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2015年5月

渡邉玉枝さんと歩いた三つ峠山

2015年5月28日

エベレスト登頂での女性世界最高齢記録を持つ渡邉玉枝さんについて私ごときヘナチョコ山好きが語るのは神を恐れぬ業になります。

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年に一度程度、ご一緒に山歩きをしていただいていますが、このところ間が空いていました。
幸いにある方のお膳立てで某日、久し振りにそれが実現しました。
私はただその話に乗っただけなのですが、行き先についてはメンバーの脚力を考慮して、「三ツ峠山」というありふれた選択に落ち着きました。
河口湖町にお住まいの玉枝先生(私たちは尊敬と親しみをこめてこうお呼びするのですが、ご本人は嫌がります・・・)にとって、御坂の山々は文字通り裏山です。
私としては玉枝先生に、秘められたお勧めのコースを選んでいただきたいというのが本音だったのですが・・・。

三つ峠山1785mは関東圏では恐らく五指に入る人気の山。
いつものように河口湖畔で落合い、一番楽に登れる「御坂峠」口に着くと人も車もオーバーフロー状態。

何とか路側にスペースを見つけて駐車。
 

歩き始めれば「ひかり」並みの玉枝先生と、在来線のそれも各駅停車のわれわれとはスピードの差は歴然としています。
始めのうちは待っていただいたのですが、あまりの鈍足にしびれをきらしたか、そのうちアッという間に背中が見えなくなってしまいました。
一本道なので、いずれ山頂の小屋か、頂上で落ち合えるだろうと多寡をくくっていました。

Dscn4549 山頂近くで辛うじてボンヤリと富士が見えます。
太宰治が「富士には月見草がよく似合う」とした、御坂峠はこの近くなので、やはりこの山では富士山が見えなくてはなりません。
深田久弥が「偉大なる通俗」と呼んだ富士山はさんざん見ていのに、やはり見えたほうが嬉しいものです。

ところで狭い山頂にひしめくハイカーの中に玉枝先生の姿はありません。
どこでどう行き違ってしまったものか、とにかく落ち着かない気分のままで昼食を摂りました。
一旦下りかかると上ってくるご本人にバッタリ出会いました。
これで2度目の山頂になるそうでした。

玉枝先生はヒマラヤ8千m峰5座を始めとして、数多くの海外登山をしています。
誰もが凄い!と思うのはその全てを成功させていることです。
ご本人はそれを誇ることもなく、問われれば淡々と語るだけです。
好きではないのでマスコミの露出度が少なく”だから渡邉さんは好きだ”ということになるのですが、渡邉ファンとしては正直な所歯がゆい思いをさせられます。
小柄な体に秘められている並外れた体力は、少女時代に農作業を手伝っていて培われた、とおっしゃっているが、それだけではないでしょう。

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Dscn4556 三ツ峠山名物の、山頂直下の屏風岩。
岩登りのゲレンデになっていて、今日も大勢のクライマーがへばりついています。
玉枝先生も最初の海外遠征、マッキンリーに出かける前はここで岩登りのトレ-ニングに励んだそうです

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Dscn4561 木無山からの富士

Dscn4562 雪は目に見えて減っていますね~

Dscn4563_2 急坂の下りで、ご覧の通りでご本人はシャンとしていますが、従う者は腰が引けています。

たった一日のことでしたが、お忙しい中でお付き合いいただきありがとうございました。
私にとってまた珠玉のような一日が、ささやかな人生に刻まれました。

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初めまして!オオヤマレンゲさま~赤城自然園にて

2015年5月25日

長く生きてきたお陰の一つ、出会いたい花にもあらかたナマでお目にかかれてきた。
国内ばかりでなく、中国・太姑娘山(タークーニャンシャン)での「青いケシ」スイスでの「エーデルワイス」などなども含めて・・・。

 一方、いまだに自生状態での出会いに恵まれていない花、「キレンゲショウマ」「ベニバナヤマシャクヤク」そして「オオヤマレンゲ」などもあって、果たしたいささやかな夢ともなっている。

