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2013年10月

昇仙峡とワイナリー ~時にはこんなハイキングも

2013年10月27

10月に入ってからも期待を裏切り冴えない空模様が続いている。
そんな一日、観光地・昇仙峡にある小さな山を歩き、サントリーの「登美の丘」にあるワイナリーで試飲を楽しむ、というハイキングに参加した。

昇仙峡なんて観光バスで行くところ・・・
そんな上から目線で、これまではムレ集う観光客を横目で見ながら通過するだけの所だった。
しかし、どんなところでも行けばそれなりのことはあるものだ。

先ず訪ねたは昇仙峡の奥にある荒川ダムの、そのまた奥の「板敷渓谷」。
濡れた渓谷の岩を辿っていくと一条の滝が落ちている。

Dscn1810  大滝といい、落差は30mほどか?
例年なら紅葉が彩を添えているだろうが、この秋はやたらに紅葉が遅れている。

昇仙峡に戻りイージーにロープウエイを使って山上駅へ。
少し歩けば展望台へ出て、さらに花崗岩を踏んで登ると15分でこの辺りの最高点、弥三郎岳1058m。

Dscn1811 
あいにく台風17号の影響で雨こそ落ちてはいないが、雲底が低く展望皆無で、早々に昇仙峡へ下りた。

Dscn1813 みどころの「仙娥滝」
この渓谷も紅葉の名所とされているが、まだ青葉である。

Dscn1814 もう一つの有名人「覚円峰」

Dscn1815 石門をくぐり、ほどなくハイキング終了。

Dscn1820 「登美の丘」ワイナリーへ移動。
ウイスキーを造っている白州工場には何度か行ってシングルモルトを味わったりしたことはあるが、このワイナリーは初めて。

Dscn1819 山腹をくりぬいたカーヴ(貯蔵庫)
この方法で造ったカーヴは恒温恒湿(70%くらい)という、ワイン貯蔵に必要な条件を自然に備えているようだ。

Dscn1818 ワイナリーお勧めのお手頃ワイン。
ヴィンテージものは別のところにうやうやしく展示されている。

Dscn1821 見学が終わるとこちらのショップで試飲や買い物。

Dscn1822 バーカウンターでいろいろなワインを飲み比べる同行者のおこぼれにあずかるが、薀蓄(うんちく)をもたない私には違いが分からない。

Dscn1823 これは貴腐ワイン。
お値段が210017円なり、とあるがすでに売り切れ。
 ~それにしてもなんでこんな半端な数字になるの?
高級ワインの代名詞・ロマネ・コンティには負けるとしても私などには無縁の値段である。
だが、いったいに高級ワインの価格ほど不思議なものはない。
とにかく500円程度のテーブルワインから200万円もする超高級ワインまで幅広い。
しかし味の方は値段の開きほどには違わない(~と思う・・・超高級ワインを飲んだことはないので、正確なところはわかりません・・・残念ながら・・・)。
どのような要因で決められるのだろうか?
原価+利益のほかにブランド代、需給関係、そして何よりブランド信仰による希少性がもたらすものだろう。
その頂点で君臨するのが一本200万円近いものもある伝説のワイン~ロマネ・コンティ。
自慢じゃないが私は飲んだことないし、これからもノーチャンスだろう。
しかし、このワインを生み出すブドウ畑だけは訪ねたことがある

03 中段の斜面がロマネ・コンティを生むブドウ畑。

そうそう、貴腐ワインといえばよく知られたハンガリーの「トカイ」
ハンガリーでは貴腐ブドウから採れる、このやたら甘いワインばかり飲まされた思い出がある。

帰路のバスのなかでは毎度お馴染みの居酒屋状態になるが、いつもより多いワインのボトルが何本も車内を行きかっていた。
ただし、下戸の私のところは素通りして・・・・・・。

 

 

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渡邉玉枝さんと歩いた御坂・毛無山から十二ヶ岳

2013年10月22日

昨年5月19日、チベット側から2度目のエヴェレスト登頂を果たし、それは同時にご自身が持つ女性世界最高齢登頂記録を10年ぶりに塗り替え、という快挙を果たした渡邉玉枝さん。
そのために多忙を極めていた渡邉さんと2年ぶりに山歩きができる機会が訪れた。
私たちの会は渡邉さんとは10年以上にわたりお付き合いがあり、年に一度だけ山歩きにご一緒していただける淡い関係が続いている。

