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2013年11月

珍しくパーティ続きで・・・

2013年11月29日

たまたまですが二つパーティーが続きました。

その1は私たちのハイキンググループも加盟しているある組織の10周年記念のパーティ。
現在、日本の山岳団体の頂点になる「日本山岳協会」の会長の要職にある神崎忠雄さんが率いている「軽登山靴クラブ」という組織です。

神崎代表がその豊富な経験を請われて、公共団体や企業から中高年を対象とした登山講座を幾つも持ち、その講座受講生がそれぞれに山歩きのクラブを立ち上げました。
それらを結集したのがこの「軽登山靴クラブ」です。
良き山男の一つの典型である神崎代表という、カリスマ性による求心力で成立しているクラブですね。
山を愛し、自然を大切にし、仲間との友情を育むことをモットーにして、事故を発生させないことを一番のテーマにしています。

Dscn2026 記念式典の会場・学習院大学
このキャンパスに入るのは初めてです。

Dscn2027 型通り代表のいつに変わらぬユーモアたっぷりの挨拶。

Dscn2030 このクラブ最大のテーマである「安全宣言」を高らかに誓います。

Dscn2033 会場を椿山荘に移して祝賀会

Dscn2042 ここでも主役は神崎代表
歓談、ゲーム、歌などで2時間は瞬く間に過ぎました。

 

場面はガラリと変わり、翌日は身内のささやかな祝いの集まりです。

Dscn2057 場所は京王プラザホテル・・・の中のそれなりのお店。

Dscn2043 何で花束を抱えているかは内緒にしておきます。

Dscn2048 時おり登場する孫娘です。

Dscn2055 これがファミリーですが3人欠けています。

在職中は、殆どお義理で出席しなければならないパーティーなどがあり、それはむしろ苦行に近かったので、好きではありませんでした。

今は、パーティや祝い事など華やいだことにはすっかり縁遠くなり、希少性があると思い、またブログも間が開いてしまったので恥ずかしながらアップした次第です。

~ブログに書く、と言ったらブーイングにあったのですが・・・。

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大平牧場から木賊ノ頭

2013年11月22日

そうか、あれから丁度50年たつのか!
あの日、あの時、私は霧ケ峰経由で蓼科山に登るため、新宿からの夜行列車に乗り、夜明け前の上諏訪駅に下車していた。
その悲報は携えていたラジオから流れた。
それはジョン・F・ケネディ大統領が凶弾に倒れた、という衝撃的なニュースだった。
時は移り、奇しくもその長女が時期を同じくして駐日アメリカ大使として着任した。

山梨県と長野県の県境になる奥秩父の長大な山並みが西走し、瑞牆山(みずがきやま)を最後の頂として、信州峠で一旦尽き、さらに西へ向け「横尾山」をもたげて小海線沿線の「飯盛山までつらなる尾根はあまり人が入らないエリア。
そのほぼ中間にある「木賊(とくさ)ノ頭」1780mへ「大平牧場」から登るルートはさすがのネットでも見当たらない超マイナーコースである。
私は山岳ライター・打田鍈一さんが2009年12月号『山と渓谷』誌に書かれたものを見ていていつかは歩いてみようと思っていた。
久しぶりに道のない、道標の無い山を歩くこととなlる。

19日、まだ明けやらぬ東京の空は澄み切っていた。
それが、甲府盆地に入ると目的地から先は、寒気の吹き出しによるガスに厚く包まれている ~そりゃないだろう・・・

「標識がある」という大平牧場への入り口を探しているうちに、信州峠近く、瑞牆山の足元の黒森まで上がってしまった。

Dscn1994 不機嫌そうな瑞牆山 ~風花が舞っている・・・
標識は結局、牧場閉鎖に伴いは撤去されていたようである。
なんとか入り口を探し当て、狭いが路面状態の良い道を走り、牧場ゲート前に到着。

Dscn1995 この牧場は須玉町で経営していたものらしいが、今は閉鎖されている。
人の出入りには支障はない。

Static 今日のルート ~往復なのでゴールで記録を終了している。

Dscn1998 風花はいつのまにか消え、すっかり晴れ上がり、牧場に入ると右上に横尾山の草原が見える。

Dscn2000 振り返ると瑞牆(みずがき)山(左)と金峰山が見守っているかのよう。
木々はすっかり葉を落としてる。
若葉、青葉、そして紅葉と装ってきた、あるいは虚飾に堕していた樹木が潔く裸になる、その寒樹のたたずまいを私はとても好んでいる。

