日記・コラム・つぶやき

愚かな「孫黒檜山」の命名を嗤う

2016年9月 日

山にはもともと名前などなかった。
それでは不都合なこのとが生じてきて、識別用のいわば符号みたいにして呼び名を付すようになった。
命名のルールなど無いからテキトーに呼び名をつけたのだろう。
だから山麓に複数の集落があればそれぞれの呼び名がついたのだろう。
ある山の南の里では北山と呼び、北山麓では南山と呼んだように・・・。
そうしたカオスの状態が長い歴史のなかで一つの山名に収斂されていく。
しかし、今日の名前が定着するまではなお曲折がある。
山の名前には歴史があり、里人の信仰があり

だからそうした歴史、文化が込められている山の名前を、今時の登山者が意味もなく恣意的に変えてしまことなど許されることではない。
しかし、そうした事例はあるのだ。

私の一年ほど前のブログにコメントがついた。
赤城の主峰・黒檜山から北へ延びる長い主稜線から離れて西に並行する短い尾根がある。
その短い尾根の始まりは北の山麓から見るとスッキリした三角錐があり、私は名前を知らないままに「トンガリ山」と私称し気にしていた。
ネットでも散見しどうやらどうやらこの山に「鷹ノ巣山」とか「和久土地山」という名があることをしった。

A 地蔵岳の山頂から見ると黒檜から小黒檜は明らかに尾根続きになっている。
ここからさらに続く主稜は小黒檜の背後に隠れている。
孫黒檜と称するトンガリは(正しくは鷹巣山」だろうが、地形的には離れている。

道はないがどうにか登るルートの見当もついて昨年11月登ってみた。

A 山頂にはこんなプレートがとりつけてあった。
孫黒檜 ??? なんで・・・
黒檜からの主稜線上には「小黒檜」(子黒檜ではない・・・)はある。
しかし、この「孫」の方は地形的にはつながっていなし、「小」はあっても「子」はないのだから「孫」は存在しえない。
そのことを一年ほど前にブログに書いたらある方から私の考えをもっと止揚した論考をいただいた。
で改めて「孫黒檜」とした軽薄な行為を咎めなければならないと思った。
あまつさえ「孫」の産みの親と思われるN・Gさん(群馬県下の名もなき山を渉猟している有名人)が『新ハイキング』の9月号にこの山を紹介していて、「近ごろ孫黒檜という名が定着している」と書いている。
自分はこの命名には関係がない、というポーズである。

この書き方には不審が残るが、仮に命名者は別人であるとしたらN・Gさんのような不遇な山を隈なく踏破されている方なら、このような名付けには真っ先に弾劾されてしかるべきだろう。
黒檜山の知名度にあやかって、何の係わりもない無い山に以前からの山名があるにもかかわらず、恣意的に

実は私が敬愛する手塚宗求(故人、霧ケ峰コロボックルヒュッテ)も同じような汚点を残している。
かつて霧ケ峰には幾つかの無名の山があり、遭難発生時などでは救助活動にも支障を生じていた。
そこで「山彦南の耳」とか「山彦北の耳」「樺の丘」
そこまでは功だが、残念なのは「ゼブラ山」である。

Img015
かつてここは北山麓の「男女(おめ)倉」にちなみ「男女倉山」とされていた時期ありその西側には佐久と千曲を結ぶ「男女倉越」が通じていた。
手塚さんが「ゼブラ山」とした理由を、冬期南側から見ると雪が縞模様を描きそれが縞馬を連想させたから、説明している。
雪のない季節だったらどうなのか、
私は手塚さんがこのような浅はかな

昭文社では男女倉山としているが、私はこの見識を支持する。

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幻の書『鹿島槍研究』が書棚にやってきた

2016年8月8日

念じ続けていればほしい本はいつかは必ず手に入る・・・
これまでも実際その通りになっていたが、それでもどうしても今日まで叶えられなかった、いわば私には幻の書とでも言える一冊があった。
吉田二郎著『鹿島槍研究』 (昭和32年 朋文堂発刊)がそれである。

Img004 戦後の登山界にあって、昭和20年代の『岳人』や『山と渓谷』などを舞台に華々しい執筆活躍をしていた吉田二郎が、彼自身の鹿島槍の北壁(カクネ里、荒沢奥壁など)の初登攀記録などを含めて、鹿島槍の登攀記の集大成となる力作である。

