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2015年10月

荒崎 ~三浦半島シーサイドハイク

2015年10月29

私は「山彦」だが、年に数回程度は無性に潮騒を聞き、汐の香りをかいでみたくなる。
私たちの会は山歩きの会だが、そんな思いは共通するのか年に一度は湘南方面でのシーサイドハイクをしている。
今日(25日)は21人で三浦半島西岸の「荒崎」へ。
私が荒崎を訪ねるのは子供たちが小学校低学年のころ、1976年の丁度今ごろの10月31日以来39年ぶりになる。

Img004 当時10歳くらいだった次女。

Dscn5042 三浦半島の西岸にある荒崎に入ると、相模湾の洋上に富士が浮かんでいる。
先日、初冠雪があったが根雪にはならずほとんど消えかかっている。

Imgp8330_original 本日の最高所?城山で ~二等三角点がある。

Dscn5045 富士をアップしたのだが不鮮明。

Dscn5051 荒崎は固い凝灰岩と柔らかい砂岩とが長年かけてこうした模様を描き出してきた。

Dscn5053 日南海岸の鬼の洗濯岩を思わせる。

Dscn5060 汐の香りと潮騒とを無上のご馳走にして軽い中食。

Dscn5061_2 栗谷浜漁港にある「かねしち丸」 ~しらすと地だこを販売している。
21名がそれぞれ買い物をしたので、お店としては大漁旗を挙げたい気分になったはずである、キット・・・。

Dscn5062 渚の柔らかい砂浜を歩くのはけっこう足に負荷がかかるものである。

Imgp8397_original 「妻は夫を労りつ 夫は妻に慕いつつ・・・」
浪曲「壷阪霊験記」そのままに若い女性会員が後期高齢者会員をサポートしているうるわしい一コマです。
~実はわざと手を引かれるようにするズルイ魂胆である~
こうした光景が随所に出るわが会なのです。

Dscn5067 海べりのハイクが終わっても、地の魚が美味しい三浦半島から寄り道せずに帰るわけにはいかない。

Dscn5066_2 三崎漁港に上がる魚のお造り。目玉は黄金鯵だそうである。
本日の女性リーダーKさんは下調べのため何度か足を運んだ様子。
段差が大きい場所の補助に折り畳み式の踏み台まで持参していた。
打ち上げの店選びにも吟味を尽くしたようで、お蔭さまで最近になく美味しい金目鯛にもありつけた。
私たちの会(ばかりではないが・・・)はこうした目に見えない努力を喜々として尽くしてくれる人たちによって支えられている。

Img_0513 ところで今日の歩行中に両足の靴底が剥離した。
購入して8年が経過した街歩き用のローカットシューズである。
かなりな頻度で発生する加水分解(靴底と本底の間にある中間のウレタンが湿気によって分離してしまう)による剥離と思われる。
加水分解被害は、私はこれで2足目になるが、多湿の日本では6~7年経過すると、いつ発生しても不思議ではない。

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鍋倉山 ~信越トレイル核心部へ

2015年10月24日

毎年、その年に歩きたい山をリストアップするが、あらかたは未消化のまま持ち越しになることを繰り返している。
今年もそろそろ終盤だが、在庫減らしは相変わらず進まない。
信越トレイルもその一つ。
今日(18日)は総延長80kmに及ぶ「信越トレイル」のほぼ真ん中にある
「鍋倉山」1288mを「関田峠」から往復する。
このトレイルの特徴であるブナの尾根歩きで独特の黄葉を楽しむことが目的。


関越・湯沢ICからR117へ。
秋山郷入口から先は初めて走るルートなのでカーナビーをセットしたがトラブってしまい、スマホで現在地を確かめながら走行した。
走っていて気がついたことは野沢温泉界隈が、山荘を起点とした場合、意外に近いことである。
スキー靴がバックル式になる前のころのことだから、ずいぶん昔のこととなるが、野沢温泉、飯山、戸狩スキー場などに通ったころは夜行列車を使わなければならない遠隔地だったが・・・

