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2014年3月

雪の赤城めぐりのフィナーレ~長七郎山

2014年3月30日

赤城山群の一峰「長七郎山」1579mは小沼東岸の丘陵である。
山麓から見れば「山」には見えるが、小沼を基点にすれば標高差200m足らず、丘に上る感覚である。
降雪に恵まれた赤城山ではあるが、さすがに間もなく4月の声をきく今、雪山歩きもそろそろ終点であろう。
そこで昨日、残る「長七郎山」から「小地蔵」を結んだ丘陵歩きをした。

Dscn2659 長七郎へ向かう小沼南岸の道。
このところの暖気で雪が緩んで時おり踏み抜きをしてしまう。

Dscn2660 小沼の向こうの黒檜山
結氷した湖面の色が心なしか春めいている。
Dscn2661 左から四阿山~草津白根~横手山~岩菅山
Dscn2662 黒檜の左下、真ん中が上州武尊。

Dscn2665 荒山の右奥に浅間山

Dscn2664 赤城から富士山が見えることは珍しくないが、それでも写真に写るほど鮮明なのは稀である。
危うくフレームから外れそう。
最近のコンデジには透視ファインダーがまず装着されていない。
液晶ファインダーだと光が画面に当たる場合など被写体を正確にフレーミングしているかどうかの確認ができない。
私は透視ファインダーの復活を切望している。

Dscn2666 白い丘のような山頂。

Dscn2667 東が開け左の日光白根に始まり皇海山から袈裟丸連峰への連なりが一望できる。

Dscn2667_2 日光白根と皇海(スカイ)山。
Dscn2670 袈裟丸連峰の中ほどに男体山が覗いている。

Dscn2671 何でこんなまん丸な穴が開いたのだろうか。
下りで行きかった人はピッケル、ワカンを携行し、もちろんスパッツにアイゼンを履いて完全装備。
私ときたら軽登山靴で、スパッツもアイゼンもつけていない。
いかにも、という出で立ちより、できるだけさりげなく山に入りたいのでこうなってしまう。

Dscn2672 小地蔵に回り、この鳥居峠の分岐に下ればもう小沼の畔である。

かくして今シーズンの赤城山めぐりは最後まで楽しめた。

次の冬を私は大台に乗って迎える。
そのときまで無事に過ごし、再び赤城の懐の中で戯れることができるよう、心のどこかで願っている。

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標高数値に翻弄された「剱岳」

2014年3月28日

昨日、南アルプス展望の感動を共有したいと13人の仲間で「愛鷹・越前岳」を歩いたが、終始雨模様の曇天で、一瞬の出会いもないままに終わった。
天気のことは誰もその責めを負えないことではあるが、そうとは思いながらも皆に悪いことをしてしまったな、という思いがつきまとって離れない。
今日が晴天になっただけに”たった一日違いで・・・”と自分をさいなむ気持ちが募ってしまう。

ところで身長とは、伸びるものではあっても縮むものではないと思い込んでいた。
大分以前、健康診断で身長の数値が減ったことを知ったときも、単なる測定誤差だろうと受け止めていた。
それが、誤差の値が大きくなるにつれ、どうやら計測上のことではないことを思い知るに至った。
私のように身長が平均値以下の者にとっては貴重な数値がさらに減るなんて、けっこう応えることである。
加齢により軟骨が擦り減り、椎間板の厚みが減ることが原因らしい。

おりしも27日の朝刊各紙で紹介されたのが、87の山で標高が1m高く、もしくは低くなったというものである。
山も伸び縮みする?
いかに何でもそれはなく、測量の精度による修正である。
この中でやはり山好きの関心を呼んだのは南アの「間ノ岳」であろう。
これまで3189mでたった1mという僅差で日本第4位であったが、新標高3190mは奥穂高岳と肩を並べる3位タイとなる。
ヒマラヤやアルプスなどと比べたらドングリの背比べで笑止千万なことだが、いざ山好きとなると、これがなかなかシビアなことになるのである。

