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2015年6月

富士山の下半身を登る

2015年6月29日

富士山を登る、ということは当たり前だが、山頂に立つことだ。
今はこれも当たり前だが、五合目などの中腹が起点となる。
従って通常はそれ以下の部分は切り捨てられる。
山の会の企画でその切り捨てられている部分を歩くことが取り上げられて、なかなか味なプランだと興味を抱いた。

それが28日(日)のことで26人が参加した。

荒天の予報が一転して梅雨晴れが期待されることとなり、中央高速での富士山はこの時期には珍しく透明な大気のなかでスックと立っていた。
残念ながら雪はほどんど融けてしまっていたが・・・。

富士吉田の浅間神社脇を通過して古い富士登山の道は「馬返し」1450mまで車道が通じている。
車道終点の「馬返し」には意外なことに駐車場から溢れた車が路側にもビッシリ停めてある。
何でこんなに車が入りこんでいるのだろうか?

Dscn4715の登山道の名残り「馬返し」から歩き始める

Dscn4717 このルートはすっかり廃れているものと、勝手に思い込んでいだが、ドッコイどうして、トレイルランナーを中心にして大勢の人がしきりに登ったり、下ったりしている。
これで先ほどの疑問は氷解した。
このさまは往時にひけを取らない賑わいにをみせているのではないか

Dscn4718 標高差850mをクリアーするため、いざ出発!

Dscn4719 一合目の「鈴原社}~どういういわれのある建物か?

Dscn4722 立ち入り禁止になっている「御室浅間神社」
富士吉田からの富士登山のメインルートとして長い歴史を持つこの沿道には由緒のある建物が朽ちていく姿をさらしている。

Dscn4723 ここは二合目

Dscn4724 朽廃した往時の建物 ~「滅びしものは美しかな」とはなかなかならない。

Dscn4725 ここは三合目

Dscn4726 三合目の展望 ~ベンチから遠望する「八ヶ岳」
左から編笠山~権現岳~阿弥陀岳~赤岳~横岳。
手前に薄く金ヶ岳と茅ヶ岳。
一番手前が御坂山塊の雪頭ヶ岳と鬼ヶ岳と右端の節刀ヶ岳。

Dscn4728 やはり廃屋がある四合目~焼印所の文字が判読できる。

Dscn4735 いったん車道に飛び出す。

Dscn4736 コース沿いで唯一営業している「佐藤小屋」
これで今日の標高差850mに及ぶ登高がほぼ終わる。
足に優しい火山礫が敷き詰められている、上り一方の緩い登山道のおかげで、ヘタレな私でもなんとか登り切ることができた。

Dscn4737 五合目からの富士山~角度が表現できないため、ノッペリしている。
富士山は離れた場所からでなければその造形美を観賞することはできない。

Dscn4739 フジハタザオ~日本固有種で、富士の中腹だけに分布している。

Dscn4741 スカイライン九合目 ~ここは天地の境なのにやたら人が多い。
聞こえてくるのはほとんど日本語ではない。

Dscn4742 南アルプスの鳳凰、甲斐駒
左の白根三山は頂稜が雲に包まれている。

Dscn4743 途中のリタイアと、付き添って一緒に降りたメンバーを除いた全員が揃った。
ここから富士スカイラインを下る。
つまり、歩いて登り、車で下るという普段とは正反対の行程となったものである。
これってやっぱ変かな~・・・

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「山の本」の本、いろいろ

2015年6月22日

世に本狂い、書痴、ビブリオマニアなる言葉がある。
いずれも読む読まないにかかわらず、本を見れば買わずにはいられない一種の病に取り憑かれている人のことである。
やがていつか正気に戻り気がつけば、積みあがった膨大な本の山の嵩(かさ)と、それがゴミと化する姿を想像し、なす術も思い浮かばずただボーゼンと立ちすくむ末路を迎える。
ほかの誰でもない、私のことである。
ただ呆然としているだけでは済まされないことで、いずれは始末をつけなくてはならない。

