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懐かしい映画「氷壁」

2014年5月2日

恵比寿ガーデンプレイス内の「東京都写真美術館ホール」で、先月から「山岳映画特集」が開かれていて、新旧の山岳映画が勢ぞろいしている。
なかなかのライン・アップになっていて数本観たいものがあったが、自分の時間との兼ね合いで思うようにいかず、何とか今日「氷壁」を観ることができた。

Dscn2877 ここに来るのは何年ぶりになるのだろうか。

「氷壁」は1958年に公開された作品であるから古さは否めない。
公開された当時、もちろん観ているし、かなりのシーンが記憶に残っている。

Dscn2876

画質は問わないとしても、造りがいかにも安手である。
当時の山岳映画はなべてそうであるが、とにかくリアリティの欠如は目を覆いたくなる。
一例を挙げる。
冒頭、主人公の魚津恭太が冬の穂高から新宿に戻り、行きつけの飲み屋にいくのだが、その顔が今入浴して髭をさっぱりと剃ったばかりのようにツルツルなのだ。
数日間山に入っていれば、一人前の山男なら無精髭が生えていて当たり前である。
松本辺りで風呂に浸かってきたのか?などと茶々を入れたくなる。
登山シーンはこの後も出てくるがいつもツルツルなのである。
こんな誰でも分かるような不自然なことに、監督以下のスタッフの誰もが気づかないのだろうか?

その点、近年に公開された「劔岳 点ノ記」や「アイガー北壁」などには、その残滓がないこともないが、ダテに50年歳くっていない、映画造りの進化を認識させてくれる。

魚津恭太の菅原謙二はまあまあとしても、小坂役の川崎敬三は優男過ぎて、山男の匂いがなく、明らかにミスキャストだろう。
それにしても山本富士子は屈指の美女とされているのだが、私にはどうしてもそう見えない。
二人の山男の心を捉えてしまうような魔力がどこにあるのだろうか?
唯一、存在感を見せているのが、原作でもそうだが、支社長・常盤大作を演じている山茶花 究である。
これぞ理想の上司像である。
私がそのような上司に恵まれたかどうかはおくとして、自分がそのような上司でなかったことは間違いない。

当たり前でああるが、半世紀の時の流れを思わせるシーンが随所に出てくる。
例えば、登山中も含めて、男たちはどこでもタバコを銜え、吸殻はごく自然にそこらにポイ。
愛煙家が見たら、羨ましさで卒倒するのではなかろうか。

田園調布の情景もしばしば登場するが、なんと道路が未舗装である。
きょうび、年間に何台も通らないような林道でも舗装されている。
たった半世紀の間に日本のインフラ整備はこれだけ進んだのか。
いや、しかし待てよ・・・幸か不幸か田園調布の住人であったことはないが、記憶を辿っても日本一の住宅地がまさかそんなだったはずはあるまい。
このロケ地は他の場所だったのであろう。

原作は言うまでもなく井上 靖の新聞連載小説。

Img089

新聞小説を意識しているのか井上作品にしてはやや通俗的なメロドラマ仕立てになっている。
『猟銃』に代表されるようなあの硬質で、どこかヒヤリとする空気感はない。
ロジェ・デュプラの「もしかある日」を深田久弥の助言をいれて引いたり、「北鎌尾根」で遭難した松濤明をモデルとしての遺書を借りたり、ナイロンザイル事件を主題に据えたり、さすがに巧みの手になる小説であるが、映画はそれをうまく活かせていない。
「映画は原作を超えられない」これもその見本のようになっている。

50年前の映画をあれこれあげつらうなどとは、あまりみっともいいものではあるまい。
タイムスリップして20歳台の自分に戻れた一瞬を得られただけでも良しとしなければならないのだろう。
ここらでThe Endとしましょう。

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コメント

風花さん 、こんばんは

流石に首都東京、内容は別として、素晴らしいイベントですね。小説は映画に勝る想像力の世界があり、集中力も別格なので已むをえないのでしょう。藤沢周平の小説にぞっこんの今、あの映画は何だったんだろう?と考えさせられています。

