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2013年7月

草津・本白根のコマクサとの再会

2013年7月29日

驚いた!
28日、グループで草津・白根山にコマクサを訪ねるハイキングをした。
28人という大部隊で。
それで、前回登ったのは10年前くらいかな、と漠然と振り返っていたが、記録を確認したらもう26年も経っていたのだ!
オレはなんと50代の前半にいたのだ・・・!
あの時は岩礫だらけの斜面にわずかな個体数のコマクサがへばりついていた。
それが今、どのように変貌しているのか~個人的にはそれが一番の関心事。

そして驚いたことはそれだけではなかった。
四半世紀の歳月はダテではない。
殺風景な火山礫の山肌を覆うばかりのコマクサの大群落を目のあたりにした。
驚くべき光景であった。

いつも書いているよう、にエゴイストの私は一人歩きが合う。
でも、グループでの山歩きをの良さも理解しているつもりである。
28人もの参加者ともなると年齢、経験、体力度などにずいぶん開きがある。
参加者には自己責任は求めるものの、それが全てだとしたら、グループ登山の意味はない。
何かが起これば自然に「共助」の精神が現れ、助け合う
その姿を見るとたまらなく嬉しくなる・・・人間て素晴らしい!と。
今日もそんな場面があった。

Dscn1407 登山道の傍らに点々と紅が・・・

Dscn1406 自生のコマクサはピンクが多いが、ここのは濃い紅色をしている。

Dscn1400
このコマクサは六合村(くにむら)の山口雄平さんという篤志家が1960年代に、独力で植生をを始めて、発芽不良やら、盗掘など様々な困難に遭遇しながらも、次第に増えてくる協力者の力とも相まって、ほぼ30年かけて、今日見るような素晴らしい群落をつくりあげたものである。

たった一人で始めた、人間の小さな無償の行為が大きな成果をもたらし、今はそれを求めて何も貢献しなかった人たちが大勢で押しかける。
「先人木を植え、後人涼を楽しむ」
福島市の花見山も同じだが、「緑陰を楽しむものは、その木を植えた人のことを思う」ことはしないものである。

Dscn1398miyamasyazinn こちらはミヤマシャジンそれともヒメシャジン?

Dscn1403 これだけの集団になると壮観!
ちなみにこの写真の中には私はいません。

Dscn1401タカネオミナエシらしいのだが・・・

Dscn1404 コマクサとシャジンの混淆

Dscn1402 白根山の向こうにアンテナだらけの横手山。

楽しみにしていた草津での入浴を、時間の関係で断念したにもかかわらず、帰路の関越道は大変な渋滞。
バスをチャーターしての山行は利点だらけだが、唯一、高速道路の渋滞に巻き込まれるデメリットがある。
ドライバーの機転で、こちらでは思いもつかなかったエスケープ~北関東自動車道を横走りして、東北道に入るという~がドンピシャリ当たり、それからは快適走行とはなったが、新宿帰着は最近になく遅い時間であった。

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「風立ちぬ」三題

2013年7月25日

アニメ映画の巨峰・宮崎駿監督の新作「風立ちぬ」の前評判が高いようです。
あの名作『風立ちぬ』と何か関係があるのでしょうか?
A新聞(20日付け)の監督インタビュー記事からは、その間の事情は解き明かされていませんでした。

風が起こる!
生きてみなければならない
広大な風が私の本を開き
また閉じる

                 海辺の墓地/ポール・ヴァレリー

ヴァレリーの詩「風立ちぬ いざ生きめやも」を傍題にした堀 辰雄の『風立ちぬ』は私が文学書を手にし始めたころに出合った作品で、未だにここから卒業できないまま、時おり数ページを読み返したりします。

Img286 物語のヒロイン・矢野綾子
結核に罹病した二人は、ともに富士見の高原サナトリュームにはいり、療養生活をしながら、堀のいう、風変わりな愛を交わすのですが、綾子は還らぬ人となります。

