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2013年9月

鳥居峠から四阿山 ~51年ぶりに

2013年9月28日

四阿山には複数のコースから何度も登っているが、このコースは51年前、まだ登山道が開かれていなかった四阿山以北の県境稜線を歩いてみようとして訪れたが、以来、もう一度歩いてみようとは露ほども考えていなかった。
ところが、情報で鳥居峠から北へ入る林道が3km部分だけ開放されたことを知った。
これだと往復で2時間ほど短縮されるし、標高差も800m足らずとなる。
昔の記憶を辿るにしてはすっかり風化しているので、比べようはないが、変化の一端でも知りたいと出掛けたのが27日。
大きな移動性高気圧に覆われるこの日は、狙い済ましての山日和となった。

Static 今日の行程 ~後半GPS記録を忘れ、●でルート表示

Dscn1726  生産日本一、嬬恋村のキャベツ畑のはてに優美な裾を引く四阿山 2354m。

Dscn1752 鳥居峠から北へ分岐する林道 ~11月上旬未で開放。
登山ポストも用意されている。
ゲートから3km ~後半は荒れた路面になるが乗用車でもOK。

Dscn1727 林道終点の広場。WCあり。協力金200円投入。
左右2本あるルートの「上州古道」を歩くこととして右へ入る。

Dscn1729 樹林帯は直ぐに終わり、明るい草原になる。正面が華童子宮跡。

Dscn1735_2 山は秋の装いに急ぎ足。

Dscn1736 あちらも秋

Dscn1737 こちらも秋

Dscn1738 鹿島槍の左奥に剣岳が肩をいからせている。

Dscn1739 シンドイがこいつを超えないと四阿山には近づけない。

Dscn1740 一山越えて四阿山が目の前に・・・
とはいえ、ヘタレ足にはとんでもなく高く、遠い。

Dscn1741 振り返ると東・西篭ノ登山の間にお富士さんまでがご機嫌うかがい。

Dscn1742 浅間連峰 ~左端の浅間から右端の烏帽子岳まで。

Dscn1744 ようやく山頂まで200m

Dscn1745 上州(群馬県)を向いた祠。
この先に信州を向いた祠があり、そこが山頂。

私は上州生まれなもんで、大方の登山者が素通りしてしまうこっちに肩入れしてしまいます・・・どうしても・・・。

Dscn1748 山頂までの標高差約800m ~疲れました。

Dscn1746 榛名山群 ~小さいが山の数は赤城をしのいでいる。

Dscn1747 山なみ三重連 ~手前に湯の丸と烏帽子岳
その奥が八ヶ岳連峰。さらに奥に南アの仙丈、甲斐駒、北岳。

Dscn1749 北北西には頚城の妙高、火打、焼山。
写真は入れてないがこのほかにも槍・穂、乗鞍、御岳、中アなどなど見えない山はもぐりだ!といいたくなるほどの、有名・無名の山々の揃い踏み。

帰路はかつて歩いた「的岩」コースを下り、終いには重い足を引きずりながらの情けない行程になった。
ヒタヒタと忍び寄る影 ~それは誰にも逃れる術のないもの・・・

あと一月もすれば高峰たちは白く装い始めるであろう。
秋の入り口はそんな期待でワクワクさせられる時期である。

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「戦火の馬」~馬にとっての戦争とは?

2013年9月24日

連休入り口で、2日間、好天の中で長野県下の小さな山歩きをしたが、材料に乏しくてそのレポをアップすることをためらっている。

そこで、ブログ上でのお付き合いのあるOさんが、いつぞやブログで褒めていたS・スピルバーグの「戦火の馬」を観たら、これが素晴らしい感動物語だったので、遅まきながらの紹介を・・・。
第一次世界大戦の時の実話をもとに書かれた物語をS・スピルバーグが映画化したものである。
演技しているかのように思える馬・ジョーイの目から見た、むごいい戦争。
その中で重ねられていく数々の感動的シーン。
声高には主張しないが、やはり反戦のメッセージが伝わってくる。

私にとってとりわけ目を奪われたのがイントロで映し出される 英国・デヴォン州(正確には現在こういう州名はないらしいが・・・)イズリー村の風景である。
私は訪れたことはないが、デヴォンはイングランド南西部にあり、典型的な英国のカントリーサイドの風景を映し出している。
エバーグリーンと呼ばれる牧草地帯。
それと隣り合わせにあるヒースの原野、いや荒野のほうがピッタリくる。

Dscn1684 これぞイギリスのカントリーサイド!

