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2014年12月

行く年、来る年

2014年12月31日

再びくることのない2014年最後のアップで、大つごもりの新宿界隈を点描してみよう。

毎年のことだが、今年もやり残しはいっぱいある。
せめて簡単にできることとして「新宿・中村屋」の「ナポリターノ」を食べることとした。
中村屋は創業者が安曇野・穂高出身で、インドの独立運動家・ラス・B・ボーズを匿ったなど歴史が古いだけにエピソードも多い。
中村屋といえば「カリー」だが、このスープパスタの評判もなかなかのものらしい。
前にもその目的で来たのだが、生憎建て替え中だった。

時間をずらせたのだが、行列がすごい。
いったんは”また今度”にしようかとも思ったが、まァいいか・・・

Img_5        Img_3                        

 
それでも回転がよいのか30分ほどで着席できた。

Img さて、お目当てのパスタだが、残念ながら私は合格点がつけられなかった。
そもそも麺類は固めが好きで、パスタ類もアルデンテが望みなのだが、ここのきしめんのような平打ちのパスタは見かけは好みだったのに、食感は立ち食い饂飩並みで、私お気に入りの「スミヴィーの」の手打ちには遠く及ばない。

Img_2 家人の注文はオーソドックスにコールマンカリー。
中村屋はやはり月餅とカリーか。

地下道には来年の大河ドラマ「花燃ゆ」の等身大の大看板。

Img_4

毎年”今年こそ通して見るぞ”と思いながら2~3回ほど見ると根気が続かず、見ずじまいになってしまう。
今度こそは・・・

Dscn3840     Dscn3842
京王百貨店と小田急百貨店の間に「モザイク通り」という小路がある。
                            
コジャレタお店が並んでいるが、私などここでは通りすがりの異邦人にしかすぎない。

Img 夜は月並みに年越し蕎麦
京王線・初台駅の近くの住宅街にある隠れ家的なここ「かわしま」の蕎麦は都内の超有名店のどこと比べても遜色ない高いレベルにある。
いつ食べても裏切られることがない。
それなのに値段はおそらく半値であろう。
自宅から歩いて行ける範囲内で、こんな上等な蕎麦にありつける幸運を思わずにいられない。

かくして騒々しいだけの紅白が終われば、今日の続きの明日でしかないが、人並みに気分をリセットして迎えようか。
軽やかに飛ぶことはできないので”ドッコイショ”と・・・。

君が手にふるる水は過ぎし水の最後のものにして、来るべき水の最初のものである」  byダ・ヴィンチ
2015年はそのようにして、あと4時間後にやってくる。

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日の出山 ~悔恨にさいなまれた道を再び

2014年12月28日

それは1975年4月4日のことだから、39年前のこととなる。
あの日、春休みに入っていた娘2人を伴い、家族4人で
奥多摩・日の出山902mハイクにでかけた。
そして、私たち家族がおりふし振り返り、生涯にわたって語りつぐ出来事が起こった。
日の出山で昼食をすませ、あとは山麓の駅へ下るだけになった。

Img163 この写真がこの日の最後の一枚になった。

下山路に入り二人の娘は元気に任せトットと山道を下っていった。
懸念は兆していたが、気がついたときには二人の姿は視界から消え、声も届かないほど離れてしまった。
それから私たち両親にとって、心が不安で押しつぶされる時間が始まった。

その忘れもしない出来事の道を今日(27日)歩いてみることとした。
私のこれまでの年間山歩き日数の最高は102日。
今年はこれを更新することを目標にしてきて、先日リーチをかけ、いよいよビンゴの山をどこにするか思案した結果、生涯の記録達成の山は、生涯忘れることのできない「日の出山」にすることとした。

Static 今日のトラフィック・ログ
今日はスマホを携帯懐炉で温めながら使った。
効果は劇的で、ゴールまでログを描き、なお余裕があった。

Dscn3826 御岳神社への道から見る「日の出山」

Dscn3828 御岳の山上集落

Dscn3832 日の出山の山頂

Dscn3830_2 北西の方角の山々

山頂での時間が過ぎていよいよ下山となる。
これまで山頂からは何度か降りているがすべて他のコースで、あの日と同じ東の日向和田駅に下りるのは39年ぶりとなる。
それからは徹底して植林の中を歩いた。
記憶はおぼろげだが、林相は明らかに違っているように思える。
あの時、明るい潅木の中の下り道を勢いよく駆け下る二人の後ろ姿をみた記憶がある


