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織都・桐生市は今・・・

2014年8月17日

数日前、姪の結婚披露で桐生市の中心にある会場へ行った。
これまで稀に、市内を通過することはあるが、本当に久しぶりに中心街・本町通りを少しだけ歩いてみた。

親戚もあったが、高校の三年間通学した桐生市は当時(60年前)まぎれもなく地域の中核都市で、戦後の復興期でもあったが、活力に充ちていた。

主産業の絹織物で、西の京都・西陣と双璧をなす織都として絶頂期を迎えようとしていたと思う。

同時に野球の盛んな球都としても、母校の甲子園常連の高校を中心として青少年が瞳を輝かして白球を追っていた。

しかし、安い絹織物が中国から奔流のように流れ込んでくる事態となり、桐生市は急速に活力を失い、衰退の道を歩むこととなる。

今日も、盆の休みという理由もあるだろうが、これがあの殷賑(いんしん)を極めていた本町通り?と疑いたくなるほど、閑散としている。

Photo
まるで白昼夢を見ているような寂しさである。
暑いから、人々は冷房の利いた建物の中に潜んでいる、という理由もあろうが、とにかく通りに人が歩いていない。

2
汚れたシャッターが閉ざされたままの店も多い。
人っ子一人もいない。
これが人口16万人の街か?過疎村と同じ光景ではないか・・・。

Photo_2 古くから発展した街なので、由緒のある建造物も多いのだが、これも兵(つわもの)どもの夢の跡か?

Photo_3 ここが多分、中心の交叉点だろう。

Photo_4

今日本では一極集中化に拍車がかかって歯止めが利かず、一国の消長にかかわる問題ともなっている。
広域分割的に見れば札幌とか仙台などはその地域の中核都市への集中化。
日本全体を俯瞰すれば東京へと・・・。
このまま放置すれば、一種のサバイバルゲームが繰り広げられ、最後には「一将(東京)功なって万骨枯る」事態にもなりかねない。

桐生市も今まさにその「万骨化」現象にさらされている。

国も県も地域も、そして小さくはコミュニティでもそれぞれの立場で懸命に地域活性化に向き合って知恵を絞っている。

しかし、人口の絶対的な減少傾向と、それに連動する形での経済のダウンサイジング化現象の前に、どの地域も有効な手立てがないままに立ちすくんでいる。

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コメント

桐生市へはお久しぶりなのですね。
私は月初めに行われる〔桐生骨董市〕へたまに出かけますが賑わうのは市場だけで、映像にある商店街はシャッターを閉めたままです。

京都と並んで日本に名を馳せた織物の町のなんと寂しい光景でしょう。
私が初めて桐生の町に足を運んだ40年前のしっとりとして気品さえ感じられるこの町は見る影もなく寂れてしまいました。

全国的な傾向で、致し方のないことと云えばそれまでですが、桐生の歴史ある建物を観るにつけ、いかにも惜しいと行くたびに思うことです。

投稿: おキヨ | 2014年8月17日 (日) 13時34分

こんにちは

全国的にも元気な商店街は1%と言われていますね。地方の衰退した商店街はシャッター通りと化しています。善光寺の御開帳には57日間で670万人もの人が押し寄せますが、それでも商店街は衰退しています。必要としないものに投資しても無理だと、冷静に考えるのも時代を生きる人の知恵かも知れませんね。

投稿: 岳 | 2014年8月17日 (日) 14時35分

おキヨ様
伝統的な産業の町でも、それが他国では真似のできないレベルにあれば国際市場でも生き残れます。
しかし、絹織物の場合は簡単に労賃が低い中国との競争に負けてしまいました。
なまじ、伝統にしがみついているために、革新もできずにただ沈んでいくのを呆然と見ているだけだったのでしょう。
今、鋸屋根など、古典的な建造物などで再生を図る一策にしたりして、活性化を探っているようです。
しかし、過去の遺産頼みでの再生は難しいでしょうね。

投稿: 風花爺さん | 2014年8月17日 (日) 16時21分

岳様
街の衰退の理由はさまざまでしょうが、桐生市の場合はイノベーションへの立ち遅れだと思います。
なまじ長い伝統産業があっただけに、どうしても保守的になるだろうとは思います。
近いうちに高校の同学年会が開かれます。
私はこのところ欠席続きですが、傘寿を迎えた同級生が、故郷の街で頑張っているだろうと思うとエールを送らずにはいられません。
もう一度、日本中が明るい希望に溢れ、元気だったあのころが戻ってくれることを願っているのですが・・・。

投稿: 風花爺さん | 2014年8月17日 (日) 16時30分

8月最後の31日に桐生市へ行って来ました。
初めてです。
菱の泉龍院の横から登る「観音山」へ寝釈迦を見に行ったのです。
11月に会の山行にする為の下見でしたが、里山は道が入り組んでいて、本来の目的から外れて下山したために、再度行かなければなりません。
確かに、日曜の通りは「シャッター街」になっていましたね。
ジャズの喫茶店が1件あったのが気になりました。
時間がある時に、立ち寄ってみたいと思いました。

投稿: noritan | 2014年9月 8日 (月) 04時23分

noritan様
下見のため、遠路お疲れさまです。
観音山ですか・・・
私は全く知りませんが、新潟からおいでになるくらいですから、それなりの山なんでしょうね。
桐生市の山については地元の「楚巒山楽会」のHPで、地元ならではの情報が得られるようです。
ご存知かとは思いますが、ご参考までに・・・
里山は生活圏の中にあるだけに道が入り組んでいて、取り付きや、下山してから戸惑うことが珍しくないですね。
桐生市のような例は全国至ところにあります。
もうかつての賑わいが戻ることはないのでしょうか・・・。

投稿: 風花爺さん | 2014年9月 8日 (月) 06時09分

桐生を離れて40年以上経ちます。今日の桐生の衰退は残念ながら、手の施しようがありません。
よく織物産業が衰退したということを聞きますが、そんなことは50年前から明らかでした。
それから為政者たちの無策が続いているのだから当然です。
ただ、有力企業もなく、観光資源もなく、交通インフラも中途半端な典型的な衰退地方都市では、優秀な為政者でも術はないでしょう。

残念ながら、「座して死を待つ」のみでしょう。(ノ_-。)

投稿: 桐高OB | 2017年7月26日 (水) 21時20分

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