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2013年8月

善男善女は「木曽・御嶽山」へ

2013年8月28日

ようやく山ネタをアップできます。

御嶽山3063・4mは遠目にはまっこと美男におわします。
長い裾野を引いた端正な独立峰で、もし頂稜が爆裂で吹き飛んでいなければ富士山にも負けないくらいの高さを誇る山になっていたのではないでしょうか。
なので、古来ご神体と崇められ、篤い信仰心の対象になっていることには何の不思議はありません。
ただ、私のような信仰心のかけらもない不届き者にとっては、懐に入ると荒涼とした山肌や、一番高く神聖であるべき山頂に社殿が設けられていて著しく興趣を殺がれ、2度とふたたび登ることはないと思っていました。

それでも行きたい、登りたいという善男善女が揃い、また出掛けることになりました。
無類のお酒好き揃いですが、神を敬う心のは負けません・・・ホントかな?
25日(日)午後からは好転する、という予報に期待して新宿から長い時間をかけて木曽谷に入ると本格的な雨。
「木曽路はすべて山の中である」(『夜明け前』)ならぬ「すべて雨の中である」

出発点の「田ノ原」(2180m)からは当然全員ゴアテックスで身を固めスタート。

Dscf3004_original 雨ニモ負ケズ・・・・・・でしょう!

Dscf3034_original ファイト!ファイト!
森林限界を登る ~幸いなことに風がなく、雨足も弱くなってきた
気がつけば登山道にいるのはウチラだけである。

Dscf3060_original 標高差750mを登り「王滝頂上山荘」(2930m)に16:00到着したときはもう一歩も歩きたくないほど疲れていた。
軟弱な上にブランクがあったから当然の成り行きである。


貸し切りの小屋でまずは酒盛り。夕食を食べて、また軽く飲る善男善女。

星空になった。
視力の弱い私でも、久しぶりに天の川が見られ、白鳥座の大きな十字とその嘴になるアルビレオそしてベガ・デネブ・アルタイルがつくる「夏の大三角形」などを肉眼で見ることができた。

星夜はそのまま暁闇を迎えた。
最低気温6度で、東の空がモルゲンロートに染まる。
素晴らしい夜明けである。

Dscn1471 雲海の向こうに南アと富士山

Dscn1472 アップした富士の右に塩見岳
左手前は中ア・三ノ沢岳

Dscn1473 シルエットの八ヶ岳

139_large 八ヶ岳連峰の「麦草峠」から今日の太陽が昇った。
「この瞬間に目の前にあるものを言葉で捕らえる力は言葉にはない」 (池澤夏樹『夏の朝の成層圏』)・・・まさにそんな瞬間である。

Dscn1476 木曽谷は全て雲海の下 ~中アと南アが重なっている。

Dscn1477 最高点・剣ヶ峰は目の前だが空気が薄いせいかそこまでが決して楽ではない。

Dscn1479 またまた富士さんですがな・・・
つい先日登った宝剣岳の小さな岩峰まで指摘できるほどの清明な大気である。

Dscn1480 山頂に立つと、いよいよ二の池の彼方に千両役者さながらに北アが登場。

Dscn1481 ちょうど一年前に登った乗鞍岳が正面、目の前にデンと居座っているが、同じアングルでの北アになる。
ここからは乗鞍岳越しに見ることになるので「焼岳」は隠れる。

Dscn1482 感動のあまり言葉少なく北アに見入る一行・・・と言いたい場面なのであるが、いや~賑やかなこと・・・・。
穂高だ!槍だ!常念だ!黒部五郎だ!笠だ!
・・・白山だ!

288_large お鉢廻りの岩稜を行く。

Dscn1490 二の池畔 ~富士山みたいな残雪

Dscn1492 白骨化したハイマツ

Dscn1494 長い下降で「飯森高原」駅へ 
富良野の「とみたファーム」を思わせるような花の斜面がある。
~あとはロープウエイでバスが待つ「鹿の瀬」駅へ。

帰京の途次での例のごとしの入浴先の「せせらぎの四季」では、私自身のハプニングがあったが、ロングドライブで一路新宿西口へ。

伊那谷と木曽谷は中央アルプス(木曽山脈)という大きな障壁で遮られていたが、中アのどてっぱらをくりぬいた「権兵衛トンネル」が開通してからは、東京から御嶽へのアクセスが画期的に向上した。