どこかで待っているだろう、という希望も虚しく外れた。
”はぐれてしまった”そう思わざるを得なくなってから湧いてきた不安は膨れ上がるばかりで、胸は押しつぶされそうであった。
道は一本ではなく、何度か枝分かれする。
二人ともどこへ下るのか知らないままに、やみくもに進んでいるに違いない。
迷うことは必至である。
里に下りられればいいが、迷走して山の中で進退きわまったら・・・
4月といえど山の中、もし一夜を過ごすようなことになったら・・・
寒さをしのげる衣類も、食べ物も持っていない。

Dscn3837 吉野梅郷
途中で出会った人たちには片端から何か手がかりを得られるものがないかを尋ねたがそれも空しく、娘たちに遭遇することなくここまで降りて来た。
あの時は梅の開花期だったが、もちろん花を愛でる余裕はない。
~その梅の木は今、プラムポックスウイルスのためすべて切られていて裸の丘になっている。

日向和田駅に着き警察へ連絡を入れた。
有線放送の甲斐あって、しばらくしてから娘たちは無事に保護されているとの情報が得られた。
張りつめていた緊張が一気にほぐれ、警察の車に乗り保護されているお宅へ向かった。
再会した時、娘たちは安堵と照れ臭さが交錯しているような複雑な表情を浮かべた。

二人が両親とはぐれてしまってからどんな思案をしたのか、何を相談したのか、どうしようとしたのか正確には分からない。
なんの当てもないのに、朝乗ったケーブル駅を目指して二人とも不安で小さな心を押しつぶされそうになっていて、トボトボ歩いていたらしい。
それを見かけたある主婦が不審に思い、声をかけて事情を聞いて保護してくれた、ということだった。
今でも”不憫な思いをさせてしまったな”という悔恨で、胸の奥底で痛むものがある。

幸いあの出来事が破局的なことにならずに済んで、娘たちもそれぞれ二児の母親になり、今それなりのオバサンをしている。

老いた私もささやかな目標を成し遂げ「差し引けば 幸せ残る 年の暮れ」を迎えようとしている。

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情けは人のためならず ~笹尾根にて

201年12月20日

はかなく一場の夢と消えたSTAP細胞。
シンデレラは12時を過ぎたらただの娘に戻ってしまった・・・。

北側の都下・檜原村と南の上野原市との境に、渋いながら割りに知られているハイキングコース「笹尾根」が延びている。
笹尾根は、大菩薩嶺から牛の寝通りに入り、三頭山を通過して、高尾山に至る長い山稜の、高尾寄りの一部をなしている。
私も気まぐれに歩くが、いつもあまり気合を入れないで歩くためか、どうもあまり印象に残らない。

Static 今日(15日)のトラフィック~例によって途中でスマホが電池切れでダウン。
ところがこれが、死んだ振りであることが分かった。
しばらく体温で温めておくと電池が何割か回復し、通話くらいは可能になる。
これからはカイロで温めることでバッテリー寿命を延ばせないか、試みてみようと考えている。

Dscn3804 上野原市・郷原からの登山口
鹿柵をあけて山道になると、このコースの特徴、落ち葉のラッセルになる。
溝状の山道に落ち葉がうず高く堆積していて、けっこう歩き難いのである。

Dscn3806「つね泣き峠(おつねの泣き坂)」解説板~これまでここを2度通過していたのだが、写真に撮っていなかったので、これを写すのが今日の主たる目的。
今は奥多摩湖に沈んでいる小河内村に伝わる民話。
おつねと、寺の香蘭は恋仲になり、修行の妨げになると香蘭は甲州・西原の寺に移籍させられた。
香蘭恋しさにおつねは夜陰にまぎれて5時間の道のりを、途中で助けた犬の道案内で首尾よく香蘭と一時の逢瀬を持てたが、帰路の途中で夜明けになり、雇い主に叱られると、さめざめと泣き伏してしまう、という哀話を記している。
~「つね泣き峠」という地名はもう一ヶ所ある。
この位置の西北に当たる「三頭山」から奥多摩湖に下る途中の急坂である。
また『東京の山』(読売新聞編集)中の図によるとおつねが通ったルートはこことは反対の三頭山の西側となっているので、この解説板がなぜここに設置されたのか疑問が残る。
・・・でもそこは民話のこと、そんな詮索は野暮の骨頂でしかないな・・・

