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2014年10月

赤城・荒山 ~消えた登山道を探しに

2014年10月31日

この秋の紅葉は早い、というのは秋口から聞こえていたが、例年なら11月上旬に色づく山荘のモミジが既に盛りを過ぎていることから改めて実感した。

Dscn3584       Dscn3587
さて、加齢ということは、年齢は重なっていくが、反比例して何かが少しずつこぼれ落ちていくことである。
探究心も例外ではない。
年毎に薄れていく探究心の残りをかき集めて、赤城・荒山の一角にかってあり、今は消えた登山道を探しに向かったのが28日のこと。

赤城山群の中で不等辺三角形ながら一番山容が整っている「荒山」1572M。
その荒山の山頂から北へ、地蔵岳に向かって急下降する登山道は、途中に崩壊が起こり危険だということで長いこと立ち入り禁止になっている。

情報の更新をしない国土地理院の地形図には依然として登山道が描かれているが、アップデートを怠らない昭文社の登山地図からは消えている。
これまで何度か頂上から下方の様子を窺ってみたことがあるが、もちろんその程度では全体の状況は分からない。

先日、荒山から東北の登山口になる軽井沢峠に戻る時、倒壊し笹原の中に隠れていた二つの古びた表示板を見つけた。
一つは「関係者以外の立ち入り禁止」
もう一つは登山道を表したもので、立ち入り禁止方向は×印で描かれている。
”そうか、これがかつての荒山への登山口なんだな、キット!”
見上げる尾根への斜面は一面の笹に覆われていて、道型は埋もれているが、笹は丈の低いミヤコザサなので、ここを歩くのには造作はいるまい。
これで手がかりが掴めたので次の機会にはここを探ってみることにそのとき決めた。

Dscn3565 28日、軽井沢峠の登山口にいつものように駐車。

Dscn3566 登山口から見る荒山の北面~山頂から急角度で尾根が落ちている。それを登るのが今日の目的。

Dscn3577 笹の中に埋もれていた標識を立てかけた。
ここが幻の山道の入口に違いあるまい。
関係者以外の立ち入り禁止、とある。
「関係者」って誰のことなのか?
”オレはこれから山に登る者だから「関係者」に当たるだろう?ウン、そうに違いない”
そんなごく常識的?な解釈をして、この笹の斜面に踏み込むこととした

Dscn3568
見た目には足跡は見えないが、実際に踏み込んでみると、かつての踏み跡は感触で分かる。

Dscn3569 再び荒山

Dscn3570 荒山と地蔵岳の中間にある前浅間山(荒山は浅間山の別称がある)に登りつく。
何かの看板があったのだろう。
今は錆びた支柱だけが残り、それに文字の消えかかった「前浅間山」と書いた板がついている。
そして意外にもまだ十分に現役を張れる道標が健在振りを見せていた。

ここから荒山までの稜線では、昨日の寒気の吹きだしによる強風が、轟々と梢を鳴らしている。
ほとんど冬支度をしているがそれでも寒い。

Dscn3571 もうすっかり冬枯れの尾根。

Dscn3572
さて、立ち入り禁止の理由となっている「崩壊地」はいつ現れるのか?
緊張感をもって山頂圏の急斜面にとりつく。
遠目の通りの急傾斜で、時に四つん這い状態になるが、この程度ならどこの山にでもあることで、特別に注意を要することもない。
そうこうしている間に、見慣れている山頂北側の石祠が目の前に現れた。
”エーッ、もうこれで終わり?”
間違いなくそれで終わりだったのだ。
危険箇所など全くなくて、意気込んでいたのに、拍子抜けするくらいいともアッサリと通いなれている頂上に着いた。

Dscn3573

長い年月が経過して、崩壊箇所が自然に復元したのだろうか。
その仔細はともかくとして、既に「立入禁止」にする理由は存在しないと思われる。

Dscn3576 立ち入り禁止のロープ。
看板もあるが文字はすっかり消えている。

行政は何もしないでこのままのほったらかしが続くだろう。
しかし、おそらく自然発生的に、問題なく登れる、という情報が次第に広まり、やがて消えた山道が再び姿を現すだろう。
何故なら、荒山には今日のコースが一番短時間で登れ、かつ登山としての面白味も一番だから・・・。

