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2013年12月

ゼロからスタートし、「0」で終わった一年

2013年12月30日

映画「永遠の0」の中ごろで、特攻で死んだ顔を知らない祖父の像を求める孫が、友人たちとの合コンのシーンでの会話・・・
近況報告として、特攻(海軍特別攻撃隊)のことを調べていると話すと、友人たちが口々に「特攻と自爆テロは同じようなもの」とか、女性の参加者は「そんな話をしに集まっているわけではない」と非難する。
私たち世代以下での特攻に対する最大公約数的認識はそんなところだろう。

特攻についてはフィクション、ノンフィクションのどちらでも多くの著書があるが、今時の話題作としては超ベストセラーの『永遠の0』で、それが「三丁目の夕日」で昭和のノスタルジーを描いた山崎貴のメガフォンで映画化された。
その封切は待ち遠しく、21日全国公開され、その翌日駆け付けた。
原作と映画の消化に時間がかかり(それでも消化しきれていないが・・・)、かつ特攻のにわか勉強をしていたためにアップするのが年末になってしまった。

346152view001 主人公・宮部久蔵を演じるのは岡田准一。
新年から始まる大河ドラマ「黒田官兵衛」も演じる、今旬な役者、ということだろうか。

346152view003

百田尚樹の原作は350万部が売れたベストセラー
この作品は読み進めていくと、真珠湾の奇襲からの開戦から、緒戦の怒涛の進軍が、僅か半年で「ミッドウエー会戦」での敗北で反転し、各地での相次ぐ敗退、玉砕で次第に追い詰められ、沖縄戦での悲惨な末期などの過程が自然に学べるストーリーとなっている。

Img048
この物語、宮部久蔵が特別なのではない。
これは4400人の特攻死の一つでしかない。
もっと言えば260万人の将兵が死んだあの戦争の中のたった一つの話でしかない。

元兵士が語る形を借りた小説だから史実に忠実とはいえないこともあるだろう。
そもそもあの戦争の史実といったところで、真実は十分には解明されていないのである。
真実を知る上級将校は戦死したり、生還した者は口をつぐんだり、あるいは記憶違いがあったりなど、もろもろの要因で「真実」の正体が曖昧なものとなっている。

Img049 この書は、たまたま太平洋戦争時代を舞台にして、今年公開された映画「風立ちぬ」「永遠の0」および「終戦のエンペラー」の三作を、小説「永遠の0」を横串にして、太平洋戦争と特攻作戦を考察している。
「風立ちぬ」については「0戦」の物語なのに、あの戦争とは正面から向き合っていない、という論調であるが、この点には異論はない。
特攻作戦を肯定的に捉え、特攻をやや美化している節はあるから、距離を置いて読むべきかもしれないが、示唆を受けることも多い。、

冒頭に書いた合コンの会話にもある通り「十死零生」の特攻を志願するなど狂気の沙汰で、それこそ犬死とする見方は多い。
しかしあの狂気の時代、本心では志願したくなくても、志願しないという選択肢は与えられていなかったのである。
むしろ狂気だったのは、特攻作戦が全く無意味になってもなお、人命を紙よりも軽んじて作戦を継続した命令する側がそうだったのである。
その意味では日本を背負って立つべき多くの有為な若者たちが、犬死を強いられたことは痛恨の極みである。

軍・民合わせて310万人が死んだあの戦争もほとんど忘れられ、今は何ごともなかったような平穏な日々が過ぎている。
そんな状況なのに私が意外に感じたのが観客のほとんどが若い世代であったこと。
愚かしい特攻作戦で散った主人公・26歳の宮部と同じくらいの世代に思えた。
彼らはこの映画から何を感じとったのだろうか。

特定秘密法の成立やら、安倍首相の靖国参拝による国際的な孤立化、集団的自衛権の行使容認?、憲法改正・・・・・・。
いつかきた道への回帰が密かに進行しているのだろうか?

