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檜原村・藤倉周辺の山里探訪

2014年1月25日

ここに私が興味深く読んだ一冊の本がある。
創作活動をしている玉木英幸さんという方の著作で、1985年に出版されている。
子供の喘息対策のため東京から桧原村に移住した玉木さん一家の山村での生活記であるが、その様子が活写されていて楽しんで読めた一
冊である。

Img060 かねて機会があれば、この山村生活記が生まれた舞台を訪れてみたいと思っていた。
それが思いもかけないできごとからその機会が図らずも訪れた。

今日(22日)は東京都唯一の村・檜原村の最奥のエリアを北秋川と南秋川とに分ける「浅間尾根」を北の藤倉から登り、南の数馬に下るつもりでやって来た。
多摩地方の沿道は昨夜の雪で一面に白くなっている。

Dscn2287  奥多摩では珍しく木花が満開となっている。 

Dscn2288

バスの終点・藤倉から浅間尾根の一本松に向けて歩き初めて直ぐに、道路工事関係者から道は通行止めになっていることを告げられた。
山道を登ることを伝えると、その山道がかれこれ7年ほど前に崩壊して通れない、というのである。
山道の付け替え工事は進めているが、今はまだ供用されていないそうだ。
~帰宅後調べたところ、檜原村のHPではそのことが告知されていたが、昭文社地図(2011年版)はなぜかこんな重要な情報を反映していない。

さてどうする?
持参した地図を眺めて「小河内峠」へ向かうこととした。
バス停にある案内図を見て峠へ向かったが、この車道はどこまでも延びているようで、山道にはならない。
車道を歩いてもよいのだが、凍結していてアイゼンが必要だが、舗装道路でアイゼンを使うと爪を傷めてしまう。
仕方なくの戻り道に幸い人がいて、小河内峠への入り口の目安となる「春日神社」の位置を教えてもらえた。
それに従うとバス折り返しのすぐ上に出た。

 

Dscn2293 春日神社の左から1m幅くらいの狭いコンクリート舗装道が上に延び左手の急斜面に2軒人家がある。
狭い急坂を上っていくと大きな建物。

 

Dscn2294 正面に回ると「不便学舎」の掲額がある。廃屋らしいが、間違いなく不便なところである。
さらに小河内峠に向けて、帰路のスリップが気がかりになるほどのやたらに急な坂道を登る。
車の通れない道に生活道の先にどんな暮らしがあるのだろうか。
小河内峠と旧小林家との分岐で、真っ直ぐの小林家への道を採る。
左の斜面上に2軒の空き家が見える。
旧小林家というのは国指定の重要文化財らしく、興味が湧いていた。

こんな山奥に!と驚かされるほど人煙を遥かに離れた場所に建つ小林家は、ただいま保存工事中(今年いっぱい)のため、養生シートに覆われていて、中の様子も外観も見ることができなかった。

Dscn2299
 

Kobayashike 檜原村のHPで見るとこのような古民家らしい。
このような辺鄙というのも愚かなくらいの山奥で、どのような暮らしぶりをしていたのか、私の貧しい想像力ではイメージが具体的な像を結ばない。

Dscn2297 小林家の裏に出ると、驚いたことにさらに奥にも家(旧田倉家)がある(あった?)らしい。
この分岐で小河内峠道に入る。
いずれ下の分岐からの道と出会うのであろう。

Dscn2298  小林家を裏から見下ろす。
この先しばらく峠道を辿ってみたが、出鼻をくじかれたまま、気持ちの立て直しができず、峠まではとうに諦めていたので、適当なところでUターンした。

Dscn2300  戻り道で先ほど通過した2軒の空き家に寄ってみた。
一軒の表札が「小林」
荷揚げ用のモノレールが残されている。

Dscn2301  寄り道して分かったのだが上にもう一軒あった。
こちらも「小林」の表札が残っている。
その庭先からの今日歩く予定であった浅間尾根の眺望。
この家の庭先からのロケーションは素晴らしく、南側は遮るものなく明るく開けている。
一日をこんな天空で過ごせたら、浮世の悩みなど無縁の代物になりそうである。
しかし、実際の日々の生活の苦労はそんな夢想的なことを嘲笑い、結局、住人を下界に追い払ってしまったのであろう。


下って里の2軒の空き家にも立ち寄ってみたが、結局玉木さんの住まい辺りらしき位置は確認できなかった。
30年近い前のことだから生活事情などは変わっていても不思議はないから、仮に玉木さんの生活舞台を探しあてたとしても、今でもそこで暮らしているかどうか分からない。
~帰宅してから改めて確認したところ玉木家の位置は私が徘徊した辺りより東の方角になるようだった。

山歩きのつもりが思いがけずに関心があった山里探訪に変わってしまったが、これはこれで良し、としておこう。
桧原村の、特に北秋川沿いの山村の佇まいは、いずれは少し腰をすえて取り組みたいテーマとしているので、たまたまその第一歩が前倒しになったということだろう。

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コメント

桧原村はたまにテレビなどで見ることがありますが、それはまだ民家のあるところで、風花さんの行かれた場所はたったの2軒、しかももう廃屋となっているのですね。。。

〔不便学舎〕いかにもののネーミングですが、勉学の場所だったのでしょうか。まだ屋根材木が新しいですね。
東京都の宝ともなりえる自然美の宝庫のような檜原村ですが、現代の人が住むには容易ではなさそうです。

木々のなんと美しいこと。。。
四季素晴らしいでしょうね。

投稿: おキヨ | 2014年1月25日 (土) 12時18分

おキヨ様
桧原村も南秋川沿いは数馬など観光的にスポットを浴びていてTVなどの取材もありますね。
対して北秋川は歴史的にも日陰もの扱いされていて、今でも変わらないようです。
私がこのたびブラついた藤倉より奥にも集落が点在しているのです。
大方は廃村化しているのだろうと思います。
おいおい探訪するつもりでいます。
興味をそそられることが次々に生まれてくるので、なかなか悠々自適の境地に入れません。

投稿: 風花爺さん | 2014年1月25日 (土) 14時22分

玉木英幸さんが暮らしていた家は旧小林家の奥の旧田倉家です。玉木さんに家を貸した家主さんご本人に本日現地で偶然お会いしました。玉木さんは10年程で転居されその後は空き家にしてあるようですが、畑仕事でたまに現地に通っておられるとのこと。大変話し好きの方で、昔話をされる中で玉木さんのことを色々話されたので、帰宅してネットで調べてる中で、このブログを読ませていただいた次第です。

投稿: 八王子の61歳 | 2016年5月 7日 (土) 20時10分

八王子の61歳様
古いブログにコメントいただきありがとうございました。
私もその後、小河内『峠から藤倉へ下る途中、偶然田倉家の前にでました。
その時は無人だったので確認はできなかったのですが、幾つかの状況でそこが玉木家の仮寓の建物だろうと推測できました。
小林家も復元が完了しているので、一度訪れたいと思っているのですが、未だに果たせていません。

投稿: 風花爺さん | 2016年5月 7日 (土) 20時51分

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