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2014年5月

笹塒山 ~標識ゼロの山

2014年5月31日

笹塒(ささとや、ささどや)山1402mは浅間隠山の北東に約4.5kmほど離れて位置する山です。
隣接する「竜ヶ岳」とともにいずれは登るリストに入っているのですが、いつも後回しになって、気がつくと登山適期(落葉している間)を逃しています。
気温が上がり、木々の葉が茂っている今日(5月30日)などは避けたいのですが、何となく足が向いてしまいました。

登山口から山頂までコース上には全く標識はありません。
国土地理院の破線ルートも廃道化しているようで、全くあてになりません。
電子化された今でも修正は施されてなく、地形図はあくまで「地形を読む」ためのもので、登山地図ではない、という性格をますます顕著にしているようです。
テープ類は若干あるので、ネット情報と多少のルートファインディングを併用してで登る山です。
私も何箇所かテープをつけようとしましたがやめました。
このような、
多少頭の体操をしながら登る山が残っていたほうが良い、と思ったからです。

Static 今日の行程 ~ピストンなので山頂がゴール。
地図ではゴール地点、すなわち尾根に乗り上げた地点より左に笹塒山がありますが、実際には右に進んだところが山頂です。
入力されている地図に間違いがあるのか・・・?

Dscn2993 スタート地点のヒカリゴケの案内板。
登山は正面のゲートを抜けていきます。
ネlットではこの遮断機は施錠されていないから、開けられるという記事が見受けられますが、どうにも開けられません。
この右側に2年ほど前までは倉渕ダムの事務所があったようですが、ダム計画が消滅したため、解体され、更地になっています。

Dscn2994 これが笹塒山らしいのですが、確かではありません。
下界ではまだ5月だというのに早くも真夏日になるらしく、確かに歩き始めから照り返しが厳しいのです。

Dscn2995 左への竜ヶ峰方向との分岐点で、これから進む直進路には2つ目のゲートがあって、施錠されています。
どのみちここまでの行程で車が使えても効果は知れたものです。

スタートから40分ほどで舗装が終わり、そこで左へ折り返すように草地と化した林道の痕跡があります。
それがルートなので入るとブッシュが行く手を阻むので掻き分けていくと、赤土の崩壊地です。
これを通過すると荒廃してはいるものの、形状はとどめている古い林道になります。

Dscn3001 廃道化が進んでいる林道に不釣合いなミラー。
林道の終点から右への山道になり、ところどころ迷いそうなところもありましたが、おおかたはそこそこにある道形を拾って2:40ほど要して笹塒山に登りつきました。

Dscn2997 ミニチュアの鳥居がある山頂。 

Dscn2993_2 このところご無沙汰続きの剣ノ峰~角落山あたり。

Dscn3000 目の前の竜ヶ岳の向こうが浅間隠山 ~その右後ろにボンヤリと浅間山。

戻り道は迷うこともなく出発点に戻りました。

下界は真夏日になったようで、それなりに汗をかいたのですが、近くにある「はまゆうの湯」には入らずスタコラサッサと帰宅しました。

こうして、頭の中にある山のリストの一つに横線が引かれました。

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奥秩父・鷹見岩 ~山頂は貸切りで

2014年5月26日

右膝の古傷は完治状態には遠いが、23日の奥秩父・鷹見岩山行は、降りられない立場にあった。
結果、登りでは普通に歩けたが、膝への負荷が大きくなる下りではやはり痛みが出た。
8年前、この症状が出た時には直るまで1ヶ月かかったからこんなものであろうとは思っている。

今日(23日)の目的地「鷹見岩」2092mは、金峰山や瑞牆山などメジャーな山の傍らにあるから存在感には乏しい。
道が開かれ、標識が立てられ、登山対象になったのは近年のことで、それでもマイナーな地位を死守している。
かなり山ずれした向きでも知らない山を登る、というのは稚気丸出しだが、けっこう嬉しいものである。
そんな気分を私たちのハイキング会員にもお裾分けしたい、ということから採りあげた山行である。
山頂までの所要時間は、標準的には2時間10分とされている。
その内、2時間09分くらいは閉ざされた樹林の中をただひたすら登る。
最後の1分で、頭だけ樹林の上に突きだしている岩を登り切ると、一気に中空に放り出され、視界が開けるのである。
この突然「解き放たれる」という快感は、他の山では味わえない独特のものだろうと思う。

Dscn1331 増冨ラジウム温泉奥の、金山から仰ぐ「鷹見岩」(左)と金峰山。

Imgp2430 スタート前に型通りにストレッチを ~瑞牆山荘駐車場で。
こうして見るとテンデンバラバラじゃん!