Dscn2002 横尾山(左端)と瑞牆山・金峰山
縦に長い牧場はどこを登ってもよいようだが、左端に轍があったのでこれを辿った。
この轍前方の緩い尾根の手前で尽きると、そこは左右から狭まる有刺鉄線が切れていて山に入れるようになっている。
どこには赤テープがついているので、恐らくこれが山へ向かうルートであろう。
樹林下の幅広い尾根は笹で覆われているが、かすかな踏み跡は拾える。
その笹藪の中で不思議なものを見つけた。
丸太を三本針金で束ね、それを縦位置に置き、丸太杭で支えている。
すっかり苔むしているこの人口物はいったい何だろう。
さっき通り抜けた牧場と何かの関係があるのだろうか?
それともかつてここには登山のためのコースがあったのだろうか?
いずれにしてもこのような人の手にかかったものがあると、安心感がわく。
ほどなく尾根は直角に右(東)へ折れ、登ると大きな岩に当たる。
直進は難しそうで、仔細に観察すると、岩の左下を巻いて、ほんの微かに人が歩いている痕跡らしきものが続いているように感じられる。
とにかくそれを辿って斜上していくと、前方の主稜線出た。

Dscn2003_2そこには今日見る最初の古びた標識が立っていた。
カンだけで辿ってきたがピンポイントで目的地に出られたこととなった。
道の無い山歩きの場合、この瞬間の達成感、安堵感がたまらない。

東へ進めば横尾山から信州峠となるが、大平牧場を示す方向は間違っているとしか思えない。
西へ向かう、清里駅までつながる長い山道は笹藪に覆われているというものの、ここまでに比べれば明瞭である。
ところどころで展望も開けている。

Dscn2004 これは北の方向になる「男山」(左)と「天狗山」 ~ただし天狗山はその背後に高い「御座山(おぐらさん)」と重なっていて判然としない。

Dscn2005 断る必要もないかな ~南八ヶ岳で赤岳は雪雲の中。
トーフ岩という四角い岩の左を通過すると、目的の「木賊ノ頭」の肩に着く。
灌木が茂る明るい草原状で、小さいながら気分のよい憩いの場所である。

Dscn2007 まず目を射るのは南ア

Dscn2011 富士も遠景の中におさまっている。
富士の手前のシルエットの尾根。
その右端が深田久弥終焉の地・茅ヶ岳のあたりで、見えている山は金ヶ岳になる。

Dscn2009 山頂 ~目立たないが右上の黒丸の枝に小さな山名標識がある。

Dscn2010 西の肩からもう一度八ヶ岳

Dscn2021_2 大平牧場に戻り、もう一度瑞牆山と金峰山

今日は展望に恵まれた山歩きができた。
それらはもう数えきれないほどに見慣れた景色だが、見飽きることがない ~そのことを再認識した一日であった。

帰りの道すがら瑞牆山荘から金山に寄り道し、久しぶりに、日本で登山が遊びの対象となった時期の偉大な先達・木暮理太郎の碑前にたった。

Dscn2024

Dscn2025  碑は、古くは金峰山の登山基地となっていた金山・有井館裏手の白樺の樹林のなかにひっそりと佇んでいる。
盟友・田部重治とともに、人跡もまれな東日本の山々を渉猟して歩いたそのパイオニア・スピリッツを知る人も減るばかりの今日である。

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原始が息づく屋久島 ~後編

2013年11月18日

承前) ~2日目(13日)の後半からになります。

屋久島の西南部は山が海へ直接なだれ落ちる断崖になっていて、人は住めないため集落がしばらく途絶えます。
そのため島の原始性が維持されていて、断崖を縫う車道は「西部林道」といい、この沿道はその原始性を身近にすることができます。
道路沿いにヤクシカとヤクザルがいて、ここでは彼らが先住者です。

