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2016年1月

安孫子・手賀沼で初めての鳥見会

2016年2月29日

自慢することではないが、烏と雀と鳩以外は私にとって全て「鳥」にしか見えないくらいの鳥〇〇チである。
・・・アッそうそう、シャッキン鳥とヤキ鳥もちゃんと見分けがつくか・・・
山荘では四季折々に鳥がやってきては、しきりに囀っている。
せっかくのご来訪に備えて、鳥の見分けのための図鑑や、聞き分けのためのCDなどを傍らにおいて学習も試みたが、どれだけ相性が悪いのか一向に成果が上がらない。
そんなおり、山の会の行事として、中学生のころからのバードウオッチャーTさんのプランで冬鳥の観察会が26日、
安孫子の「手賀沼」で行われたので参加してみた。

大気がピーンと張りつめた寒い朝、このところとんとご縁のない常磐線で安孫子駅へ。
安孫子に来るのは名門でかつ手強い「安孫子カントリー」でヘボゴルフをして以来だろうからもう何十年になることやら・・・
10人のメンバーはいっぱしのバードウオッチャーを気取って、それぞれが双眼鏡を首から下げて駅からブラブラと水際へ下る。

Dscn5458

P12600011 沼の畔につくと冬の水鳥が群れている。
メンバーはユリカモメ、オナガガモ、カモメ、オオバンなど。
もちろん全てT先生に教えてもらったもの。

P12600101 ハクセキレイ

P12600261 バードウオッチングのビギナーにとっては憧れるカワセミ ~同行Sさんが撮影したものを拝借。
今日は一度だけダイブシーンがあったが、獲物は取り逃がしたようだった。

Dscn5465 沼を2分して渡る「手賀大橋」

Dscn5463 この河童らしい彫像の上に一羽のアオサギが停まっていて、いつまでも身じろぎもしない。
この哲人的な風貌の鳥は何を思索しているのだろうか?

Dscn5467 「鳥の博物館」で剥製のトキ ~本物に会うため佐渡にも渡ってみたいが・・・

Dscn5469 今回初めて知ったのだが、手賀沼畔は「白樺派」の梁山泊で武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎、里見弴などが集って、大正時代の理想主義、人道主義の灯を掲げた。
昔感動した実篤のヒューマニズムに共感する純真さは今の私には残っていないが・・・

Dscn5471 志賀直哉居宅跡~今は書斎棟だけが保存されている。

駅前に戻り「コ・ビアン」というレストランに入る。

A  A_2  A_3 150円なりとは
イタリアン風なのだがメニューには焼き鳥などもある無国籍ぶり。
何よりワイン3本、ビールに料理もいろいろ注文したのに一人当たり1100円というのには感動した。
これなら普段痛切に感じている
「割り勘負け」
も苦にならない。
こんなに安い店があるなんて、安孫子市民が羨ましい。

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金剛山と宝ノ山~再び藤野の里山で初雪歩き

2016年1月23日

先日、ようやくまとまった降雪があり、近郊の山も雪化粧をした。
そこでまだ歩いたばかりの藤野の里山で、今シーズン最初の雪踏みをすることとして、21日いそいそとお出かけ。
今日の狙いは、先日発見?した好ましい「新和田」の雪の山里風景と、「笹尾根」の連なりを一枚の写真に収めたい、ということ。

Dscn5419 相模湖の注ぎ口になる相模川
水面の向こうに一際大きいのが扇山。
白い円頂が白谷ヶ丸。

Dscn5420 金剛山の登山口になる金剛神社
低温のため雪は残っているが、凍結しかかってガリガリになっている。
早々に6本爪を履く。

Dscn5422 雪が積もれば低山もヒマラヤも同じ・・・
と、いうこともないか・・・。

Dscn5442 雪の重みで山道を塞ぐ倒木が随所にあり、これがけっこう厄介ものである。

Dscn5425 金剛山先の峰山展望台。
これが今日の狙い~左へいけば三頭山に至り、右へ進めば陣馬山や高尾山などの人気者につながるが、間に挟まって目立たない地味な茅丸~連行峰~醍醐丸など・・・。
かつて「トサカ尾根」と呼ばれた時代もあったらしいが、たしかにそう見えないこともない。
左端に奥多摩の鷹ノ巣山が覗いている。

