい返事でした。

新規に購入する予定のプリンターは今のパソコンには対応しない、ということです。
パソコンのOSが「Windows Me」という、今や、古代の遺物みたいな代物のため、OSがその後4代目になる「7」の時代、プリンターがそんな過去に戻れないのですね。

つまり、プリンターが使えなくなってしまったため、パソコンまで買わないとならない、ということで、釈然としないものが残っています。

脇役を変えるのに主役まで変えなければならない・・・?
そんなバカな・・・。

パソコンの世界というものはそういうものなのですね。
1年が10年くらいに相当する変化を生む・・・・それがこの世界なのです。

会社に在籍していたときはパソコンは机の上の飾り物に過ぎず、それが無くても何の不都合もありませんでした。

あゝそれなのに・・・・
何の因果か今はそれ無しには一日が成立しないくらいになってしまいました。

まぁ、パソコンそのものの入れ替えもそろそろ、と考えていたところなので、思い切りはつけられます。

憂鬱なのは新しいパソコンにいろいろなことの設定をやり直さなくてはならないことです。

ISDNのターミナルから始まって、インターネット、メールの設定に至る一連の作業。
~新しいパソコンにこれらが対応できるのか?

データの引越しはカタログにうたってあるほど簡単に出来るのか?

次から次へとややこしくも、高いハードルが待ち受けています。
それらのハードルを越えるため、試行錯誤を繰り返し、そのたびに頭の中がグチャグチャになり、やっと一つクリアーできたときはもうヘトヘト。

これまで何度か経験した恐ろしいことが待ち構えているかと思うと、この年末鬱陶しいことです。

メーカーさん
車の入れ替え程度に簡単に出来ないものでしょうか?

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「風の伯爵夫人」に逢いたい

2009年12月14日

お天気のニュースキャスターとして活躍された倉嶋 厚さんの近著「日本の空をみつめて」を読んでいてとても懐かしい言葉に再会しました。

それは「風の伯爵夫人」(コンテッサ・デル・ヴェント)。

私が雲の呼び名としてこんな典雅な言葉があることを最初に知ったのは,、半世紀以上も前に耽読していた串田孫一さんの本『若き日の山』でです。

以来、どうしてこのような呼び名があるのかを知らないままに過ごしていましたが、倉嶋さんの本でそれが分かりました。

イタリアのシシリー島に聳える「エトナ山」3350mで発生する「吊し雲」を「風の伯爵夫人」と呼ぶのだそうです。

富士山のような独立峰に発生しやすいようですが、山を越えた気流が風下側で大きく上下して、幾つかの定常波だ出来、その波頭に出来る雲が「吊し雲」です。

自分で撮影したものではありませんが、写真のようにとても美しい形状をしています。

Photo        Photo_2                                 

                                                

                                                    

そういえばこのごろ空をしみじみ見上げることがなくなっていることに気づきました。
田舎暮らしや山歩きで空を見る機会は多くなっているはずなのに・・・・

そもそも今の山歩きがウスッペラです。
内心軽蔑している「ピークハンター」に自らが堕落しているのです。

昔の方がズッと中身の濃い山歩きをしていたなー・・・

観天望気のためもあって雲の動きには敏感だった・・・
星空の観察も熱心だった。
だから星座もたいていは覚えた。・・・なのに今は・・・

もう一度、干からびかかっている感性に水気をとり戻さなくては・・・

手始めに「雲」のことを勉強してみよう。

そしていつか、どこかで「風の伯爵夫人」にお逢いしたいものです。

  くものある日
  くもは かなしい

  くものない日
  そらは さびしい

         八木 重吉

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カレッタ汐留のイルミネーション

2009年12月8日

一昨日は「第九」のコンサートへ。

昨夜は「カレッタ汐留」のイルミネーションへ。

今週は忘年会の予定も幾つか。

そんな次第で、今年もいよいよ年末モードに入ってきました。

それではTVでも紹介されていた「カレッタ汐留」のイルミネーションの幾つかをご披露しましょう。

Pc071611                                           

  この”海”のプレミアムイルミネーションと称するものはヴァイオリスト「葉
  加瀬太郎」さんのプロジュースになるものだそうです。                                                                         

                                                                                           

