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美瑛の丘から「哲学の木」が消えた日

2016年2月26日

今朝、新聞紙面の片隅の記事に目が留まった。
記事は美瑛の丘陵の畑に立つ一本のポプラの木が切り倒されたことを伝えていた。
その木はいつのころからなのか「哲学の木」と呼ばれるようになり、私が最後にその木の下に立ってから五年が経つ。

緩やかな起伏の寒冷の大地を、開拓に入った人々が、筆舌に尽くしがたい苦労を長い年月をかけて積み重ねながら営々と切り開き、小麦や馬鈴薯を作ってきた。
一人の写真家がそれまで誰も気付かなかったその丘陵の、人の手によって巧まずしてつくりあげられてきた「美」を発見した。
前田真三氏である。

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前田真三氏の写真集でうねる大地の上に人の手で生みだされた光景に多くの人が感動し美瑛は一躍、観光地として脚光を浴びた。

その一角で人気スポットの一つとされていた「哲学の木」が24日、遂に土地所有者の手によって切り倒された。

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麦や馬鈴薯を作物とする畑に立つ、何の変哲もない一本の「イタリアプラタナス」
私も数度、その足元に立っているが、どこにでもあるごく平凡な樹木でしかない。
それがどうしたわけか、やや傾いたその樹形が哲学者の思惟の姿を思わせることから「哲学の木」の名を与えられ、観光バスも乗り着けるような有名スポットになった。

 美瑛の丘をさらに有名にしたのは日産自動車の「ケンとメリーのスカイライン」のCFで美瑛の丘にスックと立つポプラであった。
パッチワークの花畑、十勝連峰を背景にしてスッキリ立ち上がる姿は美瑛の丘に立たなければ見られないものとなった。

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これらがが引き金になって、セブンスターの木、親子の木、マイルドセブンの丘など、それまでただの点景でしかなかったものが次々とスターダムに名乗りあげてきた。
過熱した観光ブームは地域振興に大いに役立ったのだろうが、その陰でヒッソリと命を終える木があることに、多くの人は無関心であろう。

畑の持ち主がこのポプラを切ろうと思い立った動機は、木の老齢化もあるが押し寄せる観光客の傍若無人な振る舞いの繰り返しにある。
畑に立ち入らなくても写真は撮れるのに、ズカズカ入りこみ畑を荒らし、時にはたまたま置いてあるトラクターに乗りこんだりの仕放題。
この有様に地主自らも対策し、行政にも善処をもとめたが成果はなく、もう数年前から伐採することを考えていたようである。
この数年間、切るか切るまいかの葛藤に揺れ動いていたが、不本意ながら結末を迎えたこととなる。

 
開拓農家の汗の結晶の恩恵をタナボタ式に受けたはずの行政には何か打つ手はなかったものか悔やまれる。

~手元に美瑛で写した適当な写真がないためネット上でお借りしました。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

私は美瑛は行ったことがなくて、この木のことは
「この木、何の木~~」で知らなかったのですが
(疎くてすみません)でも今回のニュースを見て、
マナーがない人々に静かな怒りで木を伐採した地主の
方に「最も!」と賛同しますね。
新潟市の角田山も雪割草の時期には登山道を外れて
撮影する人、ドサッと団体で訪れて次々にロープを越えて
撮影する人が後を絶たないと問題となっております。
マナー違反は外国人だけでなく、日本人もありで、
一瞬のマナー違反の意識の薄さが問題の根源ですね。、

投稿: のりこ | 2016年2月27日 (土) 07時32分

のりこ様
山に限らず、社会全般にわたって日本人のマナーは見違えるほど向上していると思えます。
それが僅か半世紀前あたりでは酷いものでした。
今の爆買いの国と似たようなものでした。
それでもこの度の一件のような出来事が起こるのですから、まだまだの感がありますね。
角田山の花の季節がすぐそこにきていますね。
是非一度、と思いながら徒に過ぎています。
日立グループのコマソン「この木なんの木・・・」の木についてはひと頃北海道の豊頃町の河川敷に立つ「ハルニレ」の木がそうだと町ではPRしていました。
私も遠路、訪ねてみました。
ところがそれはウソだったことが後に分かりました。
トホホ・・・です。

投稿: 風花爺さん | 2016年2月27日 (土) 12時53分

風花さん、こんにちは

日本の良き風景が失われていくのは残念ですね。 なべくらの巨木の谷にあった、樹齢400年と言われるブナの巨木、森姫も根元が踏み固められたために枯死してしまいました。山野草も存在が知れると盗掘されますし、やはり自然は守らなければなりませんね。

投稿: 岳 | 2016年2月27日 (土) 16時38分

岳様
日本の各地にある絶景を訪ね人々はひと時の感動に浸ることができます。
しかし、それらの多くが多くの人の目に見えない努力によって維持されているであろうということには思いが至りません。
ワーッと押しかけ嵐のように去っていき、あとのことがどうなろうとも無関心です。
多くの日本人が絶景を愛でるだけから、それを末永く守って行くために何をしなければならないかを考えるようになったら民度は更に上がるのでしょうが・・・。
私もまだそのレベルに上れていません。

投稿: 風花爺さん | 2016年2月27日 (土) 21時11分

私はたとへ近くの神社の木でも年数を経た木が突如切られてしまったりすると不思議な喪失感を覚え、心が痛みますね。

ましてや木の持ち主の気持ちは如何ばかりだったでしょうか。

実際日本人のマナーもまだまだというところはありますね。私が毎年シーズンに訪れるリンゴ園は、駐車場に面した収穫前のリンゴに触られ落とされてしまう例が後をたたないと嘆いていました。
悪気がないだけだけに厄介な問題です。


投稿: おキヨ | 2016年2月28日 (日) 13時00分

おキヨ様
一晩家を空けていましたので、レスポンスが遅くなってしまいました。
樹木の生命力は人間をはるかに凌駕するもので、結果として神々しいとしかいいようのない見事な巨樹が各地にあります。
特に山の中には人に知られず、称えられることのないままに命を全うする樹木がたくさんあります。
その意味ではたまたま何かがキッカケになり、それまでただの樹木にしか過ぎなかったものが突然に脚光を浴びるようになった木は幸せものとも言えるでしょう。
どんなに成熟した社会でも、悪いマナーがゼロになることはないのでしょうね。
それが人間社会なんだろうと思います。

投稿: 風花爺さん | 2016年2月29日 (月) 17時53分

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