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2016年7月

「南高尾山稜」で復活3戦目

2016年7月27日

梅雨明けが遅れている関東地方は夏とは名ばかりの低温の日々である。
こんな時は高尾山界隈の低山歩きも苦にならないのがありがたい。
そこで今日(25日)このところ少し間があいた南高尾に向かう。
このところ定番にしているズル~10:14高尾山口駅前発の相模湖行きのバスに乗り、大垂水峠で下車する~をして高度を200mほど稼ぐ。

大垂水峠から登り始めると、足取りがシッカリしてきていることが実感された。
この調子なら自分が思っていたより大分早く復調できそうだな、と思わず色気が出てしまった。

Dscn6067 峠から南高尾の稜線に乗りあげた位置の標識。
南高尾の尾根筋では今の時期、ギボウシと、香りだけで存在が分かる山百合くらいしか花を見ない。

Dscn6068 今日の最高点「大洞山」~といっても標高わずかに536mで高尾山より低い。
大垂水峠との標高差もたったの150mほど。
いったん下り、右への巻き道を取らずに真っ直ぐ登り返すと「コンピラ山」になるはずなのだが、どうしたわけか名物化しているザック掛けなどが見当たらない。
怪訝な思いを抱いたまま下る。

Dscn6072 下った所が中沢峠。
南高尾の山稜には甲州街道へのエスケープルートが何本もある。
この中沢峠は大垂水峠側からだと、一番早く甲州街道へ下りられる。
登りの調子ではまだまだ歩けそうな気がしたが、今日は初めからここから下るつもりでいた。
これまでこれを下降ルートとして利用したことがなかったので、様子を知っておきたいという理由もあった。

Dscn6074 山道を下ると間もなく林道になった。
その道すがらの草叢の中に一際目を引く花が咲いていた。
一瞬「ヒメサユリ」?と思ったが、こんな場所に咲いているはずがない。
よく見るとユリ科の花のように葉がなく、地面から真っ直ぐ茎が立ちあがりその先端に花を着ける。
ネットで調べたところ、南ア産の「ネリネ」(別名ダイヤモンドリリー、ヒガンバナ科)に酷似している。
しかしネリネは花期が秋だそうで、その点が合致しない。
名前の分からない別種であろう。

Dscn6075 こちらはキツネノカミソリに似ているが、やはり別物なんだろうな・・・
前出の花もそうだが野生種には思えない。
誰かが園芸種の球根を植えつけたものであろう。

Dscn6079 珍しくもないが、余りに豪華な咲きっぷりに思わずカメラをむけてしまった。

林道は舗装された車道になり、足取りがすっかり重くなってきた。
復帰後の山道下りは2度目になるが、1度目のとき下りのバランスが極度に落ちていることに気づいた。
自慢になるが、私はバランスはよく、目で足元の岩石を拾いながら、ゴロタ道を余り苦にしないで歩けていた。
ところが、すっかり様変わりしてしまった。
少しでも足元が悪いとスムーズに足捌きができず、また足もとが良い道ではスピードが上がらない。

Dscn6080 ほどなく道の両側に数寄を凝らした和風の建物が立ち並んで所に下りてきた。
食欲をそそるいい匂いも漂う。
アレ!もしかしたら・・・その、もしかの通り「うかい鳥山」に下りたのだ。
入口の様子には見覚えがある。

R20(甲州街道)に出た。
ここから「高尾山口」駅までのがやけに長く感じられた。
最短距離で降りたことは正解だった。

自分で想定していたよりは回復の足取りは早いようだが、これから少しずつハードルを上げていくとして、それは順調に右肩上がりの軌跡を描いてくれるだろうか?

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南房総・麻綿原のアジサイは今が花盛り

2016年7月23日

この時期に標高400mにも満たない会行事、南房総・麻綿原の低山ハイクでは、暑くて熱中症の心配をしなくてはならないだろうな~。
それもさることながら、病気からの回復途上にあることで、私はパスすることにしていた。
近隣歩きや、オペラシティの50段の階段上りなどで幾らかのトレーニングはしているものの、今日の3時間の歩きはいくらフラットコースといえども自信が持てなかったからである。
ところが会の長老だったO氏が参加することを知り、儀礼上からも参加しないわけにはいくまいと思い、急遽割り込んだ。
結果的には誰にも迷惑をかけるようなこともなく歩き切ることができた。
さすがに腿の筋肉に強い張りが出たが、これくらいなら良しとできる。

