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日本武尊が登った?「吾妻耶山」

2013年10月11日

群馬・長野県境になる鳥居峠は、日本武尊が東征からの帰路そこに立ち、嵐を鎮めるため入水死した妻・弟橘姫をはるかに偲んで「吾妻はや(わが妻よ)」と嘆いた場所で、その故に直ぐ北に聳える山が吾妻山(転じて今の四阿山)と呼ばれるようになった、と言われている。
日本武尊が長嘆息した場所は『古事記』では足柄峠、『日本書紀』では碓氷峠などとされていて、大昔の神話の世界のことだから諸説紛々となる。
実は水上温泉の西にも同じいわれを持つ山がある。
それが今日(10日)向かう「吾妻耶山」13241mである。
東征のエリアからはずいぶん北へ離れているが、その当時は沼田盆地あたりまで海だったそうで、すると日本武尊は舟で海上をここまでやってきたのか?嘘か誠か、今や誰も知る術がない。

この山にはこれまで複数のルートで何度か登っているが、いずれも積雪期。
私たちの会で登ることになるので、無雪期の状態を調べておくのが今日の目的である。

Dscn1754 この朝は晴朗そのもので山荘あたりからの上越の山々も晴れ晴れとしていた。

Dscn1768 登山口になる「仏岩ポケットパーク」~駐車ゼロ
今日もたった一人の山、の予感。

Dscn1756 駐車場から尾瀬の山もよく見えていた。

Dscn1757 仏岩峠(赤谷越)の古い道標 ~実はコース全体に新しい道標が設置されていて、登山道の整備状態も良い。

Dscn1767 仏岩 ~仏の座像に見えなくもない。

Dscn1758 直進すると脆い崩壊地になるので右へ迂回する。

Dscn1766 急な尾根を登ると岩稜に突き当たるので、標識で右へ誘導される。
積雪期はそのまま直進し、尾根を辿ったと記憶している。
この頃には朝の晴天がウソのような曇天に変わってしまった。

Dscn1760 岩壁を彩る小さな秋。

Dscn1763 山頂 ~ここが最高点。三つの古びた石祠が並んでいる。

P3250672 積雪期はこんな具合  ~石祠の高さ70cmほどの台座がスッカリ雪に隠されている。

Dscn1764 谷川岳の展望台なのだが厚い雲の奥に。
20年以上前の案内書では360度開けていたそうで、その後の樹木の成長がせっかくの展望を阻害しているのだ。
こうした場合の樹木の伐採は許されないのだろうか?
すべて自然に任せなさい、という卓見があるのは知っているが・
・・。

P3250673 晴れていればこうなのだ・・・。
谷川岳(「トマの耳)と川棚ノ頭に続く俎嵓の稜線。

Dscn1765 最高点から西へ300mほど離れている三角点。
道が通じていないので、藪を踏んで探すこととなる。

後は往路を淡々と引きかえすだけで、ほぼ半日の山歩きは終了。

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コメント

考えれば当然。第一条件で探された場所、素晴らしい絶景が望める山荘ですね。
これからがなお美しい遠望を楽しめるシーズンになりますね。

たしかに立木の成長が悩ましいですね。。。

軽い足慣らしも思いのままの山荘のようで、維持管理のご苦労もおありのようですが、それも優雅な生活ぶりの一つに入るでしょう。

見渡す限りの自然美が全部貴方様のもの、なんですね♪

投稿: おキヨ | 2013年10月11日 (金) 13時18分

おキヨ様
山荘暮らしを始めたころ、ここから見える全ての山に登ろう、と心に決めました。
かなり進んだのですが、それでも残っている宿題があります。
自然が豊か、ということと生活の利便性はなかなか両立しないものですから、一長一短ですね。

古い山の紀行や案内書をみると「360度の展望」とあるのに、今は全く視界が塞がれている、という例がたくさんあります。
明治以来戦後まで山野の樹木が伐採されて、荒廃していたのが、その後の植樹などにより繁茂した結果なのでしょうね。
碧が豊かであることは良いことづくめですから、景色が見えないくらいは我慢しなければならないと思います。

投稿: 風花爺さん | 2013年10月11日 (金) 15時39分

こんにちは
確かに四阿山の山頂には吾妻山の標柱がありますね。最初は理解に苦しみましたが、山の名前はそれぞれの国により、呼び名が違いますね。南アルプスには静岡、山梨、長野が別の名をつけている山があります。それにしても、周囲の眺望は素晴らしい所なのですね!

投稿: | 2013年10月11日 (金) 17時25分

岳様
四阿山は群馬県側では吾妻山と呼ぶ慣わしていたそうです。
下流地域には吾妻川があり、吾妻郡や吾妻町といった行政名があります。
そもそも山の名前は山麓の住民が、見た目や、宗教や、伝統、文化など多様な理由で付けたものでしょうから、同じ山でも地域によって呼び名が異なるのは当然ですね。
現時のようにある程度統一されてくる過程では由緒ある呼び名が消えてしまった残念な例もありますね。

私の山荘からは深田百名山が10座ほど見えます。
北アより標高が1千mほど低いので、迫力で劣りますが、これから雪で装われてくるとけっこう素晴らしい眺めになります。

投稿: 風花爺さん | 2013年10月11日 (金) 20時07分

お話にありました群馬県では吾妻山と呼ぶ習わしだそうですが
13日に17年ぶりにサラと一緒に登って来ました。

風花様の鳥居峠から四阿山のレポ拝見して
刺激を受け即実行です。
上田駅からバスで(料金は1200-でしたが)低減バス運行ということで有難く 500-でした。

菅平高原のバス停は標高1300m。ここからスタートです。
マイカーなら菅平牧場まで直行できますが~50分かかりました。
秋晴れに恵まれ、北アはじめ富士山など風花様が展望された山々を共有することができ大満足でした。

9時スタート 根子岳回りで17時牧場口無事下山
バス停に着くと釣瓶落としに日が暮れてしまいました。

風花様のお写真、拝見しているとメチャークリアなのには驚きです。
悔しいが負けそうどす。
腕を上げられたようですネ
それともカメラがいいのか~ 両方でしょう。

山々の展望に恵まれた山荘、維持するのも大変でしょうが
立地条件素晴らしいです。

投稿: かおり | 2013年10月15日 (火) 17時31分

かおり様
思い立ったら即座に実行に移す・・・実に軽快なフットワークですよね。
しかも決して京都からは近いとは言えない北信ですから。
私はウジウジ逡巡することが多くので、この軽やかさは是非見習いたいものです。
かおりさんが歩いたコースは以前に私も歩いていますが、菅平牧場まで車で上っているので標高差では200mほど楽をしていると思います。
それでも四阿山から十ヶ原に下り、根子岳に登り返すのはきつかったですね。
これからかおりさんのブログでユックリとレポを楽しませていただきます。
写真ですか?
もちろんかおりさんには及びもつきません。
ニコンのコンデジでただ写しているだけですから・・・
ただ、写真写りの良い条件に恵まれた場合には、私でもそれなりのものがゲットできることになります。

投稿: 風花爺さん | 2013年10月15日 (火) 20時13分

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