Dscn1675 石造りの農家 ~テッド・ナラコットの一家が住む。

Dscn1674 テッドは大枚をはたいて農耕馬ではないサラブレットを買ってしまい、妻から激しくなじられる。

Dscn1680 息子のアルバートはこの馬の誕生から知っていてジョーイと名づけて慈しむ。
物語はアルバートとジョーイとの交感を縦糸として綴られる。

Dscn1687 第一次世界戦争の勃発でジョーイは軍馬として徴用され、アルバートとの惜別の日を迎える。

Dscn1688 去っていくジョーイ ~このシーンのライムストーンの家並みはデヴォンではなくコッツウオルズ地方のそれである。

Dscn1695 戦火の中で翻弄されるジョーイは逃走中、有刺鉄線にからめとられてしまう。
戦いあうイギリスとドイツの兵士が一人ずつで協力してジョーイを有刺鉄線から助け出す。
この場面での二人が交わす会話が、戦争中とは思えない友情に溢れたもので、目頭が熱くなってしまう。

Dscn1700 兵士になっていたアルバートはガス爆弾で視力を失っていたが、ジョーイと再会する。

Dscn1706 戦争が終わり、競売にかけられたジョーイを孫娘の思い出に落札したフランスの老人。
アルバートとジョーイの関係を知り、ジョーイをアルバートに”君の馬だ”と引き渡す。 ~ここでも泣かせてくれます。

Dscn1713 燃える夕日が染める荒野の中をアルバートとジョーイが父母の待つ故郷へ帰ってくる。
~映画では定番の作画だが、やはりいいですよ・・・これは。

Dscn1716 

Dscn1718 迎える母

Dscn1725 父も加わって・・・
生きている間に出会えて良かった!としみじみ思える名作 ~これも間違いなくその一篇である。

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台風18号の置き土産

013年9月18日

昨日(17日)は文字通りの「台風一過」の日本晴れとなった。
水不足も一気に解消したことだから、この先は秋晴れが続いてほしいものである。

16日は帰京を延ばして山荘に身をおき、18号大型台風の成り行きを見守った。
豊橋付近に上陸するかなり前から強風が吹き荒れ、山荘に立つ木々は前夜から嬲られ続けた。

午後になると風も静まり、雨も止んだ。
気がかりだった庭の様子を見ると何となく見通しが良くなっている。
すぐに理由が分かった。
白樺の大きな木が根元から倒れているのだ。

Dscn1649

Dscn1646 根がこんな風に傷んでいる。
いったいに白樺は樹液が甘いせいか虫の好餌となり、根がボロボロで倒れやすい。

Dscn1648 シャラも一本横倒し。

Dscn1645 今、唯一庭に彩を添えているシュウカイドウもこんな有様 ~もう、ヨレヨレです。

「山林に自由存す」  ~国木田独歩を気取って、徳富蘆花の「恒春園」のような雰囲気が醸される庭を願っていたのだが、毎年のようにやってくる台風と、虫害とで折角育ってきた樹木がつぎつぎに被害にあう。
それやこれやで、近頃は樹木たちの存在そのものが疎ましくなり始めている。

この倒木の処理はチェンソーだけの自分の手には余る。
金はかかるがプロに委ねるしかないだろう。
ついでにこの際、この先、災いを招きそうな庭木の始末もしておこうかな・・・

もの入りではあるが、この台風で大きな経済的打撃を受けた被害者に比べたら泣き言など言っていられない。

気になるのはこの秋の紅葉の出来栄えである。
台風が運んでくる南海の潮風と、強風に、繊細な葉を痛めつけられた広葉樹はなかなか綺麗に装うことができない。
色づく前にあらかた赤茶けてしまう。