登山の力においてはエヴェレストと高尾山ほどの開きがあるが、いつもながらそんな気振りをいささかもみせない。

日本の登山界では渡邉さんの人となりについてはつとに知られているが、褒めない人はいない。
毀誉褒貶は人の世の常なのに、実に稀有なことである。
奢らない、高ぶらない、媚びない、慎ましやかで登山以外のことにはまるで無欲で、人が持つ美質を実に自然に備えている。

これだけの偉大な足跡を残していれば、登山用品メーカーからのオファー、執筆、対談など様々な収入の途ががあるだろうと思われるのに、およそ無関心。
現にそうした名声を上手にビジネス化している登山家は多い。


好きな登山を、金を得るための手段に用いる、というような俗物根性はコレポッチも持ち合わせていないようで(もったいない・・・)遠征に必要な資金は常に自己調達のようである。
この潔さ・・・誰にも真似できまい。
 

この日(19日)渡邉さんのホームグランド御坂の「毛無山1500mから十二ヶ岳1683m」の縦走をする私たちの会の山行に同行いただくのに、ご本人は嫌がるのだが、敬愛をこめて「玉枝先生」と呼ばせていただいた。

河口湖で玉枝先生と合流し、登山スタート地点となる河口湖と西湖の間の文化洞トンネルへ。

Imgp0390_original いつものようにストレッチで体をほぐし 

Dscn1798 玉枝先生を先頭にいざスタート!

Rimg3089_1600_large 五合目から富士山頂まで2時間半で登る玉枝先生にとっては、中高年のペースに合わせると息も切らせず、質問攻めにも軽く応答。

Dscn1800 毛無山の山頂近く、草原になると初冠雪の富士 ~新宿を出てからの途中で小雨が降りだしたが、河口湖IC辺りから富士が姿を見せた。
河口湖に住む玉枝さんにもこの秋初めての冠雪だそうである。
富士には「月見草」ではなくやはり「雪」のほうがよく似合う。

Imgp0412_original 最初の頂「毛無山」で総勢19人勢ぞろい。

Imgp0414_original ご本人をそのままにして、私だけボカシを入れるわけにはまいらないので、花の素顔?を晒します。

Rimg3102_1600_large これから本隊が向かう「十二ヶ岳」 

Dscf4615_original 十二ヶ岳へは変化に富んだ縦走になる。

Imgp0443_original_2 十一ヶ岳と十二7ヶ岳の間は深くて鋭いキレット(切戸)になっているので不安定な梯子で渡るようになっている。

Dscf4664_original ♪花も嵐も踏みこえて・・・着いた「十二ヶ岳」 山頂

Dscf4676_original 十二ヶ岳からの下降も鎖、ロープなどを使う急降下の連続で、神経をつかうことおびただしい。

Dscn1807 下山口に到着 とたんに雨が落ちてきた。

Dscf4690_original 風呂上りにまずは一献!日本酒党のようです。
ここでも玉枝センセイの気取りのない自然児ぶりを拝見。

Imgp0479_original 山を歩いて快い疲れを風呂でほぐし、湯上りの一杯を喉に通せばだれもがこんな笑顔になれる。

Imgp0481_original 今朝合流したところで、またの再会を約してお別れです。
今日一日、たくさんの思い出に残るシーンを演出いただきありがとうございました。

畑仕事に精を出される日々が、心豊かな日々でありますよう・・・・・・。

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遠い頂・鳥甲山 ~串田孫一追想の山

2013年10月16日

「鳥甲山という山知ってる?とそのころ山友だちに会うとこっそりたずねるのが嬉しかった。(中略)自分も登ったことはないけれど、仲間の誰も知らない山に憧れているのが、いかにも爽快だった」。
串田孫一さんがこう書いたのは『旅』1958年8月号(のちに1962年刊行の『菫色の時間』に所収)である。
串田さんは1952年9月3日、もちろん登山道がなかった鳥甲山2037mに初めて登って以来、積雪期や初夏など数度にわたり、集中的に登っている。