映画は原作を超えられない、という持論の私ではあるが、感動に充ちた原作を毀損することなく例外的に映像化に成功した映画と思う。

タイトルこそ「ゼロ」ではあるが、内容には無限の奥行きがあり、深く考えされられる名作2編に出会えた年末である。
同時に自分がいかにあの戦争~開戦の経緯、緒戦での大勝が逆転しついに特攻作戦にまで追い詰められた戦局、終戦の遅れ、靖国問題など~について不勉強であったかを悟らされた年末でもあった。
それは怠惰な私を叱咤するために、新年への課題として突きつけられたものであるかもしれない。

時の流れは奔流のごとしで、明日は大晦日。
ブログのアップもこれが今年最後となります。
このブログにお付き合いいただいた皆さまにお礼申し上げ、お健やかに、清々しく新年をお迎えになられますようお祈り申し上げます。

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夜の銀座は七色ネオン・・・

2013年12月26日

毎年末恒例の屈託は年賀状のこと。
例年のことだからいくらでも早めに用意できるのに、毎年一日延ばしで、いよいよ追いつめられるまでその屈託を引きずっている。
一瞥するだけで済むような儀礼的なものなら出す意味が無い。
だからと言って感心してもらえるようなものを創れる才には恵まれていない。
その葛藤に、骨の髄まで染み付いている一夜漬けの習性がからむものだからこんなことの繰り返しになる。
それがどうにか投函できるところまで漕ぎ付けたので重荷を下ろしたような開放感に浸れているというわけである。
高齢を理由に年賀状を止めるという例もボチボチある。
これも一つの見識であろう。
私も賀状の頸木(くびき)からそろそろ自分を開放してやったら、という思いもよぎるが、年に一度の互いの健在を確かめる儀式はそう簡単には終わらせることができない。

そんな宿題にようやく区切りがついたので、肩の力を抜いて軽いもので、というわけで「山野楽器店」にCD探しにでかけたついでの銀座の年末の寸描を・・・。

Dscn2145 黄昏の銀座 ~数寄屋橋交差点でマリオンの方向を

Dscn2147 ペコチャンの不二屋も大人の雰囲気に変身。

銀座には昔のようなクリスマスムードを殊更煽り立てる雰囲気はなく、落ち着いている。
ますます大人の街になっているということなのかな。

Dscn2150 晴海通りからの4丁目交差点の方向を・・・        

Dscn2151存知、和光(左)と三越

Img050 昭和30年代の4丁目交差点。

Dscn2155 山野楽器店(左)と毎度凝ったツリーの御木本真珠店

Dscn2157 松屋通り ~この先へ進むと昔の勤め先がある。

Dscn2158 その松屋は庶民的なデパートだったが、今は私などはお呼びでない店に様変わりして、香水の香りが濃厚に漂い。悪酔いしてしまいそう。
昨日、今日のことではないが、ブランド店が席巻し、夜の顔はここが日本であることを忘れさせる。

Dscn2159 これもブランンド

Dscn2160 あれもブランド

Dscn2165 どっちみち私には縁のない存在。
こうしてみると、ここ日本?との錯覚も覚える。

こんなにも犇(ひし)めいていて、果たして商売として成り立っているのか、他人事ながら気になる。
それぞれに考えはあるだろうが、たとえ採算に載らなくても銀座の表通りに店がある、ということがステータスとしてブランド価値を押し上げる、という計量できない効果もある。

Dscn2164 それでも一本裏通りに入ると嘘のようにヒッソリして、その落差の大きさも銀座ならではか。

この記事のタイトルは三条町子が歌った「かりそめの恋」
コノ歌に限らず銀座を題材にした歌謡曲は多い。
いわゆるご当地ソングのジャンルでは一番多いのではないだろうか。
しかし、いつごろからか、新しい銀座ソングは生まれなくなった。
それはけばけばしかったいわゆる「銀座のネオン」が消えていったのと軌を一にしているように思える。

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今冬初の雪山でビンゴ! ~笹尾根・槇寄山

2013年12月23日

前回の「鷹ノ巣山」がエージシュートにリーチだからその次はビンゴ!となる、当然に。
そのビンゴに21日、私たちの会の今年最後の山行「槇寄山」1188mで到達した。
奥多摩の三頭山から高尾山までつながる長い尾根は「笹尾根」と呼ばれ、親しまれている山域で、槇寄山はその途中にあり、私はこれまで2度山頂に立っているが、目立たない存在で印象は薄い。
それが今回は特別な山となった。
ビンゴ!ということもあるが、前々日以来のまとまった降雪で、私にとっては例年に比べ著しく遅れたが、初の雪山歩きとなったためである。

道路凍結でバスの運行ができないことになるかも、という前日の懸念は幸いに外れて、なにごともなく浅間尾根登山口のBSにに到着。
この辺りは都下といえども秋川筋の最奥・檜原村のそのまた一番奥の数馬になる。