この日(22日)は北東気流型の気圧配置になったので、三陸からの冷たい空気が流れ込み、天気はぐずつくが気温はあがらないのがありがたい。

Dscn6053 アクアラインでアッという間に房総に渡り、房総半島のほぼ突端の鴨川にでて、スタート地点のここ日蓮宗の総本山・清澄寺に到着。
信仰心の乏しい私は無節操に、どこでも合掌したり、柏手をうったりしてお詣りの真似事をする。

Imgp1153 小雨模様の中、21人の参加者がスタート。
ほとんどフラットな林道歩きが続く。
実はこの林道ではヤマビルの心配があるそうで、殺虫剤を用意し、それぞれはスパッツを着けた。
私はこれまでの体験でスパッツでは防げないことが分かっていたので、レインパンツの裾を絞めただけ。
道の両側の濡れた落ち葉が堆積しているところはいかにもヒルがいそうで、注意していると、やがて身をくねらせ背伸びして獲物を待ち構えているヒルを見つけることができた。

皆、注意して濡れ落ち葉を踏まないようにして歩いた。
それでも安心は出来ないので、ヒルの出没の心配がなくなったところでそれぞれ足元の点検をすることとした。

Dscn6054 山百合とアジサイのコラボ

Imgp1162 妙法寺の境内に入ると万山を彩るアジサイの饗宴。

Imgp1172 蛭の心配がなくなったところでそれぞれ足元を点検する。
やはりやられた・・・2人の被害者があった。
咬まれないまでもヒルがスパッツの中に入りこんで、被害直前のものも数名いた。
私は一度だけ経験しているが、その時の出血はこんなものではなかった。
靴下が真っ赤に染まり、数時間出血が止まらなかった。

Dscn6056 妙法寺の全景

Dscn6058 俯瞰する広大な境内だが、霧雨に煙っている。
しかし、アジサイには雨が似あう。

Imgp1166_2 今日の一行 ~3名画面に入っていない。

Dscn6062 帰路での海ほたる ~東京湾は朝と同様、不機嫌そうに鈍色に光っている。

Dscn6063 海ほたるで東京湾上に出たアクアラインは真っ直ぐ木更津に向かい10分ほどで千葉県に入る近さ。
ここでこれまで一度も思ってもみなかった疑問が浮かんだ。
海上から海底のトンネルに入る構造だと、トンネルの入り口から海水が流入するが、もちろんそんな素人でも思いつくようなことの対策はあって、その秘密がここ「海ほたる」にあるはずだ。
それは海ほたるの構造をネットで調べると興味深い。

30分の時間が取れたので、小腹を充たすため「海鮮三崎港」に入ったが、あまりの不味さに閉口。
この不味さは宣伝が盛んなスシローにひけをとらない。

そんな次第で心配は杞憂に終わり、恙なく歩き切ることができた。
しかし、これをもってして山に戻れる、というほどの楽観はできない。
水平移動は足にさほどの負荷はかからないが、垂直方向へはその何倍もの負荷がかかるからである。
使う筋肉も違う。

今は希望を失うことなく、コツコツ地道にトレーニングを重ねること、それに尽きる。

 

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「鷲ヶ峰」で小さな一歩を踏み出したものの・・・

2016年7月16日

都知事選は紆余曲折ののち、有力候補3人に絞られた。
三人三様でそれぞれ持ち味がかなり異なる顔触れによる面白い選挙になりそうである。
地味ながらいかにも手固そうな行政経験豊かな増田候補。
マスコミ戦術に長けて、華々しいパフォーマンスが得意な小池さん。
ジャーナリストとして抜群の見識があり、情熱もあるが行政には全く経験のない鳥越候補。
31日にどんな結果がでるか興味は尽きない。

さて退院してから2週間。
専ら自宅静養で体力の涵養に努めていて、徐々に回復してはいるが、まだ山を歩くところまではほど遠い。
そんな日常の中で、ワケあって中山道の難所「和田峠」あたりの最近の様子を知る必要があり、現地へ出かけた。
ついでに9月に会で歩く霧ケ峰の西端にある「鷲ヶ峰」へも少しだけでも登れないものかと、久しぶりの遠出したのが11日。