堀 辰雄とは無関係ですが、松田聖子が歌った「風立ちぬ」
♪風たちぬ 今はもう秋 今日から私は 心の旅人・・・♪
子供たちがアイドルに関心を持ち、私がスッカリおじさんになっていたころ、TV画面に彼女の姿が現れない日はないかのようでした。
爽やかな一陣の秋風が吹き抜けていくようなこの曲は、好きでも嫌いでもなかった、要するに関心の埒外だった彼女の歌の中では、唯一”悪くないな”と思えた曲でした。

Photo 秋風には白樺林がお似合いです。

この20日、宮崎駿監督の最新作「風立ちぬ」が公開になりました。

Photo_2
あの伝説の名機「零戦」(ゼロ式戦闘機)の設計者・堀越二郎を主人公とし『風立ちぬ』をラップさせた作品だそうです。
太平洋戦争の中盤から投入された零戦は、陸軍の「一式戦闘機(通称隼)と双璧をなす名機で、その高性能で一時は制空権を握っていました。

 

アメリカの航空博物館にある現存するただ一機の零戦

Photo_3 今、所沢の航空基地で展示されているようです。
灰田勝彦が歌う「加藤隼戦闘隊」を聞くと、理屈抜きに無邪気な軍国少年だった昔に帰り、血が沸き立ってしまいます。

さすがに宮崎作品では軍歌は使いません。
主題歌はユーミンの「ひこうき雲」だそうです。
♪空に憧れて 空をかけてゆく
    あの子の命は ひこうき雲 ♪

Photo_4

このメルヘンティックな歌は空への夢を掛けた堀越少年の心情にピッタリに思えます。
辛口の団伊玖麿さんも『好きな歌・嫌いな歌』の中で、珍しく褒めていますね・・・。

帰京したら『風立ちぬ』とどう重なり合うのか、何をおいても観に行かなくてはなりませんね。

戻り梅雨で、山荘は漂う霧に包まれ足止めを食っているのを幸い、とりとめなく綴りました。

文字通り雑草がわがもの顔にはびこっている草庵の庭では、山百合だけが不釣合いなほどの大きな花を咲かせています。

Dscn1362

残念ながら艶冶(えんや)な香りをお届けできません。
・・・なんとかなりませんか・・・・?

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元奥多摩山岳救助隊・金 邦夫氏の話を聞く

2013年7月23日

私たちの渋谷に拠点をおく山歩きのグループは発足して13年目に入る。
会員数は40人台で、今時では珍しく男性会員が半数を占めている。
易しい近郊の山歩きが中心で、それでも十分とはいかないまでも安全についての取り組みも進めている。

その一環として、先日金(こん)邦夫さんを招いて奥多摩エリアにおける遭難救助の実例に基づいた話を伺った。
同氏はこんなチッポケな集まりにお越しいただくのは申し訳ないくらい、山の世界では広く知られた方である。

金さんは幾つかの経歴を経て後、1994年から青梅警察署山岳救助隊の副隊長となり、この3月に退職するまでの間、奥多摩エリアでの数々の遭難救助活動を陣頭指揮されてきている。

Img285

私たちは、山でアクシデントに見舞われた場合には、救助される立場である。
それだけに、救助する立場からの視点には示唆を受ける点が少なくない。
多くの登山者にとって奥多摩の山は、東京の奥座敷の山という刷りこみがあって、組しやすい印象を持ってしまっている。
ところが実際は長沢背稜(雲取山から東へ延びる、東京と埼玉の県境尾根で長沢脊稜と言う向きもあり、また「ながさわせりょう」と読む人もいるが、金さんは「ながさわはいりょう」と・・・)のような奥深い山域やら危険なルートも少なくない。
侮って入山し、手痛いシッペ返しを受け、結果として年間で約40件の救助要請が発生するという、驚くような数字になっている。

