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蔵書の愉しみ・蔵書の苦しみ

2013年8月24日

ほとんど下馬評にはあがっていなかった「前橋育英高校」が今夏の甲子園の選手権を制した。
私はこの学校とは全く縁なき衆ではあるが、同県というだけの理由で素直に喜んだ。
郷土意識とはまことに不思議なもので、群馬県で過ごした年月より、東京での生活がはるかに長いのに、自分の根っ子は生まれた群馬にあるとしか思えない。
群馬県勢としては1999年の桐生第一に続いて2度目だが、総理大臣は4人輩出している。
同じ数に並ぶよう高校球児もなお一層の精進を願っている・・・関係ないか・・・。

何の因果か2週間も山歩きが出来ない状態が続いている。
ようやく明日(25日)から御嶽山に行くことになっているが、これだけ空白ができると足には応えることになりそうである。

山ネタが夏枯れ状態なので、芸のないことであるが、続けて本のことになる。
蔵書の愉しみは次第に増えていく本に埋もれながらも、いつか書斎と書庫を持ち、全ての背文字が見える本に囲まれる、ところで頂点に至り、それが同時に苦しみの始まりとなる。
私は幸か不幸か、いまだ頂点の手前にいるので、本物の苦しみには見舞われてはいないが、その予兆はつねずね感じている。

Img030 岡崎武志さんの『蔵書の苦しみ』には共感するビブリオ・マニアはたくさんいるのだろうと思う。
蔵書の愉悦は、蔵書量が限界値(もちろん人によって異なるが・・・)を超えると、床が抜けるとか、本に埋もれ必要な本が見つからないとか、さまざまな苦しみに変わる。

私など蔵書家といえるほどのレベルにはほど遠いが、それでもそれなりの問題はある。
当面のこととしては、山荘と自宅に分散しているために、どちらかで何かの調べ物をしているとき、必要な本が手元にない、という悩みがいつも付きまとっている。

もう一つは本探しである。
私の蔵書は山岳書が大半であるが、その外には地誌関係、音楽関係、紀行関係、詩集、文学書、随筆などにおおまかに分類して並べているつもりである。
圧倒的に多い山岳書は、いざ探そうとする段になると、簡単にみつからない、という破目におちいることも珍しくない。
結果として、同じ本が2冊ある、という現象が生まれる。
これまでカウントしたことはなかったが、これを書くにあたって曲がりなりにも作成しているリストにより山岳書を数えてみたらおよそ1500冊であった。
これには『アルプ』(300冊)『山の本』(81冊)などの雑誌やガイドブックは含めていない。

また、ある本の中のあるフレーズをふと思い出したとき、それがどの本にあったのか、を探しだすのがひと仕事になってしまう。
そのためのメモらしきものも作ってはいるが、不完全なのであまり役にたたない。

Img029 この状態で必要な本を探し出すのは神業、というより不可能でしょう。
探すことは諦め、買った方が早い・・・

私が最初の本棚をもったのはいつのことだろう。
中学生のとき、縁側の端に机を置いて初めて自分の居場所が得られた。
そのときに本立てくらいを置いたのが多分蔵書の第一歩であろう。
高校生になって6人兄弟の中で一人個室を与えられた。
父母がどうして自分にだけ特別な計らいをしてくれたその理由は知らない。
そのときから曲がりなりにも本棚を置いて、その隙間が少しづつ埋まっていく愉しみを覚えたのであろう。
少年期の読書傾向、英雄・豪傑、剣豪、冒険、探偵ものなどから、中学生の中ごろから文学のジャンルに移り最初に熱心に読んだのが徳富蘆花の『思ひでの記』であった。
日本文学から西洋文学に広がり、翻訳ものの青春小説が粗末な本棚に並ぶようになった。

会社人間時代には止むを得ず、ということで読むものはマクルーハンなどのビジネス書が殆どになってしまったが、もちろん面白いはずがなく、それらはリタイアした途端に跡形もなく消えてしまい、書名なども記憶に残っていない。
ビジネス書、実用書、ハウツウものなどには座右におきたいような名著はない、ということか。

山荘との2住生活に入ったころ本気で書庫つくりを考え、あれこれ図面など描いてみた。
しかし、さすがにそれは自分の身の丈を超える無用の投資である、と気が付くだけの冷静さは失っていなかった。
もう70歳に近い、読める本の量も限られている。
書庫を作るにはあまりにも遅すぎる・・・と。

Img031

本の持つ質感とか、指でページをくくる触感とか、匂いとかは電子書籍では得られない独特のものである。
一時、本は電子書籍に席巻されるのではないか、という見立てがあったが、そう簡単に本がその席を譲るとは思えない。