Dscn3807 毎度登場する冬木立の山道 ~こういう雰囲気が好きなもので・・・

Dscn3813 笹尾根に乗りあげたところが「西原(「さいはら)峠」 ~一年ぶりになる。

Dscn3817 

おおむね南側が植林であるため、眺望の悪い笹尾根だが「数馬峠」と「田和峠」(この名称は現在残っていない)では富士山方向が見える。

Dscn3816 アップも載せておきましょう・・・

Dscn3819 西には大菩薩嶺(右端)から黒岳(左端)。
間が先日歩いた牛奥ノ雁ヶ腹摺山と小金沢山。

Dscn3823 日原(ひはら)峠 ~甲州と武州を結ぶ峠は何本も笹尾根を越えているが、これもその一つ。
日が短いので一便早いバスに乗るため、予定を変えてここから人里(へんぼり)くだることとした。
この道は初めて?と思ったが、途中で一度下った記憶がよみがえった。
暗い植林帯で路傍に白いものが点々としているものが見えた。
カマキリの卵・・・?
だが、良く見ると思いがけないことに
「シモバシラ」だった。

Dscn3825
シモバシラ=高尾山という図式ができているので、意表を衝かれた出現で咄嗟に結びつかなかったのだ。
シモバシラとは、シソ科の多年草。
茎が枯れたあとも根が活動していて水を吸い上げる。
気温が氷点下になると吸い上げた水が茎の道管内で氷り、氷柱ができた状態がこれである。

五日市と数馬を結ぶバス道へ降りた。
この路線は自由乗降区間ではあるが、上川乗バス停に向けて歩いていると、後方からきた赤い車が停車し”乗っていきませんか?”と声を掛けられた。
バス停まではそれほどの距離ではないし、この路線は無料で乗れるし、車から漂う雰囲気がおしゃれな高級車で、汚れた靴のままでいいのかな、などの思いが交錯し、瞬時
ためらったすえ、”それではバス停まで”とご厚意に甘えることとした。
八王子へ帰るという車の主は、三頭山を歩いての帰路だそうで、同好の士であることが分かり、山の話が弾み始めたが直ぐバス停。
”どうせ八王子までの道筋だから五日市までどうぞ・・・”と重ねてのお誘いに、結局再度甘えることになった。
あれこれの会話ののち、山の記録サイト「ヤマレコ」に話が及んだ。
私も会員登録しているので毎週配信される「週間レポ」を読んでいる。
その中に、通常なら最低でも一泊二日の行程を、日帰りで歩き切るものが多く見られ感心していることを話したら、なんとこの方もそのシビア登山の実践者であった。
親御さんの介護のため日帰りの日程しかとれない、という止むをえない事情があってのこととしても、ヤワな私とは異次元の世界の住人である。

五日市でのお別れでは感謝の気持ちをうまく伝えきれなかった。
車の主はむしろ、あたかも親切を受けた側の人かと見まごうような誠実な振る舞いを見せてくれた。
差し出した厚意を素直に受け入れてくれた、そのことにむしろ感謝しているように見受けられた。
その挙措には、日頃忘れている「紳士」という言葉を思い出した。
”ほんものの紳士がいるものだな・・・”
去っていく赤いボディの後ろには4つの輪のエンブレムが見えた。

Audi

私も、これまで何度か帰り姿のハイカーを見かけて乗車に誘ったことがある。
しかし、私自身がこのような厚意を受けたことはこれまでに一度もなかった。
長い車道歩きはかなりしていて、時には親切なドラーバーから声が掛かるのを、内心では期待しているときもあるのだが・・・

「情けは人のためならず」
そうなんだよな・・・親切はその見返りを期待してするものではない、無償の行いであるべきだ。
でも、神の配剤によりいつかどこかで還ってくるものなんだな・・・。