Dscn2167 道路は氷結してツルツル ~うー サムーッ。
全員スパッツで足元を雪からガードする体勢は万全。
登り始めればいい具合に体が温まってくる・・・これがこの時期の低山歩きの持ち味である。

Dscn2170 右手近くにこの辺りでは一番高い三頭山1531mが見えてくる。

Imgp0956 積雪は10cmほどとなる。

Dscn2171 行程途中の大羽根山992mは北面の展望台で御前山(左)と大岳が近い。

Dscn2173 左奥に先日登ったばかりの鷹ノ巣山の三角錐も見えていた。

Dscn2177 笹尾根(数馬峠)に出ると南面が開けいつものお富士さん。
いい塩梅にベンチもあり、ここらが昼食にころ合いであった。

Dscf7594 私のお昼はまっことプアーでカップの味噌煮込みうどん ~本場・名古屋のそれには遠く及びませんネ。

Dscn2180 槇寄山直下の西原峠はこの時期には珍しくちょっとした雪原になっていた。
僅か数十cmほどの積雪が、そうでなければ極平凡な山歩きを豊かなものにしてくれる。
まさしく雪は天からの贈り物に違いない。

Dscn2178_2 槇寄山の頂からの丹沢山塊

Dscn2183 富士には笠雲ができかかっている。

Imgp0985 槇寄山頂にて ~急な降雪で参加者が減ってしまった。

Imgp0994 下山して入浴し、生ビールをグイッというパターンもこれが今年のお仕舞。

この時期は一夜にして山は変わる。
一昨日、近郊の山に初めて本格的な降雪があった。
このためこの山行リーダーI氏は前日にも、雪が降りしきる中、現地の状況を確認するためにコースを歩き通してみた。
グループ行動の安全を確保するための使命感にみちた行為である。
私たちの会では次世代のリーダーが手薄という悩みがあるが、確実にその世代の中から新しい芽が育ってきている。

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」 (D・マッカーサー)~私が消えていく日も遠くない・・・
新しい力が育ってくるのは嬉しいことには間違いないが、ホンの少し寂しさを伴っていることも隠しようがない。

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エージシュートにリーチ ~鷹ノ巣山にて

2013年12月16日

私が唯一、毎年の目標にしていること~山歩きの日数が自分の年齢以上になることで、それはゴルフのエージシュートを援用したものだが、厳密に言うとゴルフの場合とは逆になる・・・~に今日(15日)の鷹ノ巣山1737m山行でリーチをかけることとなった。

私は通常、東京近郊の山には休日には出かけないが、今日その禁を破るのは、青梅街道を走るので、日曜なら業務用の車が走らないはずだから幾らか走りやすいだろうと見当をつけたからである。
目論見通り奥多摩湖の北岸になる登山口の
「奥集落」に3時間以内で着いた。
首尾は上々とほくそ笑んだのも束の間、密かに抱いていた懸念が当たり駐車スペースは一杯。仕方なく先へ進めたら幸いなことに最奥の無人の家の前の路側にスペースがあった。

Dscn2112 天空の急斜面にへばりつく奥集落の人家 ~画面中央左側にポツンとあるのが私の車。駐車スペースは画面の下の切れた辺り。
鷹ノ巣山に登るルートは他にもあるが、ここを選んだのは一番楽である、ということのほかに「奥」の集落を見ておきたい、ということがあった。
標高千m近い、奥多摩でも稀な高地で、文字通り最「奥」にあるのにいまだに廃村にならず、今でも何人かの住民がいるという奇跡的なその存在を確かめておきたかったのである。
~『奥多摩町異聞』/瓜生卓造によると、1981年時で20戸で人口77人だったそうである。

Dscn2114 集落のすぐ上にある浅間神社は今は管理されることのないままに自然朽廃の道を辿っているようであるが、その神社名に由来する、今日のルート「浅間尾根」はこのようにナラを主体とした明るい疎林で構成されていて、おおむね緩傾斜で歩きやすい。
冬のシンとしたそんな山道を淡々とひたすら登る。