キレンゲショウマは四国の「剣山」が知られているが、開花期には登っていないので、当然実物は見ていない。
昨夏購入した苗が開花すれば夢の一つが叶えられるが・・・。

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ベニバナヤマシャクヤクは開花した苗を入手したので、いちおう花の実物は見ているが、やはり自生種を見なけれ「観た」ことにはならない気がしている。

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高尾山に自生しているという情報があるので、何度か探しに足を運んでいるが、目下の状況は無駄骨を折っているだけ。

残る「オオヤマレンゲ」
「天女花」の別名を持つこの花の自生地として知られているのは紀伊半島の大峯山系・八経ヶ岳周辺であるが、私は開花期には訪れていない。
身近な東日本の山には自生地がないらしいこともあって、憧憬のままとなっている。
ブログで存知あげている「かおりさん」のブログでお目にかかって以来、長いこと私もぜひ、眼福に与りたいものと願っていた。
それが「燈台元暗し」で、多分自生種ではないだろうが山荘近くの赤城自然園にあることを知った。
例年だと6月に入ってから開花するそうだが、今シーズンはやたら早くて、ネットでチェックしたら早くも盛りを過ぎているらしい。
気は焦っていたが、東京での用事が重なっていて山荘に移動できない。
ようやく昨日(24日)山荘へ向かう途中で入園して”初めまして”のご挨拶ができたしだいである。

Dscn4570         Dscn4571

恐らく移植したのだろうと思う数株があり、最盛期は過ぎていたが何とかこの気品に満ちた天女にお目通しいただく望みがかなった。
期待に違わず「天女」あるいは「貴婦人」の尊称そのままに清楚にして気品に満ち、威厳を払っていた。
草と木の違いはあるがこの気高さは、ヤマシャクヤクと共通している。

Dscn4428      Dscn4429yamasya

同じシャクヤクでもやはり今、この自然園で最盛期を迎えているこちらの園芸種のシャクヤクともなるとこんなにも華やかである。

Dscn4584        Dscn4585
これはこれで見事。
ドッチを選ぶか?
そんな難問、答えられませんがな~

ここ赤城自然園では「ヒメサユリ」も咲き始めたようで、それなら越後の残雪の山・浅草岳あたりに遠征することもないな・・・。
ここは自然の地形を利用しているので、人工臭も薄くて手軽に身近で見られない花や木に会えるので便利な場所である。
年間パスポートを利用して通っているという方もいた。
私はJAFカードによって半額の500円で入園しているが、パスポートの選択もあるかな、と考え始めている。

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千畳敷の春山シーズンもいよいよ幕がおりる

2015年5月16日

そういう意図はなかったのだが、巡りあわせで81歳になっての最初の山歩きが千畳敷から乗越浄土辺りまでの残雪歩きになった。
もう少し早い時期で、雪が固まっているのがいいのだが、ゴールデンウィークの混雑を回避しているうちに、こんなタイミングになってしまった。

Dscn4492  ロープウェイの窓から ~ゴールデンウィークにはさぞかし混んでいただろうが、今はもう寂しいくらい。

千畳敷には何度かきているが、残雪期は初めてになる。
アイゼンは8本爪にした。
ピッケルとストックの併用にするか、Wストックにするかは迷った。
雪は相当に腐っているだろう。
シャフトの短い今時のピッケルだと深く刺さり過ぎ、バランス保持には役立たない。
その点ではバスケット(先端に着ける雪用の輪)を外したストックなら適度にバランス保持と、確保に役立つだろう。
しかし、もし滑落を止めようとしたら曲がるか折れるかするだろう。

愚考のすえWストックに決めた。

千畳敷をスタートしたのはそろそろお昼かな、という時間。
新宿一番の高速バスでもこんな時間になってしまう。
帰りの予約バスの時間の関係でここでの滞在時間は3~3・5時間なので、行動範囲は限られてしまう。
山頂へのこだわりは捨て、とりあえず「乗越浄土」へ足を向ける。
そこまでのルート上には降りてくる人影が二つ見えるだけ。
登りはどうやらワレ一人らしい。

