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2015年2月

迷惑メールと「ダーイシュ」のこと

2015年2月27日

それは突然にやって来た。
5日ほど前の夜のこと、私のケイタイに目を疑うような幸運なメールが舞い込んできた。

A
差出人は藤堂〇〇〇という女性名 ???
心当たりはないが・・・もしかしたら昔の不倫相手?
・・・考えるまでもなく、そんなシャレタものが居るはずがない。
文面を見ると、救済基金1億円を20名に贈呈することになり、あなたもその一人で「500万円を呈上するので手続きをしてください、締め切りは24時です」・・・とある。
縁もゆかりもない私に500万円もくれるなんて、なんと奇特な方。
一瞬ドキンときたが、でもこれって怪しくない?
何が狙いか分からないので無視していたが「24時の締め切りまでに早くすませて」と催促メール。
「振り込が確認できました」というのもある。
振り込み先を知らせていないのに、どうして振り込みできるのか?よく読めば「振り込みの用意ができたことが確認できた」というもので、うさんくささはは増すばかりである。

24時を過ぎれば自然に消えるだろうと放ったらかしにして一夜明けたら「基金提供者の特別な計らいで、期限を24時間延長しました」と、敵は執拗に攻撃の手を緩めない。

そうこうするうちに「表にできないお金が9460万円あり、これをあなたにもらっていただかないと大変困ることになるので、私を助けると思って受け取ってください」という夢のようなメールに飛躍した。

それからは何人もの女性名で手を変え、品を変えして洪水のようにメールが着信する。
これまでには、どうやら出会い系サイトへの誘い口であることの魂胆が見えてきた。
そんな魔界へ誘い込まれたら地獄を見ることになる。

事態はますますエスカレートし、ピンサロのチラシまがいのものなど雑多なメールで、こうなるともはやノアの洪水である。

何にしても一時間に5~60通ものメールでは消去するのにも疲れてきたし、この先際限がないと、ついにアドレスを変える事態に追い込まれてしまった。
迷惑メールをフィルタリングする方法もあるようだが、完全にシャットアウトできないようなので、アドレス変更が最上の策と愚考した次第である。

迷惑といえば今世界で最も迷惑な、というより危険な存在はいうまでもなく「ISIL」(イスラム国)である。

ことの起こりは2003年の湾岸戦争で、ブッシュJrがパンドラの箱を開けてしまったことにある。
当時、アラブ世界の事情に詳しい識者は、フセイン政権は崩壊したが新たなテロを生みだすと予言したが、実際に今日見るような果てしない報復の連鎖を生んでしまった。
この過激な存在はイスラム信者の組織のように見えていて、彼らが殺害している犠牲者の大半はイスラム教徒である。
この過激組織がイスラム教とは無縁なもので、まともなイスラム教徒は今や被害者であり、この過激組織を心あるアラブの人々は軽蔑を込めて「ダーイシュ」と呼ぶそうである。
私たちはイスラムということだけで、一視同仁してしまうが、アルカイダの流れをくむ過激派は、イスラム教徒とは全く別物の鬼子と見なければいけないようである。

私たちはあまりにもアラブ世界について無関心であり、したがって無知である。
何かが起きたその時には瞬間的な関心を向けるが、それは長続きしない。
卑近な例が、ついせんだってまで、あれほどの騒ぎになった後藤健二さんのことはもうほとんどマスコミや人の口に登らなくなっている。

私たちは平和にドップリと浸かり、今この瞬間でもアラブばかりでなく、アフリカの「ボコ・ハラム」による遠い国で起きている悲惨な出来事に思いを馳せることがない。

B ダーイシュの少年訓練兵

辛うじて、その断片を知ることができるのは、命を失う危険と背中合わせで取材している後藤さんのようなフリーのジャーナリストのお蔭なのである。
後藤さんと同じように危険地域で取材をしているカメラマンの亀山亮氏はこの有様を「日本のメディアはなんの保証もせずにフリーランスをイラクに行かせ、問題が起きると切り捨てる。その手口は、やくざな手配師と日雇い労働者の関係そのままだった」と指摘しているが、メディアだけではなく、日本そのものが手配師そのものだろう。


