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2014年1月

赤城銀座?~黒檜山~駒ヶ岳

2014年1月31日

都知事選で「原発存続か廃止か」が争点の一つになっている。
自民党では「エネルギー政策は国策だから首長選の争点にはなじまない」として争点化を嫌がっている。
私は争点化はあるべし、との立場。
東京は一番の電力消費地でありながら、原発立地が内包している深刻なリスクからは安全地帯にいて、現在でもほとんどの都民は被災者の抱えている悩みも対岸の火事視している。
原発立地ではこれまで多額の金が落ちていたではないか、という理屈は免罪符にはなるまい。
従って都民が福島県民の生活破壊の現状を真剣に受け止めるためにも、都知事選を契機にして原発をどうしたらよいのか都民一人ひとりがこの機会に真摯に考えるべきと思う。
さて、私は正直に言って原発廃止か、ベースエネルギーとして活用し続けるのか判断し切れていない。
いずれにしてもベストの選択というのはなくて、どちらがより増しかの選択しかない。
原発の議論を聞いていつも隔靴搔痒(かくかそうよう)の思いがするのは、どちら陣営もメリットだけを語り、その裏にあるデメリットを明言しないことである。
原発存続陣営では、際限なく増え続けている廃棄物をどのように最終処分するかの処方箋を一向に示せない。
触れたとしても、今は知恵がないがいつか科学技術の進歩で克服できる、とまるで他人事である。
片や廃止陣営では、それなら代替エネルギーをどう確保するのか。
再生可能エネルーギーには期待したいが、現状では原発に代わるだけの発電量など夢物語でしかない。
化石燃料依存を続けるとしたらば、地球温暖化にどう対処するのか?
円高もあって原油の輸入代金が膨大に積み上がり、貿易収支が著しく不均衡な状態が恒常化し、国債の暴落の懸念につながりかねない事態にどう対処するのか?
電気料金の高騰はさらに続き、家計や中小企業を圧迫する。

候補者の誰もそれぞれの側面にある深刻な問題についての解を語っていない。

さて前置きがいかにも長くなってしまったが、本題は毎冬恒例の赤城・黒檜山歩きである。
黒檜と駒ヶ岳を結ぶルートは赤城山ではさしずめ「銀座通り」だろう。
一番高い、という理由はもちろんだが、前爪のあるアイゼンが意味をなす、時にはピッケルの出番もあるなど雪山の気分を味わうのに必要な条件を備えていることが人気の所以である。
毎年のことゆえ手抜きして写真を並べるだけにする。

Dscn2327 登山口~例年のこの時期と比べて雪が多い。

Dscn2328 このコースは急登の連続である。
平均勾配を算定したらおよそ25度~普通の登山道が10~15度程度であるからいかに急勾配であるかが分かる。
Dscn2329 一度尾根に出て大沼を~対岸に先日の鍬柄山。
Dscn2331 このあたりだけ緩斜面になるが、それも束の間。
今日はWストックだが、ピッケルを持ってくればよかった・・・
これまでになく急傾斜と感じたのはこちらの登坂力の低下も一因であろう。

Dscn2332 画面中央に先行者

Dscn2333 雪は深くなるが、シッカリ踏まれている。

Dscn2334 毎度のことなので、登ったエビデンス(証拠)を残すだけで早々に駒ケ岳経由で下山にかかる。

Dscn2335 これから向かう駒ヶ岳~右奥に白い小沼。

Dscn2336 下りてきた黒檜方向を振り返る ~山頂は見えていない。

Dscn2337 雪原

Dscn2338 再び黒檜方向を振り返る。

Dscn2340 駒ケ岳山頂から進行方向を見る ~この先にはいつも雪庇ができる。
その踏み抜きをしないようトレースは右下を通過している。

この先の尾根をしばらく辿り、右へ急降下すれば大沼の畔に下り立つ。

かくしていつもの冬のように赤城・大沼を囲む雪山ハイキングを楽しんでいる。
朝の天気を見てから出かけ、昼前後には山を下りている、そんな気楽な雪山歩きができる赤城山ほど私にとって貴重な山は他にない。
幼いころから仰ぎ見ていた山は、老境にある今の私を慈愛の目で迎え入れてくれているようである。