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高橋まゆみ人形展および関係あること、ないことあれこれ

2014年12月16日

このたびの総選挙~自分の一票で何かが変わるかも知れない、というワクワク感もないし、いつもの熱気のカケラもなく、寒々とした選挙風景のままでいつともなく幕が下りていた。
結果的に議会の勢力図はほとんど変わらないし、内閣改造もしないというから、いよいよ何のために700億もの巨費を使っての選挙だったのかが分からなくなってしまった。
野党も有権者もフイを衝かれた突然の総選挙で準備が整わず、これは首相周辺の高度な戦術がドンピシャで図に当たったということだろう。
信任を得た、とする安倍首相はこの4年間を利用して、本腰を据えて念願の「戦後レジームからの脱出」即ち、憲法改正を中心に据えた国の形づくりに取り組むつもりであろう。
やがて有権者が”こんなはずではなかったのに・・・」と、臍(ほぞ)を噛むことになる日がこないことを祈るのみである。
いい政治を望むなら政治が常に緊張感をはらんでいていて、時の政権に失政があれば交代せざるを得ない状況を用意しておくことが必要なのに、有権者は無自覚にその権利をむざむざと行使しないままにしてしまった。
・・・私は今、この状況に強く失望し、無力感にさいなまれている。

さて飯山市を拠点にして活動している人形作家・高橋まゆみさんを知ったのはいつも半睡状態で聴いている「ラジオ深夜便」
飾り気のない語り口に好感が持てて、人形には特別な関心があるわけではないが、一度はその作品を見ておきたいと思っていた。

折よく東京国際フォーラムでロングランの作品展が開催中で、師走の一日、有楽町へと出かけた。
展示作品に流れる通奏低音は、私たちがトックに失ってしまった遠い日々へのノスタルジーである。

A_2  A 
私が今日の展示作品の中で一番心を惹かれたもの。
たった一人の生徒と、一人の先生との別れの日・卒業式のシーンをモティーフしている。
相擁する師弟の心情がしみじみと伝わってくる。

観賞の途中で同じ作風の作品があることを思い出した。

Img158 同じような郷愁の情景を人形に仮託している。

冒頭に書いたラジオ深夜便のトーク中で、作者が作品のモティーフを啓発された本として陽(みなみ)信孝さんの『八重子のハミング』を紹介していた。

Img157

著者は教職の道にあって、在任中に4度のがん手術を受ける。
その途中で、伴侶がアルツハイマー病を発症する。
自らの闘病に、妻の介護が加わることとなるので、普通なら壮絶な日常になるはずである。
事実そうなのだろうが、著者はそれを壮絶な物語にしないで、自然体でこの状況を受けとめ、家族がそれぞれの場で精一杯の心遣いをしながら家庭を守る。
ここにあるのは貧困な政治なんか当てにしない、しなやかな自助の精神である。

一転して山ネタになるが、私の居住区が運営している箱根の保養施設を利用して2日間、周辺の山を歩いた。
初日の5年ぶりの明神岳はまァまァだったが、2日目は朝から雨。
沈殿する同行者を残して酔狂な私一人、降られるのは覚悟のうえで、浅間山から湯坂道を湯本まで下る予定で出発した。
傘を差せば何とかなりそうに思えた雨足だったが、山に入ると雨音は次第に強くなってきた。
何とか浅間山までは登ったが風雨は強さを増すばかり。

Img       Img_2
まとったジャケットは撥水性はあるものの、ゴアテックスではないからもうこの雨を防げない。
靴もまたゴア靴ではなかったから中までびしょ濡れ。
この状況で湯本まで歩くことは暴挙でしょう!
早々に宮の下駅に降りることにしたが、途中で三度スリップ。
パンツ、ジャケット、ザックとも泥まみれ。
こんなみじめな姿でロマンスカーに乗るわけにはいかないので、急行で新宿へ戻った。
♪ わたしバカよね~ おバカさんよね~ ♪

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東尾根から伊豆ヶ岳 ~人気の山にバリ・ルートから

2014年12月13日

奥武蔵の人気者、伊豆ヶ岳851mへ東尾根というヴァリエーションルートから登る、ということは以前から知っていて、歩く機会はうかがっていたのですが、今日(7日)ようやく実現しました。

歩き始めてカメラを忘れていることに気づいたのですが後の祭り。
しかたない、スマホで間に合わせておきましょう。

A 今日のルート ~実は自分のスマホからのログ取り込みに失敗したので、ネット上で探した全く同じルートを歩いたログを有り難く拝借しました。

この機会に私がトラフィックログを作成するプロセスを紹介しておきます。
1、スマホでアプリFieldAccessを起動し、当該エリアの地形図をDRしておき、スタート時から記録を開始し、終了時にitunesに同期させるようにして保存する。
2、パソコンのitunesを立ち上げ記録を取り込む。
3、パソコンのルートラボでGPS記録をインポートし、画像処理をし、これを右クリックでMy pictureに送る。
4、Adobe Photoshopeで必要な画像処理をして完了。
 ~これってけっこう一仕事なんですよ・・・ 
もっと効率的な方法があるのかもしれませんが、デジタル音痴の私が試行錯誤の後にたどり着いた方法です。

