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2014年2月

あの「陣馬山」が中級山岳に大出世!

2014年2月25日

2度にわたる大雪がハイカーのメッカ「陣馬山」857mをどのように変えているか、にはとても関心があり早く登ってみたいと思っていた。
登るなら雪量が多い北面からだろうが、登山口「陣馬高原下」へのバスが運休となり、しばらく再開のメドがたたない状態が続いていた。
ようやく20日から運行となったが、その翌日から毎年恒例のコミュニティのフェスタがあり、私たち山歩きの会も参加しているので、これが終わるまでは動きがとれなかった。
ようやく解放された24日、とるものとりあえずの思いで出かけた。

そして普段は凡俗な陣馬山が期待に違わない変身を遂げていることを確認した。
山頂への行程はとても千mにも満たない山のものではなかった。
優に2千m前後の中級山岳に匹敵するくらいに手応えのある山となっていた。
標高を一気に倍増してしまう・・・雪はやはり魔術師である。

積雪は時に登山を楽にしてくれる場合もあるが、多くの場合、夏道歩きよりハードになる。
今日は後者で、登山口からの標高差500m余りは、夏道ならば登り1時間20分くらいが標準タイムだが、本日の私は2時間30分を要した。
十分ではないが、ラッセルがされていてもこれだけの時間がかかったのだから、最初にこの大雪に踏み込んだ方はさぞかい過酷な雪との格闘を強いられたことであろう。
それは雪山についてさしたる経験のない私でも容易に想像できる。

Dscn2502 陣馬高原下BS(かつては「上案下」という立派な地名があった)前の商店~雪の重みで一部がつぶされている。
バスで10人足らずのハイカーが降りたが、後に判明するとほとんどは和田峠経由で、陣馬新道からは私だけのようであった。


Dscn2503 ラッセルはされているがまだ乱雑で踏み固められていない。
それでも無いより増しで、早々の入山者に感謝しなければならない。


Dscn2504

Dscn2506 頂上近くになってラッセル跡が分かれている。
右の夏道通りのトラバースと、真っ直ぐに縦走路に向かっているものと・・・・。
ここまでの不完全なラッセルがますます頼りないものになる。

Dscn2507 直進を選ぶ ~ツボ足の形がそのまま残っている。
それを外すと膝上まで潜る。
おそらくまだ数人しか通っていないであろう。

Dscn2509 高尾山と陣馬山を結ぶ縦走路に乗り上げると、さすがにトレースが一本きれいに通っている。

Dscn2510 この道標の様子では積雪1mはありそうである。

Dscn2511

Dscn2512

Dscn2519 山頂直下

Dscn2513 山頂 ~この醜悪としか思えない趣味の悪い白馬像 ~私が何度か登っていたころには無かったが、50年ほど前に京王電鉄が設けたものだそうである。
安くて速い京王電鉄を私も応援しているが、これは撤去するとかできないものでしょうか?
ついでながら「陣馬高原」もいただけません。
確かに山頂は広いですが、高原といえるほどの広さには決定的に欠けています。
白馬も高原も集客効果を狙っていることはミエミエですが、少しあざとくありませんか。
そんな薄っぺらな化粧を施さなくても、陣馬山の魅力は十二分に認知されています。
現に「陣馬高原」なる呼称は誰も使っていないです。
いかがなものでしょう・・・京王さん。

Dscn2514 近くの扇山(左)と権現山すらこの程度にしか見えない

Dscn2515 さすがにすぐ隣の生藤山はなんとか鮮明であるが、左肩の奥にある三頭山すら画像では確認できない。
広大な眺望が自慢の山頂であるが、今日は出来が悪い。

Dscn2520

Dscn2521 右へ藤野駅へのルートが分かれているが、あまり踏まれていない様子に見える。

Dscn2522 縦走路を東へ歩き明王峠 ~ここで高尾山への道から離れ、南の相模湖駅へ下ることとする。
道は徹頭徹尾、植林帯の中で、長くて退屈極まりなかった。
縦走路から南へなり、北なりにどちらにも下れるのであるが、ドッチにしても苦行にも近い植林歩きが避けられない。
かつて山が荒廃していた時代は明るく開放的で快適な山道だったのに、緑が豊かになったために、失なわれたものがあり、見事なパラドックスになっている。

