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2014年9月

あるがままに「黒斑山」へ

2014年9月30日

いつものように優しい相貌で登山者を迎えいれていた山が、突然に悪鬼の形相を剥き出し、多くの人命を奪ってしまった。
それが「木曽の御岳さん」として親しまれている御嶽山の本性なのか?

Dscn3388 27日間もなく正午になる、その時何の前触れもなく、目を疑うようなことが突然に生じた。

Dscn3378 まるで雪に覆われているかのような光景である。
~画像は全てNHK放送によるもの。

Dscn3382 犠牲者は王滝山頂荘から山頂までの間に集中している。
一年前、私たちは王滝山荘に泊まって、翌朝剣ヶ峰に登ったが、その時を思い返すと慄然とする。

さて本題は28日の「黒斑山」ハイキング。
山の会の行事だが、当初は現在立ち入り禁止の措置がなされている「裏コース」から登るつもりでいた。
しかし、実際に歩いてみたら終始樹林帯の中を歩く篤志家向きコースで、一般向きではなく、平凡に表コースから登り、中コースで下るというありきたりの選択となった。
ブログにアップするような情報価値がないのは認識しているが、山ネタが途切れているので、苦し紛れである。

Dscn3395 スタート前のストレッチ ~脚が必要以上に長くて、いつも私に深刻な劣等感をいだかせている「いっちゃん」が指導デビュー。
また今日は長い脚をいっそう際立たせるタイツスタイルで、私の気分をますます滅入らせてくれる。

Dscn3397 無風快晴という、絶好の山日和。

Dscn3399 2千mを超える高なので秋色は濃くなってきている。

Dscn3401 朽廃していて、名ばかりの避難小屋の先に出ると、爆裂火口の一部となる「トーミの頭」と浅間山

Dscn3403_2 

トーミの頭からの浅間と外輪山の尾根。
今、山での話題といえば、そう木曽の御岳山である。

Img
ここから振り返ると、おぼろげながらに噴煙をくゆらす彼が見える。
あんな惨事もどこ吹く風、といった長閑な姿で・・・

Imgp4 トーミの頭で全員集合

浅間山がへんに御嶽に張り合って、岡本太郎みたいに「オレも爆発だー」なんて気を起こさなければいいのだが・・・

Dscn3406 秋の斜光を浴びながら山を下った。

この後は、毎年恒例になっている区の施設に泊まる。
これも飽きもしないワンパターンの、夕食の席で飲んで、二次会で飲んで、三次会でもまた飲んで、が延々と続く。

私には山に登ることより苦行なのだが、その私がこれまた懲りもせずに最後まで付き合う、自分でも説明できないマンネリである。

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『その峰の彼方』 ~人はなぜ山に登るのか

2014年9月27日

これをアップした直後、御嶽山が噴火した、という驚愕すべきニュースが流れたので、急遽追記する次第。
御嶽山の噴火は1979年以来のことになる。
今の段階(27日夕刻)では詳細不明だが、7人の意識不明者のほか重軽傷も多くでているようである。
どこで噴火が起きたのだろうか?
多くの登山者が巻き込まれている、ということから推測すると、山頂・剣ヶ峰の西南に噴気を上げている地獄谷周辺と思われる。
登山禁止措置がなされていなかったのだろうから、予兆がなく突然のできごとであろう。
私はほぼ一年前に登っているが、御嶽山は活火山であるから不思議はない、とはいえ山にはこうしたリスクもあることに改めて思い知った。


発刊されてからそろそろ10ヶ月になり、新刊とも言い難くなってきた笹本亮平の『その峰の彼方』をようやく読み終えた。

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れまで笹本の山岳小説は「人はどう生きるべきなのか、なぜ山に登るのか」という、正解のないテーマを追い続けてきている。
本作、『その峰の彼方』はその集大成とも思える浩瀚なもので、それだけに読み通すのはなかなかエネルギーが必要であった。