Dscn2139  水場がある ~ごく細い水流があるが飲む気は起きない。

Dscn2115 主稜線の鞍部に乗ると避難小屋が建っている。
お金持ちの東京都の施設らしく、下手な山小屋は逃げ出しような綺麗な小屋で、中で昼食

Dscn2120 山頂への最後の登りの途中からようやく展望が開けてきて、やはり先ずはこの山からであろう。

Dscn2128 富士の右には大菩薩蓮嶺がスカイラインを描いている。

Dscn2134 振り返ると雲取山 ~あそこから石尾根という稜線がここまで連なっているのである。

Dscn2132 

北には私がほとんど足を踏み入れていない「長沢背稜」 ~この東京・埼玉の県境になる稜線の呼び方には「ながさわせりょう」「ながさわはいりょう」「ながさはせき(脊)りょう」などがあり、けっこう論議を呼んでいたので、いつかそのことを書いてみたい。

Dscn2123 奥多摩の人気者、大岳と御前山の右遠くには丹沢山塊

Dscn2122 標高差780m 丁度標準のコースタイム2時間半で頂上へ。
この山頂に立つのは54年ぶり、2回目となる。
最初の山頂は一月で、雪に覆われていた。
あれは、ある山岳雑誌から、女性に奥多摩の紀行を書いてほしいという依頼を受け、即座に会の中での書き手のSさんを選び、対象を鷹ノ巣山にした。
あの時は日原から稲村岩尾根を登ってやってきた。
期待通りに、Sさんは少し感傷的ではあったが印象的な紀行を残してくれた。
今でも読み返すことがあるが、達意の文章家だっただけではなく、山には強く、抒情的な歌曲も創りだす豊かな才能の持ち主だったそのSさんも不帰の客となって久しい。
そんな鎮魂の思いに長く浸るのを許さないような寒さに追い立てられるように、そうそうにもう来ることのないであろう山頂に背を向けた。

 次回の山歩きがビンゴ!となるが、残り2週間あるからそれは達成間違いない。
そして来年 ~年齢が考えてもみなかった大台に乗る。
内心密かに(なんてここで書くと密かにでもなんでもなくなってしまうが・・・)エージシュートに一区切りをつけるつもりの歳となる。

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林道閉鎖前の駆け込みで ~有間山

2013年12月12日

奥多摩と秩父の間には「蕎麦粒山」とか「天目山(三ッドッケ」など、その山頂に立つにはけっこうアルバイトを強いられる奥深い山々が蝟集(いしゅう)している。

有間山もその一つで東隣にある「蕨山」はハイカー定番の山なのに、ここまでは足が延ばしにくいとjころがあった。
ところがいつのことなのか飯能奥の名郷と秩父の浦山を結ぶ林道が開通してからは画期的に身近な山となった。
その林道を利用して「有間山」を歩く心づもりはしていたのだが、ついつい先送りしていて、ネットで確認したところによると、この林道は12日から来年4月中旬まで冬季閉鎖となることが分かった。

そうすると今日(11日)が今シーズン最後のチャンスとなるわけで急遽お出かけとなった

Dscn2109 有間ダム(名栗湖)から見る今日歩く稜線。
中央の小さな切れ込みが「有間峠」で、その右の稜線一帯が「有間山」となる。

左奥の三角の山が「蕎麦粒山」

Dscn2108 冬季の閉業に入っている「有間観光鱒釣り場」の先から始まる林道「広河原逆川線」  ~明日から閉鎖というのにその気配がない。

Dscn2098 登山口となる「逆川乗越」 ~「乗越」というのは峠のようなもの。

Dscn2099 西の有間山稜線を目指して上ると、北に「妻坂峠」のくびれを挟んで
武川岳(右)と大持山が樹間に見える。

Dscn2100 最初の頂に「有間山」の標識が立っている。
有間山という独立の山は存在せず、この辺り一帯の山々の総称となっていて、ここは登山の世界では「橋小屋ノ頭」とされている。

Dscn2101

南に向け、特徴のない小さな稜線上の隆起を幾つか越えていき、一帯の最高点となる「タタラノ頭」1214mに着いた。
稜線上からは木立を透かして、絶えず蕎麦粒山~天目山(三ッドッケ)~大平山の連なりが見えるのだが、開けたスポットは一か所もない。
こうした例は各所にあるが、せめて一点だけでもいいから展望が得られるように伐採できないものか。
その程度なら自然破壊と目くじらをたてるほどのことにはならないと思うのだが・・・。