P5031844 鹿島槍 北壁 ~2010年5月 遠見尾根から。
鹿島槍北峰とカクネ里の間が北壁で、一時期幾つものヴァリエーションルートの初登攀争いが展開された。


その吉田二郎が後述するようなある事件が契機となり、忽然と登山界から消えて以来、この書も幻の本と化してしまった。

齢80を過ぎ、収集した膨大な山岳書の始末を考えているこのごろではあるが、この期に及んでも叶えられないものなら、とほとんど諦めていたのに思いがけないことからいとも簡単に手元にやってきた。

私同様に高齢になり身辺の整理をしている畏敬する会友のM・Uさんが、書籍の整理のためリストを公開した。
何とその中に私にとって久恋の一書『鹿島槍研究』が載っていたのである。
このような、見ようによっては黴が生えているような古色蒼然とした本には誰も見向きもしない、とは思いながら私が大急ぎで手を挙げたことは言うまでもない。
さすがにUさん、私などよりはるかに濃密な登山をしてきただけに、蔵書も一廉のものであった。
会に人多しといえど、文武両道といえるのはUさんに止めをさす。
氏は某職域山岳会の中心メンバーとして岸壁登攀や冬のアルプスでの登山歴を誇りながら、一方、博覧強記にして、今なお日本語やエッセイの教師をしていることからもうかがえるとおり、格調高い文章、エッセイを発表している。

昭和33年、当時の日本登山界にあって最も突出していた先鋭クライマーを糾合した「第二次RCC」が発足した。
戦前からの岸壁登攀の先駆者・藤木三郎を拝戴はしているが、実質的に会をリードしたのは「奥山ラッパ」の異称を持った奥山 章であり、「吉田ブシ」と言われた吉田二郎であった。
実践派にして、理論家の吉田二郎の盛名は不動のものと思われていた。
その彼の揺るぎない地位が突然降って湧いたようなできごとで瓦解することとなる。
その衝撃的な告発文は『岳人』137号(1959・9月号)に掲載された。
内容は吉田が所属していた山岳会「登嶺会」が、彼の登攀記録の8つが偽りのものであり、会の記録から抹消する、というものである。
とうぜん彼からの弁明はあったが、その内容はとても客観的に納得がえられるものではなく、彼は「このような登山界に愛想がつきた」といわば捨て台詞を残してフッツリと姿を消した。
同時に『鹿島槍研究』も幻の本になってしまった。

Img007 吉田二郎のもう一冊の単行本。

登山界からは姿を消したが、吉田二郎は決して死んではいなかった。
筆の立つ彼は「松山荘二」のペンネームで週刊誌などで達者なルポを書いて生業としていたようである。

そして彼のライフワークともいえる『古書髭「したよし」の記』を2003年3月に上梓したところ、各書評欄で好評を得られた。
仲間たちの肝いりで3月23日に出版記念会が開かれることが決まっていたが、その10日前の13日急性心不全で急逝してしまった。
享年72歳。

Img013

「したよしの記」は彼の祖父が御徒町で営んでいた「吉田書店」の盛衰をドキュメントに仕立てたものである。
扱うものは俳書、浄瑠璃本、黄表紙、洒落本などに限った特異な古書店で、古書店界では一定の地位を占めていた。
森鴎外、永井荷風、正岡子規、勝海舟など文人などが店の常連だった。
戦後の混乱期も何とかしのいできたが、1994(平成6)年三代目の死去によって店の幕は閉じられた。
本来であれば4代目になるべき二郎(松山荘二)はもともと書店経営には関心がなく、一時期阿佐ヶ谷で真似事みたいなこともしたが、永続きするはずもなくその灯もやがて消えてしまう。
この一書は彼の父祖に対する鎮魂の賦であり、償いでもあるのだろう。

そろそろ山との縁も切れようかという最晩年になって、長年探し求めていた「この一書」を手にできた喜びと共に、一人の岳人の数奇な運命に思いを馳せてみた。

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とうふ屋うかいでの優雅なランチ

2016年7月11日

つい先日、ごく内輪の会食で、ご馳走に預かりました。

場所は東京芝「とうふ屋うかい」で、東京タワーの足元にあります。
「うかい」は東京一円で、広大な和風庭園でのいろいろなスタイルでの飲食店を展開しているようです。
高尾山の懐にもいろり炭火焼の「うかい鳥山」、懐石料理の「うかい竹亭」があり、それぞれ5千坪もの広大な敷地の中に建物を点在させ、客をして贅沢な気分の中で食事を楽しめる趣向にしています。