投稿: | 2014年5月 2日 (金) 21時41分

岳様
5月10日から公開になる「K2初登頂の謎」や、岳さんお勧めの「春を背負って」もいよいよ6月には観られるので、とても楽しみです。
周平ワールドにドップリ浸かっておられますね。
周平作品はどれを読んでも、読後に心が洗われるような余韻が残ります。
外れがない、という点で稀有な作家ですね。

投稿: 風花爺さん | 2014年5月 3日 (土) 05時58分

井上靖の〔氷壁〕は当時ブームを呼び起こし、〔ナイロンザイル〕という言葉も山を知らない一般の人々にも浸透しました。
映画は後日テレビ放送で観ましたが、洋の東西を問わずその時代のこの手の映画は細部が緻密ではないですね。まれには凄いと思われる映画もないことは無いのですが。。。

山本富士子の美貌は当時日本を代表するものでしたが、そろそろプロポーションが云々される時代に入っています。洋画フアンだった私の目から見て、何しろ頭部が大きすぎて顔のパーツが一個一個立派すぎました。僻みもあるでしょうが可愛げがない顔・・・^^
女性の美も時代により変わるのでしょうね。

投稿: おキヨ | 2014年5月 3日 (土) 12時21分

おキヨ様
もちろん映画ばかりではありませんが、数少ない不朽の名作がある一方で、短命で終わる多くの作品がありますね。
両者を分けるものは何なんでしょうか。
どれだけ「感動」できたかは大きな、そして決定的な要因かもしれません。
「氷壁」にはそれがなかったですね。
ただ一つ山茶花 究の上司ぶりは今日でも色褪せていませんでした。
山本富士子さんが美女であることは多くの人が認めているようですから、評価は定まっているのでしょう。
私の好みの問題でした。
もちろん己を顧みることのない妄言ですが・・・。

投稿: 風花爺さん | 2014年5月 3日 (土) 17時38分

初めての投稿で風花爺さん様に異論では申し訳ないのですが。
小説『氷壁』の常盤大作支社長はダントツに魅力ある人物でした。そこで、映画でだれがどう演じるか楽しみだったのでしたが。他の配役は問わず、山茶花究が出てきたときはがっかりしました。原作の「ゆうに二十貫はある大きな体」「坊主刈りの精力的な顔」から抱いていたイメージと違いすぎました。存在感と言えばいいのでしょうか。新聞連載の挿絵はぴったりだったのに。ちょうど『白鯨』でグレゴリー・ペック船長が出てきたときと同じくらいの幻滅でした。あれは冒頭のちょい役のオーソン・ウエルズ説教師こそエイハブだろう、と残念がったことでした。演技鑑賞力をもちあわせていない幼稚な感想です。

投稿: dorule | 2015年2月 8日 (日) 18時47分

dorule様
コメントありがとうございました。
映画は原作を超えられない、というのは私の持論です。
その大きな要因は、原作の読み手がイメージしたものと、映像化されたものとの乖離だろうと思っています。
特にキャスティングにそれが顕著に表れますね。
ご指摘の常盤大作もそうですね。
生沢 朗の挿絵によって常盤大作は、大きなギョロ目、短い頭髪、大きな体躯などで、荒法師のような印象の人物として固定化されたと思います。
このような例は原作が映画化された場合、たいがいつきまとうことですね。
確かにそれで山茶花 究を並べたら違いすぎますね。
あの当時、常盤大作を演じて違和感のない役者が他にいたかどうか、あまりにも昔なので私には思い浮かびません。

投稿: 風花爺さん | 2015年2月 9日 (月) 06時33分

確かに私の常盤大作像は小説本文だけではなくて挿絵にも影響されていました。あれは生沢朗でしたか。「白鯨」の場合とはちがってエイハブ船長になればよかったオーソン・ウエルズみたいな俳優は「氷壁」には出ていなかっただけではなく、当時の邦画界にはいなかったらしいとのことで、私の文句はないものねだりでもあり、そもそも映画に対してつけるのは筋違いだったようです。

投稿: | 2015年2月20日 (金) 15時20分

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