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季節のアンソロジー ~五月

2015年5月13日

この種のものは月の始めにアップしなければ意味がないのに、モタモタしている間に月半ばになってしまい、われながら鮮度を失ってしまった、と思う。

赤城山の西麓にセゾングループが運営している「赤城自然園」という施設がある。
自然の地形をそのまま活かした山の植物園で、なかなかお目にかかれない貴重な花にも容易に会える。
今年は植物の目覚めが一週間ほどはやく、目当てにしていた「ヤマシャクヤク」が終わりかけているいると知り、あわてて駆け付け辛うじて間に合った。

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五月はメーデーに始まる。
1880年代米国での八時間労働制の要求運動に発したものだが、そもそもの起源は英国の「五月祭」にあるそうだ。
中世以来、人々は夜明けとともに起きだし、野山に木や花を求めそれを五月柱メーポールに飾り村や町の中心に飾って祝った

日本での五月のお祝いごととなれば「端午の節句」
♪ 柱のきずはおととしの 五月五日の背比べ…   ♪
私にも遥か遠い日に、そんな幼少時代はあった。
雛祭りが健在なのにくらべて、五月人形はすっかり影を潜めてしまったようだ。
地方に行けばその名残りの鯉登りがまだ見られるが・・・
 
♪ 甍(いらか)の波と雲の波 重なる波の中空を
     橘かおる朝風に 高く泳ぐや鯉のぼり ♪

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「江戸っ子は 五月の鯉の吹流し 口先ばかりで 腸は無し」
威勢のいい江戸っ子もこうからかわれては形なしになる。

今では「五月晴れ」が5月のスッキリした晴天の日の決まり文句として、当たり前のように使われている。
正しくは「梅雨どきの晴れ間」のことであることを知っている人も少なくないだろうが、そんな知ったかぶりをするのは今や野暮か・・。
旧暦から新暦に変えたことによって、長い時間の間に定着した日本の行事や生活感覚と一か月ほどのズレを生じてしまった。
同様に芭蕉の「五月雨を集めてはやし最上川」も旧暦で考えないと平仄(ひょうそく)が合わないことになってしまう。

俳句ついでに、人口に膾炙(かいしゃ)されている最たるものが、山口素堂の「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」であろう。
マグロは資源の枯渇が心配されているが、その点ではカツオにはその懸念がほとんどないそうである。
マグロは嫌いという人はまずいないだろうが、カツオは好き嫌いがあるかもしれない。
私もだされれば食べるが、好物というほどではない。
土佐では皿鉢(さわち)料理で、炙ったカツオのたたきにスダチを絞って豪快に食べるが、たいていの地域ではスダチが手に入らないのでポン酢で代用になる。

五月になると必ず唇にのぼる歌はアイルランド民謡の「春の日の花と耀く」
♪春の日の花と耀く 麗しき姿の いつしかにあせて移ろう
   世の冬はくるとも わが心は変わる日なく 御身をば慕いて
     愛はなお緑色濃く わが胸に生くべし ♪

永久に変わることのない愛をしみじみと歌うこの曲は堀内敬三の名訳を得て、多くの人に愛唱されている。
私はこの歌を口ずさむ度に、五月の晴れた日の校庭の一隅で、敷き詰めたクローバーの上に座りこんで過ごした学生時代を思い出す。

佐藤 春夫の詩「ためいき」も五月の情景である。

  紀の国の五月なかばは
  椎の木のくらき下かげ
  うす濁れるながれのほとり
  野うばらの花のひとむれ
  人知れず白くさくなり・・・・
(以下略)

もう一つ、詩では私にはやや韜晦(とうかい)に思える萩原朔太郎にもこんな瑞々しい「旅上」という作品がある。
  ふらんすに行きたしと思えども
  ふらんすはあまりに遠し
  せめては新しき背広をきて
  きままなる旅にいでてみん
  汽車が山道をゆくとき
  みづいろの窓によりかかりて
  われひとりうれしきことをおもはむ
  五月の朝のしののめ
  うら若草のもえいづる心まかせに

五月の思い出の星もある ~それは乙女座の一等星・スピカ。 
1957年5月のことである。
一人で夜叉神峠へ登っていく途中で甲府からきたという女性5人のグループと一緒になった。
峠の上でともに北岳をみながら昼食をしたり、歌ったりした。
峠の小屋に泊る私と彼女たちとの別れの時間になり、彼女たちは峠を下っていった。
・・・姿が見えなくなっても”さよなら”を繰り返す声が次第に遠くなり、やがてそれも聞こえなくなった。