Dscn1936 暗い樹林の中のため見にくいでしょうが・・・
このヤクシカもヤクザルも本土の同種に比べてかなり小さいです。
クマ、シカなど寒帯から南下するほど体が小さくなりますが、この点についてガイドが”暖かくなるほど体に脂肪を蓄える必要が低下するため”と解説していました。
”そうすると熱帯にいる象などの大きな動物についてはどうなんでしょうね?”というような意地悪な質問は控えました。

下車して西部林道をブラブラ歩くと、立派な山が見えました。

Dscn1940 

ガイドに尋ねると”国割岳」1323m”(右端)ということでした。
宮之浦岳から西へ延びて東シナ海に没する尾根の中間に位置します。
登山道はありません。
山肌に白骨化した枯れ木が点在しているのが見えます。
マツクイムシの被害にあったヤクタネゴヨウマツだそうでした。
次いで、西部林道が樹海を抜けたあたりに位置する「大川(おおこ)の滝」に寄ります。

Dscn1944 流量の多い時期には岸壁一杯の滝になるそうですから、さぞかし壮観でしょね。

Dscn1953 中間集落のガジュマル ~発達した気根が凄い・・・

Dscn1949 私にはガジュマルより気になる山が目にとまりました。
ガスをまとわりつかせている鋭い尖峰です。
何かに似ている・・・そうだ!ツェルマッとの街から見上げるマッターホルンにソックリだ!
居合わせた土地の老婆に名前を聞いたのですが”知らない”という返事。
ダメモトでドライバーに聞いたら意外なことに知っていました。
「七五岳」というのだそうです。
標高1488mで厳しいながら登山道もあるそうです。

Dscn1954 これは2段で落ちる「千尋(せんぴろ)の滝」 ~左には巨大な一枚岩。

Dscn1957_2 千尋の滝から見上げる」モッチョム岳」944m
これで2日目の観光は終了し、宿に帰ります。

Dscn1961 最終日「愛子岳」1235mを見ながら「ヤクスギランド」へ向かいます。
愛子岳は愛子さまへのあやかり人気が急上昇したそうです。
ただし、登りは標高差千mあり、とても愛子さまのようなやさしさはないようです。

ヤクスギランド経由で、標高1200mを超える「紀元杉」へ向かう山道でも、心惹かれる山が次ぎ次ぎに車窓を横切ります。

Dscn1978_2 氏名不詳ですが「鹿島槍」に似た双耳峰です。

Dscn1979 こちらは「太忠(たっちゅう)岳」1487mで山頂におおきな石柱が立っているそうです。

Dscn1982 今日のお目当て「紀元杉」 ~推定樹齢3千年で、この幹回りを2倍すると縄文杉になるのだそうです。
ここから少し先に進むと宮之浦岳への淀川登山口となります。
5年ほど前の同じくらいの時期になりますが、そこから宮之浦岳への登山ツアーに参加することにしていたのですが、時ならぬ降雪で中止になってしまいました。
以来、宮之浦岳は遥かな山に遠ざかってしまいました。

Dscn1993 旅の終わりは自然休養林「ヤクスギランド」
ショートコースを歩いてフィナーレ。
最後になってしまいましたが、屋久島は一日の気温較差が少ないため、ほとんど紅葉しないそうです。
島での昼食が終わればふたたび高速船で鹿児島に戻ります。

Kaimon01 錦江湾に入ると端正な「開聞岳」が海からそそりたっています。
ほどなく鹿児島港~そこから空港へ移動すれば羽田も、自宅もすぐそこ・・・でもないか。
~高速船の窓が汚れているため、撮影には不向きだったので、ネット上の画像ををお借りしました。

強烈なインパクトを受けたようなシーンはなかったのですが、人が地球上にはびこる以前の姿が垣間見えたような旅でした。

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原始が息づく屋久島~前篇

2013年11月17日

ちいさな旅のあとに、山歩きがつながってしまい、ブログにかまけている時間がとれず、すっかり更新が遅れてしまいました。
その小さな旅とは「屋久島」へ12日から3日間訪れたものです。

