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花嫁の越えた峠 ~黒平峠の幻影

2014年8月23日

この週末は山の会で木曽駒と宝剣岳に行く計画になっていた。
しかし、この夏、山々を覆い尽くしていた不順な天気は依然安定せず、中止に追い込まれてしまった。
久しぶりにまともな山ネタをアップできると気負っていたのに肩透かし・・・

その日、1959年12月2日、一人の哲学者・エッセイストがその峠に立った。
峠は広い草原であった。
その人は小一時間ほどその草原に寝そべってぼんやりと物思いにふけりながら、昨夜泊まった西の麓の宿のおかみさんから聞いた話を思い返していた。
かつて、この峠はその向こう側から嫁いできた花嫁も越えたのだ、という・・・。
その人はその話を後に
「花嫁の越えた峠」という文章にした。
その人とは、串田孫一さんのことである

Img313

89歳の生涯で、驚くほどの文章を量産した串田作品の中でも私の好きな一篇である。
ところで、その峠の名前は長らく明らかにされていなかった.
ほぼ10年後
『ひとり旅』の中でそれが「黒平峠」であると謎解きをされた。

Img312 『ひとり旅』の中の「黒平峠」のページ。

黒平峠は山梨県のほぼ中央部、西の黒平と東の塩平を結ぶ生活道であった。
串田さんがここを越えた55年前のその当時で、すでに通う人もなく道型は薄れ、消滅を迎える運命は誰の目にも明らかであったようである。

登山家・今井雄二さんの『続心に山ありて』によると、串田さんが越えたより大分前(戦前のことらしいが・・・)現在の乙女高原の南に牧場があり、その一角に黒平峠と思われる牧歌的な場所があったと回想している。
~小林経雄氏の『甲斐の山山』によると「帯那牧場」というのがあったそうである~
今井さんは20年を経たころ再訪したが、その場所を正確には特定できないほど変貌していた。

今井さんよりさらに遡った時代の登山家・細井吉造さんの『伊那谷 木曽谷』(名著の評価が高い)によると、昭和10年ころの様子が分かる。
引用すると「黒平峠といえば、このあたりから長城山、倉沢山、焼山峠付近にわたってなだらかな高原的な風景を豊かに盛りあげ、晩春から初秋にかけては美しい御牧平の牧場が展開する」とあり、いずれにしても牧歌的な場所であったことがうかがえる。
串田さんの峠越えのときには辛うじてその残影があったのであろう。

その後に開削された「水ヶ森林道」により乙女高原から帯那山にいたる優しい稜線は登山の対象から忘れさられ、黒平峠が原野に戻る道は、急坂を転げ落ちる道であったことは想像に難くない。

私は「花嫁の越えた峠」が黒平峠と知って以来、この峠の存在が気になっていて、いつかは探索してみようと心掛けてはいた。
しかし、あまりにも資料が乏しくて手掛かりが得られないでいた。

この峠の故事来歴を知りたくて原 全教の労作『奥秩父』その他の文献に当たってみたが、得られたものは僅かであった。
それだけに、私同様に黒平峠への特別な関心をもっていて、串田さんに私淑している永沢和俊さんの『山から降ってくる雪』にある黒平峠探索の記録は興味深く読んだ。

またネット上にも乏しいながらも、私以上の篤志家が峠道を探索している記事があり、貴重なものとして拝読した。

そうしてようやく積年の宿題を果たすため訪れたのが19日のこと。
何とかその残影に到達することができた。

Dscn3232 一見峠らしい地形はしていない樹林の中にリボンがつけられていた。

Dscn3231 近寄ると小さく「黒平峠」と記された板が付けられていた。
周囲一帯は樹林に覆われていて、串田さんが「広い草原である」と書いている風情は全くない。
この標識をつけた方は、どのような判断でここが「黒平峠」としたのであろうか。
ただ、一帯の西下がりの緩傾斜の地形を観察すると、樹木が無ければ確かに明るい草原を形成しているとも思われる。
戦後、山河が荒れた時代に山は奇妙に明るく開放的だった。
盛んに植栽された樹木が成長し、山の姿を一変させたあちこちの例を思えば、ここが黒平峠であっても何の不思議もない。