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面目ないですが、またまた高尾山です

2014年2月20日

関東六県と山梨県、これまで豪雪などとは無縁であったのにどうしたわけか2週続けての大雪で、連日マスコミを賑わせる事態になりました。
物流の大動脈たる高速道路、幹線道路のマヒによる物資の不足。
そして山間集落などの孤立。


Dscn2471 最近2度訪れた檜原村がこんな様子です ~TV画面から。

Dscn2474

いささか山上集落に関心がある私にとって、孤立化している地域には袖すりあうくらいの縁があるため全くの他人事には思えません。
事態は少しづつ好転しているようなので、とても困難な局面に直面している住民の方々にはもう少しの辛抱でしょうか。
除雪に体を酷使しておられるであろう地元の人、ボランティア、消防団、自衛隊の皆さんのご苦労が早く報われますよう・・・・・・

ところで、高名な音楽家・團伊久磨さんが遺した名エッセイに「パイプのけむり」シリーズがあります。
アサヒグラフに連載されたその洒脱な文章が好評で「続」から「又」となり「まだ」「もう一つ」「なお」・・・などと延々全27巻になる長命のエッセイとなりました。

それに比べれば私の「またまた高尾山」くらいなら可愛いもんでしょう、と自己弁明のために勝手に團伊久磨さんを引き合いに出しました。
電車が動いていても山間部に入るバスが動きがとれず、行動範囲が極めて限定されている状況では「困った時の高尾山」になってしまうのです。
ようやく京王線が「高尾山口」まで運行できるようになったので、18日、稲荷山コースを歩いてみました。

Dscn2489 高尾山では積雪が1mを超えたそうですが、中2日ですっかり踏み跡は刻まれ、日当たりでは融雪が始まっています。

Dscn2491 このあたりまで登ると高尾山とは思えない積雪量となります。

Dscn2493

Dscn2501 山頂直下は急な木段登りになるのですが、雪にすっかり覆われていてとても歩きやすいです。
山中で言葉を交わした人も異口同音にそんな感想を語っていました。

Dscn2498 そこが山頂 ~休憩なしで、1時間40分ほどかかりました。

Dscn2499 今日は大気が白濁していて山の展望はまったく冴えません。

Dscn2500
さすが高尾山 ~こんな状況なのに街歩きの靴のままでやってきている姿も珍しくないのです。
ややシニカルな意味で感心します。
多分リフトを使っているのでしょうが、それでも山頂までは滑りやすい雪道です。

下山には琵琶滝コースをとりましたが、雪崩の危険を感じながらの行程でした。

高尾山は観光地である、との偏見に凝り固まっていた私は、地下鉄路線図のようなややこしい高尾のハイキングルートが頭に入らずにいましたが、このところ足しげく通っている効果でかなり高尾通になり、コースイメージが描けるようになりましね。
高尾山に行くことを「面目ない」というのは、高尾山を貶める表現になるかな、という気はしているのですが・・・・・・。

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片倉城址公園でラッセルを経験

2014年2月17日

記録に残る大雪が2週続けて降ったなどとは、もちろん東京暮らしを始めてこのかた、初めての経験になるが、雪景色が好きといっても、こうも続くといささかうんざり気味である。
うんざりだけで済めばいいが、鉄道や、道路などの閉鎖で物流に深刻な影響がでている。
そんななかで、立ち往生した車のために自然発生的な炊き出しなどで援助の手が差し伸べられ、日本人ていいな、と嬉しくなってしまう。