人間誰しもが自分が一番大事である。
あるのは自分であって、それ以外にはなかなか関心が向かない。
それはそれで、自然なことであり、他者が非難することでもない。
しかし、そうではあってもたまには、地球のどこかで貧困、飢餓、難病、内戦、テロなどさまざまなことで苦しんでいる人々がたくさんることを想像してみてもよいだろう。
・・・などと書きながら、己は果たしてどれだけのことができているのか・・・・・・。

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旧正丸峠から刈場坂峠~奥武蔵の峠をつなぐ

2015年2月21日

ちかごろ、そぞろ峠歩きに関心が向いているが、ということは山歩きの傾向がますます低きに、易きについてきていることの証拠か。
先日、毎度楽しみに拝見しているAさんのブログで、奥武蔵グリーンラインが通過している「刈場坂(かばさか)峠」での印象的なショットに心を惹かれた。
グリーンラインの開通でズタズタにされた奥武蔵の素朴な峠道から遠ざかって久しいが、一枚の写真が私を往時に誘ってくれ、16日(
月)その刈場坂峠へ向かった。

Dscn3982 西武・秩父線の正丸駅からR299を歩き、ほどなく左へ入り、八坂神社の前を通過して、点在する人家の間を抜けて山道に入る。
この道は2年前に下って来た道で、今日はそれを逆行していることになる。

Dscn3984 駅から1時間半ほどで旧正丸峠 ~かつて江戸と秩父を結んでいた交易路「吾野通り」も今はハイカーだけの峠。
秩父からは織物や木炭、江戸からは干し魚、米などが行きかったそうである。

20111031_37 サッキョ峠 ~峠らしくないただの通過点に過ぎず、漢字も意味も不明。

Dscn3988 虚空蔵峠 ~3つ目のこの峠には車道が通過しているので峠の風情は感じられなくなっている。

Dscn3989 車道から離れ再び山道に入ると巨木が。
何の木だろう・・・♪この木なんの木 気になる木・・・♪

Dscn3992 浅間山をデジタルズームで引き寄せてみた。
旧正丸峠を過ぎてから、絶えず左手に見えているのだが、木立が邪魔をしていた。
ようやく何とか僅かな隙間を見つけて・・・

Dscn3994 牛立久保あたりで ~東の刈場坂峠と西の大野峠の分岐点になる。

Dscn3996 刈場坂(かばさか)峠 ~56年ぶりの峠。
記憶は全く風化しているのだが、おそらく56年前は普通の山の中の峠だったはずだ。
その後まもなく奥武蔵グリーンラインが通じ、峠の姿は往時をしのぶよすがもないくらいに変貌した。
立派な車道の三叉路になっていて、展望も随一で、ドライバーにとって絶好の休憩所になっている。
ひところは茶店もあったらしい。