がしかし、それでもやはり遠いな・・・
御嶽山は名古屋以西の山好きのための3千m峰かな・・・・・・。

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蔵書の愉しみ・蔵書の苦しみ

2013年8月24日

ほとんど下馬評にはあがっていなかった「前橋育英高校」が今夏の甲子園の選手権を制した。
私はこの学校とは全く縁なき衆ではあるが、同県というだけの理由で素直に喜んだ。
郷土意識とはまことに不思議なもので、群馬県で過ごした年月より、東京での生活がはるかに長いのに、自分の根っ子は生まれた群馬にあるとしか思えない。
群馬県勢としては1999年の桐生第一に続いて2度目だが、総理大臣は4人輩出している。
同じ数に並ぶよう高校球児もなお一層の精進を願っている・・・関係ないか・・・。

何の因果か2週間も山歩きが出来ない状態が続いている。
ようやく明日(25日)から御嶽山に行くことになっているが、これだけ空白ができると足には応えることになりそうである。

山ネタが夏枯れ状態なので、芸のないことであるが、続けて本のことになる。
蔵書の愉しみは次第に増えていく本に埋もれながらも、いつか書斎と書庫を持ち、全ての背文字が見える本に囲まれる、ところで頂点に至り、それが同時に苦しみの始まりとなる。
私は幸か不幸か、いまだ頂点の手前にいるので、本物の苦しみには見舞われてはいないが、その予兆はつねずね感じている。

Img030 岡崎武志さんの『蔵書の苦しみ』には共感するビブリオ・マニアはたくさんいるのだろうと思う。
蔵書の愉悦は、蔵書量が限界値(もちろん人によって異なるが・・・)を超えると、床が抜けるとか、本に埋もれ必要な本が見つからないとか、さまざまな苦しみに変わる。

私など蔵書家といえるほどのレベルにはほど遠いが、それでもそれなりの問題はある。
当面のこととしては、山荘と自宅に分散しているために、どちらかで何かの調べ物をしているとき、必要な本が手元にない、という悩みがいつも付きまとっている。

もう一つは本探しである。
私の蔵書は山岳書が大半であるが、その外には地誌関係、音楽関係、紀行関係、詩集、文学書、随筆などにおおまかに分類して並べているつもりである。
圧倒的に多い山岳書は、いざ探そうとする段になると、簡単にみつからない、という破目におちいることも珍しくない。
結果として、同じ本が2冊ある、という現象が生まれる。
これまでカウントしたことはなかったが、これを書くにあたって曲がりなりにも作成しているリストにより山岳書を数えてみたらおよそ1500冊であった。
これには『アルプ』(300冊)『山の本』(81冊)などの雑誌やガイドブックは含めていない。

また、ある本の中のあるフレーズをふと思い出したとき、それがどの本にあったのか、を探しだすのがひと仕事になってしまう。
そのためのメモらしきものも作ってはいるが、不完全なのであまり役にたたない。

Img029 この状態で必要な本を探し出すのは神業、というより不可能でしょう。
探すことは諦め、買った方が早い・・・

私が最初の本棚をもったのはいつのことだろう。
中学生のとき、縁側の端に机を置いて初めて自分の居場所が得られた。
そのときに本立てくらいを置いたのが多分蔵書の第一歩であろう。
高校生になって6人兄弟の中で一人個室を与えられた。
父母がどうして自分にだけ特別な計らいをしてくれたその理由は知らない。
そのときから曲がりなりにも本棚を置いて、その隙間が少しづつ埋まっていく愉しみを覚えたのであろう。
少年期の読書傾向、英雄・豪傑、剣豪、冒険、探偵ものなどから、中学生の中ごろから文学のジャンルに移り最初に熱心に読んだのが徳富蘆花の『思ひでの記』であった。
日本文学から西洋文学に広がり、翻訳ものの青春小説が粗末な本棚に並ぶようになった。

会社人間時代には止むを得ず、ということで読むものはマクルーハンなどのビジネス書が殆どになってしまったが、もちろん面白いはずがなく、それらはリタイアした途端に跡形もなく消えてしまい、書名なども記憶に残っていない。
ビジネス書、実用書、ハウツウものなどには座右におきたいような名著はない、ということか。