A_2 西吾野駅から山に入ると一面の霜が降りた枯れ野原。

A_3 森坂峠 ~ここまではこうした透明アクリル板の表示がある。
下久通の集落に降り、東尾根の取り付きになる琴平神社を探しながら進む。
ヒントは、あるガイド記事にあった「白い鳥居」です。
私の頭の中には白く塗られた鳥居のイメージが鮮やかに出来上がっています。
ところがいくら歩いてもその「白い鳥居」が目にはいりません。
たまたま出会った土地の人に尋ねるとずいぶん通り過ぎていました。
戻って見つけた鳥居の色は灰(ネズミ)色でした。
書いた人には「白」の範囲内なんでしょうが、受け手としては自分のイメージで刷り込んでしまうものです。
こうした齟齬(そご)はえてして起きるものですね。
東尾根に乗ると、あにはからんや、尾根上には標識こそないですが、普通の山道が通っていました。
拍子抜けです、ガッカリです。
およそバリエーションルートらしくありません。
おまけに植林帯で展望など薬にしたくてもありません。

”こんなんじゃ、バリとは言えねーよなー”内心ブツブツ文句を言いながら伊豆ヶ岳の東面に近づきます。
直下は暗い樹林の急斜面で、これを回避するようにトレースは左(南)トラバースして、右上に折り返します。
これで終わりかと思ったら、その上で岩の山・伊豆ヶ岳が最後の牙を剥いていました。
高さ15m位の、木を疎らに付けた岩壁です。
下部はトラロープが着いているので大した造作もなく登れます。
その上がすこぶる厄介でした。
左上にロープが下がっているのですが、そこまで登るのなかなか怖そうです。
右斜め上にルートを採りましたが、スタンスにしたい岩には落ち葉が載り、足場になるかどうか落ち葉を落として探らなくてはなりません。
手掛かりになる木までは右手が届かないので、頼りない足場を、靴のフリクションだけを頼みに際どく伸びあがります。
そんなことを数回繰り返し、ようやく安全な位置まに届きました。
微妙なバランスが必要で、緊張しました。
高度がないので落ちても命にかかわることはなさそうですが・・・

写真を撮ることなど、とても考えられないシチュエーションでした。

A_4 頭の上から人の声が落ちてきて、木立を抜けるとそこは大勢のハイカーが群れている山頂でした。

これからは一般道を正丸駅下るだけなので、特記するようなものもありません。

バリエーション・ルート歩きの醍醐味は地形図を読み、地形を観察し、カンを働かせて予定のルートを完歩することにあります。
なかなかそうはいかないものですが・・・。
~その意味ではGPSに頼ることもバリ歩きの王道ではないかもしれません。

今日のルートは明瞭な道があり、地形も単純で読みやすく、最後に危険が待ち構えているとはいえ、バリ・ルートとしては正統的とは言い難い気がしました。

写真も、単に撮るということしかできないスマホのもので、満足いきません。
それやこれやで、アップするのを止めようとも思いながらも、結局載せることとしました。

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蟻川岳 ~山頂を踏み損ねた?

2014年12月9日

まだまだマイナ-山歩きが続きます。
今日(2日)訪れる
蟻川岳853mは群馬・中之条町から北の方へ約5km離れた所にある里山です。

Dscn3773 東南の山麓、赤坂から見上げる蟻川岳

Dscn3774 最奥の集落のそのどん詰まりに駐車スペースがあり登山口になっています。
ここは刀鍛冶として名を馳せた蟻川波右衛門の墓があるところです。
登山口から鹿除けの電気柵のゲートを抜け、暗い竹藪に入ります。