Img024 1957年5月当時の夜叉神峠小屋
峠には再び本来の静寂が戻った。
小屋の主がくべる囲炉裏の火を黙って見ているだけの時間が過ぎ、辺りが暗くなる。
外へ出てみると南西のシルエットになった山の上に一つポツンと光る星があった。
おとめ座の「スピカ」の青白い光だった。

この思い出と重なりあうのが、加藤泰安氏(井上靖の小説『あしたくる人』のモデル)の山の名著『森林・草原・氷河』の中の一編「回想の五月の山旅」である。

Img229

カラコルム遠征に手違いによってパスポートが発行されず、一人取り残されてしまった。
傷心を抱いた氏は一人、奥日光から会津へ抜け「引馬峠」に出る。
中学(旧制)の五年のときの淡い思い出を回想するためであった。

気ままに野宿などをしながら山中を放浪していた少年はある日、一人の少女と出会う。
一緒に会津駒などに登ったりして、3日ほどして別れの朝がきた。
分かれ道の引馬峠にくると朝霧の中にポツンと彼女が待っていた。
「ニイサン、これが恋ってもんだな!」
彼女はそう言い残してニッコリ白い歯を見せて峠道を走って下っていった・・・
~私は『岳人』誌で読んで以来、五月になるとこの映画の一シーンを見るようなノスタルジックな一編を読み返す。

行く春を 近江の人と 惜しみける     芭蕉
あれほど待ち焦がれていた春がやってきた、と思う間もなくもう傍らを通り過ぎようとしている。
「惜春」とは行く春を惜しむという意味の他に、去りゆく青春を惜しむという意味もある。
残念ながら後者については、去ってからあまりにも長い歳月が過ぎていったため「惜しむ」という感慨はもはや湧いてこない。

それやこれやのうちに、文字通り馬齢を重ねた私は本日81歳とあいなった。
めでたくもあり、目出度くもなし・・・・・・か。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

風花さん、こんばんは

お誕生日おめでとうございます。先日友人のブログで、89歳で毎日上田市の太郎山に登っている方の記事がありました。しかし、そんな人を私は何人も知っています。でも女性は強いですよね!やはり足は基本ですので、休まず鍛えておきたいです。

投稿: 岳 | 2015年5月13日 (水) 19時19分

岳様
坂道を転げ落ちるような速度で加齢が進んでいきます。
自覚が追い付かないので、そのギャップに戸惑います。
それでも、私の周辺にも私より年上で、矍鑠としている方が何人もいますので、とても弱気を見せるわけにはいきません。
こんなやせ我慢をいつまで続かられるかわかりませんが、山歩きが楽しく思える間は大丈夫でしょう。
さしあたり、一年後の節目を目標にして、これまで通りの日々を送っていきます。

投稿: 風花爺さん | 2015年5月13日 (水) 20時47分

お誕生日おめでとうございます。
5月のさわやかな季節にお生まれになったのですね。
私も誕生日が来るたびに自分の年齢を思い知らされ〔誰の年?〕と愕然としてしまいます。
私の場合は幼稚な性格が戸惑いを起こさせるのですが

風花さんはご両親から頂いた健康なお身体をさらに作り上げておいでなので現実の年齢のほうが追い付かないのではと想像します。

投稿: おキヨ | 2015年5月14日 (木) 19時46分

おキヨ様
実年齢と体力年齢(あるいは健康年齢)とのギャップは、後者の方が若い場合はまことに目出度い限りでしょうね。
それが実年齢と精神年齢とのギャップとなると少し微妙になります。
いつになっても好奇心が旺盛で、向上心を失わない若々しい精神の持ち主なら結構なことですが、えてして心の成熟が足りない大人、高齢者もいたりしますから・・・。
私にもその傾向が少なからずあると自覚はしています。
それゆえについ歳を考えないで思慮の足りない言葉を口にしたり、行いをしたりしてしまいます。
死ぬまで直らない病見たいなものですね。

投稿: 風花爺さん | 2015年5月15日 (金) 07時01分

お誕生日 おめでとうございます。
風薫る5月に お生まれになったのですね。
どうか お幸せな一年をすごされますように!