Dscn6014 高さこそスカイツリーに譲りましたが、こちらには長年のノレンがあります。

久しぶりの外出らしい外出で、医師などから外出時には肺炎対策として必ずマスクをすること、帰宅時の手洗い、うがいの励行をを言われています。
さからう理由はないので素直に従っています。

Dscn6015 ここ「とうふ屋うかい」も都心なだけにさすがに敷地は千坪程度とこぢんまりしていますが、なかなかのものです。

型通りの乾杯では本当に久し振りにアルコールがノドを通過しました。

Dscn6021 手延べそーめんから始り、いろいろあるので一々写真にするのも面倒で、半分ほどは省略します。

Dscn6023_2 穴子ざく、鱒すしなどの盛り合わせ

Dscn6024 豆水とうふ ~とにかく豆腐づくし

Dscn6025 しょうが御飯に、くずきりで締め。

私はどうも会席料理とか、精進料理の類で、料理がチマチマ供されるのは苦手で、いまいち「食べた!」という満足感に浸れないのです。

所詮「食通」とは縁なき衆なんですね。

今日は参院選挙。
期日前投票で権利は行使しましたが、今回の参院選ほど覚めた国政選挙も珍しいのではないでしょうか。

特に、東京では枡添劇場の余韻が消えないうちに、都知事選の面白そうな新しい幕が開きそうで、都民の関心は皆ソッチに向いてしまいました。

どうやら主役に世渡り上手姫が躍り出そうです。

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なあなあな日常はクラシックの気分で・・・

2016年7月7日

山ブログを拝見していると、皆さん順調に更新しています。
山仲間からの写真便りも頻繁で、羨ましく思う反面、自分の置かれている状況は良く自覚しているつもりなのに、自分一人が取り残されているようで、ほんの少しですが嫉妬心もわきます。

私が罹患した悪性リンパ腫は「末梢性T細胞」というものらしく、日本人には少ないタイプで、直り難い代物らしいのです。
5日、退院後最初の外来治療をしました。
その折ドクターに、T細胞は活動性が高く、発症すると勢いが強いため一気に症状が進行し、場合によっては重篤になる危険がある、と脅されました。
クワバラ、クワバラ・・・せいぜい用心しましょう。

入院中で断固決意したことの一つが、生まれて初めて死と向き合ったこの発病を契機にして、こんどこそ身辺にあふれているものを思いきりよく整理すること。
その第一歩が本の始末です。
野口悠久雄氏が「本の整理の基本は捨てることである」と至極当たり前のことを言いながら、最大の壁「センチメンタル・バリア」がたちはだかりその壁を突き破るのが至難の業と認めています。
その壁を突破するため、本の顔を見ないようにしてひたすら段ボールなどに捨てる本を放り込みます。
多少、市場価値がありそうなものはBook Offに持ち込むつもりです。

それでも2~3割減らせるのがせいぜいでしょう。
残る山岳書を中心にした千冊近い巨峰をどう始末つけるか・・・。
私もよく買った山の古書専門店に一度相談してみよう。
しかし、山岳古書の売れ行きがバッタリ止まった昨今では専門書店でもいい返事はもらえそうもありません。

人混みにはなるべく行かないこと(ウイルス感染リスク)の注意もされているので、外出もおのずと控え、今観たい映画「64ロクヨン」も我慢しています。
自宅で過ごし時間が多くなったので、この機会になかなか落ち着いて聴けないクラシックを聴くことに費やしています。
FM放送でエアチェックしたアナログカセットテープが中心ですが、鑑賞レベルの低い私にはこれで十分です。
最近の大きな収穫は
ヴァーツラフ・ターリッヒが指揮したチェコフィルの「新世界」を収録できたことです
ターリッヒはチェコフィルを今日の世界的オーケストラに育て上げた名指揮者で、私も長いことその演奏に渇仰していました。

A ヴァーツラフ・ターリッヒ (1883~1961)
余談になりますが「ヴァーツラフ」というファーストネームは日本で言えば「太郎」と同じようにとてもありふれた名前ということをチェコの旅で知りました。