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赤城の横丁の山~「鍬柄山」

2014年1月27日

積雪期の赤城山もあらかたの山には登っているが、鍬柄山から鈴ヶ岳を繋ぐ尾根は未踏だということに気づいた。
メインルートから外れていて、いわば横丁になるので人が入らず、トレースができていないのではないかと、何となく思い込んでいたせいでもある。

先日、地蔵岳の帰路、登山口をのぞいたらしっかりラッセル跡が刻まれているのを確認したので、近日中に歩いてみようと決めた。
今日(25日)相変わらず寡雪状態の赤城南面道路を上り新坂平入り口にある「鈴ヶ岳登山口」駐車場へ。

Dscn2302 新坂平・白樺牧場の雪景色

Dscn2303 その脇になる鈴ヶ岳登山口

Dscn2304 15分ほどで展望台に出る。正面に黒檜山。

Dscn2305 その展望台から ~左手奥の日光白根山。

Dscn2311 目の下は時期にはレンゲツツジが埋め尽くす白樺牧場。その向こうは地蔵岳。

Dscn2314 積雪はせいぜい30cmほど。

Dscn2316 鍬柄峠

Dscn2326 岳樺

Dscn2317 こちらはいうまでもなく白樺

Dscn2320 鍬柄岳(1562m)山頂 ~ここは国土地理院の地形図には名前も、標高も表示されていない、いわば一人前扱いされていない不遇な山であるが、眺望の良さでは鈴ヶ岳を遥かに凌駕している。

Dscn2322 浅間の遠望。手前に重なって榛名連山。

Dscn2323 日光白根 ~左端に同じような山容の燕巣山と四郎岳
が仲良く並んでいる。右端は深田百名山の皇海山(すかいさん)。

Dscn2324 真っ白な大沼を俯瞰する~背後は黒檜山。

普通の人ならここは通過点に過ぎないのだが、今日の私は里に下りて昼食を摂るつもりでいるので、ここをゴールとしてUターン。

このところショートレンジの山歩きばかりになっている。
このままでは手強い山は遠ざかるばかりになる。
いつかやってくる時 ~今がそれなのだろうか?

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檜原村・藤倉周辺の山里探訪

2014年1月25日

ここに私が興味深く読んだ一冊の本がある。
創作活動をしている玉木英幸さんという方の著作で、1985年に出版されている。
子供の喘息対策のため東京から桧原村に移住した玉木さん一家の山村での生活記であるが、その様子が活写されていて楽しんで読めた一
冊である。

Img060 かねて機会があれば、この山村生活記が生まれた舞台を訪れてみたいと思っていた。
それが思いもかけないできごとからその機会が図らずも訪れた。

今日(22日)は東京都唯一の村・檜原村の最奥のエリアを北秋川と南秋川とに分ける「浅間尾根」を北の藤倉から登り、南の数馬に下るつもりでやって来た。
多摩地方の沿道は昨夜の雪で一面に白くなっている。

Dscn2287  奥多摩では珍しく木花が満開となっている。 

Dscn2288

バスの終点・藤倉から浅間尾根の一本松に向けて歩き初めて直ぐに、道路工事関係者から道は通行止めになっていることを告げられた。
山道を登ることを伝えると、その山道がかれこれ7年ほど前に崩壊して通れない、というのである。
山道の付け替え工事は進めているが、今はまだ供用されていないそうだ。
~帰宅後調べたところ、檜原村のHPではそのことが告知されていたが、昭文社地図(2011年版)はなぜかこんな重要な情報を反映していない。