梅雨時で、思うように山に行けない日の無聊のままに、いずれは何らかの形で別れを告げなくてはならないこれらの本に早めの惜別の辞を送るつもりの駄文を・・・

およそ120年前、登山それ自体を目的とする日本の近代登山が始まって以来、おびただしい数の山の本が生まれている。
不朽の名著もあるが、およそ出版する意味を見出せない深田百名山めぐりなどの消耗本まで、誰も正確な数をしらない途方もない数の本が今日まで、一度は書店の店頭に並んでいる。
悪性のウィルスに冒された私は手当たり次第にこれら山の本を買い集めて来た。

今日はそうした数々の山の本に中から名著として選ばれた「山の本」の紹介、あるいは蒐集の喜怒哀楽について書いた本があるので、それらをカタログのように並べてみた。

Img047   Img048 
「山の本の『本』」といえばこれ、古典中の古典である。

Img058 覆刻 日本の山岳名著 解題
日本における近代登山黎明期に輩出した古典的名著の数々の解説集。
志賀重昻『日本風景論』、小島烏水『日本アルプス』、木暮理太郎『山の憶ひ出』、田部重治『日本アルプスと秩父巡礼』、辻村伊助『スウィス日記』、大島亮吉『山 研究と随想』etc
全て手元にはあるが、そのほとんでは未読に近い・・・バチアタリなことで・・・。

Img052  Img049    Img012

山の本に取り憑かれた因果な人の喜怒哀楽がこもごも綴られていて、身につまされる。

私も短い間、籍をおいていた「日本山書の会」会員が書いたもので、これを読むと私の本集めなど子供だましのレベルだと痛感する。

Img057   Img051    Img053
山書の蒐集にかけてはおそらく現代の第一人者の上田茂晴さんの本。
「日本山書の会」の牽引車で山書について造詣が深く、多くの著作がある。

Img054    Img055      Img001

Img050  いわゆる限定本の収集本

Img001      Img002      Img009

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深田久弥の『日本百名山』の生みの親、名編集者の大森久雄さんの、山の本への深い愛情がうかがえる好ましい書である。

Img008   Img217    Img056  Img020

この他にも横山厚夫さんの『山麓亭百話』ほか、山の本をめぐって思いの丈を綴る文はとても多い。

季刊の『山の本』に連載されている長沢 洋さんの「山書探訪」も視点が新鮮で啓発を受けている。

これらの本とはそんなに遠くない時期に今生の別れとなる。
そのための惜別の賦とするには少しは早いかなとは思うが・・・。

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尾瀬アヤメ平にも遅い春が・・・

2015年6月16日

6月の第一日曜日・7日には上高地で「ウェストン祭」が開かれた。
1947年からというからもう70年近く続けられている日本の山岳界では由緒のあるイベントだが、私は参加したことはない。

A ウォルター・ウェストンのレリーフ~上高地
今、日本中の山に群れをなして押し寄せている、中高年、あるいは山ガールの皆さんの大多数はおそらくウェストンを知らないのではないだろうか?
”ウェストン・・?知らんけど、それって誰?”
”知らなくったってチャンと山登れるジャン”~ごもっともです。
W・ウェストンは宣教師として1888年来日し、アルプスで経験している登山を、当時未だ未開拓だった槍ヶ岳など中部山岳でも楽しみ、日本の近代登山史の夜明け前に多くの足跡を残した。
その後「日本山岳会」の創立にも多大の貢献をしたことなど、その功績を長く称える行事が「ウェストン祭」である。

彼の業績を語ると長くなるので、ここでは一つだけエピソードを・・・

一般に「日本アルプス」の命名者はウェストンだと思われているが、それは正しくない。
正確にはウェストン以前に大阪造幣局に冶金技術者として招かれたW・ガウランドが1878(明治10年)槍ヶ岳などに登り「日本アルプスと呼んでよいだろう」と述べたことが発端である。
次いで、1881年になりアーネスト・サトウとA・G・S・ハウスの共著による『日本旅行案内』中でこのガウランドの「日本アルプス」という言葉が紹介されて、初めて活字として登場した。
さらに遅れたウェストンは精力的に中部山岳に登り、この成果を『日本アルプス 登山と探検』として1896年ロンドンで出版したことにより「日本アルプス」の名称がほぼ定着した。
これを日本近代登山のプロバガンダ・小島烏水らが知り、受け入れ、ウェストンと交流を深め、それが「日本山岳会」の設立へとつながる秘話は岳界ではつとに知られていることである。