Dscn1356

総論的にまとめれば、あまりにも登山の基本、セオリーに無頓着な登山者が多く、それが遭難の誘発原因になっている、という指摘である。

Dscn1357
この見方は私も同感である。

中高年になってからの登山者には、山岳会などに入って制約を受けることを嫌い、気ままな山歩きを楽しみたい傾向が顕著にある。
こうした登山者はえてして、登山の基本を学ぶことなく、読むものはせいぜいガイドブックの類だけと思われる。
天気の良い日に、道標のシッカリした山歩きをしているうちに”山なんて別にどうってことないじゃん”という慢心が生まれてくる。
これが中高年登山者の、遭難事故多発の底流になっている、という見方をしているのは私ばかりではない。

山歩きはスポーツではないから明文化されたルールはない。
登山行為を規制する法律もない。
あるのは長い登山の歴史の中で培われてきた経験則、マナー、エチケットなどの不文律である。
そうしたことを会得するには経験の蓄積が不可欠である。
中高年登山者の中には残念ながら、こうした基本を学ぶことがないままに山に入り、考えられないような初歩的なミスで事故に見舞われる遠因を自ら抱えている人が存在する。

金氏はこうした状況に本心では”オレは怒っているんだ!”と叫んでいるのだが、その心情は理解できる。

私も改めて謙虚に山に向かい合い、ゆめゆめ救助隊のお世話になることのないよう、自戒していこう,と思う。

 

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三度も尻もち~御坂・十二ヶ岳

2013年7月19日

河口湖や西湖の北側につならる山々は「御坂山塊」と総称されるが、そのほぼ中ほどにある「十二ヶ岳」1683mは、この山塊には珍しい急峻な岩場の多い山である。

Dscn0431 以前撮影した三湖台からの御坂主脈の一部
画面の右端、山頂が扁平に見えるのが「十二ヶ岳」


山麓の桑留尾(くわるび)からの直線距離は2kmで、標高差は800m。
単純に平均勾配を算定するとおよそ25度となる。
多くの山道は急なようでも15~20度くらいのものだから、これだけでもかなり急な山道だといえる。
山道は屈曲するし、斜度も一様ではないからこんな単純な話にはならないが、部分的には35度くらいの急な斜面もあることになるだろう。

 そんな十二ヶ岳を今日(16日)桑留尾の「いずみの湯」に駐車して往復した。

Dscn1354 登山口

Dscn1352 途中のお地蔵

さて登り終えての感想は~こんなにきつい下降だったか?~である。

私はこれまでに2度同じ道を下っている。
最初は毛無山から十二ヶ岳に向かう途中で、突然右足の膝を痛め、引き返そうという気持ちを振り払って十二ヶ岳まで歩き、ビッコを引きながらの下降であった。
2度目は私より3歳年長のOさんが同行していた。
それなりのハンディがあっての下降だったが、特に厄介だという印象は残っていない。
それが今日はひどく手強く思えた。
急なザレ場が多く、要所にはロープがついているが、いかにも場当たりで、あまり効果的とはいえない。。

 十分用心して下ったのに3度、足を滑らせ、したたかに尻を打った。
クッション性に優れた尻なのに見事に腫れ上がるほどの強打であった。

Dscn1351 例えばこんなふう。
下から撮っているので角度が分かりにくいが難物である。

Dscn1346 3度目の山頂
富士は全く見えないが、それはもういいや・・・。

 この秋、山歩きの会でここを歩く計画ができている。

どう対処したらよいかな・・・?

