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季節のアンソロジー ~八月

2015年8月7日

多くの日本人にとっては八月は思い出すのも辛い出来事が多い月である。
とりわけ、1940年くらいまでに生まれた世代の心には太平洋戦争のことは程度の差はあっても、何らかの痕跡が刻まれているだろう。
私は戦火からは遠いところにいた、無邪気な軍国少年だったから、戦争の惨禍とは無縁であったが・・・。
その惨禍の数々を少しづつ知るようになるのはずいぶん後のことである。
とりわけ、日本での最初で最後になった沖縄での地上戦の悲劇は映画「ひめゆりの塔」で知った。
そしてもう一つの沖縄で、森山良子さんが歌った「さとうきび畑」からも、戦争がもたらす静かな哀しみを教えられた。

A
この長大な曲は反戦を声高に叫ぶものではないが、広いさとうきび畑を”ざわわ ざわわ・・・”と風が通り抜けるように、戦いの悲しみが心にひたひたと沁みてくる。
そして沖縄は今も戦争の影に苦しめられている。

国民的な夏の風物詩といえる高校野球のもその影は落ちている。
今年の大会は第一回大会から100年目になるが、大会の回数は97回。
もちろん大戦時に開催されないことが3回あったためである。
野球の技を堪能するならプロ野球だが、清清しさ、ひたむきさは甲子園でしか得られない。
毎回、感動の名シーンを生んでいるが、私が分かっていながら涙が出てしまう場面がある。
大会歌のマーチに乗って代表各校の入場行進があり、勢揃いすると、一斉にホームベースを目指して前進するあのシーン・・・。

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わけの分からない思いが衝きあげてきて、いつも不覚にも涙をこぼしてしまうが、ラジオから同じことをリスナーの声として紹介された。
余談になるが「栄冠は君に輝く」は格調の高い歌詞もさることながら、古関祐而の曲が卓越している。
古関は実に多彩な作曲家で、どんなジャンルにも名曲を残しているが、最高傑作として差支えない、と私は思っている。

お花畠     尾崎 喜八
     いちばん楽しかつた時を考えると
     高山の花のあひだで暮らした
     あの透明な美酒のやうな幸福の
     夏の幾日がおもはれる     (以下略 旧仮名のまま)
夏の高山のお花畑には至福が充ちている。
花の方はただ子孫を残すための営為をしてるだけなのに、人間の方が勝手に感動している。

A

八月の石にすがりて      伊藤 静雄
     八月の石にすがりて
     さち多き蝶ぞ、 いま、 息たゆる。
     わが運命(さだめ)を知りしのち
     たれかよくこの烈しき
     夏の陽光のなかに生きむ。    (以下略)
生命が燃え盛る真夏でも息絶える蝶がいる。

このころ山野を彩るのは月見草。
私たちの多くが「月見草」としているのは「マツヨイグサ」あるいは「オオマツヨイグサ」であることは今では常識になっている。
両者の混同には太宰治の「富士には月見草がよく似合う」やら竹久夢二の「宵待草」も一役買っているであろう。

A マツヨイグサ    

A_2 本来の「月見草」~自生種は絶滅

 

月見草は歌にもよく歌われ、特に「月見草の歌」は知る方がおおいだろうが、私の愛唱するのはもう一つの「月見草」である。
♪ 夕霧こめし草山に ほのかに咲きぬ黄なる花
    都の友と去年(こぞ)の夏 手折り暮らしし思い出の
     花よ花よ その名もゆかし月見草 ♪
作詞:勝田 香月    作曲:長谷川 良夫 
感傷的過ぎるかもしれないが、歌い継がれる歌の本質は「叙情」にあると確信している私にはピッタリする。  

夏の終わりに一抹の哀愁を覚えたのは少年のころだったか・・・
いつのまにか日が短くなっていて、遊び呆けている間にあたりが暗くなってきた。
ヒグラシが鳴く。
残り少ない夏休みなのに、宿題はあらかた残っている。
そんなことが頭の端をよぎりながら、家路を急ぐ・・・。

井上 陽水の「少年時代」は、歌詞としては判然とはしないのだが、私は夏の終わりの一種の哀感を覚える。
♪ 夏が過ぎ風あざみ 誰のあこがれにさまよう
     青空に残された 私の心は夏模様 ・・・♪

 