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牛ノ寝通り ~歩いてつなぐ大菩薩から高尾山

2014年10月26日

青梅街道の柳沢峠から南下して大菩薩峠を通過し、石丸峠から東に向きを変えて松姫峠で車道を横断し、奈良倉山を越えて再び鶴峠で車道を横断。
さらに東へ進んで三頭山で東南に首を振り長い笹尾根を歩いて陣馬山から高尾山にまで一本の長い山道がつながっている。
私はこのルートはすでに踏破しているが、私たちの会でも何年か掛けてつなぐことはテーマにある。

今日(24日)歩く「牛ノ寝通り」は大菩薩に隣接して、このルートの一部を形成している。
これと言ってとりたてた特徴がなく、牛のよだれのようにダラダラ長く続く尾根歩きになる。
メリハリのないこうした山歩きは性に合わない、というハイカーはもちろんいるが、私は決して嫌いではない。

Dscn3530 登山口の「小屋平」でバスを降り、急坂を一登りすると視界が開け、最初に姿を現すのはやはりこれ!

Dscn3533 次に西の空に浮かんでくるのが北岳など南アのジャイアントたち。
3千mを抜いている山だけがいくらか白くなっている。

Dscn3535 行く手には狼平の爽快な草原がひらけている。
あそこにもずいぶん長いことご無沙汰だなー

Dscn3538 南アを背にして爽快な笹原をいく。

Dscn3540 今日の行程で一番高い「石丸峠」はすぐそこ。
そこまでの標高差400mをクリアすれば、後は長いが下りばかりの行程が待っている。

Dscn3542 石丸峠を東へ乗り越すと深い樹林帯になる。
急降下をしていくと、最前、石丸峠で遭遇した撮影隊がカメラを回しながら登ってきた。
全くのヤマカンで”NHKですか?”と聞くと”そうです”と。
来年2月に放映する番組のロケ隊だった。

Dscn3546 北には「雲取山」などが見えている。

Imgp4693 ほぼ中間の「榧ノ尾山」にて一行17名

Dscn3548 この尾根はブナやミズナラが多く、したがって紅葉は渋いが、時には鮮やかな紅が・・・
標高1500m前後のこの辺りがが今紅葉の最盛期である。

Dscn3549 長い行程の最後になる「鶴寝山」

Dscn3551 ゴールの「松姫峠」では待ち疲れたかのように既にバスが待機していた。

今日一日、平日とはいえ、山中で会ったのはNHKのロケ班の一行だけであった。
瞑想が許される長い平坦な尾根歩き・・・
ほんとうは一人歩きが似つかわしいのだが、元気者のメンバー揃いだからどこを歩いても、足を上回る達者な口が動きを止めることはない。
これからいつもの車内宴会が始まる。
ハイオクを給油すれば達者な口の動きが一層滑らかになるだけ。
・・・ボクはどうしよう・・・・・・

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黒金山 ~今や「クローガネー山」です

2014年10月19日

人気者・乾徳山の北にある黒金山2232mは、かつては山麓の集落・徳和から4時間で乾徳山に至り、さらに3時間歩いてようやく到達できる遥かな山であった。
私も20歳代で一度歩いているが、昨今の調子では逆立ちしても足の届かない遠い彼方の頂になっている。
ところが、私がいつもオモロイ山発見の貴重な情報源としてお訪ねしている
「ロッジ山旅」の掲示板でとんでもない情報に出くわした。
それによると、今や乾徳山登山の表口と化した大平牧場(閉鎖)への林道が更に奥まで延伸し、それを利用すると何と黒金山に2時間ほどで登れる、という目を疑いたくなるような情報である。
名は体を表さずに「苦労がネー」山(われながら、鳥肌が立つようなオジンギャグ・・・)に変身したらしい。
と、思いもよらない朗報にとるものとりあえず馳せ参じたのが17日のこと。