Dscf1555 22人 ・・・長~いパーティ。
私たちの会は人材の層がまだ薄いため、リーダーがトップでペースメイクして歩く形が多い。
しかし、私の場合はサブリーダーにその任を委ねることにし、自分はオーダーの中間に位置することにしている。
リーダーは道案内人ではないし、次世代の育成という使命もあるし、実際問題としてトップにいては22人パーティの全体状況をハンドリングすることなど出来っこない。

Imgp2482 山の春は遅く、今ごろミツバツツジの花時。

Imgp2439 富士見平小屋が見えてきた。
Imgp2444 歩き始めて1時間~富士見平小屋前で ~ネットでこの小屋の恐ろしさを見たが、別にどやされるようなことはなかった。

Imgp2474 シャクナゲは小屋前が見ごろ。

Dscf1629 鷹見岩山頂は巨大な花崗岩で形成されている。
一年前に来た時には無かった固定ロープがセットされていた。
太いロープに握り玉もあってとても助かった。
おかげで持参したロープを使わずに済んだ。

Imgp2461 奇峰・瑞牆山は指呼の間にある。

Dscf1647 狭い山頂はうちらだけの人数で一杯。
幸いほかのパーティとバッティングしなかったので、頂上は貸切りとなった。
~ところで、山の上ではどうして皆んな、こんな素敵な笑顔になれるのだろうか・・・

Dscn1336 盟主・金峰山に一瞥して、別れを告げる。

Dscf1674 さらば頂上よ!

Dscf1683

Imgp2488 マイクロバス車内はすし詰め状態 ~これから恐怖の宴会が始まるのだ・・・
いつもましての盛り上がりようで、空になったワインボトルの数は新記録を樹立したようだ。

山を愉しみ、温泉を楽しみ、仕上げはお酒・・・
何と遊び上手で、人生を楽しむ術を会得している面々なんだろう・・・と羨ましがり嫉妬もする飲めないワ・タ・シです。

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大台に乗っちゃった!

2014年5月24日

他人さまに無関係な私事などとりあげると”関係ネーヨ”としらけられることは重々承知の上で、残しておきたいことがあったので、臆面もなく書きます。
10日ほど前に、世に傘寿と称する年齢の大台に乗った。
超長寿社会ではもう当たり前のことで、こと改めて言うほどのことではなくなっている。
世の中、基本的に10進法で成立しているため、年齢も10年区切りの節目で何かと理由をつけた通過儀礼がある。

私の場合でも、身内などで型通りというか、義理でというかささやかなことははあったが、嬉しいと思うほどのことでもなかった。
そうした中で、一つだけ思いがけない嬉しい集まりを開いてもらったので、このいわば備忘録ともいえるブログに残しておきたいのである。
それは引退してもう13年が経つのに、かつての部下が祝いの会を開いてくれたのである。
在籍中は誰でも職場を転々とするものだが、今日の顔ぶれはある時期、特殊なミッションを担ってできた小さな組織の仲間であった。
組織の用語で言うと「タスクフォース」ということになるだろうが、それだけに一応上司である私などよりはるかに優れた若い人材が配された。
できの悪い上司としては、彼らの邪魔をしないよう振る舞うしかなかったものである。
13年もの空白があればたいてい「縁なき衆」の関係になってしまうの普通だが、そんな格別に濃密な関係があってのことからだろうか、私を忘れずに思い出してくれたのである。
「男子、三日合わざれば括目して見よ」という古語がある。
ましてや13年を経ればそれぞれ順調に階段を上り、今は会社の中で枢要な地位を占めて、いわば「余人をもって代え難い」立場にいる。
これこそ「出藍の誉れ」で嬉しい限りである。

間違いなく自慢話に受け取られるだろうが、退職する折には公私にわたり10回前後の送別会を開いていただいた。
ほとんどが義理によるものだったことは13年経ってはからずも証明されることとなった。

さて私自身、亡き父母の年を超えた。
これも親孝行の一つの形らしい。
「身体髪膚(はっぷ)これ父母に受く あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」
その通りで、健康体をもたらしてくれた父母を改めて思い浮かべる。

ところでこの節目を迎えるにあたって密かに2つのことを実現することは目標化していた。

一つは8020(ハチマルニイマル)。
かつての厚生省が推進していた「80歳で自分の歯20本を保つ」運動で、2年前に山で転倒し2本の歯を欠損してしまいながらも軽くクリアした。
もう一つが80:100~80歳で年間100日の山歩き日数を実現することである。
まだ5か月も経過していない段階ではあるが、ここまではおおむね順調なペースで進んできている。
何が起こるかが読めない人生だから残る半年強がこのまま無事に運ぶ保証はないが、ぜひとも達成したい。