Dscn4500 中央のコルが目標 ~その下の左右が狭まった辺りは雪崩の巣らしいが、もうその心配は無用であろう。

Dscn4502 千畳敷カールの底から南アを見る。

カールの底を抜け、八丁坂にかかると急速に傾斜がきつくなる。
予想通り、雪はスッカリ腐っていてグズグズ。
アイゼンもほとんど効かないので、キックステップの多用となる。
必然的に疲れる。

Dscn4508

斜度は増すが、ここでは安心感が持てる。
仮に滑落しても、大きな凹部になっているカールの底で必ず停まるだろうから・・・と。

Dscn4506 岩に挟まれた喉のようなところを抜ければ乗越浄土

Dscn4524 カール中腹辺りから再び南アルプスを。

Dscn4509 画面中央にオットセのような岩がある。

Dscn4514 乗越浄土に着く ~見下ろす千畳敷カールには人影が見えない。 

A 黄金週間はかくのごとし ~ネットで拝借したもの

Dscn4512  乗越浄土の平坦地では、雪はすっかり消えている。
人影にない一帯には強い風が吹きつけるだけ・・・

Dscn4516  遠くに空木岳と南駒を見る。

Dscn4521 宝剣岳の「天狗岩」

Dscn4523 御嶽山は相変わらず、噴煙をくゆらせている。
ここまでとして、早めながらこれで降りることとした。
八丁坂上部の急斜面は踵キックで慎重に降りた。
途中で面倒になり、アイゼンをお脱ぎ、Wストックを使ってグリセードで滑りたくなった。
でも、転倒でもしたら、誰かが下で見ていたら騒ぎになるかも知れないと自重した。

往路を戻り駒ケ根ICには一時間早く戻った。
実はそうするワケがあった。
ブログ上でお付き合いいただいている岳さんのブログ「見上げたもんだよ」に何度か登場する、この辺りの名物「ソースカツ丼」の店がこのICの近くにあることをバス車内のイラストマップでしった。
かねて一度は賞味したいと思っていたので、絶好の機会となったわけである。

Dscn4528 山麓からの逆光の宝剣や伊那前岳

Dscn4534 さすがに本場、この看板 

Dscn4529 あったぞ!明治亭 ~インターから意外に近かった。

Dscn4530 国産ロースの丼
トンカツの下にキャベツの段があり、ご飯はその下に埋没している。


Dscn4532 2cm以上はありそうな分厚いトンカツ
何十年も慣れ親しんできている好物の「カツ丼」とは全く別種の丼ものであった。

満幅の腹を抱え、シルエットになった千畳敷に見送られて、二人シートに一人で座れるバスに揺られて伊那路をあとにした。                            

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季節のアンソロジー ~五月

2015年5月13日

この種のものは月の始めにアップしなければ意味がないのに、モタモタしている間に月半ばになってしまい、われながら鮮度を失ってしまった、と思う。

赤城山の西麓にセゾングループが運営している「赤城自然園」という施設がある。
自然の地形をそのまま活かした山の植物園で、なかなかお目にかかれない貴重な花にも容易に会える。
今年は植物の目覚めが一週間ほどはやく、目当てにしていた「ヤマシャクヤク」が終わりかけているいると知り、あわてて駆け付け辛うじて間に合った。

Dscn4428        Dscn4432

五月はメーデーに始まる。
1880年代米国での八時間労働制の要求運動に発したものだが、そもそもの起源は英国の「五月祭」にあるそうだ。
中世以来、人々は夜明けとともに起きだし、野山に木や花を求めそれを五月柱メーポールに飾り村や町の中心に飾って祝った

日本での五月のお祝いごととなれば「端午の節句」
♪ 柱のきずはおととしの 五月五日の背比べ…   ♪
私にも遥か遠い日に、そんな幼少時代はあった。
雛祭りが健在なのにくらべて、五月人形はすっかり影を潜めてしまったようだ。
地方に行けばその名残りの鯉登りがまだ見られるが・・・
 