「山装う」季節を迎えるのにそんな心配をしてしまう。

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裏コースから黒斑山へ

2013年9月15日

浅間第一外輪尾根の黒斑山へは車坂峠から「表コース」「中コース」のほかに蛇骨岳にダイレクトに繋げる「裏コース」と言うのがある(いや、あったとするのが正しいのか・・・)ことを最近知った。
これまで人生の裏コースばかり歩いてきた私としては看過できない情報である。
しかし、このコースは管理ができないという理由で行政(嬬恋村?)が閉鎖している形をとっている。
ネットで調べるとけっこう情報があるがいまひとつ要領を得ない。
そして、そのいずれもが「蛇骨岳」からの下降である。
この手のことになるとついつい血が騒いでほっとけなく私。
踏査する機会をジリジリしながら待っていたが、どうやら14日は天気がまずまずらしいから”今でしょう”
コースの選択は登りにするか?下りにするか?
ここは迷わず登りを選んだ。
理由は、もし迷った場合のセオリー「迷った地点まで戻れ」に従うと、下りでは登り返さなければならず、これが心理的抵抗になり、ついつい強引に下り続けアクシデントに繋がるケースが少なくないからである。

つねより慎重に準備しコンパスはもちろん、赤テープ、呼子なども忘れずに用意。
なによりスマホのGPS機能を頼りにしたい。

Static これが今日(14日)の車坂峠を起点として,裏コース~蛇骨岳~黒斑山~トーミの頭~中コース~車坂峠と時計回りに歩いた軌跡。
トレースした結論 ~ルートは国土地理院2・5万図の破線の通りで、道型は明瞭で殆ど問題ない。
標識は皆無であるが、その代わりになるものが、岩村田営林署の菱形ナンバープレートであり、これを拾っていけば迷いようがない。
文字が消えているのもあるが、おおむねスタート地点近くから、山頂近くまで、その多くは地表に置かれている。
山頂近くで最後に確認できたのが№42であった。
こんなに分かり易くて、重要な情報が何故ネットで紹介されていなかったのだろうか、不思議でならない。
昭文社地図の破線ルートは一部ショートカットしているように描かれているが、現地では全く確認できなかった。
ネット上では情報がやや錯綜している感があるが、私の結論が一番分かりやすいと思う。

スタートの車坂峠についてビックリ~人と車が溢れている。
駐車スペースも満杯で、物置みたいな小屋の前に断って駐車。

中コースに入って程なく裏コースの分岐に着く。

Dscn1634 この標識の奥に向かって藪に隠れるように裏コースが延びている。
その入り口に、写真では分かりにくいが進入禁止のサインで朱色の三本の鉄棒が斜交(はすかい)に突き立てられている。
入り口は藪でわかりにくいが、これを抜ければ直ぐに開けた落葉松の疎林となり、丈の低いミヤコザサの原である。
今年に刈払いされた痕跡があるが、夜来の雨に濡れた笹がたちまち膝から下と、靴をずぶ濡れにしてしまう。

Dscn1635_2 霧の中に早くも紅葉の走り?でも、 いくらなんでも早すぎる。
多分、樹勢が衰えているのであろう。

Dscn1638 林床にシラタマノキ~噛むと消炎剤の香りがする。

かつて林道だったらしい水平道が樹林に吸い込まれるあたりから上述したナンバープレートが目につき始めた。
この道から右へ分かれるらしい分岐点の「白檜の黄色い印」を見落とさないよう注意しているが、見つけられないまま進むと、道は傾斜を増し、足元も石ころ道に変わる。
スマホのGPSを確認すると、その軌跡は2・5万図の破線とピッタリ一致している。
”何だ!これは地形図通りでいいのだ”ここに至ってそう確信した。
ナンバープレートの数が増していくに連れてその確信は揺るがないものとなった。

Dscn1637 これが確認できた一番最後のプレート。
上方が明るくなり、人の声も聞こえてくると蛇骨岳も近い。

Dscn1639 頂上手前のロープ。山頂からこの裏コースに入らないようにする措置だが、これではいかにも中途半端。

Dscn1641 蛇骨岳山頂 2366m到着
標高差400mほどなのに2時間もかかっている。

Dscn1642 東に続く「仙人岳」と「鋸岳」

Dscn1643 これから向かう黒斑山
黒斑山もトーミの頭も人だかりなので素通り。
しかも次から次へと登ってくる。
中には山登りにはどうかな?と首を傾げる身支度の人も交じる。

朝の車坂峠の雑踏がそのまま山中に持ち込まれている。
自分の性には合わないが、だからといって他人を咎められることでもない。
それが嫌なら休日には山に来なければ済むことだ・・・などと一刀両断にできないので、モヤモヤしたものを抱えながら、逃げるようにして山から帰ることになる。

終わってみれば「コロンブスの卵」みたいな結果になった。
それでも、悪天候続きの9月、予定していた課題の一つを片付けられたので良しとすべきだろう。
それにしても、である。
オレは何故、かくも裏コースとの相性がいいのだろう・・・?