今日(16日)は城ケ島へ行き三崎マグロなどにありつく予定になっていたが、やはり雪の影響で日延べ。
予定が空き、山日和なのだが、肝心のアクセスがあてにならないのでハタと困っていたが、妙案が閃いた。
京王線で高尾方面に行くたびに「片倉駅」辺りで丹沢や富士が垣間見えるポイントがあり、いずれは探訪するつもりでいた。
土地勘は無いが少しでも高いところへいけばよいだろうと思い調べると南側に片倉城址公園というのがあり、展望も得られるらしいことが分かった。

ロケハンしているわけではないので、撮影ポイントの当てがあるわけではないが、ブッツケ本番、行ってみなければ埒は開くまい。
片倉駅で城址を尋ねると南にある小高い丘を示してくれた。
国道16号沿いに細く除雪された歩道を南下していくと公園入口があったが、工事中で閉鎖。先へ進むと奥まった位置に住吉神社があり、一人分の踏み跡があった。
その踏み跡は神社で途絶えたので裏手に回ると公園広場の一角に出た。
そこに別のルートから登ってきたトレースが現れホッとする。
こちらに戻ってくる人影がこのトレースの主であろうが、言葉を掛ける間もなく他へそれていく。
見ると、用意万端でスパッツを着けている。
私ときたら一応ゴアテックスのハイキングシューズではあるが、ローカットで、スパッツなど用意してこなかったから、ここに至るまでですでに雪が思う存分靴の中に入り込んでいる始末。
先ほどの先行者の靴跡は広場の途中でUターンしているが、まだお目当ての展望は得られないので、とにかく広場の端までは進むことにした。
たとえ一人分の踏み跡でもそれがなくなると膝上までもぐりこみ、そこから広場の端までの僅か30mほどで靴の中はグシャグシャになってしまった。
建物ほかの人工物でその割に期待したほどの光景は現れなかった。

Dscn2438 中央が高尾山系の景信山で、左端の城山から右へ下がった凹部が小仏峠。

Dscn2439 広場は何故か波打つ雪面 ~丹沢・蛭ヶ岳が見えている。

Dscn2442 申し訳程度の富士。

Dscn2443 片倉城址公園はけっこう広い~奥多摩の大岳が見えている。

Dscn2444 左から丹沢山~不動ノ峰~鬼ヶ岩~蛭ヶ岳と連なる丹沢」核心部。

Dscn2446 こちらは誰もが知る大山。

Dscn2447 一人の靴跡を拾いながら城址を降り、ようやく除雪されている車道に出ると、そこでタイヤが空転する車があった。
見かねて、居合わせたスキー持参の青年と押したり、雪を搔いたりして脱出の手伝いをしたが、効果はえられず、事態は悪くなるばかりで、私も靴の中がびしょ濡れなので、JAFに救援を依頼するよう助言して離れた。

Dscn2449 致命的だったのは、秋田ナンバーの車なのにスコップをトランクに入れていないことだった。
片倉駅への途中にあったスーパーの陽だまりで靴を脱ぎ、靴下を絞った。
濡れたままでも不快感はずいぶん緩和された。
気温がこのところにしては上がったので足の冷えを感じないで済んだのは幸いだった。

片倉駅のホームで新宿への電車を待っている間にフト頭の上にホームをつなぐ閉鎖廊下があるのに気付いた。
その窓から景色が見える!
急いでいくとなんとこれはまるで展望デッキになっていて、私が一番期待していた風景が、ガラス越しながら広がっていた。

Dscn2453 展望デッキ(私が勝手にそうした・・・)からの富士と丹沢

Dscn2454
何のことはない、あれは全くの徒労だったのか。
~灯台元暗し、か・・・少し違うかな?
Dscn2456
50年ほども前のことであるが、家の近くにある学校坂道でスキーをしたことがある。
今日の郊外の丘でラッセルをしたことはそれに次ぐ珍しい体験となった。