Dscn5024 R117から分かれ関田峠に向けて登りにかかると色彩の饗宴が始まった。

Dscn5032

山荘を出てから120kmを少し超えるくらいの走行に2:45ほどを要し「関田峠」到着。
頭の中の距離よりで意外に遠くなかった。
関田峠は上杉謙信が天正年間に開いてから幾多の消長を経て、1960年代に全通したそうである。

Dscn5007 関田峠の信越トレイル西側入口。

Dscn5009 オヤオヤ、ブナの通せんぼだ。
掛け値なしで日本一の豪雪地帯だそうだか、その証になる姿である。
ここまで虐げらてもなお命をつなげられるブナの強靭さは、さすがに極相林を形成するブナの面目躍如たるものがある。

Dscn5012 もみじの落ち葉が散り敷くプロムナード
毎度ながらグールモンの「落葉」の一節を・・・
  
落ち葉の色は優しく 姿はさびしく
  落ち葉ははかなく捨てられ 地べたの上にいる
    シモーヌ 君は好きか落葉踏む足音を?
こんな道を歩いていたら、私でも詩人になれそうである。

Dscn5022 こんな信じがたいものも・・・人工では無理だろう。
この道はまるでブナのオブジェの回廊のようである。
そもそもブナがこのような姿態になれるのはそのしなやかさにあるとされる。
杉や楢のような堅い樹木だと折れやすく、豪雪という環境には適応できないのだ。

Dscn5013 途中の黒倉山 ~このような山頂標識の傍らを占拠するのはマナー違反だと私は思っている。
時には意地悪爺さんぶりを発揮してやんわりたしなめることはあるが、今日は人物が写らないようにアングルを決めた。

Dscn5018 ブナの落ち葉道 ~すこぶるいい感じである。
須賀敦子さんの表現を借りれば「きっちり足に合う靴さえあればどこまでも歩いていける」そんな気さえする山道である。

Dscn5023 ブナの黄葉は渋いが、華やかな色彩もところどころで混じる。

Dscn5014 鍋倉山山頂
回り道をすると「森太郎」というブナの巨木を見られるのだが割愛して往路を戻る。

Dscn5026 帰路に立ち寄った「茶屋池」  ~かつては飯山地方の水田開発のための水源だったそうである。

Dscn5036 さらに下ると田茂木池 ~こちらも灌漑用のため池。

これで信越トレイルは西端の斑尾山、東端の天水山、そして今回中間の鍋倉山と歩いたので、これをもってトレイルを全通したこにできないだろうか・・・
キセルにしても酷すぎるからいくらなんでもこれは虫が良すぎるか。

足には優しい散歩だったが少々インパクトに欠けていた。
やはりGさんのブログのようにブナが芽吹く残雪期に歩くのがベストなんだろうか。

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またまた野反湖西岸の尾根歩き

2015年10月18日(日)

これは14日のレポだが、ほぼ3ヶ月前同じコースを歩いた。
その時は、これまでは1:20ほどで登っていた野反湖畔から三壁山までの標高差450mの登りに、このところ覚えのないほどひどくバテて1:40かかってしまった。
当日の高温・多湿・無風という登山には最悪の三重苦のせいだとその日は思っていた。
ところがそれから一週間ほどして分かったことだが、登山の当時は既に帯状疱疹を発症して一週間ほど経過していて、体が衰弱状態にあったのに、無自覚なままに山に入ったことが理由だったのである。
それが予め分かっていたならもちろん山歩きは回避していたろう。
今日(14日)の目的は、病気からの回復の程度がどれほどのものか、このコースのCT(コースタイム)で計ってみようというものである。

Dscn4921 野反峠で~一番奥(北岸)にあるキャンプ場から左へ上り、一番奥の三壁山(山頂は見えない)1970mから左へ尾根を辿り、高沢山1906m~エビ山1744mにいたり、湖岸に下りキャンプ場へ戻る周回ルートを歩く。