Dscn2104 辿っている尾根は突然、切通しの「有間峠」によって断ち切られる。
ここから先は既に歩いているので、山道歩きはここが終点。

Dscn2105 付け替えられた登山道で林道に下りると擁壁に「登山口」を示す文字が書かれていたが、消えかかっていて、判読不能になる日も近いだろう。

Dscn2103 峠を秩父・浦山側に下るとこれまで見えにくかった蕎麦粒山から大平山に連なる山稜が見渡せた。

峠からは人影の絶えている、舗装された林道を緩く下って行くだけ。
あまりの気楽さに思わず
♪・・・ミルク売りを慕うユーレイティ ユーレイティ ユーレイユーレイティー ・・・ ♪
いや、この寒い時期、べつに幽霊だ出たわけではない・・・
まごうことない爺さんが一人、奇声を挙げながら歩いている姿を誰か見かけたとしたら、それこそ”ユーレイが出た!”とばかり鳥肌たてるかも・・・。

Dscn2107_2 逆川乗越に戻ると相変わらずヒッソリ。
冬枯れの中に、季節の移ろいからポツンと取り残されているような石祠だけが待っていてくれた。

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地形図の話をしよう

2013年12月9日

初冬の穏やかな一日(昨日のこと)、奥武蔵の「堂平山」を16人で歩いた。

Static  G(白石車庫)を起点にして時計回りの軽い周回コースである。

Dscn2086 今や遊園地化している堂平山からの北西のパノラマ。
左の両神山から中央右の赤久縄山へ、そして右の御荷鉾山。

Dscn2091 車で上がれるここは格好のパラグライダーのゲレンデとなっている。

Dscn2096_2 鳥になった気分なんでしょうね・・・私にも「翼をください」か。
以前来た時には全く気づかなかったのだが、ここには「天測点」なるものが残っている。
星を観測することにより、観測地点の緯度・経度を決めるための測点だそうで、ある時期、測量のため地理院で使っていたものの遺跡である。

Dscn2095 三角点に比べて、子供の背丈ほどもある大きなものである。
こんな頑丈な土台に載せる観測機器はそうとうな重量物だっのだろうな・・・

その天測点のことから、登山に使われる最も基本的な国土地理院の25000分の1地形図について、昨今の著しい変貌ぶりについて整理しておきたいな、と思いたった。

この地形図は本来、登山用に作られているものではない。
しかしながら精密な等高線が描かれているために、登山に必要な重要な情報、すなわち「高さ、地形、地勢」が読み取れることが、登山に
欠かせない必須アイテムの一つとなる所以となっている。
・・・という言い方はしかしながらもう時代錯誤としか思えない昨今の状況である。
今の登山界は昭文社などの登山地図の利用はまだましで、ひどいもになると駅前などに置いてあるイラストマップであったり、それすらも持っていないなどという例もないこともない。、

私のようなオールドタイマーにとって地形図は、登山用具と同等のレベルで不可欠なもので、それを(コピーしたものであるが・・・)携行していないと、不安でならない。
確かに地形図は情報が古く、かつ更新のサイクルが著しく長くて、しばしば廃道化した登山道が堂々と残っていたりするなど信頼度に欠ける点があることは否めない。

こうした弱点を克服するため、地理院は地図のデジタル化を進め、2011年2月から「電子国土基本図」により最新の情報を閲覧できるようにした。
ただし、この地図ではランドマークとして登山には重要な送電線などの記載がなくなるなど、情報量が減少していたりして、必ずしも評価を得られているものではなかった。

この点を改善しつつあるのがニューフェース「電子国土25000」で、インターネットを経由して入手できるサービスへと展開している。
紙地図と異なり、ネット上で、図郭に関係なく任意の部分をくシームレスに170円で入手できるのはなかなか便利であり、私も目下のところ紙地図との併用にしている。
電子国土基本図から消えてしまった送電線などもオプションで描画できることなども利点である。

ただ、地図データーをダウンロードしてプリントする仕組みなだけに、プリンターの性能にもよるが地図画質のクオリティが低下してしまうという不満がある。

また、最新の情報が反映している、という触れ込みながら、例えば甲子トンネルが開通して3年も経つのに未だにこれが地図上に反映されていない、などの事例から”ホントにそうなの?”という疑念が消えない。

地形図におけるもう一つの話題は、一番なじみ深いこれまでの3色刷りの紙地図が、ほぼ50年近く経過して、このほど多色刷りに装いを改めて登場した。

Img044 目立つのは幹線道路が赤で彩色されていることや、等高線に陰影が施され立体感が出て、結果として尾根と谷が見やすくなっていることなど。
11月1日から一部の発売が始まり、順次範囲が拡大されていく。

