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2014年11月

牛奥ノ雁ヶ腹摺山 ~日本一長い名前の山

2014年11月28日

大菩薩嶺からほぼ真南に長い山稜が延びている。
その途中にある
小金沢山2014mや牛奥ノ雁ヶ腹摺山のあたりには長いこと足を踏み入れていない。
アプローチの悪さが決定的であった。
それが何年か前から甲斐大和~上日川峠間にバスが季節運行されてアクセスが良くなり、折を見てセンチメンタル・ジャーニーすることを考えていたが、機熟して23日にGO-。

Static 歩いたルート ~G(ゴール)直前でまたまた電池切れを起こしてしまい、ログが尻切れになってしまった。
電池の消耗が早のは気温が低いせいか・・・。

Dscn3731 一ヶ月ほど前に歩いたばかりの、小屋平BSから石丸峠への道でこれから向かう小金沢山を見る。
石丸峠までは人影が多い。

Dscn3735 峠からは多くは北の大菩薩峠へ向かうが、南下して小金沢山方向へ足を踏み入れるハイカーもチラホラ。
北向き斜面には最近降った雪が消え残っていて、ぬかるんでいる

Dscn3736 大菩薩嶺を振り返る。

Dscn3740 名前こそ「狼平」などと物騒だが、明るい笹原で牧歌的な雰囲気が横溢している。
今日の行程で一番素敵な場所になる。
ここでいつものように、ただ腹を充たすだけの貧しい昼食。
視線の先には南アルプスが並んでいるが、もやっぽくて不透明。
カメラを向ける気がわかない。

Dscn3743 暗い針葉樹林の中で、凍結で滑る足元に用心しながら登り着いた小金沢山。
今気づいたのだが、西暦年と同じ標高の山だったのである。

Dscn3744 南東近くの雁ヶ腹摺山(右)と大樺ノ頭。

Dscn3745 

Dscn3746 牛奥ノ雁ヶ腹摺山 ~日本一長たらしい名前だそうだ。
何であれ一番なら立派なもんだ・・・

Dscn3748 南に近いのが黒岳 ~今はあそこを越えていくパワーはない。

Dscn3747 ここから西の「すずらん昆虫館」に向けてくだるのだが、内心不安があった。
地理院地形図はもちろん、登山地図の定番・昭文社の「山と高原地図」にも途中から道が無い、ことになっている。
ネットでは「分かりやすい」と書かれているし、途中で反対方向から来た人に聞いても「分かりますよ」と答えてくれていたので、案ずることはない、とは思っていたが・・・
山頂の標識は「下山道」と書かれているだけで、具体的にどの地点に着くのか不明で心もとない。
実際に下ってみると、笹の間の道は明瞭で、ピンクテープも間断なく着いている。
それが突然様子が変わった。
舗装林道を横切ってから下降を続けていたら、テープが横に張ってあり、明らかに通せんぼである。
T字路状だが道型が濃い右へ曲がると、ほどなく林道終点に出た。
広い舗装道でとても登山道には見えず、戸惑っていたら右下にピンクテープ2本が山道に誘うように着いていた。
こっちに違いない・・・そう判断して下っていくと、大きな堰堤がある荒れた沢に降り着いた。

ここで道は途絶えている・・・ドッチを見ても???
戻って林道を進むと粗末な板切れに、今来た方向を示すように「登山道」と書いてある。

スマホのGPSを確認すると正しいルートに乗っていることが確認できたが、その瞬間にスマホは事切れてしまった。
その後も分かりにくい表示で戸惑いは続いたが、要するにこのルートの表示は「登る人のため」にできていて、下降のことはあまり念頭に置いていないのだ。
登りにルートを採った人が「分かりやすい」と口を揃えていたのはそのせいだろう。

Dscn3749 下り着いたバス停には、もったいないような標識が立っている。
バス停のある「すずらん昆虫館」のあたりは谷間なのですでに傾いた陽の光は射さない。
ほどなく日没を迎える。

一人バスを待つ所在ない時間をみたすものは、毎年のことだが、この時期のこの時間帯に覚える寂寥感である。

今日のコースを最初に歩いたあの日から54年経っている。
消費した途方もないない長い時間を思うと寂寥感は募るばかりである。

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吾妻耶山~初雪踏んじゃった!