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大雪後再びの高尾山辺り

2014年2月14日

マスメディアの志の低いジャーナリズムまがいの姿勢ががどれだけ害毒を流しているか、太平洋戦争下で犯した反省はいつになっても生かされていない。
「百年河清を俟つ」しかないのか。
この度の五輪報道もいつもと同じ、TV、新聞などのやたらに金だ、メダルだと過熱した煽りぶりは見苦しい限りである。
とりわけ、これも毎度のことだがNHKのハシャギぶりには白けてしまう。
それが身長152cm、17歳の少女に過重なまでの精神的な負担を押し付け、結果としてその重圧で押しつぶしてしまった。
心中の辛さをこらえて健気に、期待に沿えなかったことを詫び、涙を落とした姿の痛々しかったことを思うと、改めてマスメディアの残酷さに心胆が冷えてしまった。
徒に煽り立てることを反省し、抑制の効いた報道をすることを切望したいが、ジャーナリズムの本性を思うと虚しくなる。
救いだったのはモーグルの上村愛子さんの戦いの後の清々しさ。
一陣の風が胸の中を吹き抜けたようであった。
まことに「やり切った」人だけが到達できる境地なのだろう。

さて8日の記録的大雪は、高尾山では65cmに達したそうで、ふだんなら場違いも甚だしいスノーシューで山入りした向きもあったようで、そんな様子はぜひともウオッチしておかなくてはなるない。

ということで降雪から5日目の昨日(13日)高尾の西に連なる城山から景信山を歩いた。
結果は高尾エリアの山でスタートからゴールまで、アイゼンを着けたままという稀有な体験をすることとなった。

このところ定番になっている、高尾山口駅から大垂水経由で相模湖へ行くバスを利用。
このバスは駅前発が10:14なので、朝食を普通に食べ「ごちそうさん」を見るともなく見終わってから自宅を出てからでも余裕がある。

バスを大垂水で降りると路側に除雪された雪が堆積していて、そうそうに大雪の難儀が始まる。
甲州街道と山道とのジョイントになる鉄階段もほとんど埋まっている有様。

Dscn2420  普段は気づかない地蔵さん ~辺りが白一色なので目立っている。

Dscn2422  これが高尾かいな? ~イッチョウマエの雪山ジャン・・・

Dscn2423  一丁平からの丹沢は今日は不鮮明~予報では晴天になるはずだっが・・・

Dscn2426  これも今日の発見だが、白樺があるのだ ~自生なんだろうか?

Dscn2427  城山から丹沢・大室山~加入道~畦ヶ丸への連なりを見る。
右手前の尾根は道志の巌道峠から御牧戸~赤鞍ヶ岳~朝日山と続く稜線。
大気清明であればその後ろに富士が控えているのだが、本日はお隠れあそばされている。

Dscn2429  景信山の直下で高尾山を・・・

Dscn2430  景信山頂 ~これではまったくあ商いになりません・・・

Dscn2431

Dscn2434  くどいようだが、高尾山の情景ではない。

Dscn2435  梢の間の奥多摩 ~左端に大岳山が見えている。

高尾山周辺は少し前まで、私の山歩きの対象とはなっていなかった。
自然の流れで否応なしに足を運ぶようになって、それなりには存在価値が醸成されつつある。
それでも次善、三善の選択であることには変わりはない。
しかし、今日のような雪山歩きができるなら、満足度は相当に高いレベルとなる。
そんな私がやがて「高尾命」の境地に達することになるのだろうか?

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高尾山の雪景色

2014年2月9日

グルジアの片田舎(ゴメンナサイ!)の町・ソチ ~冬季五輪の開催地にならなかったら私など、生涯知ることもなかっただろう。
昨夜(7日)の開会式 ~五輪の開会式のショーアップさには少々辟易させられるが、当代切っての人気プリマドンナのアンナ・ネトレプコがオリンピック讃歌を歌っていた。
ロシア出身なので当然の起用であろう。
私の一番のお気に入りのソプラノだが、オペラ歌手につきまとう宿命?か、それともロシア人だからなのか、体形が豊満の域に近づいているようなのが気にかかっている。
・・・ご本人の方がもっと気にしている?