Dscn3498 初狩PAでのリニア実験線上の初冠雪した富士~ありふれたものですが今シーズンの初ものなので・・・。

Dscn3501 山麓から見る今日のターゲット

Dscn3506 広い登山口駐車場には先着一台だけ。

Dscn3507 今年の紅葉は不作かと思ってるが、ようやく秋の山らしい風情に出あえた。

Dscn3508 明るい雑木林の間を縫って、一筋の山道は緩やかに登っていく。

Dscn3509 あー、秋ですなー。
♪今はもう秋 誰もいない山・・・♪とは、トワ・エ・モアは歌っていない。

Dscn3510 いいなーこういう牧歌的な雰囲気・・・などと一人悦に入る。

Dscn3513 目指す黒金山(左)と南側を巻いてしまう牛首。
その間の鞍部(牛首のタル)へ向かう。

Dscn3516 心地よい笹原の「牛首のタル(タルミ=鞍部の意)」から乾徳山とその向こうの不鮮明な富士。

牛首のタルから重くなった足取りで山頂近くまで登ると、高齢のご夫妻が下山してきた。
今日、山中でお会いしたのはこのお二人だけ。
駐車場に先着していた車のオーナーであろう。

Dscn3517 山頂 ~南側は黒木の密生。
北側は・・・対照的な大展望台 ~完璧に忘れていたが、記録を読み返したら57年前、この展望に感激していたのだ。

Dscn3520 山頂の北側は岩海で視野を遮るものがなく、奥秩父の主脈の連なりが一望できる。
ただし、主役の金峰山は辛うじて五丈石が覗いているだけ。

Dscn3519 西空には南アルプスのスターが顔見世。

クローガネェー山に変身したとはいえ、標高差700m強は今の私には決して楽にクリアできる壁ではない。
それでも登れたことで、このところ慢性化している右膝の痛みを気にしながらの戻り道でも、心の浮揚感があった。

駐車場に戻ると、山頂下で交叉したご夫妻が帰路に着く準備をしていて”早いですね”と声を掛けられた。
確かに、一人歩きでの下山はセッセと歩くので、ついつい早くなる傾向が顕著である。

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鋸山 ~予想を超えるいい山だった

2014年10月16

鋸のつく山は各所にあるが、ここに取り上げる「鋸山」1998mは、深田百名山の一つ、渡良瀬川源流の山・皇海山(スカイサン)の南に位置し、かつ東に人気の庚申山も控えているため、やや存在感が薄い。
ところがドッコイ、登ってみたらこれがなかなかの優れものであった。
登路は変化に富み、展望も皇海山をはるかに凌駕していて、私としてはこれを挟む二つの山より高い評価を与えたい良い山であった。
深田久弥が、登山者にあまり評判の良くない皇海山より、なぜ鋸を選ばなかったのか聞いてみたい気がする。
深田は名山の選定基準の一つに「山格」を挙げているが、離れた位置から見る皇海山の存在感は、確かに目立たない鋸に勝っているから、客観的には深田の選択の妥当性はあるが・・・。

私は10年前に皇海山に登り、その時次は鋸を、と狙い定めていたのに長い歳月が流れてしまったのには理由がある。
それは追貝(老神温泉)から登山口の「皇海橋」へ至る車道が、誰しもが2度と走りたくない、と思う名高い
悪路であることである。
この道はそれゆえにしばしば通行止めとなり、今を迎えている。
ところ
が最近、渓流釣りが趣味の隣人から岩魚のお裾分けにあずかり、その時皇海橋まで南の根利集落から林道が通じ、しかも路面状態は悪くない、という情報を得たことで忘れていた「鋸山」が急浮上してきた。

即、行くべし!
こうして12日(日)朝、山荘を出る時はうっとうしい曇天だった。

Dscn3470 栗原川根利林道から見る皇海山(左)と鋸山
この林道の未舗装部分は約20kmあり、時速20km位でしか走れないから一時間かかり、長いなという感は否めなかった。
しかし、路面状態は聞いていた通りで、ダートとしては天国的とも言えるくらい良好だった。
下回りをガツン、ガツンとやられ、肝を冷やすようなことは一度もなかった。

Dscn3471 皇海橋登山口
さすが深田百名山 ~橋の両側にある駐車スペースは満車状態。
ここから不動沢沿いの登山道は、前半は歩きやすいが、後半は相変わらずの悪路で、10年前と変わらない。