山荘との2住生活に入ったころ本気で書庫つくりを考え、あれこれ図面など描いてみた。
しかし、さすがにそれは自分の身の丈を超える無用の投資である、と気が付くだけの冷静さは失っていなかった。
もう70歳に近い、読める本の量も限られている。
書庫を作るにはあまりにも遅すぎる・・・と。

Img031

本の持つ質感とか、指でページをくくる触感とか、匂いとかは電子書籍では得られない独特のものである。
一時、本は電子書籍に席巻されるのではないか、という見立てがあったが、そう簡単に本がその席を譲るとは思えない。

さて、私なりの「蔵書の苦しみ」はいよいよこれからだ。
遠からずこのまま、というわけにはいかない時がやってくる。
残る(多分・・・)家人にゴミの山と化すことがミエミエのものを遺すことは心苦しい。
その前にできるだけ始末をつけておかねばなるまい。
それは多少心がけているが、目下のところは焼け石に水ていどのことにしかならない。
『蔵書の苦しみ』のなかにもあるが「いっそ燃えてしまえばスッキリする」というのは分からぬこともない。
しかし、本が一冊もない暮らしというのもあり得ないだろう。

篠田一士のいう「(略)ほんとうのことをいえば、三度、四度と読みかえすことができる本を一冊でも多くもっているひとこそ、言葉の正しい意味での読書家である」という境地。

つまるところ、篠田さんのいうように、自分にとってかけがえのない何冊かの本をいまはの際までは座右に置いておく、ということに落ち着くのであろう。

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本中毒の自己弁護

2013年8月18日

身内のことなので詳らかにすることは慎しみますが、取り込みがあり4日の間その対応で、山歩きも、ブログもセーブしなければならない日々でした。
一段落したので、これからはいつものペースに戻れますが、ネタ切れ状態なので、在庫記事でお茶を濁しておきます。

もはや時間の問題ではあったが、国の借金がついに1千兆円を超えた。
赤ちゃんまで入れて国民一人当たりで800万円ほどの借金になるのだが、恐ろしいのはこれで終わりではなく、日々それが増え続けて いることである。
たとえ話によく使われる「今の日本は、家計に置き換えると月収40万円で、100万円の消費生活をしていて、その結果1千万円の借金が積みあがった」
極めて深刻な異常事態であり、これが個人のことであったら完全に自己破産状態にあるが、誰にも危機感がない。
焼け石に水とはいえ、最低限消費税アップは避けられないだろうが、それにも”今か?”との反対意見が根強くある。
このままでは国債価格の暴落(金利の暴騰)により日本そのものが破産する、という声がある一方、いや個人の金融資産がそれ以上あるから心配ない(国の借金を個人資産でチャラにする気?)とか国有資産があるから大丈夫(国の資産を中国にでも買ってもらうのか?)という楽観論もあり、どっちが正しいのか迷うばかり。

閑話休題~本中毒=ビブリオマニア(書痴)は他の悪癖(飲む、買う、打つ)よりはまし、とは思うが中毒なりの悩みがある。
本来、読むために手に入れるはずの本なのに、いつしか所有することそのものが自己目的化してしまっている。

東大教授だった河合栄治郎さんが「学生に与う」でこう語っている。
「書物は買わなくては駄目だ。・・・本を借りて済まそうとするのははしたない業だと思う。ほかのものは借りてもよいが本だけは自分のものとして座右において、いつでも手にとれるようにしたい」と。
・・・全く同感なのであるが、溢れる書物に溺れそうな現実ではそのようなゆとり心はなかなか持てない。

藤原正彦氏は父・新田次郎から「本代だけはケチるな」と言われ忠実に守ってきた。
その結果書物の山ができ「読破したのはざっと1割、斜めに目を通したのが3割、残りはほとんど開いてもいない堂々たる備蓄・・・」とのお嘆きで、オレばかりではないな、と胸をなでおろしたりもする。