Pc071614   深海をイメージさせるこのイルミネーションは、他ではなかなか見られな
   いもので、たしかに一見に値します。                                      

                                             

                                            

Pc071624    中央に「コーラルツリー」と称するツリーがあり、中に入って撮影ができ
    ます。                                                 

                                                       

                                                  

                                                      

                                                     
Pc071625    映画「グラン・ブルー」の世界。
    寒かったのは深海のせいではなく、超高層ビル街を抜ける風のせいで
    した。                                                                                                            

                                                     

                                                                                         

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金子みすゞの「花津浦」

2009年11月22

暫らくぶりのツアー参加で、本州西端の観光地巡りをしてきました。

11月19日
羽田~広島空港~厳島神社~平和記念公園

11月20日
世界遺産・石見銀山~津和野~萩

11月21日
萩~青海島~秋芳洞~山口・瑠璃光寺~岩国・錦帯橋~広島空港~羽田

ザッとこのような日程で、駆け足でした。
平和記念公園を除けば初めて訪れる地ばかりでしたが・・・が、特別な感銘を受けた印象がありません。

主たる理由は私の感受性の乏しさなのですが・・・
それだけではなく「ツアー旅行」の宿命である「受身の旅」のせいも大きいと思います。

自分の意思に関わりなく、ベルトコンベアーに乗せられて、運ばれるだけのツアーから感動を享受するのはなかなか難しいものです。

また「名物」にうまいもの無し、を地でいくような旅でもありました。。

途中通過した「長門市」は童謡詩人・金子みすゞが1903年に生まれた地です。
みすゞの詩には殆んど目を通していないので、語る資格はまるで無いのですが、ここで一つの詩に出会いました。

遊覧船に乗って波しぶきを受けながら眺めた「青海島」の「花津浦」を詠んだ詩です。

 _edited1                                 

   

 

 「花 津 浦 (はなづら) 」      金子 みすゞ
     

       浜で花津浦眺めてて、
       「むかし、むかし」と
       ききました。
       浜で花津浦みる度に、
       こころさみしく おもい出す。
       「むかし、むかし」と
       花津浦の
       その名の所縁きかされた
       郵便局の小父さんは、
       どこでどうしているのやら。
       あのはなづらの
       はな超えて、
       お船はとおく
       消えました。
       いまも、入日の海は燃え、
       いまもお船は沖をゆく。
       「むかし、むかし」よ
       花津浦よ、
       みんなむかしになりました。

彼女の作品には「童謡」から連想されるような、単純な無邪気さが無いようです。

この詩にも26歳の若さで自裁した詩人の果敢なさが漂っています。

私のようなフツーの人間には、どうあがいても見えないものが見えるらしい「みすヾの詩」への誘いになってくれそうな出会いでした。

この世の中、知れば知るほど、知りたいことが沢山あって、これではいつまで経っても枯れるわけに行かないような気がしてしまいます。
                                                    

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唱歌「田道間守」の思い出

2009年11月15日

詩人にして登山家の浜田 優さんの近著『流れる山の情景』は、私にとっては久々「名著」の誕生を感じさせてくれました。

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詩と、詩を思わせるエッセイと、作品への思いと、沢遡行の記録で構成されています。

この中で思いがけないことに出会いました。
少年時代の懐かしい思い出を甦らせることです。

作品解説で伊藤静雄の絶唱「曠野の歌」についての考察を試みています。

この詩は伊藤静雄が「アルプスの画家」として知られている「セガンティーニ」のアルプス三部作の中の「アルプス・死」に着想を得たと言われています。

この詩の中に「非時(ときじく)の木の実塾(う)るる・・・・」
という一行があります。

「非時の木の実」とは「橘」の古語だそうです。
この「橘」をめぐる一つの哀しい物語が『古事記』に登場します。

第十一代「垂仁天皇」仕えた忠臣「多遅摩毛理」(田道間守=たじまもり)のことです。
天皇は遠い海の向こうの常世の国にあると言われる不老長寿「非時の木の実」を持ち帰るよう命じます。
田道間守は幾多の困難の末、10年をかけてようやくそれを手に入れ帰国します。