Dscn3472 不動沢のコル~ここまで10年前は1:35。本日は1:40だから5分だけ加齢したということか・・・
不動沢のコルから見る鋸山12峰の
一部。
ボサッポイがどこか槍を思わせる。
槍の穂先の高さ(肩の小屋との比高)が120mで、鋸は直下の鞍部との比高が123m。
ほぼ同じなんだな・・・

皇海山を背にして鋸へ向かい高度を上げると次第に視界が開けてくる。

Dscn3475 どう見たって「槍」だよね・・・

Dscn3488 山頂直下のスラブ状の露岩

Dscn3478 上州武尊山~3日前にはあの一角にいたのだ。

Dscn3479 尖峰の先端は宙に浮かび、展望はすこぶる開闊(かいかつ)

Dscn3480 皇海山~奥白根~日光太郎~大真名子~男体山

Dscn3482 雲海に浮かぶ子持山

冴えわたる秋空の下にこの辺り随一と言える展望がほしいままにできた。
心残りは秋酣というのに道中の紅葉には見るべきものがなかったこと。
もっともこの秋はどうしたわけか、息を飲むほどの紅葉に出あえていない。

全く脈絡なく映画「ふしぎな岬の物語」の一くさりを・・・

Img147 周知のとおり、自らも制作に携わった吉永 小百合さんが、モントリオール世界映画祭の審査員特別賞受賞でホロリと真珠の涙を流した作品。
小さな幸せの積木が崩されていっても、希望の明日に架かる虹を見出す物語。
私としては、涙にくれる、ということはなかったが、観ている間は心の灯はともっていた。

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上州武尊・川場剣ヶ峰をトレース

2014年10月12日

上州武尊(じょうしゅうほたか)山には二つの剣ヶ峰がある。
ここに登場するのは東のそれで、川場尾根に連なる途中にあるので
「川場剣ヶ峰」とも呼ばれる。
頂稜の東側が大崩落したため長いこと立ち入り禁止措置がとられていて、登山道は東側を巻いている。
崩落以前には登山道が通っていたという剣ヶ峰の稜線が現在どんな状態にあるのかには、かねて関心があった。
この機会(9日)にそれを実現することとした。

8日、東京からの山仲間を迎えて軽く赤城山のショートコースを歩いて、その日はオグナほたかスキー場近くのペンションに宿泊。
ここに宿泊するのはオーナーがスキー場の最上部近くまで車で送ってくれるからである。
普通に駐車場から歩くより標高差にして400m以上車に乗ったまま高度を上げられる。
結果として、前武尊2040mまでは標高差にして400mほど登れば済む、というので沖武尊2158mへのアクセスが信じ難いほど楽になる。

A
昨夜の月食も見られず、今日も曇天。
前回も悪天候だったので、今度こその期待を胸にしていたメンバーもいるので、予報の外れには落胆させられる。

Dscn3463
前武尊で沖武尊向かう4人と別れ私は「剣ヶ峰」の探索へ。
ガスに包まれたまま剣ヶ峰の東側の巻き道を進むと、剣ヶ峰岩峰群の鞍部に出る。
鞍部の左(南)にはロープが張り巡らされて、立ち入り禁止は明らか。
右(北)にも岩があり、よく見ると真ん中のクラックに鎖が下がっている。

Dscn3440
手始めにこの岩を登ってみた。
傾斜はきついが足場がしっかりしているので見た目より楽に登れる。

Dscn3439
先へも行けそうだが予備知識がないので戻る。
~この段階では知らなかったのだが、ここが剣ヶ峰岩峰群の北峰の南端のようで、北へ歩いていけるらしい。

そして、やってはいけないことを承知の上で、ロープをくぐり抜けて剣ヶ峰の岩の下に出た。

Dscn3438
昨夜、ペンションのオーナーに聞いたとおり錆びた鎖が下がっていた。

Dscn3441 しっかりしたスタンスがとれるので見た目より楽。

Dscn3442 今しがた登った岩峰を振り返る。

Dscn3444nd 2番目の鎖場となる次の岩峰。

Dscn3446 3ッ目の鎖をクリアすると、そこが剣ヶ峰の山頂2088mらしい。
山名標識はないがかなり広い平な頂である。

Dscn3447 崩壊地の上端に入る。

崩壊地と稜線との境はシャクナゲなどが密生している。
始めはこれを漕いで通過しようとしたが猛烈な抵抗にあう。
試みに崩壊地の最上端に恐る恐る足を踏み入れてみたら、見た目より足元は安定していた。
落下したらひとたまりもないので、万一の場合には石楠花の枝を掴めるようにしながらここを無事にパスした。
稜線南端からはナイフリッジの急な下降になる。