生活道の役割を終え道は昔の姿に戻るしかないのである。
そうなればかつて様々な思いが行き交ったであろう峠の哀歓すらも残されない。

これで峠の位置は確認できた。
黒平と塩平を結ぶ古い道の跡を探るのは冬枯れの時期になってからのこととなる。

今日はこれにて、水ヶ森林道に沿う二つの山「水ヶ森」と「帯那山」の頂を踏んで帰ろう。

Dscn3246 帯那山からの富士がこの日唯一の展望であった。

B
このままではあまりにも殺風景な画面なので、今日いたるところで見かけた「フシグロセンノウ」の画像を入れておきましょう。
~白状しますが、この写真は私が撮ったものではありません。
ハンドルネーム「あんぱん」さんのブログにとても綺麗に撮れたこの花がアップされていたので、お願いして使わさせていただいたものです。
私が撮ったものは光の関係か、発色がおかしくて、とてもこの花の美しさを伝えられそうもなかったものですから・・・
「あんぱん」さん、ありがとうございます。

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コメント

風花さん 、こんにちは

楽しみにされていた宝剣岳の中止は残念ですね。今年は夏らしく晴れ渡った日は皆無でした。この様な天気では、紅葉も期待薄でしょうか?串田孫一さんや、著名な登山家のお話は貴重で、楽しみに拝見しています。フシグロセンノウは南アルプスの麓で見ましたが、鮮やかな色は脳裏に焼き付いています。私のブロ友で「てくてくねこさん山の上」と言うブログがありますが、一緒に登っておられる方は清水栄一さんと一緒に登った事があるそうです。

投稿: 岳 | 2014年8月26日 (火) 15時37分

岳様
参加者は宝剣に備えてヘルメットも準備していたのに、とんだ肩透かしを食ってしまいました。
この夏の天候不順には大勢の人が泣いたでしょうね。
少し長くなりますが清水栄一さんのことを書いてみます。
同氏は1993年11月に75歳で逝去されました。
私が深田クラブに入会したのはその10年後くらいになりますので、清水さんとの接点はなかったのです。
会報のBNから拾ったところ、最後の登山が亡くなられる5ヶ月ほど前の「京ヶ倉」だったそうです。
一番好きな山は「飯綱山」だったそうです。
そういえば深田クラブには会歌があるのですが、作詞・作曲は清水さんです。
1979年に畢生の労作『わが遍歴の信州百名山』を上梓されていますが、会社経営の傍ら、実に多彩な足跡を残された方ですね。
岳さんは長野駅前にある「柏与フォトサロン」に寄られるようですが、私は行ったことがありません。
フシグロセンノウは関東エリアの低山から中山帯で広く分布しているようで8月の中旬くらいから大抵の山で見かけます。

投稿: 風花爺さん | 2014年8月26日 (火) 20時08分

風花重鎮様
久しぶりにお便りいたします。木曽駒、宝剣岳本当に残念です。ヘルメットが泣いています・・・いきいきブログ拝見させていただきました。又勉強させて頂きました。花嫁の越えた峠とは・・・heart04
8月24日残念木曽駒の代わりに友に誘われ「大蔵高丸」にお花畑を見に登ってきました。沢沿い登りの涼しく爽やかな山道で山頂手前からお花でいっぱいでした。ヤマハハコ、ミネウスユキソウ、ナデシコ、マツムシソウなど、ブログ写真のフシグロセンノウ(漢字では節黒仙翁と書くらしい?)も見かけました。マツムシソウの山と聞いていましたが殆ど無く、足を延ばした破魔射場丸付近でやっと一輪見つけただけでした。眺望は今一だったかな・・・山歩会向きの山ですね。
ではお元気で「ごきげんよう」

投稿: いっちゃん | 2014年9月 1日 (月) 09時55分

いっちゃん様
大蔵高丸 ~このエリアには昔、キザですが「わがヘルツハイマート=心の山」などと勝手に呼んでずいぶん通ったものです。
当時は新宿発の夜行でいって初鹿野駅(今の甲斐大和駅)から歩いて登ったものです。
その後、湯ノ沢峠まで車で入れるようになり、楽にはなりましたが、様相は一変してしまいました。
途中の焼山集落も今や廃村です。
大蔵高丸山頂は広大な草原で、、広い展望とあいまって桃源郷のようで、私は大好きでした。
昨今はかなり雑木が茂ってきて、草原がすっかり狭まってきていますね。
会としては2006年11月に計画したのですが、雨で中止。
以来提案しないままで過ぎています。
一度は採りあげられてしかるべきかと思います。

投稿: 風花爺さん | 2014年9月 1日 (月) 10時55分

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