さてどうする?
持参した地図を眺めて「小河内峠」へ向かうこととした。
バス停にある案内図を見て峠へ向かったが、この車道はどこまでも延びているようで、山道にはならない。
車道を歩いてもよいのだが、凍結していてアイゼンが必要だが、舗装道路でアイゼンを使うと爪を傷めてしまう。
仕方なくの戻り道に幸い人がいて、小河内峠への入り口の目安となる「春日神社」の位置を教えてもらえた。
それに従うとバス折り返しのすぐ上に出た。

 

Dscn2293 春日神社の左から1m幅くらいの狭いコンクリート舗装道が上に延び左手の急斜面に2軒人家がある。
狭い急坂を上っていくと大きな建物。

 

Dscn2294 正面に回ると「不便学舎」の掲額がある。廃屋らしいが、間違いなく不便なところである。
さらに小河内峠に向けて、帰路のスリップが気がかりになるほどのやたらに急な坂道を登る。
車の通れない道に生活道の先にどんな暮らしがあるのだろうか。
小河内峠と旧小林家との分岐で、真っ直ぐの小林家への道を採る。
左の斜面上に2軒の空き家が見える。
旧小林家というのは国指定の重要文化財らしく、興味が湧いていた。

こんな山奥に!と驚かされるほど人煙を遥かに離れた場所に建つ小林家は、ただいま保存工事中(今年いっぱい)のため、養生シートに覆われていて、中の様子も外観も見ることができなかった。

Dscn2299
 

Kobayashike 檜原村のHPで見るとこのような古民家らしい。
このような辺鄙というのも愚かなくらいの山奥で、どのような暮らしぶりをしていたのか、私の貧しい想像力ではイメージが具体的な像を結ばない。

Dscn2297 小林家の裏に出ると、驚いたことにさらに奥にも家(旧田倉家)がある(あった?)らしい。
この分岐で小河内峠道に入る。
いずれ下の分岐からの道と出会うのであろう。

Dscn2298  小林家を裏から見下ろす。
この先しばらく峠道を辿ってみたが、出鼻をくじかれたまま、気持ちの立て直しができず、峠まではとうに諦めていたので、適当なところでUターンした。

Dscn2300  戻り道で先ほど通過した2軒の空き家に寄ってみた。
一軒の表札が「小林」
荷揚げ用のモノレールが残されている。

Dscn2301  寄り道して分かったのだが上にもう一軒あった。
こちらも「小林」の表札が残っている。
その庭先からの今日歩く予定であった浅間尾根の眺望。
この家の庭先からのロケーションは素晴らしく、南側は遮るものなく明るく開けている。
一日をこんな天空で過ごせたら、浮世の悩みなど無縁の代物になりそうである。
しかし、実際の日々の生活の苦労はそんな夢想的なことを嘲笑い、結局、住人を下界に追い払ってしまったのであろう。


下って里の2軒の空き家にも立ち寄ってみたが、結局玉木さんの住まい辺りらしき位置は確認できなかった。
30年近い前のことだから生活事情などは変わっていても不思議はないから、仮に玉木さんの生活舞台を探しあてたとしても、今でもそこで暮らしているかどうか分からない。
~帰宅してから改めて確認したところ玉木家の位置は私が徘徊した辺りより東の方角になるようだった。

山歩きのつもりが思いがけずに関心があった山里探訪に変わってしまったが、これはこれで良し、としておこう。
桧原村の、特に北秋川沿いの山村の佇まいは、いずれは少し腰をすえて取り組みたいテーマとしているので、たまたまその第一歩が前倒しになったということだろう。

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キセル登山となった「倉見山」

2014年1月21日

喫煙者が肩身の狭い思いをする昨今はJT関係者にとっては受難の時代であろうが、何よりあの受動喫煙の耐え難い苦痛から逃れられることは、社会全体にとって好ましい傾向である。
そうした時流の中で今は消滅してしまったと思っていた「キセル=煙管」 ~どっこいしぶとく生き残っているらしいのである。

