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季節のアンソロジー ~九月

2015年9月3

秋はどこからやってくるのだろうか
風 ~そう大陸生まれの乾いた白い風が吹くと”あー秋になったな・・・”と思う。
あるいは秋は空から降りてくる ~真夏のギラギラした光がフッと力を失ったような気がして空を見上げると入道雲が消えて、うろこ雲が広がっている。
”あー 秋の雲だな・・・”との感慨が湧く。
       水脈(みな)の泡波 うろこ雲
   遥(はる)ばるつづく陽の入りは
   いつも夕焼け 月あかり
   雁が飛びます わたります     「雲の歌」北原 白秋

A
うろこ雲、いわし雲、さば雲・・・秋を告げる雲にはなぜか魚が関係する。

森林限界(おおよそ標高2500m前後)を超える高山での秋の使者は地表を覆うウラシマツツジだろう。

A ツツジだからとうぜん花を咲かせるのだが、不思議なことに花の印象はまるでない。
秋に一番乗りする、目にも鮮やかな草紅葉こそがウラシマツツジの存在を際立たせるものである。

こんなふうにしてそこかしこに「小さい秋」が生まれてきて、それらが出そろうと日本は深い秋に包まれていく。

もう十年越しで、毎年九月になると今年こそは行くぞ!と思い定めながらいまだに果たせないことがある。
越中・
八尾(やつお)の「風鎮め」の民俗行事「風の盆」である。
胡弓の調べにのる哀調を帯びた「越中おわら節」に合わせ、編笠を目深に被った男女の優雅とも艶冶とも言いがたい踊りが夜を通して繰り広げられる。

A

蛇足ながらここで高橋 治の『風の盆 恋歌』をパスするわけにはいかないだろうが、広く読まれているだろうから、内容に触れる必要はないだろう

昨日(きそ)夏なりき、今し秋 ~ボードレールの「秋の歌」の一節だが「今し」の秋を感じさせるのが秋海棠である。
秋海棠は夏の終わりの花なのか、それとも秋の始りに咲く花なのか微妙なところに位置している。

A わが草の庵の庭もシュウカイドウが今主役になっている。
近くの林に自生していた一茎を移植したら繁殖力が旺盛で、そこらの転がしておいても根付いてしまうほど。

A_2 そこかしこで白い蕎麦の花も目だってくる。
月が変わればそろそろ新ソバの幟も立ってくる。
蕎麦好き(と言っても、ソバは嫌いだ、という御仁には滅多にお目にかからないが・・・)にとっては新蕎麦はやはり特別なものだろう。

九月下旬になると、今まで何もなかった場所でいきなり彼岸花(曼珠沙華)が開く。
この花には「ハミズハナミズ」(葉見ず花見ず)という別称があるらしい。
葉が出る前に茎が伸びて開花し、花が終わってから葉が出るさまを言う。
 
前略で いきなり咲きし 彼岸花   神田 矜子

 
曼珠沙華 一(ひと)むら燃えて 秋陽(あきび)つよし
   そこ過ぎてゐる しづかなる径(みち)   木下 利玄

A_3

山口百恵は美空ひばりほどではないにしても、懐が深い歌い手だった。
いい日旅立ちの叙情、乙女座宮のロマン、横須賀ストーリの突っ張り風、
曼珠沙華の妖気など、多彩な表現ができる稀有な歌い手であった。

Photo ~山口百恵は菩薩である、と称えたのは誰だったろうか。

秋刀魚の歌      佐藤 春夫
     
あはれ
     秋かぜよ
     情けあらば傳えてよ
     ーー男ありて
     今日の夕餉に ひとり
     さんまを食らいて
     思ひにふける と。
   (以下略)
今は路地裏に七輪を出し、サンマを焼く光景など日本のどこでも見られないだろうが、妻に去られた男がひとり七輪で焼いたサンマを食らう、そんな時代もあったのだ。

資源保護のため魚類は年毎に口にしにくい食べ物になりつつある。
最後の砦とも言える秋刀魚が、高級魚になる日がやってくるのだ
ろうか。

♪ あの夏の日がなかったら
   楽しい日々が続いたのに
  
今年の秋は いつもの秋より
   長くなりそうな そんな気がして・・・♪
            ~「秋止符」アリス

私にとってもこの夏は不本意な足踏みの一夏だった。
どんな秋を迎え、送ることができるだろうか・・・。

 