山の標高の話となるとやはり「剣(正しくは剱)岳」の標高の数奇な変遷に思いが至る。
映画「点ノ記」となった1907年の剣岳における最初の測量の成果として標高が2998mと算定された。
それが1930年の測量で3003mとされ、堂々と3千m峰の仲間入りし、40年の間その地位にあった。
なのに、1970年の空中写真を使った測量ではなんと2998mに下方修正されてしまい、その後長いこと剣岳の標高となっていた。
剣岳登頂100年に当たる2004年、記念事業として山頂に三角点標識を設置しようというミッションが決まり、63kgの標石が山頂の一角に設置された。
この位置の標高が非情にも2997mとされた。
三角点から13m離れたところ、祠の立つ岩の累積がさらに1・5m高いところから、剣の標高は最終的に2998・6と確定した。
多くの登山愛好家の祈るような願いも空しく、3千m峰への復活はならなかったのである。
たった1・4m・・・これくらいのことなら辺りにいくらでもある岩を積み上げてキリよく3千mにする、それくらいの粋な計らいは許されないものだろうか・・・

それにしても100年以上も前の、未成熟であったであろう時代の測量値と、最新のデジタル技術を駆使しての側量結果とが殆ど違わないことに驚く。

Img303 あと2m、どうにかなりませんか? ~山と渓谷 2004年7月号

Img084 剣御前からの剣岳

Img082 1907年柴崎芳太郎一行の側量隊

Img083 柴崎の名前が入っている「点ノ記」

Img081 一般登山者に試練を課す「カニのタテバイ」

Img085 祠が建つ剣岳の最高点
私がここに立てば私の頭は3千mを越える。
そして私はかつてそこに立ったことがあるのだ。

しかし、ここに縷々書き連ねた些細な数字の違いが一体なんだというのだろうか。
そんなことは「雄姿」と云う言葉が一番似合う剣岳の雄雄しい姿をいささかも貶めることにはならない小さな、小さなことでしかない。

 

 

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富士にひれ伏す?愛鷹・越前岳

2014年3月23日

小渕元首相は、同じ選挙区に福田赴夫、中曽根康弘という超大物がいたために自らを「ビルの谷間のラーメン屋」とその悲哀を嘆いてみせた。
愛鷹(あしたか)山にも同じ思いがあろだろう。
さほどの高さはないが、広大な裾野を持ち、立派な山容をしているのに、なまじ富士山のそばにいるものだから、なかなか認知度があがらない。

この27日、山の会としては初めて「愛鷹連峰・越前岳」を歩く予定になっている。
例年なら残雪のことを気にする必要はないのだが、いうまでもなく今年は例外。
・・・ということで22日現調をする。
夜明けが早くなったおかげで早朝のスタートも苦にならなくなり、おかげで三連休の中日にもかかわらず東名の流れはよく、2時間半ほどで十里木高原の登山口に着いた。

Dscn2653 東から見る愛鷹連峰 ~右が最高峰の越前岳1504m。
今日は山頂から右へ下がる尾根を登る。

スタート地点はいわば富士山の足元なので、やたらにデッカイ彼の山がヌーッとたっている

Dscn2634 富士山を背負って登るせいか、やけに足が重い。

Dscn2633 西の空には南アルプスの荒川岳~赤石岳~聖岳 (右から)
大気が透明で今日は展望日和。

Dscn2637 東には丹沢山塊の連なり。

このところいつも後続者に抜かれっぱなし。
高齢ハイカーにとって疲労軽減のコツは足幅を小さくしてユックリ歩くこと。
それが習い性となり私の山歩きはスピード感に乏しい。 

Dscn2642 高度が上がるにつれて南ア北部の白根・間ノ岳、農鳥岳も見参する。

Dscn2646 山頂近くで梢越しに・・・

Dscn2652 山頂は霜柱が解けてぬかるみである ~ここはいつきてもこんな風である。

Dscn2650 山頂の泥濘と清浄な富士の対比・・・

Dscn2647 南西の眼下には駿河湾

雪解けの時期になると多くの山道は一年で一番ひどい状況になる。
霜柱が解けて、氷結が毎日少しずつ解けて、雪と土が混ざりあってなどで、田んぼさながらの泥濘があちこちに現出する。
結果として靴やアイゼン、パンツの裾(私は面倒でスパッツを履かないので・・・)が泥だらけになり、後が大変になる。