正直言って私の耳は著名な音楽評論家が言うような、指揮者による演奏の違いは分かりません。
ベートベンの「田園」のベームとカラヤンの違いくらいは何とか分かりますが・・・
なのでターリッヒの「新世界」と言っても、ほかのあまたの名演奏との違いは分かりません。
また1954年の録音ですから当然モノラルです。
いううまでもなく音質は劣ります。
それでもターリッヒ+チェコフィルという組み合わせだけで自分の頭の中で勝手にある種の香気をつくりあげ、神格化しているのでその演奏には大満足しています。

そうそう「なあなあな日常」はいうまでもなく三浦しをんさんの『神去(かみさ)なあなあ日常』を借用したものです。

Img004

「なあなあ」とは、三重県・中西部で、奈良県との県境近くにある「神去村」の辺りの村民が日常的に用いる言葉で、いろいろな局面で使う便利な言葉のようです。
煎じ詰めると「ゆっくり行こう」というような意味のようです。

今夜は七夕か・・・
神妙にも「健康寿命を少しでも長く・・・」とでも織女と彦星に願いましょうかね・・・。

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退院しました

2016年7月02日

6月9日の検査で、病状が一刻も猶予ならない切迫した状況に急変していることが判明し、11日の入院を2日前倒ししてそのまま緊急入院することとなりました。

直ちにステロイドの投与から始り、抗ガン剤の投与に移りそれは数日後から劇的に効果が表れ、劣勢になったリンパ腫がドンドン後退していくのが分かるようでした。
しかしとうぜんながら副作用を伴い腎臓障害、血小板の低下、赤血球の減少、白血球の減少などが出て、その都度輸血を受けました。

そうした治療のおかげで入院前のほとんど死んでいるような絶不調から、目に見えて体力、気力が回復してきました。
体重が10kg減ったのは驚きでした。
手足のやつれは目を疑うほどで”これがオレか?”とおもうほど別人のようでした。

ともあれこうして28日に退院となりました。
とはいえガンをすっかり退治できたわけではありません。
いうなればか仮釈放のようなものです。

これからも多分長期にわたる通院治療が続くことになるのだろうと思っています。
今はすっかり衰えてしまった筋力で、登山どころではありません。
自宅周辺の散歩を繰り返し、すこしずつ足の筋力を取り戻していきます。

今は先ず、入院で滞ってしまっていたことを片付けて、前に向直って先のことに向かいあうこととします。
できれば山歩きを再開したいのはいうまでもありません。

この間に起こった世界を震撼させたできごとと言えばいうまでもなく英国での「EU離脱の是非」を問う国民投票の結果で離脱が過半を占めたことです

大方の予想は僅差ながらも最後には残留を選ぶであろう、いうものでしたからこの衝撃は世界中に大きな波紋を拡げました。

私は英国は日本が常に手本にしてきた政治的には熟成した大人の国で、民度の高い国だと常々思っていました。
しかし、この結果を受けてのは私の感想は「英国もやはり衆愚の国」であったのかというものでした。

そもそもEUを離脱するかどうかのような非常に高度で多角的な判断を要するテーマを国民投票にすることが正しかったのか、と疑問に思います。
キャメロン首相のポピュリズムが出たように思います。

ニュージランドがしたように国旗を変えるかどうか、代えるとしたらどれがいいか、というような単純な問題の立て方ができれば国民投票もいいでしょう。

しかし国論を2分するテーマでもEC離脱のような高度な判断が求められるテーマでは右か左かに単純化できないだけに国民投票にはなじないでしょう。
国民には問題の表層しか見えませんから勢い、情緒的で刹那的な判断しかできません。

大英帝国の残影を引きずっている高齢者、職を奪った移民が憎い、そうした理性を失った有権者の投票率が高く、英国の将来を担う若者は30%しか投票していないそうです。
その結果が自分の身に振りかかる火の粉になることに気づいていないのでしょうね。
この辺りも日本と変わりませんね。

なので、この結果が出て、それがいかに深刻な事態を招くかが次第に理解できるようになって、こんな筈ではなかったと慌てて再度の国民投票を求める声があがってきています。
しかし「覆水盆に還らず」 もう手遅れです。
英国の政治状況は混迷を深めるばかりでしょう。
チャーチルやサッチャーのようなスケールの大きな宰相が現れなければこの危機を乗り越えるのは困難ではないでしょうか。

退院してのさしあたりの問題の一つが食べ物の制限です。
塩分、蛋白質あたりはしかたがないとしても、困ったのは大好物の西瓜を含む果物、生野菜の制限です。
これらに含まれる「カリューム」がよくないのだそうです。
まぁいいか・・・