Dscn5428 トサカ尾根から左へ笹尾根がつながり、三頭山で最後を締めている。

Dscn5432_2 中央線に沿う山々。
一番低いところが笹子峠で、その右へお坊山が高まり、さらに高く鋭い峰をもたげているのが滝子山。
こちらの位置が低いので、さしたる高度を持たない山々でも、それぞれが存在を競っているようである。

Dscn5432_3 笹子峠の鞍部にチラッと農鳥岳が覗いている。
この低山歩きでは自分の位置が低すぎて、定番の富士山は場所によって頭頂部がわずかに見えるだけである。
それが幸いして、普段はあまり視線を浴びない山々に目がいく。
つい何気なく見過ごしている山々が、丁寧に観察することによって生き生きとしてくる。

Dscn5443 新和田の雪景色
人影はなく、ヒッソリと静まりかえっている。
雪の有無によって雰囲気、表情が一変してしまう。

Dscn5446 杉峠の石祠

Dscn5448 日連山

Dscn5449 宝ノ山・・・とはいうものの、宝物の欠片も見当たらない。
それでも自分なりの宝物を得た思いで山頂を後にすれば、里は近い。

こうしてごくごく軽いものだが、今シーズン、最初の雪山歩きができた。
正直、気持ちが少しづつ後ろ向きになってきていることは否定できない。
自分の弱さに抗ってこの先どれだけ雪山に入ることができるだろうか。

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椀名条山~渡良瀬左岸の道無き山

2016年1月18日

安蘇山塊と総称される山域とおおむね重なり合っている渡良瀬川左岸(東岸)の山々を訪ねるシリーズ。
「椀名条山(わんなじょうやま)」1051・8mは知名度こそ低いが、国土地理院の2・5万図(沢入=そうり)地形図には三角点峰として山名入りで堂々?と存在を誇示している。
昭文社の登山地図では赤破線になっているので、難路(技術的な意味ではなく)ではあるが、バリエーションルートとはいえないという位置づけになっている。
しかし、私が今日(14日)歩いた印象ではバリルートと言ってよい。
以前はそれなりに整備されていたらしい道標の類は、今では皆無だし、入山者が極めて少数のせいか、道型らしきものもほとんど消失している。
ただし、幸い笹藪の類は全くないので、尾根を外さないよう注意していればルート判断が難しいこともない。

A   渡良瀬川左岸の山々の概念図

Dscn5391 山荘から見る沼田市街越しの上信越国境尾根~左の佐武流山からほぼ中央に仙ノ倉山、そして右端に万太郎山。
ようやくこの時期らしい雪山姿になってきた。

わたらせ渓谷鉄道の沢入駅近くの草木橋で草木湖を渡り、黒坂石バンガローテント村へ向かう。

Dscn5407 黒坂石(くろざかし)バンガローテント村~今は閉鎖中で森閑としている。

Dscn5406 テント村と林道を挟んで向かい合っている蚕影(こかげ)神社。
神社に向かって左手の路側に2台分ほどの駐車余地がある。

Dscn5405 登山口の表示はないが、神社とPスペースの間に枯れ草を踏んだ跡らしきものが観察できるので、これを進む。
直ぐに擬木の階段になる。
この階段は蹴上げが高く、おまけに落ち葉にすっかり埋もれているため段差が全く分からない。
木段が終わると反対側から同じような木段が上ってきていた。
何のための木段なのだろうか?
キャンプ場の施設なのか?
すくなくとも登山用ではない。
ともかく上に行くしかないので潅木の隙間を縫って左上に登る。

林の急斜面を登ると地形図にある北からの破線のある尾根に乗る。
その方向を観察すると道型などまるでない。
これも山での地形図の道が当てにならない一例である。
あとは山頂に向けて真っ直ぐ東へ、尾根をそれないよう進むだけである。

Dscn5397 今日一番の頼りはこの色褪せた赤い会符(えふ)だった。
この会符が緩急を交えた尾根を山頂まで導いてくれた。

今日は季節風が吹き出しているので高い山は雪雲に包まれている。
雑木の間から辛うじて男体山が見えるが、呆れたことに依然として黒いままである。
椀名条山の先にいくと伐採地があって展望が得られる、という情報なので今日はそこまでいくつもりでいたが、こんな日光の山など今の時期見たくないのでとりやめだ。

