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幻の書『鹿島槍研究』が書棚にやってきた

2016年8月8日

念じ続けていればほしい本はいつかは必ず手に入る・・・
これまでも実際その通りになっていたが、それでもどうしても今日まで叶えられなかった、いわば私には幻の書とでも言える一冊があった。
吉田二郎著『鹿島槍研究』 (昭和32年 朋文堂発刊)がそれである。

Img004 戦後の登山界にあって、昭和20年代の『岳人』や『山と渓谷』などを舞台に華々しい執筆活躍をしていた吉田二郎が、彼自身の鹿島槍の北壁(カクネ里、荒沢奥壁など)の初登攀記録などを含めて、鹿島槍の登攀記の集大成となる力作である。

P5031844 鹿島槍 北壁 ~2010年5月 遠見尾根から。
鹿島槍北峰とカクネ里の間が北壁で、一時期幾つものヴァリエーションルートの初登攀争いが展開された。


その吉田二郎が後述するようなある事件が契機となり、忽然と登山界から消えて以来、この書も幻の本と化してしまった。

齢80を過ぎ、収集した膨大な山岳書の始末を考えているこのごろではあるが、この期に及んでも叶えられないものなら、とほとんど諦めていたのに思いがけないことからいとも簡単に手元にやってきた。

私同様に高齢になり身辺の整理をしている畏敬する会友のM・Uさんが、書籍の整理のためリストを公開した。
何とその中に私にとって久恋の一書『鹿島槍研究』が載っていたのである。
このような、見ようによっては黴が生えているような古色蒼然とした本には誰も見向きもしない、とは思いながら私が大急ぎで手を挙げたことは言うまでもない。
さすがにUさん、私などよりはるかに濃密な登山をしてきただけに、蔵書も一廉のものであった。
会に人多しといえど、文武両道といえるのはUさんに止めをさす。
氏は某職域山岳会の中心メンバーとして岸壁登攀や冬のアルプスでの登山歴を誇りながら、一方、博覧強記にして、今なお日本語やエッセイの教師をしていることからもうかがえるとおり、格調高い文章、エッセイを発表している。

昭和33年、当時の日本登山界にあって最も突出していた先鋭クライマーを糾合した「第二次RCC」が発足した。
戦前からの岸壁登攀の先駆者・藤木三郎を拝戴はしているが、実質的に会をリードしたのは「奥山ラッパ」の異称を持った奥山 章であり、「吉田ブシ」と言われた吉田二郎であった。
実践派にして、理論家の吉田二郎の盛名は不動のものと思われていた。
その彼の揺るぎない地位が突然降って湧いたようなできごとで瓦解することとなる。
その衝撃的な告発文は『岳人』137号(1959・9月号)に掲載された。
内容は吉田が所属していた山岳会「登嶺会」が、彼の登攀記録の8つが偽りのものであり、会の記録から抹消する、というものである。
とうぜん彼からの弁明はあったが、その内容はとても客観的に納得がえられるものではなく、彼は「このような登山界に愛想がつきた」といわば捨て台詞を残してフッツリと姿を消した。
同時に『鹿島槍研究』も幻の本になってしまった。

Img007 吉田二郎のもう一冊の単行本。

登山界からは姿を消したが、吉田二郎は決して死んではいなかった。
筆の立つ彼は「松山荘二」のペンネームで週刊誌などで達者なルポを書いて生業としていたようである。

そして彼のライフワークともいえる『古書髭「したよし」の記』を2003年3月に上梓したところ、各書評欄で好評を得られた。
仲間たちの肝いりで3月23日に出版記念会が開かれることが決まっていたが、その10日前の13日急性心不全で急逝してしまった。
享年72歳。