Dscn3449 ナイフリッジの途中で崩壊地を見る。

転げ落ちそうな急な痩せ尾根だが、幸い潅木が生えているので、高度感がなく、怖い思いはない。
枝などに掴まりながら下降できるので、落下の不安も感じないですむ。

リッジの中間あたりから身の丈を超える笹薮の密生に突っ込む。
笹は入り乱れて足にからみつき、身動きがままならない。
これに倒れている潅木が交じって、両者が私をからめとろうとするかのようである。
足元は見えないので、穴に落ちたり笹で滑ったり。
スパッツを着けていないからパンツの裾はめくれて、脛がむき出しになり、擦り傷ができる。
靴の紐が解けているがどうにもならない。
下の登山道はそう離れていないからとにかく重力に頼って下へ下へと・・・。
もし登山道に誰かいたら、姿は見えないのに何か藪の中でガサガサしている・・・”クマだー!”と騒ぎになったに違いない。

こうして15分ほど、久し振りの藪漕ぎをしてようやく登山道に脱出した。

Dscn3456 下降したナイフリッジを黄色のマルで示した。

Dscn3457 青空がひろがり沖武尊(中央奥)が現れた。
4人はは今、どこらあたりにいるだろうか。

Dscn3462 さっき通過した目の前の(川場)剣ヶ峰と左手奥、川場スキー場上の剣ヶ峰。

前武尊に戻り4人の到着を待った。

別に法を冒しているわけではなく、自己責任を自覚しての行為とはいえ、立ち入ることが制限されている場所でのことを、このようにオープンにすることは戒めなければならないのだろうか。
そうは思いながらも、ネット上で記録が見当たらないので、これも一つのデータとしての価値があるのではないかと愚考し、あえて公開することとした。

 

 

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「アンナプルナ南壁」を観る

2014年10月10日

2008年5月、スペインの登山家イナキ・オチョア・オルツアはアンナプルナ8091mの7400m付近で、高山病のため動けなくなった。
同行のホリアが発したSOSに呼応した各国の11人の登山家が救出に向かった。
イナキは生還できなかったが、救出に当たった登山家たちがどのような思いを抱きながらその困難なミッションに立ち向かったのかを、インタビューで構成した映画である。
なので、ヒマラヤの圧倒的な山岳風景はほとんど出てこない。
それを期待すると肩透かしをくうことになる。
この映画はヒマラヤ登山をテーマしたものでなく、人が人を助けることの意味を問いかけ、その答えが実に単純明快なことであることを教えてくれる。

この映画が伝えようとしているメッセージは「(人は)助け合ってこそ生きられる」ということ。
助けが必要なヤツがいたら行く、それだけのことだ!という単純明快なものである。

A_3

A アンナプルナ南壁

登山は自己責任の世界だるという考え方は主流であるし、それはそれなりに正論であろう。
チームを組んだ登山でもヒマラヤの高所登山では「登れる奴は登れ、ダメなのは捨てておいてよい」というような究極の自己責任論もある。
しかし、それが全てであるとしたらならばパーティを組んで登る意義はいったいどこにあるのだろうか?

イナキは命の灯を消してしまうが、この救出チームはその崇高な使命感に支えられた勇気ある行為により「ピオレドール賞」(登山界におけるアカデミー賞のようなもの)を受賞する。
中でも、最初にイナキのところに到達したスイスの登山家ウーリー・ステックの名は初めて知ったが、今一番熱いクライマーという評価を得ているのだそうである。

Asuteltuku
彼はかのアイガー北壁を3時間足らずで駆け上り、2013年にはこのアンナプルナ南壁をソロで登攀している、という桁外れぶり。

救出劇といえば笹本亮平の『その峰の彼方』は先ほど読み終えたばかりだが、当然架空の物語である。
実話で一番身近なのは竹内洋岳が2007年7月ガッシャーブルムⅡ峰で雪崩に巻き込まれ、背骨が折れ、左の肺がつぶれるという瀕死の重傷を負った時にも劇的な救出劇があった。