Shien
どことなく奇妙感を伴っている「キセル」の語源は、カンボジア語で管を意味する「クセル」からきている、という説もあるそうだ。
一方、両端が金属で、中間が竹など非金属でできているキセルから発生した「キセル乗車」はさすがに死語化しているのではないだろうか。
もはや時効になっているから白状すると、私も1~2度このキセル乗車をした経験がある。

先日(19日)の「倉見山」1256mではまさしくこの「キセル」に相当する登山をする羽目となった。
富士急・東桂駅から昨夜の雪で白くなった町並を抜け一行12名は登山口に到着。

Dscf7991
凍結した地表を薄く雪が覆う急な山道をしばらく登っているうちにH氏が不調を訴えた。
私より一年年長のH氏は長い登山のキャリアを持っていて、年齢を感じさせない元気な姿を日頃は発揮しているのにどうしたことだろうか。
登山は始まったばかりで、先の行程は長い。
大事をとって私が付き添って戻ることとした。

Dscf8016 富士吉田市街と河口湖方向。
幸い戻る途中で元気を取り戻したH氏は”このままおめおめと家に帰れない。せめてもう少し歩いてみたい”というので、一行が下山してくるコースを逆に登り、途中でドッキングしようとする私に同行することとなった。
一行が下山してくる寿駅から再び倉見山へ向かう道すがら、H氏は口のほうもいつもの滑らかすぎるくらいの調子に戻っている。
これからは聞き役に徹しなくてはならないなー。

Dscn2277 堂尾山公園から

途中の堂尾山公園の陽だまりで昼食を済ませると、いよいよ元気なH氏に促されて、一行とケイタイで交信しながら山へ向かって登る。
一本道だからいずれどこかでは出会うことになるのだが、その通りになった。

Dscf8055 私は目にすることができなかった山頂からの南アルプス ~左から聖岳~赤石岳~荒川(悪沢)岳。  ~同行者が撮影したものを拝借。

Dscf8089 首尾よく再会して全員集合。

Dscn2280 穏やかだった富士がいつのまにか烈風で盛んに雪煙を上げている。                                                        

Imgp1311 日頃の気取りをかなぐり捨て、地べたに座り込んでジベタリアンのホームレス状態。
寿駅へ到着した一行は何をさておき酒を売る店を探す。
駅にくっついていたコンビニは閉店になっていたが、近くに酒屋があり、めでたくありついた。
やたらに寒い無人駅で陽だまりをみつけ冷えたビール流し込んだ。~こんなに寒いのに何で体内を冷やすのか?
目の前の国道を走る車からけげんそうな視線を浴びていたが、中には手を振る寛大なお方もいて・・・。
山歩きにはハプニングはつきもの。
大事なことは、ことに当たり落ち着いてベストを尽くせるように、心の隅で万が一に備えた心の準備をしておくこと・・・なんて訳知り顔で言ってもいざとなるとなかなかできないのですよ、これが・・・。

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赤城・地蔵岳の雪景色

2014年1月14日

私の雪山ホームグランドは赤城山。
大沼までの道路がおおむねよく除雪されているので、ストレスなくそれぞれの登山口まで車でいける便利さと、この時期であれば必ず雪の上を歩けることである。
毎シーズンインは黒檜山からなのだが、今冬はイージーに今日(12日)の地蔵岳1674mからのスタートとした。
いまのところやや寡雪気味で、路面は雪面というより凍結状態。
スタッドレスタイヤを新しく入れ替えたばかりなのですこぶる快調。
赤城山についての説明は無用と思えるので写真だけを並べる、と芸のない仕業で済ませます。

Dscn2236 地蔵岳には3つのルートがあるが今日は西の「見晴山駐車場」から。
無風快晴のうえに、日当たりの良い駐車場なのでスパッツやアイゼンを着けるのにとても助かる。
雪山歩きのときだけの2本ストックで出発進行!
嬉しいことに登山口から雪はタップリ載っている。