Dscn3999 北に遠く離れて男体山などが見えている。
この左の方にもおそらく上越の雪山が見えていたが、何山かの同定ができなかった。

Dscn4000 伊豆ヶ岳 ~刈場坂峠からの下りは殆ど味気ない車道歩きだが、わずかに伊豆ヶ岳が立派に見えて人気ぶりがうなづけた。

正丸駅に戻り、駅前の茶店でいつものように味噌おでんを食べ、上りの電車を待った。

さてこうしてこのブログで、誰の役にも立たない私の日常の断片をアップしているが、以下のことは余りに私的なことなので、書くことはさんざんに迷った末のことである。

先月から病院や検査クリニックでさまざまな検査をしてきた。
CT,MRI,生検、PETその他再三の血液検査などなど・・・
理由は腋窩にできた腫瘍が「リンパ腫(ガン)」の疑いが濃い、ということだったが、もろもろの検査結果がそれを裏付けた。
自分の体の中に「ガン」細胞が巣食っている・・・。
一ヶ月前までは想像することすらなかったことである。
治療は私の年齢、身体的な低下がない、他の部位への転移がない、進行が遅いなどの理由により、当面は経過を観察し、抗がん剤の服用は見合わせる、ということになった。
ガンは自分にとって最も縁遠い病だと思い込んでいたので、検査の過程ではまさか、まさかで正直悩むことがないではなかった。
当面、これまでと変わらない日常生活を送れることにはなったが、自分の体の中に厄介者がいることには変わりがない。
自然に治癒することなどあり得ないから、これからコイツがおとなしくしていてくれるよう、折り合いをつけながら長い?人生を過ごすこととなるのであろう。

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丹沢前衛・南山~宮ケ瀬湖畔の丘陵を歩く

2015年2月15日

今日(13日)は山の会での「赤城山」雪山登山の予定だった。
しかし、西高東低の気圧配置が発達して、関東北部では強風が予想された。
一昨年、地吹雪で途中撤退した記憶が重なり、葛藤の果て中止にした。
万端の準備を整えて楽しみにしていた参加者の無念の表情が目に見えるようで、辛い決断だった。

南関東の天気は良く、時間が空いたので久しぶりに土の感触を楽しむため、未だ足を踏みいれていない宮ケ瀬ダムの西岸の山、権現平と南山を結んで歩いてみることとした。

宮ケ瀬ダムは県立の「あいかわ公園」があってなかなかのレクリエーションスポットであるようだが、私のファミリーでは誰もきていないはずだ。

Dscn3967 今日の行程。
バスに乗る京王線・橋本駅には初めて下り立った。
想像以上に町は近代化していたが、何にもまして驚いたのはこの町が、丹沢山塊をまじかにする望岳都市だったことである。
バスの車窓はどこにでもある郊外風景だが、私には初めて目にするものだけに新鮮である。

Dscn3961 バスの終点「鳥居原ふれあいの館」
行楽シーズンなら賑わうのであろうが、冬の真っただ中のこの時期閑散と
している。

Dscn3965 宮ケ瀬湖の一部と、上の中央の山頂の白い山が丹沢山塊の盟主「蛭ヶ岳」1673m
その左は「鬼ヶ岩の頭」で、そこから手前に落ちる尾根に白い雪形が見える。
これが丹沢の白馬、と呼ばれている雪形だが、馬というより子犬と言った方が当たっているような気がする。


Dscn3962 
どこでみても端正な大山

Dscn3966 湖畔道路からの登山口 ~急な梯子段になっていて、しかも凍結状態である。

Dscn3968 振り返ると湖畔の上に丹沢三峰(左)、蛭ヶ岳(中央)、黍穀山へと連なる山稜が一望である

Dscn3969 尾根上のアップダウンの繰り返しの後に到着した権現平」(南山園地)という憩いの広場。
なぜかこの平地には雪が多い。
展望台デッキがあるが、展望は湘南の海の方だけで、他の方位は木立で視界は閉ざされている。
雪が消えた芝生の一角にはベンチがあって、一人で昼食を摂った。
風が遮られているので、日差しがぬくぬく暖かく、何とも心地よい一時でマッタリする。
この情景は、串田 孫一なら「光の精たちが輪をつくってファランドールを踊っている」とでも書きそうな気がする。

Dscn3975 南山の山頂に近づくと思いがけず、西空遠く離れて「大菩薩連嶺」が浮かんでいた。
左端に白い原を持つ「白谷ヶ丸」が際立っている。

Dscn3977 宮ケ瀬湖の対岸にはそ曾遊の山々が近い。
今の位置からの眺めは初めなのでとても新鮮に映る。


南山山頂から、長い急な段を下って
「あいかわ公園」に降り立った。

Img179
人影はまばら。
人が集まってこそのレジャースポットである。
この冬枯れの公園に、子供たちの歓声が響く日々が待ち遠しい。
♪春よこい 早くこい・・・♪