かつて中山道最大の難所として旅する人に試練を課していた「和田峠」の変貌振りは著しい。
ビーナスラインと、新和田トンネルが開通し、古い峠道は今はマニアックな古道ファンが歩くだけの道になっている。

Dscn6027 徳川幕府によって「東山道」の代替として開かれた「中山道」には今でも往時を偲ぶものがたくさん残っている。
これは和田峠の近くにある通称「接待」~正式には「永代人馬施行所」といい、峠越えの人に粥一杯、馬には小桶一杯の麦を振る舞った、ということである。

Dscn6029 峠の北側でかつては「東餅屋」として名物の力餅を供していたが今は沈黙のままに朽ち果てるのを待つだけ。
鉄器ができるまでの間、人は黒曜石を用いて狩りをし、生活用具としていた。
この周辺一帯はその黒曜石の産出地として全国から人が集まったそうである。

Dscn6031 和田峠近くの唯一の休憩所「農の駅」
ここが鷲ヶ峰への登山口になる。
自宅周辺の坂道歩きはしているが、山道を歩くのは1・5ヶ月振り。

しかも今回は単なる空白ではなく、その間に著しく体力を減衰させた後である。
絶対にムリはしないで、行けるところまででj引き返すつもりでいる。

Dscn6036 振り返ると三峰山。
右の遠景は美ヶ原方向。

スタート地点から標高差にして約150mを1時間かけて登ってきた。
通常の倍の時間を要しているが、それは現状では仕方ない。
それより思いがけない現象が起きていた。
足が小刻みに震えているのだ。
これまで足が動かなくなるような疲労は何度も経験しているが、こんなことは初めて。
疲れというよりは、体の内部で何かの警告を発しているように思えた。

”今日はここまでにしておこう”

Dscn6039
そこに見えている蓼科山も”ウン そうした方がいいよ!ムリして何かが起きたら元もこもない。山は逃げないで待っているからシッカリ直してからでも間に合うよ・・・”などと言っていてくれているようである。・・・な訳はないか・・・・・・

もともと、こんなに早く山に戻れることは考えていなかったのだ。
これだけでも、前途に光明が灯った、と思うことにしよう。

Dscn6045 車に戻り「八島湿原」に移動。
駐車場は満車状態。
湿原の端に出て「七島八島」を見渡した。
5年ぶりくらいになるだろうか

Dscn6046 日本最南端の高層湿原なのだそうである。
そう言われてみるとここより南の高層湿原は思い当たらない。
高層湿原といえば代表的な尾瀬はもちろん、立山の弥陀ヶ原、苗場山など標高の高い所に多い。
そこで「高層湿原とは標高の高いところにある湿原」という誤解が生じる。
実は高層湿原と標高とには直接の関係はない。
標高の低いところにも高層湿原は存在し得る。
池や沼などの底にヨシやスゲ類が堆積(泥炭)し、まず低層湿原が形成される。
次の段階で有機物や無機土壌の堆積が進んで中層湿原へ。
さらにミズゴケ類や湿原植物が侵入して堆積が高くなり、その一番高いところが凸レンズの形で水面上に現れた状態が「高層湿原」ということになる。

脱線してしまったが、中山道には歴史を物語る史跡が保存されているものを含めたくさんある。
興味をそそられるので、山歩きを離れてその探訪してみたい気がしている。
それが果たせるのはいつのことになるか、今は分からないが・・・・・・。

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とうふ屋うかいでの優雅なランチ

2016年7月11日

つい先日、ごく内輪の会食で、ご馳走に預かりました。

場所は東京芝「とうふ屋うかい」で、東京タワーの足元にあります。
「うかい」は東京一円で、広大な和風庭園でのいろいろなスタイルでの飲食店を展開しているようです。
高尾山の懐にもいろり炭火焼の「うかい鳥山」、懐石料理の「うかい竹亭」があり、それぞれ5千坪もの広大な敷地の中に建物を点在させ、客をして贅沢な気分の中で食事を楽しめる趣向にしています。

Dscn6014 高さこそスカイツリーに譲りましたが、こちらには長年のノレンがあります。

久しぶりの外出らしい外出で、医師などから外出時には肺炎対策として必ずマスクをすること、帰宅時の手洗い、うがいの励行をを言われています。
さからう理由はないので素直に従っています。