Dscn2238

Dscn2239

Dscn2240 入山者は少ないが雪道はよく踏まれている。

Dscn2241

Dscn2243 岳樺の林

Dscn2244 山頂近くの雪原

Dscn2245 1時間足らずで着ける地蔵岳山頂から白い湖面の大沼と黒檜山。
ありきたりの言い方だが360度の展望が得られ「労少なくして益多き」山である、地蔵岳は・・・。

Dscn2249 黒檜の北には尾瀬の山々

Dscn2250 燧ケ岳のアップ。右後ろの白い山は会津駒ヶ岳。

Dscn2249_2 上州武尊(左端)と尾瀬・至仏山(中央)

Dscn2254 西空に浮かぶ浅間山。雪面にシュカブラができている。

Dscn2259 右へ視線を振ると志賀の岩菅山(左)と裏岩菅山

Dscn2256 さらに右へ白砂山(中央)と秘峰・佐武流山(右端)

Dscn2257 さらに、さらに右へ苗場山(中央)と仙ノ倉山(右端)
手前のモッコリは鈴ヶ岳。

 

以上で本日の写真展はジ・エンドです。

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北秩父の里山~横隈山

2014年1月12日

横隈山~よこがいさんと読みます。
埼玉県の北西になる神川町の山で、長瀞の北西間近になります。
重箱の隅にある登り残し山の一つですが、標高たった594m。
ザックを背負って登るのが気恥ずかしいくらいの、あっけない里山でした。
ブログにアップするのはためらわれたのですが、地元の「児玉山の会」と「本庄山岳協会」がこんなマイナーな山(済みません・・・)にも愛着をもって道標を建て、山道を整備したその熱意にほだされ、私も一肌脱いで(爺さんの肌など脱いで欲しくない・・・ご尤もで・・・)あえて紹介することとしました。
ガイドを目的にするならばアクセスから入らなければならないのでしょうが、私の場合、車利用でしか説明できません。

R44秩父児玉線の「いろは橋」を西へ入り「平沢(たいらざわ)」の集落を抜けると、車道の終点となります。
平沢配水池があり2台ほどの駐車スペースがあります。
脇の日当たりの良い斜面には冬野菜が厳しい寒気のなかで育っていました。
この日(10日)は冬将軍が本気で日本列島を寒気の底に沈めてしまったのですが、この小さな耕作地だけはヌクヌクと気持ちよさそうです。
その直ぐ上、手の届きそうなところに「横隈山」があります

Dscn2216 登り口には真新しい標識がたっています。
道標は山頂まで迷うことが難しいくらい懇切に設けられています。
スタートして涸れ沢に沿う暗い植林の中を暫く登ると支尾根に乗ります。
これを右に進み、途中で急角度で左折するとほどなく未舗装の林道を左に見るようになります。
登山道は林道と離合していきますが、さらに登ると林道は舗装道路に変わり、登山道は横隈山から西へ延びる主尾根に乗ります。
途端に北からの寒風が吹き付けていました。
平坦な尾根には「御嶽座王大権現」など明治時代の石碑が3基残されています。
これまで閉ざされていた展望が、北側だけ開けます。

Dscn2218 富士山みたいな浅間山

Dscn2220 西へ視線を移すと御荷鉾山、赤久縄山から上信県境あたりに。
左端の奥に八ヶ岳が覗いています。

Dscn2221 鬼石の町並みの向こうの榛名連山です。

Dscn2223 東へ尾根を辿り、スタートして45分で山頂に着いてしまいました。
用意してきた昼食には早すぎてやることがなく、寒くもあるので早々に戻ることとしました。

Dscn2230 奥武蔵の丸山(左端)から武甲山への連なりです。

Dscn2231 西に私の大のお気に入りの風景~赤岩尾根から大ナゲシあたりの一部も見えます。

典型的な里山ですから、目線が低く、木立もうるさくで大きな眺めは得られませんが、埼玉県の北西部、群馬県との境にこんな山もある、ということの紹介でした。

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名曲を読む愉しみ

2014年1月9日

多くの勤めに人にとってこの年末年始は9連休になったそうだ。
一年のほとんどを時間の制約の中で送っている人にとって、この休息は貴重であることは私にも実感できる。
始まりではけっこうありそうだった休日も瞬くまに過ぎて、再び働き蜂の一員として職場に戻る、あの切なさたるや・・・
そんな思いとは無縁になっている今のこの幸福感はなにものにも代えがたい。