著者は作品の意図を「なぜ自分がここにいて、なんのためにあくせく生きているのかーーー。人間として存在することの意味を書きたい」と語っている。(山と渓谷2014年3月号)
それだけに執拗とも思えるほど、人を変え、場面を変えて繰り返し追い求めている。
そのために物語そのものがなかなか前にすすまないので、正直やや辟易気味に読んだので、それでなくても遅読なので、読了までにずいぶん時間がかかってしまった。

「人はなぜ山に登るのか?」 ~この問いが意味を持つのは、「死」を背負いながら、しかしそれを振り落とそうとし続けるようなら過酷な登山を試みようとする者に対してだけであろう,と思う。
私らがやっているような安全な山歩きニストには愚問でしかない。
・・・聞かれたこともないが・・・

ここに極限のクライミングをするトップクライマーたちのインタビューで構成した本がある。

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著者ニコラス・オコネルはそこから「クライマーたちを駆り立てるものは生の願望~せいいっぱいに、激しく、完全に生きたいという願望である。彼らは危険そのものを求めるのではなく、自らの人生体験を深め、豊かにする手段として危険を求めているのである」とまとめている。

これまで笹本亮平は『天空の回廊』でエベレスト,『還るべき場所』でK2、『未踏峰』でビンティ・チュリ6720mと、ヒマラヤの高峰を舞台にした作品を発表してきた。
それが『その峰の彼方』では一転して、北米のマッキンレー(現地語では「デナリ」=大いなる山、の意)6194mが舞台になっている。
高さではヒマラヤに劣るとはいえ、緯度が高いため地球の自転の関係で気圧が低く、常に強風が吹きつけていることもあって、登攀の困難さはヒマラヤに遜色がない。

その証明として、日本人にとって痛恨の極みとしかいいようのない二つの身近な事例を私たちは持っている。
その1は、1984年2月12日の、稀代の冒険家・植村直己が冬季単独での初登頂を成功させた後の遭難死。
その2は、1989年2月の、日本最高のヒマラヤニスト・山田昇たちの遭難死である。

『その峰の彼方』は、ただでさえ困難を極めるデナリの幾つかの登路の中でも最難関とされる「カシンリッジ」を冬季単独の初登頂を狙って挑んだ津田 悟が遭難し、これを救出する男たちの苦闘を描いている。

Img140 デナリ概念図 ~カシンリッジが示されている。

カシン・リッジとはイタリアの歴史に残る名クライマーのリカルド・カシンが率いる遠征隊が1961年7月19日、デナリ南壁の初登頂に成功したときのルートである。

Img010 この登攀がどれだけ画期的なものであったかは、当時のアメリカ大統領ケネディが祝電を打ってきたことが雄弁に物語っている。

ところで、なぜ山に登るのか、人はどう生きるのかの自問自答を、極限の登山に挑むクライマーたちが実際に、自己の内面をギリギリと錐で揉むようなな思惟に捉われるものだろうか?
死と背中あわせのような登山でそのような思念をめぐらせている余裕が果たしてあるのだろうか?
多分、今の窮地からいかに脱出するかに全エネルギーを傾けているのではなかろうか、と思うが、私のような死とは遠い、そこらの山をウロウロしている者にはうかがい知れない精神世界のことである。

ついでながらデナリで思い浮かぶことは写真家・星野道夫のことがあるが、西前四郎(故人)『冬のデナリ』も忘れられない。

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著者の西前四郎氏は山の名曲「もしかある日」の作詞・作曲家としても知られている。
この曲はインドヒマラヤのナンダデヴィで遭難死したロジェ・デュプラが残した詩を深田久弥が訳し、それを西前がアレンジして曲をつけたものである。
昔は山で歌われる歌の定番の一つであった。
この歌を巡っても物語を紡ぐことができるのだが、それはまたいつか機会があればのことにしておこう。

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バリ・ルートから高塚山、そして白蓮の墓詣で

2014年9月23日

関心事だったスコットランドの独立は住民投票の結果実現しなかった。
人類が滅多に経験しない壮大な実験になるかな、と一瞬思わせたこともあったが、独立が選択されたら世界の政治、経済などの大きな不安定要因になるので、ひとまず国際社会は安堵の胸をなでおろした。
スコットランドも自治権を大きく拡大しているので、一番望ましいところに着地したように見える。