Dscn4922 野反峠の辺りの秋色~標高1600m弱だが、このあたりが秋酣の感じがする。
北から湖面を渡ってくる冷たい野分けがスコットランド風の狐色の草原を駆け抜けていた。

Dscn4923 対岸のたわみの奥に覗いているのは草津白根山。

キャンプ場の駐車場には先行車が2台(登山かどうかは不明)。

Dscn4929 登り始めてほどなく見える浅間山~この後暫くしたら噴煙が見えてきた。

Dscn4930 一番奥の野反峠の向こうにギザギザの稜線を描いているのは榛名連山。

Dscn4931 思わずキレイに装ってくれてありがとう!とお礼を言いたくなるようなドウダンツツジの紅葉。

Dscn4934 そこに見える三壁山頂までの最後の登り。
山頂までの実動所要時間は1:25だった。
通常よりは5分余計にかかったが、帯状疱疹になっていたときに比べると0:15の短縮になっていた。
もはや今はこれ以上の短縮は多分難しいだろう。

Dscn4942 エビ山への尾根道で左端の浅間山~中間の白根~右端の横手山

Dscn4943 爽快な稜線からこれから行くカモシカ平を見下ろす~背景は横手山

Dscn4944 本白根(左)と草津白根(右)
カモシカ平への分岐点にきた。
このコースを歩くのは今日で4回目になるが、これまでカモシカ平にはその都度理由があって(あるいは理由をつけて)立ち寄りをしていない。
ありていに言えばそこへ下るのはいいとしても、戻りの140mほどの上り返しを思うと、ここでためらってしまうのである。
今日はハナからたち寄るつもりではいた・・・が。

Dscn4948 下りの途中で何度か逡巡しながらもズルズルと誰もいない「カモシカ平」の中心部へ下りついた。

Dscn4949 カモシカ平は大きな凹地になっていて、エバーグリーンの笹が一面に覆っている。
パストラルな雰囲気が溢れていて、こんな別天地を独り占めする贅沢を心ゆくまで味わった。
地獄?の上り返しが待っているが、来て良かった!
その上り返しをクリアし、高沢山~高沢平と通過しエビ山へ。

Dscn4955 黄葉と紅葉のコラボレーション

Dscn4957 白樺林のたたずまいもいい雰囲気

三壁山からはアップダウンを繰り返しながら高度を下げてくるのだが、ヘタレな足の動きが悪い。

Dscn4963 最後の山頂エビ山1744m
女性3人のパーティが休憩していて、お願いするまでもなく立て続けに3枚シャッターを切ってくれた。

今日山中で会ったハイカーは結局このお三方だけだった。

快晴、微風、程よい気温と湿度・・・こんなに好条件が揃った山歩きも滅多にできない。
一人歩きでなければ得られないような、全身で秋を感じながら次第にせりあがってくる野反湖畔へ下り着いた。

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季節のアンソロジー ~十月

2015年10月15日

わが草庵の秋一番はナツハゼの紅葉である。

Dscn4920 名前のとおり夏の間から色づき始めるので紅葉が特段に早い。
ニシキギが次に控え、アカヤシオも準備に怠りないようだ。


はなから脱線するが、空港でのその歓迎振りや、TVでのモテモテ振りを見るとあたかも国際大会で優勝したかと錯覚させられる。
もちろんラグビー日本代表チームの日本凱旋?の模様である。
3勝はしたが、予選リーグで敗退。
普通ならむしろ冷淡に扱われそうなのにどうして・・・?
ラグビーでは日本は国際的には最弱小国と蔑まれていた。
それが最強国の一つ南アなど3つの代表に勝ったことは、ラグビー界では驚天動地のことらしい。

A_2

感動的なシーンがたくさんあった。
特に緒戦の南ア戦で逆転トライの瞬間のアナウンス”いけ!いけ!いけ!」のシーンは思い返すだけで瞼が熱くなる。
鍛え上げられた体を闘争本能のままにぶっつけあう、という素朴な球技のように見えながら、実はストイックとも思えるほどのフェアープレー精神そのものの紳士の競技なのだ。
この活躍で長いことサッカー人気の陰に隠れていたラグビーがきっと見直されることだろう。