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きさらぎ(2月)に拾う詞華・アンソロジー

2015年2月10日

少々の訳があって山歩きができない状況にある。
そんな中で45日振りに山荘へいってみた。
これほど長い間、山荘へいかなかったのは15年の間にはなかったことである。
公道は行政によって除雪されているが、除雪対象にならない私道に入れるかどうかがこの時期の気がかりになる。
幸い積雪量がそれほどなくて山荘の前まで車で入れた。

Dscn3895       Dscn3896
この時期としては少なくもなく、多くもなくこんなものでしょう。

さて、時はきさらぎ(如月)~なぜ「きさらぎ」なのかについてはやはり幾つかの説があるが、その詮索はここではパス。

きさらぎの 天のまほらは 花野かな
     差し招く如(ごと)  風花は舞う     
冬道 麻子

風花という詩句が入っているので私の愛唱する一句である。
そして、伊東 静雄にはこんな詩がある。

みささぎにふる はるのゆき
枝透きて あかるき木々に
つもるともえせぬ けはひは   

昔の詩歌で「きさらぎ」と用いられているのは陰暦の2月で、今の暦ではこれは三月にあたる。
従って頭の中で、季節を修正しなければならない。
若山牧水の一首

しみじみと きょう降る雨は きさらぎの
     春のはじめの 雨にあらずや   

なども、この雨を今の2月の雨と考えると、季節感が狂ってしまうが、一雨ごとに暖かくなる3月の雨と思えばそうだよな、となる。


例えば紀貫之の

袖ひちてむすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらむ
も陰暦の春立つころに修正すれば合点がいく。

同様に、吉丸 一昌が作詞した「早春譜」の
「春は名のみの風の寒さや・・・」なども季ずれを修正しなければなるまい。

八十の 齢を愛し 日脚伸ぶ/冨安 風生~この頃”ずいぶん日が伸びたな~”と実感する日が多い。
昼が一番短いのは冬至であることは小学生でも知っていることだが、日没が一番早いのは12月の上旬(夜明けが一番遅いのは1月上旬)で、4時を過ぎれば昏くなっていた。
12月上旬から一日約1分ほど入日が遅れだし、2ヶ月たったこのごろでは5時を回っても薄明が残る。

脚が伸びるのに並行して光に力が戻ってきているのも感得できる。
ロシアではこれに「光の春」という素敵な呼び名を与えている。
日本などよりもっと厳しい冬を闘っている厳寒の地では、光に春のさきがけを感じるのであろう。

月・雪・花(あるいは雪月花)~昔の諺に「月雪花はいちどには眺められぬ」というのがある。
いいことは都合よく全部揃うことはない、という意味である。
ここでいう花は桜だろうが、これをとにかく花一般とすればこの三つが揃うことはそれほど珍しいことでもない。
今の時期の花なら関東ではさしずめ
蝋梅あたりか。

A        A_2
今、ロウバイは各地で馥郁たる香りを漂わせている。

そしてこのアンソロジーの終わりはやはり「冬来たりなば 春遠からじ」かな・・・。
P・P・シェリーの長い詩「西風の賦」は
  「荒れ狂う西風よ!迸りでる秋の息吹よ!」
で始り
  「冬来たりなば春遠からじ、と今こそ私は叫ぶ!」
と、人口に膾炙(かいしゃ)された詩句で結ばれる。

