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2016年9月

暫くブログを休みます。

リンパ腫が再発して9月5日再入院しました。
タブレットでは入力が難しいので、、しばらくブログを休みます。

皆さんの記事は拝見しています。

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愚かな「孫黒檜山」の命名を嗤う

2016年9月 日

山にはもともと名前などなかった。
それでは不都合なこのとが生じてきて、識別用のいわば符号みたいにして呼び名を付すようになった。
命名のルールなど無いからテキトーに呼び名をつけたのだろう。
だから山麓に複数の集落があればそれぞれの呼び名がついたのだろう。
ある山の南の里では北山と呼び、北山麓では南山と呼んだように・・・。
そうしたカオスの状態が長い歴史のなかで一つの山名に収斂されていく。
しかし、今日の名前が定着するまではなお曲折がある。
山の名前には歴史があり、里人の信仰があり

だからそうした歴史、文化が込められている山の名前を、今時の登山者が意味もなく恣意的に変えてしまことなど許されることではない。
しかし、そうした事例はあるのだ。

私の一年ほど前のブログにコメントがついた。
赤城の主峰・黒檜山から北へ延びる長い主稜線から離れて西に並行する短い尾根がある。
その短い尾根の始まりは北の山麓から見るとスッキリした三角錐があり、私は名前を知らないままに「トンガリ山」と私称し気にしていた。
ネットでも散見しどうやらどうやらこの山に「鷹ノ巣山」とか「和久土地山」という名があることをしった。

A 地蔵岳の山頂から見ると黒檜から小黒檜は明らかに尾根続きになっている。
ここからさらに続く主稜は小黒檜の背後に隠れている。
孫黒檜と称するトンガリは(正しくは鷹巣山」だろうが、地形的には離れている。

道はないがどうにか登るルートの見当もついて昨年11月登ってみた。

A 山頂にはこんなプレートがとりつけてあった。
孫黒檜 ??? なんで・・・
黒檜からの主稜線上には「小黒檜」(子黒檜ではない・・・)はある。
しかし、この「孫」の方は地形的にはつながっていなし、「小」はあっても「子」はないのだから「孫」は存在しえない。
そのことを一年ほど前にブログに書いたらある方から私の考えをもっと止揚した論考をいただいた。
で改めて「孫黒檜」とした軽薄な行為を咎めなければならないと思った。
あまつさえ「孫」の産みの親と思われるN・Gさん(群馬県下の名もなき山を渉猟している有名人)が『新ハイキング』の9月号にこの山を紹介していて、「近ごろ孫黒檜という名が定着している」と書いている。
自分はこの命名には関係がない、というポーズである。

この書き方には不審が残るが、仮に命名者は別人であるとしたらN・Gさんのような不遇な山を隈なく踏破されている方なら、このような名付けには真っ先に弾劾されてしかるべきだろう。
黒檜山の知名度にあやかって、何の係わりもない無い山に以前からの山名があるにもかかわらず、恣意的に

実は私が敬愛する手塚宗求(故人、霧ケ峰コロボックルヒュッテ)も同じような汚点を残している。
かつて霧ケ峰には幾つかの無名の山があり、遭難発生時などでは救助活動にも支障を生じていた。
そこで「山彦南の耳」とか「山彦北の耳」「樺の丘」
そこまでは功だが、残念なのは「ゼブラ山」である。

Img015
かつてここは北山麓の「男女(おめ)倉」にちなみ「男女倉山」とされていた時期ありその西側には佐久と千曲を結ぶ「男女倉越」が通じていた。
手塚さんが「ゼブラ山」とした理由を、冬期南側から見ると雪が縞模様を描きそれが縞馬を連想させたから、説明している。
雪のない季節だったらどうなのか、
私は手塚さんがこのような浅はかな

昭文社では男女倉山としているが、私はこの見識を支持する。

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