再開のブログはこんなものになりました。

当面は身辺のことでお茶を濁すことになるでしょうね。

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しばらくの間、ブログの更新を休みます

2016年6月8日

ここ10日間ほど体調が著しく悪化し、ほとんど一日ベッドに横たわって過ごしています。
ブログの更新意欲はすっかり減退していました。
昨日(9日)の病院での血液検査でデータが激変し、直ちに悪性リンパ腫の手術、治療のため11日に入院することとなりました。
ここまでの一年半ほどの経過を辿れば、寝たふりをしていたリンパがここにきて急に暴れ出したようです。
1月以来、体の変調は感じていたのですが、一過性のものと思うようにしていました。
またデーターも兆候を見せていたのですが、ドクターももう少し様子を見ようとしていて、判断が一拍遅れたようです。
そのようなわけで、こんなブログでもお読みいただいて方々へ日頃のお礼を兼ねて表題のお知らせをさせていただきます。

病院にはタブレット端末を持ち込んで、皆さまのブログは拝見できるものと思っています。

休筆の前にアップの用意をしていたものの一部を残してアップします。

2年前、消費税を10%にすること延期するとき「いかなることがあっても17年4月には実施する」と言いきったのに、またぞろ2年半先送りすることを決めました。
上げられる状況にない、と判断したのだろうが、その根拠がアベノミクスの三本の矢がすべて手詰まり状態で、失速気味であると誰もがみているのに、なんと世界経済がリーマンショック前夜の状況にあるという、世界の常識を覆す論理で無理押ししたが、サミット出席者から嘲笑され、途端に豹変して世界経済を危機に陥れないためにと、新しい理屈を持ち込んで見ました。

思わずのけぞり、正直冗談と思いました。
思い上がりも甚だしいでしょう。
日本が消費税2%上げようが上げまいが、世界経済への影響は全くありません。

安倍さんも分かっているのですが、「必ず消費税率を上げられるような経済成長を実現する」と大見得を切った手前、しかもアベノミクスは順調にいっていると強弁している手前、どうしても他の理屈を無理矢理にくっつけるしかしかないのです。

ただね、われわれ国民の心理も読まれていますね。
将来世代のつけ回しを少しでも減らすために2%の増税するという気の長い話より、増税先送りのほうがホンネでいえば有り難い・・・という目先の利益を望む人のほうが多いのですから。

そうはいっても、今安倍さんに代わる人材がいません。
三角大福中がしのぎを削った時代が懐かしですね。
小選挙区制は日本の政治からダイナミズムを奪っただけなのかも知れません。

それに引き換え相変わらず哀をとどめているのが舛添さんの振る舞いです。
彼は「第三者による厳しい点検の結果、政治資金規正法には違反していない」という結論得て逃げ切るつもりでいるでしょう。
この辺りが世間の感覚と著しくズレています。
都民は知事の「政治資金規正法違反かどうか」は問題にしていません。
政治資金規正法などどうせザル法なんですから・・・
都民は「公私の峻別ができない」知事に呆れ、怒り、失望しているのです。

「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。
「地位の高い者は高い道徳感を持たなくてはならない」というフランスの言葉ですが、仏語の得意な舛添さんが知らないはずはありません。

舛添さんに決定的に欠けているのがこの高い地位にある者に求められる高い倫理観でそこが都民怒りのほとんど全てなんです。

卑俗な例えを引きます。
私のような位が高くない者は、用を足すのに所構わずとはせずに、それが許されるそういう場所で済ませます。
ところが山歩きしているときなど、人目がないとツイ立ち○〇などというのはしたい行為に及びます。
高貴な方はこんなはしたないことはいたしません。
ご自身には都知事を辞める、という気持ちはコレポッチもないようだが、これだけ都民から信頼を失い、嘲笑され、見放されているのに知事としての仕事ができると思っているのでしょうか。
いろいろな思惑で知事を本気で追及できない都議会与党も厳しい都民の視線が向けられていることを忘れられないで欲しいものです。

政治の寒々しい風景は日本だけではありません。
アメリカの大統領選はクリントンさん、トランプさんに絞りこまれました。
ともに不人気率が50%を超えているのだそうです。
それでもどちらかに決めなくてはならない米国人も大変ですね。

話は変わりますが先だってauのカウンターに行ってスマホの設定の手伝いをしてもらい、話の流れで関心はあった「タブレット」端末を契約しました。

Photo

もともとパソコンとスマホの中間に位置付けることをコンセプトに開発されたものです。
その結果中途半端なツールになっていますが、状況で使い分けることになるのでしょう。