秋は朔北の風が運んでくる。
♪風立ちぬ 今はもう秋 今日から私は心の旅人・・・ ♪
松田聖子が歌うこの曲の作詞者・松本 隆は堀辰雄の愛読者で、堀の作品から作詞を思い立ったそうである

その堀が『風立ちぬ』のエピグラフで用いたのがポ-ル・ヴァレリーの詩「海辺の墓」の終章の「風が吹いてきた 生きなければならない」である。
・・・などと書くのはもはや陳腐以外のなにものでもないか。

その秋風は何色・・・?
その答えを芭蕉がだしている。
   「石山の 石より白し 秋の風 」
「白秋」という言葉もある。

秋風が吹くと無性に「エンヤ」を聴きたくなる。
私ばかりではない。
かなり以前「St GIGA」というFM放送局があった。
NHK以上に良質の音楽放送をプログラミングしていたので愛聴していた。
あるとき「秋風の調べ~エンヤ」というタイトルの放送をしてくれたので、当然エアチェックして、今でもこの時期になると条件反射のようにして再生する。
アイルランドの歌姫と称えられるエンヤのミステリアスな音楽は実に秋そのものなのである。

Img185         Img186

田舎のモーツァルト / 尾崎 喜八
   
中学の音楽室でピアノが鳴っている。
   生徒たちは、男も女も、
   両手を膝に、目をすえて
   きらめくような、流れるような、
   音の造形に聴き入っている。
   そとは秋晴れの安曇平、
   青い常念と黄ばんだアカシア
   自然にも形成と傾聴のあるこの田舎で、
   新任の若い女の先生が孜々として
   モーツァルトのみごとなロンドを弾いている。
詩人は秋の安曇平のどこの中学校でモーツァルトを聴いたのだろうか。
それを知りたいのだが・・・。

休耕田らしいそこかしこのコスモス畑でコスモスが揺らいでいる。
メキシコ原産の花で明治時代に帰化したが、これほど日本の秋に溶け込んでいると、日本古来の花かと錯覚しそう。
デビューした当時にはただのアイドル歌手の一人にしか過ぎないと思われていた山口百恵が、これほどの才能を秘めているのを見出したのは誰なんだろうか。
とにかく「プレイバック」の歌い手が「秋桜(コスモス)」で嫁ぐ日近い娘の心の情感を見事に伝えている。

A
♪ 薄紅のコスモスが秋の陽の 何気ない陽だまりに揺れてい     る・・・ ♪
歌い手もいいが、さだまさしの歌詞がまたよろしい。
シンガーソングライターが登場してきたのはいつごろだったか。
おしなべて曲作りには新鮮さがあったが、詞がまことに貧弱であった。
その典型例で私が真っ先に浮かべるのが、昭和40年代に大ヒットした「あなた」である。
曲は天性の才能が窺える優れたものであった。
なのに詞の方が実に稚拙で、まるで小学生が「私の夢」という題を与えられて書いた作文のようで、口にするのも気恥ずかしいしろもので、ご本人も今は歌えないのではあるまいか。
さだは曲つくりにも非凡さを見せているが、作詞がそれを上回っている。
「主人公」とか「案山子」とか、さだがつむぐ詞は読んでいるだけでもいい。

さて、豊穣の秋を代表するものは果物だろうか。 
梨、葡萄、柿どれをとっても好物ばかりだが、不思議に歌になるのは唯一私が積極的には食べない林檎である。

A
リンゴの歌、リンゴ園の少女、リンゴ追分、リンゴ村から、リンゴの花は咲いたけど、リンゴ花咲く故郷へ・・・
歌謡曲は横において島崎 藤村の「初恋」で・・・その第二節は
   
やさしく白き手をのべて
   林檎をわれにあたえしは
   薄紅の秋の実に
   人こひ初めしはじめなり

リンゴから「初恋」を連想するのも、あまりにもありきたりであるが、私も人並みに「人恋初めし」たころは、今は忘れられているような紅玉リンゴの甘酸っぱさと重なりあうのである。

