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「日本のいちばん長い日」を観て・・・

2015年8月11日

映画「日本のいちばん長い日」を観た。
昭和20年、戦争終結を決定した政府に対し、これを阻止しようとする青年将校による「宮城事件」を題材にして緊迫感に包まれた136分。
いつもの居眠りを忘れ、画面に釘付けになっていた。
最近いわゆる「玉音放送」のオリジナル盤が発見され、最後の御前会議が開かれた壕内の写真の公開などで関心が高まっている。
この映画を観るためには、題材になった「宮城事件」についてそうとう予習をしておかないと、ストーリの中にスンナリと入っていけないおそれがある。

A

この映画は1967年に谷口千吉監督、三船敏郎などのキャスティングで作成されたもののリメーク版である。
メガホンをとった原田真人監督が製作の動機をラジオで次のように語っていたのを聴いて、わが意を得たりの思いをした。
「私は戦争映画が、やたらに目を剥いたり、絶叫する過剰な演技に違和感を覚えていて、もっと自然体での映画を作ろうと思い立った・・・」と。
私があまり時代劇を観ないのも全く同じ理由で、判で押したような紋切り型の大時代な演技にどうしてもなじめないためである。
どうして演出家は十年一日のごとく、時代劇とはこうあらねばならないというワンパターンの演技を役者に強いているのだろうか。
もちろん全部がそうだということではなく、たとえばTVでの「三屋清左衛門残日録」のように演技の抑制のきいた佳品もたくさんあるのではあるが・・・。

A_2

昭和16年12月の開戦から半年の間の日本軍の進攻は目を見張るような赫赫(かくかく)たるものだったが、ミッドゥエーの海戦での惨敗が転機で守勢一方に変わり、重要な作戦でことごとく敗北する戦局になった。
昭和20年、遂に沖縄の上陸を許し、2発の原爆投下でいよいよや国の存続が危うくなる窮地に陥っていた。
開戦当初から、いかに戦争を終結させるかは考えていた政府だが、ズルズルと判断を遅らせ、徒に犠牲者を増やすばかりだったが、さすがに連合国からポツダム宣言の受諾を迫られ、これを受け入れるしかない局面に追い込まれていた。
この期に及んでなお「一億玉砕」を叫ぶ軍部の抵抗の中で、天皇の聖断により宣言の受諾を決定し、8月15日正午の、いわゆる「玉音放送」によって、天皇が直接、国民に広く訴えることにこぎ着けた。

しかし、この期に及んでなお一億玉砕を叫び、本土決戦を迫る陸軍の若手将校たちは、クーデータによって宮城を占拠し、玉音放送の音盤を奪取しようとして宮城になだれ込んだ。
軍幹部を突き上げての彼らの無謀な試みはさいわいにして不成功に終わった。

もし、彼ら青年将校たちの狂気じみたクーデータが成就していたら、国土は文字通り焦土と化し、戦争の犠牲者は国の存続すらおぼつかないほどの数に登っていたであろう。

満州事変以来の陸軍の暴走と、それを止められなかった政治やマスコミの無力による国の悲劇が、遅きに失したがようやく聖断によって紙一重の差で終止符を打てて、辛うじて国体は存続し、疲弊のどん底から這い上り今に至っているのである。

映画には当然だが天皇、鈴木首相など当時の枢要人物が登場するが、その一人阿南惟畿(これちか)陸相だけが玉音放送前に自決する。

A 役所広司が演じる阿南陸相

阿南は天皇の侍従武官として仕えた経歴もあって、戦争を終えたいとする天皇の心中は理解しながらも、本土決戦を主張して止まない陸軍を代表する立場でもあり、クーデータに走る狂気の青年将校の心情にもシンパシーを抱き、心中の葛藤はいかばかりだったろうか。
さらにまた、満州事変以来、国の進路をミスリードし続けてきた軍部の責任を最後の陸相としてとったのだろうか。
東条英機の女々しい振る舞いにくらべ、武人の面影を感じる。

A_2

これは白川一郎画伯による「最後の御前会議」の模様。
この会議の記録は画像はおろか、文章の記録も無いそうだ。
白川画伯は正確な画像記録を残すべしと考え、17年後から宮内省の協力のもと、出席者の一人ひとりにあたり、丹念に記憶をつなぎ合わせてこの絵を完成させた、ということである。

一握りの軍部の暴走のあげく、日本人だけでも320万人の死者をだし、国民を塗炭の苦しみに陥れた戦争の愚かさ加減を思えば、
日本が再び「いつかきた道」をたどることは万が一にもないと思いたいが、平和な70年の間の歩みの間にも絶えずその懸念がつきまとっている。
政権与党の未熟な代議士が、上から目線でエラソウに若者たちの戦争忌避を非難したりしている。
私にはこうした言動がかつての青年将校と二重写しになって見えてしかたがない。
過去に学べないこの手の未熟者にはISとの戦争の最前線にでも参加させ、戦争がどんなものか一度体験させたらいい。