 悩ましい宿題を持ち帰ることになってしまった。

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奥秩父・鷹見岩~小さな岩峰のデッカイ展望

2013年7月13日

広大な奥秩父山塊の西端には金峰山と瑞牆(みずがき)山という2大スターが光彩を放っているため他の山はいきおい影が薄くなる。
今日(12日)に訪れた「鷹見岩」2092mもそんな一つである。
この時期、山選びはけっこう悩ましい~近郊の低山は暑いし、涼しい高山は遠い。
重箱の隅をほじくっていたらこの「鷹見山」のファイルに目が留まった。
考えるのもいい加減に面倒になってきたので、期待はしないようにして決めた。

それが、けっこうな掘り出し山であった。
名峰たちの遠景もさることながら、目の前の金峰山の大きな山体を一望するのに、これだけ好条件の岩峰は他に思い当たらないくらいである。
もう瑞牆山荘側から金峰に登るのはムリだが、昔日の足跡を振り返ってみたい、という向きには体力と折り合いをつけられる格好な山であろう。

5年ほど足が向いていなかった「金山・有井館」の前から、変わらぬ金峰山

Dscn1331 左端が「鷹見岩」 右奥が金峰山。
瑞牆山荘の駐車場は平日なのに2~30台の既に主なき車。
皆さん早い・・・イヤ、自分が遅いのだ・・・もう10時を過ぎている。
ここの標高は1500mを超えているのに全然涼しくない。
この先が思いやられる。

Dscn1333 富士見平小屋~ここから金峰へ向かう道を歩くのは実に55年ぶりとなる。
金峰そのものはその後、何度となく登っているが、いつもラクチンな大弛峠からの往復である。

Dscn1334 金峰への道から右折する鷹見岩への分岐には立派な道標が立っていて、倒木が入り口を塞いだ格好になってはいるが、道形は明瞭。
最近まではマイナーなマニア向けだった(らしい)ルートも普通の登山対象に昇格したようだ。

シャクナゲのトンネルを潜り抜けると、頭上が明るくなり、丸みを帯びた大きな花崗岩が重なりあう山頂下。
横幅7m、高さ5mほどの傾斜した岩場でホールド、スタンスが全然無い。
案内記事ではロープが着いているので心配ない、と書いてあるが、どうやらなくなってしまったようだ。
どうするか・・・

Photo_2 取り付くシマが無い・・・

岩の基部の左端に赤松が生えていて、この枝を使うと何とかなりそう。
枝に腰かけたり、ぶら下がったりして岩の中間に取り付けた。
後は傾斜が緩み、ザラザラした花崗岩には靴底のフリクションが良く効くので難なく山頂。

Dscn1342 そこが山頂。三等三角点。
底抜けに開放的な山頂に立って仰天した~コリャ凄い、大展望だ!
富士、北岳、間ノ岳、農鳥岳、仙丈、甲斐駒、八ヶ岳その他大勢がひしめいているではないか・・・。
南側は削壁になっているので、嬉しさのあまり小踊りなどして転落したらただごとでは済まないので控えめに喜んだが・・・。
適当な行き先が見つからないので、已む無く来たような山なのに、こんな贅沢なご馳走を用意していてくれるなんて・・・。

Dscn1335 三角点越しに見る瑞牆山

Dscn1336 山容に風格が感じられる金峰山
手前の大日岩、奥にこの山を象徴する五丈岩

Dscn1337 大気が不透明なので南アは辛うじて見えているだけ。
真ん中に北岳、左へ間ノ岳、農鳥岳。
北岳の右に仙丈、甲斐駒、鋸岳と続いているのだが・・・。

Dscn1341 瑞牆山をアップして・・・

Dscn1343 再び山麓の金山から鷹見岩をアップしてみる。

Dscn1344 金山の古い山宿「有井館」
55年前の記録によるとランプの宿で、宿泊料は350円であった。

もう一度訪ねてみたい山が一つ増えた。
南アや八ヶ岳などが白く装っている時に・・・・・・。

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引っ張り上げられて~浅間・前掛山

2013年7月4日

浅間山に登ったのは1957・6・5のことだから56年前になる。
当時は現在のような登山規制はなく、東の峰の茶屋から山頂へ登り、西側の火山館に下り、延々と小諸駅まで10時間近く歩いている。

