« 雁ヶ腹摺山からシオジの森へ | トップページ | 西岳 ~八ヶ岳、ひとり離れて »

感銘の一書~『氷壁・ナイロンザイル事件の真実』

2014年7月5日

高速バス料金が安い間(11日まで)に上高地に行きたいのだが(理由は文末に)週間天気情報ではとても出かけられ状況にない。
ジリジリと気ばかり焦る。

山岳書は記録、紀行、随想、案内などの実用書などにに類型化されるが、この一書は異色である。
そして、これほどエキサイティングな山岳書も多くない。
いや本質において、山岳書というジャンルに閉じ込めておくべきではなく、社会が持つ悪しき側面の告発書という性格をもっている、といえよう。

それが『石岡繁雄が語る 氷壁・ナイロンザイル事件の真実』である。
井上靖のl『氷壁』であまりにも人口に膾炙(かいしゃ)されている事件であるから、知っていたつもりになっていたが、これを読んで自分の知識がいかに皮相なものであったかを痛感した。

Img106

著者・石岡繁雄はこの事件の当事者である岩稜会の代表である。
1955年1月2日、前穂東壁の初登攀を狙った会員(石岡の実弟・若山五朗)がわずか50cmほど滑落したその瞬間にナイロンザイルがあっけなく切れ墜落死した。
当時は認識されていなかった「ナイロンザイルは岩角に弱い」という欠陥が露呈されたことを石岡は直感し、その究明のため石岡と彼が率いる岩稜会は立ち上がった。

地方の小さな山岳会の前に立ちはだっかるのは、ザイルメーカーであり、その企業との癒着が疑われる振る舞いを見せることになった大阪大学教授にして、日本山岳会の関西支部長であった。

権威がおこなった偽りの実験は世間を欺き、その結果石岡らは「自分たちのミスをザイルに転嫁しようとした」と社会からの指弾を浴びることとなる。

それからの、徒手空拳に等しい石岡たちの権力との闘いは長く辛酸に充ちたものであった。
しかし、信念に充ちた粘り強い主張は、徐々に浸透し、支援の手は三重県岳連から日本山岳協会へと拡大していった。

遂に彼らの主張が企業や学界などの固い岩盤の風穴をあける時がやってきた。
22年を要したが彼らの主張の正しさは全面的に受け入れらた。
勝ちえたその成果は、やがて今日の
「製造物責任法」の誕生の萌芽となったのである。
本人たちの意識にはなかったことだが、その法律は製造物に起因する多くの被害者を救う画期的なものである。
小さな人間が鉄の意思をもって立ち向かうことの力の測り知れない強さを思いしらされる。

石岡はこの間の壮絶な経緯を気負うことなく、自身も技術者らしく抑制の利いた語り口で淡々と語っている。

石岡をここまで駆り立てたものは何だったのだろうか。
登山家としてその征服に情熱を傾けた「屏風岩」登攀と同根の闘争心だったのだろうか。
いや、本来的に持っていた正義感だったのだろうか。
私ごときフツーの人間に分かろうはずはないが、その生き姿(生きざま、などという下品な言葉は私は絶対に使わない・・・)には打たれずにはいられない。

使命感を随所に体現した石岡の生涯は、小説にでも、映画にでも十分になりうると思うがどうだろうか。

Img307 昔のことだが、登山者の間で愛用された赤い表紙の「山日記」というのがあった。
私の手元にある山日記(1960年版)にはないが、1956年版の山日記には前記阪大教授による「ナイロンザイルは90度の岩角で13mまでの落下で切れない」との記述があるようである。
石岡らの闘いの一つはこの記事の訂正であるが、それが実現したのは17年後の1977年版である。

石岡自身は意欲に充ちた登山家であり、「ナイロンザイル事件」が起きなければ、『穂高の岩場』を生んだ登山家としての名声こそ得たとしても、一人の岳人で終わっていたかもしれない。

Img305 登山家としての石岡の光彩を放つ登攀記録としては1947年7月の屏風岩中央カンテ(凸角)の初登攀がある。
石岡自身は岩壁の途中で行動不能となるが、同行の旧神戸(かんべ)中学の二人が初登攀を成功させた。
石岡は2夜のビバークを経て、八高(現名古屋大)の岳友・伊藤洋平らに救出される。
この二人の間にも因縁の物語があるが、長くなるのでそれはまた別の機会に・・・