2014年11月24日

白馬村や小川村など、私も馴染みの深い北信地方が大きな地震に見舞われた。
建物を失った被災者はこの寒空のしたでさぞかし不自由を強いられていることであろう。
東京では体感しなかったが、もし近いところで生じていたら、と3・11の時のさまざまを思い出した。

谷川岳の前衛になる「吾妻耶山」1341mは、渋好みの私は割に気に入っているので主として雪のある時期に何度か登っている。

山名からも想像できるように、この山にも日本武尊が東征の折、「走水海(浦賀水道)」で入水(じゅすい)して荒ぶる海神を鎮めた、弟橘姫を偲んで”あずまはや(ああ、わが妻よ)と悲しんだ古事が伝えられている。
~ヤマトタケルさんは体が幾つあっても足りないほど、日本中のあちらこちらに出没しているのだ。

今回は私の趣味に付き合って貰うような形で、山の会22人で21日に歩いてきた。
山歩きの成否は人の力ではいかんともしがたい天気にかかわっている。
幸いこの日は天候が不安定になりやすい上越国境の山としては、願っても得られない絶好の山日和となり、それだけでもう成功である。

Img_0278 登山口になる「仏岩ポケットパーク」(水上温泉と猿ヶ京温泉の中間)でオイッチ・ニー・サン・シー。

Img_0335 行程の半分くらいのところからは斑雪模様になったきた。
マズイナー・・・”雪は無いから、アイゼンは要りません”と自信?をもって言い切った手前、もし雪のために山頂を断念しなければならなくなったらどうしよう。
参加費を全員に返金しなくてはならないかな・・・
うわべは平静を装いながらも、内心は千々に乱れている。

Img_0356 今日一の難所~足元は木の根、岩角が入り乱れる急斜面で、ただでさえ難儀なのに、中途半端に雪が載っているから、ますますややこしいことになっている。
ところが、わが会の仲間はなんなくここをクリアーしたのである。
傘寿を過ぎたメンバーが4人いるのにもかかわらず・・・。

Img_0372 太陽がささない北面なので、雪もそれなりに深くなる・・・といっても数センチのことだが・・・。
図らずもこの冬最初の雪を踏んだことになった。

Img_0401 1341mの山頂。
樹木が多いが、幸いなことに一番見たい方向が開けている。

Dscn3724 目の前に近いのが谷川連峰。
首都圏のたかだか2千m前後の山で、これだけの雪姿を見られるのは上越の山だからこそである。
正直に告白すれば、雪をまとっていない時期のこの辺りの山には、あまり胸を打たれない。
それがまるで別人のように雄々しく、凛々しく映るのは白い姿に装いを変えているからこそである。

Dscn3726 平ヶ岳 ~奥の深い山なのでなかなかその姿を捉えられないから、この展望は貴重であろう。
谷川、平ヶ岳の他にこの山頂からは苗場山、巻機山、燧ヶ岳、至仏山、上州武尊、日光白根、皇海山、赤城山、浅間山と深田百名山の内11座が展望できるのである。
こちらの位置が低いので、相対的にさほどでない高さの山が立派に見える。

本場仕込みのキムチが振る舞われた昼食が済んで、オープン準備が始まったノルン水上スキー場へ下った。
平日とはいえ、一日中われわれ一行以外の誰も山の中にいなかった。
あまり人口に膾炙(かいしゃ)されない地味目の吾妻耶山であるが、メジャーな山ばかりが山じゃないよ、と立派に自己主張している、と私は思っている。

これからもそんな山に光をあてるような山歩きを続けていきたい。
気力、体力、そしてSome Moneyが枯渇するまでは・・・。

と、私がそんな殊勝な心境にあるにもかかわらず、わがお仲間たちは毎度のことながら、ワイン6本以上、日本酒2本、缶ビール20本などをうわばみのごとく飲み干し、あまつさえ新宿についてからもなお、飲み直しなどをするのである。