それから60年以上が経過し、今では山好きを自称するほどの人ならたいがい名前は知っているし、登る人の数も多く、すっかりピュラーな山となっている。

私は串田さんの著作で知って以来久しく恋焦がれていて、山麓の切明温泉までかけたこともある。
それなのに実際の一歩を踏み出すのに長い長い時が流れてしまった。
ここまでくると年齢的にもう後がない、追い込まれていた。
どうしてこんなに長い時間が必要だったのだろうか?
~己の怯懦(きょうだ)しか思い当たらない。

日帰りはきついので前日(13日)秋山郷・栃川温泉「ヒュッテひだまり」に宿泊。
津南から秋山郷に入る中間部、中津川の左岸に渡ってからの車道は相変わらずのボトルネlックで対向車がくると双方苦労して交差する。
分散する小さな幾つかの集落で形成する秋山郷は、今でこそかつての寒村の面影は薄れているが、豪雪の冬には世間から隔絶された陸の孤島化することはよく知られている。

Dscn1776 10月14日 快晴の朝。
モルゲンロートの鳥甲山。
角度の関係で白嵓ノ頭が主役みたいで、鳥甲は奥につつましやかに控えている。

Img297 中津川を挟んで向き合う苗場山から見た鳥甲山。

Dscn1780 登山口の狢平駐車場
下見した昨日は満車だったが、まだ早いのか車は少ない。
帰りには間違いなく満車になっているであろう。

Dscn1781 まだ幼い紅葉(そういえば宿の女主が”紅葉がずいぶん遅れている”と言っていた・・・)のぶな林はノッケから息をつかせないほどの急登で、来るものを手荒く歓迎してくれる。
私にもこの先制パンチがひどく効いてしまった。

Dscn1783 尾根に乗りあげるとこんな尖峰を次から次へと越えていかなければならない。

Dscn1789 朝の眠りから目覚めてばかりの秋山郷

Dscn1786 露岩を鎖で上る ~取り付きの梯子の足元が固定されていないのでブラブラしている。
帰路ここを下るのに問題はないかどうかをチェックしながらパス。

Dscn1787 またトンガリ ~登路は瘠せ尾根なので、ジグザグは切れないため直登しなければならず、いきおい斜度はきつい。

Dscn1793 ここまで高度があがっても紅葉の出来栄えはよくない。

Dscn1788 白嵓ノの頭 ~この段階ではわかっていたわけではないが・・・
ここまででヘタレた足ではあそこまでも高くて遠い。

Dscn1791 鳥甲山頂は樹木が邪魔して見通せない。

Dscn1790 白嵓ノ頭 1944m
ここまでの標高差900m強に3時間10分を要した。

今日の私では、下り用に残す余力を思うとここをゴールにせざるをえまい。
白嵓まででも十分楽しめる、と書いたある案内書があったが、私には「白嵓まででも十分苦しめる」でしかなかった。
鳥甲を目指す人にはここは単なる通過点にしかすぎず、逡巡のかけらもみせずサッサと先へ進んでいく。
その背中を目で追う私に挫折感がないわけではない。

Dscn1789_2 帰路に見る苗場山

Dscn1792 烏帽子、裏岩菅山など裏志賀の山々。
ここでも登った山、登っていない山、それらが折り重なっている。

すこしづつ遠ざかっていく鳥甲山。
もう2度目はないだろう。
冷静に己を顧みれば、これが自分の今いるところなのだ。
年齢に免じてこれくらいで勘弁してもらおう。

たかが数日おきのブログにも四苦八苦している私に比べて、生涯400冊もの著書を残した串田さんは、比べるのも愚かなくらい高いところで輝いている。
そんな私だから串田さんが愛して、世に出した鳥甲山の頂に立てなかったのも当然のことだろう。