”屋久島へ行く”と言えば私の周辺ではたいがい”宮之浦岳登山?”と思うはずです。
しかし、今回は家人サービスのための観光旅行です。

帰途で去来した思いの行き先は屋久島にあって他の島にない、この島の原始性でした。
その点が評価されて「白神山地」などと共に1998年世界自然遺産に指定されました。
とはいえ私が触れたのは島の極く限られた範囲で、島のエスプリとなる奥深いところへは接近することはできずじまいです。
それでも「千古斧鉞」(せんこふえつ)の森は、宮崎駿作品「もののけ姫」のイメージ舞台ともされた、というある種の「もののけ」の気配を十分感じさせる神秘性を秘めていました。
太古の森も、苔むした林床も、必ずしも屋久島の専売品ではありません。
ですが、こころなしか屋久島ならではのものは感じられました。

この島は洋上アルプスの異称もあるくらい山また山の島です。
最高2千m近い山から海岸に向けて急峻な尾根、谷が一気に駆け下り、平坦地はほんのわずかです。
したがって産業は根付かず、唯一の資源が自然ということになるのでしょう。

Dscn1917_3 羽田APで~珍しくタラップで乗機

Dscn1918 鹿児島港と桜島
ここから時速70kmの高速船で屋久島まで1:45の移動。
高速船のため船外へは出られないのです。

Dscn1919 洋上に点々と連なる東の種子島、西の鬼界ヶ島を見ているうちに屋久島・宮の浦港。

九州最南端からたった60km、ほとんど九州の一部と言えるくらいで、気候も南国のイメージからはほど遠く、朝でかけた都心と同じような寒さでした。
この日は港周辺の観光だけで、さしたることもなく宿へ。

Dscn1959 今夕の献立 ~それなりに用意されていました。

2日目~一周135km程の屋久島のサワリを駆け足でめぐります。
先ずは「白谷雲水峡」

Dscn1921_2 ここは屋久島の核心部となる「縄文杉」や「宮之浦岳」への入り口となるところだけに、観光客と、本格的なトレッカーや登山者が入り混じって賑わっています。

Dscn1925 高齢者ばかりの私たち一行は、ここ「二代大杉」までの軽い散策で戻ります。

海岸沿いの幹線道路に戻り反時計回りのドライブになりました。

Dscn1943 沿道に咲くサキシマフヨウ

Dscn1929 永田いなか浜~産卵するアカウミガメが一番多く上陸する浜だそうです。
沖合に浮かぶ島は「口永良部島」で,海は「東シナ海」です。

Dscn1930 島の最西端となる屋久島灯台。

ここから屋久島で一番原始の姿を残し、それが世界自然遺産指定の決め手となった「西部林道」に入りのですが、これ以上更新を延ばしたくないので、それは後編にゆずりましょう。

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落ち葉のドライブ~大笹牧場から霧降の滝

2013年11月11日

赤バットの川上哲治、「東京だよおっかさん」の島倉千代子、昭和に輝いていた星が一つまた一つと消えていきます。
どういうわけか、まだデビューしたてのころの島倉千代子が、セーラー服でスタジオ入りした姿、それだけがいまだに脳裏に刻まれています。

今日(7日)あたりの標高700mのわが草庵の紅葉はこんな具合です。
見ごろを迎えているのですが、秋口の2回の台風の襲来で葉が痛み、出来栄えはよくありません。

Dscn1914    

Dscn1915

Dscn1916 台風で倒れた白樺は放ったらかしたままです。
贅沢を言わなければ、この庭でささやかな紅葉狩りはできるのですが、やはり毎シーズン「隣の芝生」を探しに出かけることになります。
昨日(6日)も、もう遅いでしょうが、大笹牧場でランチをして、まだ見ていない日光の「霧降の滝」を訪ねる、という極めて通俗的なドライブを、家人孝行のためにすることにしました。

Dscn1903 細尾峠下の名残りのもみじ。
足尾と日光を結ぶ古い細尾峠越えの車道は「日足トンネル」が開通してからは通る車も稀で、私も細尾峠を起点にした山歩きのとき以外は走りません。
今日は気まぐれに越えるだけを目的にヒルクライムにしました。
当然ながら落ち葉が覆う道を、車が葉を散らして走ることになりました。

先日通ったばかりの道を日光から逆に走り大笹牧場へ。

Dscn1904 牧場から先日歩いた栗山ダム右の「月山」

Dscn1907 大笹牧場のレストハウス

Dscn1905 認識不足でしたが、人気の高い観光スポットらしく「千客万来」
ランチは平凡に定番のジンギスカン。

Dscn1908

Dscn1909 とにかく広大な牧場で、その全貌をとらえることはできない。

Dscn1911 日光には多くの名瀑がありますがこの「霧降の滝」はその一つ。
すでに来ている、と思っていたがどうやら初めてでした。
これで残るは「裏見の滝」だけになったかな・・・