これもまた山歩きであるが・・・。

 

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まだまだ続く赤城めぐり~地蔵岳

2014年3月21日

このブログにコメントを寄せてくださる方のブログで「穂高は日本第三位」という当たり前のことを読んでからフト連想がわいた。
穂高岳山荘の創設者・今田重太郎は北岳より3m低いことが悔しくて、奥穂の山頂に4mの岩を積み上げて”これで日本第二位”と胸を張った。
ところが国の認めるところとならず、今でも三番手に甘んじている ~ナミダ!。
もし、この行為が公に認められることとなったとしたら・・・・
今度は北岳が黙っていない・・・それならばと2m岩を積ん抜き返す。
それを際限なく繰り返しているうちに、気がついたら富士山より高くなっていた、なーんて。
いや、第四位の「間ノ岳」だって参戦するかも・・・この山は山頂がダダッ広いから岩を積み上げるのには条件的に一番恵まれている。

連想はさらに映画「ウエールズの山」へと続く。
Garth220世紀の初め、ウエールズにイングランドから測量士がやってくた。
測量の結果1000フィート未満であれば山とみなさないということになる。
南ウエールズのある村にある「フュノン・ガルウ山」はそれに16フィート足りない。
村人たちにとっての誇りであるこの山の絶対絶命の危機に直面した彼らは総出で土を山へ運び上げ1002フィートの高さを確保してめでたく山として認知を受けた

高さにおいて際立った存在でもない赤城山を形成する山々は総じて楽に登れる山ばかりであるが、その中でも一番イージーなのが地蔵岳。
それも東の付け根「八丁峠」からなら裏山に登る感覚である。
その八丁峠まできれいに除雪してあったので超ノンビリと登ったのが17日のこと。
空模様は申し分ないし、気温も丁度良しで、文句ない山日和である。

Dscn2596 南面道路から振り返る荒山。

Dscn2623 新坂峠あたりの白樺純林。                                             Dscn2624

Dscn2597 八丁峠の登山口から見る黒檜山

Dscn2598 すぐそこにある地蔵山頂。

Dscn2607 山頂近くから見下ろす小沼。

Dscn2604 山頂から見る尾瀬の燧ケ岳や至仏山

Dscn2609 黒檜山と右の低い駒ヶ岳の間の鞍部に男体山があるのだが見えにくい

Dscn2613 地蔵から下り小沼東岸の長七郎へ向かうが・・・

Dscn2616 湖岸から小沼を見下ろす ~摩周湖? そんなはずはありません

Dscn2617 凍結した小沼の向こうの黒檜山。

Dscn2618 フト見ると、小沼の真ん中を歩く人が見えた。
そうか厚く凍結しているから氷の上を歩けるのだ。
山へいくより滅多にできないことだから、と長七郎はやめて、私も勝手気ままな氷上の散策としゃれ込んだのでした。

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積雪期の赤城山巡りも終盤で「鍋割山」へ

2014年3月18日

「STAP」細胞は心配していた通りの成り行きになってきている。
科学の世界では「ファクト(事実)」と「エビデンス(証拠)」が生命線だが、どうやら故意(とはないが・・・)か過失かで事実と証拠に過誤があったらしい。
小保方さんは若くて才能のある研究者と思われるから、未熟さゆえのつまずきがあったとしても捲土重来を期して欲しい。
和製ベートーヴェン氏の問題と酷似しているように見えるが、本質的に両者は明らかに違う。
S氏は男で、いかにも悪さをしそうな顔つきであるが、小保方さんは愛らしい「リケジョ」である。
かように非論理的で、主観的な審美感において両者は決定的に異なるのである、と断定してしまう。

