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旧正丸峠から刈場坂峠~奥武蔵の峠をつなぐ

2015年2月21日

ちかごろ、そぞろ峠歩きに関心が向いているが、ということは山歩きの傾向がますます低きに、易きについてきていることの証拠か。
先日、毎度楽しみに拝見しているAさんのブログで、奥武蔵グリーンラインが通過している「刈場坂(かばさか)峠」での印象的なショットに心を惹かれた。
グリーンラインの開通でズタズタにされた奥武蔵の素朴な峠道から遠ざかって久しいが、一枚の写真が私を往時に誘ってくれ、16日(
月)その刈場坂峠へ向かった。

Dscn3982 西武・秩父線の正丸駅からR299を歩き、ほどなく左へ入り、八坂神社の前を通過して、点在する人家の間を抜けて山道に入る。
この道は2年前に下って来た道で、今日はそれを逆行していることになる。

Dscn3984 駅から1時間半ほどで旧正丸峠 ~かつて江戸と秩父を結んでいた交易路「吾野通り」も今はハイカーだけの峠。
秩父からは織物や木炭、江戸からは干し魚、米などが行きかったそうである。

20111031_37 サッキョ峠 ~峠らしくないただの通過点に過ぎず、漢字も意味も不明。

Dscn3988 虚空蔵峠 ~3つ目のこの峠には車道が通過しているので峠の風情は感じられなくなっている。

Dscn3989 車道から離れ再び山道に入ると巨木が。
何の木だろう・・・♪この木なんの木 気になる木・・・♪

Dscn3992 浅間山をデジタルズームで引き寄せてみた。
旧正丸峠を過ぎてから、絶えず左手に見えているのだが、木立が邪魔をしていた。
ようやく何とか僅かな隙間を見つけて・・・

Dscn3994 牛立久保あたりで ~東の刈場坂峠と西の大野峠の分岐点になる。

Dscn3996 刈場坂(かばさか)峠 ~56年ぶりの峠。
記憶は全く風化しているのだが、おそらく56年前は普通の山の中の峠だったはずだ。
その後まもなく奥武蔵グリーンラインが通じ、峠の姿は往時をしのぶよすがもないくらいに変貌した。
立派な車道の三叉路になっていて、展望も随一で、ドライバーにとって絶好の休憩所になっている。
ひところは茶店もあったらしい。

Dscn3999 北に遠く離れて男体山などが見えている。
この左の方にもおそらく上越の雪山が見えていたが、何山かの同定ができなかった。

Dscn4000 伊豆ヶ岳 ~刈場坂峠からの下りは殆ど味気ない車道歩きだが、わずかに伊豆ヶ岳が立派に見えて人気ぶりがうなづけた。

正丸駅に戻り、駅前の茶店でいつものように味噌おでんを食べ、上りの電車を待った。

さてこうしてこのブログで、誰の役にも立たない私の日常の断片をアップしているが、以下のことは余りに私的なことなので、書くことはさんざんに迷った末のことである。

先月から病院や検査クリニックでさまざまな検査をしてきた。
CT,MRI,生検、PETその他再三の血液検査などなど・・・
理由は腋窩にできた腫瘍が「リンパ腫(ガン)」の疑いが濃い、ということだったが、もろもろの検査結果がそれを裏付けた。
自分の体の中に「ガン」細胞が巣食っている・・・。
一ヶ月前までは想像することすらなかったことである。
治療は私の年齢、身体的な低下がない、他の部位への転移がない、進行が遅いなどの理由により、当面は経過を観察し、抗がん剤の服用は見合わせる、ということになった。
ガンは自分にとって最も縁遠い病だと思い込んでいたので、検査の過程ではまさか、まさかで正直悩むことがないではなかった。
当面、これまでと変わらない日常生活を送れることにはなったが、自分の体の中に厄介者がいることには変わりがない。
自然に治癒することなどあり得ないから、これからコイツがおとなしくしていてくれるよう、折り合いをつけながら長い?人生を過ごすこととなるのであろう。