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コメント

思わしくない天候のせいで今年の夏は思い出も作れないままに終わりました。

後は、清秋の沼田路を走り、1年前に堪能した例の御蕎麦屋さんが楽しみとなりました。
それも夫しだい。84才に近づきつつある夫、やはり車での出歩きが少なくなりましたね。特に慣れない道は億劫なようです。

動けなかった夏の分を秋に回したいと思っているのですが。。。

投稿: おキヨ | 2015年9月 3日 (木) 12時38分

おキヨ様
この秋に、充たされなかった夏の埋め合わせができるといですね。
運転には体力などあまり関係ないように思っていましたが、それは間違いですね。
残念ながら年々行動半径が狭くなってきている現実を、認めないわけにいきません。
私も再起は期したいと思っているのですが、一度気持ちが切れてしまうと簡単には立て直しができません。
おまけに長い秋霖で、いよいよ心身ともになまっています。
何か起爆剤が欲しいところです。

投稿: 風花爺さん | 2015年9月 3日 (木) 15時51分

こんにちは。
遠くの山裾まで広がるソバの花、私はこんな風景が好きです。
ここは、どこなのでしょう……?
車の運転が出来なくては行けない所なのでしょうか…。
この写真をいつまでも眺めてしまいます。

「季節のアンソロジー 八月」でご紹介くださった、伊藤 静雄の詩「八月の石にすがりて」、まさにその蝶の心境の夏が過ぎて、秋の気配を感じるこのごろ…ようやくホッとしています。
風花さまのご回復をお祈りします。
  

投稿: 淡雪 | 2015年9月 4日 (金) 16時49分

淡雪様
体の丈夫な人でも生き難い猛暑が遠ざかり一息つけますね。
お蔭さまで私の体調は9割がた戻りました。
残るは手の握力が十分戻らないので、文字を書くことなどで不自由しているくらいです。
広い蕎麦畑の景観は八ヶ岳山麓ほかの信州の各地(この写真も以前に新行村辺りで撮ったものだと思います・・・)や群馬県でも見られますが、私の記憶の範囲では車でないとアクセスが難しいところばかりでした。
息を飲むような大観ももちろんいいですが、このようなさりげない日本の原風景も捨てがたいものですね。

投稿: 風花爺さん | 2015年9月 4日 (金) 17時53分

風花さん、こんばんは

不本意な足踏みを続けている岳です。
今年は過去に無い夏を過ごし、もったいないなぁ…
そんな事を想っています。
秋の山でもほとんどお目にかかれなかったウラシマツツジ、
昨年はその群生の中、山頂を目指した三ノ沢岳でした。
下山の上り返し、あの辛さで限界を感じたのも昨年でした。

投稿: | 2015年9月 5日 (土) 20時55分

岳様
私のように持ち時間が少ない身分になると、正直言えば一夏を無為に過ごすことは悔しくてならないのです。
岳さんの心境もよく分かります。
体力は低下し、反対に体重が増えてしまった今の状態からどう立て直すのかが、当面の私の課題です。
三の沢岳は主稜線の分岐からおよそ300mほど下り、その分を上り返して山頂。
同じことを繰り返して戻ってくるのですからシンドイですね。
私は曇天のため断念してしまったので、それは経験していないのですが・・・。
お互い良い秋を迎えたいものですね。

投稿: 風花爺さん | 2015年9月 6日 (日) 06時43分

こんばんは。
「風の盆」という行事を初めて知りました。
検索してみますと、何とも幻想的な世界で私もいつか行ってみたい
と感じました。

新蕎麦!
「新蕎麦ですか?」
「新蕎麦ですよ!」
このやりとりだけで美味しくなるのは雰囲気で食べている証拠ですね(笑

投稿: itta | 2015年9月 7日 (月) 21時05分

itta様
祭りの踊りはたいてい早い、あるいは激しい動きが見る人も巻き込んで全体のテンションが上がりますね。
「風の盆」はその点が実に独特で、高橋治さんは『風の盆 恋歌』のなかでそれを「静止したときの美しさ」と表現していますが、ゆったりした「動」と「静」の美しさが実に誘惑的です。
私は実際には見ていないのですが、You Tubeの動画で楽しんでいます。
パソコンの便利さを実感するときです。

蕎麦は一年中美味しいですが、特に新蕎麦を旨いと感じるのは、ittaさんがおっしゃるように、たぶんに暗示にかかるせいでしょうね。

投稿: 風花爺さん | 2015年9月 8日 (火) 06時41分

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