Dscn5400 展望は尾根道が樹木に包まれ終始得られないが、北に近く粕尾峠の地蔵岳を見る。

Dscn5399 尾根の状態はおおむねこんなふうなので、適当に高い方へ登っていけば事足りる。

Dscn5403 山頂 ~風が冷たい。
こんな山に登る酔狂人は私一人~慣れてはいるけど、正直、侘しい思いもある。

Dscn5402 いつもの豪華?ランチ ~今日は中本の「蒙古たんめん」
昔この味にはまって、中目黒にある店によく通った。
あまりの辛さに咳き込みながら食べたものだ。

Dscn5404 帰路、主尾根から離れて左へ下降するポイントでやはり戸惑いを生じたが、あたりを見回しているとき、この古い木札に気付いた。
これが本日唯一の標識だったが、ネットの古い記録を見るとかつては標識の類はそれなりにあったようである。

この山はどうやらだんだん忘れられていきそうな気がしてならない。
確かにこれといって見栄えのする写真が一枚もないことに象徴されるように、インパクトに欠けた山であった。

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金剛山と鉢岡山~藤野の小さな山歩きでの嬉しい出会い

2016年1月13日

鉢岡山? 宝山?・・・ナンジャそれは!
会の初登り(10日)の山の名前を聞いてそう思った。
藤野駅の南の辺りにある山らしい。
地図を当たったら西丹沢や道志の山の行き帰りに数え切れないほど通過している道沿いにある5百mにも及ばない超低山の面々である。
これまで一度として、登る山として見たことはなかった。
つまり「山」としての存在価値を認めていなかったのである。
そんな山にいくのか?”オレもとうとうここまで堕ちてしまったのか!”
・・・そう慨嘆してみても、これが今の自分の力なのだ。

Img017 今日の行程=藤野駅→金剛山→展望台→杉峠→鉢岡山→杉峠→宝山→杉峠→藤野駅

P1100018 ここらでも当たり前のように梅が一足早い春の到来を告げている。
霜をおいても凛としていますネ!
かくありたいものです。

P1100030  最初の金剛山を過ぎるとほどなく展望台に出る。
西から東にかけての大月にかけての中央線沿線の山々が一望できる。
ここに立って改めて”今見えてる山で、山頂を踏んでいない山はほとんどないな” という感慨を覚えた。

Imgp8933 杉峠から南へ向かうと、丹沢の大室山と向かい合う南斜面に人家が点在する絵のような山里に出た。
新和田という地らしい。
もちろんここに住んでいる人々にも普通の暮らしから生ずるさまざまな喜怒哀楽が交錯しているのだろうが、そんな世俗的なものを一つも感じさせない桃源郷にも見えた。

Imgp8936 今日の最高点になる鉢岡山 460m
ここはかつて北条軍との戦に備えた武田軍の烽火台があったそうだ。
他に誰もいないことをいいこにして山頂を独り占めして昼食を摂っていたところへ、男女5人のパーティーが到着した。
ご一行の中にお見かけした顔があるので、声をお掛けしたらやはり
横山厚夫さんだった。
横山さんは今数少ない山の文章家のお一人で、私は多くの著作のほとんどを所蔵し愛読し、畏敬している方である。
私は数度、ある方の出版記念会などでお目にかかってはいるのだが、横山さんの方では、一面識もない、ということであろう。
長年ご夫妻で全国の山に隈なく足跡を残されている。

Imgp8950 横山さんご夫妻と。
横山さんが書かれるものは、親交のあった深田久弥さんの系譜に連なる文章家とお見受けし、誠実で洒脱なお人柄がそのまま伺える。
大げさな表現を嫌い、冗長でなく、淡々と綴られる文章はとかく軽い読み物と見がちになるが、どうしてどうして該博(がいはく)な知識や薀蓄が散りばめられて油断ができない。

Img017 この三部作も山を巡って横山さんの薀蓄の深さが随所に散りばめられている。

ご一行には季刊『山の本』(白山書房)に淡彩で優しく描く山の絵を連載されている中村好至恵さんもおられた。
中村さんは何度か個展を開かれ、本も出版されている。

A 中村さんの作品の一例。
ご本人には無断で、ネットで見つけたものを掲載させていただきました。

Imgp8974 軽い山踏が終わり早々に帰宅と思いきや、これぞ本日の主題、藤野駅前にある行きつけの(と、いっても今日が三度目だが・・・)スナック「風里」の暖簾をくぐりカラオケタイムになる。
そばと、マグロの握りと、カラオケが大の苦手な私にとって地獄の責め苦が始まる。
・・・ハナからこれではさてさてまたどんな一年になることやら・・・・・・・。

