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文武両道の岳人・山口耀久さんの講演を聴く

2014年3月2日

体は重量級だが、口いや頭の中が軽い元総理の嫌味を、23歳のフィギァースケーターが記者会見で披露した返し技の見事なこと・・・彼女の方がズッと大人に見えた。
~大事なところで失言してコケルのはあなたではありませんか?シンキローさん・・・


ところで、陳腐な設問になるが、もし無人島で暮らすこととなり、一冊だけ本を持っていけるとしたら、あなたは何を選ぶか・・・?
私だったら・・・一冊に絞るのは難しいが、候補を5冊上げるとしたら
『北八ッ彷徨』はその中に間違いなく入る。
先日、その著者・山口耀久さんの話を聞く機会があった。

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岳人としての山口さんは名門山岳会「獨標登高会」を率いて、戦後にはやばやと北ア・不帰岳や八ヶ岳の登攀ルートを次々に開拓し、その華々しい活躍は山岳界でつとに知られていた。
同時に書き手としての山口さんも山岳誌に発表される格調高い文章で、早くから名声を高めていて、いわば登山界における文武両道の達人であった。
戦前では28歳という若さで前穂の北尾根で墜死した大島亮吉が文武両道の岳人であったが、戦後で大島と比肩しうるのは山口さんではなかろうか、と私は仰ぎみている。
1960年に刊行した『北八ッ彷徨』で文筆家としての声価を決定づけられた。

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瑞々し感性に裏打ちされながら、冗長に流されることのない格調高いた名文で愛してやまない八ヶ岳を綴り、戦後に生まれた山岳文学の最高峰という評価はほぼ定着していると思う。

Img077 1997年の山口さん ~北八ッ・ニュウにて
その山口さんが編集に参加していた『アルプ』という山の文芸誌があった。
1958年(昭和33年)3月に創刊され、1983年2月に300号をもって終刊となった。
30年も前に姿を消した『アルプ』がいまだにクッキリとした残影を刻み、語り草になるのはその孤高性にあり、山の世界の喧騒からはるかに離れた立ち位置に立っていたからであろう。

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山岳誌には当然にある山のガイドなどの実用記事は皆無だし、広告も無いという常識外れの存在で、既存のものと明らかに一線を画していた。
『アルプ』を象徴する人は串田孫一であり、尾崎喜八であったが、二人を含めて執筆の常連者はほとんど今は亡い。
今、唯一の語り部としては『アルプ』の残影を綴れるのは編集員の一人であった山口さんをおいてはいない。
その山口さんが、このほどおそらく『アルプ』を語る最後の本になるであろう『アルプの時代』を上梓した。
本夕の講演はこの『アルプの時代』出版に因んだものである。

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アルプ』は内容はもちろん上質なものであったが、体裁においても雑誌と言葉が似合わないほどの贅沢なつくりをしていた。
この『アルプの時代』も『アルプ』の血筋を引いて、山口さんがとことんこだわった美本になっている。
良書とか名著であるためには内容が第一であることはいうまでもないが、愛蔵するのにふさわしい装丁やクォリティを備えてものであってほしい。
この一本はまさしく長く愛蔵するのに値する書である。

かつての知性にあふれた白皙(はくせき)の人も米寿を迎える年となり、登山も80歳が最後となったそうである。
不本意ではあるが、文も武も備わっていない私のような者が、80歳を目の前にして文はともかく、山歩きだけはなんとか実践できている。
そしておりおりになんの役にもたたない駄文を綴っている。
もし山口さんが今でも山を歩くことができたら、私などと違い、その瑞々しい感性で綴られる紀行文で、多くの人に読む喜びを与え続けられるであろうに・・・。

質疑応答で「もう一度山に登れるとしたらどの山を選びますか?」とお尋ねした。
答えは「日高の山か、頚城の焼山」ということであった。
それらは例示であって、要はどうにか俗化を免れている山が山口さんにとって「登りたい山」ということなのであろう。
その山口さんの口から「八ヶ岳」が挙げられることはもはやあるまい。
かつてあれほど愛してやまなかった山口さんの八ヶ岳はすでに遠い過去のものになり、商業主義にまみれた今の八ヶ岳は違う山だ、というお気持ちだろう。
その所以はすでに『八ヶ岳挽歌』で語られている。

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コメント

風花さん 、こんばんは

真央ちゃんのカウンターパンチ、NHKにも効果的だった様ですね。良い薬になりました。名立たる岳人による山岳誌の名前は聞いた事がありますが、私が山登りを始めた頃出版されていた本は、長野県警救助隊などのフィクション、新田次郎など数十冊もありましたが、友の入院している時に貸したまま戻って来ません。30年も返すと言い続けていましたが…穂高どっぴょうの落雷、木曽駒の遭難などリアルに書かれていました。無人島ならそれらの本を積んで行きたいですね~

投稿: | 2014年3月 3日 (月) 18時09分

岳様
昭和30年代から40年代のかけては日本のアルピニズムが一番華やかな時代でした。
初登攀争いが穂高、剣、谷川岳などで繰り広げられ、山口さんをしのぐ優れたアルピニストを輩出しました。
今は登山のスタイルがまるで変わってしまったので、比較すること自体ナンセンスだろうと思いますが、岳人としては8千m14座を完登した竹内洋岳さんとか、フリークライミングの平山ユージさんくらいしか思い浮かびませんね。
本を貸すとまず返ってこないですね。
私も苦い思いを何度かしています。
1913年の木曽駒での箕輪小生徒の遭難を新田次郎は『聖職の碑』という作品にしましたね。
1967年の西穂・独標での落雷による松本深志高生の遭難も遭難死に刻まれる悲劇でした。
そして山での遭難はいまだにあとを絶たず、繰り返し発生しています。

投稿: 風花爺さん | 2014年3月 3日 (月) 20時39分

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