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緑衣の鎧武者~鹿沼「石裂山」

2013年9月12

石裂山~難読山名の一つ「おざくさん」と読みます
「裂」の本来の文字はとんでもなく難しい文字で、私も生まれて初めてお目にかかりましたが、ここに再現することができません。
標高はたったの879mにしか過ぎませんが、緑の衣の下は筋骨
隆々、頑丈な岩が骨格を形成している無骨な田舎侍です。

久し振りに青空が覗いた9日(月)、その山を目指し山荘から足尾・銅(あかがね)街道にでて北上し、ヘアピンカーブが連続する粕尾峠へ上がり、古峰神社へ向かう道では日光の山々もクッキリ見え、「林道前日光線」に入りました。
登山口となる「上久我」へ下る道が何と想定外の通行止め。

Dscn1601 通行できれば登山口まで15分ほどで下れるはずが、大誤算・・・チラッとこんなこともあるかな、とは思っていたんですがが・・・。

いったん別ルートで鹿沼市西郊へ下るという大迂回を余儀なくされ、1時間以上のタイムロスを生じてしまいました。

Dscn1603
何とか「加蘇山神社」前の登山口に到着し、一礼してスタート。
越えてきた粕尾峠1100mより低い標高からのスタートだから普通ならかなり暑いはずですが今日は涼しいので助かります。
50分でこの山最初の関門「行者帰しノ岩」になります。

Dscn1604

アルミ梯子を登ると鎖場。
夜来の雨に濡れているのでけっこう厄介です。
ここに取り付けてある鎖がとんでもない代物でした。
必要の程度をはるかに超えてやたら太くて頑丈すぎるのです。
従ってその重さも半端ではありません。
普通、鎖は4~50cmほど持ち上げて操作します。
この重さでは持ち上げるのが一苦労です。
鎖は絶対的な安全確保の重要な手段ですから堅牢であることは必須条件ですが、適切な程度があります。
どんな考えでこんなオーバースペックな代物を設置したのか理解に苦しみます。

木の根、梯子、ロープなどを頼りに進むと「ヒゲソリ岩」の下にでます。
10mほどの垂直の壁からは雫が滴っていますが、その上部の一叢の花が見えました。
 

Dscn1607 遠すぎて花の形が分かりません

Dscn1608 近くに一輪だけあったこの花が上の群落か?
だとしてもお名前が分かりません。
この先は長いアルミ桟橋の横断から尾根に乗り東剣ノ峰。
名前はいかめしいが平凡な隆起、と思っていたらその北面は連続する長い梯子段の下降です。

Dscn1609 こんな看板が数ヶ所あります。
再び西剣ノ峰に登り返しての下降がまた長い梯子段。

Dscn1610 数えてみたら80段以上でした。

Dscn1611 

標高差600mをほぼ2時間で登り着いた山頂。

Dscn1612
いかにも地味で、展望は辛うじて男体山の方が開けているが、朝方の青空は消え一面の雲になってしまいました。

Dscn1613
北に隣接する「月山」~こちらのほうが少し高いのです。
視界は石裂山同様ほんの一角しか開けていないので期待はずれなことおびただしい・・・

私たちの会の来年度の候補地として考えていたのですが、けっこう神経を使うところが多くて、中高年グループでの山歩きには不向き、という結論に至りました。

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あの感動を再び~五輪がまた東京へ

2013年9月8日

東京はつくずく幸せ者だと思う。
5時前からTVの前に座り込んで、オリンピックパラリンピックの開催地決定を待っていた私の、朝一の感想。

夏の五輪大会は2020年の開催で33回になるが、そのうち2度も開催できるという、稀有な幸運に恵まれるなんて・・・
自分が生きている間(多分・・・)にもう一度、東京で五輪(初めてのパラリンピックも)を見ることができるようになるとは思ってもいなかった。