単なる通過点とは思いながらも、一つの節目であることも確かなので、多少考えることはある。
このごろの言葉としては「断捨離」ということになるだろう。
藤沢周平の言葉を借りれば「物をふやさず、むしろ少しずつ減らし、生きている痕跡をだんだん消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終えることが出来たらしあわせだろうと時どき夢想する」というようなことだろうと思っている。

イントロに書いたように、私ごとだから簡単に済ませるつもりだったのに、ついついいつものように蛇のようにクネクネ長たらしいものになってしまった。
せっかくの「秘すれば花」(世阿弥)となるべきものを、白日のもとに晒してしまう愚かしさ・・・。

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映画「K2 初登頂の真実」を観て

2014年5月19日

先日の山歩きで痛めた膝のため「麗しき五月」なのに、しばらく山行は自重しなければならない。
そうなると時間にゆとりが生まれるので、これ幸いとビッコを引きながら有楽町まで出かけ、予定はしていた映画「K2初登頂の真実」を観た。

映画「トロイのヘレン」を演じたロッサナ・ポデスタ(イタリア)とグレース・ケリーのどちらが美しいか?と問われたとしたら・・・私にとってはとてつもない難問であり、答えに窮してしまうだろう。

Photo

そのポデスタが『グラッチア』という女性誌のインタビューで「離れ小島で一生暮らさなくてはならなくなったら、誰と一緒にいたいか?」と問われ「ワルテル・ボナッティ」と答えた。
登山の世界でこそスーパースターであっても、芸能界とは無縁だったボナッティはこの話を友人から聞いてとても驚くが、逢ってみたら互いにフィーリングが合い生涯添い遂げた。

そんな、男の風上にも置けないような果報者のボナッティだが、卓越した登山家であるがゆえの栄光と、嫉妬による中傷で50年にもわたる辛酸の狭間で翻弄されることとなる。

映画「K2 初登頂の真実」はそのボナッティが23歳の時、選ばれて参加したK2遠征隊で、初登頂をサポートして成功させたのにもかかわらず、帰国後いわれなき中傷を浴びることとなり、半世紀をかけてその汚名を雪(すす)ぐための闘いをすることとなり、その壮絶な物語である、と見るまではテッキリ思い込んでいた。

Mvk2

高さこそエベレストに一歩を譲るが、登攀の困難さにおいては世界一とされるK2(ケイトゥ)8616mがA・デジオ隊長率いるイタリア隊についに山頂を明け渡したのは1954年7月31日の午後6時であった。

Img093

登頂隊員はアキッレ・コンパニョーニ(40歳)とリーノ・ラチェデッリ(29歳)の二人ということは、登頂のズーッと後に公表された。
帰国後、この二人は「ボナッティは自分が登頂したいがため、酸素を使ってしまい、自分たちは途中から酸素なしで頂上に達した」と報告し、それがそのまま公式報告となった。

事実に反するとしてボナッティは抗議をするがイタリア山岳会に容れらることなく、止むをえず提訴し、その後汚名を雪(すす)ぐために50年にわたる長く孤独な闘いを余儀なくされることとなる。

真実が明らかになるきっかけは1986年、登山とは無縁の外科医・ロバート・マーシャルが記録や写真を詳細に分析して、登頂者二人の報告に嘘があることを突き止めた。

2004年になってラチェデッリが(~おそらく良心の呵責で~)、ボナッティの主張に沿う見解を発表し、2007年ついにイタリア山岳会も公式報告書の誤りを認め、ボナッティの名誉は回復された。

登頂隊員二人が嘘の報告をした動機は、自分たちより後輩なのに実力が高く、ガイド出身のボナッティに初登頂の栄誉を奪われることを阻止しなければならないという危機感からであった。

この映画は正しく改められた公式報告に基づいて創られたものであるが、それによるとその策略は登攀リーダーであったコンパニョーニが企てたものであるとされた。

登山の世界は無償の崇高な行為と、山男たちの友情という美しい物語にされ勝ちであるだが、実態は嫉妬の渦巻く世俗がそのまま自然の中に持ち込まれていることを実証している。

さて、肝腎の映画の出来栄えであるが、私には残念ながら凡作としか映らなかった。
これだけの偉業を題材にしているのに、眼頭が熱くなるようなシーンはただの一度もなかった。
K2初登頂のような大スケールの物語を2~3時間の映画にまとめることにそもそも無理がある。
その上に前半で意味のない若者たちの恋遊びなどに貴重な時間を無駄遣いしている。
キャスティングにも大きな?がついた。
イタリアが国家を挙げて挑むK2だから選りすぐりのアルピニストを選抜しているのに、役者が誰もナンパの方が似合うイタリア男の典型揃い。