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倉掛山 ~広い防火帯を歩く山

2014年11月22日

安倍総理の語る衆院解散の理由(大義)が変わった。
記者会見の時は「消費税増税を先送りすることの是非を問いたい」という訳の分からないものだっただけに悪評で、今は「アベノミクスを続けることの是非を問いたい」とスルリ変えている。
そしてこの説明には必ず「この道しかない」というフレーズをつけ加える。
そのためますます訳が分からなくなってしまった。
「この道しかない」と確信しているのだから、解散などしないで、今の300近い圧倒的な与党勢力を利用して信念を貫けばいいでなないか?
議席が減るリスクが間違いなくある選挙を、700億円もの大金をドブに捨てる愚挙をあえてするのはなぜなんだろう。
この解散、ますますうさん臭い。
安倍さんは本当の狙いを隠している。
700億円を被災や、生活困窮者のために使ったらどんなにか生きた金になることか・・・。

さて、おかげですっかり期ずれを起こしてしまったが16日の「倉掛山」1777m歩きのレポを。
マイナー山なので先ずはその位置から。
大菩薩嶺から北へ進むと、青梅街道が通過する柳沢峠に至り、さらに北上して奥秩父の主稜線に至るその途中に倉掛山はある。

その柳沢峠から100mほど奥多摩方向に下った左に、倉掛山へのアプローチとなる笠取林道の進入路がある。
数年前にハンゼの頭から下りて来たとき通行止めになっていた記憶がある。
ところが昭文社の「山と高原地図」では通行できるとの記載がある。
半信半疑でそのゲートまで行くとやはり通行止め。
諦めて峠に戻り歩いて行くことにした。
再度ゲートを抜けてしばらく林道を登りはじめてフッと閃いたことがあった。
ゲートに戻りバーを動かしてみたら案の定簡単に開けられた。

Dscn3693 通行注意書きの看板。
よく読んでみたら通過可能のヒントが隠されていた。
1、関係者以外の通行は「ご遠慮ください」とある。
  それなら「遠慮」しなければ通行してもよい、と読める。
2、として「特別な事情がある場合は良い」とある。
  私には「高齢なのでできるだけ楽をして山に登りたい」という、切実にして、特別な事情がある。

以上、2つの理由で私はここを通り抜けることとした。
再び峠に戻り車をゲートを開けて通過させた。
~帰路にはこのゲートを私と同様に抜けた車を10台ほどみた。

ゲートから4kmほどで林道終点の広場についた。
そこは一面に伐採された広い平地で、飛んだ山奥なのにたくさんの太陽光発電のパネルが並べられいるという、異様な光景を見せていた。
~あとで分かったことだが、ここはかつてのバブル期にレジャー目的の開発がなされ、お定まりの失敗に終わり、おまけにその後の火災で廃墟に化してしまった、その跡地なのである。
噂話のレベルでは、オドロオドロしい話も伝播されていて、心霊スポットにもなっている。
そうした予備知識なしでここに立ってみても、何やら普通ではない雰囲気を感じた。

Dscn3695 登山口を明示するものはなく、適当にこんな幅広い防火帯を適当に登っていく。

Dscn3700 振り返ると黒川鶏冠山(左)と大菩薩嶺

Dscn3704 毎度のお方の登場で、芸のなさにいささか気が引けるのですが・・・

Dscn3703 相変わらずの防火帯の山道・・・かな・・・

Dscn3709_2 奥秩父主脈東端の連嶺

Dscn3710 山頂 ~目立たない山名プレートの上端が切れてしまった。
液晶ファインダーだとこうした失敗をおかしやすい。

Dscn3711 奥秩父主脈中央部の山々。
ここから足を白沢峠まで伸ばし、ネット上で評判の「ダッジ」の朽ちかけた廃車の姿を見ようと思っていたが時間切れになってしまった。
いずれまたチャンスはつくれるだろう。
どうせ時間だけは有り余っている身だから・・・。

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そして誰もいなくなつた~健さんの旅立ち

2014年11月20日

いかにも月並みな反応だが、18日の二つの大きなニュースには見過ごせない。
山歩きの記事は見送りにして、自身のメモランダムとしてこれを書き残しておかないと次に進めない。