Dscn1589

Dscn1580 集計者を除けば世界で一番早く結果を知ることができるIOCジャック・ロゲ会長。

Dscn1581 TOKYOの文字がクッキリ。

Dscn1588 男泣きするフェンシングの太田選手

Dscn1562_2 各地が感動と興奮坩堝(るつぼ)となった。

Dscn1586_2 当事者の努力は当然だが、世界各地での草の根の働きかけが実を結んだそうである。

Dscn1583

Dscn1595 爆発しています! このストレートな喜びようは素直にこちらの胸にも伝わってくる。

Dscn1597 雛壇に並ぶ日本の関係者。

Dscn1600 調印式 これでセレモニーが終わり、第一歩が始った。

招致の決定は間違いなく朗報である。
国全体の活力が、世界一の経済大国であったことがウソに思える凋落ぶりで、国際的地位は下がり続けている。
景気刺激効果はあるだろう(その後のリセッションは怖いが・・・)から、デフレ脱却が加速することも期待したい。

今この瞬間は招致決定でそこら中が沸騰し熱狂している。
しかし、光があれば、それがまた強烈であればあるほど陰もまた濃く深いものとなる。

福島はどうなんだ。
五輪招致に狂奔する関係者からは、口先では”福島の復興のためにも・・・”という言葉が出るが、心の底からの言葉とは思えない。
一連の招致騒ぎの中で、自分たちは忘れられている、東北の人たちにはそういう焦燥感があるに違いない。
TVのインタビューで”五輪騒ぎは、別の日本のこと”とコメントしていた主婦の言葉が私にささっている。
切に、切にこの朗報が福島など被災地の復興になにより一番に役立つことを願う。

そしてイスタンブール(トルコ)の人たちの無念の心中は察するにあまりある
今回が5回目の立候補で、東京以上に招致にかける思いは切実だったはずだ。
西欧とイスラム圏の架け橋になる、という主張は説得力があった。

一時の興奮が去ったら浮かれた気分は忘れて「脚下照顧」~冷静になって現実と向き合い、しなければならないたくさんの課題(汚染水処理、消費税増税、財政再建、TPPetc・・・)にしっかり取り組んでいく、国全体でその姿勢を貫いていかなければならないこれからの7年になる。

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爺さんは山へ芝刈りに~榛名・居鞍岳

2013年9月7日

山日和がいっこうにやってこない。
やり場のない怒りと諦めの交錯を振り切って霧立ち込める山荘から脱出した。

榛名湖畔の天神峠から西へ喧騒を逃れるように「杖ノ神林道」が延びている。
観光客には無縁の林道である。
先日走行してみたら道を覆い隠すようにイタドリなどが傍若無人に繁茂して、道を狭め車のボディに擦り傷をつける。
傷はワクシングすれば消えるのだが、このまま放置しておけないと思った。
11月にマイクロバスに杖ノ神峠まで入ってもらう計画がある。
乗用車よりサイズが大きいマイクロで、しかも営業用の車だからたとえ消える擦過傷にしても、ドライバーに気の毒だ。
行政を当てにすることもできまいから、その日に備えて自分でこの林道の刈払いをするしかないだろう、と考えていた。
それを終えたら短い山歩きをしよう。
・・・というのが今日(6日)のテーマです。

Dscn1553 林道は傍若無人に茎を伸ばす「虎杖=イタドリ」で半分に狭められている。

Dscn1554 ガードレールも覆い隠されている。

Dscn1555 ガードレールが現れた。

Dscn1556 舗装が終わるとますます荒れてくる。

Dscn1557 雑な刈払いだが見通しがよくなる。
ところで
純粋に善意でした私のこの行為に問題はないのか?
動機は善意であっても法律的に問題になるケースは珍しくない。
最近では神奈川県小山町で、ある奇特な方が、行政で設置した指導標に間違いがあり、自分が作成したものと代えたところ「器物損壊」の罪に問われ実刑判決を受けている。
事故を未然に防ぐためにしたことがこうなる。
もし、道標が間違ったままで事故が起きたら・・・
行政は管理責任を問われることになるのだろうか?