Dscn3775 竹藪はほどなく終わり、明るい冬木立になります。
ですが半端でない急坂です。

Dscn3777 尾根に乗りあげると小平地になり、そこからは南に子持山(左)と小野子三山(小野子山、中岳、十二ヶ岳)が見えます。

Dscn3778 連続する白いものは国土調査の杭です。
これを利用しないと登るのが厄介なくらいの急坂です。

Dscn3779 初めに登りあげるピークの立派な石祠

Dscn3780 梢を透かして北東に吾妻耶山を見ます。
その後ろに谷川岳などがあるのですが今は見えません。

Dscn3782 山頂標識 ~当然ここが山頂だと思い、ここからUターンして下山しました。
しかし、帰宅してから???
三角点標石があればワンタッチするのが習わしになっているのに、それをした記憶がないのです。
おかしいな・・・確か三角点峰のはずなのに・・・
ネットで調べてみたら三角点はさらに先へ進み、いったん下り登り返した位置にあるそうで、私と同じようにそこまで行かずに戻るひとが多いようです

Dscn3784 南西には浅間隠山がありますが、その右後ろの浅間山はやはり姿を隠していますね。

Dscn3791 帰路に立ち寄った国指定重要文化財「富澤家」
かつての養蚕農家の典型的な家が保存されています。
これほど立派ではあ
りませんが、生家を思い出します。

Dscn3794 路傍には秋の名残り。

Dscn3795 帰路での小野子三山(左)と榛名山群。
手前右端のズングリがさっき登った蟻川岳で、真裏から見ていますね。

三角点標石に敬意を表する掟を忘れてしまいました。
いずれ、忘れ物を拾いに再訪しなければならないでしょう。

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高山村・破風山 ~巨大反射板が山頂を占拠

2014年12月05日

「破風山(岳)」という名の山は関東には幾つかある。
代表選手は奥秩父の「破風山」2318mだろうが、今日(11月30日)歩く
破風山1068m(群馬・高山村)のは多分ドン尻に控えている存在だろう。
山麓から見る破風山は有体に言って誘われるものは感じないが、やまそのものより東にある
「切(霧)ヶ久保峠」というのが気になっていた。
”いったいどんな峠なんだろう・・・”

Static
この山では道標の類は当てにできないし、多分登山口も定かではないだろう。
こんな場合はスマホのGPSが頼もしい助っ人になる。
関越ゴルフ倶楽部の入り口前を通過し、林道・高山本線に突き当たる。
GPSを利用して登山口と思われる、高山本線から分岐する林道の入口の路側に駐車した。

分岐した林道がほどなくゲートで閉鎖されているのを抜け、そのまま進むと送電線の下に出た。
これはおかしい・・・オレは切(霧)ヶ久保峠に登ってから送電線下を通過するつもりなのに・・・
ゲートまで戻り、仔細に観察すると、地形図の通りの形状で小流れの左岸に微かに踏み跡らしいのが見てとれた。
それをしばらく辿っていくと、消え入りそうだった踏み跡がフイに広くなった。
何故なんだろう・・・訝しい思いのままそこまで近づいている稜線の鞍部をめざした。

Dscn3765 落ち葉が厚く積もった峠道はもう目と鼻の先。

Dscn3766 切通し状の切(霧)ヶ久保峠 ~この峠はかつて三国街道が通っていた東の金比羅峠に代わって、明治時代に開削されたもので、往時は賑やかな往来があったそうである。
2008年あたりまでは「霧ヶ久保峠」という標識が立っていたそうであるが、今はその残骸である標柱に小さく「切ヶ久保峠」と書いたプレートが着けられているだけ。
足元に落ちていた木片を拾い上げてみると、以前の標識の残骸で、起こしてみたら辛うじて「霧」の文字が判読できた。

Dscn3767 峠から西側の尾根に這い上がる。

Dscn3769 尾根を忠実に西へ辿ると最前見上げた送電線鉄塔(水上線83号)の基部に着いた。
北の方が開けているが朝の晴天は早々に下り坂で、谷川連峰は雲の中。
辛うじて吾妻耶山辺りが指呼できるだけになっている。

谷川岳などは山荘から見慣れているのに、山に登った時に見えないと、不満が残るのはどうしてなんだろうか・・・

それからは屈曲する尾根を外さないよう西へ西へと登っていくだけ。
やがて左下に先ほどUターンした林道が延びてきているのが見えた。
道はなくても、疎林なので高い方をめざして気ままに歩ける。
そうして主尾根に乗り、緩くなった稜線を辿るとあっけなく山頂。

Dscn3771 四等三角点。地形図と異なる標高が書かれているプレート。

Dscn3770 どこの山でも見かける石祠。

Dscn3772 平坦な山頂はこの巨大な反射板が占めている。
殺風景で山には不似合いな代物であり、目障りなだけである。
しかし、私なんかが山に立っても世の中の何の役にもたたないが、この不細工な人工物は立派に何かの役割りを果たすためにここに立っているのである。

帰りは途中で適当に林道に降り、車に戻った。

雪が来るまでの間、もう少しマイナー山への行脚を続けよう。
 

 

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赤城・コフタ山とモロコシ山 ~そんな山あるんかいな?