今、上高地で「ナイロンザイル事件」の展示会が開かれている。
それを見たいがための上高地行きなのだ。
それだけなら別に雨天でも構わないのであるが、ついでに徳澤の奥にある「氷壁の碑」(東壁で墜落死した若山五朗が荼毘(だび)に付された場所)あたりや、徳本峠辺りも歩きたいのでやはり晴天が条件になる。

それなのに、あゝそれなのに、何とも恨めしい空模様である。

|

« 雁ヶ腹摺山からシオジの森へ | トップページ | 西岳 ~八ヶ岳、ひとり離れて »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

バッカスこと石岡繁雄先生の上高地展示会と先生が半生をかけて闘った「ナイロンザイル事件」の適格なご紹介をいただきありがとうございました。会場である「上高地インフォメーションセンター2階」には、8月末までの開会中、「石岡繁雄の志を伝える会」の代表であり、先生の次女のあづみさんや、会の会長で「・・・真実」本の共同著書である相田武男さんや会員の誰かが解説員として詰めていますので、行かれる方はご遠慮なくお声掛けください。先生の登山家としての顔ばかりでなく、物理学者・教育者・発明家としての一面をお知り下さい。HPはhttp://www.geocities.jp/shigeoishioka/

投稿: バッカスの教え子 | 2014年7月 7日 (月) 11時14分

 私も教え子の一人として、先生が残された膨大な資料のうち、「穂高の岩場」「屏風岩登攀記」「ナイロンザイル事件」に関わるネガフィルムのデジタル化、8ミリフィルム映像のDVD化などのお手伝いをさせていただきました。
 素晴らしい写真が多く、これを使ってなにかできないかと考えたのと、石岡あづみ様から膨大なアルバムのスキャンデータを提供いただいたため、これらを使って「バッカスの軌跡」「屏風岩登攀記」という2本のビデオを作成しました。
 このビデオは上高地の展示会でも上映されていますが、私のホームページの中の「Y工房」→「試写室A」で観られるようにしています。
 ご興味がございましたらご覧下さい。
 「試写室A」のURLは
   http://www.ccnet-ai.ne.jp/videostudioy/newpage16.html

投稿: バッカスの教え子101 | 2014年7月 7日 (月) 13時51分

バッカスの教え子様
こんなチッポケなブログにお目を止めていただき、光栄です。
「バッカス」がどなたのことか、もちろんよく存じ上げています。
阪大のS教授がなぜあのような、科学者の良心にもとるような行為をしたのかを知りたいのですが、資料が乏しいようですね。
『岳人』のバックナッバーに、もしかしたら手掛かりになるものがあるようなので、調べてみようと思っているところです。
上高地の「インフォーメーションセンター」には会期中には必ず参ります。

投稿: 風花爺さん | 2014年7月 7日 (月) 13時53分

バッカスの教え子101様
情報ありがとうございます。
実は「屏風岩登攀記」の方はすでに拝見しています。
「バッカスの軌跡」のほうは未見ですので、これから拝見いたします。
素晴らしい先生に教えられて、生涯の財産を得られたことでしょうね。

投稿: 風花爺さん | 2014年7月 7日 (月) 13時59分

風花さん 、こんばんは

切れたナイロンザイルは氷壁、小説での知識しかありませんが、背景にこの様なもう一つのノンフィクションドラマがあった事を初めて知りました。行って来たばかりですが、是非上高地を訪ねてみたく思いました。

投稿: 岳 | 2014年7月 7日 (月) 21時15分

岳様
私たちの多くは、小説および映画の「氷壁」で、切断実験によりナイロンンザイルは麻より強く、切れないもの、というところまでです。
実はその実験には意図的に、切れないような作為が隠されていたのですね。
それが偽りであり、危険性を訴える石岡さんたちの活動は、真実を明らかにし、やがて法律によって被害者を救済するところまで発展するのですから、大変な偉業ですね。
一人の登山家の業績というより、社会活動家の軌跡といってよいだろうと思います。
まさに巧まざるドラマですね。

投稿: 風花爺さん | 2014年7月 8日 (火) 06時48分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/393418/56589981

この記事へのトラックバック一覧です: 感銘の一書~『氷壁・ナイロンザイル事件の真実』:

« 雁ヶ腹摺山からシオジの森へ | トップページ | 西岳 ~八ヶ岳、ひとり離れて »