さて音楽は「聴く」もので「読む」ものではない、などと当たりまえのことを今さら何で・・・?
実は音楽鑑賞には登山と共通するものがあるということ。
山に登る、名曲を聴くという本質的な行為に「読む・書く」という、というものがほとんど不可分的に随伴している点である。
クラシック音楽については読むことは、その曲への理解の上で大いに有用であり、また批評の対象としてどのように評価されているのか、好きだ嫌いだと誰がどのように感じているのか、などなど「読む」ことの愉しみがおおきい。

という次第で今並行読みしている幾つかの音楽図書を紹介しておきたい。

『私の好きな曲』(ちくま文庫)は日本における最高の知性の一人である吉田秀和が1977年に著したもの。
小林秀男とならぶ難解な文章家であった著者の本としては、高度な比喩は多用されているものの、私などでもおおむね理解出来るレベルにある。

Img054

ベートーヴェンの第九やブラームスのヴァイオリン協奏曲など通俗的な名曲もある一方で、私には敷居の高いバルトークやヤナーチェク、ベルクなどの作品も含まれ、いかにも音楽批評の巨人らしい幅広い内容である。

対比的なこちらは、先日書いたばかりの『永遠の0』の著者・百田尚樹さんの至高の音楽』(PHP研究所)
昨年末には書店の店頭に平積みされているのをみて、直ぐに手が出そうになったが、新年になってから一番に買う本として残しておいた。
欲しいものをあえて残しておくなんて、我ながらどこか子供っぽい。

Img056
学生時代から途切れることなくクラシックを聴き続け、2万枚以上のレコードとCDを所有しているという、並の愛好家の域を突き抜けている。
音楽の評論家ではない一介の音楽偏愛者が、愛して止まない音楽について語れることが嬉しくて仕方ない、という思いが行間から伝わってくる。
選曲もオーソドックスで、曲の紹介文も分かりやすく入門者向けであろう。
巻末で『永遠の0』の終章を執筆中ではマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲をエンドレス再生しながら綴った」と執筆活動の一端を披露している。
ラストシーンとは大石と松之が結ばれるまでのことか、宮部久蔵の最後の場面なのか、明らかではないが、いずれにしても甘くて切ないこのあまりにポピュラーな一曲は、私には「永遠の0」全体の印象とは少し異なる。

ところでこの本を書店で求めて帰宅し、開いたときおかしなことに気づいた。
見返しの紙が破れているのである。
新刊本でこんなことがあるのだろうか?と思っただけで、さして気にも留めなかったが、読んでいるうちに思い当たった。
この本には名曲のダイジェスト版CDが付録についているのだが、誰かがそのCDだけを剥ぎとっていた、その痕跡だったのだ。
おまけのしろものだから別にそれが欲しいとは思わないから、書店に交換を申し出る気などさらさら湧かなかったが、それをした人の心根を思うと切ないものがよぎった。
たかだか1800円ほどの本、と思うのはこちらだけで、それすらの本も買えないので心ならずもこのような振る舞いに及んだのか、単なるいたずら半分の出来心なのか、小さなことだがここにも人間模様が描かれているようである。

次は昨年生誕200年を迎えていたワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の物語にかかわる『トリスタン伝説とワーグナー』平凡社新書)

Img055
ライトモティーフやら無限旋律やらでワーグナーの楽劇はハードルが高い。
とりわけケルト伝説を中世の宮廷詩人たちが語り伝えた、この「至高の愛」の物語は難解である。
原作の一つである岩波文庫版の『トリスタンとイズー物語』をついに読み通せないままになっている。