それではしばらくのお別れです。

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赤城界隈の花を訪ねて

2016年5月03日

私が大変気に入っていて、いろいろな示唆を受けるブログのいくつかが長年にわたって更新されないままになっています。
何らかの事情でブログを中断しているか、事実上閉鎖しているのでしょう。
このブログもしばらく更新がされていないので、もしかしたら自然死したと思われるむきもおられるかもしれません。
ドッコイ生きています。
繰言になるのでもう触れませんが、相変わらず情けない状態から抜けられないため2週間もの間、更新しないままに過ぎてしまいました。

今年も例年通り黄金週間の前後は山荘で過ごしています。
軽い山歩きから再開したいと思っているのですが、入れ替わりながらやってくる身内の応対で思うようには動けません。

そんな時には、近場の「赤城自然園」はとても重宝な存在で、手っ取り早く園芸種ではない花を見たい場合に間に合わせられます。
丁度今はヤマシャクヤクが最盛期らしいので身内と一緒に入園してみました。

Dscn5895 シャクナゲ園では今が最盛期。

Dscn5896       Dscn5899
一番のお目当てヤマシャクヤクはもううんざりするくらいに咲いていました。
人工園内のせいもありますが、初めて遭遇した時の感動はもう遠いものになりました。

Dscn5904 ?フッと思いがけない花を見かけました。
熊谷草? 敦盛草?
居合わせた何人かの人の見立ても分かれました。
帰宅してから調べてところ、どうやら「中国熊谷草」のようです

Dscn5901 こちらは「ウラシマソウ」~ちゃんと釣り糸が垂れています。
そのほか園内ではヤマブキソウ、ラショウモンカズラ、ミツバツツジなどが見られますが、珍しくもないので写真は割愛。

中一日おいて久し振りの山歩きの足慣らしで赤城山の一角「長七郎山」1579mにファミリーで歩くことにしました。
ある期待をもって鳥居峠に寄ってみたところ、期待通りにアカヤシオが咲いていてくれました。

Dscn5913

花に近づくためには足場の悪い岩を拾って上ります。
常の私なら何の造作もないことですが、今の私は別人。
覚束ない足取りには我ながら情けなく、焦燥感にも駆られました。

Dscn5908

Dscn5910

今シーズンはこんな調子なので、ヤシオには逢えずじまいになってしまうかと悲観的だったのですが、これで幾分かは慰められました。

Dscn5912

Dscn5914 小沼の対岸の丘が長七郎山。

Dscn5915 湖畔の道をいきます。

湖畔から長七郎山までの標高差はたったの100m強。
腐っても鯛~これくらいは何とでもなりますが、この先について愁眉が開けた、とはいえません。
徐々にハードルを上げながら何とか再起のメドをつけたいとの思いは切なるものがあります。

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ホセ・ムヒカさんを知っていますか?

2016年4月9日

その人は「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれていたのだそうです。
今、来日してる
ウルグァイの前大統領「ムヒカ」さんのことです。
私も今度の来日で初めてしりましたが、そもそもウルグァイってどこにあるの?というくらいの認識しかありませんでした。
ムヒカさんの生活哲学は、貧しいというより質素と言った方が正確らしいのです。
一例を挙げると大統領としての報酬月額約100万円ほどの9割は寄付して、ご自身は月10万円で、清貧そのものの暮らしぶりだそうです。
当然身なりにも頓着なく、たとえばローマ法王に会う時でさえネクタイなど締めないということです。
他の国と違い、大統領専用機など持たないので、海外へ行くときは便乗することもあるそうです。

E7f01827 これはメキシコのペーニャニエト大統領機にチャッカリ便乗しているムヒカ氏。
世界にはこんなに潔く貧しいことを受容している指導者がいるんですね。
それにくらべて我が国の「税金だから無駄遣いしても全然苦にしない」為政者がゴマンといて、近頃は諦めの心境です。
直近での枡添知事一行の大名旅行など、こころの貧しさ、卑しさが見え見えで、情けない限りです。
一泊198000円のスイートルームに連泊するなど、良心の欠片くらいがあったら胸がチクリとするものでしょうが、それすらも感じないのでしょうか。

