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2014年6月

「ビヨンド・ザ・エッジ」を3Dで観る

2014年6月30日

今日(29日)も夜来の雨が止まず、用意していたのに山には向かえなかった。
幸いなことにこれで、
昨日から公開になった「ビヨンド・ザ・エッジ」を観にいく時間ができた。

リタイアして得られた資産は「時間の自由」である。
この自由を最大限に生かすために、時間についてはケチになることを厭わずに、この資産をできるだけ自分のために費やすようしてきている。
それには他律的に時間を奪われる予定を可能な限りつくらないことである。
おかげで、予定通りにいかなくてもすぐに別の予定に切り替えられる自在さが得られる。

思えば現役時代のある時期は今と正反対であった。
会議、打ち合わせ、来客などで時間刻みでのスケジュールで予定表が隙間なく埋まっていて、それが日々のモチベーションとなっていた。
突然に「急なんですが、今日どこかで30分ほどの時間がとれませんか」などというアポイントとりが入ると「そうですね、4時から4時半ならとれ何とかなりますね」などと、得意気な気分に浸ったりした。
・・・思い返せば汗顔のいたりである。
またもや自慢話になりそうだが、一時期「会社で一番忙しい男」の評などももらっていたらしい。
・・・陰の声は~なんと鼻もちならない野郎なんだろう・・・あたりかな。
ただ、自分なりに戒めていたことは、忙しいことを口にしたり、態度に現さないよう注意しておくことであった。
今となってそんな走り続けるような時間の費やし方が自分に何なをもたらしてくれたのか、虚しい思いがしないでもない。

さて、この映画は今から60年前、1953年5月29日、イギリス隊が七度目の遠征で悲願のエベレスト初登頂を果たしたことを題材にした映画である。
しかも、初めて3Dで観賞した。

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しかし、期待とは裏腹に甚だ見応えしない作品だった。
感受性の乏しい私には、何を伝えたいのかが感じられなかった。
ドラマなのか、それともドキュメントなのか、制作意図がうかがえなかった。
初登頂者のエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイの息子の回想なども入れたりしているので、長い苦闘の物語を綴るには絶対的な時間が不足し、散漫になっている。

この初登頂のとき、第一次アタック隊として選抜されたのは英国人のボーディロンとエヴァンスの二人であった。
しかし、最高到達点の南峰で撤退。
二次隊のニュージーランド人のヒラリーとネパール人のテンジンにチャンスが回ってきた。
二人は筆舌に尽くせない困難を乗り越え、後に「ヒラリーステップ」と命名される最難関を突破して、人類最初の第三の極点に足跡を残し栄誉を手中にした。
肉薄はしたが成功できなかった者と、先駆者が残した階段を利用してその先へ進めた者との明暗がクッキリ分かれたことは、その後の世俗的な扱いの違いを見れば明らかである。

3D作品であることで、ヒマラヤの映像がどんな風にスクリーンに投影されるのかにも興味をそそられていた。
しかし、この点でも失望感しか残らなかった。
立体感があったのは字幕が浮き出ていたことだけで、映像そのものには、折角のロケーションや登攀シーンにもかかわらず、立体感が乏しく、2Dとの違いは感じられなかった。

エベレストの成功はそれ自体がドラマであるが、隊長の選定で、当初当然なるべきとされていたエリック・シプトンからジョン・ハントに変わった経緯、第一次アタック隊は当て馬ではなかったかの推測、シェルパでありながら隊員でもあったテンジンの野望など、人間ドラマとしての材料にこと欠かない。

この壮大なドラマをスクリーンに余すことなく描き出せる映画は生まれないのだろうか・・・

~観終わって外へ出ようとしたら激しい雷雨が渋谷の上空で暴れていた。
やり過ごすためにソファーで休んでいる間、ボンヤリとそんなことを思っていた。

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細尾峠から日光・茶ノ木平へ

2014年6月27日(金)

雑草が席巻し、名実ともに草庵と化している山荘の庭に、果敢にも孤軍奮闘で、無駄にも思える抵抗をしているのがムシトリナデシコ

Dscn3077 ヨーロッパからの帰化植物であるが、今の時期、路傍や人家の庭先に群落を見るのは珍しくない。
山荘の庭にもいつのことからなのか、群れをなして咲くようになった。
面白いのは群落を形成する位置が毎年変わる。
無数の種が散る位置が何かの理由で変わるせいなのだろう。