Dscn6015 ここ「とうふ屋うかい」も都心なだけにさすがに敷地は千坪程度とこぢんまりしていますが、なかなかのものです。

型通りの乾杯では本当に久し振りにアルコールがノドを通過しました。

Dscn6021 手延べそーめんから始り、いろいろあるので一々写真にするのも面倒で、半分ほどは省略します。

Dscn6023_2 穴子ざく、鱒すしなどの盛り合わせ

Dscn6024 豆水とうふ ~とにかく豆腐づくし

Dscn6025 しょうが御飯に、くずきりで締め。

私はどうも会席料理とか、精進料理の類で、料理がチマチマ供されるのは苦手で、いまいち「食べた!」という満足感に浸れないのです。

所詮「食通」とは縁なき衆なんですね。

今日は参院選挙。
期日前投票で権利は行使しましたが、今回の参院選ほど覚めた国政選挙も珍しいのではないでしょうか。

特に、東京では枡添劇場の余韻が消えないうちに、都知事選の面白そうな新しい幕が開きそうで、都民の関心は皆ソッチに向いてしまいました。

どうやら主役に世渡り上手姫が躍り出そうです。

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なあなあな日常はクラシックの気分で・・・

2016年7月7日

山ブログを拝見していると、皆さん順調に更新しています。
山仲間からの写真便りも頻繁で、羨ましく思う反面、自分の置かれている状況は良く自覚しているつもりなのに、自分一人が取り残されているようで、ほんの少しですが嫉妬心もわきます。

私が罹患した悪性リンパ腫は「末梢性T細胞」というものらしく、日本人には少ないタイプで、直り難い代物らしいのです。
5日、退院後最初の外来治療をしました。
その折ドクターに、T細胞は活動性が高く、発症すると勢いが強いため一気に症状が進行し、場合によっては重篤になる危険がある、と脅されました。
クワバラ、クワバラ・・・せいぜい用心しましょう。

入院中で断固決意したことの一つが、生まれて初めて死と向き合ったこの発病を契機にして、こんどこそ身辺にあふれているものを思いきりよく整理すること。
その第一歩が本の始末です。
野口悠久雄氏が「本の整理の基本は捨てることである」と至極当たり前のことを言いながら、最大の壁「センチメンタル・バリア」がたちはだかりその壁を突き破るのが至難の業と認めています。
その壁を突破するため、本の顔を見ないようにしてひたすら段ボールなどに捨てる本を放り込みます。
多少、市場価値がありそうなものはBook Offに持ち込むつもりです。

それでも2~3割減らせるのがせいぜいでしょう。
残る山岳書を中心にした千冊近い巨峰をどう始末つけるか・・・。
私もよく買った山の古書専門店に一度相談してみよう。
しかし、山岳古書の売れ行きがバッタリ止まった昨今では専門書店でもいい返事はもらえそうもありません。

人混みにはなるべく行かないこと(ウイルス感染リスク)の注意もされているので、外出もおのずと控え、今観たい映画「64ロクヨン」も我慢しています。
自宅で過ごし時間が多くなったので、この機会になかなか落ち着いて聴けないクラシックを聴くことに費やしています。
FM放送でエアチェックしたアナログカセットテープが中心ですが、鑑賞レベルの低い私にはこれで十分です。
最近の大きな収穫は
ヴァーツラフ・ターリッヒが指揮したチェコフィルの「新世界」を収録できたことです
ターリッヒはチェコフィルを今日の世界的オーケストラに育て上げた名指揮者で、私も長いことその演奏に渇仰していました。

A ヴァーツラフ・ターリッヒ (1883~1961)
余談になりますが「ヴァーツラフ」というファーストネームは日本で言えば「太郎」と同じようにとてもありふれた名前ということをチェコの旅で知りました。

正直言って私の耳は著名な音楽評論家が言うような、指揮者による演奏の違いは分かりません。
ベートベンの「田園」のベームとカラヤンの違いくらいは何とか分かりますが・・・
なのでターリッヒの「新世界」と言っても、ほかのあまたの名演奏との違いは分かりません。
また1954年の録音ですから当然モノラルです。
いううまでもなく音質は劣ります。
それでもターリッヒ+チェコフィルという組み合わせだけで自分の頭の中で勝手にある種の香気をつくりあげ、神格化しているのでその演奏には大満足しています。