Dscn2402 

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関東地方の、それも低山が雪化粧することは滅多にない貴重なことだが、4日(火)その機会がやってきたので急遽雪景色をみるために高尾山へでかけた。
高尾山は思い立ってから行ける便利な山で、このごろは重宝している。

Dscn2384 いつもは平凡な高尾山口駅前の様子だが、魔術師の雪がすっかり見目麗しくし立てあげていた。

Dscn2387 樹氷?も高尾では珍しい。

Dscn2398 これが高尾山?

Dscn2399 高尾山ではないみたい

Dscn2397 一丁平苑地の東屋。

Dscn2389 丹沢(左)と道志(右)の山々の間に富士。

Dscn2391 目を凝らすと南アルプスが少し覗いている。

Dscn2395 
日も前のことをアップにモタモタしているうちに東京で43年ぶりの大雪27cmを記録して、いつもながら、雪国の人からは笑いものにされる大騒ぎ。

この大雪に私は山荘で遭遇したが、50cmの降雪となり、除雪される公道にでるまでの私道100mほどの雪掻きをしなければならなくなった。
昨日、今日と奮闘して、どうにか車が出られる状態にまでは漕ぎ付けたが、普段使わない筋肉は当然に悲鳴を挙げている。

 

Dscn2414 雪はしばしば味な造形をみせてくれるが、これはウッドデッキにできた不思議な紋様。
ヒマラヤ山脈に見えなくもないな。
どうしてこうなったかは直ぐに分かりはしたが・・・。

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北秋川から小河内峠越え

2014年2月6日

奥多摩の山のいわば主脈を形成する三頭山~御前山~大岳山~御岳をつなぐ尾根は北の多摩川上流域と南の秋川源流域とを分けている。
この主脈を横断して、南北の川をつなぐ峠が幾つかあるが小河内峠もその一つ。
かつては交易や生活のための山道だったのだろうが、今は山歩き以外の目的でここを通過することは稀であろう。

先日、この辺りで予定してきたコースが通行禁止というハプニングにあい、やむなく小河内峠を目指したが、出遅れで時間がタイトになり途中でUターンした。

改めて今日(3日)その小河内峠を越える目的で出直してきた。

Static 峠越えしたルート。

五日市からのバスの終点・藤倉まで乗車していたのは前回同様私が一人。
~ミミッチイ話であるが、バス代730円は都から買っている「シルバーパス」が使えるので支出はない。
帰路も思えばこのシルバーパスは私のようにたびたび多摩西部の山に入る者にとってとてもお得な買い物である。

前回歩いているのでスンナリと春日神社脇の登山道に入る。

Dscn2364 旧藤倉小跡 ~猫の額ほどの校庭にもかつては山の児童たちの歓声が上がっていただろうと思うと、そこはかとなく哀感が漂う。
気温が4月中旬並みに上がり、急な坂道登りの暑いこと。

Dscn2365 標高700mほどの空き家からの御前山方向。

Dscn2366 一番高い位置にある空き家の裏手から左の山道・陣馬尾根に入ると真新しい「荷付場地蔵」
安全登山を祈願して、小林さんという方が設けたもの。
この辺りには重文に指定されている「小林家」など、小林姓が多い。
標高は800mほどとなり、高度差300mほどの急登が続いたが、これから峠までは250mほど登ればよいのでグンと楽になる。

Dscn2369 谷を隔てた西に離れて集落が見える ~あんな高いところに平地があり、そこでは人の営みがあるのだろうか?