♪ 甍(いらか)の波と雲の波 重なる波の中空を
     橘かおる朝風に 高く泳ぐや鯉のぼり ♪

Dscn4397
「江戸っ子は 五月の鯉の吹流し 口先ばかりで 腸は無し」
威勢のいい江戸っ子もこうからかわれては形なしになる。

今では「五月晴れ」が5月のスッキリした晴天の日の決まり文句として、当たり前のように使われている。
正しくは「梅雨どきの晴れ間」のことであることを知っている人も少なくないだろうが、そんな知ったかぶりをするのは今や野暮か・・。
旧暦から新暦に変えたことによって、長い時間の間に定着した日本の行事や生活感覚と一か月ほどのズレを生じてしまった。
同様に芭蕉の「五月雨を集めてはやし最上川」も旧暦で考えないと平仄(ひょうそく)が合わないことになってしまう。

俳句ついでに、人口に膾炙(かいしゃ)されている最たるものが、山口素堂の「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」であろう。
マグロは資源の枯渇が心配されているが、その点ではカツオにはその懸念がほとんどないそうである。
マグロは嫌いという人はまずいないだろうが、カツオは好き嫌いがあるかもしれない。
私もだされれば食べるが、好物というほどではない。
土佐では皿鉢(さわち)料理で、炙ったカツオのたたきにスダチを絞って豪快に食べるが、たいていの地域ではスダチが手に入らないのでポン酢で代用になる。

五月になると必ず唇にのぼる歌はアイルランド民謡の「春の日の花と耀く」
♪春の日の花と耀く 麗しき姿の いつしかにあせて移ろう
   世の冬はくるとも わが心は変わる日なく 御身をば慕いて
     愛はなお緑色濃く わが胸に生くべし ♪

永久に変わることのない愛をしみじみと歌うこの曲は堀内敬三の名訳を得て、多くの人に愛唱されている。
私はこの歌を口ずさむ度に、五月の晴れた日の校庭の一隅で、敷き詰めたクローバーの上に座りこんで過ごした学生時代を思い出す。

佐藤 春夫の詩「ためいき」も五月の情景である。

  紀の国の五月なかばは
  椎の木のくらき下かげ
  うす濁れるながれのほとり
  野うばらの花のひとむれ
  人知れず白くさくなり・・・・
(以下略)

もう一つ、詩では私にはやや韜晦(とうかい)に思える萩原朔太郎にもこんな瑞々しい「旅上」という作品がある。
  ふらんすに行きたしと思えども
  ふらんすはあまりに遠し
  せめては新しき背広をきて
  きままなる旅にいでてみん
  汽車が山道をゆくとき
  みづいろの窓によりかかりて
  われひとりうれしきことをおもはむ
  五月の朝のしののめ
  うら若草のもえいづる心まかせに

五月の思い出の星もある ~それは乙女座の一等星・スピカ。 
1957年5月のことである。
一人で夜叉神峠へ登っていく途中で甲府からきたという女性5人のグループと一緒になった。
峠の上でともに北岳をみながら昼食をしたり、歌ったりした。
峠の小屋に泊る私と彼女たちとの別れの時間になり、彼女たちは峠を下っていった。
・・・姿が見えなくなっても”さよなら”を繰り返す声が次第に遠くなり、やがてそれも聞こえなくなった。

Img024 1957年5月当時の夜叉神峠小屋
峠には再び本来の静寂が戻った。
小屋の主がくべる囲炉裏の火を黙って見ているだけの時間が過ぎ、辺りが暗くなる。
外へ出てみると南西のシルエットになった山の上に一つポツンと光る星があった。
おとめ座の「スピカ」の青白い光だった。

この思い出と重なりあうのが、加藤泰安氏(井上靖の小説『あしたくる人』のモデル)の山の名著『森林・草原・氷河』の中の一編「回想の五月の山旅」である。

Img229

カラコルム遠征に手違いによってパスポートが発行されず、一人取り残されてしまった。
傷心を抱いた氏は一人、奥日光から会津へ抜け「引馬峠」に出る。
中学(旧制)の五年のときの淡い思い出を回想するためであった。