新たな気がかりは急速に進む円安の足取りである。
長い間の円高で、生産拠点の海外移転が進んでいる今日、かつての貿易立国日本は様変わりしていて、円安でも輸出量が増えず、むしろ原油などの輸入価額の高騰で、貿易収支、経常収支の赤字が常態になっている。
円安は短期的には輸出企業には収益をもたらすが、消費者にはガソリン価格の高止まり、電気代の値上げなどで生活を直撃する。
生活実感としては、円安のデメリットを痛感している。

さて、好調の「花子とアン」が今月で終わるので、放映中に連子さまこと、白蓮の墓に詣でておきたかった
山の会のGさんからの情報で、石老山(相模湖の南岸)の山麓にある古刹「顕鏡寺」に白蓮(葉山蓮子、柳原白蓮)の墓があることを知った。
この寺は石老山への往来で、何度か通り過ぎたことがあるが、信心とか信仰とかにはおよそ無関心の私が足を止めることはなかったが、この情報には興味を抱いた。

それは、かねて石老山の東にある寂峰「高塚山」675mを探ってみることを考えていたので、その実行と墓参りと組み合わせて歩こう、というのが今日(21日)の目論見。
高塚山は直接登るルートは無いので、唯一の資料が松浦隆康さんの
『バリエーションルートを楽しむ』である。
高塚山だけであればバリ・ルート歩きのセオリー通り、木々の葉が落ちてからの方が適期になるのだが、それまで待っていると「花子とアン」は終わっていて、墓参の効果は薄れてしまう。

Static 今日のGPSログ ~記録を高塚山で終了させてしまったので、それ以後は青丸で示した。

Dscn3356 山麓の「寸沢嵐(すわらし)」から見る左端の高塚山から右端の石老山への稜線 ~久しぶりに空気が澄んで、秋らしくなった。

Dscn3357 山への取り付きの目安となる「清光禅寺」
ここから10分ほど歩いて道なき樹林にはいり、それからはスマホのGPS機能にヤマカンを組み合わせてしゃにむに高い方へ、高い方へと突進する。
不快な蜘蛛の巣がやたら多く、払いのけながら、急な斜面を攀じ登る。
足元はザラザラと滑るので、疎らに生えている細い潅木を掴んだりして、四つん這いでの登りが30分ほどもあったろうか。
大きな岩場に突きあたり左を巻いたが、岩の途中にトラロープらしきものがぶら下がっていた。
地元の人でものぼるのだろうか?
どうにか尾根に乗りあげると、どこからともなく登ってきている細い道があった。
後はこのかそけき道を、時折見る高塚山に向かってたどるだけ。
バリエーションルートには違いないが、里山なので困難さも知れているし、いざという場合でのエスケープも比較的に容易であろう。

Dscn3358 そうして着いた高塚山675.4m ~今来た方向へは立ち入り禁止の標識が置かれている。
ここから西へは、石老山からここを往復する人が多いのか立派な山道が通っている。

Dscn3360  何度か立っている頂上で、雪の季節以外には魅力も乏しいので通過するだけにして顕鏡寺へ下り、初めて境内を歩いてみた。

Dscn3363 
墓地はさほど広くないので宮崎家の墓(連子の本名は宮崎燁子)を探すことは難事ではないと思っていたが、そうは簡単にはいかない。
てっとり早く居合わせて人に尋ねた。
にわか連子ファンがしたものか、百合の
花が手向けてあった。
TVを通じての縁ともいえない程度の私だが、掌を合わせた。
~放映以来、さぞかし私のような俄詣でが多くなっているだろうな・・・
墓誌には判読し難いが「雅号柳原白蓮 妙光院心華白蓮大姉」と刻まれていた。 ~右から2および3行目。