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日本武尊が登った?「吾妻耶山」

2013年10月11日

群馬・長野県境になる鳥居峠は、日本武尊が東征からの帰路そこに立ち、嵐を鎮めるため入水死した妻・弟橘姫をはるかに偲んで「吾妻はや(わが妻よ)」と嘆いた場所で、その故に直ぐ北に聳える山が吾妻山(転じて今の四阿山)と呼ばれるようになった、と言われている。
日本武尊が長嘆息した場所は『古事記』では足柄峠、『日本書紀』では碓氷峠などとされていて、大昔の神話の世界のことだから諸説紛々となる。
実は水上温泉の西にも同じいわれを持つ山がある。
それが今日(10日)向かう「吾妻耶山」13241mである。
東征のエリアからはずいぶん北へ離れているが、その当時は沼田盆地あたりまで海だったそうで、すると日本武尊は舟で海上をここまでやってきたのか?嘘か誠か、今や誰も知る術がない。

この山にはこれまで複数のルートで何度か登っているが、いずれも積雪期。
私たちの会で登ることになるので、無雪期の状態を調べておくのが今日の目的である。

Dscn1754 この朝は晴朗そのもので山荘あたりからの上越の山々も晴れ晴れとしていた。

Dscn1768 登山口になる「仏岩ポケットパーク」~駐車ゼロ
今日もたった一人の山、の予感。

Dscn1756 駐車場から尾瀬の山もよく見えていた。

Dscn1757 仏岩峠(赤谷越)の古い道標 ~実はコース全体に新しい道標が設置されていて、登山道の整備状態も良い。

Dscn1767 仏岩 ~仏の座像に見えなくもない。

Dscn1758 直進すると脆い崩壊地になるので右へ迂回する。

Dscn1766 急な尾根を登ると岩稜に突き当たるので、標識で右へ誘導される。
積雪期はそのまま直進し、尾根を辿ったと記憶している。
この頃には朝の晴天がウソのような曇天に変わってしまった。

Dscn1760 岩壁を彩る小さな秋。

Dscn1763 山頂 ~ここが最高点。三つの古びた石祠が並んでいる。

P3250672 積雪期はこんな具合  ~石祠の高さ70cmほどの台座がスッカリ雪に隠されている。

Dscn1764 谷川岳の展望台なのだが厚い雲の奥に。
20年以上前の案内書では360度開けていたそうで、その後の樹木の成長がせっかくの展望を阻害しているのだ。
こうした場合の樹木の伐採は許されないのだろうか?
すべて自然に任せなさい、という卓見があるのは知っているが・
・・。

P3250673 晴れていればこうなのだ・・・。
谷川岳(「トマの耳)と川棚ノ頭に続く俎嵓の稜線。

Dscn1765 最高点から西へ300mほど離れている三角点。
道が通じていないので、藪を踏んで探すこととなる。

後は往路を淡々と引きかえすだけで、ほぼ半日の山歩きは終了。

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カタカナ語 ~この悩ましき存在

2013年10月9日

山歩きはいつものペースで続けているが、このところそこらのショウモナイ山ばかりでブログにアップするほどの成果がない。

そこで大分古い新聞ネタ(2012年12月8日づけA新聞)にすがって箸休めの一篇に、いう苦肉の策となった。

コンピテンシー、インスタレーション、インキュベーション、コモディティ、ダイバーシティ、サスティナブル、コンソーシアム、オルタナティブ、ステークホルダー、リテラシー。
これが上記した記事で”幾つ分かりますか?”として採り上げた外来語である。
以上の10語で私が分かるのは3語だけであった。
外来語についてのアレルギーは比較的少なく、使える用語であれば(ナイフ、スプーン、フォーク、ラジオなどなど)
反射的に出るくらいの私ではあるが、この体たらくである。

定着できなくて自然に消滅した外来語(中には和製英語なども交じっているが・・・)がある一方、それ以上に新顔が登場するので、社会との縁が薄くなった私など「カタカナ言葉難民」化している。

カタカナ語の氾濫とその対処についての議論は古くて新しい。
9月4日のA新聞の「耕論」で三人の識者が論陣を張っていた。
1は日本語を守るために「言語法」を制定すべし、2は過剰な英語化を慎む、3が取り込んで面白がって使えばよい、というもので、従来からの議論もおおよそこの3つに類型化されていると思う。