Image        Image_2    
本物の研究者となってもう一度この晴れ姿を見せてほしい。                                                           

恒例になっている冬の赤城山群めぐりも3月の声をきくと例年ならそろそろ終盤に入る。
これは16日、残る鍋割山1333mを歩いたものである。

赤城山を南から見ると一番左端が鍋割山で、雪が多いときには山頂付近がほぼ円形に白くなるので同定しやすい。

Dscn2571 姫百合駐車場の登山口。

Dscn2572 雪は固く締まり、アイゼンが快適に効く。
横着してスパッツは着けていないが全然問題なし。

Dscn2595 荒山高原から鍋割の稜線に上がる途中にある雪庇。
先日、下から見上げたが、今にも崩落しそうな亀裂が入っている。

Dscn2575 この雪道を上りつめると稜線に出る。4

Dscn2576 稜線に出ると幾つかの小さな隆起を越えて行く山稜歩きとなる。
鍋割山は南から見ると殆ど扁平に見えるが、実際に歩いてみると小さな凹凸の連続である

Dscn2577 榛名連山と重なる浅間山~浅間山頂の真下に榛名の相馬岳がある。

Dscn2582 竃(かまど)山へ続く広い雪稜。

Dscn2586 振り返ると先日登った荒山。

Dscn2591

Dscn2590 鍋割山頂と浅間山の遠望 ~鍋割を訪れるハイカーは多い。

富士、南ア、八ヶ岳などに加え、蓼科の右には北アルプスまでが辛うじてながらも見えているほどの展望日和であったが、靉靆(あいたい)としていてさすがに写真に捉えるのは無理である。

雪害によるビニールハウスの倒壊で、生活の基盤になっている野菜や葡萄づくりを断念しなければならないところまで追いつめられている多くの被災者をよそに、私は大雪がもたらせてくれた恵みを享受している。
いささかのうしろめたさは感じているが・・・・・・。

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春の始まり~丹沢の低山「高取山」を歩く

2014年3月14日

先日25人という大勢で小田急沿線の「渋沢丘陵」を歩いた。
その折、秦野駅を挟んで、以前歩いた弘法山が大山に向かって高度を上げていく途中にある「高取山」に目がいき、まだ歩いていないので次はここと決めておいた。
帰宅してから下調べをしているうちに、宮ケ瀬湖の東岸にもう一つの「高取山」705mがあることを思い出した。
1年ほど前に向かったのだが、その時は突然の天候急変で断念している。
展望も良い、ということなので雪のあるうちに眺めておこうとこっちに鞍替えした。
11日(火)はこの冬一番くらいの寒さで大気がキーンと張りつめ、山を眺めるには絶好の条件だったが、これを活かせずに一日遅れの12日に歩くこととした。
この清明な大気は11日限りだろう・・・という懸念を残しながら・・・。

本厚木から宮ケ瀬へのバスが「土山峠」越えにかかると未練気に汚れた雪が日陰斜面には残っていて、大雪の名残をとどめている。

Dscn25541 仏果山登山口から宮ケ瀬湖越しに見る「大山」
心配が当たり、水蒸気をタップリ含んだ南風のため、気温は上がったが大気はすっかり靄っぽくなってしまった。

Dscn2555 雪で倒壊した登山ポスト ~トラロープで立木に結わえ辛うじて斜め立ちしているが・・・・
ヒルに注意!という警告もあるが、さすがにこの時期はヒルの心配は無用である。

Dscn2556 宮ケ瀬越 ~かつてはこの峠の北側の「半原」で栄えていた撚糸工場に通う宮ケ瀬の女工たちも越えた峠である。

Dscn2558 目と鼻の先にチンマリと高取山 ~北斜面には雪が薄く残っている。

Dscn2561 高取山頂から北へ下る斜面。

Dscn2560 高取山頂 ~標高差400m。1時間15分ほどのショートコースである。

Dscn2563 山頂からのパノラマ ~かえすがえすも水っぽい大気が残念。
宮ケ瀬湖の対岸の左が大山。
手前に立ちはだかる三角の本間ノ頭の右奥に「蛭ヶ岳」 左奥に「不動の峰」と「丹沢山」
このアングルからは初めて見る丹沢の盟主「蛭ヶ岳」 ~もっと鮮明であったらな・・・・。

~と、記憶通りに書いたのだが、記録を当たったら2007年に隣の「仏果山」の展望台から同じ展望を得ているのである。
どうやら記憶消去機能が働いてしまったらしい。

Dscn2566 蛭ヶ岳方向のアップ

Dscn2568 雪の斜面の向こうに「仏果山」

Dscn2570
こんな名残り雪を踏んで下って行けばほどなく土の道を歩くようになり、梅が開き始めた里に下り、軽い山踏みは終わる。
やたらに寒かったこの冬だが、季節は確実にめぐってくる。