1時間半ほどの作業だが、優男の悲しさ、長鋏を使う腕が鈍(なま)ってきた。
この先まだまだ続くが、次の機会にして山へ向かおう。

榛名山群には数え挙げて見ると名前のついた山が15~16座ほどあるようである。
赤城と同じように、虱潰しで歩こうとして、あらかたの頂は踏んだが、目ぼしいところでは「居鞍山」1340mが残っているので、今日の虱(虱になぞらえてしまい、居鞍山さん、ご勘弁を・・・)とする。

Dscn1558 榛名湖畔から北の吾妻町へ下る車道の傍らに登山口があるが、こんなに小さいうえに、文字が薄れているので見つけるのに手間取った。
そもそも東電の巡視路の入り口のようであるが、擁壁の間にある木の柵が押しつぶされていて、この間をすり抜けて入る。

Dscn1559 入り口から木段を登ると直ぐにこの山中唯一の標識。
右が巡視路を経由して山頂への緩いルート。
草で塞がれている直進は急な尾根道 ~こちらを採る。
頼りなげな急傾斜の山道はミズナラやブナの広葉樹林の尾根道である。
霧が濃くなる。

Dscn1561 

登りきると岩の上に2つの石祠が苔むして鎮座している。
なぜか互いに背を向けている。
文字を判読した人によると文政十年(1827)のものらしい。

Dscn1560 そこから一投足の山頂~三等三角点
晴れていてもいなくても展望は閉ざされているから同じこと。
帰路は石祠の所から西へ急降下して巡視路に出た。
後は車道まで淡々と下るだけ。

こんな小さな山歩きでも心が軽やかになるのが不思議である。

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女子バレーボール界の新星とブルーベリー

2013年9月4日

大誤算である~今の秋霖みたいな状態は・・・
晴れるのか降るのかハッキリせい!とどやしつけたくなるような毎日で、お陰で(・・・という言い方は正しいのか?)で9月に予定している山歩きが全然はかどらない。
近場の赤城、榛名あたりのショートコース歩きでお茶を濁しているが、ブログにアップできるようなしろものではない。
そこで一時しのぎにとりとめのないよしなごとを・・・・・・。

タイトルの両者、一見何の関係もないようであるが、実は・・・やはり関係ない。

NHKがやたらに入れ込む看板番組の大河ドラマなるものは、私には退屈きわまりないもので、見ることはほとんどない。
従って日曜のゴールデンタイムは私には魔の時間帯になる。
所在なく回したチャンネル(今どきのTVはチャンネルは回さないか・・・)で、これもこのところ何年も見ていない女子バレーのアメリカ戦を見た。

とうぜんながらコート上は知らない選手ばかりだが、中にひときわ若い(というより幼いくらい)選手に目を引かれた。
あまりにも幼くみえるので、ひ弱にも、頼りなげでもありで、これが日本代表チームのメンバ-?といぶかしく思えるくらいであった。

Dscn1510

試合が進む間にネットで検索をかけたら、この選手がセッターを務める宮下 遙さんといい、この春高校を卒業したばかりの新人ということが分かった。
しかもスター選手の階段を上りつつあるようでネット記事でもその人気振りがうかがえた。

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「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」
中学生のころから逸材として注目され、中田久美以来の中学生での全日本入り、、高校生では早くもV1の「岡山シーガルス」に所属して社会人のお姉さんに交じってプレ-しているのである。

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身長も176cmあり、このところ身長の低いセッターが続いていた日本代表では久々の長身セッターとしての期待が集まっているそうなのである。
どんな世界でもヴェテランと称される人が、年齢と戦いながら進化し続けようとする姿には感動を覚えるが、かたや若い芽がすくすくと伸びてくる姿もまた嬉しい。

雨の止み間に庭木の剪定をしたり、我が物顔にはびこる雑草に一矢をむくいたりしているが、殆ど彼らの蹂躙にはなす術もない。
初めのころは蓼科にある「バラクラ・イングリッシュガーデン」のミニ版を目指して花をうえ、芝生を作った。
毎年の雑草との格闘についに根負けして、いつしか今の雑草天国になってしまった。
さしずめ現状はスコットランドの「ヒースの荒野」で、そうすると私は『嵐ヶ丘』のヒースクリフか・・・
そんな
庭では、今ブルーベリーが食べころになっている。

Dscn1511
とはいってもムシャムシャ食べるものでもないから、そのうち目ざとい野鳥についばまれてしまうことになるだろう。
3本植えたのだが一本は「ナラズモノ」になってしまった。

いつのころからか鳥が運んだのだろうが、ミョウガが生え、年毎に勢力範囲を拡げてきている。

Dscn1513
その香りは珍重すべきもので、嫌いではないがそうそう食べるものでもない。
気味悪いくらいニョキニョキ頭をもたげているこれらをどうしたものだろうか。
多分、家人が漬物にでもするのであろう。

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