Dscn3362 墓誌 

Dscn3364 顕鏡寺の全景。

ところで何故白蘭はここに眠っているか、その理由が疑問として残った。
そんな場合はネット、ネット・・・便利なもんです。
以下はその成果。

夫・龍介が生前、友人の案内で相模湖を訪れ「石老山」にも登ったことをあるとき連子に話した。
それを聞いた連子も興味を持ち訪れたところ、この地の風光が痛く気に入り、ついに墳墓の地と定めるところまでになった、ということである。
墓が連子の出自からみて、さほど古びていないことを不思議に感じたが、その理由も分かったように思う。

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李香蘭 ~山口 淑子さん逝く 

2014年9月18日

1989年の「サンゴ記事捏造」の反省もどこえやら、慰安婦問題、東電過酷事故時の誤報と、このところの朝日新聞の惨状は目を覆うばかりで、長年の読者として実に情けない。
ことにひどいのがお詫びのポーズをとりながら、言葉の端々に未練がましくもチロチロ言い訳をにじませていること。
往生際が悪く、潔さがかけらも見られない。
新聞には、本能的に自分たちは特別な存在で、社会の木鐸(ぼくたく)という思い上がりあるのに、それへの自覚がないことが招いている。。
根拠のない無謬性を本質的に持っていて、自分たちは常に正しく、社会を導いているという驕りのなせるわざであることは疑いない。
他には厳しい批判を加えるのに、己には甘く、不都合な批判は封殺するなどとは、言論の府として最も忌むべき振る舞いである。

TV番組のチェックにしか利用価値が無いもののように変質し、新聞が読みでの無いものになって久しく、ただでさえ新聞離れが著しい昨今、朝日の失態は深刻である。
しかし、私たちの多くは新聞以外に権力に対する批判の手段を持っていない・
新聞が消えるようなことになったら、私たちが失うものは計りしれない。
朝日にも志を持つまともなジャーナリストはいるはずだ。
萎縮することなく、この局面でジャーナリズムの意地を見せて、汚名を雪ぐことに真剣に取り組んでほしいものである。

さて、李香蘭として一世を風靡した山口淑子さんが7日、波乱の生涯を閉た。

幾つもの名前とともに生きた、彼女の数奇な生涯はそのままドラマだった。
そして「美貌」という賛辞も彼女のためにあったのではないだろうか、と思わせる。

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れっきとした日本人でありながら国策に利用されて「李香蘭」の芸名でデビューし、「親日的な中国人」の仮面を被って映画のヒロインを演じ、同時に天性の美声で多くのヒット曲を生んだ。

Img134 右が満州映画協会のころの李香蘭。

終戦時には日本に協力した中国人として死罪にもなりかねなかったが日本人であることが証明され、危うく一命をとりとめ日本に帰国。
帰国後「山口淑子」として多くの映画に出演した。

Img137_2「暁の脱走」~池部 良と共演 谷口千吉監督
私が観ているのはこれと、三船敏郎と共演した「醜聞」くらいだろうと思う。

その後彫刻家・イサム・ノグチと結婚したが5年ほどで離婚。
1958年、外交官の大鷹氏と結婚して、いったんは芸能界を引退したが、その後TVのワイドショー司会者として復帰。
1974年には参議院議員となり、3期18年の議員活動では主として外交に取り組んでいあた。

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彼女の生涯のドラマ性は小説にも映画にもなる素材であるが、「四季」がミュージカルにした。

Img135 これを見たのはもう10年も前のことになる。

彼女の語録に「平和は当たり前なんかじゃない。そうじゃなかった時代を、私たちはずっと生きてきたのよ」というのがある。
戦争という時代に翻弄された彼女ならではの、時代の証言者としての重みのある言葉である。

懐古趣味もここに極まれり、という一篇でした。

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低公害車で楽して「尾瀬沼」へ

2014年9月14日

私の日常には全く関係のないことだが、18日のスコットランド独立の是非を問う住民投票の行方が気になっている。
1996年に公開された映画「ブレイブハート」に沸騰したことに象徴されるスコットランド人の、UKGBからの独立の機運がいよいよ実現するのか。