しかしそのとき既に天皇は崩御されていました。
悲嘆のあまり田道間守も墓前で死んでしまいます。
まこと忠臣の鑑です。

戦時下での「忠君愛国」の思想が大手を振って歩く時代。
田道間守のような存在は当然、格好な教育材料になります。

この忠臣「田道間守」を歌った唱歌にそのままの「田道間守」があります。
唱歌としてはマイナーだったので、知らない人が多いと思いますが・・・。

私も特別に好き、ということも無かったのですが、特別な思い出があるのです。

それは小学校(当時は国民学校)2年か3年生のころのことです。

担任のK先生(当時20代だった女の先生)がどういうわけか分かりませんが、私にこの唱歌を良く歌わせたのです。

教室に入ってくるなり、いきなり”歌いなさい”と有無を言わさず命令することなどもありました。
内気だった私はそのたびに、ひどく恥ずかしい思いをしながら歌ったものです。

記憶にはないのですが、今では信じられないことですが、多分、哀調を帯びたボーイソプラノだったのでしょうね。

変声期を過ぎてからは酷い声になって、歌うのはキライになりましたが・・・。

  ♪ かおりも高い たちばなを     積んだお船が いま帰る
     君の仰せをかしこみて 万里の海をまっしぐら
    いま帰る田道間守 田道間守

        おわさぬ君の みささぎに    泣いて帰らぬ まごころよ
        遠い国から積んできた      花たちばなの香とともに
        名はかおる田道間守 田道間守   ♪

モンペ姿でしか思い返せないK先生。
私が今一番再会したい先生。
今どこでどうしているでしょうか・・・?

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こんな○○に誰がした~国会の風景

2009年11月1日

政治史に特筆される有権者による政権交代が実現して最初の国会。
これまでの民主党政権の足取りは、何とか合格点を得ているようだ。
「民主党には不安が・・・」という世評からすると、思っていたより”やるじゃないか”という印象。

賛否はとにかく、役人の振り付けによらず、大臣が自分の言葉で語り、それを支える副大臣や政務官も野党時代にシッカリ勉強していた跡が伺える語り口。

これまで余りマスコミに露出していなため、知名度が低かった若い議員に人材が多いことも分かった。
長い冬の時代に、「百年兵を養う」気概で、コツコツ研鑽を積んでいたのが開花したのだろう。

さて、そんな中で臨時国会が始まった。
様相が一変している。
4年前の郵政選挙をソックリ反転している。

何より感じるのが自民党の生彩の無さだ。
席に座る元首相たちの姿。
麻生さんは相変わらず人を小ばかにしたような薄ら笑いを浮かべ、、マスクの安倍さんはまだ若いのに、もう過去の人みたいに生気がない。
森さんの仏頂面はもう見たくないし。

「一葉落ちて天下の秋を知る」
   何をやっても思うようにいかない。
   呆然自失で、思考停止状態にあるようだ。

Photo

なにより、自民党は深刻なジレンマに陥っている。

政策批判は野党の仕事だが、今、民主党の政策批判をすると、その矢は確実に自分に戻ってくるからだ。
天にツバする典型である。

鳩山総理の
”あなた(自民党)に言われたくない”
という答弁は「友愛」を掲げる鳩山さんらしくないが、とにかく今の政策課題の多くは自公政権での失政に原因があることは否めない。

だから、民主党にすれば本音では
”おれたちはあんたがた(自民党)のシクジリの尻拭いを一所懸命やっているところだよ。
こんな酷い日本にしたあんたがたに、人の批判をする資格があるの?”
と言いたいのだろう。