気ままに野宿などをしながら山中を放浪していた少年はある日、一人の少女と出会う。
一緒に会津駒などに登ったりして、3日ほどして別れの朝がきた。
分かれ道の引馬峠にくると朝霧の中にポツンと彼女が待っていた。
「ニイサン、これが恋ってもんだな!」
彼女はそう言い残してニッコリ白い歯を見せて峠道を走って下っていった・・・
~私は『岳人』誌で読んで以来、五月になるとこの映画の一シーンを見るようなノスタルジックな一編を読み返す。

行く春を 近江の人と 惜しみける     芭蕉
あれほど待ち焦がれていた春がやってきた、と思う間もなくもう傍らを通り過ぎようとしている。
「惜春」とは行く春を惜しむという意味の他に、去りゆく青春を惜しむという意味もある。
残念ながら後者については、去ってからあまりにも長い歳月が過ぎていったため「惜しむ」という感慨はもはや湧いてこない。

それやこれやのうちに、文字通り馬齢を重ねた私は本日81歳とあいなった。
めでたくもあり、目出度くもなし・・・・・・か。

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食らいついたが歯が立たなかった西上州・高岩

2015年5月8日

そのあくる朝、左手の小指が青黒く変色していた。
昨日(5月6日)高岩(南軽井沢)から下山中、脆いルンゼ(狭い岩の溝)をロープで下降している途中でロープに振られ、左腕から手の甲にかけて岩にぶっつけた跡である。

一時期、かなり足しげく通ったので西上州の山はあらかた山頂を踏んでいる。
しかしながら自分の力量からするとすこぶる難易度が高くて、行くかどうか逡巡を余儀なくされるものが幾つかある。

高岩1084mもその一つ。
上信道や碓氷バイパスの群馬、長野県境あたりで、ニョキッと二つの鋭い岩峰を突きたてた山がいやでも目に付く
まるで地表から2本の角が生えたように見える。
これを見ると萩原朔太郎の詩「竹」を思い浮かべてしまう。
 
光る地面に竹が生え
 青竹が生え (中略)
 青空のもとに竹が生え
 竹 竹 竹が生え

さらにまた岸壁のどこかで久恋のミョウギコザクラ(ミョウギイワザクラ)を見たという記録もあったので、それにも駆り立てられた。

Dscn4481 足元の恩賀集落から見上げる高岩
右が雄岳、左が雌岳。
この風景は、同じ西上州で大上集落から見上げる立岩の眺めと同様、イタリアアルプスのドロミーティを彷彿させるので、西上州のドロミーティなどと呼ぶ向きもある。
恩賀集落の路側に駐車して出発。

Dscn4458 雄岳と雌岳のコル(鞍部)が近い。

Dscn4459 写真では分かり難いが、画面ほぼ中央のルンゼ(狭い岩溝)状に3連の鎖が下がっている。
ザックを取り着きにデポして
一番目は70~80度くらいの傾斜でこれは何とかクリアできた。
二番目の鎖は傾斜が増しほぼ垂直に見える。
四角いチョックストーンにスタンスがとれず、なんどもね目回したが手の出しようがない。
今日は誰もこの山には入っていない。
事故を起こしたら自力で何とかするしかない。
ここはムリは禁物・・・ということでここで退却に決めた。
チムニー(煙突を割ったような凹角)を見よう見真似のバック&ニーで降りた。

腕力、身体能力共に標準以下、徒に体重ばかりが標準を突破している私ではしょせんムリ
食らい着いてみたものの歯が立たなかった。
私の印象では難所の代名詞になっている剣岳の「カニのたて這い」よりそうとう難易度が高い。

コルに戻り雌岳に向かう。
傍から見たままに、頂稜一帯は至るところで滑落したら命は保証されない危険な場所だらけ。
おまけに高度感十分で、高所恐怖症の私は緊張しまくり。

Dscn4461 振り返ると裏妙義の西大星などがのぞく。

Dscn4463 雌岳P1から雄岳を振り返る。
真ん中の凹部が登路にになっているのだろうか?