        

Dscn3079 小さな花だが、アップにして見ると、私の好きな高山の花「タカネビランジ」に似ていて可憐である。

このブログの主題は山歩きにしているが、この時期、ネタが途切れがちになり、更新に苦労する。
これは山ブロガー共通の悩みであろう。

そんな折の、苦し紛れみたいな一篇が昨日(26日)の「細尾峠から日光・茶ノ木平」のプロムナードである。
このコースは春のヤシオツツジ開花期か、秋の紅葉時期がベストシーズン、という分かっているつもりである。
にもかかわらず、降られても仕方ない覚悟の上での、適当な行き先が他に思い浮かばないための選択になった。

オンシーズンなら路側駐車の車で一杯になる「細尾峠」もひっそり。

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峠に来るまでの渡良瀬川を遡る道中は素晴らしい五月晴れ(梅雨時の晴れ間だから、今使っても間違いない?)だったのに、いつしかガスが舞い始まっている。

歩き始めると山道はヤシオツツジの間を縫うように続いている。

Dscn3076 篭石~四角な巨石が数個固まっている。
怖そうな石像

右手をポケットに入れて何かを取り出そうとしている。
まさか・・・凶器なんかじゃないですよネ・・・。

Dscn3075 明智平への下降路の分岐。

Dscn3072 丈の低い笹が覆う茶ノ木平の一角。

Dscn3073 青空と雨雲が目まぐるしく入れ替わる。

広くて、どこが中心なのか分からない茶ノ木平の一角に、かつて中禅寺湖畔から登っていたケーブルカーの痕跡がどこかにあるはずだ。
50年前の、会社の慰安旅行でそこから大きな展望を楽しんでいる。
しかし、それを見つけることはできなかった。

ヘソ~つまり中心が判然としない茶ノ木平の笹原の中で、コンクリート製のテーブルとベンチを見つけここで昼食。
暑い時期の昼飯はコンビニのザル蕎麦かソーメンが私にはお気に入り。
店で食べるものと比べること自体がナンセンスかもしれないが、食べやすくて重宝している。
量が少なくて、満腹感を得られないのが玉にキズか。

いつ降り出すのか分からない雲の慌しい動に追われるように細尾峠に戻った。

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「自分の壁」~この世で一番厄介なもの?

2014年6月23日

カメラを買い替えた。
使用2年足らずで、電源基盤がイカレてしまい、交換すると新品を買うのとそれほど違わないくらいの修理費がかかる。
Nという一眼レフカメラの頂点に君臨していたメーカーにしてこんなものか、と物づくり日本を疑いたくなるようなことだが、金持ち?喧嘩せず・・・
結局、同じ機種を買った。
記録媒体が同じに使えること、パソコンに入れているドライバーがそのまま使えることが決め手であった。

さて、「人生いかに生くべきか」式の本を読まなくなって久しい。
書店には相変わらずそのカテゴリーの本が並んでいるが手に取る気はしない。
もうここまで生きてきて、今さら他人様から生きる知恵を借りなくてもたいがいのことは分別つけられる・・・?
というより、今さら立派な生き方を学んだところで、そんなに器用に変えられないし、伸びしろも残っていないし、もう間に合わない。
自然体でいくしかない・・・といってもこれがけっこう難しかったりして。

自分のことよりこの国のありようには気になることが多い。
「集団的自衛権」(自民党はさらに集団安全保障をからめてきて
ますますややこしくしている・・・)を憲法解釈の変更だけで行使できるようにすることが、国の将来にいいことなのか?
中・韓とはどう付き合ったらいいのか。
原発は廃止すべきか否か。
TPPには加盟した方が国益に叶うのかどうか・・・・など、国論を二分するような大きなテーマがあるのだが、情けないかな自分なりのスタンスが決められない。
賛否、いずれの立場からの立論もそれぞれに説得性があるが、反面立場上不利益になるような点は曖昧にしているのがジレッタイ。
新聞紙上での識者の論ずるものを読んでも、惑いはむしろ深まるばかりである。
しょせん、これらの問題には
「絶対正しい解」などなくて、相対的にどちらかがより増しかであり、リスクを承知したうえでどちらを選ぶかの選択問題なのであろう。