今、成立目前の安保法制を、政権は「戦争の抑止力」と説明しているが、同時に「戦争ができる国」にすることは間違いない。
この平和な70年の間に、時の政権は「合憲」の範囲をミリ単位でジワジワと拡大してきていて、気がつけば非戦闘地域とはいえ自衛隊が出動するところまできている。
今は違憲とする見方が圧倒的に多いにもかかわらず、後方支援の範囲とはいえ、集団的自衛権を合憲とするムリ筋の安保法案が成立寸前で、またまた合憲の範囲を拡張しようとしている。

あの戦争は多大な犠牲者の上に、多くの教訓を残している。
この映画もその一つになるであろう。

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コメント

私も所謂「時代劇」「戦争物」には敬遠して来ました。
が、時代劇と言えども、史実に忠実な生活とか事件とか、チャンチャンバラバラではない物もあり、それなりに感動しました。
食わず嫌いと言わずに、これは是非観てみたいと思っています。
戦後世代の団塊世代として。

投稿: noritan | 2015年8月12日 (水) 07時03分

noritan様
映画でも、TV番組でも、小説でも、音楽でもジャンルがなんであれ、最終的には自分の好みとか感性とかの、言葉では説明しにくい要素で「良いか悪いか」が分かれてしまいますよね。
この映画に関心を寄せるのは昭和一桁世代までくらいだろうと思っていたのですが、観客を見ると世代を超えているような印象でした。
原作は昭和史に通暁している半藤一利さんの作品なので、史実には忠実だろう思います。
2時間余で描くにはあまりにも事実関係が重層的なので、どうしても表層的になってしまいますが、それなりに玉音放送直前の日本がおかれた極限の状況はうかがえると思えます。

投稿: 風花爺さん | 2015年8月12日 (水) 17時13分

風花さん、こんにちは

リメイク版が上映されているのですね。「日本の一番長い日」はかなり前に観ていますが、正直言って良く判らなかったためか、その後も印象に残っていません。
三屋清佐衛門残日録の原作は何度か読んでいますが、池波正太郎の剣客商売の秋山小兵衛と重なる部分があり、素晴らしいと思います。しかし、今度は原発の再稼働、「総理大臣は何でも一人で決めて良い」と勘違いしているのか、強引に事を進めていますね。

投稿: 岳 | 2015年8月12日 (水) 17時51分

岳様
この映画の旧作が15日(土)にBS3で放映されるので、改めて見直してみようと思っています。
ポツダム宣言受諾の前後の日本は、原爆の投下、ソ連の参戦など国内外が非常に複雑な動きになっていたため、分かりにくいことは確かですね。
安倍さんの手法は、人の意見には耳を傾けるポーズはとっているのですが、尤もな意見があってもそれを自分の政策に反映しようとする姿勢はほとんどないように見えます。
自分とは違う意見であっても、少し立ち止まって再考してみるという気持ちに欠けていたため310万人もの日本人を死に追いやってしまった戦前の指導者とオーバーラップしてしまいます。

投稿: 風花爺さん | 2015年8月12日 (水) 21時22分

〔日本のいちばん長い日〕この映画は私も観たいと思っています。昔よりこの時代のことを多少知識を得たつもりですので
ストーリーの流れは理解できるのではと思います。

時代劇・・・私も風花さんと同じ理由で嫌いでしたが、今の時代劇は一昔前とだいぶ変わってきましたね。

70数年前の狂気の時代に少しでも近寄ってはならないとまず政治家が思わなくてはなりません。

投稿: おキヨ | 2015年8月13日 (木) 11時46分

おキヨ様
私はこの映画を観る前に「宮城事件」のおり、日本がどんな状況におかれていたかを前もっておさらいしておきました。
もし、あのクーデーターが成功していたら、今の日本はなかっただろうことは容易に想像できてゾッとします。
いつの時代もそうなんでしょうが、恐ろしいのはただの強がりの「匹夫の勇」を真の勇気と間違えて暴走する徒輩がいることですね。
今の自民党の中にもこの種の勇ましがり屋がいて、粋がっているのですね。
ただ格好づけに勇ましがっていて、戦争がどれだけ残酷なものか知らない者が多数派になる時代が来ないことを祈りましょう。

投稿: 風花爺さん | 2015年8月13日 (木) 16時16分

私も映画を観て、某代議士と青年将校達が重なりました。
双方共、最前戦で戦わずに他人を戦わせようとしているクセに、勇ましい事ばかり言っている。
自分も戦いたいが、政治家がいなくなると困るから、自分は戦いに赴かないと平然と主張するとんでもない未熟な政治家さんには怒りを覚えます

投稿: ヨシ | 2015年8月16日 (日) 08時56分

ヨシ様
自分は絶対安全なところにいて、他人を危険なところに追いやることに何ら良心の呵責を覚えない徒輩はいつの世にもいます。
そのような代議士がいるとしたら、それを選んだ選挙民にも責任があります。
その責任を自覚するのなら、次の選挙でその不届きな代議士を落とすべきでしょう。
戦前と違い、戦後はそのように権利を行使できるシステムになっているだけズッーとましですね。

投稿: 風花爺さん | 2015年8月16日 (日) 14時59分

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