これからも正解に到達できない議論が果てしなく繰り返されるのであろう。

社内での公用語?が英語になった会社もあり、低学年からの英語教育の実施など、日本での英語の地位はますます高くなりつつある。
外来語ばかりでなく、「気がおけない」を「気を許せない」と正反対の意味だとして誤用している例のように、日本語そのものの乱れも指摘されてから久しい。
今はかつてないほど日本語の受難時代なのか。

だからといって一部の極論のような「日本語は消滅する」という類の悲観論も当たるまい。
日本語は長い歴史に磨かれ、美しくてしなやかで、強靭な言語である。
ちとやそっとで消滅するようなヤワな言語では断じてない。

Img036

外来語を使う効用としては、自分が知識人である(勘違いだが・・・)と陶酔できる、あるいは人からそう思われる(と勘違いする・・・)優越感が味わえるという「無邪気な心理がある。
実際にその使用が便利で分かりやすい場合も少なくない。
日本語での表現力が低い者が、遁辞として用い何となく煙に巻いてしまうこともあろう。

乱用は確かにみっともないが、さりとてほとんどの人に通用するカタカナ言葉をムリヤリ日本語にするのも不自然であろう。

一方、適切な日本語に言い換えができるもの、コンプライアンス=法令順守、リスペクト=尊敬、プライオリティ=優先順位などは日本語で言う方が品位があがるように思える。
しかし、例えば上記の「コンピテンシー」の場合には「ある仕事で高い業績をあげている人の行動の特徴」の意味なので適当な日本語が見当たらないケースもあり、要するにその場で一番適切な言葉を使うのが、一番良い、などと言うと”当たり前のことを言うな”とお叱りを受けることにななりそうであるが・・・。

私は勤務先が、最も外来語を使う(使いたがる)業種の一つ、広告会社グループだったために、とにかく日常身辺にカタカナ語が飛び交っていた。
そこでは、相手が分からないカタカナ語をあえて用いることによって、”なんだか理解できないが何となくご利益がありそうだ”と相手に思わせる、ある種のマインドコントロール下において、商談を有利に進める効果的なツールであった。

私もある時期、若気の至りで自分の中で消化できていないカタカナ語を多用した時期があった・・・今でもその残滓が・・・。

そのころの自分への言い訳としては”オレが使えば知らない奴はどういう意味か調べるなり、聞くなりして知ることになるだろう。知識が一つ増えることとなり、次からは同じレベルでその言葉に向き合えることとなるのだから、悪いことではあるまい”というものだった。

さて外来語にもまして理解不能なのが若者言葉である。
本来の意味が逆転して使われているのはまだしもとして、女学生同士の会話など、方言よりもよほど分からない。
もっとも女学生と会話することなどないので、さしあたり困っているわけではないが・・・。

言い古されたことだが、言葉は生き物である。
日々変化していくし、新しい言葉も生まれてくる。
誤用に一々目くじらたてていたら身が持たない。
カタカナ語にもできるだけ付き合っていくしかない。
新しい言葉に出合い、それをなんとか消化しようとすることも能トレになるかも知れないから。
・・・カタカナ言葉難民とならないよう、市井の片隅で私はそう思うこととしている。

 

 

 

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ブルックナーはお好き?

2013年10月4日

財務省のみえみえの筋書通り、消費税律アップとなった。
税金や、社会保険料などの国民負担が増えるのはもちろん嬉しいことではない。
しかし、毎年1兆円ほど増えつづける社会保障費や、1千兆円を超える国の借金の財政再建を考えれば避けては通れない道なんだろう、とは思う。
いや、ほんとうに深刻なことはこの程度の負担増ではでは焼け石に水にしかならないことであり、さらなる増税も不可避なことである。

もし、消費税アップをしなければ国際社会から財政再建の意思なし、と見られ日本(国債)売りとなり、金利が上昇したらもっと悲劇的な状態になる・・・というのはあながち財政当局のプロバガンダとばかりに言えないリアリティがある。
とはいえ、アベノミクスは、デフレを脱却する前に、円安のため、ガソリン代、電気料金そのた多くの物価上昇を招き、多くの消費者に痛撃を与えることから幕をあげた。
円安の恩恵を受けた輸出企業が、増えた利益を社員にまで回すのには相当のタイムラグが出る。
物価上昇以前から、すでにここ数年毎年のように各種の社会保険料が上がりなどしているから、消費税増税は消費者に打ち込まれる「第三の矢」になりかねない。

カエルを水の中に入れ、すこしづつ熱を加えていくと、カエルは気づかないままにやがて釜茹で死してしまう・・・今そんな状況に似てきてはいまいか?