始めは冗談だろうと思っていた・・・衆院の解散をするなんて・・・。
安倍さんの解散の理由を聞いていても、今700億円もの大金をかけて選挙をしなければならないことがどうしても腑に落ちなかった。
消費税を2%増税する時期を1年半先送りするので、その是非を問いたい、と云う。
増税が先に延びるならそれに異を唱える国民は殆どいない。
野党も先送りに賛成だ。
皆が同じ意見なのだから、国会で増税先送りの法案を通せばすむ話なので、別に選挙する理由にはならないだろう。

信を問う、ということならむしろ「集団的自衛権行使を容認する」閣議決定の前にこそするべきであったろう。
安倍さんは間違いなく本当のワケを語っていない。
だからこそマスコミなどがいろいろ忖度(そんたく)して、憶測を語っているのであろう。

私はあえて好意的にみれば、これは財務省に対し安倍さんが見舞ったパンチかも知れない、とも思った。
安倍さんでも霞が関の岩盤は容易に付き崩せない。
官庁の中の官庁といわれる財務省が、増税のために手練手管の限りを尽くしているらしいが、これに対する鞘当て、という見立
てである。
だとすればこれは子供じみた私怨の延長のようで、「郵政民営化」一本やりで、参議院で否決されたら、衆議院を解散した小泉純一郎に気味悪いほど似ている。
あの時、ライオン宰相は「郵政民営化が全ての改革の本丸」と絶叫していたが、民営化実現の結果も冴えないが、他の改革なんて何一つ実現していない。
当時の首相と官房長官の関係だったが、似たもの同士の感が拭えない。

まあ、私のお粗末な推測より、巷間伝えられるように、今総選挙をすれば、先に行ってするより歩留まりが良い、という党利・党略と見るのが当たっているのだろうが・・・。

そんな寒々とした永田町の風景より多くの日本人にはるかに強烈な哀しみを与えたニュースが日本中を駆けめぐった。
不器用で寡黙な一人の男の突然の訃報である。

その男「高倉 健」はストイック、抑制的など日本の伝統的な男の美学を見事に体現していた。

三船敏郎、石原裕次郎と大スター亡き今、最後の巨星も遂に光を失った。
そして、存在そのものが人々に勇気や希望や夢などを与えられる、そんなスターが一人もいなくなってしまった。
~『そして誰もいなくなった』 アガサ・クリスティか・・・

Dscn3719_2

この背中だけで、凡百の政治家が空疎な言葉で語ることを超えたメッセージが伝わってくる。

健さんの立ち居振る舞いから伝わってくる「孤高」とか「ストイック」とか「寡黙」とか「シャイー」などは、実は映像上でつくられたものであることは想像に難くはない。
実像はユーモラスでオシャベリ好きだとも伝えられている。
それでも思いやりや、優しさが比類のない人だったことは多くの人から語られている。

私には男女を問わず、特定の贔屓のスターはいなかった。
ただ一人、健さんを除いては・・・

任侠映画の時代の作品はほとんど観ていないが、任侠路線を卒業してからの名作の数々、「八甲田山」「幸せの黄色いハンカチ」「居酒屋兆治」「遥かなる山の呼び声」「駅STASION)」「鉄道員」などなど繰り返し見ている。
黄色いハンカチの、映画史に残るあの名シーンーーたくさんの黄色いハンカチが翩翻(へんぽん)と風に翻っている--は何度観てもウルウルになってしまう。

A
遺作になってしまった「あなたへ」の時にはさすがに風貌から精悍さは消えていたが、チノパンに、目深にキャップを被った定番の体形は変わることなく、健さんの新たな境地が開かれることをうかがわせていた。
・・・・なのに・・・・・

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奥多摩・月夜見山のあたり~風と落ち葉と老婆と

2014年11月15日

奥多摩の御前山と三頭山の間にある「月夜見山」1147mあたりは奥多摩周遊道路の開通でズタズタにされ、見る影もないほどに無残な姿に変わり果てている。
私も長いことその変貌には目を背けて、車で走り抜けるだけだった。
そのために山歩きの空白エリアになっていたものを埋めておきたいのが今日(13日)の目的である。

Static 今日(13日)のトラフィック
実線の終了点のG(ゴール)はバッテリーがご臨終を迎えてしまったために表示されているが、実際にはさらに南下しての本当のゴールがG・藤倉のバス折り返し点である。