ワールドカップでの日本サポーターのマナーが賞賛されている。
スタンドのゴミを集めて持ち帰っていること。
今でこそゴミを持ち帰るマナーは定着しているが、何十年か前の日本は決して褒められるような状況ではなかった。
交通機関でも、競技場でも、山でもごみは散らかし放題だったことはまだ記憶に残っている。
駅からゴミ箱を撤去したり、公共の場や山ではごみの持ち帰りを啓蒙したりして、長い年月かけてようやく世界から手本にされる地位を獲得したのである。

折角民度の高さで鼻を高くしている矢先に水を差された一件は、都議会でのセクハラ野次。
あのいかにも下司な野次をとばしたのは数人らしいが、この際声紋鑑定でもして当人を特定すべきであろう。
これだけ世論が沸騰しているのに当人は知らん顔の半兵衛を決め込んでいるが(23日9時現在)その卑怯未練な態度は許しがたい。
これは犯人探し、という低次元の話ではなく、このように問題意識を欠き、低劣な野次を飛ばす議員らを議場から放逐するためには「一罰百戒」が必要だ。
少子化対策が急務なことは日本人の誰もが理解している最優先課題の一つなのに、その認識に欠けているとしか思えない議員など私たちは必要としていない。

そんな自分ごときが思い煩ったところでどうにもならないことの屈託を抱えているおり、書店で目についたのが『「自分」の壁』
著者はご存知『「バカ」の壁』の養老孟司さんである

Img105

この本で書かれていることとは異なるが、この世の壁で一番厄介なのは「自分自身の壁」ではないだろうか、と思う。
先ず、一番に自分が見えていない。
己の性癖を変えようとしても、一番抵抗するのが自分である。
稀には自分に厳しいご仁もいるが、たいていは自分に甘く、しかもそれに気づくことなく、自分はおおむね正しい道を歩いていると思い込んでいる。
誰も自己を中庸で客観的に見られる視点を持ち合わせていない。
時には己の欠陥に気づくこともないではないが、それを矯正することをしない。
結局、自分の狭い壁(殻)の中で一生を過ごすこととなる。

この本の中で興味を引かれた一節。
「唾(ツバ)や排泄物」の例を引いて、人は体の中にあるものが、体外に出た瞬間にそれに対し激しい忌避感を持つ、と。
それは頭の中にあるものでも同様で、それを文章にして公開すると、もう読むのが嫌になる、という論法である。
唾や排泄物と、文章化することを同列におく、これってそうなのかな?
ブログにアップすることも一種の排泄行為なのか・・・?
私にしても、ナルシストではないから、自分のブログを読んで恍惚とすることはないが、読み返すのが苦痛だとも思わない。
多くのブロガーにしても、そうだと思うし、一度外に出したものを見るのが苦痛なら、そもそもブログなどやらないのではないだろうか。

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小楢山 ~ニューリーダーの誕生

2014年6月18日

旧友8人で、南房総へ一泊の軽い旅をしたため、ブログを小休止してしまった。
そもそも、この顔触れには何かとかまびすしい女性は加えない、というポリシーがあり、その上年々参加者が減る傾向にありいつまで続けられるのやら・・・。

本題・・・
「指揮官が悪いと、部隊は全滅する」 ~これはプロ野球の歴史上、最高の監督と私が思い込んでいる鶴岡一人の名言である。 

反面、優れたリーダーに率いられている集団が、実力以上の成果を挙げることは歴史が証明している。
しかし、智と仁を兼ね備えた理想のリーダーなどは現実には存在しえない。
武将でも、経営者でも、ある時期高い評価を得ていたのが、時が過ぎれば晩節を汚す、そんな例を私たちは嫌というほど見てきた。
それを歴史に学んでいながら、時代は常に幻想上のリーダーを求めてきている。