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二つの神楽山~半世紀を経て解けた謎

2016年1月6

私が山には駆けだしだった(いまだにそのレベルに留まっているが・・・)1959年4月(今から57年前になる)中央線沿線の「神楽山」に、私に輪をかけた初心者だった今の家内を同行して登った。
今でもヘンテコリンな山が登場する『新ハイキング』あたりのガイド記事でも読んで選んだ山だったのだろうか・・・
手元には簡単な記録と、
数枚の写真しか残っていないので、細かなことは忘却の彼方に消えている。
猿橋駅から歩いて谷間の登山道を登り「厄王権現」のそばを通って、
巨石が累々と重なり合っている神楽山頂に着いた。

Img004 ~その時の神楽山 
雨模様になったため往路を下り、途中の小屋で雨宿りなどした、と記録には書き残されている。

それから51年の時が流れ、2010年3月、大月駅から菊花山→馬立山→御前山と歩いた。
登り着いた御前山は巨石が累々と重なりあっている山であった。
それからさらに東へ進み「神楽山」
に着いた。
51年目になるはずの神楽山山頂はボサに覆われた、どこにでもあるような何の変哲もない三角点峰だった・・・ アレ!?

記憶の中にある巨石が折り重なっていたあの「神楽山」
は一体全体どこへいってしまったのか・・・???

狐につままれた思いのままで猿橋へ下った。
以後、私の頭の隅っこに、このどうにも不可解な出来事が住みついてしまい、折あるごとにどうして?どうして?がグルグル巡りをしてしまうことになる。

猿橋駅の南側で大規模な宅地開発がされたので、その時にあの岩山は崩されてしまったのか、などという荒唐無稽な妄想が浮かんだり、消えたりする始末である。

その5年越しの宿題が昨年の暮れ、何気なしに手にした『秘められたる山旅』(1971年刊)のとあるページを開いて突如解けた。
そこに出ていた地図を見ると、なんということか、現在私たちが「御前山(岩)」として登っている山は、昔は「神楽山」とされていたのだった。
そして、今日の「神楽山」は現在の御前岩の東の三角点峰673mのそれで、当時は「大松山」となっている。

Img017  『秘められたる山旅』に挿入されている地図。
いつから呼称が変わったのか詳らかではないが、とにかくある時期から、山の名前が入れ替わっていた、そんな単純な理由が私を長いこと悩ませていたのである。

そのような山名の変遷を知る由もなかった私には「神楽山は巨石が重なり合っていた」という一点に凝縮された記憶が刻まれて、巨石累々の今の御前山が、昔の神楽山だったのだという置換ができなかったのだ。
~甲斐国誌では御前山(現在と同じ)と大松山(現在の神楽山)が「峻岩屹立(きつりつ)せり」という形容で紹介されているが、「神楽山」の名は登場しない。
どのような経緯で「神楽山」という呼称が生まれたのか、なぜ一時期、御前山を神楽山としたのか、その経緯は分からない。

長~いイントロになってしまったが、謎が解けた山を確かめるつもりと、神楽という名も縁起が良いとの理由で、4日の初登りは御前山と神楽山を結んで歩くことにした。

Dscn5346 大月の市街を出外れると岩殿山を背景に早くも白梅が咲いている。
異例の暖冬で、おそらく各地で見られていることだろう。

Dscn5347 大月と猿橋の中間くらいに建つ「厄王山道」の碑。
57年前はおそらくここから登り始めたのだろう、と思う。
この道は4年前の今日、御前山からの下りで歩いていたのに、その時には大昔に登って下った道だとは全く気付かなかった。

Dscn5348 厄王権現では西から北への展望が開ける。
祠の中は綺麗に掃除されている。
里の守護神として役小角を祭神としするものだそうだが、篤い里人の思いが今も伝わっているようだ。

この先はトラロープが張られて足元がやや悪くなる

Dscn5358 御前山(昔の神楽山)山頂
前掲した昔の写真に比べると、松がかなり減っているようである。

Dscn5356 この山頂はこれまで閉ざされていた南側の展望が開けている。

Dscn5359 道志の渋い山々が連なっている。

Dscn5365 御前山から足元の悪い岩交じりの急坂を下ると神楽山に至る。
『甲斐国志』に書かれているような「峻岩屹立せり」などという面影は欠片もない。
酷な言い方になるが、わざわざ登るような山ではない。