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1314年のイングランドとの戦いに勝利して以来、1707年の合同法の成立まで390年間にわたりスコットランドは独立国家であった。
大英帝国の一員になってからもスコットランドのイングランドに対する、愛憎がない交ぜになる複雑な屈折感がくすぶっていて、北海油田の権益をテコにしていよいよ独立を選ぶか否かの岐路に立っている。

さて、私がよく訪問する「あんぱん」さんのブログで、尾瀬沼の入口「大清水」から「一ノ瀬」の間を低公害車で客を送迎する試験運行を実施していることを知った。
しかも試験中は無料ときている。
こんな聞くだけでよだれがでそうな美味しい情報を、このところ尾瀬に目が向いていなかったためうかつにも知らなかった。

それなら、往復で2時間ほどの退屈な林道歩きが省かれるから尾瀬沼へのアプローチが劇的に楽になる。
これを利用しないなどとはバチが当たる・・・
しかし、運転は9月19日が最終日。
自分のスケジュールでは今日(12日)しかチャンスがない。
幸い天気も安定しつつある、ということでおっとり刀で駆けつけた。

Dscn3325 大清水の駐車場には、早朝4時過ぎから運行する低公害車が待機していた。

Dscn3352 三平峠 ~尾瀬長蔵小屋三代目・平野長靖は1971年12月深い雪の三平峠を越えて、戸倉へ下る途中、疲労のため36歳という短い生涯を閉じた。
尾瀬の自然保護運動についての心身の疲労が蓄積したためとも言われている。 
今、峠を往来する人々はそんなことには全く関心がない。

三平下に下り、初めての尾瀬沼南岸歩道に入った。

Dscn3327 こちらは利用者が少ないためもあってか木道はこんな具合に荒れている。
東電の子会社「尾瀬林業」により、
尾瀬に木道が敷設されたのは昭和33年からのことである。
東電の状況から木道のメンテナンスはできないだろう。
さりとて、税金投入するには優先度は格段に低いであろう。
元を正せば木道などなかったのだから、手を加える必要もなさそうだ。
ただ、植生の保護を思うと何もしなくても良い、と云うことにはならない、という気もして、何事にも功罪があって悩ましいことである。

A 逆さ燧ケ岳 ~この南岸コースでは沼に投影する燧ケ岳が見られるはずだが、生憎彼は雲の中。
たとえ見えていても湖面が波立っているので映るまい。
そこでつい先日、あんぱんさんが見事に逆さ燧ケ岳のショットをものにされているので厚かましくも転用のお願いをしたものをご披露します。

Dscn3330 湖面に生えているのは細いのに「フトイ」だそうだ。

Dscn3335 尾瀬沼西端の沼尻休憩舎が近づいてくる。

Dscn3338 ナデッ窪から燧ケ岳向かう木道~急だが山頂への最短距離。
これを登る根性はとっくにどこかに置き忘れてきてしまっている。

Dscn3343 このあたりは尾瀬ヶ原を思わせる・・・

Dscn3341 これは花なのか、実なのか? ~どうやらイワショウブの実と判明。

Dscn3344 東岸の檜高山方向を見る。

Dscn3350 大江湿原 ~ほんの少しだけだが秋色を帯びてきている。
小さい秋・・・かな

Dscn3351 尾瀬沼の一周が終わり、再び三平峠を越えて一ノ瀬にくだり送迎バスで大清水に戻った。

ドライバーに聞いてみたところ、車はハイブリット車で、電気自動車ではないとのこと。
気になる来シーズンの運行については鋭意検討中。
もし、この運行が定期になれば朗報にはなるだろう。
しかし、そうなるとただでさえ憂慮されているオーバーユースに拍車がかからないか心配になる。
有料運行になることは当然としても、果たしてそれだけで歯止め効果があるかどうか・・・。