♪こんな女に誰がした♪
霧島 昇とのデュエット「相呼ぶ歌」でデビューした純情歌手菊地章子が、戦後、退嬰的に歌ったヒット曲。

こんな日本に誰がした?
自民党には身に覚えがあるから、返す刀で切られることは明白なので、ツイ民主党に向ける切っ先が鈍ってしまう。

”ボク、どうしたら良いのかワカンナイ”自民党。

よほどのことがないとこの党には当分、党勢回復の展望が開けない。
それでも自民党はこれまでの有権者を見くびっていた政権運営を真剣に反省して、民主党を超える政党にならなければならないのだ。

そうならなければ日本の政治レベルは上がらない。
民主党に出来たことは、自民党にも出来るはずだ。

自民党の志のある人に奮起を促したい。

そして民主党には小泉政権のように、驕ることなく、前政権がとっ散らかした、難しい政策課題にシッカリ取り組み、着実に成果を挙げてほしい。

そんな政治状況になれば、この国の未来に希望が持てるようにななるだろう。

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「佐久の幽巒」への長い旅

2009年10月12日

日航機が墜落した御巣鷹山」の西の方、約8kmほどのところにある「御座山」(おぐらやま・おぐらさん)2112mは、知名度は高くないものの、昔から良く登られている山です。

今は聞きませんが、ある時期、一部の人はこの山の冠詞として「佐久の幽巒」という言い方を使っていました。
難しい言葉ですね。

「幽」は奥深く隠されている、いう程の意味。
「巒」は「山」のことです。
すなわち「幽巒」は「奥深い山」ということになります。
確かに山々が幾重にも重なる長野・群馬の県境にある山ですから、「幽巒」の表現は決して間違っていません。

標高はそれほどではありませんが、周囲の山からは抜きん出ているので、どこからでもよく目立つ存在です。

私がこの山に登ったのは1962年5月。
その時の記録に「大島亮吉が佐久の幽巒と呼んだ御座山」と記してあります。

そのことには何の疑いも持っていませんでした。

                        Photo_2

「御座山」山頂での20台後半の私。
こんなことが出来たのも若さの故。

あるとき「大島」の書いたものを読み返したのですがどう見ても「佐久の幽巒」という表現は見当たりませんでした。
ナンデ! キツネにつままれた、というのはこんな状態でしょう。
大島は1926年4月秩父から信州・梓山まで長い山旅をし、その途中で「御座山(大島は小倉山と)に登り、それを日本山岳会の『山岳』に発表していますが、「幽巒」の「幽」の字も出てこないのです。

それではいったい誰が言ったことなのか?

御座山に関して書かれたものをあれこれ調べてみましたが長いこと謎のままでした。

2007年に山の世界では良く知られている「野口冬人」さんが『書斎のビバーク』を上梓されました。

その中で”意味がよくわからないままに「大石真人」さんが書かれたものから「佐久の幽巒」を知り、引用していることを書かれていました。

そこで今度は「大石真人」さんの書物探しです。
『山岳憧憬』を入手し、「佐久の幽巒」の初出が古い『山と渓谷』誌であることが分かりました。

 Photo                                                 

先日、国会図書館に出向き、昭和22年9月号の『山と渓谷』を閲覧。

ようやくその一文に出会いました。

分かったことは「幽巒」は難解なことこの上ない、幽玄の詩人「日夏耿之介」の作品から引用したものでした。
「鮮(あた)らし 驍(つよ)し 湛(たの)し  煕(たの)し 幽巒に入る」

こんなことホント、どうでも良いことです。
分かっても、分からなくても私の人生に何の影響もありません。
その追求のために費やした時間がもったいない・・・・

分かってはいるのですが・・・
それでも長年頭のどこかに住み着いていた「宿題」を果たして気分は「ハレ」です。

今度は、もう一度あの岩の山頂に立ちたい、という宿題を果たさなければなりません。

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故国で蘇る「乙女の祈り」

2009年10月9日

このところTVやラジオで、多分、日本でもっともポピュラー(通俗的)なピアノ曲「乙女の祈り」を話題にしていました。

今はどうなのか知りませんが、昔はピアノに親しむ人は先ず「バイエル」から始め、鍵盤に慣れてきて、練習曲以外のものにも関心が移ってくると、必ず弾きたくなる定番の曲が幾つかありました。