BDに録画してあるワーグナーの作品は未だ観ていない。
この難敵に立ち向かうためには十分な準備をしてかからなければなるまいと心しているためである。

・・・などとやや肩に力が入っているご様子ですが、音楽なんてもっと気楽に楽しめばいいものでしょう、違いますか?風花爺さんさん。

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高尾で終わり、高尾に始まる

2014年1月4日

気ぜわしく年が改まったかと思うと、早いもので今年も残り360日ほどになってしまった。
年末、年始は世間並みの習わしに従い、例年のパターンで済ませるもののやはり家人に負担がかかりお疲れさまでした。
おせちなどは近年出来合いのもので済ませているが、それだけでは足りないものはやはり手作りに追われることとなる。
老いの身には長い台所仕事は傍目にも決して楽なものではなく「老妻」が「労災」になりかねない。

その成果品で身内だけの新年の祝いごとと、明治神宮への初詣を終え、滞りなく通過儀礼を終えた。
ここさえ過ぎればおおかたこっちのもので、また気ままなその日暮らしの日常となる。

昨年最後の山歩きを南高尾の稜線歩きで終えた。
大垂水峠から南高尾の山稜へ乗るために登っていく日陰の山道で予想外のものに出会った。
冬枯れの殺風景な地表に白いものが点々としている。
落ち葉?それともこんな時期に花?・・・・そんなわけないよな。えー、もしかしたら「シモバシラ」か?
目を近づけるとまさしくシモバシラ(シソ科の植物)であった。

Img052  冬の初めのころ、植物の地上部は氷点下となるため活動を終えるが、まだ温もりがある地下部分の根は水分を吸い上げる。
導管を伝わって茎を上がった水分が、茎から染み出て氷結する現象で、いわゆる霜柱=シモバシラとは異なる。
高尾山の西側の北向き斜面でこの時期に良く見られ、私も好事家について何年か続けて観察に出かけたが、こんな場所で出会うとは全く予想していなかった。

そして新年の始動もソロリと高尾山エリアから。
やはり大垂水峠から、北の城山へ歩いた。
山頂は早くも大勢のハイカーで賑わっていた。
天気晴朗とは行かなかったため山頂からの富士は隠されていたので、暮れの写真でお茶濁しを・・・

 
 

Dscn2201 西丹沢・大室山と肩を並べて?の富士。
とにかく高尾山エリアは「安・近・短」の三拍子が揃っているのでありがたい存在である。
これまで上から目線で、あまり顧みることのなかったこの山域だが、これからは大いに誼(よしみ)通じたいと思う、勝手ながら・・・。

暮れから年始にかけてはパソコンのトラブルで憂き目にあってしまった。
突然、動作がおかしくなった。
インターネットは普通につながるのに、メールの送受信ができない、筆ぐるめが開かない、印刷ができないなどなどの症状が起きて甚だ困った状態に陥ってしまった。
あれこれ試してみても一向にご機嫌を直す気配がなく、何より原因が分からないので対処のしようがない。
未だ一年足らずなのになんたるパソコンか、とメーカーのせいにしたり・・・
結局リモートサービスを利用することになった。
オペレーターとのやり取りであれこれ問診をしながら試行を繰り返す。
その中で、自分としてはそれが原因になっているとは露ほども思っていなかったのだが、何気なく、無線ランの環境でマウスもワイヤレスで使用しているが、たまたま電池切れとなったので入れ替えし、その間ライン接続のマウスに切り替えて使っていることを伝えると、オペレーターにはピンとくるものがあったようで”無線マウスの電源を切ってみたら”と言う。
その通りにしてみたらアレレ・・・滞っていたメールがゾロゾロ流れだしてきたではないか。
そんなことが原因だったのか、ジジイに分かるはずないよな・・・。
解決してみれば「コロンブスの卵」か。

こんな調子のブログを性懲りもなく、まだしばらくは続けるつもりでいます。
おろしくお付き合いください。

 

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