Dscn2372 中ノ平遺跡 ~6~7千年前、縄文前期の竪穴式住居跡が発見されたそうである。

Dscn2373 左が小河内峠への山道。

Dscn2376 標高差550mほどに2時間近くかかって変形十字路の小河内峠へ ~雪はこの辺りだけに僅かに残っている。

Dscn2374 峠からは北に鷹ノ巣山を中心にした石尾根の一部が辛うじて見えるだけで、南面は植林で視界が閉ざされている。
~私が常日頃チェックしている長沢洋さんが営む「ロッジ山旅」のHPに「横山厚夫さんの昔の山」の写真の数々が掲載される。懐かしい白黒写真時代の山の姿が再現されて、実に貴重なページとなっている。
その中に1977年当時の「小河内峠」もある。
写真では峠には高木がなく、明るく開放的で、今の様相とは全く異なっている。
こうした例は至る場所で見られる。
緑豊かになった今の姿の方がいいのか、展望を妨げる樹木がない裸山だった昔の山の方がいいのか、難しい評価になる。

Dscn2379 峠から奥多摩湖畔までは転げ落ちそうな急坂を一気に下る。

湖畔に出るまで誰にも会わなかったが、ダム周辺も閑散としていて、奥多摩駅へのバスも乗客はたった2人。
いつもこんな具合で慣れているはずなのに、なぜか今日は寂寥感が胸の中でうずいていた。

 

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渡邉玉枝さんの講演会

2014年2月4日

才色兼備という言葉は小保方晴子さん(30歳)のためにあるような気がします。
新型の「万能細胞」STAPの作製に成功し、一夜にして生命科学界のシンデレラとなりました。
まだマウスでの段階だからハシャギ過ぎてはいけませんが、日本に輝きと自信をもたらせてくれる超新星の出現です。

さて、現在「日本山岳協会」の会長という要職におられる神崎忠男さんは、かつていろいろな団体からの要請を受け、都内各所で登山教室を開いていました。
それらの教室の受講生がそれぞれに登山グループを立ち上げ、その数は10を超えているようです。
そのグループを束ねる上位組織ができていて神崎さんが代表です。
その中で最も古いあるグループが20周年の節目を迎え、先日記念の集いが開かれました。
私もお付き合いで出席したのですが、この集いの目玉は神崎さんと昵懇(じっこん)の間柄である渡邉玉枝さんがゲスト講演をする、というものです。
小保方さんとはいろいろな意味で異なる立ち位置にいる渡邉さんですが、私たちに誇りと勇気を与えてくれる点では同じですね。

開演前に3ヶ月ぶりにお会いできました。
講演のテーマはこのたびの、73歳時2度目のエベレスト登頂でしたが、短いものながら映像記録が上映されたのでこれまでの講演とは迫力が断然違いました。

Img067  最初のエベレスト登頂(63歳時)後に出版された著書。

Dscn2346  神崎代表と ~いつもながらですが、この体形のどこに2度もエベレストに登るエネルギーが潜んでいるのでしょうか?
いつもそうですが渡邉さんは”チョット出かけてきます”と、ごく近親者だけに伝えて”ちょっとエベレストに登ってきました”なんですね。
そのスタイルが好き、というのがいかにも渡邉さんらしいのです。
どなたかのように仰々しくマスコミに何度も登場して、華々しく花火を打ち上げるスタイルと異なり、世阿弥の「秘すれば花」(『風姿花伝』)のエスプリを体現する究極の美学でしょう。

Dscn2347 2度目のチョモランマ(エベレストのチベット側での呼称)は北のチベット側からの挑戦でした。

Dscn2350 登頂時の画像 ~いろいろなプログラムが組まれていたため慌ただしく終わってしまったのが少しばかり心残りでした。

Dscn2355  気取りのなさはこうした場面でも変わらず、媚びずへつらず、の自然体で淡々と飲みかつ食べておられました。
渡邉さんが凄いのはこれまで8千m峰6回を含めて、海外の高峰、難峰に登ること22回。
そのことごとくを全てさりげなく成功させている、という他に例をみないような実績を残していることですね。
それでも「人」なんですね。
2005年、山ならぬ、自宅近くの堤防で5mほど落ちて、全治3か月の重傷を負うのです。
その時の治療で入れたチタンがそのまま残っているそうです。
これぞ筋金入り、ですね。

河口湖町の自宅へ帰られる渡邉さんはお開きの前に一足先にお帰りでした。
今年もまたご一緒の山歩きをしたいのですが、お忙しいので時間を割いていただけるかどうか、ですね。

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