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高間山と尻焼温泉

21014年9月10日

全米テニスでの錦織選手の活躍は、日本テニスの革命的出来事であったといえる。
しかし、先見の明を自慢するようだが、私は決勝では勝てないと予想していた。
期待をこめて、下馬評では決勝の相手・M・チリッチとは過去の対戦成績が5勝2敗なので、錦織有利の予想が圧倒的に多かったが、私のカンはその反対であった。
実に素人判断そのものであるが、その根拠はこの大会の特徴が「下克上」だったことにある。
今回の全米ではテニス界に君臨する4強をはじめ、ランキング上位の選手がそろって下位の選手に破れ、決勝はランクでベスト10に入っていない2人になった。

優勝こそ逃したものの錦織のプレーは感動ものであった。
日本人が4大大会のファイナリストになるなんて想像することですら難しいことだったが、それだけに何はばかることなく偉業をなしとげた、と胸を張ってよい。

さて道草はこれくらいにして「高間山」のことに移ろう。
一応「ぐんま百名山」に入っている1342mの山ではあるが、名前を聞くのは初めてで、ましてやどこにあるのか見当もつかない、という向きも多かろうと思う。
ひところ話題になっていた例の
「八ッ場ダム」の北に「王城山」があり、さらに北へ尾根を辿ると高間山に至る、という位置関係になる。
かつてはアプローチが不便であったが林道「吾嬬(かづま)山線」が通じて、逆に便利になりすぎている。

8日(月)山荘から八ッ場ダム経由でR405に入り、広池で右折して吾嬬山線に入る。

林道が山頂下、200mのところまで入っているので、これを利用すればハイキングにもならないくらいイージーな山である。

Dscn3316 色づき始めた気の早い木。

Dscn3313_2 登山口(高間峠?)にはこんなユニークな道標が立っている。
登山道は刈り払いがされていないのか、部分的に笹が覆い被っている。
藪漕ぎ、というほどのことはないが・・・

Dscn3314 笹に覆われた二等三角点の山頂。
特記するような何ものもない山頂を下り、本日の主目的の尻焼温泉へ向かう。

野反湖への「白砂ライン」道の途中、牧水の『みなかみ紀行』に出てくる「花敷温泉」で左折して「尻焼温泉」に至る。

長笹沢川の底から湯が湧き出し、浸かると尻の下から暑い湯が出るので、尻を焼くようだ、ということから名づけられたという「尻焼温泉」のことは以前から知ってはいた。
これまで野反湖周辺の山に登るため何度となくその入り口を通過はしていたが、つい入浴するまでには至らないできた。
海水パンツが必要らしいこともあって、なんとなく「尻ごみ温泉」になっていたのである。
今日の山歩きはショートコースなので、時間は十分にあるので、入浴を目的にして、海水パンツも用意してきた。

Dscn3321 このあたりの川に共通する赤い石の河原の一番上が入浴するところ。

湯の手前100mほどのところに駐車場があり、早くも入浴を済ませた、まったり顔のグループが何組か。

川沿いに歩くと小屋がけの温泉があり、そこには一応脱衣篭がおいてある。
川の中に湯が沸き出て、それを川水が適当に冷やしている。
先客は二人だけ~平日のせいであろう。

Dscn3318 中央の赤い石積みで流れをせきとめ、その上が浴槽?になっている。

そろりと水に足をつけると川底の赤茶けた石がツルツル滑る。
十分注意していたつもりなのに二度滑って転倒し、頭まで浸かってしまった。
どうせ濡れるのだからそれはいいとしても、石で2ヶ所の擦過傷を負ってしまった。
川底にやや深くなっている場所があり、それを適当に選んで浸かるのだが、気温が下がっている今日は湯温が低い。

湯小屋の方に移ると、こちらは私好みのやや熱湯で、温泉気分は十分に味わえる。

Dscn3319 洗い場など無く、湯に浸かるだけであるが、独り占めではなはだ気分がよろしい。

野趣丸出しの湯であるが、同じような長野県の葛温泉の奥の高瀬川の上流に湯俣温泉のことを思い出した。
昔、北鎌尾根に向かう時、この河原にテントを張り、河原の中に堀った湯に浸かったことがあった。
今は遠い幻のような思い出である。