そんな大きな話でなくても、山歩きが好き、という理由だけで生まれたグループなどにも共通する重要な課題はリーダーの養成である。
私ごとき、およそリーダーにはほど遠いものが、リーダーについて言及するなど、神をも恐れぬしわざであるが、常日頃思うところを書いておきたい。
優れたリーダーになれるためには、先天的な資質に恵まれていることが決定的に必要である、というのは私の持論である。
なので、その資質に欠けている者は、自己研鑽でそれらしくはなれても、しょせん本物のリーダーにはなれないと思っている。
一般的にリーダーに求められる要素としては優れた人格、統率力、判断力、決断力、そして自己犠牲の精神などなどが挙げられる。
加えて、登山のリーダーには体力、気力に豊富な登山の経験や知識、技能などが求められる。
そこまでは望まないとして、あるレベルにでも到達できるリーダーにハードルを下げても、それでも一朝一夕にして生まれるものではない。
仮に天分に恵まれた者が、研鑽も惜しまず、経験を積み重ねて到達できる位置ですらも、なかなか理想には届かないものである。


私たちのような吹けば飛ぶようなチッポケな山歩きの会でも、この課題は喫緊のテーマになっている。
大方は、ただただ「労多くして、報われるものは寡い」リーダーなんてご免だ、というような風潮の中で、何とか資質と意欲がある少数に、いささか促成栽培の気味はあっても明日のために育ってもらわなければならない実情にある。

今日(14日)の小楢山ハイキングをリードするK君もその期待を背負っている一人である。
若くて(と、言っても60歳だが、平均年齢が70歳に迫っている会の中では抜きんでて若い・・・)その意欲的で、研究熱心で、参加意識が高く、奉仕精神も旺盛な姿勢が期待の源泉になっている。

Dscn3054 今日は五月晴れ(梅雨時の晴れ間)
富士は残雪が多く、この分では山開きに支障が出かねない。

Dscn3055 スタート地点の焼山峠 ~子授地蔵がひしめいているが、今日のメンバーにはもう関係ない。

Dscn3056 緑風のなか、足も口も休めずに歩く。
~山では常に視線を足元に落として歩くので、何やら「屠所(としょ)にひかれる羊の群れ」という感がなきにしもあらず・・・

Dscn3059 山頂の一角 ~この山の最大のセールスポイントであるレンゲツツジがドンピシャリのタイミングで見ごろを迎えていた。

Dscn3062 北西に金峰山が見えるのであるが、樹木が茂ってしまい、もどかしい見え方になっている。

Dscn3063 広い山頂での草上の昼食 ~これはマネの真似。
季節はいつしか日陰で憩う時期に移り変わっている。


ハイキングは何ごともなく終わった。
そのために準備してきたのであるから、ある意味これは当然のことで、別に褒められるようなことでもない。
大事なことは、想定外のことが生じたときに、いかに冷静に、適切な判断を、迅速に下せるかにある。

たかが山歩き。
両足を交互に前に出して行けば、誰でもできる単純な行為である。
しかし、こんな動物的な行為が、実に奥の深いものなのである。
目指す高みは、はるかな天空にある。
好漢、今の位置に満足することなく、その天空を目指して弛まぬ研鑽に励んでほしい。
ついでに付け加えれば、腹部のあたりももう少し絞り込んでくれたらなおよろしいのであるが・・・・・・。

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映画「春を背負って」~原作は原作、映画は映画

2014年6月15日

話題の(・・・と言っても山好き人間の間だけかも知れないが・・・)「春を背負って」を、怪我の功名で時間ができた、公開2日目の今日観ることができた。

A

空席がやたらに目立つほど観客の入りが悪いのは意外だったが、公開を待ち望んでいたこっちが入れ込み過ぎていて、一般的な受け止め方はこんなものなんだろうか?
映画「点の記 劔岳」の木村大作監督がメガホンをとった2作目であり、前作に続いて再び高峻山岳・立山連峰でのロケーションがどんな絶景をスクリーンに映し出してくれるのか、期待を抱かせるのに十分であった。

もっとも、笹本亮平の原作では奥秩父の仮想の山小屋が物語の舞台になっている。
映画ではこれが立山連峰の大汝山にある茶屋を山小屋に見立てて、ここに舞台を移して撮影されている。


原作の山小屋は奥秩父に特徴的な、陽のさすことのない針葉樹の原生林の中に建つ仮想のものである。
千古の湿った苔が地表を一面に覆う、ウエットで閉鎖的で、瞑想的な環境である。
だから、両者のロケーションは正反対といえる。