ただ一人、イタリア山岳会の「神様」リカルド・カシン役がそれらしかったが、惜しいかな心臓に疾患があることが分かり、この遠征隊を率いることができなくなり途中退場してしまう。
さらにこの映画の致命的な問題は、K2の物語はボナッティの名誉回復が実現した時に完結するものであるのにもかかわらず、肝心のその部分はたった数秒の字幕だけで済まされていたことである。
肩透かしを食ったような、後味の悪さであった。

ボナッティはK2の後、ガッシャブルムⅣ峰の登頂を果たし、単独でのマッターホルン冬季初登攀を成功させ、世界屈指の登山家としての盛名を確立したが、突如35歳の若さで登山界から身を引き、垂直の冒険から水平のアドベンチャーへ転進し、2011年9月13日に81歳の生涯を閉じた。
愛妻・ポデスタも2013年12月10日、ローマで79歳で没。
・・・・・・合掌

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またまたの道迷い ~奥多摩・倉掛尾根にて

2914年5月16日

再び、自慢できないことを、自慢たらしくレポします。
この道迷いは早々に気づき、かつどう対処すれば良いのかを明確にイメージできていたのに、根拠のない希望的観測に基づいて、強引に迷い道を突き進んだことにすべての原因があります。

東京都と山梨県との境に「笹尾根」と呼ばれる低山ハイカーに人気の長い稜線があります。
その北側に並行してやや短い「浅間尾根」というやはり人気の尾根があります。
さらにその北に並行して短く地味な「倉掛尾根」があります。
山道は昭文社地図では赤破線なので不明瞭のようで、ネットでも惑わされて記事が多く見られます。
反面、尾根に並行する車道が離合しているのでなにか起これば車道に逃げられる、そんな保険つきのコースでもあります。
ところがそんなイージーな尾根歩きなのに、14日またしても手痛い目に逢ってしまいました。
以下、その顛末を・・・

先ずは数馬でバスを乗り継いで都民の森へ(ちなみに数馬から都民の森までのバス代は無料~鷹揚なことで、さすが東京都は金持ちだ・・・)。

Dscn2972 歩き始めて先ず鞘口(さいぐち)峠へ。

Dscn2974 峠を東に新緑の尾根道を歩く。

Dscn2975 奥多摩周遊道路へ下りるとそこが「風張峠」で、倉掛尾根を示す立派な標識が立っています。
ところが肝心の尾根の取り付き点が不明で「風張林道」という舗装林道に沿うあまりらしくない尾根に入りました。
それは正しかったのですが、ただでさえ定かでない尾根道は時折フッと消えてしまい、林道に出てしまいます。
そんな離合を繰り返しながら進むと、またもや粗末な石段で車道に下りるとそこに、手製の標識がありました。
倉掛山を示しているのですが・・・

Dscn2977 この形では、今辿って来た方向に倉掛山があるように見えるのですがが、それらしい山はなかったな~。
山道に戻り東へ進むと・・・

Dscn2978 ほどなく倉掛山頂 1078mに到着しました。
山頂に着いて最初に訝しく思ったことは、ルートはこのまま東へ直進するはずなのに、直角に左折して北へ下っていることです。
直進方向は藪で踏み跡は全く見当たりません。
”そうか、いったんは北に向かうが、いずれ東へ頭を振るんだろう”
そんな根拠のない解釈をして下り始めたが、一向に進路を東に変える様子がありません。
ここに至って、これは作業道の痕跡で、正しくは山頂からまた林道に降りるのだ、ということに気づいたのですが、いったん下ると登り返す決断はしがたいものです。
「迷った時は、迷った場所まで引き返すこと」というセオリーは知らないわけではないのですが、下降時での道迷いの場合は、登り返すことがこのセオリーを順守するための壁になってしまうのです。
登り返すより、このままこの作業道を拾って行けば山麓(見通しでは月夜見林道)へ出られるはずだ、という希望的観測に過ぎないことが、あたかも正しいことと思い込み、次第にますます戻ることが難しくなる深みに入っていく、よくあるパターンに嵌っていくのです。
作業道は下るほどに怪しくなり、赤テープが巻かれた樹木も見当たらなくなりました。
尾根からいつしか離れ、谷へ向かって下る斜面はすこぶる急で、足元は細かな砂岩のため踏みしめていてもズルズル滑り落ちるようです。
疎らな立木を危うく伝い、足を突っ張りながら谷底へ下り立ちました。

谷へ下りるのは山の世界ではやってはいけないことの第一番の鉄則ですが、過去何度か谷を下降して脱出できた成功体験もあります。
その経験にすがってみようとしたのですが、それがいかに甘いものであったかを直ぐに知ることになりました。

水流のある狭い谷は目の前で落差2mほどの滝を落とし、その10mほど先には下が見えない大きな滝があります。
狭いV字状の谷の両岸はヘツルことも不可能なツルツルの濡れた岩で形成されています。
ロープなど携行していませんが、仮に持っていたとしても役には立たないでしょう。

