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季節のアンソロジー(詞華集) ~3月

2015年3月3日

♪お元気ですか? 久しぶりにペンをとりたく思いました
  わたしが北にきてから2年 凍てつく寒さにも慣れました
  リラの花は春を告げる花 淡紫のインクで綴ります
  あなたへの便りです ♪
五輪真弓の「春便り」が私の春一番かな・・・。
いかにも大人の歌い手である彼女にしては、珍しく軽やかなテンポで春の到来を歌っています。

今日はひな祭り。
今どきの都市部の住宅事情では、なかなか雛飾りは難しいことだろうと思う。
当家でもスペースが無いため、長いことお
雛さまを拝顔していない。
私の生家では、まだ若かったオフクロが張り切って七段飾りなどをしつらえ、しばらくの間、居間を占拠したものであるが・・・。

A

春は花 ~先日、山の会で長瀞の「宝登山」という縁起の良い名前だが、高尾山より低い山を歩いた。
ここは蠟梅の名所で、花期はそろそろ終わりだが、まだ馥郁たる残り香を漂わせ、足元にはフクジュソウが花盛りだった。

Img_3645
私は「ろうばい」の「ろう」は蝋燭の「蝋」ではなく、「ろう長けた」の「臈」だ、などと知ったか振りをしたが、見事に半可通振りの間違いを冒し狼狽した次第である。

しかし、早春の花はやはり梅であろう。

A_2                                                                              東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ
あまりにも有名な一首なので説明は不要だが、もう一つ
東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春を忘るな
と、前者の「な~そ」ではないのも知られている。
「な~そ」を係り結びとして教えられた私は、後者は間違って広まっているものと決めつけていた。
ところが、両者ともに正しくて、単に前者が『大鏡』、後者が『拾遺集』という出典の違いに過ぎないらしい。

旧暦の今日は、新暦に直すと4月の中旬で、長野県での桃の開花が丁度このころだそうである。
桃は咲いたが、桜はまだか?などと急かせる前に桃も愛でよう。

A_3
春の苑 紅匂う 桃の花 下照る道に 出でたつ乙女  大伴家持
そこはかとない色香が匂い立つこの一首は、まるで一幅の名画を観るようで、私の昔から愛唱おく能わざるものである。

もう一つ万葉集からは志貴皇子の
岩走る垂水の上の早蕨の 萌えいづる春になりにけるかも
も載せないわけにはいくまい。

雪国に流れる小さな渓流にも春の兆しがそろそろ見えてくるかな。

桜田門外で井伊大老が襲われたのも今日で、大雪だったがで、現行暦だと3月下旬になるので、幾らかは季節外れではあった。
その点では同じ大雪の2・15事件は太陽暦になってからの日付なので、季節的な齟齬(そご)はない。

「風光る」  ~朝凪の浪立って風光るころ   河東碧梧桐
春の光が溢れる中を、その光をキラキラ翻すようにそよ風が渡る。
その光を浴びながら私も山にでかけよう・・・

欧州には「三月の風、四月の雨が五月の花をもたらす』という言葉がある。
花が咲くためにはいろいろな助けが必要なんだな・・・

春の訪れを待ちわび、その到来を喜ぶ歌は多いが、中でもモーツアルトの「春への憧れ」は世界中で愛唱されている。
♪ うれしや春はまた還りて 谷間の雪の消える跡に
  萌える千草の花は香りて 自然の恵 地にあまねし ♪

この歌詞は、昔の小学唱歌の多くがそうであったように、原詩を訳したものではなく、作詞されたものである。

私はオランダ生まれの
名ソプラノ「エリー・アーメリンク」の歌ったものを愛聴している。
アーメリンクの声は、ソプラノによくあるキンキンしたものではなく暖かくふくよかである。
オペラにはほとんど出演することなく、リサイタル中心に「リート(歌曲)」を歌い続けている。

この愛すべきモーツアルトの小品は、彼の最後のピアノ協奏曲、第27番の第三楽章の主題を歌曲に転用したものである。

深田久弥はこのK595ピアノ協奏曲がことのほか好きだったようで、生前、夫人に通夜の時には流してくれ、と言っていたそうである。
久弥が茅ヶ岳で急逝したのは44年前。
通夜の席で流すことは夫人が失念したため叶わなかったようである。   

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コメント

いつもながら教養深い貴ブログ勉強させられます。
〔東風吹かば・・・〕は一般的には〔主無しとして春を忘るな〕の方かと思っていたのですが。私はこちらの方が口にしやすいのです。

お雛様も五月の鯉のぼりも本当に少なくなりました。建物のせいばかりではなく、日本人の心が旧い文化から離れていきつつあるのでしょう。

長瀞方面にも数年行っていません。今年の桜は久しぶりに観て見たいと思っています。

投稿: おキヨ | 2015年3月 3日 (火) 12時45分

おキヨ様
菅原道真の一首は、「な~そ」を係り結びの正しい用法と教わっものが長年沁みついています。
どちらかといえば、この方が少数派ですね。
もう一つの方がはるかに素直に理解できましものね。
日本の伝統的な風習が廃れていくのも、生活様式などの激変で仕方ないことですね。
それでも私たちの世代は、あのころの残滓がありますが、今の若い世代の人たちにはもう郷愁すら感じないようになるのでしょう。
長瀞のあたりに行ったのは60年ぶりですから初めてのようなものです。
なので、変わったのかどうかも分かりませんね。