2014年12月01日

アリャリャ・・・12月になっちゃいました!
・・・もうなんていったらいいか・・・ウーン、と唸るばかりです。

山国日本には数多の山があります。
深田久弥の「日本百名山」、深田クラブの「日本200名山」、日本山岳会の「日本三百名山」あるいは国土地理院の『日本の山岳標高1003』などに載っている山であれば、それなりの知名度はあるでしょう。
それがピンキリの、キリの方の山ともなれば、知らないのは正常、知っているのはある種のビョーキと分類できそうな山がギョウサンあります。

ここに登場する「コフタ山」1316mとか「モロコシ山」1183mも著名な赤城山群の中にありながら、およそ人の口に登ることのない、そもそもその名前からして変テコリンな山です。
この妙チキリンな山々は、赤城山群の一番西端に存在感をもって鎮座する鈴ヶ岳(ただし、南側からは見えない)の足元にひれ伏しているので、ほとんど誰からも無視されている可哀そうなミソッカスなんです。

Dscn3797 赤城山を北西から見ています ~真ん中の鈴ヶ岳の右に並んでいるのがご紹介する山です。
これらの山の界隈は山荘のご近所になるので、私は何かにつけて徘徊しているのですが、ブログに載せるのは多分これが初めてです。
お目にかけるようなものは何もないのですが、一度くらいはお目こぼしのほどを・・・。

Static 今日(11月28日)の軌跡です。

Dscn3756 今日歩くエリアは群馬県下では唯一の「ヒメギフチョウ」(愛称・赤城姫)の生息地です。
地元ではこの貴重な群馬県指定天然記念物を保護するためにいろいろな策を講じています。

Photo 私もシーズンに一頭だけその飛翔の姿を見ましたが、確かにギフチョウに比べてずいぶん小ぶりでした。
食菜もギフチョウがカンアオイなのに対し、ウスバサイシンだそうです。

さて、今日(11月28日)の歩きには一つの目的がありました。
私がここらを適当に歩くとき、たいてい最初に歩き始める道~もう使われていない古い作業道~が潅木に覆われ始めているのです。
このまま彼らの跋扈(ばっこ)を許しておけば早晩この道型は消失してしまうでしょう。
それを防ぐために剪定鋏を持参して、枝を払いながら進みます。
歩きははかどりませんが、時間を気にする必要は全くありません。

Dscn3582 入り乱れる古い作業道跡を適当に選んで私が勝手に「コモロ峠」(コフタ山とモロコシ山の鞍部なので・・・)と名づけている、尾根の乗越し(のっこし)に上がります。
ここから東のコフタ山を急な登り下りで往復。
コブタ、子双、児双などの字が与えられているのですが、由来も、どれが正しい名前なのかも分かりません。
おそらく答えは誰にも分からないものでしょう。

Dscn3751 どこにでもある冬枯れの尾根です。

Dscn3755 梢の隙間からコフタ山を振り返ります。
実に端正な三角錐なのですが、いかんせん藪山です。

Dscn3754 これから向かうモロコシ山。

Dscn3757 私の郷里ではトウモロコシを単にモロコシと言っていました。
関連があるのでしょうか?

Dscn3759 最後の矢筈山の山頂がそこです。

Dscn3760 この山頂は広い小広い平地で、なかなか雰囲気のよい場所です。
厚い落ち葉を褥(しとね)にしてしばらく横になり、あとは下るだけ。

ところで幸いなことに、5月に傷めた右膝の回復が遅れていて、慢性化することが気がかりでしたが、ここ一ヶ月ほど、その痛みに気付かないくらい症状が軽くなっています。
10年前に発症したときは一ヶ月で回復したのに比べてずいぶん長くかかってしまいました。
回復の遅れは加齢のせいなのか、他に理由があるのか、いつまた再発するのか分からないことばかりですが、とりあえずのこととしてひと安堵しています。

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