私など世の本物の書痴の足元にも及ばないレベルだが、それなりの悩みはある。
いつか来る日に備えての始末のことが最大の問題であるが、目の前のこととしては、本が自宅と山荘に分散していることである。
何かの調べものをしたいとき、必要な本が手元に無いことがしばしば起こる。
その予防措置として、たとえば深田久弥の『ヒマラヤ登攀史』や『ヒマラヤの高峰』などのように重要な本は2冊をそれぞれに置くようにしているが、当然ながらすべての本というわけにはいかない。
それやこれやで惑いを抱えつつ、本漁りはどうにも止まらない。

Img290山口 瞳の『酒飲みの自己弁護』
お探し本だったが、行きつけの図書館に不用本として置いてあったので、小躍りしながらいただいた。
私も時々始末する本を置いてくるが、そのお陰か・・・
酒を飲む理由なんかいくらでもある ~というより、理由なんかどうにでもつけられるし、そもそも理由なんか要らない・・・というように下戸の私には見える。

Img015 日本のアルピニズム揺籃期~パイオニアたちの物語

Img023 深田久弥の山こと始め以前の貴重な記録。

Img013 卓越した思索の山書

Img021 驥尾(きび)に附すのは難しいが・・・

Img022 遅まきながらもう一度『古事記』の勉強を、などと・・・

もし、自分が余命半年と宣告されたとき、それでも本を買うことはやめないだろうか?

本などなくても立派に生きてる人は大勢いる。
その顰(ひそみ)に倣って蔵書の全部を処分できたら人生での瑣事(さじ)が一つ減り、どんなにスッキリすることだろう。
狭い部屋も少しは広くなるだろうし・・・。

でも、そうなったら・・・心に埋めようのない大きな穴がポッカリ空くのだろうな・・・。
本は心の飢えを充たすためにはどうしても欠かすことのできないものなのだ。
そのあたりが本中毒の自己弁護になるのだろうか。

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回想の黒斑山

2013年8月11日

I さん
秋が立ったとたんに猛暑がぶりかえしてきました。
その後いかがですか?
今は自宅ですか?それとも病院でしょうか?
たまのメールのやりとりだけなので、案じています。

ボクのほうは相変わらず○○の冷や水を続けています。
この時期の山選びは案外悩ましくて、2千m以上の涼しくて日帰りできる山となるとなかなか見当たらないのです。

そんな中でフッと思い立ち、今日(9日)、51年前の1962・5・9にあなたと登った「黒斑山」2404mを久し振りに歩いてきました。

あの山歩きは傷心のボクをあなたが見かねて山に誘い出してくれたことで実現した山行でしたね。
あのころ、ボクは自身が精魂こめてプランニングした鹿島槍の春山合宿に、休暇がとれないため参加できず、虚脱状態になっていました。
そんなボクのことを案じて”山へいきましょう”とあなたが背中を押してくれたのです。
I さん、あなたはそれを今でも覚えていますか?

前日は佐久の御座山(おぐらさん)に登り、黒斑の翌日は一の倉沢・一の沢を遡行し、などで鹿島槍には及ばないものの、愉しい5月の山旅が、折れかかっていた心にどうにか平衡をもたらしてくれたのです。

この山行記であなたの心の筐底(きょうてい)に閉ざされているもの~果たしてそれが蘇ってくれるでしょうか?

Dscn1467 山麓の浅間サンラインからの黒斑山(左)です。
浅間山の本峰は手前の剣ヶ峰の背後に覗いています

Dscn1450 あのころと違い、今では黒斑山はすっかり人気者になっています。
今日は表コースから登り、中コースで戻ってきます。

Dscn1454   意外に花の多い山道でした。 

Dscn1455 薄雪草です。

Dscn1453 だれでも知っているマツムシソウですね。
山では一足早く、もう秋の花が開いているんですね。

Dscn1459 トーミの頭が目の前です。
あなたもボクも 見ていたはずですが、ボクの記憶には残っていません。

Dscn1461_2
スタートしてから2時間弱で黒斑山頂につきました。
ここに立つのはあなたと登った2年後、職場のハイキングで歩いているので49年ぶりになります。 
ここまでの行程は、まるで初めての山のようでした。  
               

Img287 これは51年前のセピア色に褪せた山頂写真です。
背後の浅間山の姿は変わりませんが、樹木が大きく成長し、開放的だったのが、今は浅間山の方だけが開けています。
時間の堆積~その中で変わるもの、変わらないもの・・・。