Dscn3660 都民の森から歩き始め、森林館のトンネルを潜り鞘口峠へ辿るのが定番だが、今日はその手前で右折して「里の路」なるコースを登った。

Dscn3664 すでに葉を散らした木立の尾根道。
渡る冷たい風は間違いなく冬の空気を運んでくる。

Dscn3666 風張峠辺りから見る飛竜山(左)と三ッ山。

Dscn3667 同じ地点での御前山(左)と大岳山。
この辺りから月夜見山までの間は「奥多摩周遊道路」と離合を繰り返しながら進む。
今日は車の通行量はそれほどの喧騒はないが、山歩きには興ざめを強いられる区間になる。
月夜見山も「名は体を現さない」見本である。
50年前、夜がけで通過して以来になるが、もちろん記憶のかけらも残っていない。

Dscn3677 月夜見第二駐車場から車道から解放され、再び山道歩きに浸れる。

Dscn3678 小河内峠までの緩い尾根歩きは実に気分が良い。
数多い小さな隆起は全て巻いてやり過ごし、その多くは日当たりの良い南面を巻くので、思わず誰はばかることなく悲鳴に近い声を張り上げて歌ってりする。
♪風は友だち 落ち葉は仲間・・・♪ ~チュインガムのデュエットが歌った「風と落葉と旅人」の気分で・・・

ただ侘しいだけの小河内峠を日当たりを求めて南の藤原に向けて下る。
途中にある国指定の文化財「旧小林家」の復元工事の進捗状況を見たいのがこれからの目的。
陣馬尾根を下る途中で屋根が見下ろせたので、怪しげな踏み跡を強引に下ってみたが、どうも2月に見た小林家の様子と違う。
家の前に回ると最奥の一軒家「田倉家」だった。
実はこの旧家も
玉木英幸さんの著書『檜原村から』を読んで以来、訪ねたい家だったので図らずも実現したことになった。
ネットでこの家の上品な夫人に小河内峠への道を尋ねた、という記事を見たが、今日は留守のようである。

Dscn3687 そこから10分ほどの国指定重要文化財・小林家の保存工事の現場では、2月段階から大分進捗し、素人目には外観はほぼ完成しているように見えた。
現場の人に聞くと”まだ外構工事などが残っているので、公開になるのは来年の5月らしい”という返事であった。
ついでに藤倉へ下る未知の道を確認した。
帰って来た言葉の中に、途中おばあさんが一人で住んでいる家の庭先を通る、という説明があった。
そこからの下り道の傾斜の急なことは類を見ないものだった。
幅1m位の簡易舗装道だが油断していると転げ落ちてしまいそうである。
その途中で道から20mほど入ったところに座っている老婆の後ろ姿を見た。
さきほど聞いたお婆さんに違いない。
あんなところで一体何をしているんだろうか?
くれなずんできた晩秋の山村風景を眺めながら来し方行く末を思っているなんてことは考えられない。
その背へ声を掛けようとしたが何となくはばかられた。
少し下るとその家があった。

Dscn3690_2

建物の周囲をガラクタとしか見えないあれこれが埋め尽くしている。
軒下には数えきれないほどの干し柿。
さらに下ると下の方からガアガアという音が次第に近づいてきた。
通り過ぎるのを見るとモノレールだった。
~檜原村では2003年「福祉モノレール」を5系統敷設した。これまで軌道は見ていたが、実際に動いているのを目撃したのはこれが初めてである。

Dscn3691
あの老婆はこれが来るのを待っていたのだろう。
~見たところ荷物らしいものは載っていなかったようだが・・・
それともこれに乗って何かの用足しに下るのだろうか?