Dscn5368 猿橋駅近くまで下ると、どこからともなく梅の香りが漂ってきた。
見上げれば紅梅がすでに盛りであった。

♪ 学校帰りに近道を
   通ってみればどこからか
   ほんのり匂う 梅の花 ♪

一瞬、幼い日への郷愁がよぎった。

ほんの小さな山踏みの一歩でしかないが、これ以上は望めそうにない穏やかで暖かい陽ざしに包まれた山日和に恵まれた。

今年もたくさん山歩きができますように・・・・・・。

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年の始めのためしとて・・・

2016年1月2日

春風献上 !!

この前のアップから一週間も経っていないのに、それが昨年のものだというだけの理由(イヤ、それだけでもないが・・・)で、賞味期限を過ぎてからずいぶんになっている気がするのが妙である。
そんなわけで今年の第一弾を早くにシュートしておこうと心掛け、出足でダッシュをかけました。

Dscn5337 型通りの年始の顔合わせは賑やかな孫娘を欠いているので例年に比べると至って静か。
年末から年始まで過酷な家事の様子は母親や、最近までの家人の姿でよく知っている。
だからこのようなものでも「手抜きをした」などとはさらさら思わない。

Dscn5338 初詣は京王線沿線の「高幡不動」へ。
長いこと、一番手近な明治神宮へ詣でることを通例としていたが、新鮮味に欠けるので、目先を変えてみることとした。
久しぶりの浅草を予定して新宿へ出たら、もう大変な人出。
ただでさえ海外からの観光客で混雑するあの狭い浅草寺ではエライことになるだろうと、容易に想像できた。
そこで急遽、勝手の分かる京王線沿線の高幡不動に進路変更。
駅前から長い行列ができているのは予想外だった。
定番の初詣の一つだから当然で、私の認識不足でしかない。

Dscn5340 善男善女の流れが途切れない。

Dscn5341 何とかお参りを済ませることができた。
これで「年の始めのためし」は全て終えた。

ところで年明け早々にこんなことを書くのは悪趣味と謗(そし)られることを承知の上で・・・
私たちは経験的に、今年の終わりにはまたまた、一年の過ぎ去る速さに感慨と悔恨がないまぜになった心理状態に陥ることを知っている。

何故「光陰は矢の如し」なのか?
何故、加齢するほどに時間の経過を早く感じるようになるのか?
ここに
「ジャネーの法則」なるものが誕生した背景がある。
フランスの哲学者ポール・ジャネーの発案になるものだそうだ。
それによると「生涯のある時期における時間の心理的な長さは、年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)」とある。
何故そうなるのか?

詳しい解説を書くと長くなるのでネットをご覧いただくことにして、それらによると、要するに人は年をとるにつれて世の中のことが分かってしまい、新鮮な驚きが減っていくから、と説明している。
そんな画一的な論理で説明できるほど人間は単純にはできていないが、論理そのものが少々解せませんな。
時間の長短の感じ方など、個人差が大きく、一つの法則などで画一的に説明できることではない。

私はこれらの解説とは正反対(昨今は真逆などという気色悪い言葉を政治家などが得意そうに使っているが・・・)の立場である。
成長過程では吸収すべきものがたくさんあり、それらに向き合っていると時間がいくらあっても足りないで、アッという間に月日が流れる。
高齢者になって、やることが少なくなると、やたらに退屈でやけに時間を持て余すことは珍しくない。
そうであればむしろ「一年が長い」と感じるのが自然であろう。

ではどうして加齢により、時間の流れが早く感じられるようになるのか、私にはこう思える。
それを自覚的に生きていることはないが、年齢を重ねることにより人は「己の終焉が確実に迫ってくる」ことを知っている。
一日経てば一日分終わりに近づく。
漠とした潜在的なそのような心理がジワジワと迫り、少しでも早く何ごとかをなしたい、というような焦燥感が、知らず知らずの間に、時の流れを早く感じさせる、というのが愚考の結論である。
丁度、磁気テープが初めはゆっくり巻かれるが終わりに近づくほどにスピードが上がっていく、それに似ている。

・・・などと早々に脱線気味の妄言を吐いてしまい、この分では今年も先々思いやられてならないな・・・。

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