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小棡峠と浅間峠 ~笹尾根の峠シリーズ

2015年2月3日

一月往ぬる、二月逃げる、三月去る・・・
瞬く間に12分の1が過去になってしまった。
明日は立春だが、紀 貫之が詠んだ
   
袖ひちて むすびし水の こほれるを
           春立つけふの 風やとくらむ

このごろ「光の春」は実感しているが、この一首のように氷が解けるまでにはまだしばらく時間がかかるだろう。
 

今、世界中で売れ、読まれている『21世紀の資本』の著者、トマ・ピケティ氏(パリ経済学校教授)が来日中で、各地で講演している。
浩瀚(こうかん)な研究書なので、今の私には残念ながらそれを読むパワーがない。
氏のコメントの一つで、アベノミックスが盛んに喧伝する
「トリクルダウン」理論について「過去にはそうした事例は見当たらないし、これからもうまくいく保証はない」という見立ては、金持ちはケチだということを知っている私は、直感的にトリクルダウンなんて幻想だと感じていたのでナットクである。
氏のいわんとすることは「低成長下の先進国では格差は拡大するばかりで、これを解決するには累進課税を強化して富の再配分をするべし」ということらしい。
こうした主張自体は日本の政治家、エコノミスト、学者などの多くが言っていることなので別に目新しいことではない。
ピケティ氏がなぜそんなにもてはやされるのかな・・・。
もう少し勉強しなければならないな。

さて、その朝(1月29日)笛吹入口のバス停を降りたのは私ひとりだつた。
「笛吹」~ここでは「ふえふき」とは読まない。
地元での表示は「うずしき」だが、地理院地図には「うずひき」とルビが振ってあり、『檜原村紀聞』/瓜生卓造でも「ウズヒキ」としている。
ここ都下唯一の村「檜原村」の南秋川筋にはこのほか「人里=へんぼり」や「事貫=ことずら」などと超難読地名が多い。

今日は私のささやかなテーマ「笹尾根の峠道」シリーズの山歩き。

Static 「小棡(こゆずり)峠」と「浅間(せんげん)峠」と、二つの峠道をつないだ今日の行程。

Dscn3878 ハイハイ、よく分かりました。
ご注意を承り自然に優しく歩くことを心がけますよ。

Dscn3879 ここが思案のしどころの「笛吹峠」と「小棡峠」の分岐点。
笛吹峠道はこのところズーッと伐採作業で通行できない、という情報があるのは承知していた。
であれば、常識的にはここに何らかのメッセージがあってしかるべきであろう。
何もないということは通行解除になったのだろうと判断し、いったんはそちらに向かった。
だが、笛吹神社でUターンした、というネット記事が脳裏をかすめていて、もしそんなことになったら時間ロスが痛いと思い、安全策で小棡峠道を選びなおした。
  ~帰宅してからのサイチェックで、伐採作業は予定より大分早く終了していて、通行可能になっていることが判明した。
どうして奥多摩情報センターの道路情報にそのことを書いていてくれないのか、とボヤクことしきり・・・

Dscn3880 開けた伐採地から北の「事貫(ことずら)」集落を見る。

Dscn3882 雲取山から東南の延びる石尾根上の鷹ノ巣山がわずかに白い頭を見せている。

Dscn3885 ウッスラと申し訳程度に雪が載っている。

Dscn3886 小棡峠 ~逆光のため文字が読めない。
笛吹から1:40ほどで笹尾根に乗ったことになる。

Dscn3891 笹尾根を東に辿ると、この尾根ではもはや珍しくなってしまった明るい自然林になった。
ここも顕著な鞍部になっているが、峠にはなっていない。
これだけの数の峠をもつ笹尾根なのに何故だろう。

Dscn3892 さらに東へ進んだ浅間峠の石祠 ~明治廿六年に設けられたものらしい

Dscn3893 ここから上川乗BSへの下り道は、早晩アイゼンの出番がくると予想していたのに、意外や意外、凍結部分が全く無く、快適な下山路であった。
登りの小棡峠道よりわずかに東で、標高が低いだけなのに、この違いをどう読み解いたらいいのだろうか。

今日の登り、下りの峠道2本は共に初めて歩いたルートである。
そんなに気合が入っていることでもないが「笹尾根」を串刺しにしている多くの峠道の全てをトレースしてみよう、というささやかなテーマの一歩を前に進めることになった。

でも、どこまで初志を貫徹できるのか、我ながら半信半疑である。
これまでも”絶対やりぬくぞ!”と心に誓い、公言もしてきたテーマが竜頭蛇尾に終わってしまったこと数知れず、だから・・・。

ある事情で2晩外泊するため(登山や旅ではありませんが・・・)パソコンとは一時お別れします。

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