そうそう「なあなあな日常」はいうまでもなく三浦しをんさんの『神去(かみさ)なあなあ日常』を借用したものです。

Img004

「なあなあ」とは、三重県・中西部で、奈良県との県境近くにある「神去村」の辺りの村民が日常的に用いる言葉で、いろいろな局面で使う便利な言葉のようです。
煎じ詰めると「ゆっくり行こう」というような意味のようです。

今夜は七夕か・・・
神妙にも「健康寿命を少しでも長く・・・」とでも織女と彦星に願いましょうかね・・・。

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退院しました

2016年7月02日

6月9日の検査で、病状が一刻も猶予ならない切迫した状況に急変していることが判明し、11日の入院を2日前倒ししてそのまま緊急入院することとなりました。

直ちにステロイドの投与から始り、抗ガン剤の投与に移りそれは数日後から劇的に効果が表れ、劣勢になったリンパ腫がドンドン後退していくのが分かるようでした。
しかしとうぜんながら副作用を伴い腎臓障害、血小板の低下、赤血球の減少、白血球の減少などが出て、その都度輸血を受けました。

そうした治療のおかげで入院前のほとんど死んでいるような絶不調から、目に見えて体力、気力が回復してきました。
体重が10kg減ったのは驚きでした。
手足のやつれは目を疑うほどで”これがオレか?”とおもうほど別人のようでした。

ともあれこうして28日に退院となりました。
とはいえガンをすっかり退治できたわけではありません。
いうなればか仮釈放のようなものです。

これからも多分長期にわたる通院治療が続くことになるのだろうと思っています。
今はすっかり衰えてしまった筋力で、登山どころではありません。
自宅周辺の散歩を繰り返し、すこしずつ足の筋力を取り戻していきます。

今は先ず、入院で滞ってしまっていたことを片付けて、前に向直って先のことに向かいあうこととします。
できれば山歩きを再開したいのはいうまでもありません。

この間に起こった世界を震撼させたできごとと言えばいうまでもなく英国での「EU離脱の是非」を問う国民投票の結果で離脱が過半を占めたことです

大方の予想は僅差ながらも最後には残留を選ぶであろう、いうものでしたからこの衝撃は世界中に大きな波紋を拡げました。

私は英国は日本が常に手本にしてきた政治的には熟成した大人の国で、民度の高い国だと常々思っていました。
しかし、この結果を受けてのは私の感想は「英国もやはり衆愚の国」であったのかというものでした。

そもそもEUを離脱するかどうかのような非常に高度で多角的な判断を要するテーマを国民投票にすることが正しかったのか、と疑問に思います。
キャメロン首相のポピュリズムが出たように思います。

ニュージランドがしたように国旗を変えるかどうか、代えるとしたらどれがいいか、というような単純な問題の立て方ができれば国民投票もいいでしょう。

しかし国論を2分するテーマでもEC離脱のような高度な判断が求められるテーマでは右か左かに単純化できないだけに国民投票にはなじないでしょう。
国民には問題の表層しか見えませんから勢い、情緒的で刹那的な判断しかできません。

大英帝国の残影を引きずっている高齢者、職を奪った移民が憎い、そうした理性を失った有権者の投票率が高く、英国の将来を担う若者は30%しか投票していないそうです。
その結果が自分の身に振りかかる火の粉になることに気づいていないのでしょうね。
この辺りも日本と変わりませんね。

なので、この結果が出て、それがいかに深刻な事態を招くかが次第に理解できるようになって、こんな筈ではなかったと慌てて再度の国民投票を求める声があがってきています。
しかし「覆水盆に還らず」 もう手遅れです。
英国の政治状況は混迷を深めるばかりでしょう。
チャーチルやサッチャーのようなスケールの大きな宰相が現れなければこの危機を乗り越えるのは困難ではないでしょうか。

退院してのさしあたりの問題の一つが食べ物の制限です。
塩分、蛋白質あたりはしかたがないとしても、困ったのは大好物の西瓜を含む果物、生野菜の制限です。
これらに含まれる「カリューム」がよくないのだそうです。
まぁいいか・・・

再開のブログはこんなものになりました。

当面は身辺のことでお茶を濁すことになるでしょうね。

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