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北八ッ・高見石 ~回想の高見石小屋

2015年10月11日

今回こそはイントロなしに本題に入ろうとしていたのだが、どうしてもこれに触れないわけにはいかなくて・・・
近頃の笑えるトンチンカンの一番が安倍さんが突然言いだした「一億総活躍」・・・???
始めは冗談だろうと受け取っていたが担当大臣を任命したのだから本気なんだ・・・
だとしたら、ほとんどの日本人は日々、それぞれの立場で懸命に活躍していることをご存知ないとしか考えられない。
余計なお世話ですよ、と言いたくなる。
こんなピント外れなことを言う暇があったら、活躍したくてもそれが出来ない事情を抱えている人をどう助けるかを本気で考えてほしいが、やらないだろうな。

安倍さんはこれ以前に「女性が活躍する社会」なんてことも言っていたが、どれだけの成果を上げたかの検証もないまま、マタゾロで勇ましいけど、内容が空疎なスローガンとかキャッチコピーの類がよほどお好きなようだ。

安倍さんには憲法改正、教育改革などで一貫している信念があり、そこに透けて見えるのは「個」より「国」を上位に置く思想である。
その意味では安倍さんのスタンスは「主権在民」ではなく「主権在国」だろうと思う。
この道はかつての「一億総玉砕」とか「一億火の玉」につながる全体主義を連想させる。
アブナイ!アブナイ!

9日(金)25名という大勢で、紅葉最盛期の北八ヶ岳の「高見石」2249mに押しかけた。
リーダーは今一番油が乗ってるY・Iさん。
新宿西口を7時に出たチャーターバスは長坂ICから野辺山~松原湖を経由して3:15で麦草峠に到着。
峠を秋の冷たい風が越えていた。
それを詩人・尾崎喜八はこのように詠っている。
   
・・・・・・
   風は諏訪と佐久との西東から
   遠い人生の哀歓を吹きあげて
   まっさおな峠の空で合掌していた。

さすが~うまいよナー

Imgp8072 麦草峠の「麦草ヒュッテ」を背にスタート。

Dscn4903 かつての緑の草原の面影が残る峠から千古斧鉞(せんこふえつ)の原生林に分け入る。

A 北八ッは森と湖のハイランド ~鬱蒼(うっそう)たる針葉樹林の足元は分厚いコケが覆っている。

Imgp8093 僅かな登りで今日の最高点「丸山」山頂。2330m
狭い山道を塞いで全員写真。

Imgp8112 岩石累々の「高見石」 ~背後に白駒池が見下ろせる

Dscn4908 ここは身長が足りないので、広大な展望は得られないが、蓼科山の頭部が何とか見える。

Dscn4909 私には本当に懐かしい「高見石小屋」
たくさんある八ヶ岳の山小屋の中で、私が一番多く泊まった小屋である。
従業員に、私も旧知の初代小屋主・薩田喜代志さんの消息を聞いたら、すでに他界しているとのことだった。
たまたま縞枯山荘の主だった嶋義明さんの『山に生きて』に目を通していたら、当時山へ行く女性の人気ナンバーワンが薩田さんとの評があったことが書かれている。
もちろん小屋の姿にも昔の面影はない。

往時茫々・・・

Dscn4913 八ヶ岳特有のゴロゴロ石を拾って白駒池へ下る。
丁度この辺りが紅葉の最盛期で、針葉樹が主体の池畔をナナカマドなどが彩っている。

Dscn4914          A_2

Dscn4915 白駒の奥池 ~巨石と白檜などの幼樹が小さな凹地を覆い、別天地をつくっていたが、木が育ち遠からず樹林に変貌してしまうだろう。

Dscn4916 周回して再び麦草峠に戻ってきた。
背後の山は茶臼山。2384m

Imgp8153 ゴール!暮れるに早い秋の日はすでに傾いてる時刻になっていた。

帰京のバス車内ではシルエットになっていく八ヶ岳を眺めながらいつもの通り、ビール、ワイン、日本酒、焼酎が飛び交い、新宿に着けば打ち上げと称する飲み会。
飲むために山へ行くのか・・・
”あなたはなぜお酒を飲むのですか?”
”それは、そこに酒があるからです”

