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二つの神楽山~半世紀を経て解けた謎

2016年1月6

私が山には駆けだしだった(いまだにそのレベルに留まっているが・・・)1959年4月(今から57年前になる)中央線沿線の「神楽山」に、私に輪をかけた初心者だった今の家内を同行して登った。
今でもヘンテコリンな山が登場する『新ハイキング』あたりのガイド記事でも読んで選んだ山だったのだろうか・・・
手元には簡単な記録と、
数枚の写真しか残っていないので、細かなことは忘却の彼方に消えている。
猿橋駅から歩いて谷間の登山道を登り「厄王権現」のそばを通って、
巨石が累々と重なり合っている神楽山頂に着いた。

Img004 ~その時の神楽山 
雨模様になったため往路を下り、途中の小屋で雨宿りなどした、と記録には書き残されている。

それから51年の時が流れ、2010年3月、大月駅から菊花山→馬立山→御前山と歩いた。
登り着いた御前山は巨石が累々と重なりあっている山であった。
それからさらに東へ進み「神楽山」
に着いた。
51年目になるはずの神楽山山頂はボサに覆われた、どこにでもあるような何の変哲もない三角点峰だった・・・ アレ!?

記憶の中にある巨石が折り重なっていたあの「神楽山」
は一体全体どこへいってしまったのか・・・???

狐につままれた思いのままで猿橋へ下った。
以後、私の頭の隅っこに、このどうにも不可解な出来事が住みついてしまい、折あるごとにどうして?どうして?がグルグル巡りをしてしまうことになる。

猿橋駅の南側で大規模な宅地開発がされたので、その時にあの岩山は崩されてしまったのか、などという荒唐無稽な妄想が浮かんだり、消えたりする始末である。

その5年越しの宿題が昨年の暮れ、何気なしに手にした『秘められたる山旅』(1971年刊)のとあるページを開いて突如解けた。
そこに出ていた地図を見ると、なんということか、現在私たちが「御前山(岩)」として登っている山は、昔は「神楽山」とされていたのだった。
そして、今日の「神楽山」は現在の御前岩の東の三角点峰673mのそれで、当時は「大松山」となっている。

Img017  『秘められたる山旅』に挿入されている地図。
いつから呼称が変わったのか詳らかではないが、とにかくある時期から、山の名前が入れ替わっていた、そんな単純な理由が私を長いこと悩ませていたのである。

そのような山名の変遷を知る由もなかった私には「神楽山は巨石が重なり合っていた」という一点に凝縮された記憶が刻まれて、巨石累々の今の御前山が、昔の神楽山だったのだという置換ができなかったのだ。
~甲斐国誌では御前山(現在と同じ)と大松山(現在の神楽山)が「峻岩屹立(きつりつ)せり」という形容で紹介されているが、「神楽山」の名は登場しない。
どのような経緯で「神楽山」という呼称が生まれたのか、なぜ一時期、御前山を神楽山としたのか、その経緯は分からない。

長~いイントロになってしまったが、謎が解けた山を確かめるつもりと、神楽という名も縁起が良いとの理由で、4日の初登りは御前山と神楽山を結んで歩くことにした。

Dscn5346 大月の市街を出外れると岩殿山を背景に早くも白梅が咲いている。
異例の暖冬で、おそらく各地で見られていることだろう。

Dscn5347 大月と猿橋の中間くらいに建つ「厄王山道」の碑。
57年前はおそらくここから登り始めたのだろう、と思う。
この道は4年前の今日、御前山からの下りで歩いていたのに、その時には大昔に登って下った道だとは全く気付かなかった。

Dscn5348 厄王権現では西から北への展望が開ける。
祠の中は綺麗に掃除されている。
里の守護神として役小角を祭神としするものだそうだが、篤い里人の思いが今も伝わっているようだ。