あのころ「蒸気機関車」の異称を奉られたほど馬力があったあなたが、長いこと脚の故障に外出もままならない。
そんなあなたに、ありきたりの言葉で気休めしかいえないボクは、少し後ろめたさも感じているのです。

せめてこの記事があなたに2千mを超える高みの風を届けられたら・・・と願っています。

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中ア・宝剣岳~二兎を追うも・・・

2013年8月6日

この時期としては異例なほど、長いこと山の天気が安定しない。
ウエイティング状態が続いていたが、もうこの日(4日)しか日程が取れないので久しぶりに中央アルプスに足を向けたが不本意な結果になった。

中アの主稜線から外れている「三ノ沢岳」2846mはかねて気になっている山の一つで、この夏こそ頂を踏んでおこうと天気の按配を毎日チェックしていた。
ついでに未だトレースしていない中アには珍しい岩峰・宝剣岳2931mの南稜を歩くという身の程知らずの欲張りな計画である。

宝剣岳だけでは、何を今さらと思われるそうだが、三の沢岳との組み合わせならそれなりに評価してもらえるのではないかな・・・。
結果的に終始晴れないガスのため、中アの主稜線を横から眺めるための三ノ沢岳は、ピークハントが目的ではない以上、登っても意味がない、という自分への言い訳でパス。
結局、それなりの課題ではあったが、宝剣岳の南北トレースだけで終わってしまった。

宝剣岳では正確な位置は不明だが、7月29日、4人の遭難死を出した韓国からの登山ツアーで60歳代の一人がここで滑落死している。
これまでにも、主に積雪期ではあるが滑落事故がしばしば発生している難所である。

東京朝立ちでは行程がタイトになるので、前日(3日)の夕刻に出発し中央高速の小黒川SAで車中泊とした。
仮眠から覚めて、まだ暗いうちに「菅の台」の駐車に着くと話には聞いていたが、広大な駐車場は満杯状態で、バス券売り場前には行列ができている。
受け入れ側もワンサカ押し寄せる客の捌きは心得たもので、定刻の5:15の始発を繰り上げて運行する、という。
3台目に乗れる。
まだ、ロープウエイが開通していなかったころ、歩いて下った中御所谷沿いの連続するヘピンカーブをバスは苦もなく登り、しらび平へ。
ここからロープウエイで標高差千mを8分足らずで稼ぎ2612mの千畳敷へ。
ヒエーッ、寒い!

Dscn1421_2 久しぶりだが見慣れた景観。右端がこれから向かう宝剣岳
駒ヶ岳神社前から右へゾロゾロ進む行列を尻目に一人左へ極楽平を目指す。

Dscn1423_2 ほんのわずかの間に宝剣にはガスが舞いはじめ、それからは悪くなるばかり。

Dscn1429 主稜線にのると霧に揺れるイワギキョウ

Dscn1430 お目当てのコマ(ヒメ)ウスユキソウ。
日本の薄雪草の仲間では一番アルプスのエーデルワイスに似ている、と言われている。
小振りで、絶滅も危惧されている。

Dscn1432 主稜線から三の沢岳への分岐点。
ここに来るまでにすでにサバサバと断念していた。
宝剣方向から来た二人連れは行くそうである。
少々羨ましい。

Dscn1433 いよいよ中アでは一番危険とされている宝剣の南稜へ取り付く。

Dscn1434 交叉した二人が攀じ登っていく~下から見ているので、写真では平らな所を這っているように見える。

Dscn1436 黄色い足場などあり、階段状に登れる。

Dscn1435 けっこう高度感のある部分もある。
総じて北アルプスの岩稜に比べると規模がいかにも小さい。
岩はシッカリ硬く、足場も適度にあるので油断さえしなければ難しくはない。

Dscn1437 濃霧で前途が分かり難い。
宝剣岳の北側から向かってくる登山者との交差が多くなってくる。
交わす場所が限られているので、互いの声を掛けあうことが大事である・・・当たり前でしょう。

Dscn1438 下降した10mほどの垂直に近い鎖場を振り返る。

Dscn1440 この岩を潜ると山頂は近い。

Dscn1441 狭い山頂。一番高いところは一人が立てるだけ。
私? ああいう場所は相性がよくありません。
ここから北への短い岩稜線はかって辿っているのだが、記憶は全くない。

 