それからいうものはあの孤独な後ろ姿が頭から離れなくなった。
こんな不便としか見えない山の奥で、老いた身で一人で暮らす、その日々とはどんなものなのか・・・。
普通に考えれば楽しいとか、楽だとかとは無縁の状況しか思い浮かばない。
それとも、想像力に欠けた私の思い過ごしで、実はそれなりに満ち足りた日々を過ごしているのか。
藤原のバス折り返し場まで歩く私はその思念にとりつかれていた。

私は自分がやっていることを「登山」というのも「山旅」というのもシックリこなくて「山歩き」と称しているが、今日は「山旅」と言いたい気がするのは、孤独感を漂わせていた老婆の後姿のせいだった。
これからも檜原村を巡る山旅を続け、ゆっくりと人の気配を消していくであろうこの村の消長を見届ける山旅を続けてみたいという思いを強くしている。

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銀座NAGANOオープン

2014年11月12日

数え上げたことはないが、登山、スキー、観光、旅行、撮影などいろいろな目的ででかけた先は間違いなく長野県が一番多いはずです。
それだけ長野県の風光は私にたくさんの恵みをもたらしてくれた、ということになります。

その観光・長野の偉大なる広報マンとしてブログ上で長野PRを展開している「岳」さんのブログで、長野県の広報拠点「銀座NAGANO」が10月26日にオープンしたことを知りました。
長野県ファンを自認する者として、勝手に岳さんのお先棒を担いで長野県のPRに一役買ってでるつもりで覗いてきました。

東京での長野県の観光宣伝の拠点としては古くは、八重洲口の観光会館の中に、その後には有楽町の交通会館にあったと記憶していますが、規模が小さく、従って情報量が少なく、利用価値は必ずしも高かったとは思えませんでした。

そこへいくと銀座ならプレステージが高く集客効果、PR効果には大いに期待できるでしょう。

Img149

場所は銀座・中央通りから西へ一本入って並行する「すずらん通り」だから4丁目交差点の範囲内、といってもよいくらいのロケーションです。

Dscn3652 ファサード
中へ入ると、オープンから日が浅いということもあるかもしれませんが、なかなかの入れ込みで、活気が感じられました。

Dscn3656 1階は物販で、先ずシナノゴールドなどの林檎が迎え入れます。
奥には長野県の日本酒、ワインなどが並べてあります。

またスタンド式の食事コーナーがあります。
本日はおやきとサーモンのプレートの組み合わせで700円でした

Dscn3653 1階売り場の奥

Dscn3654 2階への階段から1階エントランスを見下ろす。

Dscn3655 2階はイベントスペースで今日はおやきの試食会。
4種類の具で試作したもの試食できました。
半分のサイズですから2個食べたことになり、これだけでおやきは十分で、プレートランチはパスとなりました。

パンフレットコーナーがあり、県下の行政単位でのパンフが置いてあります。
長野県は広いですから、行政の数も多く、従ってパンフの種類も多くほとんど全部を集めたら相当の重量になりました。

4階では長野への移住や就職に関する相談コーナーが設けられているそうです。
ということで、全体的な印象はとてもよく、ロケーションの良さとの相乗効果できっとアンテナショップとしての目的は十二分に達成できるものと思いました。

Dscn3657 隣のハゲ天~勤め人時代、年に数回程度は昼食をした店なので、空腹ではなかったのですが懐かしさでつい寄ってしまいました。

Dscn3659 4丁目の交差点に立ったら日産ショールームのビルを解体していました。
建て替えですね。
やがて、銀座の顔にふさわしいハイセンスな建物が出現するのでしょうね。

和光ビルに象徴されるように、銀座は伝統を堅守しながらも、休むことなく脱皮を続けるもう一つの貌をもっていますね。

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残馬(間)山 ~落ち葉のかそけきトレースを拾って

2014年11月10日

本題の前に、いつもながらの無関係な前振りを一つ・・・。
遺される者にできるだけ面倒をかけないための用意の一つが書物の始末。
これ以上増やさないことはもちろんだが、絶対量の減量をしなければならない。
これまで廃棄したり図書館に置いてきたりしているが、その程度では焼け石に水。
これからは不本意ではあるがいよいよ「売る」ことに舵を切る段階に至っている。
そこで手始めにBook Offにイングリッシュガーデン関係の10数冊を持ち込んでみた。
それぞれ安くはない書物であるが、買取り価格はワンコインに届かないという衝撃的なものであった。
これまでも古本の買取り価格が”その程度なら人に上げたほうがまし”と思うような経験はしているが、慣れることが難しい。
ただ、これでBook Offのビジネスモデルの一端がうかがえたような気がした。