A

この時、ドイツ、スペイン、スイスなどの6人の救助によってヘリ輸送にまでこぎ着け、奇蹟としか言いような生還を果たす。
命を救い上げて貰った竹内がその後日本人最初の14座登頂を果たしたことは周知の通り。

アンナプルナ南壁 ~ヒマラヤでもっとも危険なルートとされ、死亡率が40%と際立って高くキラーマウンテンとも呼ばれている。
この南壁の登攀に最初に成功したのは、ヒマラヤ鉄の時代の幕開け1970年5月、クリス・ボニントンが率いる隊が初登攀に成功。

しかしアンナプルナとくればやはりこれでしょう!
1950年、モーリス・エルゾーグが率いるフランス隊は人類が最初に到達した8千mとしてアンナプルナの登頂に成功した。
長く記憶され、語り継がれる壮挙であった。
~もっとも、人類はそれより早くアンナプルナより高い所に到達はしているのではあるが・・・~
この時のフランス隊の顔ぶれが凄かった。
エルゾーグとともに山頂に立ったルイ・ラシュナルのほかガストン・レビュハ、リオネル・テレイ・・・
山に目覚めたばかりの私には眩しすぎるスーパーアルピニスト揃いで、これぞドリームチームであった。
人類初という栄光と引き換えに登頂した二人は手足の指30本を失うという壮絶な代償を払った。

A_2
深田久弥が夢中で原書を読みふけったという、この感動の書は世界のベストセラーになった。
その最後は次のような感動的な文章で締めくくられている。
「・・・アンナプルナこそ、われわれの生涯の生きる宝なのだ。この実現によって、一ページがめくられ、新しい生涯がはじまる。人間の生活には、他のアンナプルナがある・・・・・・」

20歳代でこのフレーズに出会って以来、私は結婚式、送別会などことあるごとに何度もなんども挨拶の中で引用した。

そう言えばこれを引用する機会がすっかり絶えて久しいな・・・。

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君よ香港の花と咲け! ~旅立つ孫娘へ

2014年10月6日

今日(6日)配信された「ヤマレコ」にはあの日、御嶽山頂周辺で噴火に遭遇し、幸運の女神に守られて脱出できた方の生々しいレポが数編掲載されています。
幸運と悲運との分かれ目は神の気まぐれなんでしょうか?

ところで恐縮ながら身内話になります。
下の孫娘が香港へ旅立ちました。
昨年、オーストラリアの大学を卒業し、香港で働くことを望んでいたのですが、ワーキングビザが取得できず、日本でアルバイトしながらチャンスを待っていました。
このほどようやく就労ビザがおりて巣立ちというわけです。

上の孫娘は今年の初めから米国に生活の拠点を移しているので、二人の孫娘との付き合いに振り回されていた家内が、ようやく解放されますが、安堵と寂しさが交錯していることでしょう。

お別れの前夜は目下私の気に入っているレストランで・・・
この店は京王線・某駅の近くにある隠れ家のようなイタリアンです。
ここの手打ちパスタが私には絶品に思えているのです。

A 店内のカウンター席 ~まだ早い時間なので空席が多いですね。
高名な店のような豪華なインテリアは施されていないので、極ありふれたそこらの店です。
気取らずに、サンダル履きでも胸張って入れます。

A_2 サーモンのマリネ
パスタと並んで肉も定番ですが、オーダーしてから口に入るまで40分くらい待たされます。
そこでアンティパストを数品選ばなくてはなりません。
・・・店の高等戦略か?

A_3

A_6 彼女はただいま酷い偏食(ありふれたダイエット志向・・・)で、肉、魚、乳製品など完全にシャットアウト。
店に頼んで、メニューにない特別なサラダをつくってもらったようです。

A_4 テリーヌ(パテ)も・・・

A_5 プリモピアット ~今夜はハラミの焼き肉ですが、ザブトンと称する厚切りのステーキが定番のようです。

A_7 これがセコンドピアット ~本命の手打ちパスタ。
これはシェアーしたものなので、量は半分くらいです。
普通のパスタとは食感が全く違うのです。
そうですね、スーパーなどの茹でたうどんと、丹念に造られた手打ちうどんとの違いに相当するでしょう。
味付けの点については味覚○〇〇の私には語る資格がありませんが、この食感は普通のパスタでは得られませんね。

