« 上高地から徳澤へ ~今浦島の感傷散歩 | トップページ | 「氷壁を越えて」展会場へ »

歴史を刻む徳本(とくごう)峠へ

2014年7月29日

明神の登山口から2時間強、終いには歩いているのか止まっているのか判然としないほどスピードダウンして徳本峠2135mに着いた。
日本のスポーツ登山黎明期の先達、小島烏水、槙有恒ら多くの岳人が、長い島々谷を登りつめてこの峠に立ち、目の前に立ちふさがる穂高の日本離れした風貌に接して言葉を失い、その感動を文字にして伝えた歴史上の峠に、あまりにも遅すぎたが私も立っことができた。

徳本峠~これを「とくごうとうげ」と読める人は決して多くはないであろう。
なぜこのようなことになったのか、今となっては正しく説明できる何者もない。
当然、考察が加えられ、その結果は諸説が入り混じるというお定まりのパターン。
その中で江戸時代の上高地に「徳吾」という地名があったのに、明治28年ころの側量時に何故か「徳本峠」と記載し、しかし不審に思って誰も文字通りに読まないのでしかたなく「とくごうとうげ」とルビを振った、というものがある。(『信州百峠』)

一夜明けた26日、さすがに空気がヒンヤリしている早朝の上高地から明神へ。
明神の登山口で支度を整えていると昨夜「山研」で同宿した4人パーティーがやってきた。
私より先に出たはずなのだが、どこで追い越したのだろうか?
涸沢に入り、東稜から北穂に登る予定だそうである。

峠への道に入るとあの喧騒の行列がウソのように人影はバッタリと途絶える。
ここから徳本峠までの標高差は600m強とはいえ、今の私には決して楽にクリアできるものではない。
ただ、この峠道はさすがに歴史を刻んでいるだけあって、白沢(正確には黒沢)に沿うていく道は労力を最小限に抑えるよう実に合理的にできている。

Dscn3162 時おり木立が切れて、背後に前穂と西穂が次第に競りあがってくるのを眺めることができる。

Dscn3164
花は少なく「センジュガンピ(千手岩菲)」が目立つくらい。
~名前を知っていたわけではなく、帰宅後の調べで同定~

Dscn3166

十分に疲れ、それでも標準タイムで峠に立った。
反対の島々谷から長いなが~い道程を経てようやく峠に立つと、不意に眼前にそそり立つ穂高を見て感動に震える・・・そんな感動は楽をする分少ないが・・・。

明治維新で徳本峠道は一度閉ざされたが、11年を経て「日本アルプス」の名付け親ウイリァム・ガーランドや、日本アルプスのパイオニアであるウオルター・ウエストンがこの峠道に足跡を印し、再び人が通う道になった。
ウエストンは『日本アルプス・登山と探検』の中で「・・・峠の頂上からの眺望は日本でも最も雄大なものの一つである」と賛嘆した。

    山の重さが私を攻め囲んだ
    私は大地のそそり立つ力をこころに握りしめて
    山に向かった
    山はみじろぎもしない・・・・・

これは高村光太郎が、この峠で島々谷を登ってくる智恵子を出迎えたときに詠んだ詩の一節。

登山家は登山家の、詩人は詩人の言葉でこの峠の展望がいかに圧倒的であるかを表現している。
    

Dscn3168 さすがにここまで高度が上がると峠を越える風は清涼そのものだ。
喉の渇きが甚だしく、冷たいビールが欲しかったが、下山があるので冷えた飲もので我慢。
当然驚くほどの値段だが、今の欲求を思えば安いもの・・・

Dscn3169 徳本峠小屋 ~建て替えられたとはいえ依然として、今どきの北アの山小屋としては素朴に過ぎる。

Dscn3174

Dscn3171 奥穂のアップ ~ジャンダルムやロバの耳もハッキリ指摘できる。

峠を下る時間になった。
再びここに立つには老い過ぎた。
♪穂高よさらば またくる日まで 奥穂にはゆるあかね雲
  かえり見すれば遠ざかる まぶたに残るジャンダルム・・・♪
詩人ではない私はこんな替え歌(芳野満彦作詞)で惜別の情を表現することしかできない。

暑い上高地に下って、インフォーメーションセンターで開催中の「氷壁を越えて」展の会場へ向かった。

|

« 上高地から徳澤へ ~今浦島の感傷散歩 | トップページ | 「氷壁を越えて」展会場へ »

登山」カテゴリの記事

コメント

風花さん 、こんばんは

穂高よさらば~ この歌が大好きで、良く歌っています。風花さんのコメントに心が時めき、そして歌にも…  今年は涸沢まで行こうかな?そんな気持になっています。安達太良山の印象しかない智恵子抄でしたが…  流石ですm(_ _)m

投稿: 岳 | 2014年7月29日 (火) 21時38分

岳様
岳さんと違い、私は徳本峠は初めてなので、ようやく長年の宿題を果たし終えた思いです。
たくさんの人が感嘆する展望はさすがですが、惜しむらくは涸沢が全く見えないことですね。
岳さんのコメントを読んで、私もフッと涸沢行きを思いました。
横尾に一泊すればオレでも登れるかな・・・・と。
「穂高よさらば」は古関祐而の作曲したものに、五文足のアルピニストとして有名な故芳野満彦氏が詞をつけたものですが、いつ頃から歌われていたのでしょうか?
うんと昔は聞いたことがなかったのですが・・・。

投稿: 風花爺さん | 2014年7月30日 (水) 06時17分

私が眺める位置の穂高では臨めない本当の穂高・・・
厳しい姿ですね。
見事なものですね。風花さんのご壮健なおみ足には感服しております。

投稿: おキヨ | 2014年7月30日 (水) 12時33分

おキヨ様
そうですね、山に登らない人は上高地からの穂高が「穂高岳」になりますね。
山の姿は見る位置によってずいぶん変わります。
特に穂高の場合「多くの峰から構成されているので、まるで稲穂が群がり立っているようである」ことからその名が付いた通り、大げさに言うとその山容は千変万化します。
それでも見慣れているとはいえ、上高地からの穂高は第一級品です。
泣き言になりますが、近ごろは山を歩くたびに、自分が消えゆく老兵であることを思い知らされています。

投稿: 風花爺さん | 2014年7月30日 (水) 20時01分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/393418/56913974

この記事へのトラックバック一覧です: 歴史を刻む徳本(とくごう)峠へ:

« 上高地から徳澤へ ~今浦島の感傷散歩 | トップページ | 「氷壁を越えて」展会場へ »