「ヤマシャクヤク」 実物を見たことがないのですが、慎ましく
気高い雰囲気のある美しい花ですね。

いつも、季節のアンソロジーを楽しみにしています。
最近、尾崎喜八さんの『花咲ける孤独』を読んでいましたら、
「告白」と言う詩に心を魅かれました。
失礼なことかもしれませんが、書き写すことをお許しください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 告白

若葉の底にふかぶかと夜をふけてゆく山々がある。
真昼を遠く白く歌い去る河がある。
うす青いつばさを大きく上げて
波のようにたたんで
ふかい吐息をつきながら 風景に
柔らかく目をつぶるのは誰だ。
鳥か、
それとも雲か。

疲れているのでもなく 非情でもなく、
内部には咲きさかる夢の花々を群がらせながら、
過ぎゆく時を過ぎさせて
遠く柔らかに門をとじている花ぞの、

私だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

投稿: 淡雪 | 2015年5月22日 (金) 21時55分

淡雪様
誕生月が五月というのはたまたまのとですが、一年で一番良い季節であったことは幸運といってよいでしょうね。
ヤマシャクヤクは野生種なので、人工的につくりあげられた芍薬のような華やかさはありません。
私は華麗さこそないものの、清楚さ、気品を備えた野生種の方がズッと好きです。
『花咲ける孤独』をお読みになっているのですね。
この詩集は「あとがき」にあるように、詩人が戦後、最初に発表したものですね。
戦時中、戦意高揚の詩を何篇か表し、それが戦後、深い心の痛手となって詩人の心をさいなんでいた時代の作品が中心ですね。
その心境はたしか、ご本人がまとめた年表に綴られています。
詩作品にも現れていますが、お書きになった「告白」にもその翳を落としているように私には感じられるのですが、これは深読みに過ぎるかもしれません。

投稿: 風花爺さん | 2015年5月23日 (土) 20時12分

深読みではなく、仰る通りだと思います。

串田孫一さんも編集に携わった新潮社の詩集で、『空と樹木』から『田舎のモーツァルト』迄の詩と、『山の絵本』などからの散文が数編収められています。
50年近く前から持っていて時々開くのですが、私には難しく思われて、少々敬遠気味にしていました。
このところ気を取り直して最初から読み始め、戦意高揚の詩なども目を通し、『花咲ける孤独』に至って、ようやく素直に心に響くものを感じました。
この本には、作者による「あとがき」「年表」は省かれているので、詳しいことを知らないまま、私はただ詩を味わうのみでした。
風花さまのお陰で背景がわかり、その「翳り」に私はひかれたのだと思いました。

投稿: 淡雪 | 2015年5月24日 (日) 10時02分

淡雪様
ご存知のとおり喜八は戦時中、「此の糧」をはじめとするかなりの国策に沿う詩を発表しています。
そのことへの痛切な悔恨は、戦後の最初の詩文集『高原暦日』
の中の「到着」で語られています。
それから10年ほどを経て『花咲ける孤独』が刊行され、山室静氏によると、この収録作には戦後に喜八自身をさいなんだ自虐も、深い傷心も見られない、と評しているようです。
それが正しい見方なのかもしれませんが、私にはまだ翳りが感じれてしまうのです。
稀にみる純粋な心根の持ち主である喜八好きとして、そんなに簡単に心の傷を忘れてしまう詩人とは思いたくない、そうしたバイアスをかけて読んでいるせいだろうと思いますが・・・。

投稿: 風花爺さん | 2015年5月24日 (日) 20時05分

幸いなことに、『高原暦日』の中の「到着」は、この本のずっと後のほうに収録されていました。
読んでいて、その痛恨の思いに胸が痛くなるようでした。

この本の解説の串田孫一さんは「……私は余計な文が作品と一緒に載っている教科書のような読み方はしないで戴きたいと思い、めいめいそれぞれの読み方をして下さるように願う気持ちでこの解説を書いている。」と、お書きになっています。

他の詩人や評論家がどのように評価しようとも、読む人はそれぞれの印象を大切にして良いのではないでしょうか…。
長々と書いてすみませんでした。
どうもありがとうございました。

投稿: 淡雪 | 2015年5月26日 (火) 21時46分

淡雪様
熱心な読者を得て尾崎喜八さんもさぞかしお喜びのことと思います。
私も生涯の伴侶とする思いで、おりふし目を通していくつもりでおります。

投稿: 風花爺さん | 2015年5月27日 (水) 05時55分

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