A_3 甲武信小屋 ~奥秩父の小屋はこうした原生林の中にある

A_2

私はそのことで、実は映画の出来栄えに危惧を抱いていた。
果たせるかなイントロから30分くらいは”これは違うな”という違和感が拭えずにいて、正直あまり身が入らなかった。

それが、気がついたらいつしか画面に魅入られていた。
舞台装置こそ違え「山小屋を舞台にして、不器用だが善意にあふれた人たちがつくる心温まる物語」という、原作の主題はしっかり押さえた仕上がりになっていたからである。

私は持論的に「映画は原作を超えられれない」という言い方をするが、時には原作から「主題」を借り、原作とは別物の映画に仕立てる手法も映画史上、幾つもの例がある。
これを「換骨奪胎(かんこつだったい)」とは決して言わない。
原作は原作、映画は映画・・・文句あっか、などとは木村監督は言ってはいない。
言っているのは不肖、この私。

山には悪人はいない、というのはもう神話の世界で、現実の山は善意だけで成り立っているわけではない。
それでも人は、小説や映画で、現実にはない美しい虚構の世界で一時のおとぎ話に酔ってみたいのである。

原作でもそうであったが、この作品の実質的な主役である「ゴロさん」が映画でもやはりおいしいところをいただいている儲け役になっている。
豊川悦司がベストのキャスティングであるかどうかは、このごろの俳優についての知識が決定的に不足している私には評価できないが、少なくともミスキャストでないことは確かであるだけの味をだしている。

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観終わって”木村監督、またいい映画を作ってくれましたね。ありがとうございます”と素直に言えるような、快い余韻にひたりながら明るい新宿の表通りを歩いた。

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『黒部の山賊』 ~幻の山書復刊

2014年6月12日

北ア・三俣山荘の主・伊藤正一さんが著した『黒部の山賊』は幻の山書とされていたが、このほど復刊した。

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そのトークショーが15日、八重洲のブックセンターで開かれるので、参加を申し込んだところ、意外や意外、既に満席だと・・・。
あまり今日的ではない催し思っていて、さほどの反応はあるまいとの油断とレスポンスの悪さに腹を立てている。
これで「春を背負って」を観に行く時間ができたとはいうものの、映画はいつでも観られるのに、千載一遇の機会を逃してしまい、とても喜んでなどいられない。

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『黒部の山賊』は昭和20年代の三俣蓮華小屋周辺、つまり人煙をはるか離れた天空におけるできごとを綴ったものである。
「山賊」という言葉にはどこかユーモラスなニュアンスが感じられる。
実際に、この書で描かれる、戦後の混乱期に黒部谷源流地帯を我がもの顔で闊歩していた男たちには、痛快で浮世離れした面白さがある。
世の男たちは、心の片隅にこうした生き方に憧憬するものを抱えているのではなかろうか。

Img100 三俣山荘周辺図

三俣山荘(もとは三俣蓮華小屋)はひところ毀誉褒貶(きよほうへん)が激しかった。
それだけにお騒がせな出来事に事欠かない。

その最たるものが小屋が建つ土地の時代を巡っての林野庁との係争である。
ことは1984年1月、林野庁からの通達に端を発する。
林野庁から土地を借りて営業している山小屋、旅館などに対して、時代をこれまでの「定額方式」から「収益方式」に変える、という内容である。
この決定に対し伊藤は、法律違反の疑いがある」として、他の山小屋との歩調合わせができずに「たった一人のたたかい」に入る。
2年後、伊藤は営林署より「山小屋の使用不許可と撤去命令」を通告される。
1991年2月、伊藤は処分の取り消しを求めて地裁に提訴。
1992年11月「三俣山荘撤去命令を撤回させる会」の第一回総会。

Img099 これは同会が1995年に発刊したものである。

事案は最高裁にまで持ち込まれる裁判になったが、2004年12月7日の最高裁への上告棄却ということで決着がついた。
伊藤は継続使用では勝訴、地代については敗訴(収益方式による地代を支払う)という結果であった。

発端から20年が経っていたが、もともと伊藤は「裁判において最終決定がでたら、それに従う」としていたのでサバサバと受容した。

黒部の山賊たちと濃密な交じりをしたり、伊藤新道を開削したり、波乱万丈の山暮らしを続け、91歳の今なお矍鑠としている北アルプスの名物オヤジの、謦咳(けいがい)に触れる機会を逸したのは、返す返すも残念である。