そんなムヒカさんの対極にあるのが、世界中に幾つかあるタックスヘイブン(租税回避地)へ巨額の資金を移しているビッグネームたちです。
このほど暴露された「パナマ文書」によると中国の習首席の近親者を初め、世界中の指導者および近親者の名前が取りざたされています。
この文書のデータはCDなら3700枚に相当する膨大なものなので、その分析には多くの労力と時間を必要とすることでしょう。
なんとか全容を白日のもとに晒し、巨悪を炙り出して世界には正義があることを証明してほしいものですね。

近ごろ都の話題といえば「バスタ新宿」のオープンでしょうね。
新宿駅西口一帯の19か所に散らばっていた高速バスの乗降場を一ヶ所に集約して、利用者の利便性が各段に向上させました。

Dscn5828 南口に直結しているバスターミナル

Dscn5831 4階にある発着ターミナル

Dscn5830 地方の空港より活気にあふれている?待合室。

Dscn5840 バスタから少し歩いて新宿御苑に入りました。

Dscn5838 孫娘が花見のためにアメリカから帰ってきているのです。
桜は終末で、折からの強い風にしきりに花吹雪を散らしていました。

Dscn5839

苑内を1時間足らず歩いただけでひどく疲れを感じました。
私ごとなので、事細かに書くのは慎まなければならないと思いますが、体の至る所から生じてくる理由の分からない痛みのため、日常生活もままならない毎日で、ブログの更新はもちろん、パソコンを立ちあげることも負担になっています。
なので、皆さんのブログの拝見も間遠くなっております。

そんな情けないありさまですから、山に戻ることはしばらく断念しなくてはならないようです。

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もう使うことのないパスポート

2016年3月30日

先日、オバマさんが現職の大統領として88年ぶりにキューバを訪ねた。
昨年7月、54年ぶりに国交を回復してさっそくの訪問である。
1962年、あわや米ソの核戦争勃発か?と世界中を震撼させた一触即発の「キューバ危機」も今や遠い日の回想になった。
隣り合う両国が仲良しになることは世界平和の前進のために望ましいことだ。
とはいえ、今この瞬間でも起きている中東を中心にした、血で血を洗う報復の連鎖は収束の気配すらない。
この報復は千年以上も前の十字軍の遠征にさかのぼるから長い、長い因縁がある。
オバマ大統領のキューバ入りの画面を見ながら、米国大統領でも入国の時はパスポートを提示するのだろうか?などと愚にもつかないことを思ったりした。

そのことからしばらく出番のない自分のパスポートはどうなっているのかな?と気になった。
大分長いこと使わないままになっているが・・・

Img006
確かめてみたらこの4月に期限切れになることが分かった。
それに気付かないほど長いことパスポートを使う必要がないままに過ぎているのだ。

このパスポートのおかげで叶えられたたくさんの夢があった。
パスポートがあっても憧れのままに終わったもっと多くの夢も、またあった。

Photo 七十歳を迎えたとき、生涯の節目を刻むつもりで富士山より高い山へ登ろうと思い立った。
そして中国の太姑娘山(タークーニャンシャン)5025mに登った。
翌年、もう少し高度を上げネパールのゴーキョーピーク5380mに登った。
この時、高山病にかかり、以後これ以上の高度は断念したため、これが生涯最高所で終わった。

Img200 ニュージーランドではマウント・クックの中腹の氷河までプロペラ機で飛んだ。
ニュージーランドという国は、自然から居場所を分け与えられていることを自覚している人々が、慎ましやかに自然の片隅で暮らしていることが感じられる美しい国だった。

Img199 これは東欧の国を巡った時のドナウ河のクルーズ。
背景にハンガリーの国会議事堂が写っている。
ソ連のくびきから解放されたばかりの東欧諸国は決して豊かではなかったが、どこでも中世の面影が留められ至るところに歴史の襞(ひだ)が刻まれていた。

オーストリアのツアーでは、丁度今の私くらいの年齢のOさんと親しくなり、連れだって歩いた。
ハプスブルグ家への深い敬愛を抱いていて、その博識ぶりにはただただ驚くばかりだった。
そのOさんのことを思えば私だってまだ余地は残されている気がしないでもないが、もういいだろう。

パスポートは多分更新することなくこれっきりになるだろう。
こうして不要になるものを一つづつ捨てていく、それが人生の終盤にさしかかったものの心がけというものだろう。