ベートベンの「エリーゼのために」とかランゲの「花の歌」とか・・・。
その中でも多分ダントツの人気曲は「乙女の祈り」だったと思います。

私も何かの折に知ってから、いっぺんで気に入り、高校生で始めたピアノで、一番熱心に練習した曲になりました。
 ~才能も無く、独学だったため、まったくものになりませんでしたが・・・

「乙女の祈り」は左手で弾く伴奏の和音がシンプルで暗譜しやすく、小品ですが、、いちおう変奏曲になっているので、練習し甲斐のある曲です。

作曲したのはポーランドの若い女性<テクラ・ボンダジェフスカ>です
~私が知ったころは<バダジェフスカ>と呼んでいましたので、この呼び方には馴染めませ んが・・・
「Badalzewska Tekla」 をポーランド読みをすると、こうなるようです。

彼女が17歳の時に作られたこの小品は、日本では有名なのに、故国のポーランドでは今、彼女のことも、「乙女の祈り」のこともほとんど忘れられているようです。

ポーランドといえばもちろん「ピアノの詩人・ショパン」
そして「メヌエット」で知られている<パデレフスキー>などを排出している音楽性豊かな国なのに、なぜなのでしょう。

ソ連の圧制下にあった長い冬の時代、「祈り」という言葉が共産主義のイデオロギーに合わないという理由で、声をひそめざるを得なかった人々が、この曲を弾いたり、聴いたりするとをはばかっているうちに、次第に忘れられていった、ということらしいです。

「乙女の祈り」の楽譜がフランスで発表されて知られるようになってから150年。
またポーランドが民主化されて20年。

そんな節目を迎えて、ワルシャワ生まれで、堤清二さんの知己を得て、日本で生活している<ドロタ・ハワサ>さんという女性が、ポーランドですっかり忘れられている「乙女の祈り」をもう一度蘇らせる活動を進めていることを、TVやラジオで採り上げているのですね。

Photo この写真はハワサさんがワルシャワで探しあてた<ボンダジェフスカ>の像をお借りあいました。

左手に持っているのが「乙女の祈り」の楽譜だそうです。

彼女は7人の子供の母親になったそうですが、わずか27歳で夭折していす。  

故国では忘れられているのに、海外で評価を得て、その結果、故国で再評価される、ということはよくあることですね。

今、一人の女性の力で、ズーッと昔の女性の存在が蘇ろうとしています。

乙女の祈り」が通じたのでしょうか?                                 

                                        

                                                   

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東京都シルバーパスのこと

2009年10月6日

自分の感度の悪さを恥を忍んで晒します。、

都に高齢者向けに交通費を優遇する制度があることは聞いていました。
「シルバーパス」というもので、年間、20510円を払うと、都営地下鉄、都営バスのほか民営の路線バスのあらかたも自由に乗れる、というものです。
                                    

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そもそもは、あの究極のポピュリスト美濃部都政の時の、高齢者には交通費をタダにする、という制度の名残りでしょう。

さすがに財政上無料というわけには行かなくなって有料化。
それでも効果はあるようで、周囲にも活用している人は多くいます。

ただ、私の場合、東京には年の半分くらいはいない、という事情があり、従ってその効果はそれほど高くはない思っていたため、積極的に入手しようと言う気はなかったのです。

さらには、シルバーシートとか、敬老の日とか、紅葉マークとか、やたら老人扱いされるのが癪で、ソッポを向いていたこともあります。

使える範囲も、漠然と都内の路線バス限られている、と思いこんでいたところ、あるとき、郊外の多摩地区でも使えることを教えられました。

200円均一の都内と異なり、郊外では距離が長ければ当然高くなります。

奥多摩ハイクなどに行くことを考えるとずいぶんお得なパスであることに、権利が発生してから5年も経って、遅まきながら、気づいたというわけです。

という次第で本日ゲット。

これからどこへでも(・・・というわけには行かないのですが)タダで(・・・これも錯覚)出掛けられるぞ。

さしあたり都営地下鉄を端から端まで乗りつくしてみようかな。
銀座へ行くのもこれからは都営バスにしよう。

神保町の古書店街もグンと近くなるな。
そうすると、ただでさえ洪水状態の本がまた増えることになってしまいそうだ。
これはやばい!