さて、私なりの「蔵書の苦しみ」はいよいよこれからだ。
遠からずこのまま、というわけにはいかない時がやってくる。
残る(多分・・・)家人にゴミの山と化すことがミエミエのものを遺すことは心苦しい。
その前にできるだけ始末をつけておかねばなるまい。
それは多少心がけているが、目下のところは焼け石に水ていどのことにしかならない。
『蔵書の苦しみ』のなかにもあるが「いっそ燃えてしまえばスッキリする」というのは分からぬこともない。
しかし、本が一冊もない暮らしというのもあり得ないだろう。

篠田一士のいう「(略)ほんとうのことをいえば、三度、四度と読みかえすことができる本を一冊でも多くもっているひとこそ、言葉の正しい意味での読書家である」という境地。

つまるところ、篠田さんのいうように、自分にとってかけがえのない何冊かの本をいまはの際までは座右に置いておく、ということに落ち着くのであろう。

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コメント

〔埼玉県人でありながら、生活用品のほとんどを群馬で調達している私としましても前橋育英高校の夏の甲子園優勝は嬉しいことでした。

山積みされた本の画像、一瞬風花さんかと思いました。
このような状態なら悩みは深刻でしょうね。
i本を買う習慣の無い方には理解度0の悩みで、結構孤独な悩み事になるのではないでしょうか。。。^^

投稿: おキヨ | 2013年8月26日 (月) 13時33分

風花さん、こんにちは

25日、晴天は期待薄ですが、26日は秋の様な青空が見えるかも知れません。今年の夏山は穂高連峰もほとんど晴れた日が無い様です。写真の本に溢れた部屋、地震が来たら危ないですね~smile。この本の所有者、単行本ばかr、明らかに収集の趣味もありそうですね。なんとなく似た人を知っていますので・・・coldsweats01

投稿: | 2013年8月26日 (月) 16時33分

おキヨ様
まるまる2日間、パソコンに触れていなにため、レスポンスが遅くなってしまいました。
一触即発・・・震度3くらいの地震にでも崩れ落ちそうな本の谷間の住人は内藤陳さんです。
氏はボードビリアンで1962年に結成された「トリオ・ザ・パンチ」の一人でした。
蔵書家のなかには積んであった本の山が崩れてきた、という経験の持ち主が何人かはいるようですが、これは凄過ぎます。

さすがに私もこんな状況はごめん蒙ります。

投稿: 風花爺さん | 2013年8月27日 (火) 09時13分

岳様
コメント・レスポンスが遅くなりました。
25日は雨でしたが、何とか行動できる程度でしたので、予定通り「田ノ原」から王滝頂上山荘まで登りました。
その夜はきれいな星夜となり、天の川、白鳥座、カシオペアなどを観ることができました。
翌26日は素晴らしい晴天となりました。
山小屋のスタッフもほんとうに久しぶりの晴れだと言っていました。
御嶽山頂からは見える範囲内にある全ての山が見えた、といっても過言ではなかったと思います。
ちょうど一年前に乗鞍でまみえた大展望の再現でした。

当たり前の感想ですが、山の醍醐味は晴天でなければ得られませんね。

投稿: 風花爺さん | 2013年8月27日 (火) 09時22分

こんにちは。

>「残る(多分・・・)家人にゴミの山と化すことがミエミエのものを遺すことは心苦しい。
その前にできるだけ始末をつけておかねばなるまい。」

他人の私が口を出すことではありませんが…「もったいない」…ほかに適当な言葉が見付かりません。
風花様の蔵書をお孫さんたちが、またそのお子さんが夢中で読む日が来るかも知れません…。

本当に私事ですみませんが、私が生まれて間もなく、家は空襲で全焼したので、本やレコードなどもすべて灰になりました。子供の頃、おもちゃなどは何一つ買ってもらったことがなく、ただ本だけは出来る限り与えられました。読むものがなくなると、父の難しい本にも手を伸ばしたものです。

そんなことから…蔵書の山は、よだれが出るようなお話で、その始末については想像するだけで心が痛みます。

投稿: 淡雪 | 2013年8月27日 (火) 09時42分

淡雪様
私がブログで書いていることは私事そのものですから、淡雪さんが「私事で恐縮」とおっしゃることは全くありません。
本は文化的資産ですから、ムザムザとゴミにしてしまうことは私も望むところではありません。
残念ながら私の身内には、私の蔵書に価値を見出してくれそな者が一人もいないのです。
これも不徳の致すところでしょうか。
その時期がくれば、いきなりゴミ化する前に、やはり古書店に引き取ってもらうなどの方法により、その価値を正当に評価してくれる人の手に渡るような方策をとることになるのだろうとは思っていますが・・・。

投稿: 風花爺さん | 2013年8月27日 (火) 11時42分

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