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「ビヨンド・ザ・エッジ」を3Dで観る

2014年6月30日

今日(29日)も夜来の雨が止まず、用意していたのに山には向かえなかった。
幸いなことにこれで、
昨日から公開になった「ビヨンド・ザ・エッジ」を観にいく時間ができた。

リタイアして得られた資産は「時間の自由」である。
この自由を最大限に生かすために、時間についてはケチになることを厭わずに、この資産をできるだけ自分のために費やすようしてきている。
それには他律的に時間を奪われる予定を可能な限りつくらないことである。
おかげで、予定通りにいかなくてもすぐに別の予定に切り替えられる自在さが得られる。

思えば現役時代のある時期は今と正反対であった。
会議、打ち合わせ、来客などで時間刻みでのスケジュールで予定表が隙間なく埋まっていて、それが日々のモチベーションとなっていた。
突然に「急なんですが、今日どこかで30分ほどの時間がとれませんか」などというアポイントとりが入ると「そうですね、4時から4時半ならとれ何とかなりますね」などと、得意気な気分に浸ったりした。
・・・思い返せば汗顔のいたりである。
またもや自慢話になりそうだが、一時期「会社で一番忙しい男」の評などももらっていたらしい。
・・・陰の声は~なんと鼻もちならない野郎なんだろう・・・あたりかな。
ただ、自分なりに戒めていたことは、忙しいことを口にしたり、態度に現さないよう注意しておくことであった。
今となってそんな走り続けるような時間の費やし方が自分に何なをもたらしてくれたのか、虚しい思いがしないでもない。

さて、この映画は今から60年前、1953年5月29日、イギリス隊が七度目の遠征で悲願のエベレスト初登頂を果たしたことを題材にした映画である。
しかも、初めて3Dで観賞した。

Img107

しかし、期待とは裏腹に甚だ見応えしない作品だった。
感受性の乏しい私には、何を伝えたいのかが感じられなかった。
ドラマなのか、それともドキュメントなのか、制作意図がうかがえなかった。
初登頂者のエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイの息子の回想なども入れたりしているので、長い苦闘の物語を綴るには絶対的な時間が不足し、散漫になっている。

この初登頂のとき、第一次アタック隊として選抜されたのは英国人のボーディロンとエヴァンスの二人であった。
しかし、最高到達点の南峰で撤退。
二次隊のニュージーランド人のヒラリーとネパール人のテンジンにチャンスが回ってきた。
二人は筆舌に尽くせない困難を乗り越え、後に「ヒラリーステップ」と命名される最難関を突破して、人類最初の第三の極点に足跡を残し栄誉を手中にした。
肉薄はしたが成功できなかった者と、先駆者が残した階段を利用してその先へ進めた者との明暗がクッキリ分かれたことは、その後の世俗的な扱いの違いを見れば明らかである。

3D作品であることで、ヒマラヤの映像がどんな風にスクリーンに投影されるのかにも興味をそそられていた。
しかし、この点でも失望感しか残らなかった。
立体感があったのは字幕が浮き出ていたことだけで、映像そのものには、折角のロケーションや登攀シーンにもかかわらず、立体感が乏しく、2Dとの違いは感じられなかった。

エベレストの成功はそれ自体がドラマであるが、隊長の選定で、当初当然なるべきとされていたエリック・シプトンからジョン・ハントに変わった経緯、第一次アタック隊は当て馬ではなかったかの推測、シェルパでありながら隊員でもあったテンジンの野望など、人間ドラマとしての材料にこと欠かない。

この壮大なドラマをスクリーンに余すことなく描き出せる映画は生まれないのだろうか・・・

~観終わって外へ出ようとしたら激しい雷雨が渋谷の上空で暴れていた。
やり過ごすためにソファーで休んでいる間、ボンヤリとそんなことを思っていた。

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