Dscn1913 

さて、明日から3日間「屋久島の旅」に出かけますので、これでパソコンとはしばらくお別れです。

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六十里越から鬼ヶ面山

2013年11月8日

全国に「鬼」がつく山はどれくらいあるのだろうか
三省堂の『日本山名事典』で拾ってみたらほぼ40座ほどになった。
新潟県と福島県の境、只見の山深いところにある「鬼ヶ面山」1465もその仲間である。
ヒメサユリの群生で人気の高い浅草岳から南の六十里越(峠)に繋がる尾根の途中にあり、その尾根はスケールこそ小さいが乱杭歯の様相を呈している。

P5170809 これは2008.5.17尾瀬からの帰路を只見町経由に求め、田子倉湖で撮影した鬼ヶ面山(左端)から浅草岳(右端)に連なる怖ろしげな稜線で、いっぺんに魅入られた。
浅草岳にはすでにヒメサユリが咲き誇る時期に訪れていたが、以来、鬼ヶ面山は宿願の山となり、気がつけばもう5年が経っている。
雪も近い今行かなければ久恋の山になりかねない、ということで本日(5日)お出かけとあいなった。

関越トンネルを湯沢に抜けると空模様が怪しくなり、小出ICあたりからとうとう雨になり気が滅入る。
予報では次第に快復するという情報なので、藁にもすがる思いで六十里越を目指した。

Dscn1875 六十里トンネル西(新潟側)の広い駐車場。
”この按配じゃ、今日も山ん中ではオレ一人か?”

Dscn1876 行くてはガスの中 ~これではとても浮かれた気分にはなれない。

Dscn1877 だが、雲が斑模様になった~望みが湧いてくる。

Dscn1879 しかし、再びグルーミーになる~「揺れる想い」はザードばかりではないのである。

Dscn1881 見下ろす田子倉湖には薄日が射しているので、快方にむかっていることは間違いないようだ。

Dscn1882 南岳1354mの肩に乗ると視界が開け浅草岳の全貌が見える。

Dscn1883 鬼ヶ面の山頂までには幾つかの偽ピークが連なり、山頂はその陰になってる。

Dscn1885 振り返る南岳

Dscn1886 ようやく鬼ヶ面山が見えてきた。
稜線の東側はそげ落ちている ~転倒、そして滑落ともなれば短い?生涯を閉じることとなろう。

Dscn1892 山頂(中央)まで最後の登り。

Dscn1887 再び来し方を振り返る。

Dscn1888 単なる通過点のような狭い鬼ヶ面山頂
標高差750mほどで実動2時間50分は昭文社地図とピッタリ同じだった。

Dscn1890 戻り道

Dscn1891 田子倉湖の南方にわだかまる、私は未訪の毛猛山のあたり。

Dscn1898 田野倉湖畔の横山 ~なかなか魅力的な姿をしているが、無雪期の登山道はないらしい。

Dscn1899 

Dscn1900 すっかり晴れ上がり、いかにも晩秋の山らしく斜光が紅葉を鮮やかに浮かびあがらせる。
幸せな気分に充たされ思わず、誰もいないことをよいことに
♪I'm just a Lone Some yodler from mountain oft・・・
    o-liery o-relity o-rielio-ty・・・♪
などと、若き日の歌を蘇らせ、奇声を上げる。
年齢は戻せないが、心は50年くらい若返らせるのは造作ないことである。

Dscn1902 田子倉湖をとりまく山裾も色彩の饗宴を繰り広げている。
出だしは天気の不安にさいなまれたが、終わり良ければすべて良し、という結末となった。

Static 今日の行程~往復なので登りだけ記録した。
斜めに横切っている破線はJR只見線の六十里越トンネル。

久し振りの満ち足りた山行。
気分は尾崎喜八のいう「一日の王」で、帰路のロングドライブも苦にならなかった。

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会津の山・2~赤崩山に門前払い~転じて月山へ

2013年11月4日

5年前に開通した「甲子トンネル」によって南会津と秘湯・甲子温泉が結ばれた。
1日早朝、湯野上温泉を後にして、赤崩山(旭岳)1835mを目指しその道R289に初めて入った。
R289から分かれる甲子峠への旧道の分岐には何の表示もなかったが、ヤマカンがヒットし、やれやれこれで順調に峠に上れる・・・
~そう思ったのも束の間、頭の隅でもしや!と懼れていたことが現実になってしまった。