Ooin
足元には、春になればどこでも一番に開く野草が咲いている。
綺麗な青色4弁の小さな花にはおよそふさわしくないへんてこりんな和名がついている。
別名には「瑠璃唐草」とか「星の瞳」などという、この可憐な花によく似合う素敵な名前が付けられている、というのに・・・。
この愛らしい春一番の使者を、私はそれにふさわしい名で呼ぼうと思う。

 

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新入り家族を紹介します

2014年3月11日

今、その成り行きにとても気が揉めていることがある。
新しい万能細胞の研究論文を発表した才媛・小保方晴子さんの「STAP細胞}のことである。
一夜にして生命科学分野でのシンデレラとして華々しく脚光を浴びたのはつい先日のことであった。
そそっかしい私など近い将来のノーベル賞受賞にまで飛んでしまった。
その論文にいろいろな疑義が生じ、明快な説明ができないまま、ついに論文の取り下げにまで発展しそうである。
例の和製ベートーヴェン氏の仕業とは別種のこととは思えるが、日本にとっての折角の人材が痛手を負うことにならないことを祈るや切。

そしてあの日から3年の歳月が流れた。
物心、両面にわたり甚大な被害をこうむった方々には、はかばかしく進まない復興への足取りには、もどかしいなどの言葉では尽くせない思いがあるのであろう。
片や、アベノミクスで手持ちの株が上がっただの、東京五輪などで浮かれている塊があって、明と暗がクッキリと分かれてしまっている。

さて、先月から我が家に新入りがやってきた。

 Dscn2553
犬の「タッフィー」(メス)である。
ビション・フリーゼ(愛くるしい巻き毛、の意)という種類で、フランス原産種らしい。
次女が暮らしていたアメリカで生まれて育ち、帰国した。
いわば帰国子女で、もちろんバイリンガル犬である。
したがって”シッダウン”と言っても”お座り”と言ってもチャンと理解できる。
・・・ほんとのところは餌が欲しくてそうするだけでしょうが・・・多分。

孫娘がアメリカとホンコンに巣だっていき、残る家族は犬を飼えない集合住宅に引っ越しすることとなり、行き場がなくなった哀れな犬をやむなく私宅で引き取る仕儀となった。

Dscn2552
ネット上に見るビション・フリーゼはその名に背かない実に愛らしい姿で紹介されているが、わがタッフィー嬢?はかなりバッチイ・・・

Img_2825 ~こちらはネットで見つけた同種~人形みたいに愛らしく、どう贔屓めに見てもタッフィは大分水をあけられている。
もう30年近く昔のこととなるが、わが家でもプードルを飼っていた。
癌にかかり手の施しようがないまでに症状が進んでいて、いよいよ最後のとき病院へ預けて帰ろうとした時の彼女のすがり付くような悲痛な目が今でも忘れられず、こんな悲しい思いをするのなら2度と犬は飼うまいと決めた。

また、犬は飼うのに手間暇がかかり老夫妻にはお荷物となりかねない。
私宅には猫は途切れずに同居しているが、わが道をいく猫はたいていのことは自分でやれるのであまり負担感はない。
今わが家に長年君臨している猫の「さくら」は「猬(けんと入力したいのだが正しいけんがIMEパッドを使っても出ない。従ってこのけんの字は正しくない・・・)介孤高(けんかいここう)の典型で、新しい仲間を受け入れる寛容さには間違いなく欠けている。
果たして共存共栄といくかどうか心配でもあった。

それやこれやで犬の引きとりからは逃げたかったが、諸般の事情で最後にには「ウン」というしかなかった。
家族の一員になってみればもともと人になつく種類だから直ぐに適応した 。
しかし「さくら」のほうは心配した通り新入りを迎え入れる気がなく、シカトするだけならまだしも、これまで家内の寵愛を一身に受けていたのに、状況が激変したため小さな自分の居場所に引きこもり状態になってしまった。