万事休す!進退ここにきわまりました。
谷の彼方にはどこかの集落が遠望できていますが、そこへ行くのは不可能です。
もう何としても戻る選択肢しかありません。
あまりの急斜面のため、滑り落ちないように足に力を込めるため、アキレス腱は痛く、ふくらはぎは痙攣を起こしそうでした。

そのようにして再び倉掛山に戻りました。
~帰宅してから調べたところ、標高差にして250mほど下っていましたが、このために2時間をロスしてしまいました。

Img092 赤丸が間違って下降し、戻ったルートです。

山頂から車道に下りれば山麓の集落まで何の面倒もなく下れます。
途中、再び山道に入れるようですが、その気力はもう失せていました。
その道すがらで、10年ほど前に御坂の十二ヶ岳で、何の理由もなく突然襲ってlた右膝の痛みが再発しました。
古傷が蘇ったのは、さっきの滑落の危機にさらされ、必死のあまり足に過大な負荷をかけてしまった私につきつけた警告なのでしょう。
”少しは足の身にもなってくれ!たまには足も休ませてくれ!だいたい月に10回も山に入るなんてジイさんのやるこっちゃないでしょうが・・・”
確かにこのところ過重な負担を掛けている膝からの猛烈な抗議が聞こえるようです。

さて、このチョンボの原因は2・5万の地形図(コピー)を持たないできたことにもあります。
地形図さえあれば「登山ルートは倉掛山の山頂から南側に離れて通過し東へ進む」ことが一目瞭然なのです。

ほんのわずかな手抜き、油断がいかに大きな代償を払うことになるか、これまでずいぶん学んできているのですが、活かされていないません。
♪わたしバカよね、おバカさんよね♪
とこれまでの度重なる反省に、また一つ反省を上積みしました。

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八間山 ~またしてもルートミスを

2014年5月12日

 

これは8日、野反湖畔の八間山で、またまた軽はずみが招いた道迷いの記録である。

私の山行プランに啓示を与えてくれるAさんのブログで4月の八間山を見て、意表をつかれた。
”そうか、もう車が入れるのだ。このところ遠くからしか見ていない今頃の白砂山を目の前で見るには好都合だな”
・・・ということで、山荘から八ッ場ダムの付け替え道路を走り、長野原草津口駅裏からR292へショートカットした。

Dscn2944 白砂渓谷ラインに沿う美しい村「赤岩」集落を遠望。
帰路に立ち寄ったが、集落全体で日本の原風景を残そうとしている意思が感じられた。

Dscn2945 野反湖 ~水も春の色になっている。
ここ「野反峠」はレストハウスはそう表記してあるが、駐車場に立つ大きな看板には「富士見峠」とある。
年に数度は富士山も見えるだろうが、どこのにでもあるそんな陳腐な呼び方には素直にうなづけない。

間もなく、ニッコウキスゲが埋め尽くし、栽培しているコマクサが見られる季節がやってきて賑わうであろうが、今は全くひっそりしている。
さて、これから向かう「八間山」を見ると、予想以上に登山道の雪は消えている。
大げさな支度は要るまい、とアイゼン、ストックなど残し、足元も軽登山靴とした。
西北に奥志賀の岩菅、裏岩菅、烏帽子岳など見ながら登り、上部では多少の残雪を踏んだが、特記するようなこともなく・・・

Dscn2951 所要1:25で山頂に到着。

Dscn2952 岩菅山と裏岩菅山

Dscn2953 久し振りにまじかに見る白砂山を挟んだ連なり。

Dscn2964 白砂山

Dscn2957 断定はできないのだが、一番遠景の三角錐は手前に白嵓尾根を引く鳥甲山に思える。
これまでは気がつかないでいたが、もし間違いがなければ、またここに来る楽しみが増えることになる。

まったりした時間を過ごして下りる。
往路を戻るつもりでいたが、山頂から西のキャンプ場へ下る夏道が現れている。
この道はまだ歩いていない。
車まで戻る長い車道歩きが待つことにはなるが、時間は十分ある。
これを下ってみよう。
ところが想定していた通り樹林帯に入ると地表は完全に雪に覆われている。
当てにしていたトレースも、目印になるエフ(会符~赤テープなど)の類もまったくない。
たちまちルートを失ってしまった。
迷ったときのセオリーに従い、戻って往路を下ることにしようと思いながら、あたりを観察していると、少し下に夏道が一部見えていた。
それに誘われて戻る選択を破棄してそのまま下降。
当然、再びルートが分からない事態になる。
戻るのも面倒、これだけ締まった残雪があるのなら、別に夏道通りにならなくても構わない。
最終的な手段としては、左(南)の方向に標高差にして300mほども下れば間違いなく車道に出られる、と若干の希望的観測も交えてそのまま下降を続けた。