Img013

「したよしの記」は彼の祖父が御徒町で営んでいた「吉田書店」の盛衰をドキュメントに仕立てたものである。
扱うものは俳書、浄瑠璃本、黄表紙、洒落本などに限った特異な古書店で、古書店界では一定の地位を占めていた。
森鴎外、永井荷風、正岡子規、勝海舟など文人などが店の常連だった。
戦後の混乱期も何とかしのいできたが、1994(平成6)年三代目の死去によって店の幕は閉じられた。
本来であれば4代目になるべき二郎(松山荘二)はもともと書店経営には関心がなく、一時期阿佐ヶ谷で真似事みたいなこともしたが、永続きするはずもなくその灯もやがて消えてしまう。
この一書は彼の父祖に対する鎮魂の賦であり、償いでもあるのだろう。

そろそろ山との縁も切れようかという最晩年になって、長年探し求めていた「この一書」を手にできた喜びと共に、一人の岳人の数奇な運命に思いを馳せてみた。

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コメント

山岳の蔵書は風花さんにとって宝石に等しいものなのでしょう。
置き場に困ることと欲しい蔵書を手にすることとは関係ないようですね^^

投稿: おキヨ | 2016年8月 8日 (月) 12時48分

おキヨ様
いくら本が溢れてもて余すことになっても、座右から消すことができない、生涯の友となる本はあるものでね。
それは確かに宝物ですね。
そのような本が多いほどにかけがえのない宝物に恵まれているということになりますね。

投稿: 風花爺さん | 2016年8月 8日 (月) 18時46分

風花さん、こんばんは

ドギュメンタリーを読んでいる、そんな気持ちで拝見しました。調べてみましたら、「鹿島槍研究」は古本で一万円弱のプレミア付きで販売されていました。私は山を始めた頃の山岳小説やドギュメンタリーの本を購入、収集しましたが、2~30冊を入院した友人に貸して戻って来ないものがあり、残念でたまりません。吉田書店も凄いですね! 

投稿: 岳 | 2016年8月 8日 (月) 20時38分

岳様
『鹿島槍研究』は今や稀観本になり、プレミア価格がついていますね。
もし吉田二郎氏が存命だったらどんな感慨を抱くでしょうか。
私は幸運に恵まれ入手することができました。
本は貸すとたいてい戻ってこないですね。
これってどういうことなのかかねがね不思議でならないことだと思っています。
私も何度か苦い経験をしたので、本は原則として貸したり、
借りたりしないことにしています。
もし貸すことがあれば、それは上げるつもりで渡しますね。

投稿: 風花爺さん | 2016年8月 8日 (月) 21時04分

いったい何年越しの夢が叶ったのでしょうか。
長ければ長いほど、喜びも大きいですね。
私も「南アルプス 大いなる山 静かなる山 知られざるルート120選」という本をすっかりと諦めていましたが、諦めてはいけませんね(笑

吉田二郎さんの何とも真偽の気になるエピソード、、
興味深く読ませていただきました。

投稿: itta | 2016年8月 8日 (月) 22時18分

itta様
吉田二郎の偽りの登攀記録事件は半世紀以上も昔のことですが、これに類することはけっこうあるんですね。
新しいところではトモ・チェセンが単独でローツェの南壁を登ったという報告がインチキとされました。
審判のいないスポーツともされる登山では、つい功名心に駆られて誘惑に負けたこんな行為を起こしてしまう余地があるんですね。
良い本に巡り合えることは、いい山に巡りあえることと同じくらいの悦びがあります。
南アルプス関係では、平賀文男さんから始まる名著の系譜がありますね。

投稿: 風花爺さん | 2016年8月 9日 (火) 06時38分

私のようなミーハー山女には縁のない書物の話でさっぱり分かりませんが・・・
道標を見ながら、定められた登山道を歩くだけの人間には、奥深い山の書物は敷居が高すぎます!
その高潔な雰囲気だけ頂きました!

投稿: のりこ | 2016年8月15日 (月) 16時58分

のりこ様
のりこさん世代にはいかにも黴くさい話題ですね。
あの時代の登山界の空気は今とは全く違うものでした。
そういう中で功名心に駆られる余りに、踏違いを起こす登山家もいたのですね。
私には遠くなった青春時代の思い出です。

投稿: 風花爺さん | 2016年8月16日 (火) 06時23分

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