私も、連れ合いも、さくらもともに立派な後期高齢者であるが、新入りのタッフィーも齢80歳には達しているらしい。
この先、誰が誰の面倒をみることになるのか、老々介護は確かであるが、まことにややこしい家族構成になってきたものである。

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久し振りの赤城・荒山は深い雪で

2014年3月6日

何とも恐ろしいことにはや3月である。
「2月は逃げる、3月は去る。」というくらいであるから、慌しく逃げていった2月に続き、この月も瞬く間に走り去っていくのであろう。

2度の大雪で山荘へこられたのは実に3週間ぶりになった。
予想通り公道は除雪されているが、山荘へ入る私道は積もった雪が大きな顔をして塞いでいる。
誰も来ないだろうと入り口だけ重い雪をどかして駐車スペースを確保し、足を踏み抜きながら歩いてどうにか久し振りに山荘の玄関を開いた。

翌日(5日)早速に赤城山へ向かった。
今日の目的は「荒山」 ~赤城山群の中では一番登り応えがする。

Dscn2535 登山口となる「姫百合駐車場」 標高1030m。
平日だがすでに10台あまり駐車し、それぞれ身支度をしている。

Dscn2536 荒山の登山口 ~均されてはいないがトレースはついている。
Dscn2537 さすが大雪の後 ~赤城山では珍しいくらいの積雪量である。

Dscn2538 荒山高原 ~季節になればツツジの海になるが、今の時期、その様を想像するのは難しい。
一年前、猛烈なブリザードと深い雪に前進を阻まれて、ここから撤退したのが嘘のように、今日は穏やかである。
ここまで前後してきた数人の方はここから南へ分かれる「鍋割山」へ向かう。
荒山へはとりあえず私一人らしい。

Dscn2539 目指す荒山 ~トレースは明瞭ではないが、有りがたいことに雪面が締まっていて踏み抜きの心配をしないで歩けるので、精神的にも助かる。

Dscn2540 上空はきれいに澄んでいるのに、水平方向は靄がかかりせっかく上信越の山が見えているのに写真を撮る気になれない。
そのぶん、こんな普段なら見過ごしてしまいそうな様子にカメラが向く。

Dscn2541 歩行条件は悪くないのに、脚力の低下で二人に追い越される~マッ、いいか。
それにしてもこのあたりの雪の量感には圧倒される。
ここを過ぎると山頂圏の急登にかかる。
この急登は短いが半端ではなくピッケルが欲しいところ。

Dscn2542 山頂 ~標高差540mの登りに2:20を要した。
夏道での標準タイム1:35に比べてもやはり雪山はハードになるようである。
山頂の石祠がここまで埋まっているのも初めて見る。
山頂西側の岩頭では素晴らしい展望が得られるのだが、本日はシャッターを押す気になれないコンディションである。
地元・富士見からの人と会話しながらいつもの通り貧しい食事を済ませて下山にかかる。
トレースがあるので「ヒサシ岩」経由の周回ルートを採る。
下りでは多少の難儀はあったが「軽井沢峠」からのルートが合流する地点まで下ればあとは雪山プロムナードとなる。
こちらはミズナラで構成される寒樹の疎林の雰囲気が素敵で、私の好きな山道である。

Dscn2543 恥ずかしながら、年甲斐もなく夢見心地になってしまうのですよ・・・

Dscn2544

Dscn2545 一回りして再び荒山高原に戻ってきた。
見上げる鍋割山へ稜線に雪庇ができていた。

今日の行程中、やけに潅木の枝がうるさくまつわりついていた。
ハテ?これまでの荒山までこんなことあったかな・・・
そうか、そうなのだ!
積雪量が多いので、自分の位置が高くなり、雪の無い時期ならば邪魔にならない枝に当たる高さで歩いているせいなのだ。

今の時期、壷足や踏み抜きの跡などでトレースが荒れているので、必ずしも快適とばかりとは言えないが、天気が良くて風がなければ雪山歩きの楽しみが堪能できる。
今日もまたそんな恵まれた一日であった。