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今日は一日「椎名 恵」と

2014年9月7日

私の東京での行動範囲で思いがけないことが起こっている。
「デング熱」騒ぎである。
代々木公園から新宿中央公園へ飛び火して、新宿御苑、明治神宮へと拡散するかと心配されている。
私宅の隣地が空き地になっていて、当然のように草ははびこり、蚊にとって絶好の生息地である。
時おり見かねて雑草の除去をするが、いわゆる薮蚊が隙を狙ってやってくる。

蚊の襲来から逃げだすためではないが、山荘にきていて、なおも続く雨天の一日「椎名 恵」のCDをまとめ聴きした。
いわゆるシンガーソングライターの中でひところよく聴いていたのが彼女のCDで、いつの間にかそれが5枚になっていた。

Img007

何にも増して素直に耳に入ってくる声が爽やかで心地よい。
高音も低音も伸びやかで、安心して聴いていられる。
よくある高音の金切り声は彼女には無縁で、ふっくらしていて暖かい。
低い音も安定している。
音域が広い。

また歌がやたらに上手い。
しっとりしたラブソングのようなバラードも、ビートの効いた曲でも何でもござれで破綻がない。

歌が上手いといえば高橋真梨子が浮かぶ。
業界事情には疎いので、人気度において彼女がどの程度のポジションにいたかは知らないが、歌唱力では高橋万梨
子に遜色ない、と思っている。

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ミリオンセラーになるようなヒット曲があったのかどうかは知らないが、私が好きなのが「Please don't you cry」
それとシャリーンのヒット曲をカバーした「Love is All」か。

昨今はあまり活動を聞かないようだし、新しいCDもでていないのではないかと思い、気にはなっているのです・・・。

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再び倉沢谷 ~またも敗退

2014年9月5日

水量が多すぎて途中撤退に追い込まれた前回の倉沢谷
この度(4日)は減水を期待して入渓したが、雨続きの夏のこと、水量はむしろ増えているようで、再びあえなく追い返された。

深い釜の多いこの沢は、泳ぐ覚悟で入渓しなければならないことは前回で学んだことであるが、この覚悟も用意もないままに入ったのだから、敗退は当然の報いである。

倉沢橋で一人下車して見下ろす倉沢谷。
深い谷は緑で覆い尽くされ底はうかがえない
上空は今にも降り出しそうな曇天~これではテンションあがらない。

Dscn3302

歩き始めるとウエットスーツをまとった若い男女10人ほどが濡れた体でやってきた。
おそらく倉沢谷の悪場・マイモーズの探検をしたのであろう。

Dscn3303 前回は巻いて逃げたゴルジュ。
これだけ特徴のある難場なのになぜか遡行図や遡行記録で触れられていないのが不思議。

林道を15分ほど歩き、前回林道にエスケープした少し先に下降するトレースがあったので、ここから沢に入る。
倉沢谷は釣り人が多く入るようで、おそらくそうした人がつけたものだろう。

沢足袋とスパッツで支度して入渓。
水に入ってすぐに感じたのは水温が下がっていることと、水量があり過ぎることだった。
この分では「年寄りの冷や水」なるだろうな、キット・・・

Dscn3304 こんな平凡な流ればかりなら、ただジャブジャブとウオーターウオーキングしていけばいいのだが、そうは問屋が卸してくれないのが沢である。

Dscn3306 こんなところがあるので高巻して林道に逃げる。

Dscn3308 ふたたび谷へ下りると右から枝沢が2本合わさってくる。

Dscn3309 へつったり、膝上まで水につかりながらの遡上。
ただ、へつりも岩がツルツルでフェルト底ではあまりフリクションが効かない。
ここは右岸(左側)のコケがついた岩をへつった、と思うが・・・

Dscn3310 ふたたびエスケープ。
林道に逃げる、とはいってもこれが簡単ではない。
おおよそ垂直なところは
避けて、何とか上れそうな急な斜面を見つけ、四つん這いになって林道へ登り、またそんな斜面を沢へ下るのである。