Dscn1843 ~ガ~ン・・・これである。
ゲートはガッチリ施錠されていてどうにもならない。
閉鎖の理由は不明。
私が赤崩山に登れるのは、標高1400mの甲子峠まで車で上れるからである。
どうするか?
とりあえずトンネルを東へ抜けてみよう。
うろ覚えのネット記事に東側から取り付いた、というのがあったので東口の駐車スペースであたりを観察してみたが、それらしきものは見つけられなかった。

Dscn1844 甲子トンネル東口
すぐ下に温泉ファンに評判が良く、一度は泊ってみたい甲子温泉・大黒屋があるので、とりあえず行ってみよう。

Dscn1845 大黒屋への下り道から甲子トンネルを振り返る。
左端の雲に包まれているところが赤崩山。

Dscn1846 

しかし、大黒屋で何かが分かったとしても、標高930mで、甲子峠より470mも低いこちら側から登る気はそもそもない。
道の駅・しもごうまで戻り、さてどうするか思案。
仮に甲子峠まで車で入れたとしても、今、赤崩山を厚く覆っている雲の状態では、さぞかし山頂付近では荒れているだろうから、登るには相当なリスクが伴うだろう、ということで諦めはついた。
さりとてここまで遠出して、このまま手ぶらで帰るわけにもいかない。
出遅れてしまったから手強い山はノーサンキュー。
小野岳という選択はあるが湯野上温泉まで戻りたくない。
このエリアでは土地勘ならぬ山勘が働かない。
せめてガイドブックでもあれば・・・などと頭が蜘蛛の巣状態になって道路マップをひっくりかえす。
あった!これなら帰りがけの駄賃?には手頃だろう。
栗山ダムの傍らにある「月山」  ~あの出羽の月山ではない~
アカヤシオツツジが素晴らしい、と紹介されているガイド記事の記憶がある。
ヤシオの時期ではないが下見にもなるだろう・・・
スマホのアプリで登山道も確認して決まり。
こんな事態になった場合のスマホの威力は絶大である。
日本全国、どこの山でも2・5万分の1地形図が読み込める。
紙地図に比べればディテールの描写は劣るが、最低限の情報はスマホで獲得できる。

Dscn1853 帰路の途中での会津鉄道・荒井駅からの「七ヶ岳」
かつてこの山からの下山時に「平滑沢」でスリップし、したたかに腿を強打し、あまりの痛さに気を失いかけ、翌日の会津駒ケ岳を断念した思い出がある。

会津西街道を日光に向けて戻り、川俣ダムへ右折し、日陰で日陰牧場へ上がる。
今の時期、もちろん放牧の牛馬の姿はない。

Dscn1869 日陰牧場
トンネルを抜けてロックフィルの栗山ダムの広大な駐車場に着いた。
すぐ上に月山と思われる紅葉の山が見える。
スマホの地図では細部が読み取れなくて登山口が分からない。
仕方なく車道を暫く進むと、よほど注意しないと見落としてしまうような表示があった。

Dscn1857 必要以上に大きな標識は山では無粋だが、それにしてもこれはあまりにも慎ましやかすぎる。
ダムの縁を回り込むと登山道があった。

Dscn1858 北東に塩原の「高原山」が見える。

Dscn1859 このあたりが紅葉の最盛期のようである。

Dscn1861 青いキャンパスに描かれたライン

Dscn1862 二等三角点・月山山頂

Dscn1864 日光・赤薙山 ~ひときわ高い女峰が僅かに覗く。

Dscn1867 栗山ダムを見下ろしながら西尾根を急降下して車道に下りた。

Static 今日の短い軌跡。

Dscn1871 日光への帰路の途中にある大笹牧場 ~いつも通過するだけだが、観光牧場として人気のスポットらしく、レストハウスの駐車場は満車状態。

Dscn1873 大笹牧場と霧降高原の間にある「六方沢橋」から栗山ダムを見る。
あんなに高い場所にダムがある不思議 ~揚水式のダムなんだそうである。
背後にかすむのは鶏頂山、釈迦ヶ岳などの高原山