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惚れて通えば ~高尾山界隈

2014年6月10日

関東地方の梅雨入りはキッパリと明快だった。
気象記録に残る猛暑が一夜で梅雨空に変わり、しっかり降った。
梅雨は日本の生活サイクルの一つだから、経済社会活動の安定のためには普通に訪れるのがよろしい。
しかし、こと山ノボラーの立場になると、歓迎しかねる客人なのである。


私がほとんど欠かさず訪問するブロガーの皆さんは同様に、梅雨空を恨めし気に見上げながら山に行けない「髀肉(ひにく)の嘆」をかこつ様子がうかがえる。
それはブログの更新が滞りがちなところに端的に現れる。
雨の中、しっとり濡れた林の下を歩くのも時には悪くない、と強がり言ってはみるが、引かれ者の小唄にしかならない。

さて、以前知人からいただいた『高尾山 花と木の図鑑』をくくっていて「ベニバナヤマシャクヤク」が高尾山域に存在しているらしことは知っていた。

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是非実物を見たい、とは切望したものの、何しろ情報が乏しく半ば幻の花だろうと断念していた。
それが最近になってどうやらあながち幻なんかではなく、実存していて、しかもその場所がある程度特定できることを知った。

今日(9日)は梅雨の止み間を縫って、もう花には遅いことを承知の上で、せめて株だけでも探し当てられないかとの淡い期待を抱いて高尾山あたりに向かった。

ことの性質上、探索するルートの明示はすべきではないのだろうと思うので、あえてここは曖昧にしている。
目星をつけたのは流れを渡渉するルートである。
~こう書くと慧眼の高尾通になら分かってしまうのであるが・・・
この流れは通常なら飛び石伝いに容易に渡れるのであるが、この3日間の大雨で増水しているであろう、との予測とおり、普段の倍以上の水量になっていた。
飛び石は全て水面下である。

Dscn3050
靴を脱いで渡渉するしかない。
水温は長くは足を浸けていられない程度には低いが、それでもいつぞや尾瀬で雪解け水の中を渡った時ほどのことはない。

そこからは普通の山道を、せめて葉の状態でもいいから見つけられないものかと、あたりをキョロキョロしながらゆっくり登っていった。

Dscn3052 それらしき葉はあった。
しかし、仔細に比べると別種である。
かくして、何の収穫もなく一つの山頂に着いた。
これはもう気長に取り組むしかあるまい。
当たる確率は少なくとも宝クジよりはましだろう、と・・・。

"惚れて通えば千里も一里
      振られて戻れば また千里”

ベニバナヤマシャクヤクの色香の迷い、一目なりともの願いも虚しく、山を登り、下ってきた私です。

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ふたたびの八間山は花づくしで・・・

2014年6月6日

膝を休ませたい。
しかし、秒読みに入った梅雨入りを思うと、雨が降らない日には山に入っておきたい。
その狭間で揺れながらも結局、膝の無言の抗議に気づかない振りをしながら中一日での山歩きを続けている。

さて今日(3日)は、ほぼ一ヶ月前、下りの雪道でコースアウトしてしまい、雪の谷を下った「八間山」。
あの時、どこでどう迷ってしまったのか、を確認しておきたいと再度、野反湖畔の八間山へと車を走らせた

野反峠まで今日は暮坂峠越えで走ったが、八ッ場ダム通過ルートより約6km短く、20分ほどの短縮となった。

Dscn3030 前回、下りつくはずであった池の峠駐車場からスタートする。

Dscn3029 駐車場に一株のツツジ ~一瞬アカヤシオかと思ったが、ユキグニミツバツツジであろう。
雄蕊の数(10本)から言っても・・・

Dscn3031 登山口 ~山頂まで2.3km 標高差320mほど
楽勝となるはずであるが・・・

Dscn3032 標高1700mほど ~雪は跡形もなく消えていて、白樺の新緑の季節である。

Dscn3036 足元にはイワナシなど。

Dscn3034 振り返ると裏岩菅山
この先で前回の迷い分岐点と推測される所に着いた。
雪の有無で断定はできないが地形的な特徴でそれと判別できる。
雪が消えた今は猛烈なブッシュでとても入りこめるものではない。

