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登山家の業を描く映画「エヴェレスト 神々の山嶺」

2016年3月16日
華やかな宣伝を展開していた映画「エヴェレスト 神々の山嶺(いただき)」が封切になったので、さっそく(でもないか・・・)新宿ピカデリーで観賞してみました。
平日のせいもあるのでしょうが、入りは4割程度で、関係ないのですが興業成績のことが気になりますね。

A

夢枕 獏の原作は渾身の大作です。
読破するのも力仕事?になります。

Img007

なので、著者自身が映画化は不可能だろうと言っていましたが、映画にしてしまいました。
しかし、何の予備知識もなくこの映画を観たら多くの人はよく理解できないものが残るだろうなと思います。
ストーリーについて書くのはやめておきましょう。
ジョージ・マロリーが果たして世界初のエヴェレスト登頂成功者になったのかどうかは登山史上最大の謎ですが、その鍵になると見られているが行方不明のコダックカメラ。
阿部 寛が演じる羽生丈二のモデルとなっている一匹オオカミのクライーマー森田勝と、森田を凌駕したクライマー長谷のモデル、長谷川恒夫との微妙な関係。
こうした史実についてある程度の知識がないと、羽生がなぜ「冬期、単独、無酸素でのエヴェレスト 南西壁」への無謀な登攀をしようとしたがが読み解けないようです。

Img016 羽生のモデル森田 勝 ~この長めの顔、どことなくこの役を演じた阿部 寛に似ていませんか?

何故山に登る? ~南西壁登攀中に問われた羽生は、「オレがそこにいるからだ」と答えます。
例のマロリーの「Because It Is There」~そこにそれ(エベレストのこと)があるから・・・を連想させられます。
マロリーの言葉(実はマロリーが本当にそう言ったのかどうか証明されていあないのですが・・・)同様に、相当形而上学的で正直理解できません。
実は、羽生が言わんとする意味は原作の中では明らかにされていると思われます。
羽生(森田)が若かったころ、当時、冬期にそこを登攀することは自殺行為だとされていた谷川岳・一ノ倉沢の滝沢スラブの初登攀を狙った羽生が、ザイルパートナーに語る場面です。
「いいか、山屋は山に登るから山屋なんだ。山屋の羽生丈二は山に登るんだ。山に登らない羽生丈二はただのゴミだ」と。
つまりここにいる羽生丈二は、山に(エヴェレスト南西壁)挑むからこそ羽生丈二なんで、ここにいる羽生丈二は、羽生丈二であるためには山に登らなくてはならないのだ、ということでしょう。
因果なものですね。
フーンそうなんだ・・・頷いた振りをしてもやはりわかりません。
命と引き換えになってもいいから山に登る理由が・・・・・・。
谷川岳で、北アルプスで、欧州アルプスで、ヒマラヤで、世界中の山で、実にたくさんの有名無名の登山家が人生の途中でかけがえのない命を落としているのです。
何かが憑依(ひょうい)して、自分の意志を超えて、憑依した何ものかに突き動かされているとでも考えないと、・・・?
私ごときどう転んでも、安全パイの山にしか入らないものには見えない世界があるのでしょうね。
その世界を覗いてきた登山者は、そこで何かに取りつかれてしまうのでしょう。

A_2  エベレスト南西壁 ~この雪さえつかない黒々とした巨大な岸壁は1993年群馬岳連隊によって初登攀されました。

山岳映画もかなりな数になります。
昔の「銀嶺の果て」や「氷壁」などに比べてみれば、出来栄えのレベルは比較するのも愚かなほど上がっています。
先年のややマンガティックな「劔岳 点ノ記」に比べても、リアリティが向上しています。
観て損をした、ということはないと思います。

それでも、昨年11月に公開された「エヴェレスト3D」がIMAXの効果もあって圧倒的な迫力を見せつけてくれたものを超えることは難しそうです。

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コメント

風花さん、こんばんは

話題の映画ですね。フェイスブックの「山が好き仲間」でもコメントが多いですが、一様に判りずらいとの意見が多いです。その為に小説を8時間で読破してから、映画館に行ったと言う人までいました。 山に取りつかれて、生存しているクラーマーの少ないのには驚きますが、山登りの目的が違う私には、次元の違う世界だと思っています。

投稿: 岳 | 2016年3月17日 (木) 20時04分

私には、一口に「山」の小説、映画とはいえ、全く、及びもつかない、想像すら絶する世界なので、結局「山や」は死ななければ「山や」を終わることは出来ないほどに挑戦をし続けるのかなぁ~~と思うばかりです。
小説と映画では、同じ内容でも文字で想像するのと、映像で見せられるのとでは、両方を体験した方には違いが顕著でしょうね。
私が望むのは「春を背負って」を無理して雄大な立山に撮影の地を選ばないで、本当の秩父界隈で、マイナーな秩父地域の山小屋を守り、道を作った地味な映画にして欲しかったと思うばかりです。
関係ない話でした!

投稿: のりこ | 2016年3月18日 (金) 05時07分

岳様
この映画、分かり難い、という感想は素直に受け取れます。
小説の方は微細にわたり書きこんでいるのですが、映画になるとズタズタになるほど省略されますから分かり難くて当然の結果になるでしょう。
そこらを脚本とカメラワークの力で原作に迫ろうとはするのでしょうが、所詮限界があるのではないでしょうか。
死と背中合わせであることを自覚しながらなおデスゾーンに入ろうとする登山家と、死ぬ覚悟など必要のないわれらハイカーとの間には大きな開きがありますが、そのハイカーですら時に死に直面することがあるのですから、山には魔性が潜んでいるのでしょうか。

投稿: 風花爺さん | 2016年3月18日 (金) 06時57分

のりこ様
深田久弥は”なぜ山の小説を書かないのか?”と聞かれて”山にはドラマがないから”と答えたそうです。
決してそんなことはなく、登山の世界にも人間ドラマはたくさんありますね。
加藤文太郎、松濤明、山田昇、奥山章などドラマ化に叶う岳人は大勢いると思うのですが・・・。
原作を読んで自分なりに描いたイメージと、それが映像化された時のギャップは宿命的に生じるものですね。
「春を背負って」についての、のりこさんの感想には全く同感です。
奥秩父の原生林の中の小さな小屋での静謐な物語が、まるっきりブチ壊しになっていましたね。

投稿: 風花爺さん | 2016年3月18日 (金) 07時13分

山の持つ魅力を映像で観たいと単純に思ったのですが
内容的には私には難しそうな映画のようですね。

投稿: おキヨ | 2016年3月18日 (金) 12時39分

おキヨ様
今をときめく岡田准一を起用しての映画化ですから、製作側にはずいぶん気合が入っていたことでしょう。
それが観客の胸に素直に届けばいいのですが、なかなかうまくいっていないのではないでしょうか。
近頃、一段と涙腺が緩んでいる私が目頭を熱くするシーンは一度もなかったですね。

投稿: 風花爺さん | 2016年3月18日 (金) 17時51分

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