Dscn3311 
およそ非生産的なそんなことを繰り返すことに嫌気がさして三度目のエスケープをしたときに今日の遡行を諦めた。
見下ろす谷は水音を轟かせながら、次から次へと小さな滝を落としている。
この状況は私が「昔とったチッポケな杵柄」の手に余る。
潔くGive Up・・・

支度を解いて林道を「魚留の滝」まで行ってみた。
豊かな水量を三段ほどで落とす滝はなかなか見応えがある。


Ab 滝は濃い緑陰の中にあり、しかも曇天なので薄暗く、写真写りは良くないだろうと写さなかった。

ネットで探した写真を勝手に借用させていただいた。
撮影の時期はこの葉が落ちている時期なので、水量も減っているはずである。

ここでサバサバと引き返した。
こんな按配ではウオーターウオーキングも今季限りで終了かな・・・

帰宅したら笹本亮平の近作『その峰の彼方』が届いていた。

 Img128
これまでの作風と異なり「人はなぜ山に登るのか、なぜ生きるのか」を問う、重厚な作品となっているらしい。
ネットでは流れが行きつ戻りつでなかなか先へ進まずジレッタイというような評価と、山と正面から対峙しているとの評価に分かれている。
自分の読後感はどっちになるのか・・・。

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三代目の『岳人』デビュー

2014年9月2日

雨の止み間を縫ってそこらのチョコチョコした山歩きはしているが、ブログにアップするほどのものがなくて、山ネタのお休みが続く。

登山用品の世界を席巻しつつあるかのように見える「モンベル」が遂に山岳誌の発行も手掛けることになった。

登山関係の雑誌は戦前からいろいろな消長があったが、戦前に誕生した老舗『山と渓谷』に対し、戦後生まれの『岳人』が二分してきた、というのが大きな潮流であろう。

ヤマケイが最大公約数的な層を狙ったのに対し、『岳人』はその上の登山家をターゲットにして、先鋭アルピニストの登攀記録にも重きをおき、日本のアルピニズムの隆盛に貢献してきた。

『岳人』は戦後間もない1947年5月に創刊された。
発刊に携わったのは伊藤洋平ら、京大スキー山岳部の3名であった。
~伊藤洋平は「ナイロンザイル事件」の石岡繁雄のザイルパートナーで「屏風岩中央カンテ」初登攀時に、岩壁の途中で進退窮まった石岡を救出している。

14号以降は中日新聞東京本社(東京新聞)に発行が移り、65年間続け通巻806号をもってバトンをモンベルにつなぐこととなった。

Img126 モンベル・辰野 勇社長が、今年の初め中日新聞から「継続発行が難しく、休刊の可能性もある」と告げられ、瞬時に「・・・モンベルで引き受けましょうか?」と返しそれが実現してしまった、という経緯である。

以来半年足らず短い間で準備を整えたものが、通巻807号、モンベルからの発行第一号のこれである。

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人気の版画家・畦地梅太郎画伯が表紙。
辰野社長が大ファンなのだそうである。

書店で手にした最初の印象が”軽いなー”というものであった。
前号と比べてみたら版型も小さくなっていた。
ページ数も減り、誌面構成に欠かせなかった記事もかなり姿を消した。

誌代も下がったものの、どことなく企業のPR誌のように見えて仕方ない。

Img127 こんなことを書くと身も蓋もないが、届いたばかりの同社のこのカタログの方がお金がかかっているのではないかと、下司のカングリ・・・

ありていに言って、私は畦地梅太郎さんの作品は好みではない。
~これまでの同誌の表紙では辻 まこと作品時代が私には一番よかったように思える~

山岳誌の購入は基本的に止めた私だが、それでも買いたいという魅力があるかどうか、今の段階では即断できない。

雑誌の成否は見た目も大事だが、コンテンツがより重要であることは言うまでもなく、これまで順風満帆で社業を発展させてきた辰野社長が山岳誌つくりにどのような手腕を発揮するか、見守りたいものである。

19日、日本山岳会のルームで、その辰野編集長(社長)のトークがある。
出版を引き継いだ覚悟の程が聞けるだろうと、興味津々である。

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