Dscn3038 山頂の一角についた。

Dscn3039 鳥甲山 ~一昨日は丁度反対の北側になる天水山から遠望した。
一月前に比べて殆ど雪が見えない。

Dscn3040 山頂の避難小屋? ~この前は雪が詰まっていたが、それが消えたらゴミ屋敷状態。
今日の下界は猛暑日 ~2千mの高所でも日陰が恋しい暑さである。

Dscn3042 山頂を振り返る。

Dscn3044 この時期の主役はやはりシャクナゲか・・・

Dscn3046 山麓近く、登山道から少し入った落葉樹林下にシラネアオイの群落地がある。
ここはコマクサの定着を成功させた六合村が、二匹目のドジョウ狙い、首尾よく図に当てたものである。
狙い通りこれを目当ての観光客がゾロゾロ押しかけてくる。


Dscn3047 なかなか艶冶(えんや)な風姿ですね。

Dscn3049 山荘への帰路、トマトを買うつもりで「道の駅おのこ」に立ち寄った。
お目当てのトマトはとても食用にならないようなしろものだったが、その代わりにとんでもないものが目に付いた。
このところ渇仰している「ベニバナヤマシャクヤク」の鉢植えの売れ残りらしい一鉢があったのである。
山ではお目にかかれないし、せめて苗が欲しいと思っていて、通販ででも入手するかと考えていた矢先のことである。

かくて今日は花に溢れた一日であったが、フィナーレを憧れの花で飾れた、と云う次第。

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天水山 ~信越トレイル東端の山

2014年6月2日

長野と新潟の県境になる「関田山脈」に延長80kmほどの信越トレイルが開通したのが2008年秋。
当初はほとんど関心はなかったが、このところ少しだけ興味を抱いている。
斑尾山を起(終)点とすると、高度のない山脈はほぼ東北に伸び天水(あまみず)山1088mをもって終(起)点となる。
その天水山を昨日訪ねてきた。
残雪はあらかた溶けているだろうが、念のためアイゼン、ストック、そして虫除けに防虫ネットも忘れずに。
なにしろこの時期の新潟の山の虫の襲来は半端ではない。

カーナビには大巌寺(だいごんじ)高原を入力した。
ところがいつものようにR17から十二峠越えのR353に入ろうとしたら土砂崩れで通行止め、ときたもんだ。
この手の情報はカーナビには手に余る。
それでも健気なナビちゃん、迂回ルートを探してくれて、登山口まで誘導してくれた。

Dscn3004 登山口駐車場~ここまでは入れるがこの先の除雪は未だ済んでいない。
なにしろこの関田山脈の地帯はなだたる豪雪地域である。

Dscn3005 スタートはこの雪渓から。

Dscn3006 しっかり設置された標識もこの通り。
しかし、尾根に乗ると雪はきれいに消えている。

Dscn3008 花は越後のユキツバキ、とサッチャンが歌いました。

Dscn3009 ユキグニミツバツツジ?
通常見るミツバツツジは紅紫だが、この花は紫が抜けている。

Dscn3011 脱色して白いイワウチワ

Dscn3018 こちらは色が濃い。

Dscn3017 ブナが囲む天水山頂

Dscn3013 苗場山

Dscn3014 私には手強かった鳥甲山 ~この角度から見るのは初めてである。

山頂から往路を戻る、という情けない仕儀で、早々に車に戻った。
今日は信越トレイルへのほんのご挨拶のつもりなのである。

Dscn3025 ところで、天水山の懐になる「天水越」あたり一帯は棚田の宝庫である。
というより、平坦地がないこのあたりで稲作をしようとしたら、棚田にするしかないのであろう。
田に水は張られているが、まだ苗は植えられていない。
♪・・・早乙女が裳裾濡らして 玉苗植うる 夏はきぬ ・・・♪
には少し早い。
もっとも、乙女が裾を気にしながら早苗を植えるという日本的情景はとうの昔の幻影になった。

信越トレイルに話を戻すと、斑尾山は既に歩いているので、本日で両端が繋がった・・・いや繋がってはいないな・・・キセルである。
80kmを完全につなぐのはなかなかシンドイことだろう。
次はブナの渋い紅葉がみごとな秋に、中間の鍋倉山を歩いて、つながったことにしちゃおうかな・・・。

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