買取の窓口はとても古書についての目利きがあるとは思えない、アルバイト風の店員である。
なので、かねてから恐らく機械的な判定をしているだろうとの推測はしていた。
今日の結果では、本固有の価値は全く無視して、定価の2%位を買取価格にしているように思えた。
B・Oの場合、当初定価の半額くらいで棚に出ているが、ある期間売れ残っていると100円均一の棚に移動するようである。
前述の推定が当たっているならば100円均一になっても粗利益は出る、というのが古書の流通に革命をもたらしたBOの商法なのだと思われる。

イントロが長くなってしまったが山の話に移ろう。
皇海山を源流とする渡良瀬川は、源流域の右岸(西側)には庚申山、袈裟丸山、赤城山など一国一城を張る知名度の高い山が蝟集している。
ところが左岸(東側)にいたっては千m前後の山々の塊があるが、
鳴神山とか根本山などそれなりの知名度を持つ山は別にして、おおかたは馴染みのない山である。
今の時期はただでさえ薄い踏み跡を覆う落ち葉の音を聞きながら一段と渋味が募る山歩きとなるが、今日(7日)歩いた
残馬山1107mもそんな山の一つである

登山口までは、わたらせ渓谷鉄道「神戸」駅から柱戸林道を走ったが、帰路に走ったサンレイク草木近くから入る三境林道の方が路面状態がはるかに良好であった。

Dscn3635 みどり市と桐生市の境になる三境トンネル西口の駐車地点から荒れた涸沢の取り付きを25分ほど登り尾根に乗る。

Dscn3635_2 南へ残馬山までの1時間ほどの尾根は、小さなアップ&ダウンを繰り返しながら少しづつ高度を上げていく。
途中には数ヶ所こんな露岩の通過があるが、危険は皆無。

Dscn3640 振り返ると北に端正な三境山が近い。

Dscn3641 西北方向には袈裟丸連峰。

Dscn3636 葉が散り、強い季節風が吹き渡り、うら寂しい残間山の山頂。

Dscn3638 標識もこの山らしく慎ましやかなもの。

Dscn3637 辛うじて判読できる「座間峠」~西へ向かうとこの峠に至り、南下すれば鳴神山方面、北へ向かえば草木ダムへ。
このルートはその時期ならアカヤシオのトンネルになるらしいから、半年待てば楽しめるであろう。

Dscn3648 下山して、帰路は草木ダム東の「サンレイク草木」に出る「三境林道」にとった。
朝走った「柱木林道」に比べると路面は良く、幅員もタップリあり、林道らしからぬ快適走行ができる。
その林道途中で残間山を見る。

Dscn3651 草木ダムへでて「童謡ふるさと館」に立ち寄り。
「兎と亀」や「浦島太郎」などの童謡作詞家の石原和三郎の足跡を伝える小さな記念館である。

今日はいささかインパクトに欠ける山歩きになったが、アカヤシオの時期に再訪する心づもりは固めた。

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嘗めたらあかん! ~「ミホガハラ」でのルートミス

2014年11月5日

わが草庵のもみじ風景2点を先ず・・・

Dscn3588         Dscn3590
この秋は近年になく色づきがよく、これくらいの出来栄えならどこかに紅葉狩りに出かける必要もなさそうな気がするが・・・

さて、それでなくてもマイナーな山域・西上州のなかでもとびっきりマイナーな山「ミホガハラ」1160m
意味は全く不明だが、なにがなしにそそられる山名であり、以前から一度訪ねてみることは決めていた。
さすがに三省堂の『日本山名事典』に載ってはいるが、地理院地形図は完全無視、昭文社登山地図では山名はあるが登山道なし、という扱いである。
確かに「ノコギリ岩」の上端部の岩と藪の頂稜で、山らしい姿はしていない。

Dscn3601 一時、足繁く通っていた西上州路は気がつけばだいぶ間が開いてしまっている。
そのためか今日(11月4日)は何げなしに懐かしい気分がする下仁田入口から見える山々。

