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霧ヶ峰・山彦谷を囲む草原を歩く

2014年8月5日

どうしてそんな簡単なことに今まで気がつかなかったのだろうか。
滑ったことはないが、霧ヶ峰・車山の北東斜面に「エコーバレー」というスキー場があることはもちろん知っていた。
しかし、そのネーミングの由来は知らないままでいたが、フイに思い至った。
そうだったのだ、ここが
「山彦谷」と呼ばれていたことに由来していたのだ。

「山彦谷」のことは霧ヶ峰を巡る多くの上質なエッセイを遺した手塚宗求(むねやす)さんが書かれたものに何度か登場している。
とりわけ『邂逅の山』にはずばり「山彦谷」があり
「しだいに俗化してゆく高原の中で、私が最後まで守りたい、最後まで夢を持ちたいと思う場所だ」と綴っている。
これは1965年に書かれたものであるが、手塚さんが「ある日突然チェンソウがこの谷にこだますることがあるかもしれない・・・」と予感した通り、ほどなくスキー場と、別荘地に変貌してしまった。

3日、私はスキー場最奥の駐車場からスタートし大笹峰へ登り、手塚さんが命名した「山彦北の耳」から「南の耳」、そして「殿城山」を経由して反時計周りに歩き車に戻った。
絶えず清涼な風がわたる草の原を歩きながら、2年前に生涯を閉じた手塚さんのことをしきりに思っていた。

Static 今日のトラック

Dscn3204 蓼科山 ~この時だけで、あとは終日雲の中。

Dscn3206 林道歩きが終わり、山道になる。

Dscn3209 左・山彦谷南の耳   右・北の耳

Dscn3216 彼方の円頂は車山。 左端が殿城山

Dscn3217 山彦谷北の耳(左)と大笹峰。

Dscn3214 カワラナデシコ ~山に咲くのになぜ「河原」なのか

Dscn3215 イブキジャコウソウ

Dscn3218 山彦谷北の耳 ~1959年1月に発生した遭難事故の教訓から、場所の特定のために手塚さんが命名し、広く認知されるようになった。
この標柱は2007年、手塚さんらによって設置された。

Dscn3221 山彦谷南の峰

Dscn3222 コロボックル・ヒュッテの遠望 ~若き日の手塚さんが1956年に建てた小さな山小屋は、その小ささゆえに惹かれた人たちに愛され続けた。
小屋の右側(北西)ひ一叢の木立が見える。
手塚さんが50年前くらいから、防風のために植えたものが、星霜を重ねて、霧ケ峰には珍しい森に変貌した。

Dscn3225 北海道・美瑛の丘を思わせる・・・

Dscn3226 来し方を振り返る ~心地よい高原の風が絶えず吹き渡っていた。

Dscn3227 画面のほぼ中央の、家族連れが休んでいるのが「樺ノ丘」と思われる。
姫木平に下る分岐点から先へ行くと、車山への上りの前にこれも手塚さんが命名した「樺ノ丘」と呼ばれる地点がある。
以前歩いたときはまったく気づくことなく通過していた。
手塚さんが命名した頃には3本の白樺の老樹が立っていた。
1980年2本が倒れ、その10年後には残る1本も命脈が尽きた。
哀惜の手塚さんはしかし、その足元に10数本の白樺の若木が冬芽をつけているのを見た。(『高原の随想』から)

Dscn3228 山彦谷を俯瞰する ~ゲレンデと無残な伐採。

Dscn3229 最後の小さな頂「殿城山」に立ち寄れば、あとは車に戻るばかりである。

草原をわたる涼やかな風を体に受けながら歩いたその間、知らず知らずの間に私は2年前に世を去った手塚さんのことを思い続けていた。

 

 

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登山」カテゴリの記事

コメント

風花さんを存じ上げなければ知ることの出来なかった、手塚宗求さんのエッセイを拝見し、その清らかな生涯に感銘を受けました。読んだ端から忘れてしまう私が心に残るということは、まぎれもなく名エッセイ集の一冊ですね。

うつくしい自然のある場所という場所はことごとく俗化。。。
昨日、富士山頂の銀座並の人の多さをテレビで観ていてぞっとしたばかりです。

投稿: おキヨ | 2014年8月 5日 (火) 12時01分

おキヨ様
霧ヶ峰はビーナスラインの開通で観光地になってしまいましたが、強清水とか八島湿原あたりから離れて一歩草原に足を踏み入れると、別天地がひらけています。
昔のままではないかも知れませんが、手塚さんが生涯この豊穣の草原を愛し続けた気持ちの一端はうかがえます。
風が吹くままに気ままなワンダリングを楽しめる場所はそうザラにはありませんね。
脚力は衰えてきましたが、まだまだ楽しめる場所が残っている、そんな思いを強くした一日でした。