Dscn4465 P1から軽井沢・碓氷ICを見下ろす。

Dscn4467p2p2 P2 ~足元に近づくこともできない。

Dscn4470 P3~開いている窓の向こうに浅間山が納まっている

Dscn4471 P3から上信の山波と浅間山

Dscn4476 緊張がほぐれた鼻歌まじりに下っていったら、フイにグズグズに脆いルンゼの上に出た。
”こんなのあったの・・・聞いてないよ!”
ロープにすがって下降する途中で、ロープに振られて左腕を岩にぶっつけてしまった。

Dscn4478

古い林道に降り立ち、道なりに高度を下げると車が激しく行きかう車道に出た。
碓氷バイパスか?
自分の位置が判断出来ないままに車の走行に内心ビクビクしながら車道を歩いた。
程なく上信道の「軽井沢・碓氷IC」の交差点になった。

Dscn4480 左へ下れば再び恩賀の集落
見上げる高岩は人間を拒絶するよう沈黙のまま。
人は何を求めてあんな山に登ろうとしたのか。
鎖のないころ、どのようにしてあの頂上にたったのだろうか?

「思い出を残して歩け。すべての場所について一つびとつの回想を持つがいい。それは他人から奪い取ることなしにお前が富む唯一の方法なのだ」 ~尾崎喜八

雄岳の山頂には立てなかった。
ミョウギコザクラにも出会えなかった。

A
それでも、今日も少しだけ心の「冨」を積み上げることができたような気がするのだが・・・・・・.

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怪我の功名で ~栗原山から南小太郎山

2015年5月2日

まだまだ、人より熊に遭う可能性が高い?山歩きが続きます。
今日(4月29日)は
「南小太郎山」1410mです。
群馬県の南西の隅っこのほう、神流町と上野村の境で、恐竜センターのほぼ真北4kmほどに位置しています。
地理院地形図「神ヶ原」には載っているのですから、一応イッチョウマエの山ともいえるはずなのですが、寂峰みたいなのです。
すぐ傍らを今、神流町が力を入れている「かんなマウンテン&ウォーク」のコースが通っているのですが、参加者は知らずに通過しているだけですから、静けさには変わりがないようです。

南小太郎山のほぼ南に「持倉越」という峠があります。
かつては神流川流域と天空の里「持倉」を結ぶ生活道が通っていたのでしょうが、今は当然ながら廃道です。
その名残りを探ってみたい、ということと、出遅れてしまったヤシオツツジとの再会ができるかな、と云う期待とで、持倉越から南小太郎山へ辿ることが今日の狙いです。

峠越えのルートはもはや昭文社地図にも、地理院地形図からも消えています。
ネットの記録でも正確にルートを把握できないままに歩いているようで、迷う記録も多く概念の把握を難しくしています。
私には昨秋に出版された『西上州の山』が唯一参考になりました。
そのガイドでも迷う可能性が高いように書いてあります。
結局、私も詰めで迷い、とんでもないコース採りをしてしまいましたが、怪我の功名で予定していなかった山頂を踏むことができ、結果オーライということになりました。

スタートはR299から「七久保・橋倉林道」に右折で入り「瓔珞(ようらく)橋の袂になります。
ちなみに「瓔珞」とは佛用の装身具ですが、神流、多野地方などではアカヤシオ(ヒトツバナ)のことを言うそうです。

Static 今日のコース。
青の点線は電池切れで記録できなかった下山コースです

Dscn4367  途中の第3展望台から八ヶ岳の遠望
コースの途中、5箇所の展望台があるのですが、第3に立ち寄り。
ロープにすがって登った岩峰からは150度くらいに開けた展望がありました。

Dscn4368_2 私のお気に入りの赤岩尾根のあたりを眺めるのも久し振りです。
ここは「夜叉の瓔珞」というアカヤシオの展望台になっているようですが、どこを見渡してもヤシオのピンクが見当たりません。
例年なら今日あたりが最盛期なのですが、今年は伝えられているようにかなり花期が早かったのですね。
おまけにどうやら裏年らしいのです。
持倉越への道は次第に道型が怪しくなってきます。