今夜の顔ぶれは皆、食が細い方なのでそれぞれ一皿づつで済み、スポンサーの立場としては安上がりのディナーで助かります。

香港は今、物情騒然としています。
中国に返還されてから、一国二制度での共存化を図っているものの、西欧文化と共産党支配はしょせん水と油。
西欧の価値観で育った孫娘が、次第に中国化を迫られていくであろう香港で、末長く適応していけるのかどうか、その行く末はとても気がかりです。

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樺の丘~霧ケ峰・山彦谷周回尾根を歩く

2014年10月1日

日本の山には明確な季節感があり、四季それぞれの姿がある。
それでも一番魅力に溢れる旬もまたある。
霧ケ峰一帯の草原が一番それらしいたたずまいになるのは、秋から晩秋にかけてである、と私は思っている。
草原が草紅葉に彩られ、やがてきつね色に静まるそのころ、乾いた北西からの風に吹かれて、このたおやかな稜線を歩く、それだけでヒタヒタと幸福感に満たされる。
昨日の黒斑山に続き、今日(9月29日)
霧ケ峰の外縁、大笹峰周回コースを21名で歩く。
私はショートコースを担当することになっていたが、全員ロングコースになったため、図らずも私もフルコースで歩けることになった。
ラッキー!

Dscn3432       A_2
足早く、山を鮮やかに彩るのはツタウルシ。

コースはエコーバレースキー場を起点として、大笹峰~山彦北ノ耳~南ノ耳~殿上山と反時計周りに歩きエコーバレーに戻る、というもの。

Dscn3408 丘のような大笹峰 ~丘の向こうに何がある?
こんな平頂でも草に埋もれた三角点(三等)標石がある。

Dscn3410 丘の向こうには蓼科から始まる長大な八ヶ岳連峰の胸躍る眺めがある。

Dscn3413 秋色の草原をいく。

Dscn3415 ♪風たちぬ いまは秋  今日からわたしは 心の旅人・・・♪なんて歌ったのは聖子ちゃん

Dscn3417 大惨事がウソのように御嶽は静かに噴煙をくゆらせている。
あそこでは今も懸命な捜索活動が続けられているのだが、それが現実感を伴なわないほど、ただの一つの風景となっている。

Imgp4_2 山彦北ノ耳 ~終生霧ケ峰を愛した手塚宗求さんが、遭難時における活動のために命名した。

さて、今日の行程で私がどうしても寄り道したかったのが、これもまた手塚さんが名付けた「樺ノ丘」(三本樺ノ丘とも・・・)

Dscn3428
手塚さんがコロボックルヒュッテを始めたころには、ここで三本の見事な白樺が高原の点景をなしていた。
手塚さんはそこに「三本樺の丘」という名を与えた。
高原を往く人たちに優しい木陰を与えていた白樺たちは、そのころ既に老境を迎えていたようである。
そしてある時、高原を襲った強風が、彼らの命を絶った。

Dscn3427_2
白樺の遺骸に鎮魂の祈りを捧げていた手塚さんは、その足元に何本かの白樺の幼樹が芽を出しているのに気付いた。
やがてこの頼りない命が、樺の丘に新しい「オン・ブラ・マイ・フ=なつかしい木陰」をつくりだすことを夢想した。
夢はその通りになった。
今8~9本ほどの青年期の白樺が、高原をわたる風に梢をそよがせ、家族連れが憩う木陰をつくっている。

Img143 昭和9年ころの「樺の丘」~もちろん当時は無名の場所であった。(『わが高原 霧ケ峰』手塚宗求から借用)
樹間から見える蓼科山の山容は少しも変わっていない。
手塚さんが出会ったのはこの壮年期の白樺が、さらに老成した姿であった。

今の白樺も、その親に当たる?当時の白樺も同じような傾きを見せている。
ここを抜けていく偏西風がいかに激しいものであるかを、如実に示している。

何の変哲もないただの白樺・・・。
しかし、そこにも胸に染み入る物語が綴られている。
それは私にも感受できる。
しかし、それを余すことなく伝える表現力は持ち合わせていない。

 

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