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コメント

正丸峠を車で通過したのは何年前か忘れましたが、浅間山や日光の山々は車道からは見えないのですね。
地理に疎ければ、見えて不思議のない場所でも新鮮な感動を覚えます。

しかし、人間は健康なままで老いるのはなかなか難しいものです。お互いに。。。
冷静な精神力と風花さん生来の体力、そして現代医学の技術をもってがん細胞が消滅されることを信じています。

投稿: おキヨ | 2015年2月22日 (日) 13時52分

おきよ様
私は奥武蔵グリーンラインを車で走ったことはありません。
なので、確たることは分かりませんが、おそらく展望スポットになるのは刈場坂峠と顔振峠くらいではないかと思います。
私の病(と、言えるのかどうか・・・)については夢にも思わなかったことですが、こういうことが起こるのが人生なんですね。
目下のところ、執行猶予を与えられているような状態です。
自分がやれることも限られているので、この先については成り行きにゆだねるしかないのだろうと思っています。

投稿: 風花爺さん | 2015年2月22日 (日) 17時37分

風花さん、こんばんは

刈場坂峠の大木は桜でしょうか?
雪が少ないという事は、この時期汗まみれにもならず歩けると言うメリット、これは大きいですね。癌は私も経験済みですが、毎日どんどん出来ているそうですね。最近、水素水で癌が消失した友人を知っています。

投稿: 岳 | 2015年2月22日 (日) 19時42分

岳様
おはようございます。
刈場坂峠の木は桜で間違いないと思います。
岳さんも癌の体験者ですか。
けっこう多いですね。
癌との壮絶な闘いをしている方に比べれば、私の場合などは威張れるようなレベルではありません。
せいぜい免疫力を高めるように努める、ということでしょうか。

投稿: 風花爺さん | 2015年2月23日 (月) 06時33分

おはようございます。
山歩きをしない私は、峠や谷について国語辞典的な理解しかないことに気がつき、今になって呆然としています。
こちらで色々な写真を見せていただき、手塚宗求氏の「山彦谷」その他を読むうちに…です。堀辰雄の『風立ちぬ』、最終章が意外に好きなのですが、「幸福の谷」についての私のイメージは多分とても狭いものだったと思います。実際に見ないと、想像には限界がありますね。

ご病気について、泰然自若として冷静に淡々と書いていらっしゃることに尊敬の念を新たにしています。
良い主治医のもと、時に応じて最良の選択をなさって、快方に向かわれることを信じています。
どうぞお大事になさってくださいませ。

投稿: 淡雪 | 2015年2月26日 (木) 11時19分

淡雪様
峠といい、谷といい形状は千差万別で、心に刻まれるものもあれば、記憶の欠片も残らないものもあります。
『風たちぬ』の終章を読み返してみました。
おそらく旧軽井沢別荘地の北の外れにある家を借りたばかりの堀辰雄は、そこで呼ばれている「幸福の谷」とは正反対の「死のかげの谷」を感じてしまうのですね。
婚約者の節子を失ったための傷心がまだ癒やされていないための心象風景がそう思わせたのでしょうね。
「谷」で浮かぶのはジョン・フォードが詩情豊かに描いた名作「わが谷は緑なりき」です。
通俗的ですが「谷間の灯」というアメリカ民謡も昔はよく口ずさんだものですね。
私の病気について、うわべでは泰然とか淡然とかに見えるかもしれませんが、それはまだ症状がごく軽いのでそうした振る舞いができるのです。
日常生活は全くこれまで通りです。
ただこの病は直るということはないようで、この先の進行状況によって事態が変わる可能性があります。
もし、悪い方へ進んだ場合でも、私が今のように泰然としていられるかどうか、自信はありません。
今のところは、私自身が持つ免疫力でどこまでこの厄介者を抑え込むことができるかにかかっているのだろうと思っています。

投稿: 風花爺さん | 2015年2月26日 (木) 14時44分

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