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黒川鶏冠山 ~信玄夢の跡

2015年10月5日

昨日(4日)歩いた三等三角点黒川山1710m辺り一帯は、かつて「黒川金山」として金が盛んに発掘され、武田信玄の金蔵として殷賑(いんしん)を極めていたそうである。
信玄はここから採掘される金をも一つの武器として、天下人を夢見たに違いあるまい。
その様子は『甲斐国志』に「昔黒川ト云山ニ黄金多ク出ツ黒川千軒トテ人居盛ナリシ」と記されている。
今日ではもちろんその残像とてすっかり消え失せていて、廃村寸前の集落が点在し、出没しているのはハイカーばかりである。

さて原状回復山歩きとして本日の目標は標高差600m超えだったが、データーを確認したら少し足りなかった・・・アリャリャ

Static 今日のコース ~GPSログも久しぶり。
本日は日曜日~中央道は混むだろうし、反面、平日より商用車が少なく流れが良いだろうと判断し、下道・青梅街道からアクセスした。
目論見通り2:45で目的地へ。

Dscn4876 落合集落下の登山口。
青梅街道沿いに登山道入り口の標識があり、傍らに数台分の駐車スペースもある。
私は上の集落にまで車を進め、車道が尽きて山道に変わる所に小広いスペースがあったので、隅っこに留めようとハンドル操作をしていた。
すると初老の女性が出てきて、転回の妨げにならない位置を決めてくれた。
実はネットでそのような記事を見ていたので、これは期待(計算)通りの結果が得られたということ。

Dscn4899 山道に入ると明るい植林下を緑鮮やかに苔が覆っている。

Dscn4877 なかなか気分の良い自然林に変わり、いくぶん色づき始めて木も見受けられた。

Dscn4879 横手山峠~いわば表玄関となる柳沢峠からのコースがここで合流する。
ここからは都水源林管理道になるので道幅は広くなる。

Dscn4890 黒川山(三角点)の西隣にある「見晴台」~背景は北奥千丈と国師岳。
狭い岩頭だが、ポッカリと空に向けて開いている。

Dscn4882 端正な大菩薩嶺と右奥の富士。
見晴台はその名に偽りなく270度くらいには展望が開けている。
以前に来た時には立ち寄っていない。
こんないいところに気付かなかったのか・・・

Dscn4886 奥秩父主脈の中央部~左から木賊山~破風山~雁坂嶺

Dscn4893 今年は各地の紅葉が早いらしいが・・・
ゴールの鶏冠山(トサカヤマ、ケイカンザン)へはもう僅かだが、露岩が多くて、決して油断できないコースとなる。

Dscn4894 露岩の山頂には「鶏冠神社」が祀ってある。
伝承にによると、信玄が黄金の金鶏を山頂に納め、黒川金山の守護神としてあがめた、とある
。(岩科小一郎『大菩薩連嶺』)

Dscn4895 視野は広くはないいが、ここからの眺めもなかなかのものである。
とても狭いので、大勢が寛ぐことは難しい。
ただ今の山頂滞留者は10数人ほど。

一部、周回できるコースをとって山を下った。
駐車のお礼の声を掛けると”お天気で良かったネ”と声だけが返ってきた。

今日の調子・・・?
いつもくらいのペースではあったが、これくらいの行程でも軽い疲労感が残った。
所詮、原状回復といったところで「原状」そのものが加齢による体力低下状態にあったのだから、こんなものかな。
自分の力量の範囲で楽しむしかないのだから、これくらいのところで折り合いをつけようかな、いやいやもう少し粘ってみたら,
などと「揺れる想い」の振り子が胸の中でいったり、きたりしている。

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