給湯ボイラーが凍結で破損したため、ほぼ2ヶ月ぶりに山荘へきた。
雪はまったくなくて、主がいなくても季節になれば律儀に花は開く。

Dscn5813 クリスマスローズは風情に乏しく、あまり好きではないが、繁殖力が旺盛でやたらにはびこる。

Dscn5814 これが一番早起きのカタクリだが、全開はもう数日後になるだろう。
「もののふの 八十をとめらが くみまがふ
           寺井の上の かたかごの花」 大伴家持


Dscn5815 無秩序に植え込んだクロッカスはあちこち思いがけない場所に散らばって咲いている。

Dscn5816 水仙はこれから・・・。

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登山家の業を描く映画「エヴェレスト 神々の山嶺」

2016年3月16日
華やかな宣伝を展開していた映画「エヴェレスト 神々の山嶺(いただき)」が封切になったので、さっそく(でもないか・・・)新宿ピカデリーで観賞してみました。
平日のせいもあるのでしょうが、入りは4割程度で、関係ないのですが興業成績のことが気になりますね。

A

夢枕 獏の原作は渾身の大作です。
読破するのも力仕事?になります。

Img007

なので、著者自身が映画化は不可能だろうと言っていましたが、映画にしてしまいました。
しかし、何の予備知識もなくこの映画を観たら多くの人はよく理解できないものが残るだろうなと思います。
ストーリーについて書くのはやめておきましょう。
ジョージ・マロリーが果たして世界初のエヴェレスト登頂成功者になったのかどうかは登山史上最大の謎ですが、その鍵になると見られているが行方不明のコダックカメラ。
阿部 寛が演じる羽生丈二のモデルとなっている一匹オオカミのクライーマー森田勝と、森田を凌駕したクライマー長谷のモデル、長谷川恒夫との微妙な関係。
こうした史実についてある程度の知識がないと、羽生がなぜ「冬期、単独、無酸素でのエヴェレスト 南西壁」への無謀な登攀をしようとしたがが読み解けないようです。

Img016 羽生のモデル森田 勝 ~この長めの顔、どことなくこの役を演じた阿部 寛に似ていませんか?

何故山に登る? ~南西壁登攀中に問われた羽生は、「オレがそこにいるからだ」と答えます。
例のマロリーの「Because It Is There」~そこにそれ(エベレストのこと)があるから・・・を連想させられます。
マロリーの言葉(実はマロリーが本当にそう言ったのかどうか証明されていあないのですが・・・)同様に、相当形而上学的で正直理解できません。
実は、羽生が言わんとする意味は原作の中では明らかにされていると思われます。
羽生(森田)が若かったころ、当時、冬期にそこを登攀することは自殺行為だとされていた谷川岳・一ノ倉沢の滝沢スラブの初登攀を狙った羽生が、ザイルパートナーに語る場面です。
「いいか、山屋は山に登るから山屋なんだ。山屋の羽生丈二は山に登るんだ。山に登らない羽生丈二はただのゴミだ」と。
つまりここにいる羽生丈二は、山に(エヴェレスト南西壁)挑むからこそ羽生丈二なんで、ここにいる羽生丈二は、羽生丈二であるためには山に登らなくてはならないのだ、ということでしょう。
因果なものですね。
フーンそうなんだ・・・頷いた振りをしてもやはりわかりません。
命と引き換えになってもいいから山に登る理由が・・・・・・。
谷川岳で、北アルプスで、欧州アルプスで、ヒマラヤで、世界中の山で、実にたくさんの有名無名の登山家が人生の途中でかけがえのない命を落としているのです。
何かが憑依(ひょうい)して、自分の意志を超えて、憑依した何ものかに突き動かされているとでも考えないと、・・・?
私ごときどう転んでも、安全パイの山にしか入らないものには見えない世界があるのでしょうね。
その世界を覗いてきた登山者は、そこで何かに取りつかれてしまうのでしょう。

A_2  エベレスト南西壁 ~この雪さえつかない黒々とした巨大な岸壁は1993年群馬岳連隊によって初登攀されました。

山岳映画もかなりな数になります。
昔の「銀嶺の果て」や「氷壁」などに比べてみれば、出来栄えのレベルは比較するのも愚かなほど上がっています。
先年のややマンガティックな「劔岳 点ノ記」に比べても、リアリティが向上しています。
観て損をした、ということはないと思います。

それでも、昨年11月に公開された「エヴェレスト3D」がIMAXの効果もあって圧倒的な迫力を見せつけてくれたものを超えることは難しそうです。

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