Img002       Img005

いつもの悪いクセで(自覚はしているのだが・・・)長い枕をふってしまった。
本題は尾瀬・アヤメ平のレポなんですが・・・。
実は、泊りがけで会津の山へ行く機会を狙っていたのだが、お目当ての一つ「ヒメサユリ」には2週間ほど早い、ということと晴天が2日続かないということで急遽行き先を近場の尾瀬に変えた。
土曜日(13)だから鳩待峠や大清水からの登山口は雑踏状態だろう。
こんな時は「富士見峠下」からのルートが静かでよろしい。
その上に富士見峠ルートなら私の山荘からガソリン代千円足らずで往復できるので、尾瀬は私にはとても身近な山なのである。

富士見下の駐車スペースには10台余の駐車があるだけで他の登山口の様子からは想像できないほど閑散としている。

駐車場から富士見峠までは一般車は通行できないが車道である。
S社の登山地図によるとこの間は2:40の長い行程になるが、途中「田代原」という実に牧歌的な場所もあったりで、それほど退屈することもない。

Dscn4607 田代原~キザだが、シューベルトの「菩提樹」をハミングしてしまいそうになる雰囲気がある。

Dscn4610 タムシバ~もう後期高齢者状態になっている。

Dscn4613 白樺の巨樹~富士見峠道にはこうした見栄えのする樹木が多い。

Dscn4617 道すがらムラサキヤシオを楽しめる。
ムラサキヤシオは文字通り紅紫色をしているが、この木はアカヤシオに近い色合いである。

Dscn4618 富士見峠に建つ「富士見小屋」 ~そういえばさっき小屋の主らしいのが車で上っていったな・・・。

Dscn4619 樹林帯に入ると未練気に汚れた雪が残っている。

Dscn4621 富士見田代に出ると、今日初めて燧ケ岳を見ることができる。

Dscn4624 尾瀬ヶ原ではそろそろ水芭蕉は終わりだろうが、標高が500mほど高いここでは開花期に入ったところ。

Dscn4656 ほとんど水平に曲げられてなお立ち上がろうとするド根性岳樺。

Dscn4630 ゴールのアヤメ平はすぐそこである。

Dscn4639 アヤメ平の向こうに至仏山がかすんでいる。
荒廃した湿原の復元に着手してから17年、ミタケスゲ、ヌマガヤなどの固有植物の復元が進んでいる。

Dscn4640 チングルマ ~花も早いが種子を着けるのも早い。

Dscn4631 ヒメシャクナゲ、チングルマ、コイワカガミなど春の到来を告げる高根の花たちがようやく開いている。
平野部よりほぼ2ヶ月遅れの春である。

Dscn4647 時折、鳩待峠からのハイカーが湿原の果てから姿を現す。
アヤメ平の一番高い場所のベンチで、ブランチとしてコンビニ調達のソーメンを食べたが、大気が冷え込んでいたので、少々ミスマッチになってしまった。


Dscn4650 尾瀬沼の上空辺りで旋回していたヘリが飛来してきた。
荷揚げでもしたのだろうか。


Dscn4659 富士見峠まで戻ると県警と消防の車が集まっていた。
聞けばドバで足を挫いたハイカーを救助したのだそうだ。
重傷ではないそうで、そのせいか雰囲気は明るい。

下り道だが峠からの帰りはとても長く感じる。
さして考えることもなく、歌も長続きしないし、頭の片隅で無為のこの時間がなんとなく幸せなようにボンヤリと感じながら、新緑に包まれて下っていった。