Img045 登山用に特化された地図と言えば今や昭文社の「山と高原地図」の独擅場となっている。
長年にわたるノウハウの蓄積で信頼性の高い内容になっているが、等高線が読めない、送電線が描かれていない(この点についてはかなり以前、同社に何故等高線を描かないのか?と尋ねたところ、順次反映することにしています、という返事を得たがいまだに旧態依然で残念・・・)など必ずしも万全とはいえない。

私は「地形図」と「山と高原地図」を併用しているが、これがおおかたのヤマアルキニストの平均的な方法論になっているものと思われる。

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みんなでお背戸の岩山へ ~岩櫃山

2013年12月2日

あれれ!12月だ~!
JR吾妻線・郷原駅の直ぐ裏に厳(いかめ)しく聳え立つ「岩櫃山」803m。
その裾にはいかにものどかな山里があり、岩櫃山は裏山・背戸の山として地元ご自慢の「オラが山ダンベー」
戦国時代、真田家がこの山の東側の一角に山城を築いたのもうなづける。
下から見上げるとどこが歩けるのか、とりつくシマの無いように見えるが、何とか通過はできる、が一筋縄ではいかない。
鎖や梯子などの助けを借りなければこの乱杭歯のような稜線をトレースできない。
取り付けの工事をした人たちはどのようにして、それらの工作をしたのだろうか?

Dscn206127
11月の最終日、私たち精鋭?16人がこの砦に果敢に挑んだ。
最高齢81歳、今年になってから山歩きを始めたビギナーも交じり、
平均年齢68歳ながら、年齢を感じさせない元気者ばかりである

~断っておきますが平均年齢を上げているのは男のせいで、女性は全員平均をはるかに下回っているのです。

Dscf6721_original イザ行かん、行きてまだ見ぬ岩を見ん・・・スタートは牧水気取りで・・・

Dscn2068 名残りの紅葉

Dscf6768_original ホールドの無いここではスリングを使い・・

Dscf6810_original 崩壊したここでは固定ロープをセットして・・・最初の関所「天狗の架け橋」へ ~長さ5~6m、最小幅50cmほどの橋を渡る。

Dscf6821_original この橋を何度か往復している私 ~余裕ありげで・・・。
掴まるなにものもないのでバランスだけで渡る。
もし体勢を崩して落下したらケガで済めば良し、としなければならないだろう。

したがって安全を期して、ここをエスケープするルートもある。

Dscf6839_original 10m強の鎖場 ~傾斜はさほどではないが、両側が切れ落ちているので高度感があり、緊張する所。

Dscf6884_original ナニクソ!とばかりしょうちゃんが往く ~ケッパレ!
ここを登りきると岩稜を南側へ乗り越し、山麓から見上げる200mの垂壁の最上部をトラバースする。

Dscn2074 足元は削げ落ち、支柱はグラグラ、ここの高度感にはゾクゾクさせられる。

Dscn2078 山頂直下の10mほどの鎖場。

Dscf6903_original R子ちゃんのこのガッツ ~もうひとふんばりだ!
登り切った山頂は狭くて16人立つと腰を下ろす場所もないが、展望はなかなか広大である。

Dscn20654 北西の白砂山方向

Dscf6929_original 北には谷川連峰

Dscf6917_original ドッチがお山の大将だい?

Dscf6925_original 笑顔と人が狭い山頂から溢れ出そう・・・・・・

Dscn2081 東隣の展望岩から振り返り見る山頂 ~山頂のこの狭さはそこらにそうそうあるものではないだろう。
2本の鎖が下がる岩もこうしてみるとかなり傾斜がきつい。
同行の女性をロープで確保して下ろしているシーンをみかけ、内心少々大げさではないかと感じたが、用心に越したことはないだろう。

Dscf6994_original 下山路にも鎖場があったり、奇岩怪石の間を縫うなど、岩山のフィナーレにふさわしい演出があるのだが、核心部をクリアした後なので緊張はほぐれている。

Dscf7048_original 最後はやっぱりコレですがな~。

同行の皆さん、花の素顔をオープンにしてしまいました。
差しさわりのある方はご連絡のほどを・・・モザイクをかけますので

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