中岳まで足を延ばしたが、この天気ではどこまで行っても同じ、と木曽駒は止めてて引き返す。

Dscn1444 乗越浄土までくると・・・ジェジェジェ(~とは軽薄な・・・)
八丁坂の急坂を蟻?の行列が途切れることなく登ってくる。
中には普段は山歩きとは無縁に見える人も多い。

Dscn1445 山肌を覆うシナノキンバイの大群落

Dscn1446 高度が下がると霧も薄れ、千畳敷が見下ろせる。

Dscn1448 千畳敷カールの底を埋め尽くすコバイケイソウ。
今年は10年に1度ともいわれる当たり年か・・・

こうして、求めた二兎は一兎で短い雲上歩きが終わり、下界へ下りれば強烈な日差しが待っていた。

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映画「風立ぬ」観ました

2013年8月2日

<ゼロ戦の 心 長髪族知らず> 1975・5・10 読売新聞「よみうり時事川柳」
この一首は太平洋戦争で、一時期制空権を握った名機「海軍零式戦闘機」の心を問うたものではなく、ゼロ戦に象徴される、あの戦争についての屈折した日本人の心理を問うているものと読めます。

そのゼロ戦誕生の物語、宮崎駿監督アニメ映画「風立ちぬ」を観ました。
堀辰雄の作品『風立ちぬ』(文章作法に従って書名は二重鍵カッコで表記します・・・)との直接的な関係はありません。

Dscn1373

宮崎監督が敬愛する、ゼロ戦の設計者・堀越二郎と堀辰雄とを自らのイマジネーションでつなげ、綴ったメルヘンです。
ストーリーにはやや難解さがあるので、ゼロ戦&堀越二郎と『風立ちぬ』についての予備知識を持っていたほうがベターだと思います。

 

堀越と堀とは、同時代に生きた、ということ以外の共通点はありません。
宮崎監督は二人をこの作品のいろいろな場面で吹く「風」で結びつけているのです。
見方によりますがこの作品の主人公は「風」とも言えます。
P・ヴァレリーの詩「風が起きてきた 生きることを考えなくてはならない・・・」を主題にして、
大空に夢を掛けた堀越と、生きなければならないと強く思いながらも婚約者を死に奪われた堀とを宮崎監督は「風」を媒介にしてメルヘンに結晶させたのです。

 

あの大戦中の一時期、日本が制空権を握ることになった立役者ゼロ戦を無邪気に礼賛しているものではありません。
ゼロ戦の栄光がやがて過去のものとなり、ついには特攻機となって消滅してしまう歴史を物語るものでもありません。
また、声高に反戦を主張してもいません。

 

東京への汽車で二郎は帽子を飛ばされ、それをキャッチしたヒロイン(堀の『風立ちぬ』では節子ですが、この映画では堀の別の作品『菜穂子』の名前をつかっています)と最初の邂逅をします。

Dscn1392_2
何年かの後、夏の避暑地(軽井沢)でスケッチ中の女性が一陣の風に飛ばされた帽子を拾って渡すとそれが菜穂子。
再会した二人は菜穂子が結核にかかっていることを承知の上で、愛を育、み、婚約する。
ヒロインは結核の療養のため富士見高原療養所に入るが甲斐なく、短い生涯を閉じる。

Photo_2 この場面は、絵画知識などゼロの私ですが、クロード・モネの「日傘の女」を思い浮かべてしまいました。

Photo 裳裾が風に揺らでいる空気感が、静止画なのに動画のように見えます。

Dscn1366

Dscn1383 時代はやがて太平洋戦争に突入していきます。
妻を失い、戦闘機の残骸の山を前にして呆然とたたずむ二郎。
そのとき風がたち菜穂子の幻影が現れ”あなた・・・生きて・・・”とささやき消えていきます。

こうして宮崎作品では珍しい愛の物語は閉じます。

Dscn1408 振り返ると「風の谷のナウシカ」以来宮崎作品のほとんどを観ていることに気づきます。 

Dscn1409

Dscn1410 その多くは孫たちに付き合って(スポンサーになって・・・)のものですが。
宮崎ワ-ルドでいつも重要な役割を果たすのは健気で真っ直ぐな女の子ですね。
フィクションとしてもそこに宮崎作品の真骨頂があるのではないでしょうか。

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