« 日本武尊が登った?「吾妻耶山」 | トップページ | 渡邉玉枝さんと歩いた御坂・毛無山から十二ヶ岳 »

遠い頂・鳥甲山 ~串田孫一追想の山

2013年10月16日

「鳥甲山という山知ってる?とそのころ山友だちに会うとこっそりたずねるのが嬉しかった。(中略)自分も登ったことはないけれど、仲間の誰も知らない山に憧れているのが、いかにも爽快だった」。
串田孫一さんがこう書いたのは『旅』1958年8月号(のちに1962年刊行の『菫色の時間』に所収)である。
串田さんは1952年9月3日、もちろん登山道がなかった鳥甲山2037mに初めて登って以来、積雪期や初夏など数度にわたり、集中的に登っている。

それから60年以上が経過し、今では山好きを自称するほどの人ならたいがい名前は知っているし、登る人の数も多く、すっかりピュラーな山となっている。

私は串田さんの著作で知って以来久しく恋焦がれていて、山麓の切明温泉までかけたこともある。
それなのに実際の一歩を踏み出すのに長い長い時が流れてしまった。
ここまでくると年齢的にもう後がない、追い込まれていた。
どうしてこんなに長い時間が必要だったのだろうか?
~己の怯懦(きょうだ)しか思い当たらない。

日帰りはきついので前日(13日)秋山郷・栃川温泉「ヒュッテひだまり」に宿泊。
津南から秋山郷に入る中間部、中津川の左岸に渡ってからの車道は相変わらずのボトルネlックで対向車がくると双方苦労して交差する。
分散する小さな幾つかの集落で形成する秋山郷は、今でこそかつての寒村の面影は薄れているが、豪雪の冬には世間から隔絶された陸の孤島化することはよく知られている。

Dscn1776 10月14日 快晴の朝。
モルゲンロートの鳥甲山。
角度の関係で白嵓ノ頭が主役みたいで、鳥甲は奥につつましやかに控えている。

Img297 中津川を挟んで向き合う苗場山から見た鳥甲山。

Dscn1780 登山口の狢平駐車場
下見した昨日は満車だったが、まだ早いのか車は少ない。
帰りには間違いなく満車になっているであろう。

Dscn1781 まだ幼い紅葉(そういえば宿の女主が”紅葉がずいぶん遅れている”と言っていた・・・)のぶな林はノッケから息をつかせないほどの急登で、来るものを手荒く歓迎してくれる。
私にもこの先制パンチがひどく効いてしまった。

Dscn1783 尾根に乗りあげるとこんな尖峰を次から次へと越えていかなければならない。

Dscn1789 朝の眠りから目覚めてばかりの秋山郷

Dscn1786 露岩を鎖で上る ~取り付きの梯子の足元が固定されていないのでブラブラしている。
帰路ここを下るのに問題はないかどうかをチェックしながらパス。

Dscn1787 またトンガリ ~登路は瘠せ尾根なので、ジグザグは切れないため直登しなければならず、いきおい斜度はきつい。

Dscn1793 ここまで高度があがっても紅葉の出来栄えはよくない。

Dscn1788 白嵓ノの頭 ~この段階ではわかっていたわけではないが・・・
ここまででヘタレた足ではあそこまでも高くて遠い。

Dscn1791 鳥甲山頂は樹木が邪魔して見通せない。

Dscn1790 白嵓ノ頭 1944m
ここまでの標高差900m強に3時間10分を要した。

今日の私では、下り用に残す余力を思うとここをゴールにせざるをえまい。
白嵓まででも十分楽しめる、と書いたある案内書があったが、私には「白嵓まででも十分苦しめる」でしかなかった。
鳥甲を目指す人にはここは単なる通過点にしかすぎず、逡巡のかけらもみせずサッサと先へ進んでいく。
その背中を目で追う私に挫折感がないわけではない。

Dscn1789_2 帰路に見る苗場山

Dscn1792 烏帽子、裏岩菅山など裏志賀の山々。
ここでも登った山、登っていない山、それらが折り重なっている。

すこしづつ遠ざかっていく鳥甲山。
もう2度目はないだろう。
冷静に己を顧みれば、これが自分の今いるところなのだ。
年齢に免じてこれくらいで勘弁してもらおう。

たかが数日おきのブログにも四苦八苦している私に比べて、生涯400冊もの著書を残した串田さんは、比べるのも愚かなくらい高いところで輝いている。
そんな私だから串田さんが愛して、世に出した鳥甲山の頂に立てなかったのも当然のことだろう。

|

« 日本武尊が登った?「吾妻耶山」 | トップページ | 渡邉玉枝さんと歩いた御坂・毛無山から十二ヶ岳 »

登山」カテゴリの記事

コメント

風化さん、こんにちは

数年前、秋山郷出身の人と良く行きました。苗場山に登り、切明などの温泉、中津川でカジカ捕りなど子供の様に遊びました。どんな山でも積極的に行くその方が、何故か鳥甲山には連れて行ってくれませんでした。後日談で、もう行きたくない山と言っていましたが、信州百名山でも65番目の標高、しかし常念岳を日帰りする人でもキツイと言います。引き返す勇気、決断、流石です。

投稿: | 2013年10月16日 (水) 16時42分

岳様
秋山郷は同じ長野県民からみてもかなり辺境の地、という印象がありませんか?
私は志賀高原から入ったことがありますが、これほど行けども行けども人の気配が消えたままの地を他には知らないな、と思った記憶があります。
登り切れなかったことはやはり悔しいののですが、自分の力も自覚しているので、諦めやすくあまり心の葛藤はありません。
体力が低下してくると誰でもそうだと思いますが、頂上への執着は薄れ、とにかくその山の中にいる、ということだけで満足できるようになります。
これからはますますそうなってくるでしょう。
まだお若い岳さんにはそんな爺むさい心境はまだ無関係だと思いますので、これからも山登り人生をどんどん充実させてください。

投稿: 風花爺さん | 2013年10月17日 (木) 06時40分

秋山郷は日本の秘境と云われる場所ですね。
津南は昔夫の会社に季節社員としてみえていた方々の関係でよく絵を描きに行ってお世話になった懐かしいところです。

生きている限り人は必ず諦めなければならない局面に突き当たるものでしょうね。それが潔い大人の行動というものではないでしょうか。

投稿: おキヨ | 2013年10月17日 (木) 12時01分

おキヨ様
執着(未練)と諦観の間を時計の振り子のように行ったり来たり・・・
人は生きている限りこの狭間で揺れ動いているものですね。
未練がエネルギーとなりもすれば、諦めが心の平安を取り戻してくれる、そんな効用もあるわけですから、両方とも
あながち悪いものとはいえません。
これからも手が届きそうなものには執着し、届きそうもないものは諦める、そんなことを繰り返し続けることでしょう。

秋山郷は絵の題材になりそうな空間ですが、そこまで行くのがなかなか難儀です。


投稿: 風花爺さん | 2013年10月17日 (木) 16時47分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/393418/53530915

この記事へのトラックバック一覧です: 遠い頂・鳥甲山 ~串田孫一追想の山:

« 日本武尊が登った?「吾妻耶山」 | トップページ | 渡邉玉枝さんと歩いた御坂・毛無山から十二ヶ岳 »