進行方向に鳥甲山?が見えていたので、左へ進路を修正して今の浅い谷から、夏ルートと思われる左の尾根に上がる。
ところが、この尾根が車道まで延びているだろうとの予測ははずれ、直ぐに尾根の末端となり、沢の源流特有の開けた谷になった。
覚悟を決め、この谷を下降することとした。
アイゼンもストックも車においてきたため、急な雪の斜面を下るのは難儀で、やたらにスリップし、そのたびに体のどこかを打っている。
ついには面倒になり、急な雪面では、持参してきた尻皮で尻セードで滑り下りたりする。
それでも雪渓が続いていれば面倒はないのだが、ついに懸念があたり、水流が表れた。
幸い、始めは水量が少なく、飛び石伝いに下降できた。
しかし、当然に水は増えてる。
乱雑な雪渓にはスノーブリッジも現れ、ついにそれを踏み抜き、靴の中を水びたしにしてしまった。

靴を脱ぎ、靴下を絞る。
沢の左岸はベッタリの雪の斜面だが、あまりに急勾配過ぎて、へつりながらの下降はピッケル、アイゼンを持たない限り不可能。
右岸はほとんど雪がなく、雪で押し倒されたままの猛烈な笹薮でこの中に突入することもできない。
とにかく水流に沿ってくだる選択しかない。
こうした場合、最大の懸念は滝があって下降不能状態に追い込まれることだが、この浅く小さな沢ではその心配はまずあるまい。

こうしてルートを失ってからほぼ1時間ほど経過したところで、珍しい木製の堰堤が現れた。
しかもその先50mほどのところにガードレールも見えた。
堰堤の右側を最後の注意で下ればこのささやかなアドベンチャーは終わり。
結果的には車道に下りてから車に戻るまでの道程が半分以上短縮された。
だからと言って褒められることでもないが・・・。

帰宅してからの確認では「大空堀沢」を下ったようであった。

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西上州・シラケ山のプチ岩稜歩き

2014年4月9日

大型連休の前後あたりは私にとって「二兎」を追う季節である。
残雪の山と、アカヤシオの山との。
よほどの不運でもないかぎり一兎も得ず、というようなことにはならないが、何としても二兎を得たいので山選びが忙しくなる。
このところ雪山に比重が傾いている間にアカヤシオのほうが疎かになっていた。
ネット情報で各地の開花状況を知るほどに焦燥感が湧いていた。
せめて一山と、このところ足が遠のいていた西上州の「シラケ山」を今日(6日)歩いた。

私がその登山動向を注目している打田鍈一さんは「ハイグレードハイキング」を提唱し、実践している。
天狗岩~シラケ山~烏帽子岳を結ぶプチ岩稜歩きは、その打田さんお勧めのルートの一つである。

Dscn2942 ニリンソウ~珍しくもないが、登山口からほどなく群生地の傍らを歩くので一応撮っておく。
~と何気なく書いたところ、Gさんのブログで、ある地域では「絶滅危惧種」になっていることを知った。

Dscn2918 一時間ほどで登りつく天狗岩でアカヤシオに再会。

Dscn2912 右のトンガリが烏帽子岳~あそこまで足を延ばすのが普通だが、私は既に登っているので、その手前でUターンのつもり。

Dscn2913 天狗岩の西隣にある岩峰~打田さんのルート図では「一本岩峰」と書かれているが、それが名前なのだろうか?

Dscn2914 アカヤシオは奇妙なことに人が容易に近寄れないような剣呑な場所に群生を形成する傾向がある。

Dscn2929 気品と色気が見事にハーモニーして、あたかもグレース・ケリーを偲ばせる、かな?
~その死後もファンが多いケリー・・・

Dscn2924 シラケ山のテッペンでヤシオの群生の眼福にあずかる。

Dscn2932 ここではヒカゲツツジのお出迎え。

Dscn2934 シラケ山を振り返る ~振り返ってみても、その奇妙な山名の由来は分からない。

Dscn2937 一本岩峰のアップ。

Dscn2939 グンと近くなった烏帽子岳  ~遠景右端のトンガリが荒船・経塚山。
このルートはマニアックな山好き向き、と思うのだが、予想外に歩く人がい多い。

Dscn2941 この岩稜を通過すればゴールは近い。

烏帽子岳の手前で一般道の「横道」に合流し、ノンビリと戻った。

私の70歳台最後の大型連休はこれで終わり。
・・・とはいっても、365日が休みのメガ・ウルトラ・スーパー連休の身、特別な感慨に浸る必要などサラサラあるまいに・・・

