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「山の本」の本、いろいろ

2015年6月22日

世に本狂い、書痴、ビブリオマニアなる言葉がある。
いずれも読む読まないにかかわらず、本を見れば買わずにはいられない一種の病に取り憑かれている人のことである。
やがていつか正気に戻り気がつけば、積みあがった膨大な本の山の嵩(かさ)と、それがゴミと化する姿を想像し、なす術も思い浮かばずただボーゼンと立ちすくむ末路を迎える。
ほかの誰でもない、私のことである。
ただ呆然としているだけでは済まされないことで、いずれは始末をつけなくてはならない。

梅雨時で、思うように山に行けない日の無聊のままに、いずれは何らかの形で別れを告げなくてはならないこれらの本に早めの惜別の辞を送るつもりの駄文を・・・

およそ120年前、登山それ自体を目的とする日本の近代登山が始まって以来、おびただしい数の山の本が生まれている。
不朽の名著もあるが、およそ出版する意味を見出せない深田百名山めぐりなどの消耗本まで、誰も正確な数をしらない途方もない数の本が今日まで、一度は書店の店頭に並んでいる。
悪性のウィルスに冒された私は手当たり次第にこれら山の本を買い集めて来た。

今日はそうした数々の山の本に中から名著として選ばれた「山の本」の紹介、あるいは蒐集の喜怒哀楽について書いた本があるので、それらをカタログのように並べてみた。

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「山の本の『本』」といえばこれ、古典中の古典である。

Img058 覆刻 日本の山岳名著 解題
日本における近代登山黎明期に輩出した古典的名著の数々の解説集。
志賀重昻『日本風景論』、小島烏水『日本アルプス』、木暮理太郎『山の憶ひ出』、田部重治『日本アルプスと秩父巡礼』、辻村伊助『スウィス日記』、大島亮吉『山 研究と随想』etc
全て手元にはあるが、そのほとんでは未読に近い・・・バチアタリなことで・・・。

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山の本に取り憑かれた因果な人の喜怒哀楽がこもごも綴られていて、身につまされる。

私も短い間、籍をおいていた「日本山書の会」会員が書いたもので、これを読むと私の本集めなど子供だましのレベルだと痛感する。

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山書の蒐集にかけてはおそらく現代の第一人者の上田茂晴さんの本。
「日本山書の会」の牽引車で山書について造詣が深く、多くの著作がある。

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Img050  いわゆる限定本の収集本

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深田久弥の『日本百名山』の生みの親、名編集者の大森久雄さんの、山の本への深い愛情がうかがえる好ましい書である。

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この他にも横山厚夫さんの『山麓亭百話』ほか、山の本をめぐって思いの丈を綴る文はとても多い。

季刊の『山の本』に連載されている長沢 洋さんの「山書探訪」も視点が新鮮で啓発を受けている。

これらの本とはそんなに遠くない時期に今生の別れとなる。
そのための惜別の賦とするには少しは早いかなとは思うが・・・。

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コメント

風花さん、こんにちは

私には馴染みの無い作家や本ばかりですが、日本山書の会の本などはプレミアがついて、ネットで32,000円で販売されていました!多分貴重な本ばかりではないでしょうか?私も二十歳前後は山の本を沢山読みました。知人が入院した時に20冊くらい貸したのですが、返す、返すと言って30年も過ぎてしまいました。長野県の山岳救助隊など、ノンフィクションの書が多く、今も残念でたまりません。

投稿: | 2015年6月22日 (月) 17時56分

岳様
山岳古書は、バブルのころずいぶん高値がついていましたが、今はすっかり様変わりしているようです。
なにしろ売れませんからね。
売れるのはガイドブックなどの実用書ばかりです。
私が所蔵しているよな山書など、もう欲しがる人などいないでしょう。
それだけ始末が悪いことになります。
本とお金は人に貸すものではありませんね。
貸すならば返ってこないものと覚悟しておくことが必要な気がします。