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文武両道の岳人・山口耀久さんの講演を聴く

2014年3月2日

体は重量級だが、口いや頭の中が軽い元総理の嫌味を、23歳のフィギァースケーターが記者会見で披露した返し技の見事なこと・・・彼女の方がズッと大人に見えた。
~大事なところで失言してコケルのはあなたではありませんか?シンキローさん・・・


ところで、陳腐な設問になるが、もし無人島で暮らすこととなり、一冊だけ本を持っていけるとしたら、あなたは何を選ぶか・・・?
私だったら・・・一冊に絞るのは難しいが、候補を5冊上げるとしたら
『北八ッ彷徨』はその中に間違いなく入る。
先日、その著者・山口耀久さんの話を聞く機会があった。

Dscn2525

岳人としての山口さんは名門山岳会「獨標登高会」を率いて、戦後にはやばやと北ア・不帰岳や八ヶ岳の登攀ルートを次々に開拓し、その華々しい活躍は山岳界でつとに知られていた。
同時に書き手としての山口さんも山岳誌に発表される格調高い文章で、早くから名声を高めていて、いわば登山界における文武両道の達人であった。
戦前では28歳という若さで前穂の北尾根で墜死した大島亮吉が文武両道の岳人であったが、戦後で大島と比肩しうるのは山口さんではなかろうか、と私は仰ぎみている。
1960年に刊行した『北八ッ彷徨』で文筆家としての声価を決定づけられた。

Img302

瑞々し感性に裏打ちされながら、冗長に流されることのない格調高いた名文で愛してやまない八ヶ岳を綴り、戦後に生まれた山岳文学の最高峰という評価はほぼ定着していると思う。

Img077 1997年の山口さん ~北八ッ・ニュウにて
その山口さんが編集に参加していた『アルプ』という山の文芸誌があった。
1958年(昭和33年)3月に創刊され、1983年2月に300号をもって終刊となった。
30年も前に姿を消した『アルプ』がいまだにクッキリとした残影を刻み、語り草になるのはその孤高性にあり、山の世界の喧騒からはるかに離れた立ち位置に立っていたからであろう。

Img040

山岳誌には当然にある山のガイドなどの実用記事は皆無だし、広告も無いという常識外れの存在で、既存のものと明らかに一線を画していた。
『アルプ』を象徴する人は串田孫一であり、尾崎喜八であったが、二人を含めて執筆の常連者はほとんど今は亡い。
今、唯一の語り部としては『アルプ』の残影を綴れるのは編集員の一人であった山口さんをおいてはいない。
その山口さんが、このほどおそらく『アルプ』を語る最後の本になるであろう『アルプの時代』を上梓した。
本夕の講演はこの『アルプの時代』出版に因んだものである。

Img039
アルプ』は内容はもちろん上質なものであったが、体裁においても雑誌と言葉が似合わないほどの贅沢なつくりをしていた。
この『アルプの時代』も『アルプ』の血筋を引いて、山口さんがとことんこだわった美本になっている。
良書とか名著であるためには内容が第一であることはいうまでもないが、愛蔵するのにふさわしい装丁やクォリティを備えてものであってほしい。
この一本はまさしく長く愛蔵するのに値する書である。

かつての知性にあふれた白皙(はくせき)の人も米寿を迎える年となり、登山も80歳が最後となったそうである。
不本意ではあるが、文も武も備わっていない私のような者が、80歳を目の前にして文はともかく、山歩きだけはなんとか実践できている。
そしておりおりになんの役にもたたない駄文を綴っている。
もし山口さんが今でも山を歩くことができたら、私などと違い、その瑞々しい感性で綴られる紀行文で、多くの人に読む喜びを与え続けられるであろうに・・・。

質疑応答で「もう一度山に登れるとしたらどの山を選びますか?」とお尋ねした。
答えは「日高の山か、頚城の焼山」ということであった。
それらは例示であって、要はどうにか俗化を免れている山が山口さんにとって「登りたい山」ということなのであろう。
その山口さんの口から「八ヶ岳」が挙げられることはもはやあるまい。
かつてあれほど愛してやまなかった山口さんの八ヶ岳はすでに遠い過去のものになり、商業主義にまみれた今の八ヶ岳は違う山だ、というお気持ちだろう。
その所以はすでに『八ヶ岳挽歌』で語られている。

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