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日向倉山~到達できなかったが大満足

2014年5月5日

日向倉山?~そりゃ、一体どこの馬の骨ジャイ?
そんな突っ込みが入るのもむりはない。
登山道の無い山だから・・・
新潟県には登山道(夏道)が無いので登山対象としては紹介されていないが、残雪期なら猛烈な藪を漕がずに、快適に雪上歩きで山頂に立てる山が揃っているらしい。
奥只見湖・銀山平の北側にある「日向倉山」1431mもそうした山の一つで、私は『岳人』誌の2008年5月号で一応目にはしていた。
最近になって何となく思い出し、ネットを漁って見て仰天した。
スゲェー!
荒沢岳を目の前にして、魚沼(越後)駒や中ノ岳の豪壮な眺めが目の前にドカーンとばかりに展開しているではないか。
自分の目で一目見ておきたい・・・。
ならばルートの残雪が消える前に早く行かなくてはならない。
いつ行く?~今でしょう!・・・というのが4日のこと。
高速料金の割引制が縮小されて、休日しか適用がない。
その休日だし、天気は良いし、雪解けもまだ最後の機会を残していてくれるだろうし・・・

小出ICを出て「奥只見シルバーライン」に入るのだが、この道はあまり走りたくない。
狭くて、暗くて、曲がりくねっていて、路面がゴツゴツしていて、トンネル内なのに雨が降っているような漏水など高齢ドライバーには試されるドライブを強いられる。

Dscn2881 越後駒~シルバーラインの途中で。

久し振りに銀山平に出て日向倉山の登り口になる「白光橋」の手前のスペースに駐車。
先着3台。
10本アイゼン、ピッケル、一本ストックといういでたちでスタート。
何かの建屋の裏から取り付くことになっているが、雪の壁みたいである。
左(西)の方の尾根がまだ緩そうに見えたので、そちらから取り付こうと進んだが、崩落があって阻まれた。
戻ってとにかくこの急な、尾根の末端を登るしかないと決める。
できるだけ傾斜を緩めるため、ジグザグを切って支尾根に乗った。

Dscn2883 背中に常に荒沢岳の目が光っている。

傾斜はいくらか緩んだものの、それでも相当な斜度を保ったままの雪の尾根をひたすら登る。
先行者の新しいトレースは無いが、雪面が締まっているので有りがたい。

Dscn2884 雪庇の亀裂などで雪面が荒れた急な雪稜。

荒沢岳はハナから見えているが、登るにつれて越後駒と中ノ岳が見えてくる。
これが見たさにやってきたので、早くもこれだけでもいいや!という気になっている。

Dscn2887

かなり息が上がって、最後の雪壁を登り主稜線に出た。

Dscn2889
ここまでに1時間半を要している。
ガイド記事では1時間15分とあるから、やはり鈍行である。
日向倉山頂まではもう急な登りはなくて、1時間半となっている。

Dscn2890 長い両翼を持つ荒沢岳(左)、中ノ岳(中央)と越後駒ヶ岳(右)と、バンザイ!と叫びたくなる豪快な眺望だ。
荒沢岳山頂の真下に黒々とした部分がある。
あまりに急峻なため雪が着かない前嵓の岩場だろう。
今の段階なら北アルプスにもひけをとらない。

広い雪稜を右側の雪庇に乗らないよう注意して日向倉の方へ向かう。

北には馴染みの薄い未丈ヶ岳も見えてくる。

Dscn2894 左が未丈ヶ岳、右端が日向倉山、中は無名峰。
これでもう十分だ ~ここまで来た甲斐は十分あった。
充たされた思いで日向倉山頂への執心は跡形もなく消えた。

Dscn2897 広い雪の尾根に点在するブナ ~春を告げる根回り穴が開いている。

Dscn2905 越後駒の右奥に八海山も覗いている。

Dscn2904 中間点の1196m標高点で昼食 ~モネ(あるいはマネ)の「草上の昼食」ならぬ「雪上の昼食」か。
温(ぬく)い雪の上で、絶景を目の前にして、心地よい微風に吹かれながらなら、コンビニ弁当だって十分にご馳走になる。

来た方向にある赤崩山と思われる山頂に人影らしいのが見えた。
しかし、これが全く動かない・・・岩か?やけに気にかかる。
往路を戻り、下降点まできたがあの岩か、人かの疑念をそのままには下りられない。
確かめに行こう。
スイスのシルバーホルンを思い出させる真っ白なピークを超えたその先の頂にやはり人がいた。
黒く日焼けして、見るからに雪山を遊びつくしている風貌である。
こちらはこの辺りにはビギナーなのでいろいろ教えを乞うことができ幸いだった。