しかし、これって己が高齢者であることを認めてしまったことになりますね。

行政が用意した「毒饅頭」を食べてしまったような気がします。
チト後味が悪い?

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「友愛」と「ミツコ」の物語

2009年9月24日

フランス・ゲラン社の香水「ミツコ」はご存知でしょうか。
私も知っていますが、使ったことはありません。(当たり前だ・・・)

鳩山総理が好んで用いる「友愛」
かつて中曽根大勲位が”ソフトクリームのようで、甘いが直ぐとける”と揶揄していましたが、確かに素面では面映くて口にし難い言葉です。
それを口にしてもあまり違和感を感じさせないところがいかにも「宇宙人・鳩山由紀夫総理」らしいですね。

さて、鳩山さんの「友愛」と香水の「ミツコ」。
この二つに何の関係があるの?
じつは深い因縁があるのです。

「友愛」の源はフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」のうち「博愛」(フラタナティ)のことだそうです。
ヒットラーやムッソリーニの圧制に対するアンチテーゼとして「パン(汎)・ヨーロッパ」(ヨーロッパ共同体)をオーストリアの政治家(経済学者、芸術家、哲学者)<クーデンホフ・カレルギー伯爵>が提唱しました。

彼は「友愛を伴わなければ自由は無政府状態を招き、平等は暴政を招く」として、「博愛を自由と平等をつなぐ概念」として提唱したそうです。

若いカレルギー伯爵のこの思想運動はやがてEEC(欧州経済共同体)として実を結び、更に今日のEC(欧州共同体)へと発展しました。

彼の功績はノーベル平和賞にノミネートされるほどに評価され、今日それにも勝る「欧州共同体の父」という呼ばれ方で称えられています。

彼は母親が日本の混血児です。 
1874年(明治7年)牛込生まれの母の名は日本名<青山みつ(光子)> 

18歳のとき、オーストリア・ハンガリー代理公使の<ハインリッヒ・クーデンホーフ伯爵>と電撃的な国際結婚をします。
やがてウイーンの社交界にデビューし脚光を浴びるようになります。
その華やかな存在にあやかろうとしてゲランは「ミツコ」という香水を売り出したのです。
 
かくして母親「ミツコ」は「欧州共同体の母(あるいは祖母)と呼ばれることになります。                        

 Photo                                   

読書をする「クーデンホーフ光子」
「黒い瞳の伯爵夫人」とも・・・

クーデンホーフの理念に感動して、「友愛」を自らの政治理念としたのが、鳩山首相の祖父<一郎>というわけです。
以来今日まで脈々として「鳩山家」に受け継がれているのですね。

余談になりますが、往年の名画「カサブランカ」 に登場する反ヒトラーの主導者・ラズローはクーデンホフ伯爵がモデルだそうです。

かくして「友愛」と「ミツコ」のルーツを辿ると<カレルギー伯爵>でつながり一つの感動的な物語が完結するというわけです。

めでたし、メデタシ・・・

ところがです・・・
実はことはそんなにうまくいかないのですね。
香水の「ミツコ」は「パン・ヨーロッパの父・カレルギー」の母の「ミツコ」ではないのです。

ほんとうは、フランスの作家クロード・ファーレルの小説「ラ・バタイユ」に登場する日本海軍総督の妻「ミツコ」のことだそうです。
作家と親交があったゲランが敬意を表して命名したのですが、日本での販売促進のため「欧州共同体の母=ミツコ」を今のゲラン社は否定しない、という考えのようです。

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