Dscn3602 群馬の辺境(こんな言い方、ゴメンナサイ)南牧村のそのまた最奥の熊倉集落の外れから見る碧岩と大岩。

Dscn3613 佐久へ通じる大上峠道から見るトンガリ三兄弟。

Dscn3615 ノコギリ岩とその上端のミホガハラ。

Dscn3616 林道・大上線の切通しにある取り付き口。
往復1時間たらずの超ショートコースなので楽勝間違いなし。
サッサと片付けて、昼飯は南牧の「井上うどん」の鍋焼きにしよう。
ということでカメラだけ持って山頂へ向かう。
私は左の擁壁の向こう外れから取り付いたが、後で分かったことだが、手前に作業道があった。
登山道は無く、山頂を目がけてひたすら急斜面を攀じ登る。
手がかりにしたい笹が全て枯れていて、頼りにならない。
そんなことも短時間で済んで、稜線の一番高いところになる、一応の山頂に着いた。

Dscn3626 マイナー山の至るところでお見受けする山名プレート。

Dscn3617 私のお気に入りの展望 ~これまでとは幾らか角度が変わっているので、嬉しい眺めである。

Dscn3620 タカノス岩、碧岩、大岩、二子岩など、西上州を象徴する岩峰群。

Dscn3621 分かりにくいが稜線の南側はノコギリ岩の絶壁。
ヤセ尾根というほどではないが、辿っていて腿のあたりがスウスウしていい気分のものではない。
いい加減のところでUターンし下山にかかった。

ここでまたしてもとんでもない間違いを冒してしまった。
山頂から西と北にかけてほぼ90度でノッペリした急な斜面が開いている。
後で気付くのだが、私はこの斜面の西(左)の端を下降すべきなのに、不用意に北に向けて下り始めてしまったのである。
原因は尾根の地形が未だ形成されていない山頂斜面であったこと、急な下降で滑落をしないよう目線を下にばかり向けていて周囲への観察ができていなかったこと、などあるが、何より「登ったところを下るだけ」という油断があった。
下り始めて暫くすると、右に尾根の形状がハッキリしてきた。
そうか、するとルートを少し左に外してしまったな、と自分では判断していた。

なので、左に沢があり、その向こうに尾根があることに”おかしいな”という疑問が直ちに湧いてこなかった。
正しく西に下降していれば自分の左に沢と尾根がある、なんてことは絶対にないことなのに、そのことを明確に意識しなかった。
改めて太陽の位置を確かめると自分の真後ろにある。
太陽を背にしている、ということは北に向かって下っている、ということにほかならない。
90度方角が違っている、ということに気付いたのはもう下降を開始して40分も経ってからである。
涸れた沢に下りついて自分の位置を確かめようとしたが、スマホも地形図も車に置いてきてしまっている。
遅まきながら頭の中だけのジャイロで進行方向の修正を図ることとして、左(西)に向けて森林帯を突き抜けることにした。
この方向に行けば必ず林道に突き当たるはずだ・・・
そうして尾根を一つ乗り越し、二つ目の尾根の背に乗り上げた。
そのとき、目の下に幾つもの点在する建物の屋根が目に入った。

見慣れたアングルとは違うので、咄嗟には分からなかったが、一拍おいて理解した。
”そうだ、ここは南牧村の自然休養林だ!”

A_2 南牧自然休養林 ~屋根を見下ろした瞬間の写真を撮り忘れてしまったため借用したものです。

ここでようやく自分の位置が判明したものの、これは全く予想していなかった展開だった。
ただ、何の根拠もなく、ヤマカンだけで方向の修正を図った結果が最良のものであったことは「悪運、未だ尽きず」というべきか。
林道を30分登り車に戻った。

Dscn3630_2 林道から見上げるミホガハラ。
山頂から右へ下がる尾根を下降すべきであったのだが、左へ下がる尾根を下ってしまった。

繰り返しになるが、このチョンボは油断、甘く見たなど、冒してはならないセオリー違反が重層した結果である。

これまで何回こんなことを繰り返してきていることか・・・

泣きっ面に蜂~腹ごしらえをしようとしていた「井上うどん」は本日休業。
そうか、三連休の稼ぎ時でさぞかし忙しい思いをして、その骨休みだろう。
それなら「なんもく道の駅」で味噌おでんでも食べて帰ることとしよう。
山遊びさせていただいたささやかなお礼に、南牧村に「貧者の一灯」を落として帰りたいのである。
・・・などと、気取った割にはシワイ散財である。

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