Dscn4374 境沢の谷は早くもブナの新緑で埋められています。

ルートは路肩が脆く今にも崩れそうなトラバースをしたり、涸沢で消失したりしながらそれでも確実に「持倉越」に接近していきます。
頭上直ぐそこに持倉越と思われる鞍部が見えています。
そのあたりでルートが消失状態になりました。
ここまで幾つもおかしな道標があったのですが、その最後のものを過ぎ、褪せた赤テープを見たのが最後で、目印になるものは無くなり、道型も消えてしまいました。
鞍部に乗り上げるには樹木の無いザラザラの急斜面を登らなくてはなりません。
足を滑らしたら止めようがないように見えます。
鞍部に詰めあがる谷の左右はとても登れません。
暫く周囲を観察していると右(南)の方へトラバースしていく踏み跡らしいのが見つかりました。
覚束ない踏み跡らしいのを拾っていくと涸沢に入ってしまいました。

~ネットで拾ったレポでもこれに誘い込まれた、というのがありました
。どうやら迷う込む人がいるために薄いトレースができてしまったようです。

Dscn4375      Dscn4376      Dscn4377
これらの写真は大きく右手方向にコースアウトして、修正のためUターンすることとなった迷走した一齣です。

Dscn4378 ようやく南西に走る尾根に乗ると辛うじて残りのヤシオに出会えました。

Dscn4379 一つのピークに出たら・・・そこに思いもかけなかった山名標識がありました。
なんと、なんと「栗原山」と書かれているのです!
エ~ここに出たんだ~・・・
以前、この南にある「サスノ峰」に登り、栗原山まで足を延ばしたかったのですが、非常に危険なルートであるために断念しています。
こんなことがあるんだ! 自分の位置が明らかになりました。

Dscn4382 急な下りで「持倉越」と思われるコルに到着。
ここにくるのに1時間は余計にかかりました。
今日はスンナリと歩ける目算だったのに、けっこうバリエーションをやらされて、やはり西上州の山は素直さに欠けていますね。
私が少々、勝手に描いたロマンなど欠片ほどもない、素っ気無い峠でした。

Photo 樹木に噛み付かれてしまったプレート。
いつもながらプアーな昼食を摂りながら思案しました。
どこでどう間違ったのか検証するためにここから出発点に下降してみるか、それとも予定通り南小太郎山までいくか・・・
ザックを背負ってから爪先が向いたのは南小太郎さんでした

Dscn4385 北へ向かうと西の展望が得られるピークに着きました。
境沢ノ頭という名で呼ぶ向きもあるようです。
さっき越えてきた栗原山が目の前です。

Dscn4391 いったん大栂尾根に迂回し、予定より1時間遅れて南小太郎山に到着。
いうまでもなく道迷いによるタイムロスです。

Dscn4390 熊には出会わなかったのですが、驚いたことに山頂に先客がいました。
私より後に瓔珞橋に着いてトレランルートを登ってきたそうです。
私とどこかで交差するかと予想していたようで、意外な成り行きで驚いたそうです。
私の迷走のため想定外の出合になりました。

Dscn4393 山頂から北へ2分ほど下ると下山道とする「かんなマウンテンラン&ウォーク」との合流点。
神流町が振興策の一としているトレランルートになっているので、歩きやすい山道になっています。

 

今日はルーファー(ルートファインディング)の必要はないものと考えていたが、やってしまいました。
まだまだ未熟だな・・・
もうバリエーションはやめて、道のある山だけにしようかな・・・。
いやいやもう少しやれるんじゃないかい・・・
そんな思いが交錯する帰り道でした。

Dscn4396 万場では名物のイベント、神流川に架ける鯉のぼりが爽やかな風に翩翻(へんぽん)と翻っていました。
そう、里は今爛漫の春、それも黄金週間の始まりでした。

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