ここまでくれば走り慣れた道で霧降高原を通過して日光へ下り、暮れなずむ道を帰巣本能に駆られ、ひたすら山荘へ走った。

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会津の山へ・1~二岐山

2013年11月2日

渋いけど、どこか懐かしい会津の山々(~と、思い込まされている・・・)とはやや疎遠になっている。
一ころは割りに熱が入っていたが、記録を振り返ると2008・7の帝釈山以来になるようだから、もう5年も空白ができている。
と云う次第で今日(31日)は二岐山(1544m)、明日は旭岳(赤崩山)の予定で、
未だ夜の明けない5:30山荘スタート。
私の山荘から会津西街道に入るには、足尾経由で日光へ抜け、今市からひたすら下道を北上するだけ。

Dscn1849 会津田島を抜けると二岐山(中央の二つの隆起)や小白森山などが阿賀川の向こうに見えてくる。
念のためカーナビを「二岐温泉」にセットして204の走行に
4時間半を要して登山口の広い駐車に着いた。

Dscn1827 二岐温泉から奥は約4kmのダートだが、乗用車でも問題なく走れる。
今日は終日ほかの駐車はなかったようだ。

二岐山には巨人・ダイダラボッチに係わる伝説があるが、品格を誇る当ブログでは(~自分から言うことか?)それを詳らかにすることは自らを貶めることとなるためここはシランプリを決め込む次第。

Dscn1828 林道は御鍋神社を左にしてさらに奥へ延びている。

Dscn1829 林道から分かれて登山道は北へ。

Dscn1830 私の秋はこれまで不作だったが、ようやく秋らしいシーンに出会えた。

Dscn1835 ブナ平でいったん平坦になる。
このあたり一帯のブナはかつて伐採により散々な目にあったそうだ。

Dscn1831 ブナ平から見上げる二岐山

Dscn1832 スタートしてから2時間で三等三角点の山頂へ。
標高差600m足らず・・・今の私にはこれが精一杯のでき。
山頂は開放的だが、期待に反し展望は冴えない。

Dscn1833 辛うじて南に明日登る予定の赤崩山が鋭い峰頭をもたげているのを指摘できるだけ。
この山はかつて反対側の那須・三本槍から眺めて一目惚れして以来、いつかは登る!そう決めていてようやくその機会がやってきたのである。

Dscn1839 下山の道すがらで・・・

Dscn1838 御鍋神社 ~平将門の側室・桔梗が家臣とここまで逃れてきたがついに力尽きた場所とのこと。
ここでの暮らしを偲ばせる鍋釜が発掘されたことから建立された神社である。

Dscn1840 「日本秘湯を守る会」のあすなろ荘。
いつか温泉行脚を志す日がきたら訪れる予定に入っている

Dscn1841 会津鉄道の「塔の岪(へつり)」駅
宿に入る前に寄り道した。

Dscn1842
ここで1994年11月19日、いまだに忘れられないシーンに出会った。
あの時、駅を囲む林は紅葉末期で、あるかなしかの風に、晩秋の弱い斜光を散乱させながら無数の落葉が舞っていた。
その後にもここにくる機会はあったが、同じシーンの再現はならなかった。
今日も時期が早すぎて木の葉の色づきもこれからだった

一夜の宿は「湯の上温泉」にある温泉民宿。
会津鉄道の線路際にあり、線路を隔てて小野岳が近い。
下手な旅館より立派な浴槽。
鮎、馬刺し、牛鍋、煮魚、鳥肉とふろふき大根、天ぷら、幾つかの小鉢など熱燗一本にはもったいないほどの料理が並んだ。
昼寝をしていないので早く寝るつもりだったのに「楽天VS巨人」が熱戦になってしまい、しかも延長戦に突入。
プロ野球への関心は薄れたままだが、今年の日本シリーズは一番古い球団と、一番歴史の短い球団との対戦で新鮮味があり、しかも下馬評に反し楽天が有利に戦っているため面白い。
ゲームセットとなったときにはノドが渇いてしまい、寝しなにビールを飲む破目におちいってしまった。

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