投稿: 風花爺さん | 2015年3月 3日 (火) 16時09分

風花さん、こんにちは

桜の開花予想が発表されましたが、当県は4月中旬と言います。寒い日が続く年は、杏、桜、桃が一斉に咲きますが、更にその頃には未だ雪が降ったりしますので、様々な風景見られます。しかし、風花さんの幅広い知識には驚きです。

投稿: 岳 | 2015年3月 4日 (水) 17時12分

岳様
そうなんですよね、雪国では春の花が一斉に開花するんですよね。
中国の言葉で「百花斎方」というようですが・・・
辛抱に辛抱を重ねて春を待ち焦がれていたことへのご褒美ですね。
私のは雑学の典型です。
ここに書いたことの全部が正確に頭に入っているわけではありません。
ネットなどで確かめながら書いているのです。
80年、人間をしているので、多少の知識の蓄えはできているのかもしれませんね。

投稿: 風花爺さん | 2015年3月 4日 (水) 20時00分

俳句や和歌を学校で習ったのは、5年生の時と記憶しています。
とりわけ季語について習ったときは、驚きで教室中がザワザワしました。旧暦などを考慮しても、札幌の季節の実感とはあまりに大きなズレがあったものですから。
札幌の実家(もうありませんが)の庭には梅の木があり、花開くのは5月半ばを過ぎていたと思います。その頃いっせいに全く無秩序に、あらゆる春の花が咲いて…ようやく春を実感します。
蝋梅は北限がどのあたりなのかわかりませんが、北海道では見かけたことがありません。東京に住むようになって初めてその名を知り、どう書くのかしら…老梅?などと、軽く狼狽するようなことばかりでした。

「春への憧れ」は、メロディーはしっかりと覚えているのですが、
日本語の歌詞はあまり聞きませんね。
♪ うれしや春はまた還りて 谷間の雪の消える跡に
  萌える千草の花は香りて 自然の恵 地にあまねし ♪
ご紹介の歌詞、美しいですし初めてなので、嬉しく書き留めました。
「エリー・アーメリンク」の歌唱もyoutubeで探して聴いてみたいと思います。

投稿: 淡雪 | 2015年3月 4日 (水) 23時41分

淡雪様
日本は南北にとても長いので、新・旧暦のズレの他に地域による季節感の違いが大きいですね。
沖縄では2月に緋寒桜が咲くのに、北海道の松前では5月ですものね。
それだけ季節感の多様性があるといえるのでしょう。
明治期に編纂された小学唱歌は、まだ西洋の12音音階の知識がなかった日本では、曲は欧米のものをそのまま用い、一方歌詞の方は原詩とは全く無関係に、当時の漢文学者などが作詞しているのですね。
「春への憧れの歌詞は何種類かあるようです。
私がたまたま覚えたのがこれですが、作詞者については記憶がありません。
「蛍の光」や「夕空晴れて」などがその例です。
難しい漢字が美文調で書かれているので、当時の児童はずいぶん面くらったことでしょう。

投稿: 風花爺さん | 2015年3月 5日 (木) 20時05分

いつもながら風花様の見事な博識ぶり
とてもじゃないけれど当方太刀打ちできません。
でも読ませて頂くたびに凄く勉強になり有難いです。

まだまだ1000m以上の山々は雪に覆われて
雪山ですが街中は梅が馥郁たる香りを醸して
早春を演出しています。後2週間もすれば桜の花が
開花、京都は大勢の観光客で賑わうことでしょう。

「春への憧れ」の歌詞を初めて知りました。
私の方は「5月の歌」で習っています。♪~ 楽しや5月草木は萌え、小川の岸にスミレ匂う 優しき花をみつつ行けば小川・・・~ ♪ 初夏に良く口ずさんだりしています。

学年によって教わった歌詞も違うのでしょうか・・・?

投稿: かおり | 2015年3月 9日 (月) 23時50分

かおり様
私のはこれぞ「雑学」の見本のようなものです。
知っていたからといって、だからどうなんだ?突っ込みを入れられそうな、○〇の役にも立ちません。
南関東は寡雪でして、京都郊外の山と違い、たいていの低山には雪がありません。
例外的な大雪だった昨年に比べるとウソのようで、どこを歩いても雪上歩行とはなりません。
「春への憧れ」の歌詞の違いは世代の違いがそのまま出ているのではないでしょうか。
私が書いたのは原詩とは無関係に、美文調でつくられた明治期の古いもので、かおりさんが覚えておられるのは、やや原詩に忠実に訳されるようになった新しい時代のものと思われます。

投稿: 風花爺さん | 2015年3月10日 (火) 06時37分

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