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野反湖畔の三壁山で梅雨入り

2015年6月11日

増え続ける鹿による貴重な自然の食害~生態系の崩壊あるいは生物多様性の崩壊については、何の役にもたたないが私なりに憂慮している。
「日本オオカミ協会」ではハンターの高齢化が進む今、鹿の駆除対策として唯一有効な手段と考えられる「奥山に頂点捕食者・オオカミ」を再導入して放つ、という運動を展開している。
日比谷図書館内にある「コンベンションホール」でシンボジュウムが開催されたので聴講してみた。
会場には200人ほどが参加していて、若い人も多く、このテーマが意外に関心を呼んでいると思われた。

A       Dscn4602 日本オオカミ協会会長・丸山直樹氏
その主張には頷ける点は少なくない。
しかし「オオカミ=狼」は恐ろしい動物、という擦込みは人々に深く刻まれている。
オオカミを放って鹿を駆除させる、そんな残酷なことは絶対許せない、というヒステリックな反対論は当然予想される。
そうした世論も背景にして頭の硬い官僚が賛成するはずがない。
同協会による最近のアンケート結果では再導入に賛成が40%を超えたというが、その前途はなお険しい。
その運動にシンパシーを覚える私でも、山歩きの途中でオオカミに遭遇するようなことになったら、いくら「オオカミは人は襲わない」と説明されていても怖くて立ちすくんでしまうだろう。

8日、野反湖西岸の三壁山1970mからカモシカ平あたりを歩くつもりででかけた。
スタートして最初の写真を撮ろうとしたらバッテリーが上がっている。
画質の悪さには目を瞑ってスマホで代用するしかない。

野反峠についたころから空模様が怪しくなってきたが、北岸のキャンプ場の三壁山登山口駐車場につけた。

Photo 湖畔に見事なズミ(小梨)の大きな木があったが、写真は彼女には気の毒なほどくすんだ色になっている。

Photo_2 野反湖北端のキャンプ場からの八間山

Photo_3 キャンプ場のあたりにシラネアオイが点在して咲いていた。
恐らく東岸の群生地と同じように植栽したものと思われる。

Photo_4 キャンプ場の終わりの登山口

Photo_5 ポツン、ポツンとムラサキヤシオツツジ。
足元にはマイズルソウ、エンレイソウ、ミヤマカタバミ、イワカガミなどを見るが、目ぼしい種には出会えない。

Photo_8 野反湖を見下ろす~奥のたわみが野反峠。

Photo_6 雲底が低くなり、雨滴が落ちてくるのも時間の問題だろう。
雨具の用意・・・?折りたたみ傘は・・・持ってきていない。
ザックカバー・・・そうだ、ザックと一体になっているな・・・。

Photo_7 11年ぶり、2度目の三壁山だが、この天気では「カモシカ平」は諦めて、そうそうに戻るしかない。

濃霧に包まれノロノ運転で湖畔道を走り、下界へ下りてきた。
カーラジオが「関東地方が梅雨入りしたとみられる」と報じていた。

あたかも梅雨を迎えに行ったような山入りとなってしまった。

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季節のアンソロジー ~六月

2015年6月3日

2年前のあの時、屋久島の西端いなか浜から洋上に浮かぶその島は穏やかな表情をしていた。
その島が噴煙を9千mもの宙高く吹きあげる爆発を起こすことなどその時にはもちろん想像できなかった・
いうまでもなく、口永良部島のことである。

Dscn1929      A
まだ一年に満たない御嶽山の火山爆発、白馬地方の大地震。
最近では箱根大涌谷などの火山活動の活発化やら、小笠原島での巨大地震で肝を冷やしたばかりのところに、このたびの口永良部島の火山噴火である。
2011・3・11以来、日本列島にただならぬザワザした空気が広がってきている。
日本全体での地殻変動とか火山活動の転換期に入ってきているということなのだろうか?