投稿: 風花爺さん | 2015年6月22日 (月) 20時24分

これほど限定されたジャンルにも関わらず、随分と多くの本が発行されていることと、それを所蔵されていることに驚きました。
全くもって世の中は広いです。

私がよく読むのは遭難関係の本です。
やはり読まないより読んだほうが勉強になるというか、
確実に遭難防止に役立っていると思います。

投稿: itta | 2015年6月22日 (月) 23時12分

itta様
対象が何であれ、収集癖というものは一種の病気なんでしょうね。
世の中、この病気にかかり直らない人がたくさんいます。
山岳遭難に関する本では、昔は春日俊吉さんと安川茂雄さんが盛んに書いていましたが、その後途絶えていました。
近年になって羽根田 治さんが精力的に取り組んでいますね。
詠めば示唆を受ける点がいろいろあり、他山の石として活用すればとても有益だと私も思います。
最近では『山岳遭難の教訓』(ヤマケイ新書)で、和名倉山で道迷いして、自分の位置が分からなくなった女性の事例が参考になりました。
その方は脱出できたのですが、反省としてその後は必ず国土地理院の地形図を携行することにしたそうです。
昭文社の「山と高原地図」では「地形」が読めないためです。
私も登ろうとする山を甘く見てずいぶんヘマをやらかしてきています。

投稿: 風花爺さん | 2015年6月23日 (火) 06時46分

いかにも価値のありそうな蔵書ばかりで、収集家には垂涎の的ではないでしょうか。


私は買った本は比較的読むほうだと、つまり自分に都合の良い本ばかりを買うというか。。。ですから処分もしやすいです。
ただ中国作家〔莫言〕の長編は途中で断念。なぜかというと人物名が親子,姉弟 親戚が本当にややこしいんですね。
それでもいつか読む日が来るのではないかと処分せずにありますが・・・ないでしょうね。

投稿: おキヨ | 2015年6月23日 (火) 11時21分

おキヨ様
中国人の名前はそもそも馴染みがないため覚えにくい上に、『三国志』とか「水滸伝」のような大河小説になると登場人物も多くなり、先ず覚えきれないですね。
翻訳ものでもボリュームのある物語になると同様に、人物間の相関関係がなかなか頭に入らないので、読了にまで至らないことがあります。
読書ってけっこうエネルギーを必要とする行為なんですね。
なので、本を読めているのは、まだ気力も体力もあるんだ、と思うことにしていいのではないでしょうか。
本に親しむことは一石二鳥、三鳥ですね。

投稿: 風花爺さん | 2015年6月23日 (火) 14時24分

山を歩き始めると山関係の書にも心が向くものですが、私の山歩きは、決められた登山道を歩くくらいのものなので、風花爺さん様の羅列された膨大な書物の中では手塚氏の著書だけが一致した蔵書です。
昨年、偶然、コロボックルヒュッテと手塚氏に魅せられて(遅すぎたファンでしたが)何冊かネットの古書で買いました。
私の好きな山関係の本は、山が主ではなく、山と係っている人が書かれている本が好きです。
少し時間が取れたら、山の本の記事を自分の為に書いてみたいです。
小説の中で山が出て来る本=大佛次郎「旅路」=針ノ木岳
山小屋で暮らす人が書いた本=手塚宗求氏
山小屋の主人をルポした本=「山小屋の主人を訪ねて」
山小屋を守る女主人のルポ
等々です。
いろいろと参考になり、刺激になりました。

投稿: noritan | 2015年6月24日 (水) 04時01分

noritan様
どんなジャンルの本でも同じでしょうが、膨大な山書の世界も玉石混交ですね。
不朽の名著もあれば、残念ながら書き手の力量不足による駄作も混じります。
つきつめれば自分の感性とのマッチィングになるのでしょうか。
拝読して普段はほとんど忘れている大仏次郎の『旅路』を思い出しました。
筋は思いだせないくらいですが、本棚から出し奥付を見たら昭和28年発行でした。
ずいぶん昔になるんですね。
私が好んで読むのは串田孫一、深田久弥、手塚宗求、山口耀久、大森久雄、横山厚夫さんなどで、それぞれのテイストをお持ちですね。
noritanさんがいつか山の本について書かれるのを楽しみに待っています。

投稿: 風花爺さん | 2015年6月24日 (水) 06時04分

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