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私の八月十五日

2015年8月15日

70年前の今日の空の青さは今でも鮮やかに思い出せる。
どこまでも突き抜けそうで「蒼穹」という言葉そのものの、深くて高い空が日本の上に広がっていた。
そして、12時の玉音放送が終わって暫くしてから周囲が妙にシンと静まりかえってしまったことも・・・。
戦争が終わったという安堵感と虚脱感と、この先どうなるのかという不安がないまぜになって大人たちを無口にさせたのだろう。

しかし11歳、国民学校5年生の私には、そんな大人の世界とは無縁のところで、夢中で一つことに励んでいた。

Img005

その日、私は朝のうちからウキウキしていて、私の家から西へ5kmほど離れた母の生家のほうへ向かっていた。
兄が引くリヤカーのあとについて登り気味の、埃っぽい県道を行く私の足取りはさぞかし軽かっただろう。
私と、兄弟以上に仲良しだったおないどしの従兄弟が自転車を貸してくれることになり、それを受け取りに向かっていたのであった。
従兄弟の一家は前橋市から母の生家近くに疎開していた。
その従兄弟が疎開先で自転車を自在に乗りまわしているのが羨ましくてならなかった。
どうしてその自転車を借りられることになったのか、その経緯は記憶にない。
おそらく私が母にそんなことを言い、妹になる従兄弟の母親に話をしたのだろう。

借り受けた自転車をリヤカーに乗せ、赤城山が背になるので下りになる県道を家に戻った。

帰宅すると私はさっそく庭先で自転車乗りの練習に夢中になった。
私の家には玉音放送を聞くために近所の人たちが集まり始めていた。
そうした人々をよそに、いくらか自転車を漕げるようになった私は家を離れて遠乗りに出かけた。

Img004 『われら腕白小僧』~石井美千子 作

練習を一休みしているとき、フッとあたり一帯が妙にシンとしているのに気付いた。
そのわけは誰かの説明で分かった。
”そうか、戦争が終わったんだ”
その意味するものが何かほとんど理解できないものの、何かが自分の中で脱落するものがあった。
夏休みが終わり、2学期が始まったある日の授業で先生が”日本がどう変わったのか?”という質問をした。
私は直ぐに手を挙げ”軍国主義から民主主義に変わりました”と答えた。
誰かの受け売りで、自分ではほとんど理解していない付け焼刃。
それが何よりの証拠に、それから暫くして自分が、生涯でただ一度グレた日々をおくるようになっていた。

それにしてもどうしてあの日の空はあんなに真っ青だったのだろうか。
素晴らしい夏の晴天だった、だけで片付けられないものがあったように思えてしかたない。

ところで帯状疱疹などという妙な症状が発症してから一ヶ月が経った。
疱疹のほうは7割がた消えた。
しかし、目に見えない神経痛ははかばかしく好転せず、指先の麻痺、シビレや腕の重ったるさが残っていて鬱陶しい。
ペットボトルのキャップが何とか開けられるようにはなったが、腕の力は半分程度だろう。

日々の生活で体力の低下が実感されているので、どの程度のものか自重していた山歩きを再開してみた。

Img_0447
リハビリのつもりで赤城のショートコースを選んで登ってみたが、体力低下は歴然としていた。
山歩きのブランクのせいだけではなく自力そのものが衰えている。
疲れるだけではなく、右腕全体にビリビリとシビレ感が出るのは、まだ神経の回復が十分ではなく、体に負荷がかかるとそうなるらしい。

まだしばらく辛抱が続くだろう。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

小説のように読ませていただきましたが、私たち世代にとって朧気な時代がまた1つ現実感を纏ったように感じられます。

相変わらず、うんざりする暑さが続きますね。。
秋が深まり、冠雪の頼りが届くのが待ち遠しいです。
どうかご自愛ください。

投稿: itta | 2015年8月16日 (日) 04時04分

itta様
気がつけば日本人の8割は戦争を知らない世代になっているんですね。
終戦の年に生まれたかたが70歳なんですからね。
それでもあの戦争の記憶を風化させない、という気持ちが若い世代にも引き継がれているので、そう簡単に日本が再び戦争をする国にはならないだろうと心強く思っています。
暑い、暑いと言っているうちに後1~2ヶ月もすれば富士や北アから初冠雪の便りが届くのですから、いつもながら季節の巡りの早いことを実感させられます。

投稿: 風花爺さん | 2015年8月16日 (日) 06時33分

あの日6歳の私は父の背中に載って太平洋の海の中にいました。終戦日の強烈な思い出です。
私は溺れてしまう恐怖がありましたが、父はおそらく解放感でいっぱいだったのではと思います。

私より4歳上の風花さんでもやはりまだ終戦の意味を本当に理解するには無理だったのですね。それよりなんと魅力的な乗り物だったでしょう^^
しかし、それでも終戦の空気に少年の心がよりどころを失ったということでしょうね。
私の長兄がその日を境に人格が変わったように感じましたが
無理もありませんね。

元の体力に戻るにはもう少しの辛抱と思いますので、どうぞお大事に。

投稿: おキヨ | 2015年8月16日 (日) 13時07分

おキヨ様
ご父君はあの日、海の上で何をなさっておられたのですか?
あの時代、金属製品は国に召し上げられていたのですが、私が借りた子供用の自転車がそのような目に会わなかったのが不思議です。
終戦を境に人格が代わった人は大勢いるでしょう。
ことあるごとに生徒にビンタを食らわせていた先生が、一夜でもの静かな文学青年に変身してしまいました。
中学受験と云う目標を失った私は勉強に身が入らなくなり、一時期、不良少年に堕したものでした。
体調不良は全くの誤算になってしまいましたが、こうなっている以上、気長に向き合っていきます。

投稿: 風花爺さん | 2015年8月16日 (日) 14時40分

風花さん、こんにちは

戦争に纏わる話として記憶しているのは、父親に聴いた話がほとんどです。何のために? 戦争に勝つと暮らしが良くなる。その事だけははっきり憶えていますが、それが全てですね。
帯状疱疹の影響は、腕の力も入らない程なんですね!私もそっと歩いてみましたが、内出血が起こる様ですので、まだ安静は必要だと察知しました。お互いに、いま暫くの辛抱ですね。

投稿: 岳 | 2015年8月17日 (月) 17時12分

岳様
岳さんは戦後生まれでしょうから、大戦のことは伝聞でしか知らないでしょうね。
ただ、成長期に戦後の疲弊の極致にあった影響は受けておられるのでしょうね。
それでもやがて戦争に負けたのに暮らしが良くなったのは、日本がいろいろな幸運に恵まれたからですね。
アメリカの単独統治になったこと、朝鮮、ベトナム特需があったことなど・・・
山に戻るのが予想外に遅れそうです。
受け入れるしかないですね。
私の自宅のパソコンで岳さんのブログが閲覧できなくなってしまいました。
山荘のパソコンとスマホでは正常に見られます。
自宅にいるときはコメントを入れることができなくなります。
スマホで可能か今度試してみます。

投稿: 風花爺さん | 2015年8月17日 (月) 20時41分

風花さん、パソコンの件ですが、
他にも見ることができない人がいました。
Nifty(ココログ)で表示が変わらないことがあり、
インターネット上部の「表示」で「最新の情報に更新」
ここをクリックすると表示する様です。お試しを!

投稿: 岳 | 2015年8月18日 (火) 08時02分

岳様
ありがとうございます。
帰宅して岳さんのブログにアクセスしたところ、これまでと同様、普通に開けました。
このコメントはスマホでおくります。

投稿: 風花爺さん | 2015年8月18日 (火) 19時51分

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