この先はトラロープが張られて足元がやや悪くなる

Dscn5358 御前山(昔の神楽山)山頂
前掲した昔の写真に比べると、松がかなり減っているようである。

Dscn5356 この山頂はこれまで閉ざされていた南側の展望が開けている。

Dscn5359 道志の渋い山々が連なっている。

Dscn5365 御前山から足元の悪い岩交じりの急坂を下ると神楽山に至る。
『甲斐国志』に書かれているような「峻岩屹立せり」などという面影は欠片もない。
酷な言い方になるが、わざわざ登るような山ではない。

Dscn5368 猿橋駅近くまで下ると、どこからともなく梅の香りが漂ってきた。
見上げれば紅梅がすでに盛りであった。

♪ 学校帰りに近道を
   通ってみればどこからか
   ほんのり匂う 梅の花 ♪

一瞬、幼い日への郷愁がよぎった。

ほんの小さな山踏みの一歩でしかないが、これ以上は望めそうにない穏やかで暖かい陽ざしに包まれた山日和に恵まれた。

今年もたくさん山歩きができますように・・・・・・。

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コメント

57年前の若々しいお姿・・・いいえ少しも変っておりません!
〔お正月ですからサービスをいたします^^〕
しかし、断りもなく山の名前が変わっていた?そんなことがあるのですね。。。

私も昨年暮れ、妙義の帰りにびっくりするほど満開の紅梅を観て信じられませんでした。
この冬の暖かさは花をも惑わせますね。

今年も存分に山歩きをされますよう。。。

投稿: おキヨ | 2016年1月 6日 (水) 12時34分

おキヨ様
一拍遅れですがデッカイお年玉をいただき、ありがとうございます。
山には、山麓の地域でそれぞれに呼び名があったものですから、それが一つに収斂される間にはさぞかし混乱があったであろうことは容易に想像できます。
ここに書いたケースもその一つに過ぎないのではないかと思います。
名前がどう変わろうとも山そのものは変りはありません。
~稀には姿が変わってしまうケースもありますが・・・。
暖かい冬はありがたいことですが、いろいろな不都合も生じるので、手放しで喜んではいられませんね。

投稿: 風花爺さん | 2016年1月 6日 (水) 15時19分

風花さん、こんにちは

冒頭の写真で、昭和天皇が皇太子の頃、登山をされていた姿を思い出しました。半世紀も過ぎると、植物も岩も変わるんですね。一年の中でも気象状況によって、花の時期をも変える梅も生命力を感じます。 群馬では水上から四阿山まで、日本一の100㎞のトレイルを整備するという情報がありました。稲包山から白砂山までは新しい道を造るそうですが、これも楽しみですね。


投稿: 岳 | 2016年1月 9日 (土) 17時22分

岳様
かつての紅顔の美青年も今は見る影もなく、歳月は残酷ですね(笑い)。
山の樹相は50年すると一変しますね。
1950年代は東京近郊の山は殆ど裸山で、その分展望が良かったのです。
ところが今では植林が覆い尽くして暗い山ばかりになってしまいました。
上信越県境稜線に新しいトレイルが出来る、というニュースは初耳です。
西稲包山から白砂山までの間は、藪で覆われ積雪期でないと歩けない、ということで私にも空白のエリアです。
なのでこれはとても朗報です。
ただ、供用開始になるころには私の脚がいうことをきかなくなっている可能性が高いのが心配ですね。

投稿: 風花爺さん | 2016年1月 9日 (土) 21時09分

半世紀前の謎解き、、何ともスケールの大きな話です。
いや、私にだってそんな謎があるかもしれないと、思い起こそうと
したところで、まだ半世紀生きていないことに気が付きました。

青空に咲き誇る梅の花がとても綺麗で、香りが漂ってくるようでした。

投稿: itta | 2016年1月11日 (月) 22時21分

itta様
半世紀前には未だ生きていなかった!
参りましたね。
私とは親子ほどの開きがある・・・
同じ土俵に立つのはしょせんムリな話ですね。
親孝行のつもりでお付き合いください。
梅の開花はいいとしても、やはりこの時期待ち遠しいのは山が白く装うことですね。
平年並みの気温になってきたので期待しましょう。

投稿: 風花爺さん | 2016年1月12日 (火) 07時26分

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