富士山と同じで、登る山としては興趣に欠けるので、それっきりで再び登る対象としては全く念頭に無かったが、あることがキッカケになり、不意にもう一度登ってみなくてはならない、という気が湧いてきた。
それは私たち山歩きの会の畏敬する先輩Uさんが、昨年80歳という年齢にもかかわらず、見事1100mを超える標高差をクリアして登頂した、ということに痛く感嘆させられたことである。
”参ったなー”
いや、貧しい心根を正直に晒せば、感嘆ばかりしていられない”オレも負けちゃーいられないゾ”という不純な動機に取り付かれてしまったのである。

~現在、浅間山の本峰2568mは登山禁止になっているため外輪の「前掛山2524mをもって浅間山に登った」こととされている~

天候の塩梅などでなかなか機会を掴めないでいたが、スタンバイ状態に嫌気がさし、2日、怪しげな空模様だが強行することとした。

Static_2 今日の行程~往復なので山頂がG(ゴール)になっている。

珍しく山荘を早立ちしたので登山口の浅間山荘・天狗温泉を7:50にスタートできた。
不動滝を通過して火山館までは標準タイムを短縮するほど順調に登ってきた。
浅間サンライン走行中には、一時雲が消えて、浅間山がソックリ現れたのに、今はまた厚い雲に閉ざされている。
カンカン照りつけられるよりましかもしれないが・・・。

Dscn1246_3 晴れていれば「牙山(ぎっぱやま)」が見える辺りだが・・・

Dscn1251_2 火山館を過ぎるとガスが晴れ黒斑山が見えてくる。
この黒斑山の連なりが形成する外輪尾根と浅間山との間に広がる緑野は「湯の平」と呼ばれ、天上の桃源郷を思わせる別天地であった。
今は、落葉松が成長して森林化への道をた急いでいるようである。

Dscn1252_2 これから辿る前掛山への稜線も見える。
しかし、牧歌的な湯の平高原を通り抜け、Jバンドへの分岐を過ぎたころから再びガスに包まれ、火山礫の胸突の急坂に差し掛かったところで急速にピッチが落ちてきた。

Dscn1253_2 濃霧の火山礫を登る。
標高差400m近いここの登りがが本日の正念場になることは分かっていて、それなりに自らを叱咤して取り組んではみたものの、疲労は正直に出る。
とにかくジックリ足を前に前にと運ぶしかない。
霧の中から黒い人影が現れては私を追い越していく。
この道に終わりはあるのか?
前方の霧が晴れ明るくなると、そこがそこから先は立ち入り禁止の地点であった。
これで難関は突破できた。
どうするつもりなのか、ロープを潜り直進する姿も見る。
浅間山本峰をめざすのだろうか?

善良な小市民である私は注意書きに素直に従い右折し、目下、仮に浅間の頂上とされている前掛山に向かう。

Dscn1254 2つのシェルターは56年前そのままだが、さすがに劣化は隠せない。
前掛までは緩い稜線になり、楽なはずだが、足がふらつくほど疲れが極まっている。

Dscn1260 それでもどうにか前掛山頂に登り着いた。
スタートしてから3:55、休憩を除く実動で3:40.
標準的に利用されている昭文社地図の4:10を30分短縮はできている。
私としては上出来だが、欲を言えばもう少し余裕が欲しい。
とにもかくにも私が今ここに立っていられるのは、Uさんが私をここまで引っ張り上げてくれた、そのお陰なのである。

Dscn1261_2 今は行けない浅間本峰2568m~ロープを潜って行った人たちはあそこが狙いなのだろう。

足取りは重いが後は下るだけ。

Dscn1266_2 帰路での牙山

Dscn1267_2 一群のレンゲツツジ

Dscn1268 うろこ雲が出たりして・・・

昨夏、数回の転倒での怪我が引き金になり、説明し難い体調不良に陥り、永らく自信喪失気味になっていた。
今日でそれを克服したとまではいえないが、もう暫くは山歩きの楽しみを続けられる、その成算は持てたことは確かである。

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