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なあなあな日常はクラシックの気分で・・・

2016年7月7日

山ブログを拝見していると、皆さん順調に更新しています。
山仲間からの写真便りも頻繁で、羨ましく思う反面、自分の置かれている状況は良く自覚しているつもりなのに、自分一人が取り残されているようで、ほんの少しですが嫉妬心もわきます。

私が罹患した悪性リンパ腫は「末梢性T細胞」というものらしく、日本人には少ないタイプで、直り難い代物らしいのです。
5日、退院後最初の外来治療をしました。
その折ドクターに、T細胞は活動性が高く、発症すると勢いが強いため一気に症状が進行し、場合によっては重篤になる危険がある、と脅されました。
クワバラ、クワバラ・・・せいぜい用心しましょう。

入院中で断固決意したことの一つが、生まれて初めて死と向き合ったこの発病を契機にして、こんどこそ身辺にあふれているものを思いきりよく整理すること。
その第一歩が本の始末です。
野口悠久雄氏が「本の整理の基本は捨てることである」と至極当たり前のことを言いながら、最大の壁「センチメンタル・バリア」がたちはだかりその壁を突き破るのが至難の業と認めています。
その壁を突破するため、本の顔を見ないようにしてひたすら段ボールなどに捨てる本を放り込みます。
多少、市場価値がありそうなものはBook Offに持ち込むつもりです。

それでも2~3割減らせるのがせいぜいでしょう。
残る山岳書を中心にした千冊近い巨峰をどう始末つけるか・・・。
私もよく買った山の古書専門店に一度相談してみよう。
しかし、山岳古書の売れ行きがバッタリ止まった昨今では専門書店でもいい返事はもらえそうもありません。

人混みにはなるべく行かないこと(ウイルス感染リスク)の注意もされているので、外出もおのずと控え、今観たい映画「64ロクヨン」も我慢しています。
自宅で過ごし時間が多くなったので、この機会になかなか落ち着いて聴けないクラシックを聴くことに費やしています。
FM放送でエアチェックしたアナログカセットテープが中心ですが、鑑賞レベルの低い私にはこれで十分です。
最近の大きな収穫は
ヴァーツラフ・ターリッヒが指揮したチェコフィルの「新世界」を収録できたことです
ターリッヒはチェコフィルを今日の世界的オーケストラに育て上げた名指揮者で、私も長いことその演奏に渇仰していました。

A ヴァーツラフ・ターリッヒ (1883~1961)
余談になりますが「ヴァーツラフ」というファーストネームは日本で言えば「太郎」と同じようにとてもありふれた名前ということをチェコの旅で知りました。

正直言って私の耳は著名な音楽評論家が言うような、指揮者による演奏の違いは分かりません。
ベートベンの「田園」のベームとカラヤンの違いくらいは何とか分かりますが・・・
なのでターリッヒの「新世界」と言っても、ほかのあまたの名演奏との違いは分かりません。
また1954年の録音ですから当然モノラルです。
いううまでもなく音質は劣ります。
それでもターリッヒ+チェコフィルという組み合わせだけで自分の頭の中で勝手にある種の香気をつくりあげ、神格化しているのでその演奏には大満足しています。

そうそう「なあなあな日常」はいうまでもなく三浦しをんさんの『神去(かみさ)なあなあ日常』を借用したものです。

Img004

「なあなあ」とは、三重県・中西部で、奈良県との県境近くにある「神去村」の辺りの村民が日常的に用いる言葉で、いろいろな局面で使う便利な言葉のようです。
煎じ詰めると「ゆっくり行こう」というような意味のようです。

今夜は七夕か・・・
神妙にも「健康寿命を少しでも長く・・・」とでも織女と彦星に願いましょうかね・・・。

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コメント

不安な気持ちを余儀なくされる病巣を抱えながら何と肝の据わった本物の大人、というのが私の感想です。

いかなる事態が起きても泰然自若の姿勢こそ風花さんの今までの生き方を物語るものなのでしょうね。

嫉妬はある意味人間に必要な感情。大いにお仲間への嫉妬心をもやし、必ず再び登山に参加されることを望んでおります。

硬い話はこれだけにして、しばしごゆるりと
お好きな音楽、本をお楽しみください^^

投稿: おキヨ | 2016年7月 7日 (木) 12時03分

おキヨ様
全然泰然自若となんかしていられません。
ごくごく普通の爺さんですから、ドクターの一々の言葉、自身で感じる状態などで一喜一憂の間を揺れ動いているのです。
ただ、人間最後は「なるようにしかならない」という無責任というべきか、ある種の諦観みたいなものがいつのころからか、心の底にあるようです。
大分長い休止符になっていますが、こんな時でなければ出来ないことで過ごすことにします。
長い人生にはこんなこともありますよね。

投稿: 風花爺さん | 2016年7月 7日 (木) 17時35分

風花さん、こんばんは

私が社会人になった時、社員100名位のローカル企業でしたが、朝礼で現金を片手に札を集めろ!大阪商人社長の檄に圧倒された事を覚えています。その後も捨てる技術を身に付けろなど、色々学びました。今時は断舎利、中々難しいですね。ウオ-クマンの発売で、耳には過酷な音の中での業務の結果、今ではその影響も出ています。


投稿: 岳 | 2016年7月 7日 (木) 20時52分

岳様
高度成長期の企業戦士として、岳さんも日夜、奮励努力された世代ですね。
そうした苦労はおおかた報われているのではないでしょうか。
捨てることはいざ実行となると難しことですね。
私は異性から捨てられることには慣れているのですが、捨てることは全然慣れていませんので・・・
チト違いますか?
耳には過酷な負担を強いられたようですが、反動で静かなのがいいですか?

投稿: 風花爺さん | 2016年7月 8日 (金) 06時45分

久々のアップを拝見して何はともあれ、嬉しく思いました。
私も実は、根には深い「羨ましがり屋」を巣食っている「嫉妬深き」人間です(笑い)
人生いろいろです。
病気を体験すると言うことはなかなか誰でも体験できると言う訳ではなく、一代「闘病記」を記すのも良いのでは?
今日元気そうに出かけて行っても、夕べには生きて帰れないことは万人にあることだと、昨年、私の本は小さい里山程度ですが、着払いで送って、お金が振り込まれる、ネットでの古書店を利用しました。
それは、母が階下に居なくなったのを機会に自身の生活(パソコン&食事&睡眠)を階下にしたので、2階の本を軽くしました。
時々、捨てた服、売った本を探しています(笑)
記憶がトンと乏しくなっていて、その内「記憶障害」になるのじゃないかと危惧しています。
音楽鑑賞、読書と幅拾い趣味を持っていらっしゃるので、時間を持て余すことはないでしょうが・・・
すみません、まとまらない自分のことばかり話してしまいました。

投稿: のりこ | 2016年7月 8日 (金) 13時35分

のりこ様
喜怒哀楽・・・人はだれにでも自分のなかにさまざまな感情を抱えていて、それが「人」を形成しているのでしょうね。
ジェラシーもあって当たり前で、それを成長のバネにする人もいるようです。
私は長いこと病気とは無縁の人生を送ってきましたが、ほぼ10年前に「狭心症」の治療を受け、そして今回のこの一件です。
考えようですが、これで一人前になれたのかも知れませんね。
人の明日は定めがたく、いつ、どこで、何が起こるかわかりません。
思い屈すると「なるようにしかならない」という場所に私は逃げこむんですよ。
そうですか、ネットで不要な本を売る、」という方法もあるんですね。
勉強してみます。

投稿: 風花爺さん | 2016年7月 8日 (金) 16時07分

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