さて本題に入るとして『悲しみよこんにちは』の作者F・サガンは『ブラームスはお好き』という恋愛小説を残している。

Img034
その顰(ひそみ)にならって私が”ブルックナーはお好き?”と問われたら・・・
~目下、好きになろうと努力中です、という返事になる。

以前、ウイーンの「シェーンブルンネン宮殿」を訪れた時、帰り際に広大な庭の一角に「アントン・ブルックナー」が一時住んでいたと書かれた小さな建物に気づいた。
もしその当時ブルックナーに今ほどの関心があったら、多少の感慨をもってその家の前で写真でも撮っていたであろう。

私の音楽的成長はかなり以前に止まったままらしい。
音楽史的にいうと後期ロマン派のブラームスまで、である。
その後に続くブルックナー、マーラー、ショスタコヴィッチ、ストラビンスキー、R・シュトラウスあたりになると、聴かないこともないが、積極的に聴こうという気にはなれないままである

印象にしかすぎないのだが、彼らの音楽は主題が明確でなく、切れ間無くダラダラ続き、時には騒音としてしか聞こえないような不協和音を使ったりして、心に響いてこないのである。

こうした感想は私だけのものではなく、高名な音楽批評家・吉田健一氏は『私の好きな曲』のなかで次のように書いている。
ザルツブルグ音楽祭でのブルックナーの第七交響曲の演奏会で「・・・ところで私はその演奏をききながら、ぐうぐう眠ってしまった。第二楽章アダージョの途中でふっと目がさめたら、まだその楽章が続いているのを知り、すっかりびっくりした。なんと長ったらしい音楽だと思ったものだ。」
そして続けている・・・「ブルックナーをきくには忍耐がいる」と・・・。
全く同感なのである。

音楽を聴くのに「忍耐」が必要だなんて、それでは「音楽」でなくて「音苦」ではないか・・・。

そんな私がフト、生きている間に、食わず嫌いを少し抑えて、未知の分野に分け入ってみよう、そんな思いに駆られてブルックナーをきちんと聴いてみようと思い立ったのである。

Img291      Img292                       

一つの契機はこのところ山と文学と音楽の分野で多くの刺激を受けている川島由夫さんの著書『ハムレットが好きな人のための音楽』を手にしたことである。
この中で物故した指揮者・朝比奈隆さんのブルックナーに対する大きな貢献を知った。

Img293

大阪フィルを率いたその朝比奈さんにしても次のように述懐しているそうである。
「この人(ブルックナーのこと)の音楽は口数の少ない人の語る言葉のようだ。私たちにとって何と親しみにくく近寄りがたかったことか。(略)それは演奏するオーケストラのメンバーにとっても聴衆にとっても、努力と忍耐の長い時間であった。」

そんな朝比奈さんが後には「ブルックナー協会」の会長となり、全曲録音を三回も出すことになる。

吉田、朝比奈両氏が期せずして「忍耐」と述懐した。
ブルックナーを聴くためのキーワードは「忍耐」であるようで、それに欠けていた(というより何もそこまでして聴かねばならない理由がなかった・・・)私ごときただの好事家が、ブルックナーの気難しそうな門の前でウロウロしていたのは無理からぬことである。
その狭き門を通過できたら広大なブルックナーの世界が開けている、ということなのだろうか・・・。

今、なぜか手元にある4番と8番の2枚のCDをBGMのようにして聞いている。
それにD・バレンボイムが振る彼の交響曲全集を注文した。
届いたらこれをとっかえひっかえ「ながら聴き」しようと思っている。
いつか、気が付いたら熱狂的なブルックナーオタクになっていた・・・・なんてことになるかな。

スピードラーニングのように・・・・・・。

 

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