別の下降ルートがあってそこをショートスキーで滑降するそうだ。
見たところ「鵯(ひよどり)越えの逆落とし」で、歩いて降りても大変そうなのに・・・。
半袖の軽装で、登山靴ながらアイゼンは着けていない。
ブラッとお気に入りの頂に立ち、そこでボーッと何もしないで数時間を過ごす・・・これぞ私など足元にも及ばない山遊びの達人である。
ガツガツ頂だけを目指す人間の精神の貧困さよ。

別れの言葉を交わして下りることとした。
下降点の壁に来ると4人のパーティが先に下降を始めていた

Dscn2911

途中で追い越し、最後の尾根末端の壁に来た。
ピッケルを深く刺し、確保しながら降りているつもりだったが、途中でスリップ。
数本の細い木に当たりながら4~5mほど滑落して止まった。
腕などに数箇所の打撲や擦過傷を負った。
下は平なので大事に至ることにはならない場所とはいえ、不注意のそしりは免れまい。
急傾斜なのに前向きに下りたが、ここは慎重にクライムダウンのポジションを取るべきであった。

とは言え、シーズンの最後で念願を果たし、苦手のシルバーラインも鼻歌交じりで?走り抜けた。

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懐かしい映画「氷壁」

2014年5月2日

恵比寿ガーデンプレイス内の「東京都写真美術館ホール」で、先月から「山岳映画特集」が開かれていて、新旧の山岳映画が勢ぞろいしている。
なかなかのライン・アップになっていて数本観たいものがあったが、自分の時間との兼ね合いで思うようにいかず、何とか今日「氷壁」を観ることができた。

Dscn2877 ここに来るのは何年ぶりになるのだろうか。

「氷壁」は1958年に公開された作品であるから古さは否めない。
公開された当時、もちろん観ているし、かなりのシーンが記憶に残っている。

Dscn2876

画質は問わないとしても、造りがいかにも安手である。
当時の山岳映画はなべてそうであるが、とにかくリアリティの欠如は目を覆いたくなる。
一例を挙げる。
冒頭、主人公の魚津恭太が冬の穂高から新宿に戻り、行きつけの飲み屋にいくのだが、その顔が今入浴して髭をさっぱりと剃ったばかりのようにツルツルなのだ。
数日間山に入っていれば、一人前の山男なら無精髭が生えていて当たり前である。
松本辺りで風呂に浸かってきたのか?などと茶々を入れたくなる。
登山シーンはこの後も出てくるがいつもツルツルなのである。
こんな誰でも分かるような不自然なことに、監督以下のスタッフの誰もが気づかないのだろうか?

その点、近年に公開された「劔岳 点ノ記」や「アイガー北壁」などには、その残滓がないこともないが、ダテに50年歳くっていない、映画造りの進化を認識させてくれる。

魚津恭太の菅原謙二はまあまあとしても、小坂役の川崎敬三は優男過ぎて、山男の匂いがなく、明らかにミスキャストだろう。
それにしても山本富士子は屈指の美女とされているのだが、私にはどうしてもそう見えない。
二人の山男の心を捉えてしまうような魔力がどこにあるのだろうか?
唯一、存在感を見せているのが、原作でもそうだが、支社長・常盤大作を演じている山茶花 究である。
これぞ理想の上司像である。
私がそのような上司に恵まれたかどうかはおくとして、自分がそのような上司でなかったことは間違いない。

当たり前でああるが、半世紀の時の流れを思わせるシーンが随所に出てくる。
例えば、登山中も含めて、男たちはどこでもタバコを銜え、吸殻はごく自然にそこらにポイ。
愛煙家が見たら、羨ましさで卒倒するのではなかろうか。

田園調布の情景もしばしば登場するが、なんと道路が未舗装である。
きょうび、年間に何台も通らないような林道でも舗装されている。
たった半世紀の間に日本のインフラ整備はこれだけ進んだのか。
いや、しかし待てよ・・・幸か不幸か田園調布の住人であったことはないが、記憶を辿っても日本一の住宅地がまさかそんなだったはずはあるまい。
このロケ地は他の場所だったのであろう。

原作は言うまでもなく井上 靖の新聞連載小説。

Img089

新聞小説を意識しているのか井上作品にしてはやや通俗的なメロドラマ仕立てになっている。
『猟銃』に代表されるようなあの硬質で、どこかヒヤリとする空気感はない。
ロジェ・デュプラの「もしかある日」を深田久弥の助言をいれて引いたり、「北鎌尾根」で遭難した松濤明をモデルとしての遺書を借りたり、ナイロンザイル事件を主題に据えたり、さすがに巧みの手になる小説であるが、映画はそれをうまく活かせていない。
「映画は原作を超えられない」これもその見本のようになっている。

50年前の映画をあれこれあげつらうなどとは、あまりみっともいいものではあるまい。
タイムスリップして20歳台の自分に戻れた一瞬を得られただけでも良しとしなければならないのだろう。
ここらでThe Endとしましょう。

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