投稿: 風花爺さん | 2014年8月 5日 (火) 17時01分

風花さん 、こんにちは

手塚宗求さんのエッセイを少し拝見しましたが、ロマン溢れる表現に霧ケ峰の憧憬が伝わって来ました。美ヶ原も霧ケ峰も俗化して来てはいますが、鉢伏山から二ッ山にかけての平原と展望は、超一流だとと思っています。最近の鹿害の痕は無残ですが。

投稿: 岳 | 2014年8月 6日 (水) 17時50分

岳様
垂直志向のクライマーだった手塚さんが、どうして平坦な霧ケ峰にあれほどの愛着を注ぐようになったのか、ご本人でも説明しきれないものがあるのではないでしょうか。
ビーナスラインが開通する前の霧ケ峰には奥の深い魅力があったのでしょうね。
美ヶ原も鉢伏山もそれぞれ思い出すことがありますが、すっかり足が遠のいています。
しかし、いつかは必ず感傷ハイキングをするつもりでいます。

投稿: 風花爺さん | 2014年8月 6日 (水) 20時02分

4~5日と会の人を連れて「霧ケ峰~八島湿原&美ヶ原」と行って来ました。
手塚宗求氏を偲んで、9月に又、霧ケ峰に行きますが、何度行っても好きです。
日光黄菅が終わって、高原は少し、静けさを取り戻しましたが平日にも係らず、元気な中学生の団体がいました。
本当の静けさは、夏も去り、お花も出番が終えてからなのでしょうね。
行ってみると、新潟からも案外近いなと思いました。

投稿: noritan | 2014年8月 7日 (木) 05時09分

noritan様
霧ケ峰はすっかりお気に入りのようですね。
新潟県は南北に長いですから、場所にもよりますが、霧ケ峰はずいぶん遠いような気がしていましたが、そうでもないんですね。
以前はコロから車山までの間など黄色に染まるくらいキスゲで埋め尽くされていたのですが、気がつくとメッキリ個体数が減っているようです。
珍しくもない花ですが、手塚さんが「ニッコウキスゲの花が咲けば夏、散れば秋」としたくらい、霧ケ峰が霧ケ峰であるために欠かせない存在だけにその衰退は気がかりです。
私は次には、草原が狐色一色になり、串田孫一さんが「スコットランドの丘」と表現した晩秋のころに、できればコロに一泊する予定で行ってみたいと思っています。

投稿: 風花爺さん | 2014年8月 7日 (木) 06時10分

こんばんは。
コロボックル・ヒュッテ遠望、素晴らしいですね。
この地点に立つのは無理な私ですが、写真を見せていただき、とても幸せです。
ヒュッテが建てられた1956年、「コロボックル」の名は北海道以外ではあまり知られていなかったのではないでしょうか……。アイヌ語で、蕗の下の人(小さな人)、小さなヒュッテなのでそう名付けたのでしょうか? 私の勝手な想像が当たっていますように!
手塚宗求さんのエッセイ、初心者にも読みやすい本をぜひお教えください。
先日の清冽な滝や、この度の美しい高原の写真、拝見すると暑さを忘れるようです。いつもありがとうございます。

投稿: 淡雪 | 2014年8月 9日 (土) 21時40分

淡雪様
引き続きお読みいただき、ありがとうございます。
コロボックル・ヒュッテの遠望はTV番組の「大草原の小さな家」とかアメリカ民謡の「峠のわが家」の雰囲気があるかと思います。
小屋名の由来ですが、私も初めは淡雪さんと同じように推測していました。
それが『わが高原 霧ケ峰』によると少し違うようです。
それによると、小屋を建築している間、小屋の名前をどうするか散々悩んでいたのですが、ある時棟梁の家に行き、何気なく見ていた雑誌で「コロボックル」という活字を目にして、瞬時に”これだ!”と思ったそうです。
コロボックルの意味を知ったのがその後のことだそうです。
また、これには後日談があり、昔霧ケ峰の一角に「コロボックル」と呼ばれる場所があることを10年ほど前に知り、偶然ながら不思議な縁を感じたそうです。
一般にはアイヌ伝説での、いたずらものの小人という認識ですが、思いがけないこがあるものですね。
手塚さんの著書ではやはり最初に本になった『邂逅の山』が適当かなと思います。
これは3種あるのですが平凡社ライブラリー版が、2作目の『遠い人 遥かな山』も含まれているので、お得感があります。
『わが高原 霧ケ峰』は手塚さんの霧ケ峰集大成と思いますが、やや地域研究の側面があって、純粋なエッセイではないように思います。
猛暑が続きます。
お体おいといの上、あるパターンで固まってしまい、マンネリの感は自分でも自覚しているこんなブログですが、これからもお読みいただければ幸いです。