堀 辰雄に「晩夏」という随筆とも旅の記ともつかない作品がある。
夏の終わりに妻と二人で野尻湖への小さな旅をした回想記である。
ある日、湖畔を二人で前後しながら歩いているとき不意に「ツヴァイザムカイトZweisamKeit !というドイツ語が堀の口を衝いてでる。
孤独の淋しさではない、二人差し向かいの淋しさを感じたのである。

A

ずいぶん昔のことで、季節は晩夏ではなく晩秋になるが気のあう山仲間の女性と二人で晩秋の奥武蔵の尾根を歩いたことがあった。
なぜか普段は饒舌な彼女の口数が減り、もともと口数の少ない私とで黙って歩いた。
足元に咲き残りのリンドウが咲いていて、私はそのとき辰雄のいう「ツヴァイザムカイト」という言葉を頭に浮かべていた。

炎熱地獄とも言いたい猛暑のさなかなのに、指先が滑り晩夏にまで及んでしまった。

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コメント

風花さん、こんばんは

私は戦後の生まれですので、戦争については殆んど知りませんが、
戦後の貧しさや、苦労に関しては嫌というほど体験しています。
井上揚水の全ての歌を知っている私ですが、今持ってあの歌
「少年時代」は全てにおいて違和感を感じます。
この曲、歌が揚水にはマッチしないのです。

投稿: 岳 | 2015年8月 7日 (金) 21時46分

岳様
明治期の日清~日露戦争から始まる、日本の戦争時代は太平洋戦争が終わっても長らく続く疲弊をもたらせただけでした。
あの絶望と荒廃と困窮の中からよくぞ立ち直れたものですね。
あのころの生活をベースに考えたら、今は毎日が天国暮らしです。
陽水については私はほとんど無関心でした。
ただ一番陽水らしくない「少年時代」だけが耳に残っているのです。
音楽についての嗜好は岳さんと私とでは少し違うようですね。
好みの違いがあっても、音楽に心を癒されることは同じですね。

投稿: 風花爺さん | 2015年8月 8日 (土) 10時44分

私も声高な反戦より、静かで深い意味を持った反戦歌に想いがこみ上げます。
私の夫は当時深川に住んでいたので、火の中をさまよう地獄を体験している筈ですが語ろうとしませんね。どれほど口を極めても、実際体験した、目の当たりにしたことのほんのわずかしか言い表すことが出来ないということだと思います。

井上陽水の詩は極めて個人的な感性で出来上がっているのでたしかに理解しがたいものがあるかもしれませんね。
私は若い頃揚水ファンでした^^

投稿: おキヨ | 2015年8月 8日 (土) 11時29分

おキヨ様
戦争のシーンがなくても、戦争がもたらす悲しみを激しく訴えた映画としては「禁じられた遊び」が浮かびますね。
人混みに、ただ一人頼りにしている年上の男の子を見失った戦災孤児が”ミッシェル、ミッシェル」と必死に叫びながら探すシーンは、どんな雄弁にも勝る反戦のメッセージでした。
死の淵に立つような経験をした人は、案外その体験は語らないようですね。
どんなに言葉を尽くしても、自分が体験したことは伝えきれない、と思うのでしょうか。
いつのころからか生まれた「シンガー・ソング・ライター」が書く詞は感性だけで書いていることがあって、そこには論理といえるようなものはなく、したがって意味不明とか、拙劣としかないようなものがありますよね。

投稿: 風花爺さん | 2015年8月 8日 (土) 13時51分

本来の月見草の自生種は既に絶滅しているという事実に、少しショックを受けました。

待宵草はその名前も、柔らかな色合いも好きで、駐車場の脇に花をつけているのを見つけても、開花の時刻を楽しみにしてしまいます。

戦争の話は、100歳を迎えようとしている祖母から若い頃にたくさん教えてもらいました。最悪の時代が繰り返さないように、娘の生きる未来が平和であることを願うばかりです。

投稿: itta | 2015年8月 8日 (土) 21時57分

itta様
戦争なんかしても良いこと一つもないことは、人類はさんざん学習してきているのに、人類の歴史で戦争が絶えることがないのは実に悲劇ですね。
日本は武力で国際紛争を解決する道を放棄して70年、戦死者を一人も出さないできましたが、今その道が変わろうと(変えようと)していますね。
真っ直ぐ歩いているのをほんの少し角度を変えただけでも、そのまま進めばいつしか元の道とは大きく異なった方向へ進んでしまいますよね。
山でそんな過ちを起こしたら、命取りになりかねませんね。

投稿: 風花爺さん | 2015年8月 9日 (日) 06時39分

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