 

異常ともいえる高温のままで5月は過ぎ、渇水気味の中で雨の季節を迎えた。

Img002          Img001
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける

どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる  ・・・・(以下略)

よく知られている詩なので、説明は不要かもしれないが、茨木のり子さんの「六月」である。

ビールと来れば麦で「麦秋」という素敵な季語が連想される。
麦が実る初夏のころは麦にとっては収穫の秋(とき)になるところから「麦の秋」という言葉を生んだ日本人の語感の豊かさはどうだろう。
小津安二郎監督、原節子主演という黄金コンビによるたくさんの佳品に一つに「麦秋」がある。

A       Img001
婚期を逸している原節子に対し、バツイチの息子を抱える母親役の杉村春子がいう。
「虫のいいお話なんだけど、あなたのような方に兼吉(息子)の御嫁さんになっていただけたらどんなにいいだろうなんて、そんなことを考えたりしてね・・・」
「ねえ小母さん、あたしみたいな売れ残りでいい?」
「ものは言ってみるもんだね・・・あたしおしゃべりでよかった、よかった・・・」
いわゆる小津節の冴えを見せる何気ない感動シーンの一つである。

ところで、薔薇は5月の花か?それとも6月だろうか
春山行男の『詩人の手帖』によればバラの本場、英国では6月の花とされているのでここで取り上げてみる。

その薔薇からの連想で、今振り返ると冷や汗が出る思いでになるが、学生時代、音楽部に属していて実に低レベルの音楽会を開いたりした。
一学年下のソプラノのなかなか美声の持ち主が、薔薇(そうび)を主題にした日本歌曲の「昼の夢」をことのほか愛唱していて、ある発表会で独唱し、私が伴奏をつけたことがある。
この曲の伴奏はピアノとフルートでするという珍しいものだが、フルートを吹ける者がいなかったため、ピアノだけの伴奏だった。
  
♪ 薔薇(そうび)はなさく かげに伏して
      詩(うた)をまくらに仰ぎみれば
        うたのこころは花に入りて
           笑むよ花びら えむよえむよ
             えみてえみて うたとなるよ  ♪
~作詞:高安月郊外   作曲:梁田 貞

Img004 この写真は多分、その伴奏をした時のものだと思う。
当時はアップライトでもピアノがあれば上々だった。

ピアノを弾くのは好きで、一時期はかなり熱中した。
だが、独学の上に才能が無いことは歴然としていて、いつしか自分の趣味から消えていた。
今、何年も鍵盤に触れていないピアノが片隅で埃をかぶり黙然と鎮座したままでいる。

薔薇の原種の一つ、浜薔薇(ハマナス、ハマナシ)を石川啄木はこう詠んでいる。
  
潮かをる 北の浜辺の 砂山の
           かの浜薔薇よ 今年も咲けるや

Dscn4588      Dscn4589
わが山荘では、遠くオホーツク沿岸から持ち帰ったハマナスが、環境の激変にもめげず、今年も香り高く咲いている。

北の花では札幌市の花になっているリラ(ライラック)が開花期を迎えているだろうが、この町だけの「リラ冷え」という素敵な季語が生まれている。
5月下旬から6月上旬の間のリラが香りを放つ時期に冷え込む現象で、本土でいう「花冷え」と同じであろう。
渡邉淳一の『リラ冷えの街』で知られるようになったが、私ももちろんそうである。

今は使われることのない言葉だが、青葉のころに吹くやや強い風を「青嵐」という。
似た言葉の「晴嵐」は晴天でのもやのことであるが・・・
♪陽光みなぎるみそらのもとに 鎬(しのぎ)を削るよ攻守の二軍
 観衆ひとしく固唾(かたづ)を飲みて集める瞳は投手に打者に♪
その2節の後半で「青嵐梢にさやかに吹けど・・・」という歌詞が出てくる。
この大時代な歌詞で綴られている「野球の歌」は高等小学唱歌の収録歌なので、私は学校では学んでいないが、妙によくおぼえている。

そういえば政治の世界でも「青嵐会」という鼻息の荒いメンバーの集まりがあった。
石原慎太郎、中川一郎、浜田幸一などなど。
その名にふさわしい一陣の風を吹かしたとも思えない兵どもも、今は僅かな残影すらも薄い。
そんなむさくるしい話で締めくくるつもりはなかったのに・・・。

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