投稿: 風花爺さん | 2014年8月10日 (日) 09時51分

風花爺さん、こんにちは。
土地柄、霧ヶ峰・車山方面には何度も足を運んでいますが
手塚宗求さんという方を全く知りませんでした。
著書を読んでから訪れたら、見慣れた景色も違ってくるかもしれません。
近くの本屋さんで探してみようと思います(^^)

自分が知らなかったことを新しく知ることができるのはとても幸せなことだな~
と、風花爺さんのブログを読んで感じています。

投稿: rommy | 2014年8月10日 (日) 17時15分

rommy様
霧ケ峰も美ヶ原も「深田百名山」に入っているのがウソみたいな観光地化です。
そのために、本来持っている良さに気付かないままになってしまいがちです。
残念なことですが・・・
「知識」が増えることは大げさですが、生きる喜びでもあります。
・・・忘れることも多いのですが・・・
そのための有効な方法の一つは本を読むこと、ではないでしょうか。
読書から新しい知識を得たら、仰る通り見慣れた景色が別の物のように見えることは間違いありません。
書店で本を探すことも好きですが、この頃はてっとり早くネット(アマゾン)で済ませることも多くなりました。

投稿: 風花爺さん | 2014年8月10日 (日) 20時46分

風花さま
「大草原の小さな家」「峠の我が家」 本当にそのような雰囲気ですね。本が先かテレビドラマが先か、もう忘れましたけれど、『大きな森の小さな家』 『大草原の小さな家』それに続くシリーズ、全部で6冊だったでしょうか…。昔愛読しました。

小屋名の由来、詳しいご説明をありがとうございます。
とても興味深く拝読しました。
また、霧が峰に昔から「コロボックル」と呼ばれる場所があるとは不思議なこと!それもまた名付けたのちに知ることになったのですね……。

手塚さんの著書のご紹介も、ありがとうございます。
平凡社ライブラリー版 『邂逅の山』、Amazonに一冊在庫がありましたので注文しました。届くのを待っています。

マンネリの感などとご謙遜を……、そのように感じたことはありません。上質の文章と美しい写真での構成、それが心地よく、私には手の届かない世界ながら、いつも楽しみに拝読しています。

投稿: 淡雪 | 2014年8月10日 (日) 22時07分

淡雪様
さっそく注文されましたか。
つくづく便利になったものだと思います。
マウスとキーボードを数回操作すれば、何でも居ながらにして用が足りるのですから・・・。
その代り書店でお目当ての本を探す、という面倒ではありますが、他に代えがたい愉しみは得られなくなりました。
霧ケ峰という風土が生んだエッセイスト・手塚さんの書かれたものが、淡雪さんの心の琴線を揺らすことができたら嬉しいのですが・・・。

投稿: 風花爺さん | 2014年8月11日 (月) 06時27分

風花さま
通常配達にもかかわらず、『邂逅の山』はamazonから驚くべき速さで届きました。
まさに「邂逅の手塚宗求」、私の中の小さな竪琴は共鳴して止まないのです。高貴な魂を持つ巨人のように感じられ、厳しい生活に裏打ちされた、詩情豊な、しかも締りのある文章に深く感動しました。
どの章も素晴らしいのですが、「樅の森」「イタチ」が好きです。カウベルをめぐるお話にも心を打たれました。
この一冊は常に身近に置いて、繰り返し読みたいと思います。
心よりお礼申し上げます。

投稿: 淡雪 | 2014年8月29日 (金) 11時21分

淡雪様
手塚さんが書かれるような文章の良さが分かるためには、豊かな情操の持ち主でなければならないと思っています。
この一冊がともかく淡雪さんに霧ケ峰の風を運んでくれたようで、ホッとしましたし、亡き手塚さんもさぞお喜びでしょう。
手塚さんは立派な体躯の持ち主で、一見岩登りとか、不自由な山小屋暮らしに向いている見かけです。
しかし、世俗的なものから超越した心の持ち主で、その深奥は私のような俗人にはうかがい知れないものがあります。
だからこそ、霧ケ峰のような、観光地と背中合わせになっているような地から数々の名エッセイを紡ぎだせたのだろうと思いますね。
それにしてもアマゾンのシステムは便利この上ないですね。
日本のこれまでの伝統的な書籍流通システムが脅威にさらされているのもむりからぬものがあります。

投稿: 風花爺さん | 2014年8月29日 (金) 15時54分

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